第8波 ヴェゾット地帯 突入!
俺は今、ヴェゾット地帯の入口にいる。
「クシエリウム合金」によって囲まれた壁。
灰色の大きな壁は数十メートルにまで高さは及んでいた。
それよりも、問題はどこにも凛堂先輩たちの姿がないということだ。
やはり置いていかれてしまったのだろうか。
ここからは一人で行くには危険すぎる領域。
俺は仕方なしにここで待機することにした。
あっちの方は晴れていたというのにこっちは生憎の曇り空が広がっている。
いや、この地域はいつもそうだったかもしれない。
もしかするとこれはヴァイルとの関連性が何やらあるのではないだろうか。
そんな事を考えながら、俺は辺りを見渡していた。
「麻……麻里?」
入口の近くに死んだはずの幼馴染『麻里』の姿がそこにはあった。
あの時と変わらない容姿で、壁を見つめている。
どういうことだ。
死んだはずなのに何で生きている。
疑問でありふれて頭が痛くなる。
俺は片手で頭を抑えながら、ようすを観察した。
すると、麻里の体は急に宙に浮く。
そしてそのまま壁を超えて中へと入っていった。
「待ってくれ! 待ってくれ麻里!」
俺は追うようにして、ヴェゾットの入口の門を叩く。
事前に今回の任務は知らせてあるため、門の鍵は外されている。
だから、俺は入口を開けた。
中にはまた門が立て続けにあるが、大きさはそんなに大きくなく、すぐさま突入できる。
ヴェゾットの中は思った以上に不気味だった。
音など何もしない。
木々は灰色に染まっていて、育っているのかどうかもわからない状態だ。
地面の色もところどころ紫色に変色しており、金属独特の香りが俺の鼻腔に入ってくる。
また、その香りの中には人が腐ったような匂いや、血の臭いも入り混じっている。
俺は思わず、口を抑えた。
とてもじゃないけど、長くは滞在したくない。
マスクなどを持ってくるべきだったと今更後悔している。
とりあえず、麻里の姿を探した。
右の奥の方の森に麻里の後ろ姿らしきものがあった。
さっきと同じく、白いワンピースを着ている。
間違いない、麻里だ。
しかし、彼女は俺に気づく様子もなく、森の奥深くへと入り込んでいった。
勿論、俺も跡を追うのだった。
◇
「ここがヴェゾットだ」
半日かけて走ってようやく着いた。皆を集め、凛堂は話だす。
「ここから先は、これを付けてもらう」
そう言って、黒い装着型のマスクを出す。
口元だけを覆い隠せるもので、クシエリウムで出来ている。
全員それを受け取って、身につけた。
ちゃんと呼吸はできるようになっているため、声を出しての会話も可能だ。
「おや、凛堂くんですか。 久しぶりですね」
凛堂は声がする方向に目をやる。
そこにいたのはジークだった。
壁に重力を無視したように仁王立ちをしている。
そして、そのまま壁をスタスタと歩いて行き、地面に降り立った。
「ジークなのか……? お前、生きていたのか」
凛堂は若干涙ぐむ。
しかし、その様子を見てジークはただ笑うだけだった。
「残念ながら私はジークであってジークではないよ。それよりも早くヴェゾットに入ったほうがいい。でないと君たちの仲間が死んじゃうよ」
「どういうことだ」
さっきまでの表情が嘘だったかのように真剣な顔つきになっていた。
ジークじゃないと悟って表情を変えたのか、それとも『仲間の死』ということに反応してなのかはわからない。
しかし、和馬たちも表情は既に強張っていた。
才和は性格上、集合時間などに遅れないタイプだ。
それを和馬とガウスは知っていたからこそ、今回の件に関して疑問を抱いていたのだ。
「さっき、才和くんがこの中に入っていくのを見た。おそらく、何かを追っているんだろう。このままでは彼は奥まで行って死ぬよ。早く追いかけに行ったほうが――」
途中で和馬たちは聞くのを止めて、走ってヴェゾットへと突入した。
その様子を見てジークは笑みを浮かべる。
「いやー、実に人間とは面白いね。さてと、私も私でここから離れておくとするかな」
一瞬にしてジークは姿を消すのだった。
◇
「麻里! おい、待ってくれよ!」
俺は彼女の名前を叫びながら追いかけていた。
しかし、気づく様子は全くない。
それどころか明らか俺の方が早く動いているというのに追いつくことができないでいる。
もしかして、幻か何かだろうか。
いや、麻里が目の前にいるんだ。
例え幻だとしても何か手がかりがあるかもしれない。
足を休めることなく走り続ける。
途中途中に枝が引っかかり怪我をしている。
普段の怪我よりも痛みが酷い。
その痛みに耐えながらひたすらに前だけを見ていた。
今、自分の目の前にいるのが、麻里だとただ信じて……。
◇
「ここから入ったのか」
凛堂は明らかに妙な空間を見つけた。
最近、ヴェゾットに侵入したなどという報告はない。
しかし、今目の前にある光景は所々枝が折れていて、まるで一本の道のようになっている。
もし、才和が入ったとしたらここしかない。
和馬たちも追うようにしてそこに入ろうとする。
その時、いきなり凛堂が和馬の肩を掴み後ろへと力強く引きずった。
「凛堂さん、一体何すんだよ! 早く助けに行かなくてもいいのかよ!」
和馬は声を荒げる。
しかし、凛堂はただ冷静に指を森に向けてさした。
そして、その指した方向には一匹のヴァイルが待ち構えているかのようにいる。
つまり、もしあのまま和馬が進んでいたら、死んでいたということだ。
すぐさま武器を構えるが、そんなことお構いなしに凛堂が即座にぶっ潰す。
他のメンバーは唖然としていた。
執行部にかかればこの程度は造作もないのか。
途中、何回かヴァイルに遭遇するが、全て凛堂一人で倒していくのだった。
◇
「はぁ、はぁ、ようやく追いついた」
森の奥の奥深くの泉のようなところまで着いたところで、麻里が歩みを止めていた。
俺は一目散に駆け寄り、近くで呼吸を整える。
泉の色は濁っているのはわかるのだが、暗闇のせいか、わからない。
そして、ビシッと覚悟を決めるように平手で頬を叩くとそのまま麻里を見た。
白いワンピースに、人形みたいに可愛らしい顔立ちが目の前にある。
肌の色も真っ白で純粋無垢をそのまま体現したかのような雰囲気だった。
ただ一つ妙なのが、麻里の表情に笑顔がなく、暗い表情で上の空のような感じをしていること。
普段の麻里なら常に笑顔を絶やさず俺の前にいた。
しかし、今の麻里にその面影はない。
「麻里……なんだよな?」
肩を両手でしっかり掴み、確かめるように言いながら、体を揺さぶる。
しかし、反応は返ってくることはない。
どうしてしまったのだろうか。
不安が募っていく中、急に麻里が口を開いた。
その声はとても高い音なのに悲鳴のようになっていない。
例えるのならば、合唱団の女性ソプラノような美しい音色だ。
そんないい音色なはずなのに、どことなく聞いたことがある音に似ていた。
「ジェネレーション・ノイズ?」
人間が『ジェネレーション・ノイズ』を使えるなんて聞いたことがない。
俺は耳を疑った。
彼女はおそらくヴァイルであって麻里ではない。
頭の中ではわかっていても、どうしても今目の前にいる少女が麻里と思いたくて仕方がない。
麻里と瓜二つのヴァイルなんていて欲しくない。
その願望故に、否定してしまう。
しかし、衝撃波が発生して周囲を襲う。
俺はそれを受けながらもなお、麻里に近づこうとしていた。
「麻里! 麻里! 返事をしてくれ! 麻里ーーー!!」
返事をしてくれるではないかと思いながら、とにかく麻里の名前を何度も叫んだ。
衝撃波で思いっきり吹っ飛ばされそうになる。
それでも踏ん張って返事をくれるまでひたすらに呼ぶ。
「に……げて……」
麻里が涙を浮かべながら、そう言っているように見えた。
いや、あの口の動きからして確かにそう言っているは間違いない。
やはり、まだ麻里の意識は残っている。
俺は今すぐ側にある希望を失わないためにも、強引に麻里を抱きしめる。
その時、急に激痛が走った。
痛みがする肩に目を向けると、噛まれている。
涙を浮かべながら麻里が噛んでいたのだ。
「お……ねがい……だから……にげて」
今度はよく聞こえた。
激痛も初めは辛かったが、今は慣れ始めている。
血はとめどなく流れていて、意識は遠のいていきそうになった。
しかし、麻里と共にいたいという強い意志が俺をここに留めてくれる。
「いやだ、逃げない。もう、麻里を失いたくないんだ!」
涙を流しながら、さらに強く麻里の体を抱きしめる。
普通ならば骨まで折れてもおかしくない。
しかし、麻里がヴァイルだからなのか、全然そんな素振りはなかった。
それどころかそんなのお構いなしでずっと俺の肩を噛み続けている。
肩くらいくれてやる。
そう思えてくるほど、目の前にいる麻里に会えたことがこんなにも愛おしかったのだ。
「何をしている! 早くそいつから離れろ!!」
急に割ってはいってきた凛堂先輩に襟元を掴まれ引き剥がされてしまう。
その姿を見て、麻里は笑みを浮かべていた。
しかし、瞬時に表情が変わっていく。
「久しぶりじゃな……と言ってもお主は妾のことを覚えてはいないじゃろう」
睨む目つきになったと思ったら、言葉つきも変化した。
さっきまでの優しさはどこにもない。
そして、俺は他の皆と合流していることに気がついた。
「ったく、心配したぜ」
全員、俺を見て安堵した表情をする。
しかし、俺には訳がわからない。
先に行ったはずなのに、どうして後ろから来たのだろう。
そもそも、ここはヴェゾットのどの部分に当たる位置なのだろうか。
いざ、冷静になってみると完全に迷い込んでしまっている。
「ジークが私たちに教えてくれたのよ」
愛の口から出てくる名を聞いて俺は驚く。
何故、ジークが情報を提供してくれたのだろうか。
確か、敵だから止める気はないって前に言っていたはずだ。
つまり、それはこの件には関わらないとも読み取ることができる。
俺の深読みしすぎだったか? それとも、今回の情報はヴァイルにとっては不都合じゃないのか。
いや、そもそも彼らが団結しているとは限らない。
ヴァイルの中にも、人間関係のようなものがあっても不思議じゃない。
「とりあえず、ここから一旦脱出する! いいな?」
皆が頷いて、そのまま来た道を帰る。
麻里はその場で佇んでいて、追ってくる様子はなかった。
暗い森の中を迷わずに駆け抜けていく。
途中途中、険しい道があったとしてもペースを落とすことは決してない。
「傷を見せてみろ」
森を抜けてヴェゾットの入口前辺りまで来たところで、強引に確認しようとする。
俺も素直に傷を見せた。
右肩の一部が欠けてはいるが、そこからの流血は既に止まっている。
いや、止まっているのではないだろう。
侵食が開始しているのかもしれない。
ヴァイルは捕食した相手に『ヴェイル細胞』を流し込んでいる。
それは『ジェネレーション・ノイズ』の時に発生するウィルスのことでもあり、細胞を死滅させる作用を持つ。
しかし、これに適応した例がある。
それが『アクト』なのだ。
おそらく、今俺の体には『ヴェイル細胞』が侵食を始め、体を蝕んでいるだろう。
このまま進めば、半日で死は免れない。
周りも俺の傷口を見て、表情がみんな暗くなる。
アイリスは涙すら浮かべている。
とうの昔に死を覚悟している俺は至って冷静を保つことができた。
「大丈夫、大丈夫。これくらいで俺は死なないよ」
無理をしているようにしか見えない笑顔を俺はする。
きっとみんなはこれを見て、余計不安になるかもしれない。
だけど、弱みなんて見せれば、もっと悲しくなってしまう。
これが最良の選択なんだ。
「助からないわけでもない。お前がアクトの様に『ヴェイル細胞』に適合すればいいのだ」
「それは俺にもできるのか?」
「わからない。ただ、常に生きたいと強く願っていろ。そしたら、適合できるかもしれないとなっている。科学的根拠はどこにもないが、それしかもう助かる手段はない」
だろうな。
ここまで、侵食されていてまだ治療手段があれば、奇跡の様なものだ。
今まで、ヴァイルとの戦闘で喰われて生きていたものはいない。
だから、今こうしていられるのでさえ驚きなのに、これ以上望んでいいのだろうか。
でも、ここで死んで皆の悲しむ姿は見たくない。
だったらいっそ、その可能性とやらに俺は賭けてみようと思う。
生きるチャンスを必ず掴み取ってみせる。
「とりあえず、これからどうするの?」
愛はまだ心配そうな顔をしながらも凛堂先輩に尋ねていた。
確かに、まだ俺たちはヴェゾットの中にいる。
つまり、いつヴァイルに襲われるかわからない。
此処でのんびりしている暇などないのだ。
「まずはヴェゾットの調査を続行するかを決める」
「続行に決まっているじゃないですか!!」
声を荒げて叫ぶ。
しかし、それは俺だけで皆はどちらかというと、続行を断念している様子だった。
「何で! ヴァイルを倒すのが俺たちの目的なら、この機を逃すわけにはいかないだろ!」
「落ち着けよ、才和」
「俺は落ち着いている!」
途中、ガウスが制止してきたが、俺はそれを軽く跳ね除ける。
そして、みんなの様子を伺うが、やる気が全くと言っていいほど感じられない。
「だったらもういい! 俺ひとりでも調査を続けてやる!」
そう言った途端、腹に重い一撃が入る。
俺はそのまま意識を失ってしまったのだった。