第133話 カザン公国の英雄
こんにちは。
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第133話です。宜しくお願いします。
頼みの綱であったSSSランクのスカイマンタを殺され、キッドは空を仰いでは目に涙を貯めた。
「そ、そんな……………………」
力が抜けたようにドッと地面に両膝をつくキッド。
他の魔物同士の戦闘も、個々の実力で上回る俺の魔物が圧倒的に優勢で、キッドの軍はほぼ全滅だ。ゴブリン等の低ランクの魔物は龍やタラテクト種の戦闘の余波で絶命。戦闘力の高い竜やタラテクトも、うちのSSランク勢をぶつけ、全て戦闘不能だ。今は魔物たちがキッドを包囲しつつ距離を縮めている。
そして仕事やりきった感を出していた吸血姫はいつの間にか、勝手に空間魔法へと戻っていた。……自由か。ただまぁ、おかげで助かった。
そう思いながら俺は、ゲイルの頭の上から降りてキッドに向かって歩き始めた。キッドを包囲していた魔物たちがザッと道を開ける。後ろにはゼロたちが護衛にと、着いてきてくれていた。
「い、嫌だ! 死にたくない!」
俺が近付くと、キッドは頭を抱えてうずくまった。
「お前、その覚悟もなしに…………!」
キッドの仲間は命をとして戦ったというのにこの体たらく。その情けない姿を見て、怒りがフツフツと沸いた。
ふぅーっと深呼吸をして自分を落ち着かせ、頭を働かせる。
キッドは何故か、俺が感じたあの、ヤバい気配の奴を出してこない。ならば、出てくる前に片を付けたい。それに、キッドが予想以上に死を恐怖している。もしかすると今なら説得も可能かもしれない。
「もう止めとけ。投降すりゃ命まではとらねぇよ」
俺は目の前で伏せているキッドにそう呼び掛けた。
「ほんと!?」
キッドは自分が助かるかもしれないとわかった瞬間、バッ! と顔を上げた。
…………洗脳による帝国への忠誠より、死への恐怖が勝ったか?
「あ、や、やっぱりだめだよ。だってギルが、ギルに怒られちゃう…………!」
キッドは誰かに怒られることを恐がっている。
「違うだろ。お前はどうしたいんだ? お前が一番思う大事なことは何なんだ?」
こいつには意志が感じられない。ただ人に言われたまま命令を遂行するだけ……。
「ぼ、僕は……わかんない。わかんないよぉ!!!!」
子どものように泣きわめいた。
…………呆れた。こんな奴が本当に大将の1人なのか。実力と精神があべこべだ。
「自分で考えろ」
そう言って振り返ると、キッドの最後の魔物である竜が地に沈んだところだった。
「さぁ、これでお前は1人だ。どうする?」
そう言いながら左手を伸ばして、キッドの魔物たちの血の海をキッドに見せる。そして右足を1歩前に出すと、キッドはビクッと身体を震わして尻餅をついたまま後退りした。
「い、嫌だ…………ぼ、僕は、死にたくない。でも、勝たなくちゃダメなんだ! じゃないと皆に嫌われる…………。もう、1人には、なりたくない! で、ででもっ……!」
追い詰められ、ガシガシと頭をかきながら独り言を言うキッド。そして、ピタリと手を止めた。
「そ、そうだよ。まだ僕にはコイツが…………いや、でも。コイツは王都に着いたら使う予定で…………ああ、あああ! もう、そんなこと言ってる場合じゃない! どうなっても知らないから!! 」
キッドは何かを嫌なことをかき消すようにブンブンと頭を振る。そして、俺を睨みながら立ち上がった。
「おいで、公国の英雄…………っ!!」
公国の英雄……?
すると、広げられたマントからズルリと痩せ細った裸足の足が出てきた。
ペタッ…………ペタ、ペタ…………ペタ……………………。
「が……があ……………………」
こけた頬で首をかしげながら、辺りを見渡すために獣のようにカクカクと頭を動かす。髪は抜け落ち、黄色く濁った眼球からは何の感情も読み取れない。
小柄な人間…………? いや違う! この雰囲気は…………!
それは、たった1体のローグだった。
身長は160センチほどしかない。アゴまである長い福耳にあばら骨の浮き出たガリガリの上半身に、ブカブカで白い僧侶のようなズボン。だが爪だけが異様に発達し、恐竜ラプトルのような爪をしている。そして右のこめかみにもう1つ口があり、長く赤い舌がベロリと垂れていた。
そんな格好をしたローグが、猫背で地面を見つめたままペタペタと裸足で歩いてくる。ただ、その少しの立ち姿と動きでもわかる。元になった人は相当な武術の達人だろう。
俺は一気に後退し、大きく距離を取った。
「コレはね! ギルが捕えたカザン公国の英雄! 君らじゃ勝てないよ!」
急に元気を取り戻したキッドが声高らかに言う。
「ちっ!」
『英雄』と『ローグ』の組み合わせなんて考えうる中で最悪の組み合わせ………………何としてもこいつはここで仕留めなければ!
「Aランク以下は戻れ!」
バキンッと、強制的に魔物たちの足下に空間魔法へのリンクを繋ぎ、対象の魔物たちを落下させて収納する。戦力外通告だ。
たった1体のローグに感じる、ジリジリという肌を焼くような緊迫感。ローグは虚ろな雰囲気でこちらにフラフラと歩いてくる。
かち…………かちかち、かちかち、かちかち、かちかちかちかちかちかち。
癖のように上と下の黄色い歯を軽くぶつけて音を鳴らすローグ。
「キシッ!」
ゲイルが促すように頭を動かして短く鳴いた。すると、母親の声を聞いたSランクのタラテクト種たちは一斉にそのローグへと向かった。
俺も一度前に経験したことのあるホワイトアッシュスパイダーの一斉攻撃。あれのタラテクト種バージョンを想像すればいかに絶望的な攻撃かがわかる。
タラテクト種たちは一斉にそのローグへ鎌を振りかぶる。
だが…………。
ズガンッッッッ…………!!!!!!!!
短く鋭くローグが10メートルほどを弾丸のように移動すると、射線上にいたタラテクト種たちは一斉に吹き飛んだ。ただ、はね飛ばされただけでなく脚がボロボロに千切れて血液と一緒に宙を舞っている。
速いっ! それに、あいつらローグの攻撃を…………!
「「「「キシャアアアアアアアアアアアアアアアア!!」」」」
遅れてタラテクト種たちが悲鳴を上げた。仰向けになって苦しみながらピクピクと脚を痙攣させている様子からして、黒魔力を喰らっている。
賢者さんあいつらを!
【賢者】了解しました!
バキンッ!
事前に魔物たちの黒魔力の感染に備え、神聖魔力で満たされた空間魔法の部屋にタラテクト種たちをぶちこんだ。
Sランクでもダメか。中途半端な戦力はローグを増やすことになりかねんな…………。
俺がそう考えていると、ゼロがこちらに向き直った。
「ご主人様、お言葉ですが、アレは我々以外には止められないかと」
ゼロが頭を下げて言った。
「みたいだな。…………お前たち、頼む」
俺はそれぞれに視線を送ってから言った。
「「「承知しました(キシャアアア!)」」」
その返事と共に、目の色が変わるゼロ。
全身から魔力がほとばしるドクロ。
そして、子どもたちをやられた怒りで、直後に脚をたわめるゲイル。
ダムッ!!
ハエトリグモのように俊敏さを生かして飛び掛かり、着地寸前に脚の先についた2メートルはある真っ黒な鎌をローグへ振り下ろす!
その先端はローグの頭を目指していた。そして、
ズゴゴゴゴゴゴゴゴゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンンンンッ……………………………………ッッ!!!!
地面が左右に割れ、周囲の数百、数千メートルの地面がベゴンッッ!!!! と岩盤ごと持ち上がる!
比率にして、1センチにも満たないハエトリグモが片足で数枚の畳を返したような異常な光景だ。傾いた地面に魔物たちの死体が転がり、血だまりがダラダラと流れていく。
これがSSSランク、もはや天災とされるマザータラテクトにまで進化したゲイルの膂力…………。
「キシッ!?」
だが、あろうことかそのローグは鎌を右手で掴んで受け止めていた。そして
バキッ、ぐしゅうっ……………………。
ゲイルの鎌が握り潰された。紫の血がぷしゃっと飛び散る。
「キシャアアアアアアアアアアア!!!!」
悲鳴を上げながら、痛みでのけ反るゲイル。だがローグはゲイルの脚を掴んだまま離さない。そのままガバッと唾液が滴る大口を開いた。
「下がれゲイル」
低音のその声と共に、ドクロは突き出した両手のひらから2つの火球を撃ち出した。
ダダンッ…………ッッッッ!!!!
ゲイルを巻き込まない程度に加減したドクロの炎魔法だ。ゲイルはローグに掴まれた鎌を左の鎌で自ら切り落とすと、後ろに飛び退いた。
加減したとは言え、SSSランクのエルダーリッチであるドクロの炎魔法だ。魔法に特化した魔物の中でもトップクラスであり、炎魔法を教えたのはこの俺だ。
その証拠に、飛んでいく火球は螺旋状に回転し、酸素を最大限に効率良く取り込んで真っ白に光っている。あそこに温度計を突っ込めば、あり得ない数字が出るだろう。
その火球を…………。
ガガンッ!
ローグはドクロの炎球を片手で真横から弾いた。
アレを弾くのか…………。
弾かれた炎球は斜め後ろに飛ぶと、数百メートル離れた場所に落ち、そして、
ドゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ…………ッッッッ!
平原を赤く染めた。遅れて爆風がここまで届く。
「ふむ…………」
片手で弾かれたことにピクリとドクロの指がピクリと動いた。
牽制のためとは言え、途轍もない魔力が込められていた炎球。だが直接弾いた奴の手は軽く焦げた程度でしかない。
ローグは火球を放った者をその濁った眼球で捕捉すると、
「ぐがああああああああああああああああ!」
唾液の糸を引きながら、アゴが外れそうなくらい大きく口を開け、動物のように叫んだ。そして威嚇するようにカチカチカチカチと歯を鳴らす。
先程キッドは、このローグは『王都に着いたら使う』と言っていた。だとすれば、ここで何としても仕留めなくてはならない。これほど感染力も戦闘力も桁違いに高い怪物を王都に解き放てば、人口60万人の都市など一晩で壊滅するだろう。
俺は彼らを残して、残り全ての魔物を空間魔法へと戻した。もはやあの3人以外じゃ相手にならない。
「ふーっ」
一気に平原が殺風景になった。
さて、どうするか。不幸中の幸い、すぐに脚を切り落としたゲイルは黒魔力に侵されていないようだ。だとしても…………。
「ゲイル、下がれ。治療しよう」
ゲイルは悔しそうに渋々といった風で俺の元へ戻ってきた。そして、脚を撫でながら話し掛ける。
「気にするな。お前は元々戦闘向きじゃない。ゲイルの長所は別にある」
そう、ゲイルタラテクトだったゲイルは自分の子を増やすのに特化した種族だ。問題があるとすれば、まだ特に優れた種が産まれておらず、ゲイル本人が戦わねばならないことの方だろう。
ゲイルを治療している間にドクロが仕掛けた。
再び両手を突きだし、魔力を集めている。今度は加減なしのようで、俺から見てもえげつない魔力量だ。周囲の空間が揺らぎ、中心にいくほどズウウウウウン……とまるで宇宙のように暗くなっている。
ちょ、ちょっと待て! あの重力魔法、放って大丈夫な威力のやつだよな…………?
そう思ったのもつかの間、
シュッ……!
微かな音と共に手のひらから撃ち出されたのは2本の黒い槍。全体が真っ黒であるが、刃先から柄まで文字のような綺麗な装飾が施されており、何よりその長さは20メートルはある。それが、無音で宙を飛んだ。
「がああ…………?」
ドクロへ突進してきていたローグは、それを見るなり受けてはならないと野生の勘で判断。上半身を後ろに反るようにして避けた。
2本の重力槍はローグのいた場所を通過し、遥か遠くへと飛んで行く。そして、数秒後背景にあった山脈の中腹あたりに当たったかと思うと、
ドッ、ギュウウウンンンンンンンンンンンンンンッッッッ!!!!
一気に周囲の空間をメギメギメギッと無制限にねじりながら吸い込んだ。その結果、山脈にはポッカリと巨大な2つの穴、もとい何もない球体がくり貫かれた。それらは目測で直径2000~2500メートルほど。山脈の背後にまで達したのか、山脈の向こう側の景色が見えている。
あの魔法は、おそらく影響範囲にあった山脈の岩盤や岩石、土、空気等を全て超重力で圧縮したのだ。
そして、9千メートル以上ある山脈は、俺が見ている前でその穴を支えきれずに崩壊した。
ズッッッッ…………ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ…………………………………………ッッ!!
いっ…………いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや。
しばらくしてからその轟音と振動がこちらまで届いた。山脈は1000メートル以上標高が低くなり、麓の方は砂煙で何も見えなくなっている。あそこに人が住んでいなかったことを願うばかりだ。
「地形、いや、風景が変わったんだが…………」
こいつらが本気でやり合うとヤバいかもしれん。
「ローグだというのにきちんと危険度を見極められるようだ。やりおる」
そんな光景を他所に、ドクロは楽しそうに笑った。
確かにそうだ。ドクロもヤバいが、アレを避けたローグも普通ではない。恐らくだが、生前よりもローグの肉体は遥かに強化されている。その分、知性は残っていないようだが腐っても元英雄。その肉体に刻まれた戦闘経験でドクロの魔法を避けた。
「そうだな……」
この英雄ローグはガードナーよりも遥かに強い。こいつらですら怪我を負う相手となると、俺も加勢した方が良いかもしれない。
そう思い、俺が歩みだそうとするとゼロが俺の肩を掴んだ。
「ご主人様、必ずや我々でアレを倒してみせます」
ゼロはその黒い目で俺を見た。
俺が見返すも、ゼロが目をそらすことはない。
「……わかった。でも死んだら許さんからな」
「はっ、承知しております」
そう言うとゼロは目を伏せながら頭を下げた。
その間にも、いつの間にか魔法で宙に浮いているドクロ。ボロボロのローブを風にはためかせ、両手を広げる様はまるで魔王のようだ。
そしてドクロは避けることができないよう、ローグ目掛けて広範囲に重力魔法を放つ。
空の色が一瞬で薄暗くなり、そして…………。
ズンッ……………………ッッッッッッッッッッッッッッッ!!!!
ローグを中心に地面がベゴン! と姿を消した。
空間把握で見てみれば、50メートルほど下に地面が沈んでしまっている。直径にしてちょうど100メートルの巨大穴だ。その底の中央でローグは地面に叩きつけられていた。
「ようやく当たったか」
ドクロはその赤い光の目を細める。
だが、ローグは顔面を地面に埋めたまま、右腕をメリメリと地面から引き剥がしそうとしている。
カチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチ…………。
ローグの『不快だ』という心情を表すかの如く、歯を鳴らす音だけが底から響いてくる。
「これは貴様の鳥かごだ」
ドクロは空中で手を広げ重力魔法をかけ続けながら、そう言い放つ。
だが凄まじい重力の中、ついに右腕をメリメリと大地から引き剥がし、ズンッと地面に突き立てると上半身を起こした。
「なんだと…………?」
ドクロはこれでも動き出すローグに声を漏らした。そして、地上のゼロに視線を向ける。
「すまんなゼロ。どうもこれでは決定打に欠けるらしい」
ゼロはコクッと頷く。
「かまいませんよ。ふふふっ、しかしローグの凄まじい力のこと」
ゼロが楽しそうに口角を上げてそう言うと、ドクロの重力場の中へと自ら飛び降りた。
◆◆
穴の底へと降り立ったゼロが見たものは、骨から肉が剥がれ落ちそうな重力の中を、ズンズンと地面に足を突き刺しながらパワープレイで歩いてくるローグの姿だった。
「その痩せこけた身体で、なぜこれほどの重力の中を動けるのか不思議です。生前は余程優れた人物だったのでしょう」
ゼロはローグを間近に見て、思わず褒め称えた。
「うううううううううううう!」
ローグの口からヨダレが落ちる。落ちたヨダレはズドンという音を立てて地面に銃痕のような穴を開けた。ローグがズンッと一歩踏み出すと、小さなクレーターが地面にできる。
ゼロは現在、自分にドクロの重力魔法と同じだけの斥力を常時発生させることで相殺しながらこの場所を歩いていた。それはゼロの並列思考と最高レベルの思考加速スキルのおかげだ。
ゼロは軽い足取りでスタスタとローグの元へと歩み寄ると、10メートルほど手前で立ち止まった。そして白い手袋を丁寧に外してポケットに入れてから言った。
「この重力下では魔法もろくに飛びません。肉弾戦といきましょうか」
そしてゼロは足を大きく開き、半身になって深く腰を落とすと、突き出した右手をクイクイと誘うように動かした。
「ははは! 馬鹿じゃないの!? アレと素手で殴り合う気!?」
穴のそばまで来て観戦するキッドが笑う。
それを気にも留めないゼロとローグの息があった。
ドンッッッッッッ…………!
コマ送りのように、次のコマでは衝突していたゼロの右拳とローグの爪。
「ふむ」
衝突した瞬間、1秒を1000分の1に縮めた時間でローグの腕力を理解し、静かに頷いたゼロは、真っ向からの力勝負をやめた。そしてゼロの左手の手刀が自分の右腕に向かって霞むような速度で動く。
スパンッ!
次の瞬間、ゼロの右腕がビシャン! と弾け飛んだ。
「おい、ゼロ!」
上から見ていて心配になり思わず叫んだ。ゼロが怪我をするところを初めて見た。
【ベル】ちゃんと見なさいよ。ゼロは衝撃が身体に届かないよう、自分で先に腕だけ切り落としたわ。
いや、見てたけどよ。
「はははっ! 勝てるわけないって!」
上から穴の底の戦いを観戦しながら笑うキッド。
右腕を上腕の位置から失くしたゼロ。だが、その余裕のある表情は変わることなく、なくなった腕をまるであるように、そしてムチのように振ると…………。
ピシャン!
一瞬で右腕が生えた。
いや、うん…………。
それを気にも留めず、ローグはゼロへ追撃を行う。
「がああっ!!!!」
飛び上がって腕を上に振りかぶったローグが、爪でゼロの頭を吹き飛ばそうとする。だが、ゼロは無駄なく半歩斜め前に出ることでそれを避けた。まるで俺から学んだような動きだ。
そしてローグの爪が地面に接した瞬間、
ズッッッッ、ガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガンッ……………………!
振り下ろされたローグの爪は大地を割り、その地割れは10キロ先まで続く。ドクロが作り出した超重力の巨大穴から、長い大地の裂け目が伸びるように生まれた。それはまるで陸地にできた海溝のようだ。
パラパラと肩についた砂ぼこりを払うと、ゼロは言う。
「力では及びませんね。技を使わせていただきます」
ゼロは、全く表情を変えることなく先ほどと同じように構えた。違うのは徐々に全身がゾワゾワと真っ黒に染まっていくところだ。そして顔まで全身が真っ黒になった。
そこからは再び衝突…………。
ドンッッッッッッ……………………!
トレースされたかのように先ほどと同じ2人の動き、しかし結果は反対だった。
パァンッ!
ローグの右腕が消し飛んだ。断面の肩から黒っぽい血がドロリと垂れ下がっている。だが、痛覚はないのか全く怯んだ様子はなく、失った腕の断面を眺めている。
「なっ…………!? う、嘘だ! カザン公国歴代最強とうたわれる戦士なんだよ!? それが敵のシモベの1人なんかに…………!」
上からキッドがわめいている。
ゼロは重拳を全身に纏うことに成功していた。その一撃の重さはローグの拳を優に追い越した。
「ぐ、が…………ががああああああああああ!」
突然声を上げ、しゃがんで苦しみ始めたローグ。新たな右腕がずりゅりと生えたかと思うと、それで収まることはなく背中がボコボコと激しく波打っている。そして
ずりゅりゅりゅりゅりゅりゅりゅりゅりゅりゅりゅりゅりゅりゅりゅりゅりゅりゅりゅりゅりゅりゅりゅりゅりゅりゅりゅりゅりゅりゅりゅりゅりゅりゅりゅりゅりゅりゅっ…………!
肩甲骨からあばら骨のある背中の辺りから、勢い良く、まるで噴き出すように肌色の触手が生えた。
触手の先端は全て腕になっており、その数は止まることを知らず、ローグの姿はまるで気持ちの悪い千手観音のよう。ぬめぬめした液体まみれの腕で穴の空を埋め尽くした。
「そ、そうだ! お前の力はこんなもんじゃない! 頑張れ! 僕のために勝つんだ!」
キッドがパァと元気を取り戻し、ローグを応援する。負けると自分が殺されるかもしれないとわかってからは彼も必死だ。
「がああああ!」
そしてそれらの腕が重力場をものともせずに一斉に上空から襲いくる。
スガンッ! ズガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガ!!!!
ゼロがバックステップで避けると、大量の腕が地面に突き刺さる。
「距離を詰めるのは難しそうですが、単調ですね」
そう呟くゼロは、穴の底を華麗に動き回りながら、ひたすら避ける。しかし、
ドッ。
避け続けたゼロの背中が壁についた。追い詰められたように見える。
目の前のゼロが避けた地面にはローグの腕が突き刺さったままであり、避けるスペースはない。次に腕が降ってくるのはゼロのいる場所だ。
だが、それはゼロもわかっていた。だからこそゼロは前に走った。
頭を下げることで頭部の10センチ上を通過する腕を回避する。そこからジャンプすると、空中で膝を身体に引き寄せるように曲げ、手刀を振りかざし空中で回転しながら舞った。
ズパパパパパパパパパパ!
突き刺さったままのローグの多数の腕を手刀で斬り飛ばした! 空中にばらまかれ、強力な重力で隕石のように振る無数の腕。
ゼロはそこからアイススケート選手のように美しく足で円を描くように着地すると、一気にローグの目の前へと迫った。
そして流れるように左足をローグの真横まで踏み込むと、腰をひねる! 先程までの美麗な動きとは対照的な力強い動きで、地を這うような体重の乗った右腕のボディブローを、ローグに肘までぶちこんだ!
ズッ…………ドムッッッッッッッッッッッッ!!!!
「がむっ!」
ローグは、残像すら残しながら一瞬でかき消えた。
あのゼロの重拳の直撃だ。
ローグは、くの字になりながら吹き飛ぶと、まるで折り畳み式ケータイのように折り畳まれて壁に根本まで突き刺さった。折り畳まれ、頭と足のつま先が壁の同じ箇所から見えている。おそらく胴体の骨は粉砕され内臓はぐちゃぐちゃで筋肉もズタズタ。しかしそれでも普通に意識があるようだった。
「ぐがああ…………あ、ああ、あ…………ああ」
顔だけで吠えるローグ。
「貫通しなかったのには感服ですが、これで幕引きです。あなた方は身体が動かなくなっても死にませんから、トドメとさせていただきます」
そう言うとゼロはローグの額に触れるように、そっと拳を添えた。
「できるなら、生前にお会いしてみたかったものです」
0距離の打ち抜きだ。ゼロは、ザッと半歩後ろに引いた左足が地面を蹴った力を、下から順に膝、股関節、腰、背骨、肩、肘、拳へと全身を伝って増強した後に拳から打ち出した。
ゴパァンッ!
ローグの頭部は砕け散り、壁に脳漿と骨片、血液などをぶちまけた。腕はだらんと力が抜け落ち、確実に死亡した。
「そ、そんな…………」
キッドは魂が抜けたかのように立ち尽くした。
◆◆
ドクロの重力魔法が解かれ、ゼロが無事に戻ってきた。
「ご苦労さん」
ねぎらいの言葉をかけてやると、3人とも感極まったように身震いをしていた。
「キシ…………」
ゲイルだけは少し悔しそうにしている。ゲイルにはまた別に活躍の場を与えてやろう。
「よし、もう大丈夫だ。お前らも戻ってくれ」
「了解しました。ですが大丈夫でしょうか? まだあの方が残っておりますが」
心配そうに言うゼロ。
「大丈夫。もう戦意はないだろうからな」
「承知しました」
そうして3人が空間魔法に戻り、俺とキッドのみになった。
さて、と…………あれだけ騒がしかったのに静かになったな。
今や風の音すら聞こえている。
さっきのローグは確かに途轍もなく強力な魔物だったが、俺が初めに感じた悪寒とは"別物"だ。つまり、キッドはまだあれ以上のとんでもない怪物を抱えているということ。
3人を戻したのはキッドをこれ以上刺激しない意味が大きかった。
「キッド」
そばまで歩いていき、声をかけるとキッドはうつ向いたままビクッと肩を震わせた。
「もう諦めろ。諦めて王国軍に投降するんだ」
「で、でも、そしたら僕は殺されるんでしょ?」
キッドはこちらを見ずに震える声で言った。
「いいや、俺はこれでも将軍の地位にあるからな。俺の権限でお前は悪いようにはしない。絶対にな。約束する」
「ホント?」
キッドは恐る恐るといった風に顔を上げた。
「ああ。約束は守る。なんなら俺と友達になってくれ。お前は『友好の加護』があるんだろ?」
そう言って笑いかけると、やっとキッドは安心したようだ。
「良かったぁ。てっきり殺されるのかと、おも、おも思っ…………あ、ああ?」
そのままキッドは笑顔のまま固まった。
「ん? どうした?」
カッッッッ…………!!!!
ネックレスの紫色の水晶が目を開けていられないほどに強烈な光を放ち始めた。思わず腕で目を覆い、空間把握に切り替える。
「なんだ!?」
すると、キッドの様子がおかしい。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」
突然声が重なり、壊れたラジオのように叫びだした。白目を剥いて、口からは唾液が流れている。
「キッド!?」
怪しいのはあのネックレスだ。
とっさにブチッとネックレスを首から引きちぎる。するとガクンとキッドは意識を失い、水晶も光るのをやめた。
「おい! 大丈夫か!」
肩を揺さぶっても、ガクンガクンと首が揺れるだけで反応はない。
【賢者】ユウ様! そのネックレスを置いてお下がりください!
っ!? わかった!
ネックレスを遠くへ投げ捨てるとキッドを抱えてその場を離れる。
パキンッ!
投げられたネックレスの水晶は、空中でゆっくりと回転しながらヒビが入った。そしてポトッと地面に落下したネックレスの水晶からシューッと白い霧が立ち込め、その中にユラユラと1つの影が現れた。
ゾッ…………………………………………ッッッッ!!!!
まるで、開胸された自分の剥き出しの心臓を鷲掴みにされ、見てる前で徐々に冠動脈にハサミの刃を入れられていくような恐怖が俺の身体を襲った。
これだけ離れていてもだ。息ができずに背中を冷や汗が滝のように流れ落ちていく。
……………………まずい、な。
さっきのローグとも最終形態のガードナーとも比べ物にならない。遥かに上の存在。どちらかといえば、魔界ユゴスで出会った空の王『ジズ』に近い物を感じる。
そして何よりも重要なのは、その『何か』が俺に敵意を向けていることだ。
け、賢者さん、あいつは何者だ!?
【賢者】不明です。神聖属性と混沌属性の相反する2つの力を感じます。
なっ……それどういうことだよ!?
【賢者】不明です。何としても敵対すべきではありません!
そんなこと言ってもあいつは俺を敵視してるぞ?
ベル、今力を借りられるか!?
【ベル】ダメよ…………こいつは戦ったらダメ!!!!
ベルの声には珍しく恐怖が乗っていた。
なんでだよ!?
【ベル】こいつは私なんかよりも上位の存在…………神にすら近い者だから!
神に!?
【ベル】とにかく今すぐに逃げなさい!!!!
いや、だからってよ!
その時、
「なんだ!?」
ビキッ! バキバキ…………パキンッ!
呼んでいないにもかかわらずゼロ、ゲイル、ドクロの3人が、俺の危機を感じ取り、自力で無理やりに空間魔法から出てきた。というか、こいつらくらいしかそんな芸当出来ない。
【賢者】止めてください! 無駄死です!
【ベル】やめさせて!
「お前ら!」
3人が俺の前に立つ。
「ご主人様! お逃げください!」
最前列でゼロは全身に重力魔法を纏い、半身になると腰を落とし手刀を腕の力を抜いて構えた。
「時間稼ぎは我らがします!」
ドクロは両手を向かい合わせ、その間に俺も見たことのない黄金の骸骨を生み出し始めた。物凄い魔力が込められ、両手がプルプルと震えている。
「キシッ!」
ゲイルは糸を立体的に吹き出すと何もないはずの空中に糸をかけ、クモの巣を幾重にも重ねたまるで城のような結界を造り出した。そして、自身の鎌にも糸を巻き付けることで強化する。
いつも俺に頭を下げるこの3人が、俺を守るために背を向けている。何よりもその背中には覚悟が見えた。何よりも俺の命を優先した結果だ。
「お前ら……………………えっ?」
だが俺が感謝の言葉を言おうとした時、3人は崩れ落ちる途中だった。
ゲイルの、どうすれば切れるかわからないほどの強度のクモの巣は、切り刻まれ白い糸屑となって空中にハラハラと散り、ゼロは上半身と下半身を切り離された。ドクロは造りかけていた黄金の頭蓋骨ごとむき出しだったあばら骨を折られ、ゆっくりと崩れていく。ゲイルは左側の4本の脚を吹き飛ばされ、紫色の血液と共にひっくり返っていく。
何が起きた!?
「ご主人様…………ユ………………リカ……を…………」
地に伏す寸前、俺の目の前に飛ばされてきた上半身だけのゼロが、俺に手を伸ばしながらそう言った。
【賢者】奥の手を出します!!!!
敵の牙が、迫っていた。
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