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寒空の伝言

作者: ハル☆シューティングスター

・東京で、珍しくシャーベットみたいな雪が降った。

私は、婚約者の両親を乗せて病院まで車を走らせていた。


「あやかちゃん。無理はせんでいいからな」

「夜勤明けで疲れとるんやから」


後ろの座席から、心優しい老夫婦は私にそうやってささやきかけるが、その声からは私への気遣いより、タイムリミットへの焦りが見て取れる。


私からすれば可愛い姪っ子、この二人からすれば、初の孫娘。

そんなかけがえのない小さな命が、まもなく消えようとしていたのだから、無理もない。


とりわけ私の婚約者は、医師の余命宣告にどれほど絶望したことだろうか。

彼の弟夫婦は、はっきり言ってどうしようもない親だった。


義弟は私や彼に娘を預けては、その実、遊び歩いているという噂を聞いたり、連絡が取れなくなることもしばしばあった。


幼い頃から彼が姪っ子の面倒を見ているのもあって、彼女は伯父に懐いていたが、そうは言っても両親に甘えたい年頃なのだ。

夜泣きはしょっちゅうだった。


それでも彼は、姪っ子が可哀想だと弟夫婦を一度叱ったきり、何があっても断ることなく姪っ子を預かった。


釣りにも花火にも連れて行き、冬は一緒にクリスマスの飾り付けもした。

家族の温かみを知らなかった私は、非常識な弟夫婦やそれにとことん付き合う彼に少々の疑問を抱きながらも、姪っ子と3人の生活に少なからず救われていた。


「あやかちゃん、あの子どうなるんやろ」


未来の義母、早苗が聞いてきた。


「すいませんお義母さん、私もどういう状況なのか、卓也くんから聞く前に出てきちゃったもので」


私は後ろを振り向きもせずに答えた。

余命が残りわずかなのは、親戚中に伝えられていた。どうも、今夜中にその時が来てしまう可能性があるというのだ。


「本当にもう、娘の一大事に何をしとるんや!」


とヒステリックに彼女が叫ぶと、横に座っていた義父が黙れと短く叱った。


何をしとると言ったって、何もしてなかったのにあなたが叱らなかったんでしょう?

黙れって、あなたはここまで何も言わずに黙ってたでしょ?


ハンドルを操作したまま、そう突き刺してやりたい気分だった。

だが、きっとこの老人たちも、今は弱っているのだ。


私が突き刺そうとしたことを、今も後悔しているに違いない。


それに、この人たちはただ身勝手なわけじゃない。


親に心配をかけるだけかけて、好き勝手に結婚して、子供を産んで、挙句私達に任せきりにしている。

そんなあの二人に、この人たちも振り回されてきたのだろう。


そのつけが来て、今夜、大切な孫娘を失おうとしている。


「しょうがないわな」


思い出したくもない台詞が、脳裏にこだました。


今姪っ子を苦しめている病気が確認された時に、卓也からその知らせを聞いた、義弟の圭佑の言葉だった。


私は、怒りも呆れも通り越して、ただただ茫然自失だった。


幼い子供の親が来たと思って、慎重に構える医者を前に、よりにもよってあの男はタバコをふかしたのだ。


もしその場に何か鋭利なものがあれば、ーたとえそれが三角定規だったとしてもー私は圭佑を刺し殺していた自信がある。


何もしょうがなくない、全部お前のせいだ

そんな風に叫んで飛びかかってでもいただろうか。


私がそれをしなかったのは、卓也が代わりを務めたからである。


それまで、誰かに憎しみを向けたことなどほとんどなかった。

いつもニコニコ笑って、ありがとうやごめんなさいを惜しむことなく人に言える、優しくて暖かな卓也。


そんな彼が聞いたことのない怒声を上げて、弟に掴みかかり、泣きながら何度も殴った。

義父はその場面を見ていたらしく、待合室のソファーで絶望のような溜息を洩らしていた。


「なんでこんなんなってもうたんやろ、わしのせいか」


窓の外を見ながら、義父がぽつりと呟くのが聞こえた。


慌てふためく様に両手を擦り合わせながら祈るような仕草をする義母。

この人たちもただ身勝手な老人たちではない。


孫のことを可愛がっていたし、卓也を気にかけ、誇りに思っていた。

何より、ある日突然“婚約者"と紹介されて、実家に上がり込んだ私を、この人たちは何も言わずに歓迎してくれたのだ。


明るく、経験豊富で博識な卓也に比べれば、暗くて狭くない世界で生きていた無愛想な私は、可愛げのない嫁だっただろう。

それでも、この人たちは家族でいてくれた。


優しかったり、厳しかったり、とにかく、この人たちは私の家族だ。だからせめて、できることをしてあげたい。


私にとっても可愛い姪っ子の、最後に立ち会わせてあげたい。


「お義父さんお義母さん、こっちです」


駐車場から義父母を案内し、LINEで伝えられていた病室まで駆け足で向かう。


ー遅かった。


青白い顔をした小さな女の子が、ベッドの上に人形のように寝転がっている。

陶磁器のような身体で指先一つ動かない。


だらしない格好をした茶髪の両親に、おいおいとみっともない声ですがり寄られている。


「梨花ちゃん!!」


絶叫してその場に倒れこんだ義母。

同じく生気のない顔の義父が、それを支えた。


救急車に付き添った卓也は、部屋の隅の方にうずくまっていた。


あ、終わってしまったんだ。

白い息を吐きながら思った。


梨花と卓也と、3人だった時間が。

私みたいな空っぽの女が、母親の真似事をできた時間が。


この子の笑顔を見られた、幸せな時間が。


「兄貴達、ちょっと家族3人だけにしてくれないか」


義弟が何かを言っていたのが聞こえたが、私は立っているのに精一杯で言葉の内容を理解できなかった。

うずくまっている卓也のコートの裾を掴んで、どうやったのか病室の外までひっぱりだした。


その後、義父母や愚弟夫婦、それぞれがどうしたかは覚えていない。私たち二人は、病院の目の前の公園に行った。

正気を失って呆けている卓也。


ようやっと地に足をつけるくらいに正気を取り戻した私は、自販機で缶コーヒーを二つ買って、ベンチの卓也の隣に座った。


二人とも何も言えない。

あの子がいなくなった、曇天のような灰色の、それでいて無色透明のような世界で、ただひたすらに、無機質な時間だけを受け流す。


そんなふうにして、シャーベットの雪の止みかけた虚空を眺めながら、ボーっと5分ぐらいが過ぎた頃。


「いなく……なっちゃったんだな」


子供が親の命令を渋々承諾するように、卓也は呟いた。

一見して感情がこもっていないようにも感じられるが、昨日までの彼の、今日通じなかった祈りを見てきた私には、その痛みと苦しみが嫌と言うほど伝わってきた。


「うん」


無機質で重たい生返事。私自身もこれがやっとだ。


「もう……会えねぇんだよな」


「うん」


「帰ってきて、ただいま、って言っても、おじちゃん、って飛びついて来てくれねえんだよな」


「うん」


彼の中で我慢していた何かが、微かに弾け飛んだのが分かる。


「あん時、おれ、もうちょっと何かができたんじゃないかって。梨花が逝っちゃう前に、もうちょっと何かしてやれたんじゃないかなって……もう……ちょっと……」


少しずつしゃくりあげ始めた卓也。


「梨花ちゃん、言ってたよ。卓也おじちゃんは、もう一人のパパだからって、大好きなパパが二人いて、梨花は、他の子より幸せだって」


大切なことを卓也に伝えるつもりが、私も何か熱いものがこみ上げてきた。


「なんであの子だったのかなぁ……神様なんていねーのかなぁ」


「……うん、きっと、そうだと思う。ここは人間の世界だから」


神様は乗り越えられる試練しか与えないとか、あんなの嘘だ。

梨花を失った悲しみを、乗り越えるなんて無理だ。


それでも私たちは生きていくしかない。

あの子がいない灰色の世界で、明日も、明後日も。


それを人は乗り越えて生きてるというんだろう。

けど、それは違う。多分この傷は、一生癒えないままだ。

それは多分、卓也も同じなんだと思う。


だから。


「思い出すよね。ちょうどこんな雪の日に、卓也は私を見つけてくれた」


一緒に背負って歩いて行こう。

凍っていた私の時間を、彼が動かしてくれたように。


「私にもう一度家族をくれて、私をお嫁さんに、そしてお母さんにしようとしてくれた」


灰色の闇の中に、光を授けてくれたように。


「梨花ちゃんにはもう逢えないけど、梨花ちゃんは多分、ココに居るから」


月並みな、安い慰めだ。卓也はきっと、こんな言葉など求めてはいない。

それでも、自分の胸に手を当てる卓也を見て、無性に助け出したくなった。


「卓也は、頑張ったと思うよ」


……違う。救いたかったのは私だ。


姪を、亡くした自分に言い聞かせていたんだ。


おかしい、やっぱりおかしい。私も泣いてる。

卓也も泣いてる。


私も泣いてる。


なんでだろう。


私には、そんな資格ないのに。


義弟への憎しみを、心の中で梨花に当て付けたのに。

梨花と三人の時間を、何度か疑問に思ってしまったのに。


なんで、私も泣いてるんだろう。


「頑張ってなんかないよ……!俺はただ、ただあの子に救われて……」


「私も、たぶん同じだから」


「……え」


「私も、梨花ちゃんの事大好きで、大好きで大好きで大好きで……明日の朝、この世界で起きあがれるか、もうちっともわかんない、から……!!」


「うん……」


「悪いけど、隣、いてくれない?」


鼻水をすすり、精一杯に涙を押し殺して、深呼吸をする卓也。


彼は何かを決意したように、私の手を握った。


「あったりまえじゃん」


雪は止まないし、コーヒーはとっくに冷めてる。

それでも、繋いだ手と手の間に梨花ちゃんがいて、私にこう言ってくれてる気がした。


“大丈夫”。

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