『五十番目の妃』視点
一話目はコメディー要素はほとんどありません
――ああ、またか。
思わず、自分のことなのに他人事のようにそう思ってしまう。
「なんてこと。これは皇帝陛下が大事になさっていた壺なのに……」
「――あらあらこの小娘、どう責任を取るつもりかしら」
数人の妃たちが、私に愉快そうな視線を向けながら、そう囁く。
対して、私はため息を吐くことしか出来ない。
――私は、どうやらまた嵌められたらしい。
理由は単純。おそらく私が男爵家の娘でありながら、後宮入りしているからであろう。
平民以上、貴族未満。
私の生まれた家の位は、この国に暮らす者にとって、おおむねそのような認識だった。
だから、最も格の低い五十番目の妃として後宮入りした私は、このように他の妃たちから疎まれることになったのだった。
私は、今濡れ衣を着せられた。
貴重な壺を割ったという濡れ衣だ。
……はあ、全く。
私はそれに一度たりとも触って無いというのに。
しかもそれは、そう簡単には払拭出来るものではない。
私に在らぬ罪を被せたのは、私よりもはるかに位の高い貴族の家の出身で、私よりもはるかに位の高い妃たちであるからだ。
髪に刺したかんざしの形状と色を見るに、皆三十番目の妃より確実に少ない数を有する妃たちのようなので、おそらく伯爵家以上の出身だろう。男爵家の私とは雲泥の差があった。
故に、他者の多くは私の言葉より彼女たちの言葉を信じることになる。
けれど、慌てない。
このようなことは、もう慣れたものだった。
「――皆様、それではお詫びとして、一つ余興を行わせて頂きますね」
「? 小娘、何を言って――」
「今からこの責任を私の方で取らせていただくというだけの話です。ああ、無論、種も仕掛けもござません。今から、この小刀で――」
私は、懐から愛刀を取り出す。
今まで何度も使ってきたそれを、自身の首にあてがう。
――そう、いつものように。
「命の花を散らせて見せましょう」
私は、「よし、今度こそ上手くやるぞ」と思いながら、自分の首に添えた小刀を勢いよく滑らせた。
その後、周囲から甲高い悲鳴が聞こえたのだった。
♢♢♢
この国の者たちは、皆生まれた時から『祝福』と『呪い』の二つを有している。
私の祝福は、【病死以外の死因で死亡した場合、その一日前まで時間が巻き戻る】というものである。
私の祝福はかなり強力なものだった。単純に考えてこの世界のすべてに影響を及ぼすことが出来るのだから、私以上に強力な祝福を持つ者はそういないだろう。
そして、その反面、呪いも強力だった。
【死に繋がる不幸を招き寄せる】というもので、そのため私は昔からよく死んで、よく生き返っていたのだ。
そしてそんな私が何の因果か(おそらく呪いのせいだと思う)後宮入りを果たすことになったのだから、その分死ぬ回数も増えるというもの。
後宮に来た日から、私はほぼ毎日のように死んでいた。
基本的に自死が多い。後宮では、社会的に抹殺されることが多いからだ。流石に権力には逆らえない。
大半の妃は、自分こそが皇帝の『最愛』に相応しいと躍起になっている。
現在の若き皇帝は、『賢帝』として名高い。この国の歴史を紐解いても、これほどまでの人物が存在するのかと言われているほどの傑物だ。
――他人の言葉を一言聞いただけで、その相手の悩みを言い当て、即座に解決する。
そんな嘘か本当か分からない逸話があったり、それ以外にも皇帝となる前からこの国に多大な貢献をもたらし、未来を見通す目を持つと言われた大変優れた人物であった。
そのような相手の『最愛』になれたなら、将来のすべてが約束されたも同然。
ゆえに妃たちは自分以外の妃に対して手段を選ぶことも、手心を加えるようなこともなかった。
そして、そんな大勢いるライバルの中で最も排除しやすく、最も気に食わない妃が私だというわけである。
なので、自死以外にも、他の妃の策略にかかって物理的に殺されることもそこそこ経験していた。
とにかく、後宮という場所は女の園であり、そして権謀術数渦巻く魔境であった。
私は当分、ここで生きていかなければならない。
正直家に帰りたいが、皇帝陛下が、自らの生涯の伴侶となる『最愛』を決めるまで無理なのだ。
それが決まれば、私は晴れてお役御免となり、国から支給された褒賞と共に大手を振って我が家に帰ることができるのだが……果たしてそれがいつになるか全くわからなかった。
実に、気が滅入るばかりである。
――ああ、早く『最愛』を決めてくれないかな、皇帝陛下。
それが、木端貴族の娘である私では無いのは確かなのだ。
なので、さっさと決めて欲しい。そして、さっさと我が家に帰りたい。
……そうしたら、死ぬ回数は少しは減るだろうし。
そう思いながら、私は、
――宙を舞っていた。
先ほど階段から突き落とされたからだ。他の妃の手によって。
そして、落下した私は強く頭を打つことになり、「ああ、今回も駄目だなあ」と悟ることになる。
「あはははっ!! ざまあないわね!」
そんな醜い笑い声が、頭上から聞こえる。
……本当、何が気に食わなかったのだろう。
私を突き落とした彼女に対して無礼な態度を取ったことは一度も無かったはずだ。
なのに、こうして直接的な手段に訴えたということは、もう相当腹に据えかねるレベルだったということになるのだが……思い返してみても全く見当がつかない。
それと、私を始末したなら、さっさとこの場を去ればいいのに。
誰かに見つかったら犯人だとバレるだろうに。
何故、後のことまで考えないのか。
そう思ったけれど、まあ見たところ、かなり位の高い妃のようだし、誰かが目撃しても容易に隠蔽出来るのだろうと納得する。
……まあ、仕方ないか。次はもっと上手くやろう。
そう思いながら、意識が闇の中に沈んでいく最中――
「──おい、娘。生きているのか?」
そのように近くから、声をかけられた。
どうやら、ちょうど犯行現場を誰かが通りかかったらしい。
しかし、誰だろう。後宮なのに、男の人の声……?
「こ、皇帝陛下……!?」
私を突き落とした妃の仰天する声が聞こえてきて、初めて気付く。
ああ、なるほど皇帝陛下か……。
ぼやける視界に、若い男性が映る。
倒れた私を覗き込んでいたのは、紛れもなく皇帝陛下その人だった。
そのため、妃に同情することになる。
皇帝陛下が相手ならば、これは、もう隠蔽は無理だろう。
ご愁傷様である。
いや、そういえば私もご愁傷様だった。
「――おい! 娘、聞こえているのか! おい!!」
皇帝陛下に呼ばれながら、私の命の灯火はゆっくりと消えた。
♢♢♢
……しかし、久しぶりに皇帝陛下の姿を見たと思う。
後宮に来た時以来だから……一ヶ月振りだろうか?
私は、五十番目の妃。一番格が下の妃である。
ゆえに皇帝陛下は私の部屋に訪れることは基本的に無い。
いや、そういえば一応毎日一人ずつ各妃の部屋に訪れているという話を聞いたことがある。
なら、あと二十日後くらいには私の元に訪れる可能性があるのか。
まあ、また皇帝陛下と出会っても、私のことは何一つ覚えてはいないだろうけれど。
私の祝福によって、私の時間は巻き戻った。
だから、現在の私は、階段から突き落とされてはいないし、皇帝陛下とは出会わなかったということになっている。
もちろん、また同じ状況を再現するのは簡単だ。
明日、同じ時間に同じ場所に行けばいい。そうすれば、私はまた殺されることになる。
まあ、絶対やらないけれど。
流石に死ぬことに慣れたとはいえ、何度も好き好んで死にたいとは思わない。
そもそも、この後宮という名の魔境を何とか生き延びたいからこの祝福に頼っているというのに。
……しかし、それにしても少し困った状況になった。
壺を割ったという濡れ衣を回避するために一度ループして、前回とは違う行動を取ったら、今度は違う妃の手によって物理的に殺されてしまったのである。
──これ、どう回避しようかなあ……難しいなあ……。
長年培ってきた経験則から予想するに、最低でも三、四回はループすることになりそうだ。
はあ、面倒だなあ、死ぬの……。でも、死なないと生きられないしなあ……。
そう若干憂鬱になっていると、唐突に私の部屋の扉がノックされた。
――え、誰だろう。
他の妃たちかな。なら、また殺されるのだろうか。嫌だなあ。
そんなことを内心考えながら、私は扉を開ける。
しかし、そこには妃はいない。
いたのは、一人の若い男性だった。
そう、皇帝陛下だ。
え、ええ……何で?
困惑する私をよそに、皇帝陛下は「邪魔するぞ」と一言告げて、ずかずかと私の部屋に入ってくる。
そして、扉をバタンと閉めた。
その後、何故か私を睨みつけてくる。
「こ、皇帝陛下。申し訳ありませんが、わ、私に一体何の御用でしょうか……?」
恐る恐ると言った様子で私が尋ねると、皇帝陛下は怒鳴った。
「何の用だと! 貴様!! あのように私の前で死んでおいて、何の用だと!? 馬鹿も休み休み言え!!」
そのように怒られた。
そして、激しく困惑することになる。
何しろ、私の祝福は私の死後、時を巻き戻すものだ。
今までの全てが無かったことになる。
なのに、何故。
皇帝陛下はどうして記憶を――
「私の祝福はッ! 【どのような他者からの祝福や呪いであっても、その影響を受けにくくなる】というものだ!!」
私の顔に思っていたことが出ていたのだろう。
そのため、そのように皇帝陛下は怒鳴るようにして、そう答えるのだった。
そして彼は再度私を睨みつけてくる。
「……貴様か。貴様だったのか。毎度毎度毎度毎度毎度毎度毎度毎度毎度毎度毎度毎度毎度毎度毎度毎度!! 時間を巻き戻してばかりいた奴は……! 何度巻き戻せば気が済む!? こちらは、頭がおかしくなりそうだったぞ!!」
それはまるで悲鳴に近いものだった。心の底からの訴えであった。
どうやら驚くべきことに皇帝陛下は、その自らの祝福により、ずっと私のループに巻き込まれていたらしい。
私が初めてループしたのは、五歳となった直後だった。
つまり、その時から――
「貴様には分かるか? やっと手間のかかる仕事を終わらせたと思った瞬間、振り出しに戻された時の気持ちが。しかも、それが場合によっては何度も連続して起こるのだぞ? こうして自分が今、発狂していないのが奇跡だと思えてくる……。なあ、娘よ、分かるかッ!?」
皇帝陛下は、見るからに怒り心頭であった。
当然、私が彼の立場だったら、同じように怒るだろう。
いや、誰であっても、こうなるに決まっている。
私は、すぐさま平伏すように頭を下げて、「大変申し訳ございませんでした……!」と謝罪した。
そして、そのまま自分の事情を包み隠さず話す。
私の祝福と呪いのことを。
「――ですので、皇帝陛下。こればかりは自分の意思ではどうすることも出来ないのでございます……」
「なるほど、どうあっても死ぬと言うのだな、貴様は……」
「大変申し訳ございません……」
私は頭を深く下げて、謝ることしか出来なかった。
私の祝福と呪いは、他者と比べて非常に強力なものだ。
それを未然に防ぐことは容易ではない。
しかし、私は今までずっと皇帝陛下を自分のループに巻き込んでいた。
その責任を今この場で取らなければならない。
そう思いながら、私はおもむろに懐へと手を伸ばす。
「……その小刀はなんだ? まさか、自分の秘密を知られたから、私を亡き者にしようという腹づもりか? 自らの祝福と呪いを秘匿している者は数多い。明確な弱みだからな」
皇帝陛下は、「ふん、侮られたものだな」といった表情をこちらに向けてくるが、私は首を横に振って言った。
「いえ、自刃用です」
「早まるな!」
皇帝陛下が、素早く私の手を叩く。
それにより、私は小刀を落としてしまう。
ああ、私の愛刀が……。
くるくると床を滑りながら遠ざかっていく小刀を未練がましく見つめていると、皇帝陛下が溜息を吐く。
「――そうか。貴様はそういう奴なのだな。今、理解した」
そして目を細め、私を見下ろすのだった。
「ならば、決めた」
「……ええと、何をでしょうか……?」
ふと、嫌な予感がした。
そして、それは次の瞬間に的中してしまう。
「貴様を私の『最愛』にする」
「えっ、ちょっ、皇帝陛下!?」
私はその衝撃的な発言に、思わず取り乱すことになる。
だが、皇帝陛下は私の言葉を遮るようにして大声で言った。
「黙れ! 要は不幸だから死ぬのだろう!! つまり貴様を幸せにすれば、良いということ!! なら、いくらでも幸せにしてやるわ!!」
私は絶望する。
どう見ても、皇帝陛下は自棄を起こしている。
私は、皇帝陛下に負けじと大声で本音を叫んだ。
「ご、ご容赦を……! 私は、我が家に帰りたいのです!! どうか! どうか、私以外の妃をお選びください!! 皇帝陛下、お慈悲をっ!!」
「駄目だ。貴様を家に帰したところで、結局死ぬことに変わりない」
「少なくとも、頻度は減ります!!」
「駄目だと言っている! 私の見えぬところで死ぬのは許さんぞ!」
皇帝陛下は、一度大きく深呼吸をした。
おそらく、感情を抑制させるためだろう。
そして次に、宣言をするようにして、落ち着いた声音で私に言った。
「――言っておくが、逃げるなよ。死ぬことも禁止だ。仮に自死して時が巻き戻ったとしても、私は、お前を絶対に忘れないということを覚えておくがいい」
皇帝陛下は、平伏している私の前に立ち、ゆっくりと片膝をつく。
そして、私の目を間近で覗き込んだ。
「――貴様は今日から私のものだ。故に命令する。死ぬな、私のために生きろ」
血走った目で、彼は囁くようにして私にそう想いを告げてくるのだった。
う、嬉しくない……。
――こうして予期せぬ形で、皇帝陛下の『最愛』が決まり、私に更なる災難が降りかかることが決定したのだった……。