04 旅立ち
青色のフードをぱさりと取り、綺麗な黒髪を靡かせる。春人と同じくらいの年齢だろうか。背丈だけでみれば春人と同い年に見える。
切れ長な目に小さな唇、女性が求める小顔にバランスの良いスタイル。モデルなのではないかと春人はそう思ってしまう程には容姿端麗ではあった。
自信で溢れているのか歩き方も堂々としたもので、こちらが恭しくしなければならないのではないかと錯覚してしまいそうになる。いや、実際錯覚では無かった。春人の周りの男たちは彼女の姿を認めると急にどよめき頭をたれ始めたのだ。春人はこんな成人すらしてなさそうな少女に大の大人たちが一斉に頭を下げる姿に正直どん引きしてしまう。
「ふーん、本当、見た事ない顔。結構特徴的だし、覚えてないってことはないわね」
頭を下げる男を無視して少女は上半身を少し曲げて春人を下から見上げてくる。近づく少女の顔に思わず後じさりしてしまう。
「炎の勇者の同行者ね。あんな大精霊すら使えない奴のお守り、誰もしたがらないか。そりゃそうよね」
春人が後じさるのを嗤った後、そう頭を垂れる男たちを眺めながら嬉しそうに言う。
「さて、貧乏くじを誰が引くの見てみたかっただけだし、帰ろ。あんま面白くない答えだったしね」
少女はそう再度脱いだフードを被り直す。そして、
「あなたが裏切るのはいつだろうね」
気分が悪い。現在、春人は村の入り口で待機している。少女ーーフレアの話だと村の入り口で倒れていたという話だったが、春人はこの辺で倒れていたということになる。村の入り口には木製の門が立てられ、扉がある。現在それは開けられているが。
入り口の向こうは車が通れるくらいの道幅があり、そこ以外は鬱蒼と茂る森だった。
フレアの姿はまだ見えない。この場には春人と春人を連れてきた男たちだけだ。
気持ち悪い。
黒髪の少女は顔だけ振り返り、
「あなたが裏切るのはいつだろうね」
嬉しそうに、悪魔みたいに、見透かしたように、言ったのだ。
黒髪の少女はあの場には居なかったのに、春人の心境を見透かしたようにみえた。
春人は薄々ここが日本ではないことに気付いている。アメリカでもないことにも、春人が知っている海外でもないことにも、そして、地球でもないことにもだ。
気付いて確信したのは、この今も空を漂う水の塊だ。超常現象としか思えない現象をここの彼らは受け入れている。そうでないのは春人だけである。そして、前日から何度か春人の前で飛び交った魔法や精霊、勇者という言葉。少し前まではゲームや漫画、アニメ、もしくは映画、最悪宗教と笑えた。
しかし、今は笑えない。現実だ。魔法、精霊、勇者、全てが本物だ。そう思えてしまう。
水の塊が浮いているのがそんな魔法や精霊や勇者を信じるにたることなのかと思うかもしれない。春人も水の玉が浮いていることはなにか理由付けをしようと必死だった。春人が知らない見た事も無い現象なのだと。
しかし、黒髪の少女の前に現れたのだ。
龍が。
龍の形をした水が少女を包むように唐突に現れ、空へと舞っていったのだ。そして、消えた。
少女は嗤っていた。春人の決意の軽さに。春人の狡い考えに。
陰鬱な気分の中、ぞろぞろとこちらへやってくる集団が見えた。その中には赤い髪の少女も居る。少女は茶色のフード付きのコートを纏っていた。フレアは春人を確認すると駆け寄ろうとするも側に居た男に止められ集団と同じペースでこちらへとやってくる。その間、彼女はずっと春人に視線を送っていた。春人はどこか後ろめたさがあった所為か彼女となるべく目が合わないようにしていた。
「大丈夫ですか? 顔色が悪いみたいですけど」
春人のすぐ側までやってくるとフレアは視線を合わせずにいた事に心配になったのかそう尋ねてくる。
「いや、大丈夫だから」
春人はそう作り笑顔を浮かべながら答える。
「もしかして、酷いこと、されました?」
春人の下手くそな作り笑顔なんて通用するはずもなく、フレアは春人の挙動不審さに周りの男たちを一瞥してそう問いかけてきた。
「違う。されてない。大丈夫。大丈夫。ちょっと緊張してるだけ」
春人は慌てて否定する。そして、苦しい言い訳を返した。
「そう、ですか」
フレアは納得してなさそうな顔をしていた。しかし、納得してもらうしかない。
春人は正直自分でも整理しきれていないのだ。昨日、堂々と名乗り上げたのに関わらずこの世界が自分の知っている世界と違う世界だということに気付き怖じ気づいているとか、見た事も聞いた事も無い現象が実在することに未だに信じられないとか。春人は全くもって追いついていっていない。
日本に戻りたい。家に帰りたい。母さんや父さんに会いたい。そういう言葉を泣き叫んで思いっきり取り乱したい。しかし、そういうことすることが出来る程に状況を整理出来ていなかった。だからこそ、引きつった笑顔でフレアに対応してしまっている。
フレアと気まずい沈黙になっている時、春人はフレアと共に来た集団に目をやる。集団の中にはあの村長らしき老人、茶髪の男、そして、片腕の無い男に赤髪の女が居た。
それから暫くして、村の入り口の向こうから馬車がやってくるのが見えた。
この場に居る全員がそれに注目する。息を呑む者、手に汗を握りしめる者、憎々しく睨みつける者、惚けたように見つめる者、それぞれ反応を見せていた。
馬車は村の入り口付近、春人たちの前で止まる。
そして、キャビンの扉が開き、制服を纏った男が馬車から降りてくる。
短い黒髪に強面の男だ。鋭い眼光が集まった村人を一人一人捉えていく。春人も例外なくその視線を浴びる。
そして、視線はフレアで止まる。
「お前が炎の勇者だな」
男はそうフレアに問う。
「はい、そうです」
フレアは緊張した面持ちでそう答えた。厳つい男に射抜くような視線を向けられ、怯えているのがわかる。
「紋章の確認を」
男はフレアの全身を見た後、そう告げた。
「……はい」
フレアは右手の甲を見せる。その甲には刺青のようなものが刻まれている。赤い模様だ。印象としては炎を思わせるような刺青だった。
男はフレアのその紋章をしばらく見つめて、息を吐くと、
「失礼しました。炎の勇者殿」
男はフレアに向かって頭を下げる。先ほどまで厳格な態度だったに関わらず、今は低姿勢になっている。
「どうぞこちらにお乗りください」
男は丁寧にそうフレアに馬車のキャビンに乗るよう促した。
春人は急激な男の態度の変化に驚く。ただ手の甲の刺青を見せただけで、いや、炎の勇者だとわかっただけで態度が軟化したのだ。
冷笑を浮かべていた先ほどの黒髪の少女を思い出す。現れてた瞬間、皆が頭を垂れていた少女を。
目の前の男の態度はそれとそっくりだった。
「はい」
フレアもフレアで気にした様子もなく淡々とした態度で馬車に乗り込んだ。
フレアはキャビンに乗り込むと、木製の椅子に座って窓からこちらを伺う。
「では、次に同行者の確認をしたい」
フレアが馬車に乗り込んだ途端、低姿勢から不遜な態度へ切り替える。
高圧的な視線で村人を一望する。
一瞬の沈黙。村人たちは向けられた鋭い眼光に動揺が走った。
「この者でございます」
村長である老人が春人を指し示した。
「こいつが……」
男は訝しんだ顔で春人を見つめる。
春人は自分が同行者であるとわかっていたが、それでもこの厳格そうな男に向けられる眼光には怯んでしまう。
男は春人の全身を隅々まで観察し、そして、縛られている手を不審そうに見つめる。
「この者と勇者殿の関係は?」
「フレアとは婚約を交わした関係でございます」
男の問いに村長は事前にフレアに言われたように婚約者だと嘯いた。
「そうか。ではなぜ手を拘束されている?」
もっともな問いをしてくる。
「はい……この者はフレアと婚約者でありながら、今回の旅の同行を拒否し逃げようとしたのでこのように拘束しています」
村長はそう男に頭を下げながら答える。男は当然、春人を怪訝そうに見つめる。
「本来、この旅の同行者を許可したのは勇者殿がまだ未成年であり、心の拠り所を必要とするだろうという配慮で帝国が許したものだ。私からすればこの者はとても相応しいとは思えないが」
「それは……」
村長は言い淀む。正論だった。普通に考えていくら婚約者だとはいえ、逃げ出したような者を同行人にするというはおかしい。この男が言うようにフレアの心の拠り所というのであれば、もっと相応しい存在がいるはずだ。親や兄弟、親類など。
「そ、その人は確かに逃げ出しました。けど、再度話し合い一緒に来てくれることを了承してくれたのです。だから、婚約者である彼こそがわたしの同行者に相応しいと思います」
フレアはキャビンから降りてきて慌てた様子でフォローを入れてきた。
男はフレアの方を見て、考えるような素振りを見せる。フレアはそれを心配そうに見つめた。
苦しい言い訳だ。認めるべきか、認めないべきか男は悩んでいるようだった。
「はい。私もこの者は相応しくないと思っています」
そんな時、村長がそう言った。
フレアと春人は思わず村長を見る。フレアは動揺した顔で村長を見つめていた。
男も村長の方に顔を向けた。
「しかし、フレアの熱意と彼の必死さに打たれ同行者としてここへ連れて参りました。彼も逃げ出さないように自ら紐で縛って欲しいと懇願してきたので失礼とは思いましたが彼を縛ることにしたのです。その状態は彼なりの覚悟なのです。どうかお見逃しを」
村長はそう頭を下げる。
呆気に囚われる春人とフレア。意見をひっくり返して春人を同行者から外そうとしたと思っていたので、今の言葉に呆然としてしまった。
「そうなのか?」
「は、はい。そうです」
男の問いに一瞬答えられず、不自然な肯定の返事をしてしまった。
男は未だ訝しんだ目で春人を見つめて、
「……向こうに着き次第、皇帝の謁見が待っている。当然、同行者であるお前も参加することになる」
男は春人の反応を伺うようにそう言う。なにが言いたいのか春人にはわからない。
「そうなればお前は逃げられないぞ。もし逃げたら」
どうなるかわかっているだろうな。言葉では出さないが男の顔は物語っていた。ただではすまないと。
春人は死を覚悟してごくりと息を呑む。
「そうなる前に正直に言え。同行者として勇者殿と共に行く覚悟はあるか」
男は詰問するように春人に問いかける。
春人はじわりと冷や汗が全身から溢れてくるのが分かった。
このまま一緒に行けば危険な事に巻き込まれるのは間違いない。
確かにさっきはフレアと一緒に行くなどと大口を叩いてはいたが、男の言葉に不安が押し寄せてくる。
このままでいいのか。本当にフレアと一緒に行って大丈夫なのか。
逃げたら彼らになにをされるというのか。言い方からして、それは死としか思えない。
そもそも春人が同行してもいいと思ったのは帝都という場所に空港があると思ったからだ。
しかし、春人は既にここが日本でも海外でも地球でもないことに気付いた。いや、気付かされた。
このまま行けば春人に待っているのは決して楽観できるようなものではない。
やはり考え直して、ここは断るべきなのではないか。
ーーあなたが裏切るのはいつだろうね。
少女の嘲笑が頭に蘇る。
不意にフレアの顔を見える。その顔は不安に彩られていた。そして、諦念も含まれていた。
その顔を見た瞬間、湧き上がるなにかがあった。
「あ、あります」
そう春人は答えた。答えた刹那、後悔が押し寄せてくる。たが、もう撤回は出来ない。
フレアの表情は安堵というよりも戸惑いに近い顔だった。
「ならば良し。馬車に乗り込め」
男はそう言って、春人をキャビンに乗るように促す。
「両足も縛るとも言っていたのですが」
おずおずと村長は提言する。
「両手だけで十分だ。帝国まで逃がしはしない。変な真似もな。それに覚悟が違う」
男は村長、いや、ここに集まった村人全員を嗤って、
「お前たちと違ってな」
そう言った。
村長を始め、村人はなにも言い返さない。いや、言い返せない。陰鬱とした空気だけが漂う。
春人とフレアが馬車に乗り込み、そして、帝国の男も乗り込んだ後、馬車はまだ出発せずにいる。
別れの挨拶を交わす時間を作って待っているようだ。男は手帳をパラパラと捲っている。馬車の運転席にいる男も手持ち無沙汰なのか馬と戯れている。
「フレア」
馬車の窓から男が近づいてくる。その男はフレアの同行者として名乗りでた片腕の無い男だ。隣には赤髪の女が居る。その女の目は真っ赤になっていて、涙が溢れていた。
「お父さん……お母さん」
春人はそこで気付いた。この男と女はフレアの両親であると。だから、同行者として名乗り出たのだ。しかし、それは村長によって阻止された。その理由は春人には分からなかった。
「……」
片腕のない男は手帳を捲っている帝国の男を睨んでいた。帝国の男もその視線に気付いたのか、手帳から顔を上げて、真っ向から視線を返す。
「カルロ」
村長は男の名前を呼ぶ。男は目を伏せてお辞儀し、フレアに目を向ける。
帝国の男もまた手帳に視線を戻す。
「フレア……お前は……大事な娘だ」
フレアの父、カルロはそう慈しむ顔でそう言った。
「わたしも大好きだよ。お父さん、お母さん」
フレアもそう悲しそうな顔で返す。
「フレア……フレア……嫌……行かないで」
フレアの母、ミリシアは懇願する。そんな母にフレアに唇を噛み締めて、
「きっと成し遂げてみせるから。凍てつく大地から帝国を、この村を救ってみせるから」
そう応えた。その意思にミリシアは更に嗚咽を上げる。
「フレア……すまん、お前にだけ」
カルロは目頭を押さえて押し殺すような声で言った。本当は自分が変わってやりたいという気持ちがひしひしと伝わってくる。
「ううん、大丈夫。お父さん、お母さんをよろしくね」
そんな父の気持ちを知ってか、フレアはそう気丈に振る舞う。
「フレア……フレア」
未だ縋るように娘に手を伸ばすミリシア。フレアはその手を握って、
「お母さん、大丈夫。この旅はわたしだけじゃないんだよ。すごい魔導士の方や精霊術師の方、騎士の方付いてきてくださるんだから。きっとすぐに戻って来れるよ。だから、安心して」
母を安心させようと彼女はそう返す。ミリシアはフレアの手に頬を擦り付けながら嗚咽を漏らす。フレアはもう片方の手で母の顔を撫でる。
「君……」
唐突にカルロに呼ばれ、春人は驚く。まさか自分とは思わず春人は確認するように自分を指し示す。すると、カルロは頷く。
春人は窓の方に寄ると、
「娘を……フレアを頼む。本当に頼む」
そうカルロに頭を下げられる。大の大人が、春人よりもずっと年上の男が懇願する。
「は、はい」
春人はそれに頷くほかない。
嗚咽を漏らすミリシアはずっとフレアの手を握っている。
カルロもずっとフレアも見つめている。片方の手は強く握りしめられており、血管が浮き出ていた。
「では、そろそろ参ります。勇者殿」
様子を伺っていた帝国の男はそう言った。
「はい」
フレアはそう答えた。
「お父さん、お母さん、そして、村の皆、いままでありがとう。行ってきます」
フレアはそう顔を引き締めて村人を眺めてそう言った。そして、ずっと握っていた母の手を放す。ミリシアは「いやああ、フレアフレア」と泣き叫ぶ。必死にフレアの手を掴もうとするが、カルロと村人に抑えられその手は届かない。
「フレア、愛している」
カルロはそう最愛の娘にそう言った。涙が溢れていた。
「わたしもだよ。お父さん、お母さん」
フレアもそう返す。最後まで気丈に振舞おうとしたが、耐えきれなかったのか涙が溢れていた。
ミリシアは未だに娘の手を掴もうと必死に泣き叫んでいた。
そんな様子を見ていた男が問いかける。
「いいですか?」
「はい、行ってください」
フレアは顔を伏せてそう答えた。フレアはゆっくりと席に着く。母の嗚咽が聞こえてもただじっと耐えている。
そんな様子を男は見て、馬車に居る男に出発するように告げた。
馬車は発進する。
重苦しい沈黙の中、フレアの小さな嗚咽だけが漏れ始めていた。