スイッチ
「うぉっし先制ゴールだ」
「ばーか、喜ぶのは早えよ。信頼取り戻すにゃもっと点取れよ」
ガッツポーズを作る剣崎を、栗栖が笑いながらたしなめる。竹内も苦笑いを浮かべながら剣崎とハイタッチを交わす。ただ、鎌林や根本といった剣崎をよく知らない連中は、未だ半信半疑だった。初心者以下のポカをやらかした男と、ワールドクラスのシュートを鮮やかに撃ち込んだ男が同一人物であることを飲み込みきれないでいた。
「なあ、ちょっといいか」
プレー再開前、鎌林は栗栖を呼び止めた。
「さっきのクロス、あれわざとか」
「というと?」
「そんなに距離離れてないのにめちゃくちゃ強く蹴ったろ?あいつにはあんなボールがいいのか?」
矢継ぎ早に聞いてくる鎌林に、栗栖は苦笑いを浮かべた。
「まいったな。そこまで考えちゃいないんだ。ただ単にボレーを撃ちやすい腰周りを狙っただけだからよ」
「そんなもんか…。あいつにはどんなボールがいいんだよ」
さっきのポカが頭にある鎌林のぼやきは無理もなかった。
「どういうパス出したらいいか…そりゃわかんねえよな。じゃあま、一つだけ。ゴール目掛けて適当に蹴りな」
栗栖のアドバイスは、鎌林の頭にハテナマークを増やしただけだった。
「…いったいどうしろってんだよ」
「まあ、どんな雑なパスでもシュートを打ってくれるってことさ。難しいだろうけど、最初のポカはもう忘れてくれよ。すべてはそっからだよ」
ゲームは再開。リードした赤ビブスではあるが、ぎこちなさは相変わらずだったが、守備に関しては怯まず果敢に立ち向かった。
一方で青ビブスは、剣崎のゴールを「まぐれ」と片付けて反撃を仕掛けた。しかし、2トップの攻めは対照的であった。江川の執拗なマークに意固地になって力技を続ける佐野に対し、小松原は猪口の癖を探りそれをつくチャンスを伺っていた。
(和歌山のスカウトって、あんま体格にとらわれねえんだな。普通の目じゃまず相手にされねえタイプだ。…だがやってみて分かった。こいつの対人戦のポテンシャルは全国レベル。さすがプロ予備軍って感じだぜ)
「だか俺だって伊達でエースはってねえんだよっ!」
一瞬の隙をついて、小松原は猪口を振り切りながらパスを受け、友成との一対一の状況を作り出した。
「くらえっ!」
無駄のない動き、特にフェイントを交えずに、小松原はシュートを放つ。しかし、ボールは横からスライディングしてきた木之本が体を張って守りきった。
「何っ?」
小松原は素直に驚いた。ゲーム前、赤ビブスのメンバー間にあった温度差から、ユース以外の選手のプレーは縮こまると予想し、実際消極的なプレーが少なくなかった。しかし、今のスライディングで赤ビブスの連中は、全員戦う気持ちになれている。そう実感した。
「こいつはうかうかしてらんねえな…」
小松原は危機感を口にした。
30分ハーフのゲームはそこで前半が終わった。選手たちの表情は対照的であった。その中で、青ビブスのFW佐野は用意されていたボトルの水を飲み干すと、それをたたき付けて怒鳴った。
「くそったれ!なんで俺があんなやつに抑えられなあかんのじゃ!!」
「お前が工夫しないからだろ」
怒る佐野を、小松原は冷たく吐き捨てる。その態度に佐野は苛立つ。
「なんやとワレ。どういう意味や」
「そのままさ。工夫のないごり押し一辺倒で勝てるわけねえだろ。フェイントいれるとか仕掛けるタイミング変えるとか、もっと工夫しろってんだよ」
「工夫やと?名の知れてへんぼんくら相手にそんなセコい真似できるか」
「じゃあお前はそのぼんくらにやられてる訳だから、ぼんくら以下ってことになるな」
その物言いに、佐野の怒りは沸点に達した。立ち上がって小松原と睨み合う。
「オンドリャあっ!黙って聞いとったら随分偉そうにぬかすやないけっ!」
しかし小松原は怯むどころか、逆に佐野の胸倉を掴んで凄む。その迫力に、逆に佐野が怯んだ。
「名前があるかないか関係ねえよ。ここにいる奴らは捩じ伏せる敵じゃなく、同じ目標持って戦うチームメートだ。いつまでもお高くとまってんじゃねえよ」
「うっ…」
佐野の胸倉を掴んだまま、小松原は他のメンバーにも喝を入れた。
「無名ってことはそれだけデータがないってことだろ?だったらもっと相手観察しろ。ここにいるってことは力があるってことだ。いつまでも相手下に見てたら、誰ひとり本番のピッチに立てねえぞ」
小松原の態度に、天野は感心しきりだった。
「…なるへそ。こういう大将がいるなら、頼もしいことこの上ないね」
小松原の振る舞いは赤ビブスの面々も唸らせていた。とりわけ、剣崎らユース組は、負けじと味方を鼓舞した。
「さあてみんな。向こうも気合い入れてんだ。俺達も負けずにやりあって、後半もリードとろうぜ。な、クリ」
「そ。剣崎の言うとおりさ。前半あれだけやれたんだ。同じ高校生同士、できないことはねえんだからな」
音頭をとる剣崎を見て、鎌林はふと呟いた。
「なんか…めちゃくちゃ頼もしいな」
「驚いたかい」
鎌林の肩を叩いて猪口が声をかけた。
「あいつは飛び抜けて下手だけど、絶対に気持ちを折らないし、なんだかんだでゴール決めてくれる。意外と頼もしいんだ」
ゲーム再開。前半と比べると、雰囲気は明らかに変わった。
エリート揃いの青ビブスからは慢心が、混合赤のビブスからは怯みが消え、大胆かつ丁寧なプレーがぶつかり合う。
「佐野っ!」
「頼むぜ、マコっ」
そのうちに小松原が最終ラインの裏を取り、一対一の状況を作る。対峙する友成は、飛び出して一気に間合いを詰める。
(こいつには変にかわすより、真正面からぶつかった方がいいっ!)
そう腹を決めた小松原は、友成よりも早くシュートを打つ。いくら反射神経に秀でた友成も、至近距離からのシュートは、指を掠らせるだけで精一杯だった。
これでゲームは同点に。しかし、青ビブスが小松原を得点源と明確に絞って攻め込むのに対して、赤ビブスはそれを定めきれないでいた。なかなか剣崎に対する信憑性が確立できていないからだ。
そこへきての友成の失点。頼みの守護神が打ち破られたことで、再び赤ビブスチームは浮足立っていた。そんな味方を、栗栖は心の中で吐き捨てた。
(ころころ気持ち切れんなっつの。しょーがねえなあ)
「俊也、見せてやれ」
栗栖はあえて3人に囲まれている竹内にパスを出した。
栗栖の意図を汲み取った竹内もまた、ギアを上げた。
「3人に囲まれてんのに、どうやって抜けるつもりなんだ?」
青ビブスのセンターバック、大浦が竹内を睨みつける。
「へへ。正直言って、君ら程度じゃ俺を止めらんないよ」
「何?」
竹内はニヤリと笑うと、重心を低くして軽くステップを刻み、ズババっと斬劇音が響くかのように、ドリブルで3人を振り切った。
「おいおい、俺がコーチングする前に抜かれんなよ」
一対一に持ち込まれた天野は、落胆したようにぼやき、その傍らであっさりと竹内は勝ち越し点を挙げた。
得点を決めた竹内は特に喜ぶでもなく、逆に喜んで賛辞を送るチームメートを、上から目線で吐き捨てた。
「あのさあ。いつまでもだらし無い真似やめろよな。そんなガキみたいなメンタルで戦うつもりなのかよ」
今までの爽やかさは微塵もなく、尊大な態度で語気を強める竹内。赤ビブスの面々はもちろん、あっさり抜かれてしまった青ビブスの選手たちも唖然と立ち尽くす。
「これから俺達は全国に勝負かけるんだぞ。剣崎も猪口も江川も下手だけどさ、自分のできるプレーを精一杯やってるから結果出してんだよ。お前らももっと自分出せ。ぬるいんだよ!」
実に耳の痛い言葉だった。特に小松原、鎌林は沈痛な思いで聞いていた。
(…確かにそうだな。才能もフィジカルも発揮できるかどうかは本人のメンタルだからな。普段からもっと仲間に言ってりゃ、全国に「出るだけ」ってのはまともになんのかな…)
(竹内の言うとおりだ。パスの出し所云々じゃない。結局は自信ないのをごまかしたまんまなだけだ。出来ることもやらないで勝てるかよ)
「やはり、和歌山のユース選手を入れて正解でしたね」
ゲームを見守っていた小早川監督は、誰に聞かせるでもなく呟いた。
ただ、表情はすぐに曇る。
「しかし、一選手にあそこまで言われなければ気合いが入らないとは…。想像以上に情けないチームだ。これじゃあ毎年地区予選突破が精一杯なのも仕方ないですねえ。それに、この火種はまだまだ悪い方に流れそうですし」
小早川の読みは当たっていた。竹内は彼なりに味方にハッパをかけたつもりだったが、若さ故言葉の強さや深さを読み取る理解力が足りない。聞き手の感情は「俺はお前と違うんだよ…」と自分を蔑んだり、「できるからって偉そうにするな」と妬んだりする場合が多い。自分に劣等感を持つメンバーが多い赤ビブスの面々は前者だった。
鎌林をのぞいて。
「俺だってドリブルとクロスっていう武器あっからな。ちょっとは見せとかねえとな」
鎌林の顔は、自信に起因する笑顔がうかんでいた。
対峙する相手選手をかわし、十八番のシザースを交えながら間合いを測ってさらに攻め込む。ちらりとゴール前を見遣ると、剣崎と目が合った。その眼光に思わず息を飲んだ。
「蹴ってこいっ!押し込んでやるっ!!」
口の動きはそうとれた。賭けてみた。
(頼むぜ、エースさんよっ)
鎌林はペナルティーエリアに、弾道の低いアーリークロスを蹴りこむ。キーパー天野と味方の剣崎、その中間点に位置するところ。天野が弾き出そうと前に出かけたが、体ごと突っ込んできた剣崎に身体が躊躇した。剣崎はダイビング“フェイス”でボールを叩き込み、大勢を決する3点目を叩き込んだのだ。
「鎌林ぃっ!!」
決めた剣崎は、鼻血をたらしながら鎌林に飛び込んできた。自分よりも一回り大きなストライカーにのしかかられた鎌林は変な声を出す。しかもそこに栗栖や竹内も乗ってきた。
「ナイスクロスだっ!ありがとよてめぇっ!!」
「ちょ…おも…剣崎、た、頼むから…ちょっと」
息が止まりそうだったが、鎌林にはやり切った充実感のほうが強かった。全国レベルの選手相手に、自分のプレーが通じたことが嬉しかったのだ。
ゲームは間もなく終了。ラストワンプレーで小松原が2ゴール目を上げるも、3−2でユースとその他大勢の混成チームの赤ビブスが勝利。強豪校連合の表情には、敗北感が滲み出ていた。気を吐いた小松原も含めて。
「さて、お疲れ様でした。即興のチーム同士にしては、なかなかエキサイティングなゲームでしたね。見ていて楽しかったです」
終了後、小早川監督が選手を集めて講評を述べた。基本的に褒めて選手を指導するタイプであるが、初っ端から上機嫌に評価を述べた。
「特に気に入ったのは…鎌林君と小松原君です。鎌林君はユースの選手たちの雰囲気に乗って見事に持ち味を出しましたし、小松原君は劣勢の中で気持ちを切らさず、結果でも態度でもチームを引っ張りました。お二人とも素晴らしかった」
ただ、そこで笑みは消えた。目が据わり、選手に対して不満ありありのオーラを醸し出した。
「しかし、ユース組は当然として、褒められるのはこの二人だけ。あとは想像以上に落胆しました。青ビブスは己の力を過信し、赤ビブスは逆にプレーが縮こまっていた。これから横一線で代表メンバーを争うにも関わらず…。和歌山がサッカー弱小県であることを改めて痛感しましたよ」
語気は強くなかったが、温厚な印象しかなかったさっきまでと一変した態度に、誰もが表情を強張らせた。
「この国体選抜チームは、とどのつまりは即席の混成軍。深められる連携はたかが知れています。だからこそ個々の力がものを言うのです。そしてそれを生かすには、相手を理解しようとする謙虚な姿勢も必要です。おごらず怯まず全力で合宿に取り組んでください。以上です」
最後はメンバー全員を引き締めるように、小早川が語気を強めた。選手たちもまた、身が引き締まる思いで力強く返事した。
その日の練習後、鎌林は剣崎たちに声をかけた。
「その…悪かったな。せっかく気持ち開いてくれたのに、避けるような真似してさ」
ゲーム後しばらくは自分のプレーの満足感にひたったものの、時間が経つに連れてその前の自分の振る舞いが恥ずかしくなり、無性に謝りたくなったのだ。直立して頭を下げた鎌林に対して、剣崎は実にあっけらかんな反応を見せた。
「なんだ。そんなことか」
「え?」
「別に気にしちゃいねえよ。それに、俺のゴールアシストしてくれたじゃんか。今更謝る必要ねえよ」
「剣崎…」
「ま、このチームの時だけじゃなくて、こっから先もよろしくなっ!」
満面の笑みで剣崎は右手を差し出す。
それを鎌林は、今度は笑みを見せながらがっちりと掴んだ。