手作りの人形売り
わたしはお人形さんが大好きです。
わたしが小学生の時、行きつけのオモチャ屋さんがありました。そんなに都会じゃない町だったけど、そこのオモチャ屋さんは沢山の種類のオモチャが揃っていました。なぜなら、そのオモチャはすべて店員さんの手作りだったからです。
考えてみると、ビックリするほどの完成度を持っていました。だから、その店はわたしの小学校でも有名で、いつでも混雑していました。
わたしは、そのオモチャ屋さんの商品の中でお人形さんが大好きでした。可愛いのに、まるで生きているみたいに精巧でした。特に、お人形さんの目を覗くと、まるで覗き返されているような気分になりました。
周りのクラスメイト達は、その人形を「気持ち悪い」、「買わない方がいいよ」なんて言ってきました。でも、わたしはどうしてもそのお人形さんが大好きで、いくつか買いました。
「ご購入、ありがとうございました」
そう言われると、こんなステキなお人形さんを売ってくれた店員さん、作ってくれた店員さんにありがとうと言いたい気分で一杯になってくるのでした。
家に帰ると、わたしはお人形さんをビニール袋から出してあげて、お部屋に飾りました。わたしがお人形さんを飾るところは決まっていて、お部屋の一角にお人形さんが一杯いました。わたしはそのお人形さんたちと、よく遊んでいました。とても楽しい時間でした。
ある日、お母さんがお部屋を掃除しにきました。わたしはちゃんと自分のお部屋を掃除しているので、わざわざそんなことをする必要がないぐらいピカピカでした。
お母さんがわたしのお部屋に入ると、いつもまずお人形さんの山をにらみます。そして、すぐさまそれを捨てようとするのでした。
「お母さん、止めてよ!」
わたしが慌てて言うと、お母さんはまるで鬼のような形相でわたしを見てくるのでした。
「あんた趣味悪いよ。生きているみたいで気持ち悪いじゃない」
わたしは思わず泣きました。泣きながら、お母さんを叩いて、お人形さんを守ろうとしました。そうすると、いつも呆れたような目でお母さんは去っていくのでした。わたしは不完全な気分だけど、お人形さんを守れたことに喜ぶのでした。
わたしはそれからも例のオモチャ屋さんに通い続けました。すると、必ず新しいお人形さんが増えていました。そして、それは当たり前のようにわたしの趣味にストライクなものでした。
わたしはそれが嬉しくて、また新しいお人形を買うのでした。
でもある日、またわたしのお母さんがお部屋に入ってきました。怒っているというよりは、焦っているような表情でした。わたしは不思議な気持ちでお母さんを見ていましたが、お母さんが手に持っていた家庭用ごみ袋にわたしのお人形さんを入れようとしているのを見て、ビックリしました。
「お母さん、何するの!?」
「今日こそ捨てるんだから!」
そう言って次々とお人形さんを袋に投げ込んでいくお母さん。わたしは涙を流しながら、お母さんを止めようとしました。でも、小学生の力で止められるワケもなく、どんどんゴミ袋にお人形さんを詰められてしまいました。
わたしはなんとか残りのお人形さんを守ろうとしました。でも、わたしが手に抱えたお人形さんにも容赦なくお母さんの手が伸びてきて。とんでもない力で引っ張られました。
その瞬間。
わたしが抱えていたお人形さんの素材は布で、お人形さんというよりはぬいぐるみに近いものでした。ビリッという音と一緒に、お人形さんは破れてしまいました。わたしはビックリしました。
なぜなら、お人形さんの破れたところから、何かレンズのようなものが覗いていたからです。わたしとお母さんは、しばらくの間黙って地面に落っこちたお人形さんだったモノを眺めていました。やがて、恐る恐るお母さんはそれに向かって手を伸ばしました。
お母さんの悲鳴が、わたしたちの家中に広がりました。レンズのようなものは、紛れもなくカメラでした。それは丁度お人形さんの目の辺りに仕掛けられていて。赤い光が、わたしを見つめていました。
わたしの家に、もう1つ悲鳴が上がりました。
今ではそのオモチャ屋さんは存在しません。お人形さんにカメラが仕掛けられていた。そんな話が家の近辺に広がってから、そのオモチャ屋さんに訪れる人がいなくなってしまったからです。
友達のお話を聞く限り、オモチャに何かが仕掛けられていたのはわたしのお人形さんだけだったらしいです。でも、わたしのお人形さんには「全て」監視カメラが仕掛けられていました。
それ以来、わたしはお人形さんを買ったことはありません。代わりに、作って飾るということは何度かしました。
でもお人形さんを作ったその翌日、家に帰ると、どうしてもあの日のことを思い出してしますのです。お人形さんの目がとても怖くて。思わずお人形さんをハサミで切り刻んでしまうのです。
でも、わたしはお人形さんがダイスキです。