第36話 事件
こんにちは。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。
翌朝、意識が覚醒していくのを自覚するのともに、なんだか目覚めが良い。よく眠れた気がする。
「良い香り……」
いつものカビ臭い宿のベッドじゃない。干したてのふとんの匂いだ。窓からは明るい日の光が差し込んでいる。
「そうだった。ここはもう俺たちのホームか……」
身体を起こしながら呟く。
でもまぁ、宿のベッドはあれはあれで好きだったな。
そう思いながら右に顔を向けると、レアが以前と変わらず横で寝ていた。
「くー、くーっ…………」
「…………なんでいんの?」
◆◆
「ふわぁ………おはようユウ」
ベッドに座ったレアがキャミソール姿で猫っぽいしなりのきいた伸びをぐうっとした。
…………可愛い。
「いや、そうじゃなくて…………なんでまたいるんだ」
「だって、1人で寝るの久しぶりで落ち着かなくて…………」
レアの猫耳がペタンと折りたたまれた。
「いや、でも鍵閉めてたよな?」
「窓、空いてたよ?」
けろっと開けっ放しの窓を指差す。
「なんで窓から入る……?」
コンコン…………ガチャ。
「おはよう…………朝からどうしたの?」
目をこすりながらアリスがドアを開けた。
「ああ、おはよう」
アリスはスリッパにおっきめのパジャマ、三角帽子をかぶっていた。
私服はロックスタイルなのにパジャマは可愛い。ぬいぐるみとか引きずってそうだ。
「そう。ふわぁああ。あれ? レアがいるわ」
あくびをしながらレアがいることに気付いた。
「はぁ、夜中にこいつが窓から入って来たんだ」
「へぇ、そうなの」
アリスが関心がないのか、眠たそうに返事をした。
「いやちょっと待てアリス。お前、その前に普通に入ってきてるけど、部屋の鍵閉めてたよな? どうやって鍵開けた?」
「どうって、こんな感じ?」
アリスは人差し指を立てると、その先に氷でパキパキと鍵を作り出した。
「あなたのアドバイスのおかげね。まだこれくらいしかできないけど…………それに、きちんとノックはしたわ」
アリスが今度は指先にサムズアップする手を氷で作った。
「修行の成果、ここで出すな」
アリス、『魔力操作』獲得おめでとう。
◆◆
どうやらアリスは昨晩魔力操作のスキルが取得できたので、見せに来たかったらしい。おかげで症状は少し緩和されたが、まだまだ完全な制御には至っていないとのこと。
何にしろ、これは祝ってあげなくては……そう考えながら部屋を出て絵画の魔女の前を通る。
「おはようございますわ」
また律儀に裾をつまんで挨拶してくれた。絵画の魔女は昨日と同じ服装をしていた。ゴシックな黒のドレスだ。
「おはよう」
「このお屋敷も賑やかになってきましたわね」
楽しそうに笑う魔女。
「まぁな。夜中変わったことはなかったか?」
「ええ、特にありませんでしたわ」
【賢者】探知にも反応はありませんでした。昨晩、スラム街からの侵入者はいません。
了解。辺境伯が警備をつけると言ってたけど、俺の方でも対策考えないとな。
「わかった。ありがとう」
そこにレアとアリスも来た。
「あ、おはようございます。魔女さん」
「おはよう」
「おはようございますわ」
同じように挨拶する。そして、3人が揃ったところで魔女がモジモジしてきた。
「あの…………わたくしの名前は考えていただけましたか?」
あ…………すっかり忘れてた。この感じ、めちゃくちゃ楽しみにしててくれたみたいだよな。申し訳ない。
「いや、良いのが浮かばなくてな」
「そうですの」
魔女がシュンとなる。
「すまんな…………そういや、魔女なんだろ? どんな魔法が使えるんだ?」
「わたくしは火魔法が得意ですわ」
「火か。火、火……炎、焔、火炎…………。それなら『スカーレット』てのはどうだ?」
我ながらピッタリだと思う。寝起きながら赤をイメージした完璧な名前だ。
「いいわね。カッコいいわ」
「可愛い! 良いと思う!」
なんでレアとアリスでこうも感じ方が違うのか、不思議なもんだ。
「…………っ!! 素晴らしいと思いますわ! わたくしは今日から『スカーレット』ですの!」
スカーレットは胸の前で両手を合わせて喜んだ。
もっと考えておいてやれば良かった…………まぁでも時間をかけても本人が喜ぶ名前とは限らないしな。
「スカーレット、これから朝食なんだが、あんたはそこから移動できるのか?」
そう尋ねると、しばらく考え込んだ後、隣の絵画へソロソロと片足を突っ込んでみて言った。
「…………検証中ですわ!」
というわけでスカーレットはとりあえず置いといて、3人でダイニングで朝食を食べた。
先程前を通ると、いつの間にかスカーレットがコーヒーを飲んでいた。
そのコーヒーどこからもってきたんだ?
◆◆
朝食後、3人でフィルの工房へ出発した。
今日はフィルにアリスを紹介するつもりだ。お願いしてた武器の受取りとな。
「どんな武器が出来てるか楽しみだね!」
「ああ、なんたって渡してるのはあのSランクの肉切包丁に、あの火竜の牙だからな」
あのクラスの素材にフィル名人の腕が加われば向かうこと敵なしだ。
「フィルー?」
期待のこもった気持ちでお店の扉を開けると、フィルが床にうつ伏せに寝ていた。
また腰でもやったのだろうか? うつ伏せでよく眠れるな。
「おいフィル、起きろ。そんなとこで寝たら風邪ひくぞ」
声をかけるも、熟睡しているのか反応がない。
そこでアリスがあることに気がついた。
「え、うそ? その人…………」
アリス指差したフィルの足元には、血溜りができていた。
「え……………………なんで?」
な、なんでフィルが血を流してる? いったいなぜ!?
「おいフィル!!」
慌ててフィルの元へ駆け寄り、そっと仰向けにする。触った途端、服が血で濡れていることがわかった。緊急を要するほどの重傷だ。
「フィルさん!!」
3人ともフィルの側に膝をついて呼び掛けるが意識がない。
「レア! 息はしてるか!?」
レアがフィルの口元に手を当てて確認する。フィルの顔色は最悪だ。真っ青な色をしている。まだ土色にはなってないから大丈夫と信じたい。
「大丈夫、してるよ!」
「脈もあるわ」
フィルの首に手を当ててアリスが答えた。
服をめくると、腹に刺し傷があった。正面から腹部を刺されている。血は固まっておらず流れ続けている。刺されたのは俺たちが来る直前だろう。
急いで神聖魔法を使う。
「フィル、頼む…………!」
眠ったままのフィルを光が包み込んだ。
神聖魔法なら助けられると思いたいが、いかんせんフィルの年齢を考えると不安が残る。体力が有り余る冒険者を治療するのとはわけが違うからだ。
「でも、どうしてフィルさんが?」
狼狽えるレアにアリスが答える。
「武器を狙った強盗じゃないかしら? この人、とんでもない名工なんでしょ?」
レアはコクッと頷く。
「よし、とりあえず止血は完了だ」
アリスがあごに手を当て考えている。
そのまま神聖魔法をかけ続けることでフィルの傷はなくなり、ひとまず命の危険は去った。
「意識が戻るまで待とう。レアは衛兵を呼んできてくれ」
「わかった!!」
ゴウッ…………!!
レアが扉を勢い良く開け放つと、風を残して一瞬で消えた。
辺境伯は治安維持に力を入れており、衛兵の数も多く、きちんとした訓練を積んでいる。対応も早いはず…………。
アリスの言うように、フィルは鍛冶の分野では超有名人だ。そんな彼が刺されたとなると辺境伯も本腰を入れて動くだろう。
「フィルももう年だから、このまま目を覚ましてくれるかどうか…………」
フィルの横について、しわくちゃの顔を見下ろす。表情は心なしかさっきよりも和らいで見えるが、心配なのは山々だ。
「フィルって人、こんなにお爺さんだったのね。こんなお年の人を刺すなんて、一体誰が…………?」
「誰でもいい。この犯人は俺が捕まえる」
俺の友人にこんな仕打ちをするとは、いい度胸だ…………!
「そうね。でも今は落ち着いて衛兵が来るのを待ちましょう?」
アリスが俺の肩に手を置いて諭すように言った。
◆◆
それから20分ほど経過した。
「遅いな。レアがこんなにかかるなんて…………迷うこともないだろうし」
座って待ちながらも。思わず貧乏揺すりが出てしまう。
「何かあったのかしら?」
さらに10分ほど経過して、3人の衛兵とレアが到着した。
「遅くなってごめん!! ユウ、アリスちゃん!」
「いや、大丈夫だ」
と言っておきながら少しホッとした。レアが事件に巻き込まれたわけではなかった。
「フィルさんは大丈夫ですか!?」
バタバタと狭い店に3人の衛兵が駆け込んでくる。
「ああ、とりあえず治療は済んだ。今は目を覚ますのを待っているところだ」
「そうでしたか…………って、お前ユウじゃねぇか!」
「へ?」
よく見ると、いつも町の西側の門のところにいる衛兵さんだった。この町に侵入者が来た時に大怪我をして、町の入り口に倒れてたところを俺が治療した。
彼が部下を連れてるところを見ると、実はそれなりに立場が上のようだ。
「おお、西門の衛兵さん」
「まさかこんなところで会うとはな。こないだは助かった。いやそれもあるが、今はフィルさんを助けてくれてありがとう」
礼を言いながら後ろの2人の衛兵に命令する。
「おい、この方を診療所まで運んでくれ。丁重にだぞ!」
「「わかりました!」」
言われた2人の衛兵は持ってきた革でできた担架にフィルを乗せ、急いで診療所へ向かった。
「顔見知りがいるとは言え仕事だ。きちんと挨拶させてもらおう。私は西門の衛兵長をしているコリンズと申します」
そう見事な敬礼をしながら、俺たち3人に自己紹介した。
てか、コリンズというのか。外に行くたびに顔合わしてたのに初めて知った。
そこから俺たちが到着してからのことを話した。
◆◆
「本当にフィルさんの命を助けていただき、ありがとうございました。あとはこちらで調査します」
コリンズは見事な敬礼を見せた。
「ああ、よろしく頼む」
とりあえずこれで一息つける。それと、気になっていたことを聞いた。
「なぁレア、コリンズの担当って西門だろ? なんでそんなところまで行ってたんだ?」
ここから西門はそれなりに離れたとこにある。そしてここで言う衛兵の詰所は日本で言うところの交番のようなもので、町の中に点在している。
「それが、衛兵さんがなかなかいなくて…………! それで絶対にいると思ったところまで行ってたの。ごめんなさい」
レアは猫耳をしょげさせた。
「いや気にするな。責めるつもりはないんだ。呼んできてくれてありがとう」
「ああ、それだが今日この辺の地区は訓練日で衛兵は少ない。今頃東区の方でビシバシしばかれてるだろう」
コリンズは苦笑いをしながら言った。
「あんたは参加しなくていいのか?」
「ああ、俺はまだ病み上がりだからな」
こないだの大怪我か。
「完全に治したと思ったんだがな…………まだどっか痛むのか? 治すぞ?」
「いや、そう言っておけば訓練から外されるだろうと思ってな」
「おい。心配して損したぞ」
「ははは! すまんすまん、それに俺は今日隣町へ出張だからな」
「それを先に言えよ!」
「え、ごめんなさい。出張大丈夫なんですか?」
レアって案外こういう気配りしっかりしてるよな。
「大丈夫。これも仕事だ」
コリンズはサムズアップしながら良い笑顔で答えた。
「そうだったんですね。あの、コリンズさん。あと、これとは別にさっき気になることが…………」
俺とアリスもレアの言い方に耳を傾ける。
「ん? なんだ?」
「さっき、衛兵さんを探していた時、助けてもらえるかと思って直接辺境伯様のところに行ったんです。でも取り次いでもらえなくて、なんか、尋常じゃないくらい混乱してるみたいで……何かあったのかなって」
レアが心配そうに話す。
「辺境伯んとこが?」
レアはコクンと頷いた。
フィルが襲われ、辺境伯のところも何かあったのか? 胸騒ぎがする。
「コリンズ、何か知ってるのか?」
俺たちはコリンズへ目線を向ける。
「はぁ…………知らんわけではない。だがこれは機密事項。ユウと言えど、たかだか冒険者に話すことはできん」
コリンズは困ったように頭をかいた。
機密事項? 辺境伯の屋敷でも何かが起きている?
「俺をその辺の冒険者と一緒にするのか?」
思わずコリンズに強い視線を送る。
「確かにお前はこの町の英雄だ。だがな…………いや、その回復魔法…………」
コリンズは血溜りを見た。そして、俺が治療した自分の傷痕があるであろう場所を指でなぞる。
「お前なら…………なんとかできるかもしれん」
絞り出すような声でそう言った。
◆◆
コリンズは勝手にフィルの工房の椅子を持ち出し、のんびりと腰掛ける。
おいおい、フィルの家だぞ?
「絶対に外にもらすなよ?」
コリンズは俺らの顔を1人ずつ見て念をおす。
「ああ」
俺たちが顔を寄せる。
「実は早朝、辺境伯様が刺されたそうだ」
「「「は!!!!??」」」
「おい! 辺境伯は生きてんのか!!??」
思わず身を乗り出した。
「今はな」
コリンズは感情を感じさせない声で言った。
「今は!? どういうことだ!?」
思わず胸ぐらを掴む。コリンズは微動だにせず、感情のこもっていない目で俺を見返してきた。
「傷はあの屋敷の人間が治したらしい。あそこは優秀な人間が多い。ただ、刺されたナイフには魔界ユゴスにしか存在しない、『死毒』が塗られていたそうなんだ」
し、死毒…………!!
嫌な思い出がよみがえる。
あれは普通の人間じゃ、30秒も持たない。辺境伯はあれをくらったのか…………!
「今は屋敷の人間が吹けば消える命を、ひっきり無しに回復魔法を交代交代にかけ続けることで命を繋いでいるらしい。町中の魔力回復薬がなくなりそうな勢いでな。…………もはや虫の息だ。ふふふっ!」
ガタン!!!!
「レア、アリス! 一緒に来い!」
俺は、コリンズの言葉を最後まで聞かず外の路地に飛び出した。コリンズはのんびりとまだ1人椅子に座ったままだった。
慌てて追いかけて来たレアとアリスを魔力で掴むと、身体強化して町の空へと飛び上がった。
ドガン!!
「ひっ!」
地面を蹴った衝撃で路地の地面やフィルのお店の窓ガラスが割れるが、それどころじゃない。レアかアリスの悲鳴が聞こえたような気がした。
50メートルくらいの高さまでひと蹴りで空へ上がるとそこに結界魔法で足場を造る。ビュウビュウと風が吹き荒れ髪を揺らす。
「辺境伯の屋敷はどこだ?」
町を見下ろすと改めて思う。美しい町だ。
「あっちよ! あのデッカイの!」
魔力に横向きに腕に抱えられたままのアリスが髪を手で押さえながら風に負けないように大声で答えた。
「あれか…………」
千里眼スキルでよく見ると、大勢の人間が慌ただしく動き回っているのがわかる。
「掴まってろよ!」
俺はさらに空中に足場を結界魔法で作り、風をかき分けるように町の上空を疾走った。
ほんの十数秒後、屋敷の真上に到着し、屋根に飛び降りる。
ドカン……!
ガラララ…………ガラララララララ!
屋根瓦を割りながら着地すると、屋根瓦が連なって下に落ちて行った。そのまま屋根を滑り降りて中庭の廊下に着地する。
下には物音に気付いた使用人が集まってきていた。
「賊だ!」
「貴様ら、よくもおおお!!!!!!!!」
とたんに大勢の使用人に武器を向けられる。皆が血走った目で、本気の殺意を向けてきていた。
「どけ! 説明してる暇はねぇ!!」
全員関係なく無理やり魔力で壁側に押し付け、道を開ける。
「辺境伯はどこに…………! 誰か話のわかる奴は!?」
そのまま走り抜けると、大きな豪華な両開きの扉の前で知った顔を見つけた。
アニーなら…………!!
「アニー!!!!」
彼女はフル装備で警戒中だった。そしてぼろぼろに泣いていた。
「お、おま゛え゛!!」
それでも槍を構え敵意を向けてくる。
「俺は敵じゃない!! 辺境伯を助けに来た! 俺を信じろ!!」
目を赤く腫らしたアニーと目があった。俺を睨んだままアニーが悩んでいるのがわかる。そして
「………………………………こっちだ。辺境伯様はこの中に!」
アニーが扉を開ける。
「わかった!」
すれ違い様に肩を掴まれた。
「頼むよ゛!! あの人を助けで!!」
俺の肩を跡が残りそうなくらい掴むアニーの顔は、涙と鼻水でくしゃくしゃだ。
「任せとけ…………!」
アニーを振り払って中に入る。
突然開いた扉に中にいた者たちは、ビクッと肩を緊張させるも俺だとわかった瞬間肩の力を抜いた。
中には屋敷のメイドたち十数人と執事がいた。全員共通して言えるのは疲労困憊で目の下のくまが酷い。壁にもたれかかり、休む彼らと、床に転がる大量の魔力回復薬の空き瓶。その中心に、辺境伯のベッドがあった。血なのか、シーツが深紅に染まっている。
毒には『毒耐性<猛毒耐性<死毒耐性』という並びで耐性があるが、一般人では毒耐性ですら珍しい。
俺はユニークスキルでスキルレベル自体が上がりやすく、かつ大量の魔力があったから耐えられたが、『死毒』ともなれば耐性など得る前に即死だ。辺境伯は立場上、強い毒耐性を持っていたのだろうか。
今、フラフラになりながら回復魔法をかけるメイドに声をかける。
「交代だ。後は俺がやる」
俺が肩に手をやると、メイドはペタンと床に座り込んだ。
ベッドに横たわる辺境伯を見る。いつも通りのそのボサボサの髪の毛よりもまず目につくのはその出血の量だ。ベッドは元々こういう色だったかのようにきれいにワインレッドに染まっている。
これは覚えている。俺が魔物の森で毒にやられて洞窟で苦しんだ時と同じだ。あの時もこれくらいの血が全身から流れた。
すでに辺境伯に意識はない。いや、なくて良かった。大量出血で顔色は青くガイコツのようだ。あんまり観察している時間はない。
賢者さん、こういう時のためだろ? 俺の『神聖魔法』。
【賢者】はい。神聖魔法ならば、このレベルの毒にでも対抗出来るはずです。
よし。
「神聖魔法…………!」
辺境伯の体が強烈な光に包まれる。
辺境伯の体を蝕んでいた死毒がふつふつと体から浮き上がり、空気中に消えていく…………。
よし、解毒もできている…………!
光に包まれる辺境伯を、周りの人たちは真剣に、祈るように見つめていた。
「毒になど負けないでください!」
「お願いです。辺境伯様あああ!」
「どうか…………! 辺境伯様をお助けください!!」
辺境伯と俺に向かって手を合わせる使用人たち。
「大丈夫。ジークは俺が助ける」
さらに激しい光に包まれる辺境伯。
ーーーーーーーー。
ーーーーーー。
ーーーー。
ーー。
「ふう…………」
賢者さん、体に残る毒素はもうないか?
【賢者】はい。すべて除去が完了しました。
了解。
「もう大丈夫だ」
静まり返った部屋に、歓声が上がることもなく使用人たちはその場に崩れ落ちた。限界を超えていたんだろう、半分ほどが疲労で気絶している。
「よく頑張ったな」
気がつけばジークと使用人たちにそう言っていた。
それから辺境伯を死なせないために死力を尽くした人たちに神聖魔法をかけていった。彼らが実質辺境伯の命を繋いだんだ。
「しかし、こんな短時間で2人も治療することになるとは……」
辺境伯が助かったというニュースは瞬く間に屋敷中を駆け巡り、大勢の使用人たちが辺境伯の顔を見に集まった。辺境伯の出血量にパニックを起こす者もいたが、穏やかに呼吸する辺境伯ジークを見て安心したように持ち場に戻っていった。
◆◆
その後俺たち3人は応接室に通された。前に来たことがある、豪華な絨毯の上にローテーブルが置かれ、挟んでワインレッドの革張りソファが置かれている。
「あたし、何もしてないんだけど…………」
「私もだよー」
実際2人は治療中、邪魔にならないように部屋の角でアワアワしていた。
そこで辺境伯のそばにいつもついていた年老いた執事と対面した。名はマーズさんというらしい。優しそうな目をした白髪のおじいさんだ。背筋がピンと伸びており、品の良さがにじみ出ている。
「ユウ様、この度は我が主の命を救っていただき、誠にありがとうございました。この屋敷の者を代表してお礼を申し上げます」
執事は立ったまま、深々と頭を下げた。慌てて俺らもソファから立ち上がる。
「いえ、いつも辺境伯様にはお世話になってるので」
「ほんっ……とうにありがとう、ございました!!」
執事は再び床に頭が付きそうなくらい、頭を下げた。ちらりと見えた口元はきつく結ばれ、震えていた。
これはマーズさん個人からのお礼だろう。
「どういたしまして」
そう答えるとマーズさんはフッと力を抜いて笑った。
「でも、もっと早く呼んでくれたら良かったのに」
「はい、ユウ様を呼びに行ったのですが、もう屋敷を出られた後でして」
そうか、思ったより長時間フィルのところにいたんだな。
「しかし、どうしてユウ様はこちらまで?」
「いや、知り合いの衛兵が教えてくれたんだ」
「はて? 我々はまだ衛兵に知らせてはいませんでしたが……皆気が動転しており、お恥ずかしながら指示を出せる者が決まりませんでしたので」
「ん…………?」
「え?」
アリスたちと顔を見合わせる。
それなら、なんでコリンズは知ってたんだ?
「おかけください。今回の事件について詳しくお話したいと思います。長くなりますのでどうぞ」
促されるままソファに座ると、メイドがコーヒーを運んできた。とりあえずコーヒーを飲んで一息つくと、マーズさんが口を開いた。
「あの方は…………この国に、必ずや必要になるお方なのです」
そのように切り出した。
「国に?」
そんなお偉いさんだったのか。
「お三方は主様の過去をご存知で?」
俺、レア、アリスは揃って首を振った。
「そうですか。10年ほど前、主様のお父様は王都にて伯爵の地位についておりまして、この国の中ではトップ3に入るほどの力を持った貴族でした」
「そんなに!?」
辺境伯の血筋ってすごいのな。
「はい。ですがあの頃、お父様を敵対視する貴族がおりました。そして、お父様はある日、不自然な死を迎えることになったのです」
目を伏せ、悲しそうな顔を見せるマーズさんは続けた。
「結果、主様は10代という若さで跡取りとなりました。証拠はないものの、その貴族による犯行は濃厚。当然主様は父の死の真相を究明しようとしました。ですが事件のことを調べているうち、その貴族の『ある計画』に気付いてしまったのです。主様はその事を公表しようとしました」
マーズさんは乾いた口を飲み物で一度潤してから続ける。
「ですが主様はお若かった。その貴族はすでに数多くの貴族を味方につけ、知らぬ間に外堀を埋められていたのです。主様は虚言を吐き、他の貴族を貶めようとした罪でこの辺境の地に左遷されることとなりました」
「飄々としてるあの人にそんな過去が…………」
あの笑顔の裏には救国心があるのだろうか。
「まだその貴族はふんぞり返って王都で暮らしております。主様はまだ諦めていません。今は勢力を整え、再び王都に戻って計画を止めるつもりなのです」
「なるほど…………」
しかし意図せず貴族間の裏事情を知ってしまったな……。
「大体の事情はわかった。それを踏まえてマーズさんは今回の刺客をどう見る?」
「間違いなくその貴族の手の者です」
「辺境伯が刺された時の状況は? 犯人は捕まったのか?」
「それが…………まだです。この屋敷の使用人たちは皆が主様の人柄に牽かれ集まりました。王都から左遷された時も主様に付き従った者が大勢で、とても優秀な者が多いです。ゆえに今まで暗殺者と言えど、即座に排除できておりました。ですが、今回主様は私たちの目の前で刺されたのです」
マーズさんは悔しそうにこぶしを握り締めていた。
「責めるつもりはないんだが、どうして止められなかったんだ?」
「刺客は、身内にいました」
マーズさんは悔しそうに答える。
「…………誰だ? 俺も知ってるやつか?」
「ご存知のはずです…………衛兵のコリンズ。ユウ様が傷の手当てをしたことのある者です」
「なっ…………コリンズ!?」
「へっ…………!?」
「ど、どういうことなの?」
黙って聞いていたアリスたちにも動揺が走る。
さっき、当の本人と話したとこだぞ!?
「さすがにショックでしたか」
マーズは目を伏せる。
「ち、違う!!!!」
思わず大声が出た。
「俺たち辺境伯が刺されたって話を、そのコリンズに聞いてここに来たんだ!」
マーズさんはポカンとしてから言葉を飲み込んだ。
「……な、何ですと!?」
「その時の状況を詳しく聞かせてほしい!」
「コ、コリンズは主様を朝食の席で話し掛けると見せかけ刺しました。あの男は昔から主様と旧知の仲で、私たちも信用しておりまして……!」
「その後コリンズはどうしたんだ?」
「4階の窓から飛び降りて逃げました」
「4階…………」
チラッと窓の外を見るが、一般人には無理な高さだ。
「コリンズについて、何か情報は?」
「それが……ごく普通の平凡な男です。町に妻も子供もおります」
ますます理解できない。
「その後、私達は即座に主様の治療に移りました。逃げたコリンズは屋敷の者が追いましたがお恥ずかしながら、見失ってしまいました」
マーズさんは悔しそうに視線を落とす。
「逃げたってんなら……なんで、コリンズはさっき普通に仕事をしていたんだ?」
「ど、どういうことでございますかな?」
動揺を見せるマーズさん。
「それがーーーー」
俺たちはフィルが刺されてコリンズがやってきたことを話した。
「…………狂人としか、思えません」
「ただの賊ならすぐに町を出て逃げるはず…………奴は見つかっても逃げ切る自信があったのか? だが妻子を町に残して逃げるとも思えない」
わからん。というより奴のことが理解できない。
「…………まだ、事件のことは公表していないのよね?」
アリスがマーズさんへ尋ねた。
「はい、先程ギルドへ治癒士の要請に向かったところでしたから、まだ誰も知りません」
まだ捜索は継続中で、町の出入口は当然押さえてあるはず。
ギルドに伝わればあの厄介な腹黒ギルド長だって動く。名前と顔まで割れていれば捕まるのは時間の問題だ…………だが、やはりしっくり来ない。
「理解できないのは町の領主を、職務上の上司を刺して逃げたのに、その後仕事に戻るという部分…………」
単に狂ってるのか、サイコパスなのか。行動の意図が全く読めない。
「あまりにも不自然ね。何か理由が…………」
アリスでもわからないようだ。
その時、バタバタと客室へ近付いてくる足音がきこえてきた。
バタン!
かなりの慌てっぷりで叫ぶように報告する使用人。
「マーズ様! コリンズの死体が見つかりました!」
「「「はぁ!!??」」」
「何ですと!?」
わ、訳がわからん…………!
「それが、腐敗具合からして死後1週間以上経過。宿の主人が異臭に気付き、屋根裏で発見されたとのことです!」
「1週間!? ならあのコリンズはいったい誰だ?」
「それって別人がコリンズに成り代わってたということ? 職場の人にも、家族にも疑われることすらなく1週間ずっと……!?」
アリスが声色に恐怖をにじませて言った。
そんなこと可能なのか?
【賢者】完全に不可能とは言えません。
どういうことだ?
【賢者】まだ見ぬユニークスキルの可能性が捨てきれないためです。
なるほど。確かに…………ユニークスキルならあり得るか。
「双子だったのかな?」
レアが腕を組んでムムムと考え込みながら答えた。レアが知恵熱をだしそうだ。
「いえ、彼にそのような話は聞いたことがありません」
マーズさんは双子説を否定した。
1週間前からと言えば空間魔法の練習に町の外へ出た時、声をかけてくれたコリンズはすでに別人だったということか? どこかで俺を知ったのか?
「それに、このタイミングで暗殺に踏み切ったのは何故だ?」
「主様の動きを監視していたが不要になった……もしくはまったく別の要因で彼らにとって何かが変わった。何らかの条件を満たしたのかもしれません」
思い返せば、ここ最近のコルトの動きは激しかった。火竜にバケモノ、剣闘大会に、町への不法侵入…………。
「そうだな…………1週間前という時系列からしても本物のコリンズを殺した犯人は町への侵入者2人の可能性が高いかもしれん」
「でも、もう当然町から出られないんだから後はもう捕まっておしまいだよ」
レアが言った。
「いや、辺境伯を刺した時に一度逃げてる。捕まる気はないってことだ。だから必ず脱出路は確保しているはず…………!」
「あ! そう言えば今日コリンズは仕事で隣町に出掛けるって言ってなかった!?」
アリスが気付いた。
「そうか! 仕事をするフリをしたのはそれが目的だったか…………くそ、逃げられた!」
何も知らない町の人たちは何一つ疑うことなく、コリンズを門で通しただろう。
「要は、偽コリンズは辺境伯を殺害した後、時間が来るまでのうのうと働き、仕事を利用して堂々と町を出ていったというわけか。確かにその方が怪しまれない。いったいどれだけ図々しいんだ…………!」
「この相手、相当頭がキレるわよ。厄介ね」
アリスが額に汗を浮かべた。
「なんだか、魔物とは別の恐さを感じるね…………」
レアもそう感じたか。
「でも、完全に逃げられた。やられたよ」
完全に犯人の計画通りだった。フィルの工房で、目の前にいたのに何一つ気づくことなく逃げられた。あの時、内心では笑い転げていたんだろう…………。
場に重々しい空気が立ち込めたところでアリスが口を開いた。
「…………いいえ。取り逃がしたのは痛いけど、負けてはいないわ」
皆がアリスに注目した。
「え? どういう意味だ?」
「あなたがこの町にいたからよ」
アリスが俺を指差して言った。
「俺?」
「だって辺境伯は生きているもの。コリンズは100%死毒で辺境伯は亡くなる。そう確信して、嘲笑うためユウにこのことを話したんじゃない?」
「ああ、なるほど」
もしくは俺たちをフィルの工房から離れさせたかったとか?
それから、ふふんと得意気にアリスは続けた。
「刺した当人も、あの毒を治療できる者なんているとは思わなかった。でも、ユウはコリンズの想像を超えてきた…………! 奴のもくろみは失敗ね」
「ざまぁみろだよ! ユウはスゴいんだから!」
「なるほどな…………」
俺らがコリンズを偽物だと思わなかったのと同様、コリンズはどんなに手を尽くしても辺境伯は助からないと思っていた。要するに犯人は勝手に油断し、勝手に騙されたわけだ。
「あ」
…………閃いた。要は相手を油断させれば良い。昔から映画や小説でよくある手だ。
「なぁマーズさん、辺境伯に提案したい。今後その敵対貴族とやり合うなら、辺境伯はこのまま死亡扱いにした方が動きやすいんじゃないか?」
辺境伯なら、ノってくれそうだ。
「なるほど…………!」
マーズさんが考え込んだ。
「ふむ、確かにそうですな。町はパニックになるかもしれませんが大義のため…………主様が目を覚ましましたら相談してみましょう」
マーズさんはふふっと笑った。
「ああ。逆にこれはチャンスだ…………!」
執事は驚いた表情をした。
「ふふっ、そうですな」
そして深くソファに腰掛けなおすと微笑みながらゆっくりと、丁寧に話し出した。
「主様はある時、『鍵になる冒険者を見つけた』と大変喜ばれておりました。その冒険者は剣闘大会で何と、Fランクにしてあのカイル様と引き分けたというのです。なんとしても味方に引き入れたいとおっしゃっておりました」
ああ、あの頃にジークの目に止まったのか。
「そして、ついには火竜をも討伐し、このたび主様の命を救っていただきました。なんとお礼を申し上げて良いか…………」
マーズさんは涙ぐんだ。
「いいって」
「主様は間違っておりませんでした。ユウ様は大きな力を持ちながら、おごることなく人々のためにその力を使ってくださります。その志が変わることのないよう、私共は願っております」
「ああ、その心配はいらない。俺は人のために力を使う。これは信条だ」
デリックとの約束を果たすためにもな。
「その言葉、心より承りました」
ガコン…………!
扉が開く音がして、後ろを振り返ると、使用人たちが続々とこの応接室へと一糸乱れぬ動きで続々と入ってくる。さらには、屋敷のエントランスホールにまで集まっているのが見える。
「私マーズは非常事態における主様不在時の全権限を預かっております。この場において宣言します」
マーズさんはゆっくりと息を吸い込んだ。
「私共は大恩ある『ワンダーランド』を全力で支援することを、ここに誓います」
ザッ…………!!!!
使用人たちが一斉に膝まずき、頭を垂れた。その中にはアニーの姿もある。
「よろしいですかな?」
マーズさんはにっこりと微笑んだ。
「え……? えと………………………………あ、はい」
読んでいただき、ありがとうございました。
良ければブックマークもしくは評価、感想等お待ちしております。
※修正済み(2024年2月3日)