4 初めて会った少女はキス魔
前書き
異世界召喚系のお約束の一つなんじゃないですか?
「イテテテテッ」
立ち上がった拍子に足を何かにぶつけて、倒れてしまったヤクモ。気が付くと、目の前にコウの体があった。
倒れた時に咄嗟に両手をついていたので、幸い激突することは免れた。
「ヤクモ……」
とはいえ、片手は床、もう片方の手はコウの胸元だった。
今コウは床に倒れていて、その上からヤクモが押し倒している状態になっていた。
2人とも、互いの目を見ていたが、なんという気まずいシチエーションだろう。
――ただし、男と女だったらな。
「あれ、いつの間にか明るくなっている?」
コウを押し倒していることはそれはそれ。冷静にヤクモはそのことに気付いた。
「ヤクモさーん、早くどいてくれない?」
「ああ」
そういえば押し倒している状態だった。ヤクモはコウに言われて、慌てもせずそのまま離れようとした。
……のだが、そんな2人をジーと見つめる視線に気が付いたヤクモ。
視線を僅かに動かすと、2人の様子を黙って眺める女の子が、近くに立っていた。
黒髪に黒い瞳。肌は驚くほどに白いくて、生気を感じられないほどだ。
年齢はまだ5、6歳と言ったところだろうが、人間離れした綺麗な少女だった。もっとも、人間離れしている美貌と言う点では、ヤクモとて引けを取らない。
もっとも、それがヤクモの性別をいつも女と誤認させる原因になっているのが、彼の悩みの種の一つであるが……
とはいえ、この少女の視線に気づいて、さすがのヤクモも動きが止まった。
「ヤクモ?」
上に乗っかっているヤクモがなかなか離れてくれないものだから、訝しむ声を上げるコウ。
「ち、違う、違うぞ、これは……!」
慌てて我に返ったヤクモは、その場から急いで跳ね起きると、少女に向かって両手を振って全力で否定の意思を送る。
「ヤクモ、何を慌ててっ……て」
押し倒されていたコウも立ち上がるが、そこで彼も気付いたようだ。
目の前で2人のことをじっと黙っている少女のことに。
「コウ、お前も何か言え!」
「何って……」
別にヤクモに押し倒されていただけ……だが、コウも、ヤクモが考えていることに気付いたようだ。
「ただの事故だから」
「そ、そう。これは事故。何かやましいことをしていたわけじゃないからな」
そう言い、なぜか胸を張ってみせるヤクモ。
これは相当テンパっているなと、従兄弟の慌てた様子を面白く思うコウ。だいたい、自分とヤクモの間には、やましいなどと言う意味不明なことは何もない。それに、相手はただの小さな女の子なのだから、何を心配することが……
「お楽しみを邪魔しちゃった?」
――前言撤回!
「ま、待て!これはただの事故だ。勘違いすることなんて何もないぞ!」
「そうだ。俺とコウはただの従兄弟でだな、それで、だから、ええっと……」
コウも焦ったことで、ヤクモもますます動揺してしまう。
もはや、状況はカオスの度合いを深めていく一方だ。
だが、動揺しまくりのヤクモは、何か言わなければと視線を四方八方にさまよわせ続け、それで気が付いた。
なぜだ、ここは俺の部屋だったはずのに、周囲には木が生えている。
木だけでない、落ち着いて周囲を見回すと、石の柱が何本も建ち、頭上からは蛍光灯の光でなく、太陽の光が降り注いでいる。
それに鼻には緑の香りと、土の匂いまで漂う。
間違っても、さっきまでいたヤクモの部屋ではなかった。
「……あっ、れっ?ていうか、一体ここはどこなんだ?」
少女に対する弁明も忘れ、冷静さを取り戻したヤクモはぽつりとこぼした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ここはどこなんだ?」
そうつぶやく、ヤクモの傍で少女は、無言で2人の傍へと歩いてきた。
「お兄ちゃん」
そう言って、少女はかすかに笑った。どうも表情の変化に乏しいが、口の端は笑っている。
少女は、声に出さず仕草だけで、コウに顔を近づけろと指示してくる。
どういうことだと、ヤクモとコウの2人は互いの顔を見合わせた。
ヤクモだけでなく、コウもこの場所がヤクモの部屋でないことに気付いた。それどころか、自分たちが知っている場所ですらない。
そして、この場所のことを聞ける相手は、目の前の少女しかいない。
仕方なく、コウは少女に言われるように姿勢を低くした。足を床について、少女の顔と視線が合う高さにまで低くなる。
相手が5、6歳の少女と言うこともあるが、コウの方も長身だからそうしないと高さが合わない。
だが、姿勢を低くしたコウの顔に、いきなり少女は顔を合わせて、そのままキスをしてきた。
あまりにも突然のことだったので、コウも避けることなどできなかった。
その光景を傍で見ていたヤクモは、深夜のテレビアニメで、ピンク髪のヒロインが「破廉恥です」と言って、男主人公の頬に思い切り平手打ちをくらわすドタバタハーレムアニメの光景を思い出した。
別に好んで視聴しているというわけではない。
クラスメートの沢西という男子生徒が、休み時間にスマホでアニメを視聴していて、その時、音量を最大にしたらしく、問題のシーンの音声がイヤフォンから筒抜けになって、教室中に聞こえるという珍事があったのだ。
その瞬間、教室の中は凍り付き、以後彼のあだ名はキモ沢と呼ばれるようになってしまった。
強烈な出来事であったから、ヤクモもいまだに忘れることなく、覚えているのだ。
そんな過去の出来事が脳内でフラッシュバックし、ヤクモは思わずうめき声を漏らした。
そんなヤクモの前で、キスをされたコウは目を大きく見開いて驚いている。驚いていて、息をすることまで忘れて、固まってしまっている。
随分と、長いキスだった。
やがて、呼吸の途切れたコウが大きくのけぞった「ブハッ」と口を開けて、息を吸い込む。
それに対して、少女は口の端を微かに歪めた。
「お姉さまのお相手だから、どんなのかと思ったけど、あの時のヘボ勇者だったの」
ヘボ勇者?
一体何を言っているのか分からない。
少女の言葉にヤクモが疑問を抱く前で、しかしコウは忌々しげに目の前の少女を睨み付けた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
少女の唇が荒れた瞬間、コウは驚きで目を見開いたそしてが、それからしばらくの間、互いの唇は、まるで離れることができない運命に縛られたかのように口づけを続けた。
――そう、それは間違いなく運命だ。
コウは、かつて自分が勇者と呼ばれ、一つの世界の趨勢を握る戦いに身を置いていた記憶を呼び起こされた。
――そして目の前にいる少女が、ただの子供ではなく、人間の皮を被った魔族。
この魔族はコウの仲間を跡形すら残らずに殺し、そして……この女の力に抗しきれず、自分は殺されてしまった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
かつての勇者の記憶が呼び起こされ、コウは目の前にいる少女の姿をした魔族を睨み付けた。
「なぜ、お前がここにいる!」
油断なく目の前の魔族を睨むコウ。
「コウ?どうしたんだ、おかしいぞ?」
そんなコウの急激な変化は、しかしヤクモには全く理解できないものだった。従兄弟が突然、目の前の少女を睨んでいる。それも威圧しているというよりは、むしろ怯えているようにすら見えてしまう。
こんなコウの姿など、ヤクモはただの一度も見たことがない。
「コウ?」
再び様子がおかしくなってしまった従兄弟に呼びかけるヤクモ。
だが、それに対してコウは目の前の少女を睨むだけで、返事すらない。
代わりに答えたのは、少女の方だった。
「安心して、私はただファルフェスナの流れを見せただけ」
「ファルフェスナ?」
聞いたこともない単語に戸惑うヤクモ。
「ファルフェスナは……魂がいつか帰っていく場所。そして再び生まれてくるための場所。私は、この人に生まれる前の記憶……前世のヘボ勇者だった記憶を見せただけ」
まるで言っている意味が分からないヤクモ。
「……それは、すごいファンタジーな設定だね。で、コウが勇者様だって?」
「そう、魔王様と戦おうとした勇者。でも、魔王様と戦うどころか、その前にただの下僕に殺されちゃったから、ヘボ勇者様なの」
そこでクスリと少女が笑みをこぼした。
「うるさい!」
そんな少女に、コウが怒声を上げる。
「……なあ、コウ。そんな怖い声になるなって。ただの遊びなんだろう。もしかしてドッキリって奴か?」
自分は目の前の少女とコウに、変ないたずらを仕掛けられた。そう思い始めるヤクモ。だが、コウの緊迫した雰囲気は全く緩まない。
「おいおい2人して……。これ以上は質が悪い冗談にもならな……」
もうこれぐらいでいいだろう。
変な遊びはお終いだ。
そう思っていたヤクモ。
そんなヤクモの目の前で、少女はヤクモにニコリと笑って見せた。
可愛い笑顔だなと思ったヤクモだが、彼女の黒い瞳がルビーの赤い色に輝いた。
なんだ?
と思ったが、口が動かなかった。
口だけではない。全身が金縛りにあい、ピクリとも動かすことができなくなった。
そんなヤクモの前で、少女の体が空中へと浮かび上がる。
分かった。俺はきっと寝ぼけてるんだ。
寝落ちしたんだ。
この理解できない状況の数々に、ヤクモはそう考えるしかなかった。
なのに鼻につく土と緑の匂いは強烈だ。それに、なぜか冷汗が流れる。身動きができない事すら、リアルに感じる。
――夢、だよな。夢、なんだよな……
夢にしてはリアルすぎる五感の感覚に、ヤクモはこれが夢であることを怪しく感じ始める。
ヤクモの戸惑う前で、少女の体はヤクモと顔と同じ高さにまで浮かび上がった。
そして、ゆっくりとその体が近づいてくる。
先ほどのコウとのことを考えれば、このままキスコースなのか?
いや、もう疑う必要がないな。
体は動かせないのに、ヤクモの頭の中は、そのことだけは冷静に考えることができる。
――そういえば、コウの奴は、どうしているんだ?
ヤクモの思考の中の妙には冷静な部分がある。そのことに気付いて、僅かに動く視線をコウの方に向けたヤクモ。
すると、コウの方も今のヤクモと全く同じ状態らしい。少女を睨んでいるが、金縛りにあって体を動かすことができないようだ。
「お姉さま。あんなヘボ勇者なんて見ないで、私を見て」
そこで少女の声がした。
ヤクモは目の前に迫ってきた少女に視線を戻した。赤いルビーの瞳が、もう目の前にまで来ていた。
少女はヤクモの胸に手を置いてきた。
「……大丈夫。私と同じだから」
ヤクモの胸はまったいら。少女も同じくまったいら。
――貧乳じゃない。俺は男だ!
少女の勘違いにそう叫びたかったが、口が動かないので、どうしようもない。
そうしている間にも、少女の息がヤクモの顔にかかるほどの距離に近づいた。
そして、少女の唇が重ねられた。
「うっ」
唇が重なった瞬間、ヤクモは僅かに声を漏らした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「逃げるぞ、ヤクモ!」
だが少女の唇と唇が重なった瞬間、ヤクモは思い切り腕を引っ張られた。
えっ?
と思う暇もなかった。
腕を引っ張られたヤクモは、それまでの金縛りがウソのように溶けた。
そして、力任せにコウに引っ張られる。こけないように慌てて足を動かし、コウに引っ張られるまま、その場から駆けだしていく。
「コウ、ちょっと待て。そんなに早く走るとこける」
「いいから、早く逃げるんだ。でないと、僕たちは殺される!」
「殺されるって!?」
「早く!」
尋常でない焦り方のコウ。その気迫にヤクモは言葉を失ってしまった。
ただ、この場所から逃げるコウに、ついていくだけだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ヤクモとコウの2人が逃げ出した後、少女は1人その場所に残されてしまった。
「ヘボとはいえ、前世が勇者だと、呪縛し続けるのは無理だったみたいね」
そう独り零す。
「でも、私のお姉さまのファルフェスナは開いた。いずれ、お姉さまはあんたなんか捨てて、私のところに戻ってきてくれるのよ」
唇が重なった瞬間、少女は既にヤクモの前世の記憶の封印を解いていた。
ただ、その後すぐに唇が離れてしまったため、封印の中にある記憶を引き出すことまではできなかった。とはいえ、もはや封が解かれた以上、その中にあるものはこぼれだしていくしかない。
中身が出てくるのは、もはや単なる時間の問題でしかない。
「私はお姉さまにまた会いたくて、長い間待ち続けたの。だから、その時間が少し増えたくらい全然問題ないわ」
そう言って、少女の姿をした魔族は笑いを浮かべた。
あとがき
さあ、本編の読後感とか、いろんなものをぶち壊す時間を始めましょう(そう言うのが嫌な人は、あとがきを読まずにスルーすることを強く推奨します)。
「キスしてほしい奴はおらんか~
キスしてほしい奴はおらんか~」
ただしキスするのは幼女じゃなくて、40過ぎの、中年太りデブの、鼻息が荒くて、超むさ苦しいおじさんやで~
……キスしてくるキャラが、美幼女でよかったですね。
もしも、むさ苦しい中年オヤジだったら、とんでもない拷問です。
読む方も、書く方も。。。