第2話 仕事
こんにちは。宜しくお願いします。
深い眠りの底から浮かび上がるように、ぼんやりと目が覚めた。知らない世界へ来た心細さに、知らないうちに体を抱いて眠っていたようだ。
「夢じゃ、なかったか…………」
窓から差し込む青白い月明かりが、洋風テイストで素朴な部屋を照らしていた。まだ外は暗く、朝日も昇っていない。凝り固まった身体をほぐすように首を回し、ベッドに腰かける。そして湖に映る大きな月を見ながら昨日のことを思い出した。
寝床と食は、店主のおかげでなんとかなりそうだ。仕事への不安はあるが、良い人そうなあの店主なら無茶なことはさせないだろう。しばらくはあの人に世話になろう、そう思う。
まずは、記憶が戻るきっかけを探しながらこの世界での生き方を見つけたい。正直、家族や友人のことが思い出せないのは辛い。俺にも大切な思い出があったのかもしれない。だから、記憶は絶対に取り戻す…………!
そう思い、開いた手のひらをギュッと握った。
今後必要なのは自分の能力の把握だ。何ができて何が出来ないか。それがわかっていないといざという時に困る。もう一度ステータス画面を出してみよう。あの時はレベルアップで表示されたが、どうだろう出るだろうか?
「ステー……タス?」
すると半透明のステータスが表示された。
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名前不明 16歳
種族:人間
Lv :2
HP :18
MP :20
力 :17
防御:9
敏捷:16
魔力:20
運 :10
【スキル】
・鑑定Lv.1
【耐性】
・混乱耐性Lv.1
【ユニークスキル】
・お詫びの品
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「良かった! 出た」
ホッとしながら、ゆっくりとステータスを観察してみる。そして思った。
このステータス、かなり低い?
今のステータスならあのブヨブヨのスライムに10回ほど体当たりをくらうと死んでしまう。そんな簡単に人って死ぬのか?
いや、よく考えれば前の世界でも階段から落ちただけで死ぬこともあった。それがこの世界では数値化されて、より顕著に見えるだけなのだろう。やっぱり人って脆かったんだな。
考えようによってはHPがわかるのは意味良いことだ。レベルが上がれば目に見えて死ににくくなるということだしな。スライム3匹でレベルが上がるなら、俺のユニークスキルがあれば簡単にもっと強くなれる。まずは強くなって、この世界で自分の身の安全を確保しよう。
そこまで考えて、ちょうどドアをノックする音が聞こえた。
おそらく店主だろう。
ベッドから立ち上がりドアを開けると、やはりあの厳ついおっさんが立っていた。
「おう、起こしてやろうと思ったが起きてたか。よく眠れたか? まずは下で朝飯を食べよう」
店主のおっさんが親指を立てて、クイクイと1階を指す。
おっさんに続いて1階に下りてみると、5人ほどすでに朝食を食べている客がいた。全員、剣や槍を持っている。後で聞いた話、この町周辺の魔物を倒すことを仕事としているこの町唯一の冒険者パーティらしい。
俺がパンとベーコンの朝食を食べ終えると、店主が俺の向かいにドカッと座り、俺の顔をじっと見ながら話しかけてきた。
「昨日は言い忘れてたが、俺はデリックという」
「俺は……」
まだ自分の名前が思い出せていないことに気付き、言いよどむ。デリックと名乗ったおっさんから目をそらして考えた。
俺は、俺の名前は…………どうすれば。
いやもういっそ、自分で考えるか! とりあえず、そうだな……。
ーーーーユウ…………。
「ユウです」
ふと頭に浮かんだ名前を名乗った。
「そうか。ならユウと呼ばせてもらうぞ?」
「はい」
「昨日話した仕事だが、新米のお前に任せられる仕事は2つ。1つ目は薬草の採取。2つ目は魔石の調達だ」
薬草くらいなら俺でもなんとかなる。魔石も、ここへ来るときにスライムを大分倒してきたし、問題なさそうだ。大したことなさそうでホッとする。
デリックはポリポリと頬をかきながら続ける。
「初めは魔物を狩ってもらおうかと思ったんだがな。肉が取れる魔物となると結構湖から離れないかんし、魔物のレベルも高い。ユウ、お前あんまり魔物を狩ったことないんだろ?」
おお、なんでわかった? 知ったかぶりをするより、ここが聞くタイミングだろうな。
「あ、はい。昨日ここへ来る途中初めてスライムを倒しました。それが……今までステータスもきちんと見たことがなくて、そのあたりのことも教えてくれると助かります」
申し訳なさそうにお願いしてみた。
「おいおい、その年で初めてかよ。貴族のぼっちゃんか? いやそれか、まさかな……………………」
デリックがぶつぶつ言いながらこちらを見てくるが何を言ってるのかよくわからない。ただ聞こえた単語から、この世界に貴族がいるらしいことはわかった。
それからデリックについでとばかりにこの世界の魔物やステータスについて聞いた。デリックが教えてくれた内容は以下だ。
<レベルの上げ方について>
魔石を心臓に持つ『魔物』という生き物を倒すのが最も効率が良い。だがレベル自体は自分の存在を高められる行為なら何でも上がることが確認されている。そのため、トレーニングや模擬戦等でもレベルは上がる。
<ステータスについて>
平均ステータスは一般兵で300前後。これは冒険者で言うところのCランクらしい。もっともスキルが高ければステータス差を覆すことは可能だそうだ。ベテランにもなると1000を越える者もざらにいる。
<スキルレベルについて>
Lv.1:素人
Lv.3:普通
Lv.6:熟練者
Lv.8:達人
Lv.10~:人外
これはあくまで目安で、スキルにも上下関係やスキルが進化することもある。また、世界で保有者がただ1人の『ユニークスキル』というものもあるそうだ。俺の『お詫びの品』もそれに当てはまるのだろう。
<魔石について>
魔石は加工して生活用の火や水、光などを出す魔導具として利用されている。魔石の属性は元の魔物の属性が反映されるため、街灯に使いたい魔石は火属性の魔物、水道に使いたい魔石は水属性の魔物という感じに属性で狩り分けられていた。だが、属性を持つ魔物はランクが高く、昔は生活に魔石を使えるのは貴族くらいだったそうだ。
それが、今から数千年前にゴブリンなどの雑魚から取れる無属性の魔石に属性を与える技術が発明され、人々の生活水準は劇的に発展したそうだ。この町が夜でも明るいのはそのおかげだ。今回もスライムの魔石を何かに利用するんだろう。
デリックは、今はこれだけしか教えてくれなかった。
「あんまりせかせか聞くな。仕事の時間だぞ」
デリックはしっしっと払うように手を振った。
「さて、それで仕事内容だが、薬草はこの湖の対岸にわんさか生えてる。魔石は正直、どんな魔物からでもいいんだが、お前にゃスライムが良い。あんまり湖から離れると魔物も強くなるから離れすぎるなよ?」
「なんで湖を離れると、強い魔物が増えるん……ですか?」
ふと、話の中で気になった部分を聞いてみる。
「ん……? ああ、そこ気になるよな。俺も何故かは知らないが、湖には特別な力があるそうなんだ。強い魔物ほど湖には近付けない。だからこの町のそばには魔物が寄り付かず、塀も柵も必要ない」
ああ、そういうことだったのか。この湖がかなり特別なのはわかった。
「というかユウ、お前スライムは倒せたんだってな。剣も持たずにどうやってスライム倒したんだ?」
不思議そうにデリックが聞く。
「石で殴りましたけど…………?」
聞かれたから普通に答えた。
「石? なっはっはっは! お前は石器時代から来たのか?」
デリックは上を向いて笑いだした。
あれ? これそんなウケるとこか?
「ミラ、聞いたか? 石て!」
デリックが厨房の奥さん? にも首を伸ばして言う。
もうええわ!
「良いじゃないの! 頑張ってる子を笑ったらダメよ」
奥さんらしき女性がデリックを叱る声が厨房の奥から聴こえてきた。
「ふん、ユウは見込みがあるな! よしわかった。この剣を使え」
「剣?」
デリックは店の厨房から両刃の西洋剣のようなものを取りだし、手渡してきた。刃渡りは80センチくらいだろうか。
「ん、知ってるか? これは剣。こうやって相手を斬る道具だぞ?」
そして俺を馬鹿にしたように剣を振る動作をした。だが、妙に様になっている。
「それくらいわかるっ!」
「なっはっはっは!」
ゲラゲラうるさいな。
「この町に魔物は来れないが念のためにおいてた剣だ。それならスライムくらいはやれる。なっはっはっは!」
「うっさいな! ああもうっ。助かるよ!」
ガタン!
そのまま勢いで席を立つ。ムカつくがデリックにはなんだかんだ大きな恩ができた。
「しっかり取ってくるからまかせろよな!」
「おう! がんばれよっ!」
デリックはそう言ってニッと笑い親指を立てた。
「あ、そうだユウ」
行こうとする時に呼び止められつんのめった。
出鼻をくじかれ、若干ムッとして聞き返した。
「何だよ?」
「そう、それでいい。敬語はいらんぞ。かたっくるしくてかなわん」
デリックが心底嫌そうな顔をしながら顔の前で手を振った。
「…………わかったよ」
◆◆
まだ太陽が昇りきらない中、町を出た。
「まずは薬草…………っと」
外に出ても、この町に来る前とはなんだか安心感が違う。心が軽い。この世界にも居場所ができそうだ。親切にしてくれる人に会えて本当に良かった。
湖のふちをぐるっと反対側まで歩いていくと、デリックに聞いていた薬草が群生しているのを見つけた。
その薬草はセリのような見た目で、見た目通り水辺に多い。根は刈り取らずに残しておくと、また生えてくるらしい。
「へぇ、ネギみたいな草だな……」
そんなことを思いながら、カゴにどんどん入れていく。1時間ほどですぐにカゴはいっぱいになった。
「あだだ、腰が」
中腰の作業は辛い。腰に手を当てながら顔を上げてみると、ちょうど朝日がクレーターの縁から射し込み、湖に反射してキラキラと神秘的な風景になっていた。この世界の景色はどこを切り取っても美しい。
◆◆
一度デリックの店に薬草を預けに向かった。ガラァンとドアを開けると、
「あれ? デリックはいないのか……」
店内を見渡すと、厨房からパタパタと駆けてくる足音が聞こえた。
「ごめんね! あの人は今出掛けてるのよ。あたしはミラ。あなたがユウ君ね!」
手をタオルで拭きながら現れたミラさんは、40歳くらいのスラッとしたスタイルで、テキパキと働き気の強そうな感じの人だ。今は料理で邪魔になるのか、そのプラチナブロンドの長髪を後ろで束ねている。
「は、はい。ユウです。あの……薬草を持ってきたんですが」
「あはは、いいのよ。気をつかわなくても」
ミラさんは手のひらを横に振りながら快活に笑った。
「そう…………と、とりあえずほら、薬草!」
ミラさんが美人で別の意味で緊張してしまった。カゴに入った薬草を渡すと、ミラさんは感心したように言う。
「あら、スゴい状態が良いわね。丁寧な仕事はモテるわよ」
ミラさんはからかうようにウインクしながら言った。
「ど、どうも…………それじゃ、次の仕事があるので」
押しの強いミラさんから逃げるように次の仕事に出掛けた。
◆◆
「ふぅ、別の意味で疲れた。次はスライム狩りだな…………」
湖を正面とみて、町の後ろ方向に20分ほど歩くと、やっと魔物の気配が現れだした。
なるほど。これくらい湖から離れないと魔物は出ないのか。この湖が、この世界でもかなり特殊であることは何となくわかる。何が原因でこうなったのだろう。クレーターになってるし、湖の底に隕石でもあるのだろうか…………?
そしてスライム。あの大きさだとどうも草の丈に完全に隠れて見つけにくい。ああ、そういや鑑定があったな。
ポンと手を叩くと、草原を見渡しながら呟いた。
「鑑定……!」
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スライム
Lv.3
HP:5
MP:1
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視界右奥の草葉の影にピョコンとステータスが現れた。
「でた!」
というか、俺、こいつにレベル負けてるのか…………。少しショックだ。だがステータスはかなり低い。
そこで剣を鞘からスラッと抜く。剣の刀身は俺の顔が反射するほどよく磨かれており、両手で持ってみると自分が強くなったような気がした。
だとしても、なんの戦闘スキルもないんだが、大丈夫だろうか…………。まぁ石で倒せたことだし問題ないか。最悪、今度も剣で殴ろう。
スライムはこちらに気づいていない。そのまま草を掻き分けながら忍び足で距離を詰め、剣が届く距離まで来た。
ブヨヨヨ…………ブヨヨヨンン。
ゼリーの身体でプルプルと震えているだけだ。
こっちは背中側なのか? …………てか、目はどこだよ!
とにかく気付かれる前に、振り上げた剣を振り下ろす!
剣はぶにゅっとゼリー体を切り裂き、核を真っ二つにした。スライムはされるがままに左右に分かれ、ぐすぐすと崩れ落ちた。
「ふー、結構神経すり減らすな……」
そう呟きながら核をひょいと拾い上げる。
そんな調子で、どんどんスライムを狩っていった。鑑定をONにし続けると視界に入った生き物の名前が表示されるので、見つけるのが非常に楽だ。そして凝視すると詳しいステータスが表示される。
「ふう」
額の汗を拭いながら空を見上げると、太陽が真上に登って来たので、途中で切り上げて町に戻ることにした。
そして戻りながらステータスを確認すると一気にレベルが上がっていた。
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名前ユウ 15歳
種族:人間
Lv:2→6
HP:18→45
MP:20→70
力:17→45
防御:9→29
敏捷:16→61
魔力:20→75
運:10
【スキル】
・鑑定Lv.1→2
・剣術Lv.1 NEW!!
【耐性】
・混乱耐性Lv.1
【ユニークスキル】
・お詫びの品
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デリックにユウと名乗ったせいか、名前が『ユウ』で表示されていた。
簡単だなー、名前決まるの。
ステータスの方は魔力関係の伸びがやばい。ユニークスキルのおかげか1度に上がるステータスがどんどん増えてきた。そして嬉しいことに剣術スキルを取得していた。スキルもどんどん取得していきたい。
町に戻り、デリックに取ってきた魔石を渡すとその量に驚かれた。44、5匹は倒していただろうか。欠けている魔石が多く、正確にはわからなかった。この辺ではスライムは見つけにくいものだそうだ。これは鑑定のおかげだな。
と思ったが、普通ならレベル差がありすぎてスライムの方が逃げてしまうのだとか。地味にショックだ…………。
「今日やってもらう仕事はこれで十分だ。で、どうだ剣は。使えそうか?」
「問題なさそうだ。さっきで剣術スキルを手に入れた。これで少しは戦える」
嬉しさに舞い上がり、思わずデリックに話した。
「なはは、それは良かった。まぁそもそもスキルレベル1はかなり取得しやすいんだが、その取得の早さは才能かもしれんな」
「ほんとか?」
そう言われると社交辞令だったとしても嬉しい。
「多分な。それとだが、自分のスキルやステータス情報は生命線だ。今みたいに簡単に他人に漏らすのは感心せんぞ?」
デリックは俺の胸を人差し指で指差しながら言った。
「ああ。それはなんとなくわかってる。あんた以外には言わない」
デリックが一瞬驚いた顔をした。
「なははは! お前は見る目があるな! だが、簡単に人を信用するなよ? それがお前の良いところなのかもしれんがな」
それがこの世界の常識なのだろうか。俺は黙って頷いた。
「そうだ。昼はここで食べていくよな」
「ああ、助かる」
「いやこっちこそ。魔石の収集は外に出ることを考えると、命懸けの仕事だからな。助かるよ」
ちなみにデリックを鑑定してみたところ、
『ステータスに差がありすぎるため、鑑定できません』
との表示が現れた。
おっさん何者なんだ。
◆◆
昼食は湖で獲れたコイのような魚の塩焼きだった。泥臭いかと思ったが、そんなことはなく、脂がのっていて美味い。この世界の食べ物って美味いものばっかだな。
この店はなかなか繁盛しているみたいだ。とは言っても、なんでか他の町から人が来ることはあまりないそうだから、基本お客さんは町の人なんだろう。小さい町だし、これくらいのレストランがちょうどいいのかもしれない。
カウンター席でのんびり考え事をしながら食べてると、他のお客さんも減って来た。カウンター越しに、デリックにどうでもいいことを聞いた。
「なぁデリック、この店はミラさんと2人だけで切り盛りしてるのか?」
「ああ、そうだな。ここは小せぇ町だし2人で十分だ」
デリックは俺に背を向けながら皿を洗いながら答える。
「へぇ、デリックって料理上手いんだな」
そう言うと、ピクッと皿を洗う手が止まり、振り返った。
「ふっふっふ! だろ? 料理は俺の特技の1つだからな」
デリックは料理を誉められて鼻を高くした。
「ミラさんは料理しないのか?」
「ミラの料理も旨いぞ。自慢の女房だ。ま、俺の方がまだまだ腕は上だがな」
デリックは本当に好きなんだろう。ミラさんのことを話す時はさっきよりも自慢気に、そして嬉しそうに話す。
そうしている間に昼飯を食べ終わった。
「さて、こっからが暇だなぁ。仕事は全部終わったし、レベルでも上げて来ようか……」
レベル上げと思うと俄然ワクワクしてきた。ゲームのようなシステムで俺自身が強くなれるなんて、楽し過ぎる…………!
「ん、外に行くのか? 魔物はスライムだけじゃないから気を付けろよ?」
食べた後の俺の食器を下げながらデリックが言った。
「だとしても、湖から離れない限り弱いんだろ? とりあえず町の周辺を探索してくるよ」
◆◆
町の後ろ側から出ると、クレーターの縁を目指して探索を始めた。
襲ってくるスライムを経験値稼ぎとばかりに片っ端から狩っていると、だんだんと奴らは俺から逃げるような仕草をとるようになった。レベルが上がったせいだろう。嬉しいが、なんというかあれだけ相手してくれたのに逃げられるとちょっと寂しい気持ちになった。
そのまま魔物を探しつつ歩いていると、初めてスライム以外の表示を見つけた。膝丈くらいの草でよく見えないが、尖った耳のようなものが見え隠れしている。
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ゴブリン
Lv.5
HP:12
MP:5
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「ゴブリンって、あのゴブリンか…………?」
後ろからそっと近付くと、全身が見えた。
そいつは肌が暗緑色で腰に薄汚い布を巻き、猫背で尖った耳をした人型の魔物だった。横から見えた目は黄色く濁っており、背は1メートルもないくらいだろうか。右手には長さ40センチのこん棒のようなものを持ち、がに股だ。全体的に汚く下品な印象を受けた。
「生き物相手にこれだけ嫌悪感を抱くのは初めてだ」
背後から忍び寄るも、草の擦れる音でそのゴブリンは振り返った。
「グゲ、グギャギャグギャ!!」
汚い尖った黄色い歯を並べ笑い声をあげると、ドタドタとこちらに走り寄って来た。
やる気みたいだな……。
ゴブリンは右手に持ったこん棒を振り上げた。そこまで素早い動きでもなく、見てからでも対処は簡単だ。
俺の顔目掛けて振り下ろされるこん棒を剣で受け止める。
ガンッ!
そんなに力が強いわけでもない。
受け止めたまま、右足のやくざキックでゴブリンの胸を蹴り飛ばす!
ドガッ。
ゴブリンの体重はかなり軽いようだ。そして俺のレベルが上がっているからか、奴は簡単に2メートルほど転がった。そして尻もちをついた状態から、ゴブリンはダメージからか直ぐに起き上がれず、蹴られた胸を押さえながらよろめいている。
隙だらけだ。
両手で剣を握り、振りかぶった剣をゴブリンの右肩から袈裟斬りに振り降ろす!
「っらぁ!!」
ドゥルバン!
「グキャ…………」
骨に当たったのか硬い手応えはあったが、振り抜くことができた。ゴブリンは真っ二つになり、地面に横たわる。剣術スキルの効果は偉大だ。まさか骨ごと斬れるとは。
ゴブリンの断面からは血が吹き出し、内臓と思われるものがどろりと溢れでてきていた。剣にもヌメっとした血が付着している。ゴブリンはしばらく痙攣したあと動かなくなった。
「うぇっ…………」
スライムを殺した後よりも、ずっと気分が悪い。人型の魔物だからかな。どっちにしろ魔物だ。殺す方がいいだろう。
そう自分に言い聞かせる。しかし、
「うっ、吐き気が…………っ」
胃から上がってくる酸っぱい臭いに思わず口元を手で押さえた。
だが殺したなら何かに使ってやらないと、ただの殺し屋になってしまう。落ちていた木の枝をゴブリンの体の断面に差し込む。
グニュ。
「ううぇっ」
ブニュ、グニュグニュグニュ。
えづくのをこらえつつ、流れ出てくる臓器を引き抜いていく。そして空っぽになった身体の中をいじくり回した。
「あった」
なんとか魔石を見つけた。魔石はやはり心臓の近くにあるようだった。ドロドロの固まりかけた血がこびりつく魔石を手のひらに乗せて眺めるが、生臭い臭いが鼻をついた。
「くっさ…………」
そこで湖に戻って、血のついた剣と魔石を洗うことにした。湖で魔石を水につけ、バシャバシャとゆすぐと、すぐに血はとれた。魔石はキレイな濃い暗赤色でスライムのよりかは気持ち大きめであるようだ。
しかし、ゴブリンの死体には正直クルものがあった。スライムよりも動物的で二足歩行をしていたからだろうか。生き物を殺したことに忌避感はないが、やはり少し気分が悪い。
「だめだ。店に帰って休もう」
店に戻り、デリックにそのことを話すと、
「ん~、人型の魔物は特にそう感じることが多いかもしれないな。そればかりは慣れるしかない」
「そうか。まぁ慣れだよなぁ」
この世界で生きるにはもっと生き物を殺すことに出会うことが増えるだろうな。
「そうだ。少し話は変わるが、ユウが今日倒したゴブリンは繁殖力が強く、数が増えると統率する個体が現れ、町や村を襲う。しかも人間の女をさらい苗床とする。お前がやってることは人を救うんだ。頑張れよ」
「ああ、ありがとう」
話に聞くと、過去には数百万匹の大軍勢にも拡大したゴブリンたちが、現れた統率者に率いられ、滅ぼされた国もあったらしい。
もっとも、そのゴブリンたちはそれ以来、数が大きくなり過ぎて誰も討伐できずに大昔から現在も存在している。そして、その滅んだ国の跡地に自分たちの国を築き、『アーカム』と名乗っているようだ。
そう言えば、俺ってまだこの町の名前を知らない。レベル上げもそうだが、情報収集が必要そうだ。
「デリック、この町に図書館はないか?」
◆◆
「ここか」
デリックに教えてもらったのは広場から湖の方向に5分ほど歩いたところにある古びた図書館だった。図書館といえど、民家2軒分くらいの大きさしかない。
「おじゃましまーす」
ドアを開けると、満面の笑みの小さな女の子が出迎えてくれた。
「こんにちは! アラオザル図書館へようこそー!!」
俺が入ると獲物を見つけたかのように顔をほころばせた少女が出迎えてくれた。しかも大人の真似なのか、手を胸に当てて腰を折る、まるで執事のような挨拶付きだ。
そして、いきなり早口でまくし立てた。
「私はエルていうんだよ! ここの司書をしてるの! おにーさんはどこから来たの? 見たことないし最近この町に来たのかな? どうやって? 何をしてる人なの? ねぇ、教えて!? ねぇー! ねーーったらーー!」
10歳くらいだろうか。セミロングくらいの茶髪の女の子だ。白いワンピースを着て少し大人びた顔をしている。瞳は茶色く、理知的な目をしている。そして今その女の子に服の袖を引っ張り回されている。
「ちょ、待てって!! 服伸びる! 教える、教えるから!」
「ほんと!?」
エルが目を輝かせながら迫ってくる。
「ああ、その前に1つお願いがある」
「なになに!? 何でも言って?」
鼻先が触れそうな距離にまで顔を近付けてきた。綺麗な目をしている。
「その場で三角座りしろ。落ち着かせてくれ」
「む……わかった」
とたんに口をぎゅっと結んで三角座りを床の上でしていた。だが、うるうるした目は早く早くと訴えている。あ、体が震えだした。てかパンツ見えてんぞ。
図書館の中は少し埃っぽいが、きちんと掃除されている。本を痛めないためか外光を取り込む窓は小さく、少し薄暗い落ち着いた雰囲気だった。
どうやら最近は本を読もうと図書館に来る人もめっきり減り、エルは退屈していたようだ。まぁ元々図書館に来る人はほとんどおらず、司書はエルでも十分に務まるのだとか。
「ぷはあ! ねぇもういい!?」
はぁ、はぁと胸を押さえて息をするエル。でもどこか楽しそうだ。
「え? ああ良いぞ」
誰が息まで止めてろと言った。
「やったあ!」
と言いながらセミロングの髪が舞うくらいピョンピョンと飛び跳ねる。
「俺はユウ。エルの知らないずっと遠くの町から来たんだよ」
そういえば、デリックはどこから来たのか全然聞いてこないな。気を使ってくれているのかな。
「ユウって言うんだ! もう覚えたよユウお兄ちゃん! 遠くの町ってどこなの!? あたしここから出たことないの。いいなぁ……」
まるで連れ出せとばかりに、上目遣いで俺にしがみつくエル。
そうか、この子は町から出たことがないのか……。それは可哀想だが、魔物がいるんじゃそう簡単に出られないよな。
「俺は日本っていう場所から来たんだ」
「ニホン!? 聞いたことない! あたし暇だからずっとここの本読んでるけど、出たことなかったと思う! 不思議! ねー、その町のこと教えてー?」
キラキラした目で詰め寄ってくる。熱量がスゴいな。知らないことがうれしいのか知りたくてたまらないようだ。
というか、やっぱり暇だったのな。
「うーん、その町はね。みんなすごく真面目で仕事に一生懸命なとこなんだ」
「仕事って? 畑を耕したり、魚を捕ったりすること?」
「まぁそうだな。ほんとに色んな仕事があるんだ」
掘り下げてくるエルに対し、子供だからと無理やりごまかしながらも逆にこの町について聞き出した。
どうやらここは『アラオザル』という名前の町らしい。変わった名前だ。
果物や野菜がだいたい50~150コルらしいから通貨の価値は1コル=1円ほどだろう。わかりやすくていい。ちなみに硬貨は下のような感じらしい。
石貨 1コル
大石貨 5コル
白石貨 50コル
銅貨 100コル
大銅貨 5,000コル
銀貨 10,000コル
大銀貨 500,000コル
金貨 1,000,000コル
大金貨 100,000,000コル
また、この町にはないが、この世界には冒険者ギルドが存在しているとのことだ。また生活が落ち着いたらこの町を出て冒険者になって記憶を取り戻す旅に出ても良いな。
2時間ほど話し込んだ後、俺は図書館を後にした。俺が帰る時も後ろでエルがブンブンと手を振ってくれている。
「それじゃあ、ニホンのサラリーマンおにいちゃん! またねー!」
ちゃんと意味わかってるんだろうか…………。
エルは明るく可愛いかった。この世界に来て初めて癒された気がした。さすがにデリックみたいなおっさんじゃ癒されないし。あと、日本のことを聞かれ、エルのおかげで話しているうちにどんな国だったか思い出せたような気がする。
でも結局、エルの話し相手ばかりで本を読むことはできなかった。まぁ助かったし、良しとしよう。残りはまた明日だ。
◆◆
晩ごはんを食べに店に戻ると、デリックが声をかけてきた。
「おうユウ。ほしい情報は手に入ったか?」
「ん~、ぼちぼちかな」
するとデリックは少し意外そうな顔をした。
「おお、そうなのか? お前、あそこのエルちゃんに絡まれなかったのか?」
「やっぱり誰でも絡まれるのか……」
俺は疲れた顔をした。
「まぁ知りたいことの半分は知れたよ。というかデリック、エルのこと知ってたんだな?」
「なはは、悪い悪い。でも教えたところで逃れられないだろ?」
デリックは少し笑いながら話した。
「まぁな」
確かに知ってたところで結果は同じだろう。
「俺もな。料理の勉強にと本を探しに行っても、エルと話しているうちに日が暮れちまうんだ。この町の人らは皆そうさ。でもそれで許されちまうんだよな。あの子は」
デリックは腕を組みながら遠い目で明後日の方向を見ている。
「確かにな」
人懐っこくてそれでいて頭も良いのだろう。ただ単に可愛いてのもあるが。
「なぁ、なんで司書をしてるのがエルなんだ? 両親はいないのか?」
デリックの眉がピクッと反応した。途端にデリックは真面目な顔をする
「…………エルの前では絶対に話すなよ?」
俺は黙って頷いた。
「あの子の両親はな…………エルが小さい頃にこの町を出ようとして、魔物に殺されちまったんだ。図書館はもともと両親がやっていて、エルはその後を継いだ。エルは両親の図書館をずっと守っていくつもりなんだと」
「なるほどな…………そういうことか。両親を…………」
続けてデリックは少し泣き出しそうな表情で話す。
「でも、あの子も…………ずっと1人なのは寂しいんだよ………。だから多分、エルはお客さんが来ると嬉しくてたまらないんだ。お前もたまには遊びに行ってやってくれ。エルは本を読んで育ったから何でも詳しいし、なんせ可愛いだろ?」
「…………ああ」
意外だった。あの愛らしい笑顔にそんな理由があったとは…………。
無性にエルに会いたくなった。
読んでいただきありがとうございます。