少女と霊と黒の本
第三章です。最後まで読んでいただけると幸いです。
私はひとりぼっち。
誰かに愛される事なく、むしろ忌み嫌われ迫害を受け続ける日々。
心当たりはある。生まれつき持っているこの能力――『死霊召喚』。冥界から霊を召喚したりこちら側の霊を成仏したりする、科学的に証明することが出来ない異端の力。私の周りの人たちは皆、この得体の知れない能力を気味悪がり、私を遠ざけた。
能力の性質上、見えるはずがない霊を見る事が出来る。今はもうなんとも思わないけど、物心つく前はやはりどうしても反応してしまうもの。
『ねぇ、あそこに綺麗な色をしたおばけがいるの。いろんな色に変わって面白いの』
だけど、周りの人の言うことは決まっていて。
『はぁ?おばけなんているわけねーじゃん!うそつき!』
『おまえ毎日何もない所に向かって独りでしゃべってるよな。頭おかしいヤツ。』
『きっと変なクスリでも飲んでるんだわ。関わらない方がいい』
『ほんとあの子気味が悪いわよねぇ・・・うちの子にうつらなきゃいいけど』
隠し通せるのなら、こんなに苦労することはないのかもしれない。だけど、一度広まった噂は止まる事を知らない。水に少量のインクがこぼれ落ちた時のように、噂は一瞬で肥大化し、やがて全体に広まった。
学校に入学する頃から、私は周りを気にしてなるべく霊を見ないようにした。普通の人として振る舞おうとした。だけどやっぱりダメだった。一度インクが混ざってしまったら最後、どんなにろ過してもそれはインク入りの水であることに変わりはない。皆、私を人ではなく、人の形をした何かとしか見てなかった。
『大丈夫よ、リリィ。今が辛くても、頑張って生きていけばきっと強い大人になれる。どんなことにもくじけない、立派な人に』
唯一、私を愛してくれたのは両親だけだった。お父さんとお母さんだけは、私を普通の女の子として見てくれた。二人だけが、私の心のよりどころだった。
私のお母さん『ハンナ・ミスティナ』も死霊召喚の持ち主で、私はその能力を受け継いだ。お父さんは日本人で普通の人だったけど、能力者を嫌うことは全くなかった。優しいお父さんとお母さんだった。だから私達三人は仲の良い家族だった。誰が何と言おうと、家庭では幸せな毎日だった。
たくさんの人に気味悪がられても構わない。私を大切に思ってくれる人が一人だけでもいるのなら、私はそれで十分だ。
それなのに・・・
3年前のあの日、大災害『結界大崩壊』でお父さんとお母さんは死んでしまった。ちょうどお父さんの仕事で、アメリカから日本に引っ越してきて数日後のことだった。
私は二人とはぐれてしまって、そして次に会う事は二度となかった。二人の最期を見る事すらも出来なかった。
本当に、私は独りになってしまった。右も左も分からない見知らぬ街で一人きり。
辛かった。苦しかった。何度も泣きたくなった。・・・いや、違う。何度も泣いた。誰もいない、壊れた街の路地裏でただ一人。たくさんの涙をこぼした。泣いて、泣いて、泣いて、声がかれるくらいただひたすら泣いて。幸せだったあの日常がとても恋しかった。戻りたかった。お母さんもお父さんももう帰ってこないんだと思うと、胸が抉られるような痛みが走った。
だけど、それでも――
『リリィ、私の愛しいリリィ・・・強く生きなさい。そうすればきっと、あなたの事を大切に思ってくれる人と出会えるわ』
それでも、あの時私はこの街で生きると決めた。二人の分も、私が生きるんだと。決して諦めたりなんかしない。どれだけ絶望しようと、お母さんのように強い大人になるんだと誓った。
それが、私と両親の・・・最後の約束だから。
朝、時計の針は九時半を指している。天気は雨。梅雨だ。青髪の少女リリィはしとしとと地面を叩く雨粒の音に目を覚ました。静かな寝室に、不規則に小さく奏でる雨音。窓から見えるのは青々と生い茂る木々。ここは街から少し離れた森の中にある、木造のロッジのような平屋の一戸建て。リリィの家だ。晴れていれば、朝の木漏れ日がちょうど良く部屋に差し込んで爽やかな気分になるが、今日はこの天気のためとても暗くて寂しい。とは言っても、リリィは雨の日が嫌いではなかった。もちろん晴れの日ほど好きではないが、雨特有のあの静けさはなんだか心地良いのだ。日常の様々なノイズがかき消され、ポタポタという音だけが響く空間は不思議と落ち着く。リリィはしばらく窓の外をぼんやり眺めていた。
かちゃりかちゃりと、居間の方から食器の音が聞こえる。どことなく感じる、香ばしい小麦の香り。それに反応するようにお腹がきゅるるとなった。寝室から居間に移動すると、リリィが召喚した英霊であるパドラが、テーブルに朝食を並べているところだった。綺麗な焼き色のパンに鮮やかな紅色のイチゴジャム、パドラの手作り野菜ジュースと蜂蜜ヨーグルト。量はやや少なめだが栄養バランスのしっかり取れたメニューだ。
「リリィ様、おはようございます」
リリィが起きたことに気付いたパドラは、手に持っていた食器を一度テーブルの上に置き、丁寧に一礼した。
「おはよう、ございます・・・」
「よく眠れましたか?」
「うん、おかげさまで」
少し前まで、二人の家は都市部に隣接する貧民街の一角にあった。ティリア帝国由来の場所であったため衛生面も治安も悪かったのだが、それに見かねたパドラがこの一軒家を借りたのだ。
元々ここは曰く付きの事故物件だった。そのため家賃も安く、誰も手入れをしていないためボロボロだったが、リリィの能力で部屋に取り憑いていた霊を成仏し、パドラの魔法で綺麗にしたら非常に住みやすい家になった。
「今日は、お仕事はお休みなの?」
椅子に座りながらリリィは尋ねた。年季の入った木製のテーブルと椅子。中古品を扱う家具屋で買った物だ。もう古いからと店主は安く売ってくれたが、見た目やデザインなどリリィは割と気に入っていた。
「はい。ですので、今日はリリィ様の方のお手伝いをしようかと」
パドラはリリィの生活費をまかなうためいくつかのバイトを掛け持ちしている。だから普段は朝早くから仕事に出かける事が多い。そのおかげで、最近はだいぶ生活が豊かになった。この前まではギリギリの節約生活だったのだ。
パドラは焼きたてのパンにバターを塗り、その上にイチゴジャムをのせてリリィの前に置いた。それまでの一連の動きはさながらベテラン執事のようだ。生前は騎士長を務めていたと聞くが、実は王家の執事長だったのではないだろうかと勘違いしてしまうほど手慣れている。
「そういえば最近、私お仕事やってなかった・・・」
リリィの仕事とは、死霊召喚を使ってこちら側に留まる霊を成仏して、本来の居場所へ還すことである。
人が死んだとき、その魂は通常冥界に行って、そこで次の生まれ変わりを待つ。しかし、時々生前に未練のある魂が、冥界に行かずに霊として現世に留まる事がある。未練を昇華させる事で成仏出来るが、現実そう簡単に出来るものではない。そんな霊を能力で成仏するのが、リリィの仕事なのだ。
「あれは危険を伴う場合もありますので、私が不在の時は無理されない方がよろしいと思います」
「そうですよね・・・だから、出来るときにしとかないと・・・そうだ、ちょっと気になる事が、あるんだけど・・・」
「何でしょうか?」
パドラは一度作業の手を止め、リリィの話に耳を傾ける。
「ここ最近、変な霊力の流れを感じるの・・・」
「変とは?」
リリィは上手く言葉に出来ないのか、もじもじとしながら話す。
「えっと・・・なんというか、いつもと違うの・・・なんか、全部同じ方向に流れていくような感じ」
それを聞いて、パドラは手を顎に当てて考える。
「・・・確かに妙ですね。霊力とは霊が持っているオーラのこと。同じ方向に流れているって事は、霊達が皆どこかに向かっているのでしょうか?」
しかし、リリィは首を横に振る。
「ううん、霊達は動いてないの。霊力だけが流れてる」
リリィがそう言った途端、パドラの表情が険しくなった。
「まさか・・・リリィ様、その霊力はどの方向に流れていますか?」
普段冷静なパドラがどこか慌てて見える。顔を寄せて尋ねてくるパドラに、リリィも動揺する。
「えっと、ごめんなさい・・・実際に確認しないと、分からない・・・」
「あっ、申し訳ございません、取り乱しました」
はっと冷静さを取り戻したパドラは一歩下がった。パドラがここまで慌てるということは、それだけ重大なことなのか。
「なるほどそうですか・・・」
「何か分かる?」
「確証はありません、情報が不足しています。ただ、要調査ですね。最悪の場合、これを使うかもしれません・・・」
パドラは腰に差してある細剣に手を添える。それを見てリリィは体が強ばるのを感じた。なぜならそれが意味するのは――
「とりあえずそれぞれの場所の流れの向きを調べましょう。何か分かるはずです」
「分かった・・・っ」
その時リリィは自分の手が震えているのが分かった。左手で右手首を掴んで震えを抑えようとするが、ますますひどくなる一方だ。
「ご、ごめんなさい・・・私、いまさら・・・」
「・・・恐怖心を抱くのは悪いことではありません。怖いと思うからこそ、人間は慎重に行動することが出来ます。大丈夫です。何があろうとこのパドラが、帝国宮廷魔法師団特務騎士長の名にかけて、リリィ様を必ずお守りします」
パドラは左膝を床につけてしゃがみ、頭を下げた。騎士が王家に忠誠を誓う時の姿勢。リリィは王家でも何でもないが、パドラにとって大切な召喚主なのだ。
「・・・うん、ありがとう。私も頑張るから・・・」
「いえ、礼には及びません。騎士としての当然の勤めです」
リリィは窓の外を見る。雨が少し激しくなった気がした。
「・・・ここは、あなたが最後だね」
空から大粒の水玉が落ちてくる。それが地面に衝突して、小さな水玉となって四方八方に飛散する・・・これが断続的に何度も繰り返されている。左右には灰色の高い壁。空調の室外機や役目を果たしていないゴミ箱、放置されさびついた自転車に、どこからやって来たのか一匹の黒猫。そしてその他多数のガラクタとゴミ。ここは都市部の路地裏。表通りからは感じられない陰湿な空気が、狭い空間を圧迫するように蔓延している。やはりここはあまりいい気分ではないのだが、霊達はこういう人気の少ない所に集まりやすいのだから仕方ない。
よく「光が明るければその分影も暗くなる」と言われるが、これがまさにそういうことなのだろうとリリィは思う。貧民街もそうだが、こういう路地裏も貧困層や裏社会の人々の住処になっている。ティリア帝国は異世界の中でも巨大な国だが、それでもやはり文明は日本が進んでいた。結界大崩壊が起きて幻想街が出来上がってから、ティリア帝国の裏社会の一部がこちらにも流れてきたのだ。日本警察と帝国軍の共同部隊が治安維持に一役買っているものの、やはりこういう所に単身で入り込むのは自殺行為だ。
実際、今日もリリィ達はそいつらに運悪く出くわした。・・・が、こっちには伝説の英雄がいるのを忘れてはいけない。結果はお察しの通りだ。いかに悪人といえど、その一方的過ぎるやられっぷりに、リリィは少し同情した。
レインコートを羽織ったリリィは、しゃがみ込んで優しく包み込むように目の前の奇妙な発光体に手を添える。赤紫色や青色などに変色する、綿菓子のようにふわふわとしたそれが霊だ。もちろん普通の人には見えてないし、実体を持たない霊はこちらの世界に干渉することが出来ないため触れる事も出来ない。
「大丈夫、今から助けてあげるね」
そう言うと、リリィを中心に周囲が青白い光に包み込まれる。高い建物の壁と分厚い雨雲の下、暗然な路地裏の中で淡く輝くそれは、まるで透明度の高い海の中にいるような神秘的光景を作り出す。魔法発動の時に似ているが、これは魔法とは全く別の物。科学的にはもちろん、魔法的にも説明することが出来ない超常現象。
――特異能力『死霊召喚』の発動。
この世とあの世の境界にゲートを作り、霊が還って行くのをリリィは見守る。ゲートと言ったがそこに穴のような物が出来るわけではない。この世とあの世の境界は一種の概念のようなものだ。物理的に存在するものではないため、我々から見ればただ霊が消えていくようにしか見えない。
実際、目の前の霊が徐々に黄金色の光の粒子となって、灰色の空へ昇っていく。
「・・・ごめんなさい、私はあなたがどんな未練でここに留まっていたのか分からないし、あなたの未練を昇華することも出来ない・・・だけどせめて、あなたがもうこれ以上、辛い思いをしないように・・・もう苦しまずにすむように・・・来世は良い人生になることを、願っています・・・」
胸の前で手を組み、祈りを捧げるリリィ。やがて霊は完全に消え去り、辺りはいつもの路地裏の、モノクロな光景に戻った。
「お疲れ様でしたリリィ様。お飲み物はいかがですか?」
「うん・・・ありがとう」
パドラが先ほど買ったお茶をリリィは受け取る。しばらく連続で能力を行使したため、だいぶ疲労が溜まっていた。不思議なことに、幻想街にはなぜかたくさん霊達が集まってくる。現世異世界関係なく、命を落としたがまだ未練がある人々の霊が、この街に迷い込むのだ。最初は結界大崩壊が冥界にも影響を与えたのだろうかと考えたが、先ほど述べた通り冥界の境界線は物理的に存在しない。影響を受けるとは考えにくい。結局分からない事だらけだ。
それにリリィはまだ完全に能力を使いこなす事が出来ない。生まれつき持っていたとはいえ、幼い頃は自分の能力が嫌いで嫌いで仕方なかった。ようやく現実を受け入れ、能力と向き合ったのは3年前、リリィの両親が亡くなってからだ。それまで全く使ってなかったため、まだ慣れていないのだ。だから、能力を行使したときの体力が消耗しやすい。
「・・・さっきの霊、とても苦しんでた」
お茶を飲んで一息ついたら、ぽつりとリリィは言い出した。
病気や怪我などで死んだ人の霊は、成仏されない限りその痛みや苦しみが永遠に続くと言われている。こちら側にいる限り、絶え間なくその苦痛を引きずる事になるのだ。それに耐えきれずに壊れてしまう霊も少なくない。
「・・・そうですか・・・」
「私は・・・ちゃんと助けられたのかな?」
完全に能力を使いこなせないリリィは、どうしてもそのことが心配だった。
「大丈夫です。きっと報われていますよ」
「うん、そうだといいな・・・」
空を見上げる。あの黄金色の光の粒子はもうどこにも見当たらない。だけど、少し空が明るくなった気がした。
「それでリリィ様、霊力の流れは?」
「あ、そうだった・・・えっと、今は霊が居ないから感じないけど・・・さっきは確か、あっち・・・?だったかな」
「北北西、ですか」
リリィが指差した方向と方位磁針を見比べ、その向きを地図上の現在地から矢印を書き込んだ。その地図にはすでに何本か矢印が書かれていた。幻想街のいろんな場所を周り、霊達を成仏しながらそれぞれの霊力の流れの向きを調べたのだ。
「・・・予想通りですね」
確信を得たパドラは、リリィにその地図を見せる。
「これ・・・もしかして、この辺りに向かってる・・・?」
そう、矢印はまるである一点を指し示すかのように放射線状に書かれていた。その場所は都市部の北側に隣接する貧民街――ティリア帝国由来のスラム、『オルク』だ。
「正しくは吸い寄せられてるでしょうか」
「誰かが・・・周りから霊力を、集めてる・・・?」
「さようでございます。集めた霊力で何か企んでいるのでしょう」
「でも、一体誰が・・・?」
「決まっています。霊力とは霊特有のものです。命ある者は皆、まれに感じる事は出来ても、集めたり使う事は出来ません。それが世界のルールです。つまり、霊力を集めて得するのは同じ霊だけ・・・」
途端、はっとリリィは目を見開く。そして、これから起こるであろう恐ろしい事態に手足が小刻みに震えだした。
「ま、まさか・・・」
パドラも危機を覚えたのか、目つきがいつも以上に鋭くなる。
そう、これこそが今朝パドラが「危険を伴う」と言っていた理由。
「はい・・・怨霊、です」
人間の憤怒や憎悪、嫉妬、狂気などの負の感情は膨大な霊的エネルギーを持っていると言われている。普段温厚で真面目な人でもそれらが限界値に達してしまった時、取り乱したり性格が豹変したり、最悪殺人を起こすことがあるように、負の感情の力は強大なのだ。
そしてそれに霊が触れたとき、まれにそのエネルギーで霊が凶暴化することがある。それが『怨霊』。その力で無理矢理世界に干渉して、人間に危害を加えるのだ。世界中で起こる怪奇現象や都市伝説の大半はこの怨霊の仕業だ。物がひとりでに動き出す、どこからともなく囁き声が聞こえる、誰も居ないのに何かに触られた・・・だが、その程度はまだ可愛いものだ。もっと力の強い怨霊になると人を殺害することも珍しくない。呪いをかけたり、精神を壊したり、存在そのものを消滅させたり・・・。おまけにその怨霊が長い間世界干渉し続けると、この世とあの世のバランスが崩れてしまう。なぜなら、“霊は世界に影響を及ぼしてはならない”というのが世界の絶対的なルール。それを破ってしまえば、世界がおかしくなるのは当たり前だ。とにかく、怨霊には早めに対処しなければならない。人間が存在する以上、怨霊も存在し続けるのだ。事前に防ぐ事が出来ないため、怨霊が出現したときどれだけ早く対応するかが重要だ。
「・・・見つけた」
貧民街の一角、左右に鉄くずを寄せ集めたような住宅が並ぶ一本道の真ん中に、黒い靄のような塊がぷかぷかと浮いていた。街中の霊から霊力を奪っていた怨霊だ。そこに、リリィがいつも見ている通常の霊の姿はどこにも見当たらない。あれが、人の怨嗟に触れて飲み込まれてしまった霊の末路。そう思うと、リリィは背筋がゾッとした。数十メートル離れた所にいても、その禍々しいオーラが肌身にひしひしと伝わってくる。一体どれだけの霊力を奪い取ったのか。恐怖でリリィは上手く体を動かす事が出来ない。
「実体化はまだしていないですね。今ならリリィ様の死霊召喚だけで浄化出来そうですが・・・」
パドラがそう言った次の瞬間、ドンッ!と空気が激しく振動した。体が吹き飛ばされそうなほどの衝撃。地面を抉り、砂塵を周囲に撒き散らし、風圧が二人の体を強く叩きつける。
「――ッ!?」
やがて黒い靄が徐々に変形して人型になった。しかし、見た目は相変わらず真っ黒だ。手は異様に鋭く長く、明らかに攻撃するための形だ。
ついに怨霊が実体化したのだ。
「・・・少し遅かったようですね。仕方ありません、ここは私の仕事です」
パドラが数歩前に進み、腰に差してある細剣を鞘から抜いた。
「あらかじめ人払いの領域魔法を発動しておいて正解でした。長くはもちませんし、早急に片付けましょう。魔法式、展開――」
魔法式――ルーン語の文字の羅列がパドラを中心に円を描き、足下に魔法陣を構築すると、金色の光がパドラを包んだ。
身体能力強化魔法『フィジカル・エンハンス』の発動。パドラが剣先を怨霊に向ける。
それと同時に、怨霊が動いた。地面を蹴り一気に間合いを詰める。一回の踏み込みで最初の距離の半分移動し、2回目で上に大きく跳躍する。そして、上空からその鋭利な手を二人に向かって振り下ろす。そこにあるのは明らかな殺意と狂気。理性なんてものは全く感じられない。
(は、速い)
リリィにはそれを目で追うことが出来ない。もう怨霊は目の前なのに、目の焦点はまだ遠くにある。体が動いてくれない。あの速さについていけないのもそうだが、何より恐怖で足元がすくむ。
しかし、パドラは――
「・・・遅い」
刹那、剣を構えていたパドラの姿がぷんっ!と消えた。代わりに現れるのは、怨霊の背後に回り込んですでに剣先を鞘に収めているパドラと、右腹から左肩にかけて真っ二つになった怨霊。そしてパドラが完全に納刀し、鞘と鍔が合わさってキンッ!と金属音を立てた瞬間、遅れて斬撃音と衝撃波が周囲に伝わった。
「ラインハルト流魔法剣術、壱ノ型『突撃式単斬』」
それは、誰も剣筋を捉える事が出来ない神速の技。目にも止まらぬ速さで間合いを詰め、音速にも匹敵するほどの斬撃を繰り出す。そのため衝撃波も発生し、比較的強固な物でも簡単に斬る事が出来るのだ。自身を限界まで身体強化することで発動出来る技だが、音速で剣を振れるまで強化出来る人間なんて、後にも先にもパドラと生前の彼の師匠『ラインハルト・フレイトス』だけだろう。
真っ二つになった怨霊は徐々にその形が崩れ、元の黒い靄に戻った。通常怨霊は物理的、魔法的攻撃を受けても自らの霊力で即座に回復する。しかし怨霊のコアの部分を貫くと、霊力を大量に失い、実体化を保てなくなって元に戻るのだ。
「リリィ様、お願いします」
「うん・・・!」
そしてここからはリリィの出番。無力化した怨霊に近付き、能力を発動する。
「お願い・・・還って・・・」
死霊召喚により怨霊は浄化、成仏され、光の粒子となって消え去った。
訪れるのは、静寂。先ほどまでの張り詰めた空気が嘘のように静まりかえる。聞こえるのは雨粒が地面ではじける音だけ。
「はぁ、はぁ・・・良かった、ちゃんと・・・出来た・・・」
その時、ふらりとリリィの体制が崩れた。緊張から一転、安心したせいで力が抜けたのか。
「リリィ様!?ご無事ですか!?」
地面に倒れ込む寸前に、駆けつけたパドラがその小柄な体を支えた。息づかいが荒く、顔色も悪い。パドラは回復魔法を発動し、リリィの体調を回復させる。
能力の行使は、対象の霊力が大きければ大きいほどより体力を消費する。どうやら、この一回でリリィは限界に達したのだろう。まだ齢11である上に、元々リリィは虚弱体質気味だ。少しの疲労やストレスだけでも体調を崩しやすくなる。
「大丈夫・・・ちょっとめまいが、するだけ・・・」
「今日はもう帰宅しましょう。空も暗くなってきましたし」
「・・・そうだね」
気付けば時刻はもうすぐ六時になる頃だ。ある程度の位置が分かってたとはいえ、怨霊を探すのにだいぶ時間がかかってしまった。
「ねぇパドラ、夜ご飯・・・食べて返らない?・・・せっかく都市部まで来たから・・・」
「しかし・・・」
パドラはリリィの事が心配で仕方ないようだ。
「歩けないほどではないし、もう能力は使わないから・・・」
「・・・分かりました、リリィ様の仰せのままに」
それから二人は、とある商業施設のレストラン街を訪れた。その一番奥の小さな料理店に入り、リリィはパスタを注文した。まろやかなクリームソースにコシのしっかりしたもちもちの麺。具材の味もしっかりと引き出し、お互いが主張するもその良さを完全に失わない絶妙なバランスを取っている一品だ。
「ありがとう、付き合ってくれて。ここのパスタ、一回食べてみたかったの」
「いえ、たまにはいいでしょう。こうやってゆっくり外食するのも」
対してパドラは何も注文していない。英霊である彼はそもそも食事を必要としない。もちろん食べれないと言うわけではないが、「無駄な事は一切しない」が彼のモットー、要するに彼は効率主義者なのだ。歴史書にも、生前の彼は対魔族軍戦闘において最も効率が良い作戦で幾度も勝利を掴んできた、と書かれている。その性格は、死んで数千年経って英霊になった今でも変わっていないようだ。
「リリィ様は、このぱすたという麺料理がお好きなのですか?」
「うん。・・・パドラも食べてみる?」
「いえ、私は結構です。それにリリィ様のお食事を私がいただくなんて・・・」
しかしリリィは、テーブルの端にある箱から新しいフォークを取り出すと、パドラに差し出した。
「おいしいよ?」
目の前に渡され、パドラは思わず受け取ってしまう。主様のお食事を頂戴するのはいかがなものか、とパドラは考えたが、結局・・・
「・・・分かりました、ありがたく頂戴いたします」
フォークで麺を具材と共に絡み取り、それをゆっくり口に運ぶ。
瞬間、口の中に広がる濃厚な旨味。思わずパドラは目を見開く。
「これは・・・素晴らしいです。こんなにも美味しい料理に出会えたのはいつ以来でしょう」
「ね?」
高揚した様子のパドラが面白かったのか、リリィは珍しくくすっと笑った。それに気付いたパドラが気まずそうに咳払いをする。意外と生前の彼は食通だったのかもしれない。
彼の新たな一面を知ることができて、リリィはちょっと嬉しい気分になった。
「リリィ様は、なぜ死霊召喚で霊を成仏しようと思われたのですか?」
「・・・え?」
しばらくすると話す話題がなくなり沈黙の時間が流れ出したため、パドラは前々から気になっている事をリリィに聞いた。不意の質問に、リリィは食事の手が止まる。
「確かに未練のある霊を苦しみから解放することは出来ますが、それでリリィ様に利益があるとは思えません。それどころか、能力の行使で体調が崩れやすくなります。なぜ自らの御身を犠牲にしてでも、霊達を助けたいとお思いになるのですか?」
パドラの言う通り、霊を成仏して助けてもリリィには何も見返りがない。ただ体力を消耗するだけなのだ。だけど、リリィはそれを止めようとは少しも思っていない。効率主義者には、それが理解出来なかった。
店内の賑やかな人々の声に、窓の外の雨音が重なる。
「・・・霊が苦しんでるから、それだけ」
少し考えたリリィは、そう言った。
「だって、死んだときの苦しみがずっと続くなんて、嫌だから・・・私も昔すごく苦しい思いをして、でも助けてくれる人なんていなかった。あ、お母さんとお父さんは助けてくれたよ。でも、もういなくなっちゃったから・・・だから、その・・・何というか、助ける事が出来る能力を持っているのに、苦しんでいる霊を見ないふりするのは、私には出来ない・・・」
フォークを握るリリィの手の力が強くなる。能力を使う事はもちろん大変な事だが、彼女にとって「助けられるのに助けない」という状況がもっと耐えられないのだろう。リリィは、幼い頃から多くの人々に気味悪がられてきた。ずっと苦しんできた。そのたびに優しい両親に何回も助けられたが、唯一の心のよりどころであった二人は帰らぬ人となった。自分はもう、この苦しみを一人で背負って一生を生きていかなければならない。今では隣にはパドラがいて、優しいお姉さんのような彩葉がいて、元気を分けてくれるカレンやルーシア、それに大好きな大和・・・大切な人達がたくさんいて毎日が楽しくなりつつあるが、それでも過去から解放される事はないだろう。ならばせめて、自分と同じように苦痛に縛られ続ける人をなるべく減らしたい。ゆえに、霊達を助けたいと思う気持ちが強くなるのだろう。彼らもまた、苦しみ続ける元人間なのだから。たとえ自分の身を粉にしてでも――
少し、リリィの考えている事が分かったパドラだったが、やはり完全に納得は出来なかった。だってその霊達は、見ず知らずの他人の霊なのだ。身内でも知り合いでもない。そんな彼ら彼女らをどうして自ら犠牲になって、どうして「苦しんでるから」というただそれだけの理由で助けるのか。
だけど、彼がそうリリィに問う事はなかった。
自分がどう思おうとも、おそらくリリィは変わらない。我が主がそれでいいと言うのなら、その理由以上の理由はいらないのかもしれない。パドラはそう思った。
その帰り道、夜の街を歩いていると、リリィは偶然それを見つけた。路地裏から顔をぴょこっと覗かせる三体の霊。こちらを伺うようにじっと見つめてくる。そしてリリィと目が合うなり、こいこいと手招きをした。
「パドラ、あれ・・・」
「・・・リリィ様、今日はもう・・・」
「うん、能力は使わない。だから様子だけでも・・・」
「・・・少し見たらすぐに帰りますよ」
「分かった」
リリィ達がが路地裏に入ると、その霊達はさらに奥へと進んだ。振り返り、再び手招きをする。『こっちにおいで』と、言っているようだった。
「あ、待って」
二人も急いでその後を追う。迷路のような細くて暗い道を、見失わないように必死に走る。霊達も時々止まってリリィ達を待ち、近付いてくると再び進み出す。足音と雨音、それに呼吸音が重なって路地裏に響く。静かな細道だった。進む度に、都会の喧騒から離れていく。
『不思議の国のアリス』――まるでそんな感じだ。リリィも読んだことがある。主人公の女の子『アリス』は、うさぎに導かれて別の世界へ迷い込む。今追いかけてるのは霊だが、その物語と今の状況が重なり、リリィはなんだか気持ちが少し高鳴る。この先に、どんな世界があるのだろう?
・・・どれくらい走ったのだろうか。気付けば、ある廃墟ビルの裏手にたどり着いた。霊達は先にその屋上へ行ってしまった。二人はさび付いてボロボロになった階段を上る。正直いつ崩れてもおかしくない見た目だったが、案外丈夫なものだった。ギシギシと不穏な音がなって不安だったが。ここはいつから使われなくなったのだろう。少なくともここ最近の話ではなさそうだ。雨で足下が滑りやすくなっていた。転ばないようにしっかり一段ずつ踏んで上る。
上がるにつれて徐々に視界が明るくなる。一番上からはどんな景色が見えるのだろう?リリィの心が体を急かす。
十分くらいでようやく階段を上りきり、屋上にたどり着いた。息切れするリリィにパドラが回復魔法をかける。
「大丈夫ですか?」
「うん、ありがとう」
息を整えてから、顔を上げる。そこには――
「わぁ・・・」
目の前に広がるのは、黄金色に輝く夜の幻想街。ビルや街灯などの蛍光灯、電波塔の赤い航空障害灯、鉄橋を鮮やかに照らす照明。それらに加え、夜の街を彩る照明魔法の光。様々な輝きが星のようにきらきらときらめく。夢見心地――読んで字のごとく、ふわふわと夢の中にいるような気持ちになった。これが不思議と悪くないのだ。
「すごい・・・私達の街って、こんなに綺麗だったんだ」
フェンス越しの幻想的な夜景に、感嘆のため息が思わず出てしまう。そう、それはまるで、夏の夜空に浮かぶ天の川のように美しかった。
屋上の中央で、先ほどの霊達が床に落ちているそれを囲んでいた。どうやら、これをリリィに見せたかった・・・と言うより渡したかったようである。リリィはそれを拾い上げて、首をかしげた。
「これ・・・本?どうしてこんな所に・・・」
それはとても不可思議な本だった。奇妙な模様が描かれた、漆黒の本。タイトル、作者名どちらも書かれていない。それどころか、本文すらもなかった。ただ真っ白いページだけが延々と続く。出版社も出版年月日も何も分からない。
「何だろう、これ・・・」
ただ白紙を束ねてはさんだだけの、大きくて分厚い本。なぜ、霊達はこの本を渡したかったのだろう?考えれば考えるほど謎が深まる。
「・・・私、少し見覚えがあります」
その時、目を細めてその本の正体を見抜こうと見つめていたパドラがそう言った。
「この本、何か分かるの・・・?」
「申し訳ございません、見覚えがあるだけで何も・・・そもそも、私もこのような物は初めて目にしました。しかし、それにもかかわらず強烈な既視感があるんです・・・・・・・生きてた頃の俺に何か関係があるのか・・・?」
険しい表情で首をかしげるパドラ。敬語を使い忘れてるあたり、相当悩んでるようである。
「・・・多分、私が上手く召喚出来なかったから、生前の記憶が欠けてるんだと思う・・・ごめんなさい・・・」
前述したとおり、リリィは能力を完全に使いこなせない。成仏なら最近出来るようになったが、召喚はまだほとんど出来ない。だからリリィがパドラの召喚にギリギリ成功した(一部失敗したが)のは、本当に偶然だったのだ。その時はリリィ自身もすごい驚いた。まさか異世界の、それも伝説級の英霊を召喚することになるとは。
「リリィ様、もうそれは謝らないでください。大丈夫です、そのうち元に戻りますよ」
「・・・そうだといいけど・・・」
「謎は多いようですが、おそらくこちらの霊達の成仏に関係あるのでしょう。リリィ様の死霊召喚ではなく、未練を昇華することで出来る本当の成仏が可能かもしれません」
リリィは三体の霊達を見る。こちらに向かって身振り手振りで何かを伝えようとしているが、リリィにはそれを理解することは出来ない。
それにリリィは気付いた。この霊達は、霊力がだいぶ衰えているのだ。霊の霊力は死んでから時間が経つにつれて徐々に衰弱していく。つまりこの三人はかなり前に亡くなった人なのか、それともさっきの怨霊に大量に霊力を奪われたか。どちらにしろ時間があまり残されていない。霊力を完全に失うと、その霊は消滅してしまう。もう二度と、生命としてこの世界に生まれ変わる事はない。それだけは絶対避けるべきだ。
しかし、今すぐ能力で無理矢理成仏させるか、彼ら彼女らの未練を見つけ出してそれを達成するか・・・リリィの中ではもうすでに決まっていた。
「うん、私は、助けれる霊がいるなら、なるべく助けたい。これは、私にしか出来ない事だから」
「・・・リリィ様ならそうおっしゃると思いました。分かりました、私も全力でお手伝いさせていただきます」
時間は残されてないが、出来ることがあるのならギリギリまで頑張りたい。出来るかどうか分からないけど、きっとこの三人を助けてみせる。リリィはそう心に誓った。
いつの間にか雨はやみ、雲の隙間から銀色の月が顔を覗かせる。
今宵は満月、明るい月光が幻想街を優しく照らしていた。
最後まで読んでいただきありがとうございました。一、二章に比べてだいぶシリアスなお話になってしまいましたが、まぁ最終章書くのに必要なので・・・そもそも自分の物語ってだいぶ迷ってますよね、日常系なのかシリアス系なのか。はっきりしろって言われてもしょうがないのですが、自分がどっちも書きたかったから・・・
感想いただけると幸いです。(今後の執筆に役立てるので)