16 フレアの憂鬱
「はぁ……」
馬車が揺れる中、春人は両手を温めるように息を吐く。
白い息が視界を覆う。
「だいぶ近づいているみたいね」
エレクトラは馬車の外を眺めながらそう言った。
「はい、かなり寒くなってますし」
春人は自分に言われたわけではないだろうがそう答えておいた。
宿から出発して馬車に揺られて数時間が経つ。
出発した頃はまだ肌寒い程度だったのに関わらず、今では歯が自然と震えるぐらいに気温が下がっていた。
「雪が降ってますしね」
外の景色を見ながらフレアは呟いた。
フレアの言った通り、馬車の外は雪が降っている。
山道を進み始めているから雪が降り始めたというわけではない。春人たちの目的地である氷の神殿。それの影響によってこの寒さが生まれているらしい。
この先、北へ進むように極寒へと変化していく。
「流石に防寒具を着た方がいいわね」
体を摩りながらエレクトラは言った。クールな振りをしていても流石に寒さには逆らえないらしい。
「服ならケイブに荷台に乗ってるぞ」
震えているエレクトラに気づいたダンカンはそう荷台を親指で指し示す。大雑把そうで意外と気配りが出来る人なんだなと春人は関心した。エレクトラはダンカンの優しさに罰が悪そうに顔をしかめつつも荷台の方を顔を向ける。
キャビンから後ろのケイブと戯れているディアがこちらを見ていた。ここからは取れそうにないということを案に伝えている。流石に動いている状態でケイブの荷台に飛び移るのは無理がありそうだ。
「一時止まるしかないな」
バーグは皆の思ったことを代弁してくれた。
「んじゃ、休憩を兼ねて止まるとするか。少し待ってくれ。見通しの良い場所まで行くから」
バーグの言葉にダンカンはそう応える。確かにこの木々に囲まれた狭い道では見張りには適さないだろう。
「はい。わかりました」
フレアがそう答えた。馬車は見晴らしのいい場所を目指して進んでいく。
見晴らしの良い広場にまで来るとダンカンは馬を止める。ケイブもそれに従うように止まった。独りでに止まったので賢いのだろう。
ダンカンは御者台から降りると慣れた様子でテキパキと野営の準備を整える。
バーグ、エレクトラ、ディアもキャビンから降りてダンカンを手伝う。
「火を起こすから、嬢ちゃん。魔法で頼む」
ダンカンは焚き火の薪を用意するとエレクトラに向かってそう言った。
「嬢ちゃんじゃないって何度……はぁ、わかったわ」
呆れた顔でエレクトラはダンカンの側へ。薪に向かい杖のようなものを腰から抜いて指し示す。
ふとディアの姿が見える。皆から少し離れた場所でディアは目を瞑り、両手を空にかざしている。なにをしているのかと春人は伺っていると、
「ルナ」
そうディアは呟く。同時に妖精がディアの目の前に現れる。綺麗な透明な羽に白の服、金髪の少女だった。大きさは手のひらサイズくらいだろうか。彼女自身が光源を放っている。
まるでとあるアニメのを現実したかのような姿形をしていた。
「ルナ、辺りを警戒して」
ディアはその妖精に向かって命令する。ディアの命令口調はどこかいつものと様子が違った。自然な言い方であった。これが本来の彼女の姿なのかもしれない。
妖精ルナは肯定するようにディアの前でくるりと回転すると空高く飛んで行く。
ディアはしばらくルナの姿を見送っていた。そして、春人もその姿を見守っていた。
「……っ」
ディアは春人の視線に気づき、気まずそうな顔でケイブの側へ向かっていく。悪いことをしただろうか。
「あれが精霊……」
フレアが側に寄ってきたので春人はそう呟いた。
「みたいですね。きっと月の精霊です」
問いかけではないつもりだったがフレアは答えてくれる。
「月の精霊?」
いまいちピンと来ない。火や水などならわかりやすいのだが月と言われてもどういう精霊なのか漠然と想い浮かばない。
「えっと、わたしも詳しくは。ちょっと齧った程度なので。月の精霊は道案内をしてくれたり、外敵がいないか知らせてくれたりする精霊らしいです」
聞き返されるとは思わなかったのかフレアは少し戸惑ったようにそう答えた。
「ふーん」
春人は何となく頷く。
「おーい、湯が沸いたぞ」
そんな時、ダンカンの呼ぶ声が聞こえた。
火の起った場所で集まり防寒具に身に纏い、沸いたお湯で注がれた紅茶を飲む。
冷めきった身体にその熱さが染み渡るのを春人は感じる。
「芯から温まるぅ」
ダンカンも春人と同じ気持ちなのかそう心地良さそうに飲み物を飲んだ後呟いていた。
バーグ、エレクトラは自然な様子で飲んでいるものの表情は和らいでいる。
フレアはカップを両手で持ち一口目を飲んで「あち」と呟いたがチビチビと飲み始める。顔は綻んでいた。
「しっかし、凍える大地が迫ってるっていうのは本当だな」
ダンカンはカップを口から離すと、雪降る景色を眺めながらそう言った。
「どういうこと?」
エレクトラはダンカンの方を見て尋ねる。
「ん? ああ、少し前までこの辺りはまだ雪なんて降ってなかったんだよ。しかし、今じゃこの有様だ」
エレクトラの問いにダンカンは両肩をすくめて答える。
「少し前ってどれくらいなの?」
「二年前くらいじゃないか?」
ダンカンは少し考えてそう言う。
ダンカンの答えに沈黙が流れた。
「たった二年で……か」
バーグが誰もが思った言葉を口にする。重苦しい空気が支配する。
たった二年で様変わりする。帝国もいずれ侵食するのも時間の問題であろう。
「まぁ、暗い話はこれくらいにして、あと少しで風の神殿跡地に着くぜ」
ダンカンは切り替えるようにそう言った。
「ようやく着くのね」
エレクトラもダンカンに乗る。
「おう。ところで嬢ちゃん、学生時代の話聞かせてくれよ。帝都セントラル学園って超エリート学校だろ?」
ダンカンはエレクトラが乗ってくると分かって話を明るい話へと変える。
「そうだけど、嬢ちゃんはやめてって言っているでしょう」
嫌そうな顔をしつつもいつものように返すエレクトラ。
「エリートで主席ってすげーな。全系統魔法使えるのか?」
「そこまでってほどじゃないけど……まぁ、基礎は使えるわね。上級になると別だけど」
「やっぱ嬢ちゃんただもんじゃねーな」
「だから嬢ちゃんは」
「で、バーグさんはどこ出身なんだ?」
ダンカンはバーグに話を振る。
「人の話を」
エレクトラはダンカンに振り回されているようだ。
「私か? 私はーー」
バーグもいつもならあまり自分のことを話すなんてことはないだろう。しかし、そこはダンカンの話術なのか、それとも人柄なのかバーグは自分の話をし始めていた。
春人は盛り上がっているなと他人事のように見つつ、視線を移動させる。そして、フレアがいないことに気づく。
いつの間に移動していたのかフレアは少し離れた場所で空を見上げていた。
珍しい光景だった。フレアが皆と混じらず別行動をしているのは。
春人は怪訝に思いながらフレアの元へ近づく。
「春人さん、よくここまで付いてきてくれましたね」
春人に気づいたフレアはこちらを見てそう言った。
春人は立ち止まる。
「正直、帝都で別れるものだと思っていました」
春人から視線を逸らし、フレアは雪降る森を眺めながら歩く。
「初めて村を出て、帝都に行って、皇帝陛下と会って、パーティに参加して、そして、ここまで旅をしてきて」
彼女はそう言って立ち止まり空を見上げた。
「正直ここまで旅をしてきてわたしにとっては大冒険でした」
そうこちらを向いて笑う。しかし、そこに本当の笑顔はない。悲しい作り笑顔だった。
「きっとまだ冒険なんて始まったばかり、いや、始まってすらいないんでしょうけどね」
フレアはそう自嘲する。
「これから旅は、きっともっと辛い旅になると思います。今以上に危険で寒い旅になると思います」
それは前と同じ言葉だった。昨夜、彼女が言おうとしていた言葉。
「だから」
そこから言葉が出ない。出したくないといった感じだった。唇を閉じ、下唇を噛んでいる。言うべきか悩んでいるように見える。
そして、決心した顔をして、
「だからーーー」
「ここ寒いし戻ろう」
春人はフレアの言葉を遮る。春人はまたはぐらかした。
「春人さん」
フレアはそれを許そうとしない。これは真剣な話なんだからと言わんばかりに彼女は春人を強く見つめる。
春人はそんなフレアの視線を受け止め、そして、諦めて溜息を付き、本音を漏らす。
「どうしようもないんだよ。戻っても。結局、俺に居場所なんてない。俺だって馬鹿じゃない。この旅がただの旅行じゃないことくらい判る。俺が足手まといになってることも判ってる。でも、俺は戻りたいんだ」
「戻りたい?」
フレアは怪訝そうな顔をする。
そんなフレアを見て、春人は決意する。ずっと敢えて言わなかったこと。馬鹿にされる可能性があるとか信じて貰えないとかまだこの世界を現実と受け入れたくないという願望など色々混ぜ合って言えなかった事だ。
「ずっと言っていなかったことがある。……フレア、俺はこの世界の人間じゃない」
春人は言って身体が強張るのが分かる。フレアの顔が見れない。
「え? どういう意味ですか?」
当然のようにフレアは聞き返してくる。
「そのまんまの意味だよ。俺はこの世界の住人じゃない。別の世界からここに飛ばされてきたんだ」
息を呑んで春人は答える。声が震えていたかもしれない。それでもフレアには伝えなければならない。
言って後悔する。言わない方がよかったのではないかと。フレアの反応が怖くて春人は顔を上げられずにいた。
「……よくわかりません」
フレアの答えはそれだった。それは馬鹿にしているわけでもなく、ただ春人に自分の話をはぐらかされたという不満の色があった。
春人はもどかしくなる。フレアの話を逸らそうとしたわけでない。これが事実なのだ。
「本当のことなんだ。俺は別の世界にいた。ここみたいに魔法や精霊なんてものは存在しない。でも、代わりにコンピュータや機械が存在する。魔法や精霊を使わず、空を飛んだり、遠くの人間と会話したり、意思疎通できたりするんだ。俺はその世界で学生をしていた」
春人は顔を上げてフレアに訴える。伝わるかどうかはわからない。それでも春人は真剣に、真剣さが伝わるように話す。
「本当……なんですか?」
フレアは目は疑っているのかどうか春人にはわからない。戸惑いの色だけは見えた。
「信じられない? でも、本当なんだ。俺がこの世界とは別の世界からやってきた。俺はその世界に戻りたい。そして、今から向かう氷の神殿には異界への扉があるって聞いている」
春人はそれでも続ける。
「たぶん、きっと違いますよ」
フレアは春人から視線を逸らしてそう言った。その逸らした顔は春人からは見えない。彼女が何を思っているのかもだ。
「そうかもな。それでも少しでも可能性があるなら俺はそこに向かいたい」
それは春人の願望でしかない。異界へ続く扉が春人の望む世界への扉だと信じるしかない。そうでなければどうすればいいのかわからないのだ。自分の身の振り方もわからない。
「……そうですか」
フレアはただそう答えるだけだった。
そして、沈黙が流れる。長い沈黙だった。
ダンカンの呼びかけだっただろうか。それによって春人とフレアは皆の居る馬車の方へと戻った。
会話は無かった。