03.白雪姫は幸せを知りたい
人はこれを、何というだろう。
「……なんと、」
「こんにちは」
白雪は、やっと絞り出したような相手の言葉を意図的に遮った。
それがとても無礼な行為であることは承知の上だ。骨の髄まで染み込んだ習慣に抗うのはなかなか骨が折れる。それでも、それに歯向かうくらいには、白雪も動揺していた。
白雪は全てを誤魔化すように微笑んでみせた。
口角は上げすぎない。歯は見せない。瞳の色はみえる程度に目を細める。少し小首を傾げて、自慢の黒髪にも視線を誘導する。
久々に披露したせいか、ぎこちなくなってしまったように思う。以前は息を吸うよりよっぽど簡単だった。とっておきの美しさを披露することは、美しい者の――神様に愛された者の義務だからだ。
9点、と子供達の真似をして点数を付けてみる。因みに満点は10点である。
10点満点中9点の笑みに相手は透き通った空色の瞳を見開いた。蜂蜜色のさらさらの髪が、太陽を反射して輝く。相手の乗った馬の毛色は混じりけのない白で、瞳は黒々とした絵にかいたような白馬だった。
人はこれを、何というのだろうか。
数ヵ月前の白雪ならば、これを、こう呼んだ。
―――運命、と。
「なんと美しいんだろう」
「ありがとうございます」
男はほう、と息を吐き呟いた。宝石を嵌め込んだような瞳に熱が籠る。白雪はスカートを詰まんで淑女の礼を軽くとる。
「僕は、貴女ほど美しい者を見たことがない」
「……お上手ですわね」
「雪のように白く透き通る肌。血のように赤い頬。鈴の鳴るような声。そして何より、黒檀のように黒く艶やかな長い髪。何をとっても美しい」
男は馬の上で大きく身ぶりをしながら、綺麗なテノールで白雪を褒め称えた。
いつまで馬の上から見下ろすつもりだろうか。
白雪は、自らの“運命”に酔いしれる男を見上げながら思った。そろそろ首が痛い。白雪は酷使させれる首を労るため、一時、目だけで男を見上げる。
すると何を勘違いしたのか、男もじっと白雪を見つめ返した。上から。一方的にそらすのは失礼だろうとじっと耐えていると、男はふっと笑った。
「そのように、僕を誘うでない」
白雪はぱちりと目を瞬く。一度開いた口を閉じ、言葉を呑み込む。
「そ、そのようなつもりは……」
白雪は恥ずかしそうに頬を少し染めて目をそらした。それを隠すように口許に手をやるが、隠せていないし、更に言えば隠すつもりもない。
「よい。美しい花は、どうしても蝶を魅了してしまうものだからな」
男は白い歯をみせて笑った。蝶とはまさか目の前のお方のことだろうか。
そして颯爽と馬から下りる。その姿は粗暴さなど微塵もなく、とても優雅だ。
なんたって三段の台を用いているのだから。
「美しい花に、口づけを送ることは許されるだろうか?」
男は甘ったるい笑みで、首を傾げて尋ねた。とても既視感のある笑い方だ。白雪が戸惑ったような体を示していると、男は白雪の手を取った。やんわりと、しかし逃がす気など毛頭ないように白雪の手を掴んだそれは、滑らかで白い。白雪の手よりは大きいが、とても細く繊細だった。勿体ぶるようにゆっくり白雪の手を男は口許まで持ち上げた。その動作がゆっくりなのは、白雪に時間を与えるためのものではない。溜めて、価値を上げるのだ。白雪の反応は必要ない。
恥ずかしながらも、それを喜んで受け入れる。
それが白雪に当てられた運命だ。
白雪は少し、驚いた。
その手は日に焼けてなどおらず、白かった。荒れてなどおらず、滑らかだった。節くれだってなどおらず、細くて繊細だった。
白雪は、そんなウツクシイ手から、一瞬逃げかけたのだ。
こんな手は、知らない。いらない。欲しいものとは違う。
そう思った。
自分の奥底から顔を覗かせた感情に白雪は戸惑う。強張った表情は手の甲への接吻に緊張する初々しい少女の演出になるので、いっこうに構わない。
本当は、頬を染めつつ微笑むようになっていたのだが、これはこれで。
「あの、ひとつお尋ねしてもよろしいでしょうか」
白雪が尋ねれば、男は勿論、とにっこりと笑んだ。
「何故、もう、このような所にいらっしゃるのですか?」
だって、白雪はまだガラスの棺に入っていない。倒れていない。毒林檎を、食べていない。
白雪の心中なんて知るよしもなく、男は目を細めて歌うように囁く。
「当然、貴女に出会うためですよ、美しい人」
「まあ」
流れるように男の手が白雪に伸ばされたのに気付いたのか気付いていないのか、白雪も流れるような動作で口許に手をやった。クスクス笑う白雪の方が一息動きが速かった。男の手は何事もなかったように定位置に戻った。
「自国に戻るところだったんですが、何故か迷ってしまいまして。迷うような道ではないのにと不思議に思っていたのですが、」
男は一度そこで言葉を切り、白雪をうっとりと見つめた。ただでさえ芝居がかった言動に拍車がかかる。
「貴女に会うための神のお導きだったのですね」
神様、と白雪は男の言葉を反芻する。男は、ええ、と肯定を示した。
神様。白雪もよく口にする。神様のお導き。つまり、運命、だと。
白雪は特別信仰心があるわけではない。お祈りをするのも聖書を朗読するのも生活の一環だから。信仰心はない。
けれど、“神様”は信じていた。
反応の薄い白雪を気にした様子もなく、男は居住まいを正し仕切り直す。膝まずき、白雪の手を取りを見上げた。男が膝まずく一瞬の隙に後ろに控えていた者達が、男の上等な服が汚れぬよう光の速さで敷布をひく。
「さあ、僕の父のお城へ一緒に行きましょう。
そして貴女は、僕の妃になって下さい。」
これでまた、白雪は“幸せ”に一歩近づいたわけである。
閉口する白雪に、男――王子様は言い募る。
「貴女のように美しい人は私の側にあるべきだ。
僕は貴女が世界中の何よりも可愛いのです。
僕は、貴女を見ないでは、もう生きていられない。僕の生きている間は、貴女を敬い、きっと粗末にはしません。」
「……。」
白雪はただ頷くだけでいい。そうすれば、白雪が望んできた運命に守られた“幸せ”が手に入るのだ。
そのために、白雪は“困難”を乗り越えてきたのだ。
まず、下手したら死に至るような怪我を負わされ森に置いていかれる。不可抗力で自ら受け入れたつもりはないが、初めての大怪我をなんとか頑張って乗りきった。
その次は、やったこともない家事に勤しんだ。食事も服も勝手に出てくるものだと思っていたし、掃除をしなければ埃が積もっていくなんて知らなかった。自身の世話だけならまだしも、七人の小人――もとい七人もの子供達の面倒もみるのだ。そして何よりイレギュラーの存在の口の悪さったらない。馬鹿だとか阿呆だとか、言われたこともないような言葉がぽんぽんと浴びせられた時は、怒りより先に驚きが襲ってきた。だって、完璧でとんでもなく美しく、神様に愛された白雪を相手に馬鹿だなんて。
そんな“困難”の次にやってくるのは、当然用意された“幸せ”だ。
神様に愛された白雪は、“幸せ”になるに決まっているのだ。
―――幸せ、って何?
些細な疑問が頭を過る。以前――白雪が城にいた頃、白雪は自分を“幸せ”と形容していた。あれは何をもってそう思っていたのだろう。当たり前過ぎて、考えたことがなかった。
なかなか答えが出ないことに当惑していると、腕がぐっと王子様の方に引き込まれた。どうやら、疑問は口からも溢れていたらしい。何を言っているのだと、嘲笑ともとれる笑い声が浴びせられる。
「僕の元に来れば、なあんにも不自由させませんよ。
そんな粗末な服ではなく、華やかで宝石を沢山ちりばめたら綺麗なドレスを与えましょう。家事だなんて、させるわけがない。沢山の使用人と侍女をいくらでも与えましょう。美味しい料理も、名声も、地位も、貴女が欲しいものは何でも与えましょう。」
「僕が、貴女に、幸せを与えるのです」
王子様の言葉に白雪は目を瞬かせる。王子様の話からすると、まるで今の白雪が、
「……私は、今、不幸なのでしょうか」
不幸であるかのようだ。
うわ言のような呟きに、いよいよ王子様の笑いに憐憫が含まれる。
幸せの反対が不幸なら、確かに白雪は今不幸であるはすだ。“困難”の中にいた白雪は不幸であるはすだ。
白雪は自分の“不幸”を振り返る。
大怪我を我慢できたのは、彼の治療と七つ子の看病のおかけだ。痛くて気持ち悪くて寒くて、死んだ方が楽なのではないかという夜、手を握られることの心地好さを知った。泣きそうなのを必死に堪えて「大丈夫だよ、だから頑張ろうね」という揺れた声に、早く良くなって大丈夫だと笑って抱き締めなければ、と思った。そこらで拾っただけの明らかに訳ありの厄介者の為に何徹もする、不器用な人に報いたかった。そんなにお人好しで大丈夫なのか、なんて言ったら彼はどんな反応をするのだろうと考えるとなんだか笑えた。
家事を――知らないことを覚えるのは楽しいし、出来るようになったら嬉しかった。美味しい美味しいとにこにこしながら食べる子供達の顔をみるのも、男の子達の武勇伝を聞くのも、女の子達の小さな恋の悩み相談に乗るのも、寝る前に頬にしてくれるキスも白雪の胸を温かくした。服やハンカチにちょっとした刺繍を施したときの彼の酷く感心した様子は、どんな大層な言葉で飾られた賞賛より白雪を得意にさせた。教えられたばかりの魔法をやってみせたときの彼の驚いた顔とぶっきらぼうな労いに誇らしさを感じた。
自分が負けず嫌いだなんて知らなかった。頑固だなんて知らなかった。白黒はっきりさせたい質だなんて知らなかった。けど、彼よりはましだと主張したい。
これを、王子様は、神は“不幸”と呼ぶらしい。
白雪は幸せになりたかった。幸せへの道は、毒林檎を食べて、倒れて、王子様に迎えに来てもらって、そしてプロポーズされる、そんな運命の末にある。
こんなことも出来ないのかと言われたままなのは悔しかったから、白雪は一度目の毒林檎を拒否した。知らないことを目の当たりにして、二度目の毒林檎が炭に変わったことなど頭の外に追いやった。三度目はシキの体調が良くなかったから毒林檎どころじゃない、と自分で炭にした。四度目は、五度目は。
運命に守られた“幸せ”を請うていた白雪は、運命をどうにか先伸ばしにして“困難”の中に身を置いていた。
―――これは本当に“不幸”なのだろうか。
ぽとりと、小さな疑問が湧き出た。
瞬間、目の前が突然鮮やかになる。
思うに、白雪が自らの運命に対して懐疑を抱いたのは初めてだった。信じていたのだ。盲目的に、信じていた。自分の運命を。
こうしてはいられない、と白雪は思った。
こんな茶番に付き合うより大事なことが白雪には出来たのだ。
捕まれていた腕を振り払う。思いも寄らない行動に王子様は面食ったようで、するりと逃がしてしまう。
そう、別にあちらが白雪をがんじがらめに捕らえていたわけではないのだ。白雪が直視したくなくて勝手に寄り添っていただけだ。白雪は今更ながら気付いた自分のヘタレ具合にうんざりした。
「何をなさっているのですか」
驚いたのはほんの少しの間だけで、王子様は気を取り直したように、にっこりと微笑んだ。ここで白雪が「おほほ、なんでもありませんの」ととっておきの笑みで擦り寄れば、きっと運命通りに事を進められるだろう。しかし白雪はあっさりそれを放り投げた。
「大事な用事が出来たので、失礼致しますわ」
ごきげんよう、と小さく会釈し立ち去ろうとすると、強く腕を引かれた。どうやら白雪は運命に随分と好かれているらしい。こんなに美しいのだから、仕様がない。もしくは、乗り掛かった船を降りるのは不味いのか。
「ねえ、僕の言ったことが聞こえませんでしたか?
貴女のような美しい人は、僕の隣にあるべきだ。」
こちらは急いでいるというのに面倒な王子様だ。美しい人ねえ、と白雪は心の中で呟く。確かに自分を以上にその言葉が当て嵌まる者はいないだろう。
「王子様、貴方は私のどんなところが一番美しいと思うのですか?」
白雪は顔に少しかかっていた綺麗な黒髪を耳にかけながら、小首を傾げて尋ねた。
「それは勿論、その黒檀のような、長く美しい髪に決まっています」
でしょうね、と白雪は微笑んだ。
この国、更に言えばこの大陸で女性が一番重んじるのは、如何に髪が長く美しいかだ。他にも美人の条件は肌の白さだとか、スタイルなど――白雪が美人の例だと考えればいい――沢山あるが髪の重要さは飛び抜けている。お伽噺に登場するお姫様から、国をその美しさで傾けた悪女まで皆美しい髪を持つ。
要は、女の子達の亜麻色の髪を自分や男の子達同様の適当な扱いをしていたどっかの阿呆は常識はずれにも程があるのだ。命の恩人相手とはいえ、それを譲ることは出来ず白雪は如何に髪が女の子にとって大事で尊いものか説いた。相手が徹夜明けだろうが構わない。途中で気分が悪くなって吐いたが構わない。あの阿呆は三人の可愛い可愛い女の子の人生を棒に振ろうとしていたのだ。
それほどにこの大陸で女性の髪は価値があった。
白雪は王子様から数歩距離を置いた。王子様はどうにか手を離してくれた。周りに兵を囲ませたから少しくらいなら譲歩してくれる気になったのだろう。助かった。
白雪は一番近くにいた兵士に近付いた。そして周りの兵を見渡す。
「王子様に危害を与えるつもりはありませんわ。けれど、そういうわけにはいかないでしょうからどうか私に切っ先を向けておいて頂けますか?」
白雪の意図が分からず戸惑う兵に構わず、白雪は目の前の兵の短剣に手をかけた。場に緊張が走る中、白雪はそれほど重くないはずの短剣を危なっかしく持った。前に兵をつけた王子様は黙って高みの見物を決め込む。何か粗相をしたらそれを口実に連れて帰ろうという魂胆なのだろう。王子様はどこまでも運命に添いたいのだな、と白雪は重たい短剣を抱えながら思った。忘れかけていたが、白雪は魔法の鏡とやらにも痛く愛されていたのだ。魔法の鏡は勿論この大陸産だ。一石二鳥。
「……!?何を!」
やっているのだ、という非難の言葉を王子様が最後まで発することはなかった。
そんな王子様に白雪はしてやったりという清々しい気持ちで笑ってみせた。その笑みは計算しつくされた笑顔よりよっぽど魅力的だった――髪があったなら。
白雪の手からさらさらと何本か溢れる。艶やかな黒は光を反射して小さく光った。
「貴方の一番好きなものを挙げますから、見逃して下さいな」
断たれてなお美しい黒檀のような髪を差し出しながら、楽しそうに生き生きと笑う白雪はとても美しかった。しかし王子様にはそうは映らなかったらしい。王子様の空色の宝石は面白いくらいにどんどん熱を失っていく。
「お前のような女、こっちから願い下げだ」
蜂蜜色の髪を持ち、空色の瞳を持ち、整った造形を持つ綺麗な綺麗な王子様はそう吐き捨てた。
どこかの彼もこのような感覚を少しでも持っていたら、白雪が吐きながら何時間も説くことはなかっただろうに。
「そうですか。では、さようなら」
そうして白雪は運命に別れを告げた。
庭に足を踏み入れた白雪は一旦歩みを止めた。全力疾走は流石にきつい。ふう、と息をついて顔を上げると見開かれた榛色の瞳と目が合う。
「あら、セイハ。丁度よかったわ」
走ったかいがあったというものだ。白雪は機嫌良くそう言ったが、セイハの反応はなかなか返ってこない。訝しげにセイハに近寄れば、セイハは目を見開いたまま固まっているようだった。セイハがここまであからさまな驚きをしめすのは珍しくて、少し面白い。盛大にからかってしまいたいところだが、今はそれは我慢する。
どうしたのか尋ねようと口を開くと、突然腕を強く掴まれた。唐突にどうしたのだろうと見上げれば、驚嘆の色に染まっていた表情がどんどん険しくなっていく。
「……どうした」
地を這うような低い声が静かに問うた。怒っているようにも取れるが、少し揺れている言葉にセイハの動揺が垣間見える。
「何が?」
「……誰にやられた?」
そこまで言われてやっとセイハの視線の先が白雪の髪であることに気付く。言葉を短く区切っているのは、冷静さを保つためなのだろう。
確かに先程見せしめで切った髪は、剣で適当に切ったので見るに耐えないだろう。散切り頭と自らの髪を形容する日がくるとは思わなかった。早速整えたいところだが、それはまた後にしよう。
「自分で切ったの」
「そんなわけあるか」
白雪の発言を遮る勢いでセイハは吐き捨てた。さっさと話を切り上げて違う話に移りたい白雪は、ちょっと事情があったのよ、と適当に誤魔化す。急いでいた白雪は、セイハの抑え込んでいたものが溢れてたのに気付くのに一歩遅れる。
「……ッ、あのなぁ!」
苛立ちの籠った声が庭に響く。セイハの次のアクションに身構えるが、セイハは閉口し、眉間に皺を寄せてへなへなと身を固くした白雪の肩に額を乗せた。ため息のような深呼吸は落ち着くためのものだろうが、白雪は逆に落ち着かなくなる。
常に真正面から対峙して会話するセイハにしては珍しい。
「……女にとってどんだけ髪が大切か喚いたのはお前だろうが」
簡単な理由で切るわけないだろ、と小さく言う。平静を装おうとしているせいで弱々しいようにさえ聞こえる声に白雪は困惑した。
「……主張する」
「……どんだけ大切か主張したのはお前だろう」
取り敢えず訂正をさせる。
「どうして、怒っているの?」
「……別に怒っちゃいない。」
白雪が尋ねれば、セイハは額をつけたまま苦々しい声で答えた。腕はセイハに握られたままだ。黙って続きを促せば、まあ、その、なんだ、と珍しく口ごもる。
「…そんなザマみせて、なんでもない、関係ない、って適当にあしらわれたら、そりゃ堪らんだろう」
「ザマ?」
「……姿。」
白雪としては大して重要なことではなかったからなのだが、セイハは重く受け止めていたらしい。堪らない、という抽象的な表現ではよく意図が分からない。どう答えようか考え倦ねていると、セイハは観念したように付け足した。
「俺はお前とどんくらい距離をおけばいいか分からないんだよ。どこまで突っ込んでいいか分からないし、どれくらいまでなら身を守れるのかも分からない」
セイハの言葉を白雪は丹念に咀嚼した。行き着いた結論に白雪は少し口に出すのを躊躇う。
この体勢はどうも落ち着かないが、顔が見られないという点ではなかなかよかったのかもしれないなと思う。
「…それではまるで、セイハは私のことを知りたいようだわ」
「……。」
暫しの沈黙の後、盛大なため息が吐き出される。諦めたようにセイハは額を離した。熱が離れた肩は少し肌寒く感じたが、腕は掴まれたままだった。
(私が逃げるとでも思っているのかしら。)
セイハた白雪は互いの顔を見つめあった。どちらも澄ました表情をしていて、とても自ら腹の中を晒すような雰囲気ではなかった。
「…お前は俺に事情やら話す気はあるのか?」
折れたのはいつものようにセイハだった。せめてもの意地と、挑発的に聞くと白雪も同じように片眉を上げた。
「セイハは私の話を聞く気があるの?」
セイハはやはり面倒な質をしているなと白雪は呆れる。やり返したくなってしまう白雪も、言えたものではないけれど。
ふふん、と笑ってやればセイハは少し目を眇めた後、澄ました顔に戻る。
「ある。」
セイハの短い応えに、白雪は瞠目した。そんな碧の瞳をみてセイハはしてやったりという顔で笑うのだから、あちらの方がよっぽど面倒だと白雪は主張したい。
「んじゃ、取り敢えず移動するか」
え、と声を上げる白雪の頭からセイハは自らの上着を問答無用で被せる。
「うわ、」
「そんな頭みせたら、ガキ共がビビるだろう」
「そんなって何よ!ちょっと毛先がバラバラなだけじゃない!」
髪自体が綺麗なのには変わりないと主張する白雪に、セイハは本当に白雪自身は大して気にしてないのだなと確認する。
「セイハ、セイハ」
「ん?」
「歩きにくい」
白雪が腕に視線をやれば、セイハは、ああ、と合点がいったように頷いた。そして手の力を緩めて、白雪の腕を沿って掌までするりと降りていく。
相変わらず冷たいなと言われるが、白雪は気を取られていてそれに応えるのに一瞬遅れる。その一瞬をついたように扉が開いた。
「あ~、ユキちゃんだ!」
顔を覗かせたのはキイチだった。
「おかえりー」
「……ええ、ただいま」
白雪姫はもう一度小さくただいまを繰り返した。
キイチはあのねぇ、と白雪の足元にじゃれつくようにに駆け寄る。
「なあに?」
「あのね、ユキちゃん。今日ね」
白雪は目元を緩めて応じるが、キイチはそこで一旦言葉を切って首を傾げた。
「ユキちゃん、もしかして今からにいちゃんに怒られるの?」
「ええ…そう見えるの…?」
キイチの言葉に白雪はがっかりした様な顔をする。上げて落とすといっても、もう少しくらい上げといてもいいと思う。
セイハは叱るとき、その場ではなく場所を選ぶ。実際に経験済みであり、また白雪がそうされる様をよくみかけているキイチからみたら正にその場面だったようだ。
キイチからは白雪は連行されているように見えるらしい。たぶんそれが真実なのだろう。動揺し損じゃないかと白雪は小さく胸の中で呟いた。
白雪の表情の理由を叱られるからだと思ったキイチは鷹揚に白雪を励ました。
「きっとユキちゃんがいつもみたくしくじったんだろうけど、ヒトは怒れて成長するってシン先生言ってたよ。
大丈夫だよ。今日、にいちゃん機嫌よかったし。」
鼻唄歌ってたんだよ、という付けたしには流石の白雪も聞き返してしまった。鼻唄。
「いや、お前ら。そういうことを本人の目の前で言うか?」
セイハはそう呆れてから、別に叱るわけじゃないぞとも付け足す。
「他の奴らはどうした」
「んとねー、ニキたちはもう遊びにいってる。
ミヤギとシキとナナギはまだ課題やってる」
僕(男の子組の中で)課題が一番に終わったんだよ、とキイチは胸を張る。セイハはそれに頷いてキイチの髪をかき混ぜる。
「じゃあ、俺と白雪は話があるから診療所の方にいるな。近付かない方がいいと思うぞ」
他の奴らにも言っとけと言伝てを託すと、キイチは白雪に憐憫の視線を送った。叱るわけではないというセイハの言葉はキイチには届かなかったらしい。