想いはいずこに-決断と行動-
光が潔子から透先輩を一目ぼれした事を告白されてから次の日の事。
護は家から持ってきたリンゴを鉛筆でデッサンしていた。一方の潔子は美術室から廊下側の窓をチラチラと見ていた。
そんな最中、美術部の先生が15分の休憩を入れる旨を美術部の人達に伝えて、護は風邪気味もあったので一息つこうと、ペットボトルに手を伸ばした。
事件が起こった。一目散に潔子は美術室を出て行ってしまった。
「ありゃ、潔子が美術室から早々と出てくなんて……珍しいな……」
そういいながら、呑気にも彼は家から持ってきた市販薬を口の中に入れると、ペットボトルに入っていた水で流し込んだ。
それが終わってから、満子先輩が護に声をかけた。
「護君、風邪?」
「ええ、何だか昨日から、体調が悪くって……たくさん寝たんで大分マシにはなったんですが、まだ本調子ではないです。」
「そっか…お大事にね。」
満子は、護の具合を見て潔子の事を話してしまうと体調を悪化しかねないと判断し、相談するのを止めた。
ただ休憩中という事もあって、明と光にメールでその事を教えるに留めた。
一方、潔子は音楽室の外から、彼つまり透を眺めていた。
背が高い事も幸いしたのか、ドアにある窓からうっすらと微笑む透を見た潔子は、身体が熱くなるのを感じた。
(カッコいい!うん、でも、私どうしてこんなことしているんだろう…)
潔子にはまだ『理性』というものが働いていた。遠くから見つめて女々しい事を止めようとしてたが、身体が言うことを利かなかった。
彼を眺める事が満足感を味わせており、今、彼以外の全てが、目に入らなくなっていた。
しかし、潔子が左手につけている時計を何気なく見ると、休憩時間が終わる寸前になっていたことに気づいた。
なごりおしくも、彼女はそこから立ち去り、慌てて美術室へと戻っていった。
そして、その一部始終を呆れた顔をしながら、音楽室側から、光は観察していたのだった。
(重症…………love is blind、正にその名の如くね。本来、手痛い傷を負ってこそ恋愛の経験値をかせげるけれど、その分潔子の傷がひどくなると、心まで歪んじゃうし、ああ、もう、透先輩って本当罪だわ。)
光はただ困惑しつつ、早く家に帰りたい思いでいっぱいになっていた。
なぜなら、弟の明との情報交換を用いないと、この状況を打破できそうになかったからである。
女子同士が、透の事に対して話をすることがタブーとされている反面、男子同士が情報交換をする事は、制限がかけられておらず、むしろ推奨されていた。
自分の狙っている女子が、透にベタぼれならば諦めもつくからである。
美術室の窓はクーラーがついていて涼しいものの、護からするとあまり良くなかったらしく、薄い上着を着ながらのデッサンとなっていた。
潔子は絵を鉛筆で点画で描いていた。どうやら、少女マンガに出てくるようなファンシーなぬいぐるみを描いているようであった。
しかし、透の事に頭がいっぱいになっている彼女に、集中力はほぼ皆無であり描いているその絵は少し歪んでいた。
遠くから満子が、それを覗き込むと彼女もまた『重症だわ』とポツりとつぶやいたのだった。
そして、お昼過ぎに美術部の活動は終わり、皆、それぞれ、教室から帰っていった。
護は体調悪いため、身支度に手間取っていたが何とかそれも終え、先生に挨拶をした後に教室から出て行った。
そこには満子がいて、遠くから誰かを見つめている様子だった。思わず、護の口が開いた。
「満子先輩?何かあったんですか?」
「護君……ううん、何でもないのよ。私、先に帰るからもしも明君に会ったら、よろしく言っといて。」
そういうと満子はそそくさと帰ってしまった。
「変な満子先輩……俺も体調悪いから、早く帰らないと…………あれっ?」
護は気づいた。満子が見ていた方角には、潔子がいたことに。そして、彼女はまたも音楽室を眺めている事に。
(何だろう……潔子、吹奏楽部に入りたかったのか?小・中学校って、よくピアノ弾いてたもんなー)
少しずつ護は、彼女に近づいてくものの、彼女自身は気づかずにただその教室の方を眺めていた。
近づくにつれて彼は、光を待っているのではないかと疑問を抱き、その言葉をそのまま口に出した。
「潔子ー?光さん、待っているのか?」
その言葉に、潔子の身体はドキッと驚いた仕草をしつつ、バツが悪そうな顔をして彼のほうを睨んだ。
(今、一番良い顔を見ていたのにッ!護の奴、空気を読みなさいよ、空気を…とりあえず、話を合わせよう。)
少し機嫌が悪そうな声で、潔子は彼に言った。
「……そうよ!アンタ、調子悪いんだから早く家に帰って、寝たほうがいいわよ。私のことは大丈夫だから。」
「…んー、じゃそうするよ。またな、潔子…邪魔して悪かったな。」
顔色が悪くなり、肌寒さも感じた護はいつものような痴話喧嘩をする体力もない彼は、しぶしぶ彼女の言葉に従い、その場から去っていった。
しかしその直後に、潔子は何とも言えない感情を抱いたのである。
(……なんだろう、この変な感情。護に対して気遣ったのに……ううん、違う。私は、護にウソをついたんだ。私が待っているのは光じゃない。透先輩なのよ…)
ゆっくりと、しかし確実に、潔子の心は変わり始めていた。
そして、彼女の望みどおり、昨日と同じように、透は友人に囲まれながら音楽室から出てきたのである。
彼は潔子に気づいていないようでは合ったが、彼女にとって彼の顔を間近で見られるだけで幸せだった。
数分後、潔子が彼の顔を思い出そうと物思いにふけっていた所、光が背後から指でつついた。
潔子が光の方を向くと、顔は赤くなっており茹でタコのようでもあった。
「ちょっと……潔子、アンタ、乙女みたいな顔をしてどうしたのよ……こんな所でボーッとしてたら、置いてくよ?」
「…光、やっぱり、私……」
何か言いかけたときに、光は自分の閉じた口の真ん中に人差し指をかかげ、「静かに」というポーズをとった。
その意味を理解した潔子は光と共に、下校し、学校から大分離れた所まで来た所で、ようやく光の方から口を開いた。
「行ったでしょ?透先輩の事はタブーになっているって。あそこで話したら、村八分よりひどい目にあってたかもしれないわよ?」
「……何となくは察してたけれど……やっぱり、本当なんだね。透先輩を狙う敵って多いんだ。」
「それに、アンタ、美術部の休憩中に音楽室を覗きに来たでしょ?同級生が私に用があるんじゃないって、茶化してはくれてたけど、たまたま演奏の練習中だから助かったものの、休憩中だったら、女子の先輩に殴られてたわよ?」
少し心配そうに、しかし怒り気味で、彼女は潔子に説明した。
「……それでも、良かったの……透先輩のためだったら、私、命だって……」
その言葉を遮るかのように、光は怒鳴りつけるような声で言った。
「アホか!いくら恋愛のキューピッドと言われている私でさえ、友達がそんな目に遭ってるのを黙っては、見ていられないわよ……もう。少し、落ち着いて行動しなさい。」
その時、少し落ち着いたのであろう潔子の顔は、赤みは消えており、普通の顔になっていた。
「………別件で相談があるんだ。もちろん、透先輩の事じゃなくて。」
「いいけど、何について?」
「護について、なんだけど。さっき、音楽室で透先輩を見つめている間、アイツに呼び止められてさ、光を待っているってウソをついちゃったんだ。」
「でもこうして、一緒に帰っているんだから、ウソをついているとは言わないでしょ?」
それがどうかしたの?という表情で、潔子を見つめる光。
「……うん、そうなんだけど、さ。その後、護の事を考えたら、変な感情を抱いちゃって……言葉じゃうまく説明できないの……ただ、あのラブレターが見つかった時に近い感情かな。」
それを説明すると、光は唖然とした表情になってしまった。
(あー…………”本当”に好きな人と”憧れ”だけで好きになっている人の区別、潔子の心は気づいてはいるんだなぁ……でも、身体が言う事を利かないってやつか…重症だ。でも…)
大きく深呼吸して、そして先ほどとは打って変わってやさしい口調で光は潔子に語りかけた。
「潔子。よく聞いてほしいの。それは、護君に対して、あなたが未練があると思うの。潔子が後悔しない選択をえらんだ方がいいわ……護君を選ぶか、透先輩を選ぶかね。二者択一よ。」
「……護に対して未練なんてない。ただ、ただ………」
言葉をつまらせながらも、何かを言おうとしている彼女の姿に、光はただ見守っていた。
「ただ…アイツ、一人ぼっちじゃかわいそうだなって、思ってる。それだけよ。」
(それは同情という言葉で逃げているだけであって、本心は……一緒にいてあげたい、遊びたいって思ってそうだけど……まぁ、そこまで進もうとは思ってないよねー恋愛したことないもんねー潔子。)
少し間が開いた後、光は言った。
「その気持ちはよく分かったわ、潔子。でも、私の意見は変わらない。よく、よくよく考えてね。そして、明日、私に教えて欲しいな。あなたの気持ちを、さ。」
そういうと、光は手を振ると別れの挨拶をつげ、彼女の家の中に入っていった。
(私は…………)
空から照りつける太陽が、彼女の思考を、判断を少しにぶらせているようにも思えた。
潔子はその日、一睡もすることはできなかった。
透と護の顔が交互に浮かんできて、それどころではなかったのである。
一方、光と明は…………大論争していた。
「姉ちゃん、ヤバイよ。3年の先輩に聞いたんだけど、透先輩付き合っている同級生がいるみたい。でも名前までは分からなかった。有名らしいよ?」
「マジ?女子同士だと情報規制がかかってて、入りにくいのよねー……もし、潔子が先輩を選んだら、フラレるだろうなぁ…それも経験だから、致し方なしなんだけれど、泣き顔を見たくないのよね、潔子の。」
「護に対しての感情は消えちゃった感じなの?その様子だと?」
「……ううん、心は気づいている感じ…ほら、いつも同じ物を食べていておいしい、っていうのと、変わった物を食べてのおいしい、だとギャップが違うでしょ?」
光は首を傾けながら、目をつぶりつつ、護と潔子の二人の顔がうかんでいた。
「……例えが絶妙だね、姉ちゃん。加えて、今は護の体調悪いって言うのも、ちょっとまずいね。」
「看病してやるって思わないかなーと淡い希望を抱いたけど、無理だったわ。とりあえず、答えは明日。私は親友として、彼女を応援してやるだけ。頑張るわ。」
光自身の潔子に対する気持ちは、既に決まっていた。
どちらを選んだにせよ、彼女を全力でサポートする。ただそれだけのことである。
「明日かぁ…憂鬱な日にならなきゃいいな…二人にとって。」
心配そうな明の言葉にうなずく光。
全てが決まるであろう明日。各々の想いがぶつかる時は、もうすぐ、そこまできていた----------
<第7話に続く>