02 会議
無個性な部屋でどれくらい待っただろうか。八代春人は暇を持て余して、窓から外を眺めていたり、分厚い本を読もうとしてみて全く字が読めずそのまま机の上に戻したり、ベッドで横になったり起き上がったり、入り口の扉を少し開けてみたり、怖くなり閉じてみたりーーと時間を潰すように過ごしていた。
少女は少しで戻ってくると言っていたが、あれから約一時間は経っているのではないかと春人は思う。スマホを持っておらず、時計の無いこの部屋では時刻を知ることは叶わないが、自身の体内時計を信じるのならば確実に一時間は経っている。
待てど待てどこの部屋の主の赤髪の少女は一向に戻ってくる気配が無い。一体どこでなにをしているのか。
そろそろ春人があの牢屋から脱出して、それを見張りの者が気付いてもおかしくない頃合いである。春人はそれに若干恐怖を覚えつつも、未だにこの部屋の外の様子はもの静かで不気味だ。春人の脱走にもし気付いたのならば当然この部屋の外は騒がしいはずである。しかし、そんな様子は一切見受けてられない。という事はだ。未だに春人が脱走したという事実に見張りの者は気付いていないということになる。なんて警備の甘さだと春人は呆れつつも、同時に安堵している。
「暇だ」
そう無意識に言葉に出てしまうくらいに春人は手持ち無沙汰であった。
人間という者は案外慣れる生き物で先程までは誘拐されたのではないかと恐怖に怯えていたくせに、今ではすっかり気を抜いて惚けている。
少女の帰りを待ちながら、春人は窓から差し込む暖かな日射しに眠気が襲う。ウトウトとベッドで横になりそうになった時だった。
扉がバッと開く。最初は少女が帰ってきたのだと思った。
しかし、そこに居たのは全く見た事無い男だった。四十後半くらいの歳の男。やはり見た目はアジア人ではなく西洋人っぽい。茶髪に彫りの深い顔立ち。凛々しいという言葉が似合う筋肉質な身体付きで服装は赤と白の民族衣装っぽい服装であった。
「やはりここに居たのか」
男はそう侮蔑するような視線を春人に送ってくる。春人は彼の顔を見た状態で固まったまま動くことが出来ない。
突如現れた謎の人物。彼のこちらに対する敵意から春人にとってあまり良い出会いではないことは確かだと思った。頭の中で警鐘が鳴り響くが、入り口を塞がれている以上、春人にはどうすることも出来ない。背後には窓がありそこから逃げ出すことも出来るのだが、残念ながら男の登場で完全に頭が真っ白になっている春人には振り返り窓から逃亡するという選択肢は思い浮かばなかった。
「居たか!」
男の背後から別の男の怒声が部屋に響く。先程の静けさとはかけ離れた複数の足音が入り口の向こうから聞こえる。
「ここに居やがったのか!」
満員電車に無理矢理詰め込められたように部屋に入り口に続々と人が集まっているのが見える。茶髪の男の隙間から覗く別の男たちの顔は怒りに満ちていた。
春人は思考が全く働いておらず、しかし、全身に鳥肌が立ち冷や汗で手が濡れていて、身体はこの状況が明らかに危険であることを察知していた。
なんとかベッドから起き上がり、距離をとるように窓の方へと後ずさり出来たのは奇跡とも言える程に春人は愕然としている状態だ。
先頭に居た茶髪の男は後ろに集まった男たちを代表するかのように部屋に入ってくる。春人も、背後の男たちも、無機質な家具でさえも男の一挙一動に注目しているかのような沈黙が場を支配していた。
「どうやって逃げ出した?」
茶髪の男はかなりドスをきかした声色で春人に詰問する。春人は赤髪の少女に助けてもらった旨を伝えようと口を開くも、ここで少女のことを話しても良いのかという刹那の迷いによって開きかけた口から言い訳を紡ぐキッカケを失ってしまい、無言という最悪の返しをしてしまう。
当然、そんなことを知らない男たちは敵意とともに手足を縛り目隠しまでした状態をなんらかの方法で抜け出した不気味な存在ということで警戒心を更に強めているようだった。
「捕まえろ」
茶髪の男の指示とともに一斉に男たちが部屋へと押し寄せ、春人に向かって拘束の手を伸ばす。無数に迫る手に春人は応酬出来ずになすがまま床に組み伏せられた。
と。
当時に、
「やめて!」
少女の悲痛な叫びが響く。
床への押しつぶされる圧力が弱まり、また向けられていた敵意に満ちた複数の視線が今は部屋の入り口付近に集まっている。
入り口には茶髪の男の隣に並ぶように春人が知っている人物が立っていた。先程まで春人が待ち望んでいた人物である。
「やめて。その人はわたしが逃がしたんです」
低い声で彼女は告白する。
赤髪のポニーテールが少し乱れていた。急いで走ってきたというが伺える。
俯き加減の彼女は前髪によって顔が隠れ表情は見えない。しかし、彼女が沈んでいるのは間違いないと思える程に暗いオーラを漂わせていた。
「だから、その人から離れてください」
少女は懇願する。
「お願いします」
頭を下げて。
困惑した空気が漂う。春人を押さえつけていた男たちもどうすればいいのか判断に迷っているようだ。春人を押さえつけている手が徐々に消えていく。
完全に押さえつけてくる手が無くなると同時に、
「なぜこんなことをした?」
茶髪の男が鋭く少女をとがめる。
「…………」
しかし、少女は応えない。
ただ頭を下げているだけだ。そんな状況が続く。
無意味に時間だけが過ぎていく。身動きしない男と少女。徐々におろおろと春人を押さえつけていた男たちがし始める。
「はぁ…………」
最初に沈黙を破ったのは茶髪の男だった。深々と溜息をつき、
「どちらにしろ、このままにしておくわけにはいかない。手の拘束と監視だけは外せない」
そう春人の方を侮蔑の視線を送る。そうすると春人の周りに居た男たちは直ぐさまに春人の手を拘束し始める。春人は強引な拘束に痛い痛いと唸るが男たちはお構いなしだった。
少女は戸惑うように「もう少し優しく」と呟くが、結局その言葉は届くことなく、春人は両手を拘束された。
春人はとある広間に居る。そこには先程の茶髪の男だけではなく春人を拘束した男たち、そして見た事もない男や女性、老人などが居た。そして、春人のすぐ隣には赤髪の少女が正座していた。
「帝国の規定通り、次期炎の勇者が選定され次第、帝国へと通達した」
茶髪の男ではなく、そう言葉を発したのは老人だった。
春人は思わず吹きそうになる。何故なら「炎の勇者」という言葉が到底出そうにない老人の口から出てきたからだ。すると、老人がジロッと春人を睨みつけてくる。
白髪にやせ細った身体で弱々しさを感じさせるにも関わらず、春人は老人の目を見て目を背けてしまう。老人とも思えない鋭い目だった。
この集まっている人たちの中で中心人物であることが鈍感な春人でも判る。
「それから約一年、帝国から返信が来たが、明日の正午に迎えがくるということだ」
重苦しい空気。誰もが沈黙し、老人の言葉に耳を傾けている。異様とも呼べる状況である。春人からしたらなにをこんなにも深刻になっているのか理解出来ない。大の大人がゲームかアニメの話でここまで深刻になることなのだろうか。かなり危ない宗教なのではないか。そんな風に春人は考えてしまう。
「そこでだ。炎の勇者と共について行く者を決めようと思う」
老人がそう発言した瞬間だった。誰かが息を呑む音が聞こえた。春人は異変に周りを見渡すと、誰もが強ばった顔をしていた。どこか緊張しているような、どこか怯えているような。
「誰か志願する者は居ないか?」
一拍置いて老人はこの場に居る全員に問いかける。
しかし、誰もその問いに肯定を示す者は居ない。先程まで老人を真っ直ぐ見つめていたのに、今では必死に視線を逸らしている。春人は学校で学級委員など希望者を問いかけた時沈黙している状況以上にここに居る者たちは拒絶している。
「……」
そんな沈黙を破る人物が居た。茶髪の男同様に赤と白の民族衣装をまとった四十代くらいの男だった。男は手を挙げて自分がその役目をすると言わんばかりに老人を見つめている。いや、睨んでいた。
春人はそこで男の身体の異変に気付く。その男には片腕が無いのだ。二の腕辺りからバッサリと。包帯で巻かれているのでどういうなっているのかは判らないが、先天性ではなく事故などで無くなったのではないかと春人は思う。
そんなことを考えていると、隣の少女が動いているのがわかった。少女は先程まで、まるで世界の終わりと言わんばかりに俯いていたのに関わらず、今は振り返り、男をじっと見つめていた。表情は悲しく歪んでいるようにも見えるし、どこか安堵しているようにも見えるし、苦しんでいるようにも見える、複雑な表情をしていた。ただ男に対してただならぬ想いがあるのは伺える。
「お前が志願するのは判っていた。だが、お前を認めるわけには行かない。前科がある。隣に居るミリシアも同じだ」
男は上げていた手を振り下ろし、床に叩き付ける。怒りを必死に堪えているが、それでも、その抑えきれない怒りを老人に向けるように睨んでいた。隣に居た赤髪の女性が老人の言葉の後、唐突に嗚咽を上げ泣き始める。顔は見えないが、老人が名前を呼んだミリシアという人物なのであろう。
隣の少女はまた俯き、老人の方へと向き直る。もうなにもかも諦めてしまっているような、投げやりな感じだ。
「他には居ないか?」
老人はそんな二人を無情にも無視し、周りに問いかける。
しかし、誰も老人に視線を合わせようとしない。
春人は場違いな空気に居心地が悪い。春人以外も居心地は良くなさそうではあるが、状況を全く理解していない春人にとって何故ここまで深刻な空気が流れているの判らなかった。
「誰も居ないのか?」
再度、老人が問う。老人が言葉発する度にここ居る人々の身体がびくつくように震える。自分が注目されやしないか、自分に問いが来るのではないかという、そんな空気を嫌でも感じてしまう。
老人は誰かを指名することはない。だが、じっと待つ。まるで犯人探しをしているかのようにじっと名乗り出るのを待っている。
誰も名乗り上げることが無く時だけが過ぎていく。少女の俯き加減が変わる。低くなる。
「誰もおらんのか? 炎の勇者と共に行く者は」
老人の言葉に。部屋に居る人々の態度に。
少女の俯きは更に低くなり、そして、小さな嗚咽が聞こえ始める。
しかし、それでも、少女の嗚咽が聞こえても、尚、誰も名乗りを上げる者は居ない。
同情するような視線、関わりあいにならないよう背ける顔、定めだからと言わんばかりの無表情。
「はいっ」
だから、春人は立ち上がる。
わけがわからないし、意味もわからない。ここがどこすらもわからない。
わからないことだらけの状況だけど、ただ一つだけ春人にもわかることはある。
自分を助けてくれた少女を泣かすわけにはいなかない。