第123話 ハイドン
こんにちは。
ブックマークや評価いただいた方、有難うございます。とても励みになります。
第123話は少し長めになっております。宜しくお願いします。
王都に近い町ハイドンに到着したマシュー軍は町が見える小高い丘の上に野営地をつくった。今は昼前、天気は良く、兵士たちは昼食の準備を始めている。そして、俺と部隊長トレスタは後援部隊の一部とその馬車を引き連れ、町の中へと向かう。
「で、その嬢ちゃんはなんなんだ」
緩やかな丘を徒歩で下りながら、トレスタ隊長はクロエについて、口元に手のひらを当てながらこっそり聞いてきた。聴こえていたのか、クロエは手を前で揃えてペコリと頭を下げる。
「こいつは俺の………………………………メイド?」
自分で言っててわからなくなった。俺の軍の部下なんだよな?
「おい、なんでお前が疑問系なんだ。しかもメイドって」
トレスタは俺をゆるく睨む。
「なんか勝手についてくるようになったんだよ……」
小声で耳打ちした。
あれから、クロエは完全に俺のメイドとして働くようになっていた。
「トレスタ部隊長様、ご迷惑はお掛けしません」
相変わらず感情の見せない顔でクロエは言った。
「はぁ…………」
トレスタはポリポリと首の後ろをかく。
そう話をしながらハイドンの町の入り口のアーチをくぐった。俺たちの後ろには、後衛部隊の兵士たち100人弱と、荷物を運搬するための空の馬車が列を成している。町の人たちも俺たちが誰かわかっているのか、手を振ってくれている。
「ここハイドンでは物資の受け取りと、800人の兵士と合流予定だ。話はギルドに通っているはずだから、まずは冒険者ギルドで例のギルド長に会おう」
町の人たちに手を振り返しながらトレスタは話した。
「りょーかい」
ハイドンは中規模の町だ。大きさ的にはコルトと変わらないくらいだ。特に目立った特産物もダンジョンもないが、ここは商人や冒険者の行き交う貿易ルートの交差点にあり、自然と物や人が集まり大きくなった。街道が町の中心広場を貫くように通っており、広場は5方向に街道が伸びている。
街道に沿って町の中を歩いて進むも、至って平和な普通の町だ。もはや何度も見た同じデザインのギルドの建物が広場に見えてきた。ギルド前にはすでに数百人の兵士たちが待っていた。ハイドン周辺の町から集まってきた冒険者たちもいるようだ。
「とりあえずギルド長に会おう。何事もないようなら、このまま部隊を合流させる」
「ああ」
ギルドの建物の造りはどの町も基本、同じ造りになっている。後援部隊の兵士たちをギルド前の広場に待機させ、トレスタ隊長と俺、クロエの3人で中に入った。
受付カウンターにいた若い受付嬢に話しかける。茶髪で前髪の片側をピンで留めた女の子で黒目部分が青い。
「マシュー軍の後援部隊隊長トレスタだ。ギルド長はいるか? こちらとの通信中に連絡が途絶えたんだが……」
トレスタはズイッとカウンターに腕を乗せ、顔を寄せると小声で聞いた。
「軍の編成ですね。お待ちしておりました。それが…………先ほどからカルトギルド長は自室に閉じ籠り、ノックしても返事がなく…………」
受付嬢の女の子が困ったように頬に手を当てて言う。
「返事がない?」
魔道具の故障だと言い張っていたトレスタはいぶかしげな表情で問う。
「はい、元々集中すると周りの声が聞こえなくなるタイプでしたので、何か作業をされてるとは思うのですが…………」
受付嬢は自信なさそうに話す。
「んだよ。だったら早いとこ部屋に乗り込もうぜ」
やれやれとトレスタは言う。
「待て待て…………ちょっと不自然だろ。いくら作業に集中してるからって会話を途中で切るか?」
気になった疑問をトレスタの後ろから言った。
「はい?」
受付嬢が首をかしげた。
「失礼ですが、あなたは…………?」
少し警戒のこもった目で俺を見上げた。
「あぁ、すまん。マシュー軍のユウだ」
「ユウ? こっ、これはユウ将軍!」
バッと頭を下げる受付嬢。
へ? 将軍ってそんな偉いの!?
「あ、ああ。ちょっと俺らをギルド長室へ案内してもらえるか?」
その驚きを隠しながら、平静を装って聞いた。
「かしこまりました!」
受付嬢は緊張したように返事をした。
そして、彼女に案内されるがまま、ギルド長室への階段を上りながら考える。
というか、そもそもギルド長ともあろう者がこの戦時中に軍の合流を忘れるだろうか?
「こちらです」
2階廊下の突き当たりにあるギルド長室の前に到着した。クロエも黙ってついてきている。
「さっさと問い詰めるか」
トレスタが急かすように扉のノブに手を伸ばした。
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
あまりに無警戒だったため、トレスタの腕を掴んで制止する。
「どうした?」
トレスタは振り返っていぶかしげに俺を見る。
「開ける前に中の様子を確認したい」
緊張感の薄いトレスタのために、真剣味を帯びた声で言った。
「…………ん、わかった」
俺の様子を察し、トレスタがドアノブから手を離して1歩下がった。
……………………空間把握。
「…………っ!?」
部屋の中の様子を空間把握で見た瞬間、戸惑ったがすぐに理解した。嫌な予感は当たるものだ。
一瞬で現実から地獄へ落とされたような気分になった。
「おいどうしたユウ。お前、顔色が…………」
トレスタが俺の表情を見て聞いてきた。
「大丈夫だ…………!」
思ったよりも張り詰めた声が出た。
ドクンッ…………!
…………なんでこんなことになってる!?
部屋の中には、『ローグ』と化したギルド長がいた。
ギルド長は色黒でスキンヘッド、そして過積載と言えるほどの筋肉だ。まるでドーピングを繰り返したボディビルダーのような体型をしている。
その彼が、今は見るも無惨に、四つん這いになって床の匂いを獣のように鼻を動かし嗅ぎ回っている。眼球は白濁し、その表情からは到底人としての知性が感じられない。激しく呼吸し、背中が上下している。
そして、ドアのそばに空の注射器が落ちてあった。おそらくその注射器が原因だ。
あの注射器の形状…………つい最近、どこかで見た……ような?
【賢者】近日中の記憶を流します。
え、そんなことできたの!?
【賢者】はい。
あ、そう。まぁもう驚かないけど。
ーーーーマードックの反乱の翌日からの記憶が脳裏に早回しで流れる。
…………見つけた!
王都でジークが暗殺されかけた時、逃げようとした男が窓から投げ捨てた半透明で円筒形の物。記憶の中ではモザイクがかかったようにしかわからないが、形状と色合い共に落ちている注射器にそっくりだ!
いや、待てよ? つまり同じ物が王都にも…………!?
「おいどうしたんだ!」
トレスタが考え事をして固まったままの俺の両肩を掴んで揺さぶった。
いや、そうだ。まずはこのローグをなんとかしないと…………!
「なぁ、聞くがギルド長は元Aランクか?」
俺がそう受付嬢に問うと、彼女はビクッと驚いてから答えた。
「え、いえ、カルトギルド長は引退して長いですが元『Sランク』です」
「Sランク…………!」
やばい。Sランクのローグなんて今の俺に止められるのか? マシューも連れてくるべきだった…………!
「はっ、はっ、はっ、はぁ、はぁああ…………!」
木製の壁を1枚隔て、ギルド長がこちらに近付いている。ざらついたローグの呼吸音が聴こえる。俺たちの匂いに気が付いたのかもしれない。
「な、何の音だ?」
トレスタ隊長もその音に気付き、声を発した。
「しーーーーっ!」
俺は3人に人差し指を口の前で立てて、静かにするように伝えた。そして、下がるように手のひらを押し出すジェスチャーを3人に向けてする。3人は3歩ほど下がりながら頷いた。
まだ町は正常だ。ここでミスらず彼を無力化できれば、最悪の事態は避けられる。
賢者さん、入ったらすぐ捕縛。結界と硬晶魔法を用意しておいてくれ。
【賢者】かしこまりました。
「ふーーーーっ!」
深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。緊張で汗が頬を伝って顎からポタリと落ちる。
「行こう……」
ギルド長の自室の扉に向かって膝を伸ばすように、勢いよく前蹴りを繰り出した。
ドカンッ!
金具ごと外れて吹き飛ぶ扉。
「ぐがっ、がああああああああああああああああ!!!!」
中には、四つん這いのままアゴが外れそうなほどに口を開き、俺を見て吠えるギルド長がいた。その雄叫びはギルドだけでなく、町中にも響き渡る。
間違いない。『ローグ』だ。
「ひっ! ギルド長!?」
「おいっ! なんだありゃあ!?」
戸惑うトレスタと受付嬢の2人は無視。とにかく今は…………賢者さん!
【賢者】はい。
賢者さんがギルド長の両手足の膝と肘に、40センチほどの小さめの立方体の結界を設置する。
ピシシシシッ!
これで彼は動けなくなった…………はずだ。
空中に固定され、ただただ俺たちを睨み付け、吠えまくる。
「があっ、がっ、がああああああああああああああああ!!!!」
ガンッ! ガンガンガンガンガンガンガンガン!
身体をむちゃくちゃに動かし、拘束していた結界にピキッとヒビが走った。
これじゃ、完全には止まらんよな!
さらにギルド長の全身が入る一辺2.5メートルほどの立方体の結界を張る!
ギルド長は手足が拘束された上で、さらに結界の立方体の中に囚われた。
「硬晶魔法」
拘束している間に、硬晶魔法で特定の金属を作り出す。
魔力感知のない者からすれば、何もない空中から金属が生み出されるように見えるかもしれないが、今、俺から生まれた魔力をある金属へと変質させている。それは俺の魔力50に対し1しか生み出されない。それほどレアな金属。
硬晶魔法では、特性を持っていたり硬いものほど多くの魔力を消費する。今回は強い力が加わるほど硬くなる性質を持つ『ダイラントニウム』というこの世界特有の金属を用いた。
生み出した白い金属、ダイラントニウムはギルド長のいる結界の中へ、とろりと液体の状態で流し込まれる。そうして巨大な金属の立方体の中を満たした。
「がっ! がああああ! があああああああああ!!!!」
ギルド長は頭だけ出した状態で唾とヨダレを流しながら抜け出そうと頭を振り回して暴れるが、動けない。強い力で抜け出そうとするほど、この金属は強度を増す。
そして、その立方体の表面を薄く『アダマンタイト』という金属で覆う。これは保険だ。アダマンタイトはトップクラスの超高硬度をほこる希少金属。だが、俺の魔力じゃまだ大量には生み出せない。
「ふぅ、今ならこれで閉じ込められるだろうが、時間が経って進化すればいつまで押さえられるか…………」
だが、とりあえず彼を外に出さなければ、この町は守られる。
と、そこまできてトレスタ隊長の我慢の限界が来た。
「おいユウ一体どういうことだ! 説明しろ!」
トレスタ隊長は軽くパニクりながら粗っぽく俺の胸ぐらを掴んで叫んだ。
「あい」
◆◆
そこでとりあえず3人には、簡単にローグの説明をした。
「じゃ、じゃあ! もうギルド長は助からないってことですか!?」
受付嬢の女の子は目に涙を溜め、クシャっと泣きそうな顔になる。
「いや、それは俺にもわからない」
その答えが知りたいのは俺の方だ。
「ギルド長…………!」
若い受付嬢は呆然とした様子で、ペタンとその場にお尻をついた。
「話には聞いていたが、直接見ると信じられねぇ……」
トレスタ隊長は目の前のギルド長を見て呟く。そして焦りを含んだ声で続けた。
「今すぐマシューとギルマスに連絡をとってくれ! もし、ローグ化したのがギルド長だけじゃなかったら…………この町は大変なことになる!」
「わかった」
トレスタに言われた俺がマシューに知らせに行こうとした、その時。ベルだけが何かを感じた。
【ベル】…………悪意!?
ベル、どうした?
【ベル】気を付けて、その女…………!!
女!?
振り返ると、今まで話していた受付嬢の女の子が真顔のまま、黒い液体の中身が入った例の注射器を俺の首に突き刺そうと振り下ろしていた。
注射器の先端が俺の首の皮膚を突き破るまで1センチ…………。
「なっ…………!」
やばっ、間に合わなっ…………!!!!
その時、クロエが動いていた。
ガッッ…………!!!!
「クロエ!」
クロエが間に入り、受付嬢の女の手首をギリギリで掴み、受け止めていた。
クロエは、鋭い怒りのこもった目付きで女を睨む。
「ご主人様に危害を加えることは許しません」
メイド服のスカートを遠心力で綺麗に翻しながら、クロエの胴回し蹴りが受付嬢の腹に直撃した。
ドォボッ…………!
「ごえぇぇっっ!!」
受付嬢は女の子があげるべきではない声を出しながら、地面と平行に身体をくの字にして吹き飛び、バギィッ! とギルドの外壁を突き破る。ギルドの壁の木片とともに、ギルド前の広場に落下していった。
うわ…………。
Sランクのクロエの蹴りが腹に直撃とあれば、内臓破裂は確実。生きていてももう死ぬ。しかし、あの女何者だ?
「助かったよ、クロエ」
クロエに礼を言うと、相変わらず無表情のままだ。
「いいえ」
ペコリと会釈をした。
「きゃあああああああああああああああああ!!!!」
ギルド前の広場から人々の叫び声が聴こえてきた。
そりゃ上から瀕死の女性が降ってきたらな…………。
「追うぞ!」
壁に空いた1メートルほどの穴から下を覗けば、この町の兵士たちが集合している場所に落下していた。周囲に人が集まって来ている。
俺が壁に空いた穴から広場に下りようとすると、
【ベル】待ってユウ、注射器は!?
あ、そうか!
ベルのおかげで気付けた。だが、バッと振り返るも女が握っていた部屋の床には落ちていない。
「まさか! あの蹴りで落としてなかったのか!?」
空いた壁の穴から下を覗き込むと、落下した受付嬢を心配そうに取り囲み、手を差しのべる兵士たち。治癒士を呼ぶ声が聴こえてくる。
「ダメだ!!!!」
部屋の穴から兵士たちへ声をかけながら広場へと飛び降りる。落下中も受付嬢から目をそらさないようにする。
彼女は、クロエの蹴りによる内臓破裂で自分がもう助からないと思ったのか、ブルブルと異常に震える手で注射器の先端を自分の首に向ける……!
駆け寄ろうとする俺に勝ち誇った笑みを見せながら…………。
「待っ!!!!」
カシュンッ…………!
無情にも注射器の音が鳴り、ガクンと力なく身体を横たえる彼女。
死んだかと思いきや、すぐさま女の首に黒い血管がビシッと浮かび上がった。
「がああああああああああああああああああああ!!」
身体を一気にエビ反りにして苦しそうに奇声を上げる女。驚く民衆。女は獣のように跳ね起きると、そばにいた兵士にフラッと抱き付いた。
「だ、大丈夫かい?」
死にかけていたはずの女性が、奇声を上げて飛び起きたことに驚きながらも、寄りかかってきた彼女を心配する兵士の優男。受付嬢をやっているほどの可愛い女の子から抱き付かれて嫌な男はいない。
だが、彼女が虚ろな目で見ているのは兵士の太い血管が通る首の肉のみ。
そして、唾液の糸がひく口を、ガパッと大きく開けた…………。
「……なんっ…………あぎゃっ、ぎゃああああああああああああ!」
女は兵士の首に噛みつき、のけ反るように身体をそらすと肉ごと頸動脈をぶちぶちと引きずり出す。悲鳴を上げた兵士は逃げ出すように女を振りほどいた。噛みつかれた兵士は、首からビューッビューッ! と大量の血を吹き出している。
「お、おい!?」
慌てた仲間が彼の両脇を抱き抱えるように下がらせると、回復魔法の使える兵士が駆け寄ってくる。
だが、その間にも女は隣にいた別の兵士に噛みついていた。悲鳴がこだまする。
ダメだ。それじゃ、ダメなんだ! 回復魔法じゃ助からない!
集まった民衆が壁となり、そばへなかなかたどりつけない。
賢者さん! あの女を結界で止めろ!
【賢者】了解しました。
即座に賢者さんの結界が女の両の手首と足首を捕らえた。
「があああああああああ!」
口から唾液を撒き散らしながら逃げ出そうと右腕を強く引っ張る。だが、抜けられないと理解したのだろう。女は自分の手足に噛みつき、最後には自分の手足を力ずくで引きちぎった!
嘘だろ!?
それを見ていた民衆もあまりの痛々しさに目を塞ぐ。だが女は千切れた手足で近くの人に飛び掛かる。
「その女を取り押さえろ! 噛まれた奴は隔離するんだ!」
女の元へ駆け寄りながら必死に指示を出すが、パニックになる民衆と兵士たちに声は届かない。
女はさらに数人に噛みついた後、兵士たちに後ろから両脇を抱えられ羽交い締めにされるようにしてようやく捕まったようだ。
「ぐあっ! こいつ、まだ噛みやがる!」
だが、押さえつけている兵士が手首を噛まれた。
「がああ! があああああ!」
女は噛みちぎった兵士の肉を歯の間に挟めたまま、口の周りを血で真っ赤にして吠える。
民衆はおぞましいものを見るような目でその光景を眺め、さらに野次馬が増えていく。
「力も強い! 頭を押さえろ!」
兵士たちが女をうつ伏せに地面に頭を押し付けるようにして、なんとか押さえ付けた。
そして、俺も人を押し退けながらそこにたどり着いた。
「貴様なんなんだ! 状況を説明しろ!」
状況説明を求め、俺に突っ掛かってくる兵士たち。
なんて、なんて言えばいい…………!? 噛まれた兵士たちは!?
「俺はマシュー軍ユウ! これは命令だ! 今すぐに噛まれた奴を集めろ。俺が治す!」
「ユウ将軍!?」
驚く兵士たちを他所に
「ぐがああああああああああああああああああああ!!!!」
先ほどの女とは別のローグの声が聴こえてきた。
「嘘だろ!?」
まずい。まずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいっ…………!!!!!!
ローグになるのがベニスよりも早い! 早すぎる! 噛まれて数秒!? 一瞬で感染が広まっている。このままだとハイドンの町が終わる!
そう考えている間にも
「ぐががああああああああああああ!」
「ぎゃあっ!」
「がああああああああああああああああ!」
「が、があああああっ!」
「助けっ! きゃあああああああああああああ!」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!」
「があああああああああっ!」
「い゛だいっ!」
俺の焦りとは裏腹に、さまざまな場所でローグの唸り声が聴こえてきた。そして人々の悲鳴。
「くそっ!」
いったいどうすれば……どうしたらいい!?
【賢者】ユウ様、ここは避難を勧めます。
避難って…………。
「おい! 何が起きてる!?」
トレスタ隊長が俺に追い付いてきた。手短に説明する。
「あの女が持っていたのは人を『ローグ』にする魔力だ! もう感染が広まっている! 時間がない、案を…………力を貸してくれ!」
それだけでトレスタ隊長は察したようだ。黙って頷くと、パニックに陥っていた兵士と民衆たちに向かって声を張り上げた。
「全員、町の外へ避難しろ!」
おい!?
【賢者】同意見です。改良されたのか、あの黒魔力は感染してからローグになるまで5秒もかかりません。もはや感染拡大阻止は難しいかと。
だからって!
【ベル】ユウ、冷静に。今はパニックになろうと、少しでも民衆を逃がすことが先決よ。
くそっ!!!!
「皆! 町の外へ逃げろ!」
マシューへ緊急事態を知らせる火魔法を上空へ打ち上げると、俺たちは町を駆け巡り、人々に外に避難するように声を枯らしながら叫んだ。
ーーーー5分後、ローグの数は1000体を超えていた。
初めは俺たちの避難の呼び掛けを胡散臭そうに相手にしない人々だったが、ようやく自分たちの危機を理解したようだ。
家族や恋人、友人が次の瞬間には襲ってくる異常事態に恐怖し、パニックになった人々は急いで町の出入口に向かって殺到した。
「早く! 早く進めぇえええ!!!!」
「どけ! 邪魔だ!」
狭い町の門で人々がごった返し、何千人もの人々が詰まった。一刻も早く逃げたい人々は無理やりに前の人を押し退けて進もうとする。だがそうすることで倒れる人が生まれ、余計に避難が遅くなる。
そして、人が集まるということはもちろん、ローグもそこへ向かう。
「この子だけでも逃がしてあげて!」
門に集まる人の最後尾で、小さな娘を肩に抱いた母親。そこに後ろから走りよる1体の男のローグ。
涙を流す母親は、後ろからローグに噛みつかれながら、前方へ娘を投げた。
状況が理解できないほど幼い娘は、泣きわめきながら人々の上を弧を描くように飛んでいく…………。
「あぶねぇ!」
重力魔法で飛びながら、落下する前に空中でその娘をキャッチすることができた。
しっかりと女の子を抱き抱えて町の外まで飛ぶ。振り返れば、人々は背後から続々とローグに噛まれている。
「すまん、この子を頼む!」
町の外に無事に逃げ延びたらしく、座り込んで休んでいた町人に預けた。
同じローグなら、町の外は安全かもしれない。なぜならベニスのローグたちは町から出ようとしなかった。
今はそれを信じ、町の外に人々を避難させるしかない。
急いで町のギルド前の広場まで戻り、逃げ遅れてる人々を探す。だが、この町の中心部では、もはやローグが圧倒的に多い。
首が折れ、力ない女性を口にくわえて持ち上げながら、家屋の壁をよじ登っているローグ。
泣きわめく子供の声が聞こえる家屋の屋根をひたすら剥がし、中へ侵入しようとしているローグ。
腹をかっさばかれ、肋骨をむき出しにしローグになることなく死亡した男性を、横に並んで腹部に顔を埋めてハラワタをむさぼる4体のローグ。
母親の顔の肉を食べる小さな女の子のローグ。
もう、こんなの…………地獄だ!
「どうする!? どうすればいい!? もう、殺すしか…………」
頭を右手で抱えた。
いや、ローグになったからと言ってもう人に戻れないとは限らない! それにローグになった人を殺せば民衆はどう思う?
【ベル】ユウ! もうそんなこと言ってる場合じゃないわ!
だとして! 俺がここでローグを殺せばブラウンは………!
俺が考え事をしたのは一瞬のことだったが、そこに1匹のローグが屋根の上から飛び下りてきていた。
「がああああああああああああああああ、あぐっ…………!」
ザシュッ…………!
クロエが何も言わずにローグの頭部を槍で突き刺していた。クロエが地面に突き立てた槍に、ダランと力なくローグが穴の空いた頭でぶら下がっている。
「すまん…………!」
クロエは槍を振り回すと、遠心力で刺さっていたローグを投げ飛ばし、突進してきていたローグに衝突させた。
「いいえ」
澄ました顔でクロエは返事をした。
【ベル】ユウ、甘いこと言ってないで殺すべきよ。
【賢者】ユウ様、町の人口は4万人弱。人口密度も高く、ローグは加速度的に増加しています。ここは生き残っている人々を守るため、避難民へ近付くローグを全て排除すべきです。
そんなこと、わかってる!
【ベル】聞いて。ローグじゃなく、今ある命を救うのよ。ローグから2度と人に戻れないかもしれない可能性も考えなさい! まずはローグにならないよう最善を尽くすの!
…………ああ、ローグを増やさないことが大切だ。でも、それだとブラウンが…………!
【ベル】ユウ! ブラウンのことは後にしなさい! 今は目の前の命じゃないの!?
それは…………っ。
【ベル】あなたが迷ってると、大勢が死ぬかもしれないの!
…………。
…………そう、だな。すまん。まずはここの人々を助ける。ありがとうベル、賢者さん。
【ベル】いいの。
この町を見渡した。
「ふぅ……」
腹を括れ。割り切れ。人を守るために、『ローグ』を、『人』を殺す!
隣で静かにローグを警戒し、俺を守っていてくれたクロエに言う。
「クロエ! 町の人たちを守ってくれ! ローグは頭が弱点だ! 絶対にかすり傷も負うなよ? 致命傷になる!」
「かしこまりました」
クロエはスカートの裾を持ち上げて優雅に返事をした。そして、クロエは霞むように姿を消した。
俺は重力魔法で20メートルにまで浮遊すると、バレットで路地裏で逃げていく少年を四足歩行で獣のように追いかけるローグを撃った。
ドンッ!
炎の弾丸はローグの後頭部から頭蓋骨に穴を空け、鼻を吹き飛ばして貫通した。ローグはズザザザ……と地面を滑って動かなくなる。
俺は今、罪もない人を…………いや、ローグを殺した…………。
そうだ。割り切れ! ローグから人を逃がす!
自分に言い聞かせながら、逃げていた少年の前に着地した。
「ひっ!」
少年はまだ10才くらいだ。俺が目の前に現れると、ビクッと身体を震わせた。
「大丈夫。門から町の外に逃げるんだ。俺が援護するから走れ!」
少年は泣きべそをかきながらもコクンと頷いた。
そうして、ローグを始末しながら、出口に向かって息を切らし必死の形相で走る町人たちを警護した。
【賢者】援護します。
【ベル】私も!
賢者さんが正確無比なヘッドショットを決めると、ベルがローグを地面のシミにしていく。たまに空中すら関係なく縦横無尽に光る雷はクロエのものだろう。
俺は、町の上を飛び回り人々をローグから守り続けた。
そして15分後、町から人はいなくなった。
◆◆
町の外には、逃げ出した大勢の人たちが不安そうに身を寄せあっていた。
そして、あることがわかった。やはりローグになった奴らは、自分の縄張りとする町からは出ようとしなかったのである。
「ここでもか…………。そういう習性なのか? これならまだ隔離のしようがある」
トレスタ隊長にマシューへの報告は任せ、俺は町にある4箇所の出入口をすべて土魔法で塞いだ。中に生存者がいないことは、残念ながら確認済みだ。
一体何人がローグになったんだろう。
俺の疑問に賢者さんは答えた。
【賢者】ユウ様、ローグはおよそ3万人弱に至りました。
そんなに…………!? くそ、俺の決断が遅かったせいで…………。
【ベル】そんなことないわ。むしろ、それだけですんだと思うべきよ。
あぁ、そうだな。ありがとう……。
精神的にも体力的にも疲労し、町の外に逃げた人々と一緒に地面に腰を下ろしてひと息ついていると、ポンッと肩を叩かれた。
「すまん。遅くなった」
振り返って見上げると、申し訳なさそうにするマシューがいた。逃げてきたトレスタ隊長から詳細連絡を受け、野営地からここまで来たようだ。
「いや…………いい。それより町の人たちは、これからどうすれば…………」
そう言いながら、俺はここに逃げてきた人々に目線を送った。
黒い煙の上がる自分達の町を呆然と眺めている者もいれば、家族や友人を失い、泣き崩れている者もいる。まるで戦争難民のようだ。
「とりあえず馬車へ戻ってくれ。町の人たちは兵士たちがまとめている。ユウには事情が聞きたい」
「ああ」
◆◆
軍の馬車へ戻り、事件の詳細をマシューに報告した。そして被害の確認をマシュー、ポール、トレスタ、俺の4人で行う。
「……今回で後援部隊の兵士たちにどれだけ犠牲が?」
話し始めるのも辛そうにマシューは言った。
「ああ、主に物資を補給しに連れて行った後援部隊と、俺たちの軍に合流予定だった兵士たち合わせて500名ほどが奴らの仲間入りだ」
トレスタは大仰に両手のひらを上に向けるジェスチャーをした。
「それに加えて物資の補給もできなかったと…………してやられたな」
マシューは苦い顔をした。そして、眉をひそめながら俺を見て聞いてきた。
「その女、何者だったんだ?」
「わからん。わからんが、この黒魔力が帝国の技術だと考えると、帝国の者だろう」
俺は思ったままにそう答えた。
「ふむ……やはり帝国か」
マシューが考え込むと同時に、ポールが下を向きながら呟くように疑問を口にした。
「…………なぁ、なんでこの町だったんだ? 他の町でも、なんなら王都が同じように狙われてもおかしくないだろ?」
「それは、そうだが…………」
その問いに推測ですら答えは生まれず、さらなる沈黙が流れる。
「わからんな…………」
全員が首を傾げた。
「な、なぁ……もしなんだが、この町が特別じゃなかったとしたら?」
ポールは祈るように両手を握って小さな声で言った。
「ん? どういうことだ?」
トレスタが問う。
「いや、仮に! 仮にだが……! もし、ハイドンの町だけじゃなく、これが王国全土で行われていたんだとしたらっ!!」
ポールが珍しく声を震わせて大きな声で言った。
「「「まさか……っ!!??」」」
ゾクッと嫌な想像がこの場の全員の頭をよぎった。
マシューは血相を抱えて馬車から兵士を呼びつけ叫んだ。
「今回の事例を大至急ギルマスに報告!! 帝国のスパイを探すよう王都へ伝えてくれ! 各町村にも警告を!」
「了解しました!」
兵士は走り去った。
◆◆
ローグから逃げ延びたハイドンの人々は、幸い隣町が近いこともあり、そこへ避難することに決まった。それに伴い、俺たちは必要な物資を彼らに分け与えた。
また、ギルマスに今後の行動について連絡をとり相談した結果、予定通り行軍を再開することになった。
今はハイドンの事件から3日後の綺麗な月夜だ。
「コン、コン」
夜営のため、俺が建てた城の1部屋でフリーと寝ていると、ドアがノックされた。
「はい」
どうせフリーは簡単には起きないが静かにドアを開けると、伝令の兵士が来ていた。
「例の件でマシュー大将がお呼びです」
「わかった。すぐ行く」
急いで大将の馬車に向かう。馬車の扉を開くと、そこには険しい顔をしたマシューがいた。ポールさんとトレスタもすでに来ていた。話はすぐに始まった。
「どうやら帝国のスパイは1~2ヶ月前に王国の多くの町に入り込んでいたようだ」
それはそうか、黒魔力を完成させたのはマードックだ。そこから王国に潜り込んだとしたら時期的にも辻褄が合う。
「ポールの勘は当たっていたか……」
トレスタが腕を組んで唸る。当の本人であるポールは複雑そうな表情だ。
「王の緊急勅令で、全ての町で一斉に間者の調査が行われた」
「で、結果は…………?」
トレスタが額から汗を流しながら、祈るように問う。
そしてマシューは一呼吸してから言った。
「助かった町は王国全土でおよそ3分の2。残り3分の1はローグの手に落ちた」
ーーーー場が凍り付いた。
「…………ぁぁ」
声にならない声が出た。どうしようもない不安が腹の底から溢れだし、胸をいっぱいに埋め尽くす。
みんな、無事なのか…………っ?
フィル、ゾスギルド長、アニー、ニーナ、ルウさん、ガラン、タロン…………。
この国で出会った人たちの顔が、嫌でも脳裏に浮かぶ。
「さ、3分の1も…………いや、そうか」
トレスタは驚きながらも、ローグを間近で見た者として、その脅威を思い出し納得したようだ。
「俺らが呑気に馬車に揺られてる間に、一体何十万人が犠牲になったんだ…………」
悔しそうに歯を食い縛り、膝を拳で叩くポールさん。
「だが、逃げ延びた民衆も多い。計画実行前に素性がバレたスパイは捕まったか、もしくはたまたま近くにいた人に黒魔力を打った。その場合は町の実力者がローグを押さえている間に民衆は逃げられたようだ」
不幸中の幸いと言うべきか。
待てよ…………なら、あの人たちも生き延びてるかもしれない。
自分勝手なのは百も承知だが、聞かずにはいられなかった。
「…………すまん、私情を挟んで悪いが、コルト、ワーグナー、ウイリーは無事か!?」
俺が申し訳なさそうにマシューに聞くと、はっきりと答えてくれた。
「ああ、コルトは心配いらん。領主は不在だったが、部下が挙動不審な者をすでに捕まえていたそうだ。ワーグナーやウイリーも無事だ」
言い終わったマシューは優しい笑みを見せた。
「そうか、良かった…………」
正直、ほっとした。
コルトは一度偽コリンズというスパイにやられてるから二度目はなかったか。ワーグナーもウイリーも、知り合いがいる町だけでも無事で良かった。
俺がマシューに聞いたように、ポールさんとトレスタもマシューに知り合いの町が無事か確認している。
「くそっ!」
ポールさんは何度も馬車の壁を拳で叩き、珍しく激しい感情を見せた。壁はもちろん吹き飛んだ。
「まだわかんねぇだろ。全員がローグになったわけじゃない。上手く逃げ延びてるさ」
トレスタが項垂れるポールさんの肩に手を置いて慰めるようにそう言う。
すると、ポールさんは青ざめた顔を上げ、低い声で言った。
「兵士たちにはーーーー知らせないでおこう…………」
この場の全員がその発言の意図を理解した。
「…………そう、だな」
マシューが静かにポールさんに賛同した。
わかる。非道だとは言うまい。この事実を知ってしまえば、士気はおろか、今すぐにでも家族や友人の元へ駆けつけたいと思ってしまう。
「だが問題はそれだけじゃない。運悪く、この先寄る予定だった3つの町がローグの手に落ちた」
陽気さが取り柄のマシューも、眉をひそめ苦虫を噛み潰したような顔になる。
それを聞き、トレスタは恐る恐るといった様子で聞いた。
「……………………つまり、物資の補給も兵の増強もないということか?」
だとしたら、ただでさえ少ない戦力が…………。
「いや、町は落ちたがテイラー子爵領の部隊は無事だ」
「ほんとか!」
思わず声が出た。マリジアの父親はしっかり者で戦力にもなる武人だ。無事で良かった。
「ああ。子爵はローグが複数体になった時点で、即座に町を捨てる決断をした。おかげで予定通り2000の兵が合流できる」
「それは良かった」
トレスタはホッとしたように言った。
「とにかく最悪の事態は避けられた。俺たちは予定通りウィンザー砦で帝国軍にこの怒りをぶつけるだけだ」
マシューの、いや、俺たち全員の瞳には、怒りの炎が灯っていた。
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