第3話 ゴブリン
こんにちは。宜しくお願いします。
1週間が過ぎた。
今日も午前中はスライムなどの魔物を狩り、午後からは図書館で情報収集とエルの相手だ。自然とこのサイクルに落ち着いてきた。
晩ごはんを食べた後、デリックに前から俺が気になっていたことを聞いた。
「デリックは…………俺が、どこの誰か気にならないのか?」
僕はおそるおそるデリックの顔を覗く。
「なんだユウ、お前そんなこと気にしてんのか?」
デリックは片眉を持ち上げて言った。
「ま、まぁそりゃあ。普通気にするだろ…………」
ボソッと声が小さくなった。
「いいか? お前を信用する理由は3つある!」
デリックは手を付き出して指を立てながら言う。
「まず、悪人はこの湖には近づけない。そして悪人にエルはなつかない。あとはまぁ…………俺の勘だ!」
デリックはニッと歯を見せた。
最後は勘かよ…………。そう心の中でツッコミながら感謝の言葉が自然と口からこぼれた。
「ありがとうな」
何も知らないこの世界に来て、最初に出会った人がこの人で良かった。身元不明な俺を信用して雇ってくれたこの人には大恩があるな。
…………あ、畑のおじいさんが最初だっけ?
「気にすんな。その代わり、しっかりこの店の宣伝してくれよな。なっはっはっは!」
デリックは大きく口を開けて笑った。
「それくらいは任せとけ」
「…………それにな。うちは子供がいないから俺とミラからすりゃ、お前は世話のやけるガキみたいなもんだ」
デリックは優しい笑顔を見せた。
そっか…………デリックとミラさんは俺のこと、そんな風に思ってくれてたのか。
とても温かい気持ちになり、目頭が熱くなった。思わず腕で目を隠すと、
「…………お? 泣くのか?」
デリックが下から覗き込んできた。
「ガ、ガチでうぜぇ…………」
言葉と同時に手が出てしまった。
「ぐはっ!」
頬に拳が直撃し、殴られた場所を押さえながらわざとらしく転げるデリック。
「はははは!」
自然と笑いが込み上げてきた。
最近はミラさんとも大分打ち解け、本当の家族のように話せるようになっていた。それに、町の人たちにもそれなりに顔を覚えてもらえてるようだ。
「ありがとうなデリック。ミラさんにも後で礼を言っておくよ」
「いいってこった」
そうヒラヒラと手を振ってデリックは翌日の料理の仕込みに戻って行った。
温かい気持ちに余韻を感じながら、部屋に戻って今日の成果を確認する。これがこの1週間の成果だ。
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名前ユウ16歳
種族:人間
Lv :6→15
HP :45→120
MP :70→210
力 :45→95
防御:29→76
敏捷:61→187
魔力:75→255
運 :10→50
【スキル】
・鑑定Lv.2→5
・剣術Lv.1→3
・探知Lv.1 NEW!!
【耐性】
・混乱耐性Lv.1
【ユニークスキル】
・お詫びの品
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ユニークスキルのおかげか、どんどんステータスが伸びていく。レベルを上げるのが楽しくてたまらない。しかも気付けば、初めて見るスキルがある。
探知:半径10m以内の生き物の気配がわかる。
ほぉ、これは冒険者には必須のスキルだろう。草原で魔物を探すのに苦労しないですみそうだ。
試しに探知を発動させると、宿内の人間の方向と距離が感じられた。
「うん…………これはいいな」
スキルレベルを上げたいので常に発動しておくようにする。
鑑定も常に使い続けているためか、もうLv.5だ。おかげでさらに詳しい鑑定もできるようになった。剣術スキルもレベル3になり、ゴブリンなら2体並んでいても両断できる。
後は、この有り余る魔力をなんとかできないものか。利用しないともったいない。魔法が使えるようになれば戦術の幅が広がるし、もっと余裕を持って戦えるようになるんだが…………。
「うーん」
あごに指を当てながら考える。
なんせ、この世界に来てまだ魔法を見たことがない。そもそも『魔力』ってなんなんだ?
「あ、そうか…………!」
レベルの上がった鑑定を使ってみよう。
【魔力】『身体の中を循環するエネルギーであり、魔法の燃料となるもの』と定義されている。魔力が大きいほど、同じMP消費量でも魔法の威力が大きくなる。
魔力は出力、MPは魔力の保有量を表す。世間一般で言われる魔力とは、ステータスにおける「MP×魔力」のことを言う。
なるほど…………。どうやら魔力は身体の中にあるらしい。なんとか感じられないだろうか。
目を閉じ、ベッドの上にあぐらをかいた状態で自分の身体に意識を向けてみる。
「一体どこにあるんだ…………!」
30分経過……わからない。
1時間経過…………根気よくやってみる。
2時間経過……………………眠たくなってきた。
3時間経過………………………………ぐーぐー、ぐーぐー。
「寝てたっ!?」
頬をペシンと叩いて頭を起こす。
落ち着いてもう一度思いだそう。確か身体を循環しているとかなんとか…………。身体の中を巡っている、と言えば血液か?
血液のようにザラザラと勢いよく体内を流れているイメージで魔力を探ってみる。
「ん?」
なんとなくだが、血液とは別の身体を巡る力を感じた。
「これ、か…………?」
それからその感覚を逃さないように探っていると、なんとなくではあるが魔力というものが掴めてきた。どうも心臓を中心に体内をそれはもう、ゆっっっくりとグルグル巡っているようだ。というかもうほぼ停止しているため、これが魔力だと気づく人はいないかもそれない。
だが、間違いなく謎のエネルギーが動いている。それで確信した。
「見つけた! これが『魔力』だ…………!!」
自分で見つけた突破口に達成感が溢れ、魔法への進歩に思わず拳を握り締めた!
「これで魔法が使える!!」
ステータスを見るとスキル「魔力感知」を取得していた。
「よしっ!!」
魔力感知のおかげで、前は何も見えていなかった魔石を使ったランプの周りに、立ち上るような薄い赤色の魔力が見えるようになっていた。
「ふむ…………」
ただ、魔力感知で魔法が使えるようになるとは思えない……。他にも何かが必要なのかもしれない。
それに、魔力は循環する力とは言うが、ほぼ動いていない。これが普通なのかわからないが、もっと動かないものだろうか。自分の魔力であるならばコントロールだってできるはずだ。
というわけで、今度は自分の魔力を動かしてみることにした。
まずは、とにかく流れを速くしたい。血液が流れるイメージを自分の魔力と合わせる。すると、少しずつだがドロドロとしていた魔力がサラサラと流れるようになってきた。動かしていくと身体が熱を帯びるように熱くなってきた。
だが、一気には動かせないようだ。しばらくは根気よく続けることが必要だろう。
それから、魔力感知を使いながら夜な夜なひとりで自分の魔力を動かし続けた。
◆◆
月が沈み、陽光が窓から射し込み始めた頃。
コンコン。
「ユウちゃん朝よ!」
ガバッ! と起き上がる。
ミラさんの声で目が覚めた。
「は、はぁいミラさん」
…………いつの間にか寝てしまっていた。
昨日は寝ている間にも魔力感知も探知も使いっぱなしだったため、レベルが上がったのか、昨日よりもはっきりと気配が感じられる。
「おいユウ! 仕事だぞ!」
デリックも来た。
あー、ミラさんみたいに優しく言えないもんかな。
「あぁ、今行く!」
返事しながら、ステータスと念じる。
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名前ユウ16歳
種族:人間
Lv :15
HP :120
MP :210→238
力 :95
防御:76
敏捷:187
魔力:255→279
運 :50
【スキル】
・鑑定Lv.5
・剣術Lv.3
・探知Lv.1→2
・魔力感知Lv.2 NEW!!
・魔力操作Lv.2 NEW!!
【耐性】
・混乱耐性Lv.1
【ユニークスキル】
・お詫びの品
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予想通り、『魔力感知』と『魔力操作』のスキルを手に入れていた。そして魔力を動かしたおかげか、魔力関連のステータスが成長していた。今後はこのトレーニングも1日のサイクルに入れていこう。
1階に降りていくと、デリックがいた。
「ユウ、今日は何か料理に使える肉を取ってきてくれ。といっても無理はするなよ。まだ戦うことに慣れていないんだからな」
慣れていないとは言ってもステータスもかなり上がったことだし、心配いらないだろう。
「大丈夫。俺は順調に強くなれてる」
最近はレベルが上がり余裕が出てきたとこだ。
「お前、そういう時こそ危ないって知らないのか? 気を付けろよ?」
デリックが眉を寄せながら心配してくれている。それくらい俺だってわかってる。
「問題ないって。それより肉の食べられる魔物ってどんなのだ?」
「まぁ別に魔物じゃなくてもいい。うさぎやネズミ、後はこの辺だとアグボアだな。ま、アグボアはクレーターの境界くらいまでいかなきゃ出ないが」
「アグボアってのは?」
「イノシシのような魔物だ。こいつが旨くてな。魔物は肉に魔力を含んでいるから動物よりかなり旨いんだ」
「へえ、そりゃ是非とも食べてみたいな。わかった、とりあえず何か肉をとってくるよ」
「いいか? 絶対に無理はすんなよ!」
念を押すように俺を指差してデリックは言った。
「わかってるって!」
心配するデリックをよそに店を出る。
あの心配の仕方、まるで本当に俺がデリックの息子みたいだ。
◆◆
町の出口に向かう途中、色とりどりの花束を抱えたエルに出会った。
「あ、お兄ちゃん!」
花束を脇に挟んで全力でブンブンと手を振っている。嬉しそうだ。
「エル、珍しいなこんなところで」
「うん。今日、図書館は休館日だよ。お父さんとお母さんのお墓参りの日なの!」
寂しそうに笑うエル。
そもそも笑えるわけもないのにな…………。
「ああ、それで花を…………また俺も参らせてくれよ。エルには世話になってるからな」
なるべくエルには哀しい顔をしてほしくない。
俺がニッと笑うとエルもニコッと返した。
「うん、待ってる! お父さんとお母さんも喜ぶと思う!」
エルは花束をギュッと握りしめた。
「おう。ああそうだ。今日は昼から行けるかわからん」
ポリポリと頭をかきながら言う。
「ええ~!? 来てよ! こなきゃヤダよーっ!!」
案の定エルはごねた。目をウルウルさせて見つめてくる。
「あー…………うん、行けたらな?」
「えへへ! 絶対ね!」
そう信じきってる笑顔で言われたら仕方ない。ちょっとだけ顔出してやるか。
「はいはい。じゃ後でな」
「うん!」
◆◆
エルと別れてから町の後ろ側をクレーターの外に向かって進んでいく。
約束したことだし、今日は午前中に仕事を終わらせたらエルのところへ行って魔法について勉強しよう。しかし、デリックにあんな話を聞かされたら、アグボアを狩らないわけにはいかないじゃないか。旨そうだな。
「アグボア、アグボア…………」
アグボアを探しつつ、スライムとゴブリンを倒して魔石を回収しながら進んでいく。もはやスライムは敵じゃなくなっていた。しかも探知と魔力感知をとったので、周りを警戒することに注意を割かなくてすむ分、大分楽になった。
かなり歩いた。クレーターの縁まであと50メートルくらいまで近づいたころだろうか。30メートルほど先の草が少し風とは違う揺れ方をしたように見えた。
「またスライムか?」
良く目を凝らしてみるがわからない。
その瞬間、肩に突き抜けるような衝撃を受けた。
…………ッ、ドスッ!
「ん?」
なんだろうと右肩を見てみると、鎖骨の少し下当たりを矢が貫通していた。
へ?
それを見た瞬間、自分の身に起きたことが理解できなかった。それでも、コンマ数秒後に来るであろう痛みは想像できた。
「あ、あ…………あああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ!!!!」
肩を押さえて痛みに天を仰いだ。
痛い! 痛い! 痛い! 痛い! 痛い!
焼けた鉄を押し付けられたとか、そんなもんじゃない!!
抜いたらいいのか!?
ぬ、抜けない! 返しがついてる!
肩の筋肉がズタズタだ。血が…………!
ど、どうし……たら…………!?
「そうじゃない…………これは攻撃だ!」
痛がる暇はない。おそらくすぐに次が来る!
痛みに慣れていないため、混乱状態の頭を必死に働かせる。
「か、考えろ!! どこ…………からだ!?」
見ると、先程揺れた草のあたりからいやらしくニヤニヤしたゴブリンが弓を放ったあとの格好で顔を出していた。その距離20メートルほど。
人に矢を刺しといて笑うんじゃねぇええ!
「おまえかああああ!!!!」
出血と痛みによる不安、追撃されるという焦りから、ゴブリンに向け走りかかる。だがその瞬間、探知に4つの影が反応した。俺を取り囲むように走ってくる。棍棒をもったゴブリンが3匹、錆びた剣をもったゴブリンが1匹だ。
「しまっ……!!」
だが、すでに囲まれている。
最初に剣のゴブリンが飛びかかって斬りかかってきた。動きが速い! しかもまだ肩の痛みを訴え続ける頭のせいで思考がまとまらない! とっさに剣を前に出し、防ごうとする。
ガッ…………!
「ぐっ…………!」
突進からのジャンプで勢いのついたゴブリンの剣を剣で受け止める。剣から伝わる衝撃で、肩の傷に激痛が走る。
「グギャギャ!」
剣ゴブリンはニヤリと笑うと、俺の肩に刺さったままの矢を押し込むように空いた手で殴った。
「ぐっ…………わぁああ゛あ゛あ゛あ゛!!!!」
あまりの痛みに、後ろへ尻もちをついた。
こ、こいつ…………狙ってやったな! 今までのゴブリンとは違う!
尻もちをついたまま、さらに斬りかかるゴブリンを足で蹴飛ばす!
「グギャッ!」
とりあえず追撃は免れた。
そこへ他のゴブリンたちが迫るが、肩の矢が邪魔をして右腕が思ったように動かない……!!!!
「うごけ……よっ!!」
このままだと死ぬ……気合い入れろ俺!!
左手で貫通した肩の矢を折る。そして覚悟を決め、一気に引き抜いた!
ズボォッ…………!!
鎖骨下の太い血管を傷つけたのか、血がブシュッと噴き出し流れ出す。服を温い液体が濡らしていく。
「ぎっ…………いっ……………………つっ!」
歯を食い縛り、息を止めながら痛みをこらえる。
「はぁ、はぁ…………」
血は出ているが、これで動きやすくなった。両手で剣を握り、正面から来る2匹のゴブリンの棍棒に備える。
「ここは異世界! 誰かが助けてくれることはない。殺されるくらいなら、俺が先に殺してやる!!」
1匹目の棍棒は真上から降り下ろされた。
剣の真ん中で棍棒を受け、そのまま手首の力を抜きながら剣先まで滑らす。
「あぶっ!」
剣術スキルのおかげか、なんとかいなすことができた。だが、正面のゴブリンの棍棒は防げたものの、まだ1匹その後ろにいる。
それに俺の後ろにもう1匹いたはず…………!!
後ろのゴブリンに意識を向けようとするが、遅かった。
後頭部に衝撃が…………。
ガンッ……………………ッッッ!!
「がっ…………!!!!」
一瞬意識が飛ぶ。頭を殴られ、脳が頭蓋骨の中で何度も揺さぶられ、打ち付けられる。その衝撃に記憶が混濁。
あ、るぇ? お、れ…………死んだ?
後頭部をこん棒で打ち抜かれ、頭が前に下がる。目の前が点滅し、良くない強烈な吐き気が来る。
その直後、もう一発背中に強烈な衝撃が走った。
ドガンッ!!
「うっ…………!!!!」
背中への衝撃でのけ反り、そのまま草原に顔から突っ込んだ。
ステータスを上げておいたおかげか、奇跡的に動けなくなるほどではないと思う。だが頭から出血と、多分殴られた時にあばらが1本折れた。
ヤバい、ヤバいヤバい! 死ぬっ!!!!
「誰か…………きゅ、救急車!!」
ち、違う! ここは日本じゃない! しっかりしろよ俺!
頭へのダメージで意識がまだ混濁していた。未だ目の前が赤と黒で埋め尽くされ、チカチカしている。平衡感覚がおかしい。
キーーーーーーーーーーーーーーーーー…………ンンンンン。
「ああ………………………………だ、めかも」
ひどい耳鳴りがして、意識が深いところに沈もうとしていた。
(ユウ!)
「だ、だ……れ?」
誰かの必死な声が聞こえ、無意識に聞き返した。
声を出すと、自然と意識が戻ってきた。
ね、寝たままだと、ダメだ! このまま殺されるのが目に見えてる……!
腕を突っ張り、必死に身体を起こす。震える右足に力を入れる。
ふら…………つく。真っ直ぐ立て、ない…………。
と、とにかく、奴らを殺さなければ!
「あい、つらは…………ど、どどこ…………だ?」
時間が経過して、少し落ち着いてきたようだ。視界に、今いる草原が見えてきた。
「グキャギャギャ! ギャギャ!」
4匹のゴブリンたちは俺がもうおしまいだと思ったのか、攻撃を止め、俺を囲んでは指差して笑っているようだ。幸い、奴らは油断し、俺の剣の届く距離にいた。
俺はまだやれる! ここしかない…………!
自分を奮い立たせ両手で剣を握り締める。そして、近くにいた剣ゴブリンめがけ、右から横なぎに振った。
「ギッ…………?」
そいつがどうなったかを見る間もなく、振った勢いを遠心力につなげる。左足を軸にして身体を回転させ、2匹目のゴブリンを袈裟斬りにした。
そこでようやく3匹目の棍棒ゴブリンがこちらに気付く。
「ギャギャギャギャ!!!!」
棍棒を握って俺に向かってくる。
俺は剣を振り下ろした後、下からなぞるように斬り返し、逆袈裟斬りにした。伊達に剣術スキルレベル3は仕事をしていない。
これで3匹殺った! 残りは棍棒1匹に、弓矢1匹…………。
3匹目のゴブリンへ、剣を振り抜きながら考えていた矢先、左脇腹へ棍棒がめり込んだ!
ドボッ…………ゴキ!!!!
「ごえっ!」
こっ、このゴブリンは腕力がある! あと1発でもくらうのは本当に…まずいっ!! 死ぬっ!
まともに入った棍棒は俺の肋骨を2本へし折り、それが肺に突き刺さったのだろうか。一気に顔の血の気が引いた。
息がっ……吸えない…………!
「ひゅっ、ひゅーっ、ひゅーっ!」
必死で空気を掻き込むと、胸の激痛と血の味がした。
目の前がかすんで、はっきり見えない。なんだかぼやっとして輪郭がはっきりしない。
でもゴブリンのような緑色の形が動いているのは見える。汚らしい声も聞こえる。血が抜けて逆に頭は冴えてきたようだ。
よく見ろ。力はあるが、あのゴブリンに大した技術はないはずだ。
奴は右手で持った棍棒を真横に振りかぶった。
わかる! 横への大振りだ…………!
タイミングを見て上体を後ろに反らす。棍棒はブンッと風切り音を鳴らして、鼻先スレスレを通過した。
避けられた! ここだ!
反らした上体を戻す勢いで、剣を前に突きだす……!!
「ギャッ…………」
ズププッ!
俺の剣はゴブリンの胸を貫通した。剣を引き抜くと、血を吹き出した後、仰向けに倒れて痙攣し始める。
「あと1匹…………」
倒れたゴブリンから顔を上げた瞬間、
ドスッ…………。
右足太ももに裏側から矢の先が突き出た。ガクンと足から力が抜ける
「い゛っ…………!!!!」
刺さった矢から方向を推測すれば…………いた! さっきの弓ゴブリンだ。
「ま゛た…………おまえかああ!」
痛みをこらえ、足を引きずりながら先ほどの剣ゴブリンの錆びた剣を拾う。
そしてその剣をがむしゃらにそいつに投げつけた。
ブンブンと回転しながら飛んでいく剣。
「ギャッ!」
まだ目がハッキリと見えないが、悲鳴が聞こえたということは弓ゴブリンに当たったようだ。
「はぁ、はぁ…………まだ…………く、るか……?」
草原に身を屈めて弓ゴブリンの反撃に備えるが、逃げ帰ったのか追撃はない。
だが、俺にそれ以上追いかける気力はなかった。そして、心の底から安堵する。死という恐怖から解放された。
「はぁ、はぁはぁ、はぁはぁ! 死ぬ…………がと思っだ! う゛ごぼっ……ごほっ! ううっ、おええええええええええええええ!」
ベシャベシャ、ベシャッッ…………!
堪えていたが戦闘が終わり、緊張が解けたからだろう。我慢できずに口から血の塊を吐き出す。肺を傷つけたため、大量の血が出てきた。肩と太ももからの出血も止まらない。周りは俺とゴブリンで、血の海だ。
ヤバい…………想像以上に血が! このままだと……。
そう思った瞬間、ゾッとするほどの死の恐怖が再び舞い戻ってきた。
「じ、邪魔っ、だっ…………!」
歩きにくいので太ももに刺さった矢を抜くと、更に出血がひどくなった。力が本当に入らなくなってきている。剣を握る手も力を入れようとすると震えるだけだ。
「ま゛ぢに……戻らないと…………! ゲホッ、ごひゅっ!」
剣を支えに歩き出すが、呼吸すらままならない。息を吸おうとするが、肺に痛みが走って深く吸えない。
今ステータスを見たら、着実に死へ近づいてるだろう。必死で血の吹き出る足を引きずっては町を目指す。
「ぐるな゛あああああああ!!」
相手にする必要のないスライムにさえも剣を振り回し、必死に追払う。
湖が…………遠い。
死は着実に迫っている。
矢に毒を塗られていたのか、出血が多すぎるのか、もはや目の前が霞んで。ほとんど見えない。視力が失われてきていた。体がじわじわと熱を持っている。
ザク、ザクザクッ。
地面を踏みしめるが、なんだかフワフワして歩いているのか、足が地についているのかさえ、わからなくなってきた。
あれ? 俺、死ぬのかな?
周りの音が、他人事のように遠くに聞こえる。
喉が…………無性に喉が渇いた。
「みじゅが、ほしい……! カラカラだっ…………」
喉の渇きを癒したくて一心不乱に歩く。
気付けば、湖が見えていた。
「み゛ず……水だっ…………!!!!」
足、お願い、動いて…………。
自分の足にそう願い、血を滴らせながら歩いた。
なんとか湖にたどり着くことができた。すぐさま湖に頭を突っ込み、ゴボゴボと水を飲む。
「ごほっ、こほっ!」
水面がじわりと赤く染まっていくーーーーーー
これ…………全部俺の血?
水に写った姿は血の気を失い、文字通り死にそうな青白い顔をしている。
ふと頭に違和感があり、そっと触ってみる。
棍棒で殴られた後頭部が大きく、陥没していた…………。
…………うそ、だ。
俺、なんで、これ、で生きてるんだ…………?
あはっ、あははは!
なんだ、か…………温かい。
急に、ねむいな。
あ、そうか。これ、で、前の世界に……。
デリック、ミラさん、今まで、ありがとう。
何も、見えなくなった。
◆◆
夢を見た。
田舎のアパートで誰かと暮らす、楽しい夢だ。
誰かに手を握られた。
そんな気がした。
◆◆
目を開けると、満天の星空が広がっていた。無数の銀河がより集まったように、キラキラと輝いている。
「すごい……………………!」
俺は仰向けに湖のそばに横たわったままだった。
ため息の出る美しさとはこのことだ。
そしてふと、今までの記憶を思い出した。
…………あ、れ? 俺、は…………生きてるのか?
肩の傷を確認すると、傷が消えていた。それどころか太ももの傷も、頭の陥没も。呼吸も楽になっており、傷が全て治っていた。
なんで?
誰か…………魔法とかで、治してくれたのか? それとも夢だったのか?
でも
「いったい誰が…………?」
手の中に何かを感じ、開いてみると赤い髪止めがあった。
なんだこれ……?
なぜだろう。妙に、どうしようもなく、どうしようもなく懐かしい、寂しい、そして愛しい感覚がして、涙がドバッと溢れてきた。感情も涙も止まらない止まらない。
「あ゛ああああああああああああ!!!!」
俺の絶叫が夜空に響き渡った。
◆◆
落ち着いてから、俺は血塗れの服と体を湖で洗い、町に戻った。半日は気を失っていたようで、店の食堂は閉店直後だった。
「デリック……………………すまん。今戻った」
「ユウ!!」
店の前で焦った顔でキョロキョロとしていたデリックが俺に気付いた。俺をじっと見ると
「………………おう、遅かったな! 獲物はどうだ? お前にはまだ早かったか。なっはっは! まぁ1回くらいで気を落とすな。次頑張りゃいいんだ!」
そう早口でデリックは言った。
「まぁそんなところだ。俺の仕事なのに、すまん。明日はなんとかする…………」
デリックの顔を見ずに、ふらつく足取りで自分の部屋へと向かう。
「いや…………ああ。明日は大丈夫だ。休みをやろう。しっかり休めよ」
後ろからそんな声をかけられた。
それから、部屋のベッドに突っ伏して、助かった安堵でもう一度泣いた。
「本当に死゛ぬ……かと思った!!」
なぜか下の階からデリックたちの言い争う声が聞こえてきた。
その後、お手洗いに行こうとしてドアを開けると、お粥が置いてあり、さらにもう1回泣いた。
デリックには、バレていたんだろうか。
でも、よくわかった。前の世界のように誰かが助けてくれると思っていたら次は本当に死んでしまう。
ーーーー強くなろう。
そう心に誓った。
ありがとうございました。感想等あればお願いします。