第17波 侵食されていく 感覚!
その時、俺は今置かれている状況に気づく。
ここは温泉、そして目の前には裸の女性が二人……明らかに覗き行為が発覚したと言えるだろう。
途中までは俺もどうするか考えてはいたのだ。
しかし、彼女の抱えていた問題を少しでも解決したいと思った結果、そのことをすっかり忘れていた。
彼女たちも自分が今、どんな状況に置かれているかを悟ったのか、顔を真っ赤にしながら、片手でタオルを抑え裸体を隠すと同時に、もう片方の手には桶を持っている状態だ。
俺は彼女たちから降りかかる攻撃を甘んじて受け入れた。
どのくらいの時間が過ぎたのだろうか。
痛む頭を抑えながら意識を取り戻す。
まだ視界がぼんやりとしていた。
無理もない、あれだけの数の攻撃を受けていたのだ。
寧ろ、意識が残っていただけでも不幸中の幸いと言える。
おそらく、ここは脱衣所に違いないだろう。
流石に温泉の中は危ないと思い、運んでくれたのだろうか。
いや待て、全裸だった俺を彼女たちが運んだなんてことはありえない。
そう考えると、多分ガウスたちを呼んだのだろう。
俺は重い体を無理矢理起こして寝巻きに着替える。
全身が筋肉痛のように痛い。
滝の訓練のあとにあんなことをしたからだろう。
正直、今でも少し後悔している。
でも、彼女の問題を少しでも和らげることが出来ているのであれば、いいと思った。
月明かりに照らされながら俺は一歩一歩寝床へと戻っていく。
「ん? あれは……アイリスか?」
川の近くまで通りかかったところで、大きな岩に座って月を眺めているアイリスの姿を見かけた。
あの時とは違うものの、またファンシーな感じの寝巻きを着ている。
俺はそっと彼女の側にまでよって、岩にもたれ掛かるように立った。
川には満月が反射して映し出されている。
滝の音は相変わらず大きいものの、近くにあるわけではないので、邪魔には感じなかった。
「どうした? 眠れないのか?」
呟くようにして、質問を投げかける。
すると、アイリスはハッとする表情を浮かべていた。
本当に俺の気配に気づかなかったらしく、しばらくは驚きで黙り込む。
しかし、少し経つと口を開き始めた。
「ええ、温泉での一件を考えていました」
「あの時は覗いていてすまなかったな」
改まったようにして深く謝る。
アイリスはまじまじと見るが、俺が顔を上げて目が合うやいなやクスクスと笑みを浮かべていた。
悪戯っ子を彷彿とさせるような笑み、それはまさにいつも通りの彼女を示している。
美しい彼女の髪は月明かりと風でより輝きに満ちたように見える。
しかし、まだ彼女はどこか思いつめるような表情で夜空を見上げていた。
「ねぇ、私の話、聞いてくれる?」
見上げた状態のまま問いかけてくる。
それに対して俺は特に何も返事をせずにただ首を一度だけ縦に振った。
彼女はそれを感じ取ったのか、急に呟くようにして語りだした。
「私ね、夢があるの。今日の飯ごう炊飯や悪いことだけど貴方の覗きみたいに平凡な日常をずっと続けたい。でも、そのためにはヴァイルたちを駆逐しない限り叶えることはできないと思うの。だから、私はその夢を叶えるために戦っている。貴方はどんな理由で戦っているの?」
唐突に質問されてしまい、言葉に詰まる。
一度俺は深呼吸をし、落ち着いたところで、数年前に起きた「麻里」に関する事件について話した。
彼女は何も言わずじっと話を聞いている。
そういえば、今までこの話を誰かに話したことはあっただろうか。
多分、ガウスや和馬にだって話したことはないと思う。
何故だろう、彼女に話すことで不思議と安らぎのような感覚に陥る。
気づいたときには全て話しきっていた。
「そう、貴方にもちゃんと戦う理由があるのね。だったら、ヴァイルの力なんて抑えてしまいなさい。そして、早く私たちと一緒に戦いましょ」
彼女は笑みを俺に向けた。
月よりも綺麗な彼女の笑顔はきっといつまでも心に刻まれているのだろう。
彼女は岩から飛び降りると、そのままテントの方へと戻っていった。
俺も寝ようと考え布団に戻ると薬を飲んでそのまま寝たのだった。
「ほらー、起きろー、朝だぞー」
気合の入らないような棒読みの声がテントに反響する。
一体誰の声なのだ。
不思議と気になり、目を開けるとアクトの声であることに気づく。
というか、当人もかなり寝ぼけたような表情をしていた。
疲れでも溜まっているのだろうか。
俺は体を起こすと、顔でも洗うかと思い、川へと向かった。
目をこすりながらおぼつかない足取りで進んでいく。
途中何度も躓きそうになるが、その度に踏みとどまっていた。
まだ、完全に痺れが取れていない。
感覚の至るところがまだハッキリしていなかった。
とりあえず、酔いでも覚ますような感じで水を顔にかける。
そのうちに意識が段々と目覚めていき、思考回路も働き出す。
すると、右手の方に何かがいるのを感じた。
「誰だ!! そこにいるのはわかっている出てこい」
声を張り上げその場所へと向かおうとした。
しかし、俺の声が聞こえたのかすぐさま返事が返ってくる。
「その声は才和? 今、少し着替えているんだからこっち近づくんじゃないわよ」
この声は多分、愛だろう。
何故こんな所で着替えているのだろうか。
別にテント中でいいのではと思う。
彼女は着替え終えるといつも通りの戦闘服姿で出てきた。
黒色で胸元からへその少し上までを隠すようなキャミソールに薄ピンク色のホットパンツ、そして、赤色のジャケットを着て、その左胸にはバッジがしっかりとついていた。
いつもの凛とした姿の愛がここにいる。
「ところで、こんな所で何をしていたんだ? 別に着替えるだけならテントの中でもいいだろ」
「水浴びをしていたのよ。朝はこうでもしないと私は起きれないの」
俺は事情を理解する。
ということは一歩早ければ危うく死んでいたかもしれなかった。
安堵の息を俺は漏らす。
そのまま、二人でみんなのいるテントの元へ行き、朝食を作る。
そして、みんなが食事を終えると同時に、アクトが上空からやってきた。
「みんな、準備はいいな? 今日の特訓も昨日と変わらず、滝の修行だ。全員が成功してから次の修行に移るらしいから、誰ひとり気を抜かずに励めよ」
アクトの案内の元、昨日と同じ滝の場所へと到着する。
夜景も美しかったが、朝も充分にきれいだ。
川の水たちが宝石のようにキラキラ輝いている。
それに木の葉が舞い散り、川へと落ちていく情景は何やら風情を感じた。
俺は心を落ち着けると、再び昨日のように滝の中に入る。
愛とアイリスは下に水着を着ていたため、上着を脱いでから入った。
再び昨日の特訓が再開されるのだった。
「うぅぅぅー、痛い」
今日は昨日と違い俺ひとりだけ頭をさすっていた。
ガウスとアイリスは勿論ミスなどしていないのだが、和馬や愛も今日はやけにミスがほとんどなかったらしい。
つまり、現在合格点に最も程遠いのは俺ということになる。
なんとしても、みんなの足を引っ張るような真似だけはしたくない。
しかし、そう考えるほど、焦りがどんどん増していき、上手く出来なくなっていた。
かつての俺ならきっとこの程度の反応はできて当然だったはずだ。
これもやはり『ヴェイル細胞』と何か深い関わりがあるのだろうか。
もしかして、このことをアクトは知っているんじゃないかと思った。
夕食の準備の時、みんなにこのことを話して席を外すと、すぐさまアクトの元へと向かう。
アクトは何やら川の麓でグレゴスと会話をしていたが、俺が来たことに気づくと話すのを止めた。
「どうした? もしかして、もう夕食ができたのか?」
「いえ、それとは別で、ちょっと引っかかることがありまして」
続けざまに俺は自分の予想を述べていった。
ヴェイル細胞を体内に宿しているということは感覚神経もおそらくヴァイルと相違ないのではということに気づいてしまったのだ。
このことについて言及するような口調でアクトに言った。
すると、アクトはようやくかと言わんばかりの表情を浮かべる。
「どうやら、気づいたようだな。そう、君の予想はほぼ合っている。ヴェイル細胞に適合した俺たちは痛覚などの感覚は完全に鈍くなっている。つまり、このままだと、身に危険が確実に起こるだろう。そして、これを未然に防ぐためにも君にはこの修行を勧めたんだ。これはヴェイル細胞を押さえつけるような訓練では決してない。しかし、これをやることでちゃんと意味は存在する。とりあえず、もっと詳しく知りたいのなら、早く滝から落ちてくる物体を全て避けきることだな」
やはりそうだったか。
きっと、俺と同じ理由でアクトも苦戦したに違いない。
事実、俺も今日は煩悩が働かなかったが、結局は頭にはタンコブの山ができていたのだからな。
俺はグッと決意を固め、テントに戻っていく。
着いた頃にはみんなすっかり夕食の準備を終えており、俺が来るのを待っていた。
席に着くと、みんなで手を合わせ食事を始める。
昨日と同じように騒ぎながら食事をしていた。
長い訓練の後だと言うのに、誰ひとり弱音を吐こうとはしない。
食事が終わった頃、片付けは俺ひとりでやると言い出し、みんなの食器を集めて運ぶ。
そして、黙々と山積みとなっている食器たちを洗っていった。
「私も手伝うわ。洗った食器を拭くから、こっちに頂戴」
ふと、横に目をやるとアイリスがいた。
しかし、俺ひとりでやると言った手前、何やらお願いするのが何か恥ずかしかった。
その気持ちを悟ったのか、何も言わずに俺から洗い終わった食器を取ると、次々とそれを拭いてしまっていく。
「今日は男が先に風呂に入るのよ。だから、早く終わらないと貴方も入れないでしょ」
「なるほど、わかった。急いで片付けるか」
そう言って、さっきよりも手を早める。
着々としたペースで進んでいき、後少しで終わりというところまで来た。
そんな時に急に右の指に刺すような痛みが走る。
俺はその痛みでうっかり手を離してしまい、持っていた皿を落とす。
「ちょっと大丈夫?! って、足に破片とか刺さっているわよ! ほら、早く止血しないと!!」
俺にはそのような痛みが微塵もなかった。
感じるのは指から来る刺さるような痛みだけ。
どういうことかと疑問に思ったその時、足から同じような痛みが来て、思わずその場にしゃがみこむ。
よく見ると、確かに足に皿の破片が少し深めに突き刺さっていた。
引き抜こうとした時、全然痛みは生じない。
しかし、必ずその時本来なら感じたであろう激痛が数秒遅れで襲ってくる。
急にくる痛みに耐え切れず涙目になった。
アイリスは横でずっと混乱している。
俺はとりあえず、頭に手を置いて、落ち着かせようとした。
「ねぇ! 大丈夫なの?! 傷口はどうなっているの?!」
落ち着かせようとしたが、全く効果はない。
終いには余りの騒ぎように心配したのか、アクトや愛まで駆けつけてきた。
傷口を見るなり、愛は救急箱を探しに行き、アクトはじっと傷口を見つめている。
痛覚が鈍いとこんなところでも苦労させられるのか。
俺は二箇所から溢れ出てくる血を頑張って抑えようとする。
そして、救急箱を持った愛が戻ってきた。
「愛、早く止血できるものを出してくれないか?!」
俺は手で急かすような仕草を取る。
しかし、愛が止血のための包帯を出して巻こうとした時、アクトがそれを制止した。
「アクトさん、どうして止めるんですか。俺は一刻も早く止血をしたいのです!」
「止血をする場合は自分でやれ。君の血は特殊だから人にやらせるのは危険を伴う」
すぐさまアクトの言っていることを理解すると、愛から救急箱をもらう。
痛みに耐えながら俺は引っ張るように無理矢理、包帯を取り出すと足の傷口にきつく巻く。
包帯はすぐさま赤く染まっていき、俺は巻数を増やすことで止血していった。
とりあえずはこれで一時的には何とか大丈夫そうだ。
怪我をした右足を庇うようにして立ち上がる。
「これはあくまで応急処置に過ぎない。だから、今からいつもの川に行って血を洗い流してこい。その後、誰かにしっかりと包帯を付けてもらえ」
アクトはそれだけ言い残してどっかへ立ち去っていく。
ちょうどその頃、ガウスと和馬が温泉から戻ってきた。
二人にここで何があったかを話す。
そして、愛とアイリスに先に入ってとだけ言うと、俺はガウスたちの肩を借りながら滝のある川に向かった。
「夜分にどうしたのだ? 何かあったのか?」
俺は包帯を外し、傷口をグレゴスに見せた。
すると、こちらに来るように首を振るのでそのまま足を川の中に入れていく。
川に入りきった頃、物凄い激痛が走り出す。
グレゴスは手の怪我にも気づいたのか、その場所もつけるように指示してきた。
当然、初めは戸惑ったが、治療のためには仕方ないと諦め、手も川の中へと付けていく。
やはり、数秒遅れで痛みが伴ってくる。
しかし、どういう訳か傷口からの血が数分後にはすっかり止まっていた。
「一体、どういうことなんだ?」
「ここの川は少し特殊で、傷とかを癒すことができる。おそらく、川の水の中に細かく砕かれた血小板が混入しているのかもしれない。実際のところはわからないから何とも言えないがな」
とりあえずは止血が終わり、行きの足取りを辿る感じでテントへと戻っていく。
すると途中、まだ温泉に浸かっていないことに気づいた。
和馬たちに助けを借りて、俺は温泉へと向かう。
脱衣所まで着いたところでそこにはアイリスと愛の姿があった。
「とりあえず、入ってきなさいよ。その後で包帯を付けてあげるから」
俺は脱衣所に入り、服を脱ぐと、いつも通り体を洗い、温泉へと浸かる。
しかし、本当に痛みや血が止まっていた。
これが一種の水の効能とでも言うのだろうか。
数十分後、流石にみんなを待たせるわけにもいかず、上がって寝巻き姿になる。
そして、脱衣所を出ると、アイリスたちが丁寧に包帯を縛ってくれた。
「本当にありがとう、みんな」
「早く訓練クリアしなさいよね、後はアンタだけなんだから」
愛の言葉にみんなが声を揃えて笑う。
俺もその光景を見て、一緒になって笑うのだった。