挨拶がわり
「起ーきーろおぉっ、このバカ息子ぉっ!!」
紀の川市内で隠れた名店と言われる中華屋、けん軒。その住居部分の二階でアラフォー女性の怒鳴り声が響く。そしてドスンと大きな音がした。
「ぶぎゅえっ!!」
それに合わせてもう一人の叫び声が響いた。彼女の息子だ。彼は顔を踏み潰されて目覚めたのであった。
「なぁにすんだおかんっ!!踏んづけることねえだろ!」
「目覚めがジリジリとやかましいんだよ。一回で起きろかい。怒鳴って起きないから踏むしかないだろ」
そう言って母親はすたすたと厨房に降りて行った。未だ寝ぼけ眼の息子はそれとなく時計を見る。すると一発で目が覚める。
「げっ!!もう9時ぃっ!?」
彼の名は剣崎龍一。和歌山県内を本拠地とするプロサッカークラブ、アガーラ和歌山のユース生である。この日は大事な練習の初日なのだが、集合時間午前9時に対し、現在8時57分。自転車で15分の練習場に、初日から遅刻という大失態を犯した。
「やっべっ!もう集まってんじゃんか!」
全力疾走の自転車を乗り捨ててグラウンドへ駆け出すと、すでに人の輪が出来ていた。ただ、幸いにも練習は始まっていないようにも見えた。
「すんませぇんっ!遅れたっすっ!!」
声の主に対して、集団は一斉に振り向く。その中から一人が駆け出し、剣崎の脳天に鉄拳を叩きつけた。
「この大バカ野郎のクソガキがぁっ!!初日から遅刻するなんざ案の定じゃねえか!」
「人前で殴ることねえだろ宮脇コーチぃ!15分遅れを10分縮めたんだから勘弁してくれよぉ」
「くだらねえ弁解すんじゃねえっ!!だったら初めから時間通り来いっ!」
いきなり始まった漫才にほとんどの人間が呆気に取られる。その中で笑いをこらえているのは、剣崎の幼なじみでユースのチームメート栗栖将人だ。
「ククク、相変わらずだな剣崎。宮脇さんもその辺でいいでしょ?若いうちから血圧上げすぎですよ」
「…ったく。初日からこれじゃ先が思いやられるわ」
「それにしても剣崎よ。初日からやらかすなんてらしいっちゃらしいが…、さすがにかっこつかないぞ」
「ちぇ…まあ、やっちまったもんはしゃーねえ。次だ、次」
ようやく選手が集合したところで、集団の指導者と思われる初老の男が、咳ばらいして挨拶を始めた。
「揃ったようなので始めましょう。皆さん、おはようございます」
「おはようございます!!」
「えー私が国体の県少年選抜チームの監督を勤める、県サッカー協会の小早川といいます。諸君らは今日から、来たる国体の本大会出場を目指して、和歌山県代表チームとして地区大会突破を目指します。今日からの合宿で各々の連携をできるかぎり深め、ぜひ本大会出場を目指しましょう」
ここに集められたのは、来たる国体の和歌山県代表選抜、その少年男子(18歳以下)のチームである。集まったのは和歌山ユースと初島橋本高校、近畿体育大付属和歌山高校両サッカー部を中心に3年生から選抜された30人。その中で剣崎たちユース組は、他の高校生たちとは雰囲気が違っていた。
遅刻してきた剣崎やキーパーの天野大輔は180オーバーと大柄だが、それ以外はサッカーをしているかが疑わしいくらい小さい選手が多い。剣崎と同じフォワードの竹内俊也はともかく、ゲームメーカーの栗栖やキーパーの友成哲也は小さい部類に入るし、特に目を引いたのが、ガリガリの江川樹と小学生ばりの体格の猪口太一の二人。顔合わせの際、高校生たちは「こいつらホントにサッカーしてんのか?」という疑いの眼差しを向けた。小早川監督もいざ実物を見ていると怪訝な目をむけてしまっていた。
このチームの首脳陣は和歌山からユースチームのコーチである宮脇健太郎、初島橋本コーチの黒田幸也、近体和歌山OBで整体師の三井一成の三人がコーチとして選手を指導する。
「うーし、それじゃ自己紹介はそこまでだ。うちのバカが迷惑かけといて悪いが、今からウォームアップ。その後早速紅白戦やるぞ」
宮脇コーチの音頭で、選手たちはそれぞれの学校ごとに分かれて体を解した。
そこにユース組に近づく選手がいた。
「わりいけど、ちょっと相手してくれねえか」
「んあ?誰だお前」
「そんな言い方ないだろ。悪いな」
間抜けた返事をする剣崎をたしなめ、代わりに竹内が詫びる。
「いや気にしてない。名乗ってなかったし。俺は紀州中央の鎌林俊介。ポジションは右のサイドバックだ。ハーフもいけるぜ」
「おう。よろしくな。紀州中央からはお前だけか?」
「いや。もう一人…キム」
鎌林に呼ばれ、一人の選手がくる。
「こいつは木之本拓海。左のサイドやってる。うちからは俺達二人さ」
「二人ってやりにくくねえか?」
剣崎からの率直な質問に、鎌林は苦笑する。
「まあ…しょうがねえよ。うちはそんなに強くねえからな。正直俺らも戸惑ってんだ」
鎌林の吐露に、剣崎たちは後ろめたさを感じた。まだ馴染めていない二人に、ストレートな質問をしすぎたことに。
そもそも和歌山県内の高校サッカーの実力は全国でもかなり下の部類に入り、他府県からの留学生のない地元勢は肩身が狭い。初橋8人、近体7人、ユース7人のエリートたちに囲まれたその他の選手たちにとっては、彼らは眩しく自然と壁を作っていたのである。
「まあよ、こうやって知り合ったのもなんかの縁だ。とりあえず、よろしくな」
そういって差し出された剣崎の手を、鎌林は握り返さなかった。
「気なんて使うなよ。プロの予備軍の手なんて、恐れ多くて握れないよ。やっぱいいや。じゃ」
そう言って鎌林は、木之本と共に別の場所に移った。その姿に、剣崎は顔をしかめた。
「なんだあいつ。そんな言い方ねえだろ。これから一緒に戦うのによ」
「ほっとけよ。勝手に壁作ってる連中なんかよ」
一連のやり取りを見ていた友成が、剣崎を小突く。
「でもよ、どこからきたかは関係ねえだろ。これから俺達はチームメートになるんだぜ?」
「一瞬な」
「はあ?」
「これからずっと釜の飯食うってんなら話は別だがよ。このチームは国体の間だけのごった煮、プレーの連携さえ高めてりゃいいんだ。必要以上に馴れ合うのは時間の無駄だ」
さばさばと持論を言った友成は、そのままランニングを始めた。
「あのやろう…。東京育ちってほんと薄情だな」
「まあそう言うな剣崎。お前も間違っちゃいねえが、友成にも一理ある。必要以上に声かけることもねえよ」
「そう言うけどクリよ。あんな言い方ねえだろ?」
「友成がか?」
「いや。鎌林の奴さ。勝手に壁なんか作りやがってよ」
友成の言葉に腹を立てるのはいつものことだが、それ以上に鎌林の態度のほうが剣崎は気にくわないでいた。
そんなこんなで選手たちはウォーミングアップを終了。小早川監督の指示で青と赤のビブスが配られた。
青ビブス
GK天野大輔(和)
DF上野慎吾(初)
DF大浦和己(初)
DF寺下秀平(初)
DF瀬藤聡(近)
MF塩崎彰宏(近)
MF砂山恵介(初)
MF千葉良人(近)
MF辻内純(初)
FW佐野竜太郎(近)
FW小松原真理(初)
赤ビブス
GK友成哲也(和)
DF猪口太一(和)
DF江川樹(和)
DF中西悠斗(南部川)
DF木之本拓海(紀)
MF根本司(那智)
MF早瀬泰文(新宮科学)
MF栗栖将人(和)
MF鎌林俊介(紀)
FW剣崎龍一(和)
FW竹内俊也(和)
分けられた面子は、ある程度予想通りといえた。青ビブスは毎年の高校サッカー選手権県大会決勝の常連同士、片や赤ビブスはユースとその他大勢の混成軍であった。お互いを知っているという意味では、青ビブスのほうが有利ではあった。
「監督、ちょっとひいき入ってませんかね」
メンバーを決め小早川に、黒田コーチが意図を聞いた。
「まあ、これは実験でもあります。果たして和歌山のユースたちの実力がどれほどのものか。トップチームはJ2の底辺にいますし、来た選手も見かけはかなり期待薄ですし」
「確かに。特にセンターバック、なんなんですかあれ。細すぎるし小さすぎる。いくらなんでも高校生を甘く見ていますよ」
「だから両校のエースをぶつけてみるんです。それ相応の力があるかどうか。なければ初橋を中心に編成するだけです」
青ビブスの選手たちも、赤ビブスの弱点はセンターバックと決め込んでいた。
「佐野。どっちが先に点取るか、かけるか」
「いいねえマリちゃん」
「馬鹿野郎。俺の名前は『まこと』って読むんだよ」
「へへ。どっちにしても女みたいやな」
「・・・それ以上からかったら殺すぞ」
「悪い悪い。まあ、賭けには乗るさ。弱小クラブのユース生なんて、たかが知れてるしな」
早くも勝ちを確信するメンバーに、天野は心の中でつぶやいた。
(あーあ、まあ、見かけでそうなるわな。まあ、終わったあとにどれだけ血の気残ってるかってのも楽しみだね)
赤ビブスの選手たちの不安も、その辺りにあった。たまりかねて根本が栗栖に聞いた。
「大丈夫なのか?うちのセンターバック。相手の2トップは強力だぞ」
「心配すんなって。俺たちの2トップのほうがよっぽど頼りになる。始まってからのお楽しみさ」
栗栖はそのまま鎌林に声をかけた。
「鎌林くんよ。確実にいきたいなら竹内、どうにか困ったときは剣崎を頼ってくれ」
「え?ああ・・・」
ゲームは青ビブスのキックオフで始まった。敵同士で何度も遣り合っているためか、お互いをよく知っていることもあり、序盤から青ビブスチームがボールをキープした。
正直なところ、少なくとも剣崎たちを「弱小クラブのユース生」としか見ていなかった人は多かった。全国レベルを肌で感じている初橋や近体の面々も、自分たちの勝ちが前提で「何点とれるのか」ということばかり考えていた。つまり、油断があった。
しかし、その認識はすぐに改めさせられる。
青ビブスの中盤は、キープ力に長ける2トップへパスを繋ごうとするが、肝心の二人がまるで働けない。まず競り合いで簡単に当たり負けするのである。
(なんやこいつ!?ニラみたいにガリガリやのに、めっちゃ圧力あるやん)
佐野は江川のポテンシャルに目を丸くし、いいように潰され続けている。
(このチビ、ポジショニングもマークもすげえうぜー…。こんなにすげえのかよ)
小松原も同じように猪口に自由を奪われている。
追い撃ちをかけたのが、小柄なキーパー、友成のセービングだった。ボールに対する反応が二歩は速く、果敢な飛び出しでのパンチングや身長差を補うジャンプ力でのハイボール処理でゴールの匂いを断っていた。
「アガーラの守備、こんなに堅えのかよ…」
見かけと現実のギャップがそうさせるのか、青ビブスのフィールドプレーヤーたちは明らかにトーンダウンした。逆に勇気づけられた赤ビブスのその他大勢の高校生たちは、次第にプレーにアグレッシブさが出てきた。
そして赤ビブスに初めてのチャンスが訪れる。鎌林が競り合いに勝ってサイドを突破した。ゴール前には剣崎と竹内がいる。
「たのむぞ」
鎌林は思いを託して、剣崎にグラウダーの絶好球を繋げる。あとは押し込むだけのイージーボールだ。
「よっしゃあっ!!」
気合いの雄叫びを上げながら、剣崎はシュートの体勢に入る。そして豪快な…空振りを披露した。
「げ…」
ボールはそのまま力無く転がり、天野の手元に収まった。その瞬間、猪口たちが築いたユース勢の信頼は水泡に帰した。チームメートの失態を目の当たりにした天野は、顔を伏せて笑いをこらえていた。
「あはは…悪ぃ」
剣崎はバツ悪くあやまるだけだった。
ここからゲームは膠着する。青ビブスは変わらず2トップを中心に押し込み、徐々に前がかりになって圧力を強めていく。しかし、詰めの部分で幾度となく友成が立ちはだかり、ゴールを割れない。
一方赤ビブスは竹内と栗栖に得点を託すが、それなりに名が知れている二人に対するマークは厳しく、なかなかチャンスにならない。ならば俺が決めてやるとどフリーの剣崎が、
「俺に任せろっ!!パスくれパス」
と訴えるが、誰も相手にしない。ある意味当然だった。たまにこぼれ球を先に拾っては明後日の方向へのロングシュートばかり。株価はストップ安をとうに過ぎたぐらい暴落していた。
まるで進展のない展開に、栗栖は頭を巡らせた。
(うーんうちのエース様はまるで相手にされてないな。まあ、あんなどフリーを豪快にやらかいたら信頼もくそもないわな)
ちらりと剣崎を見ると、まがまがしさすら感じるオーラが渦巻いている。
(はいはいボールが欲しいのね。まあ、確かにそろそろギヤをあげるとしますかね。…こいつのことだいたい分かったし)
自分のマークについている青ビブスのボランチ、白石を一瞥して、栗栖は笑みを浮かべた。
「ネモっ!パスくれ」
栗栖はまず味方のボランチ根本にパスを要求。根本はためらわずに正確なパスを出す。栗栖がそれを受けようと動き出すと、合わせて塩崎も動き、覆いかぶさるようにマークにつく。フォローのためにセンターバックの上野も来た。
(じゃ、行きますか)
挟み込みにきた二人に、栗栖はその技術を見せる。シザースでタイミングを図った後、武器の左足ではなく、右足てボールを蹴り出して二人をかわした。
「えっ?」
「何!?」
「おいおいレフティーだからって右足使っちゃいけないなんてルールねえぞ?いちいち呆けるなよ」
苦笑しながら二人を振り切った栗栖は、放置されていた剣崎を見る。
「さあてと。信頼取り返せよ」
栗栖は剣崎の腹を目掛けて鋭いクロスを打つ。球速が速く、胸でトラップするには難しい。しかし剣崎は、失望を帳消しにする一撃を放つ。
「任せろクリっ!!」
剣崎は軽く跳躍し、ダイレクトボレーを放つ。ワールドクラスの一撃を難無く放ち、劣勢の赤ビブスに先制点をもたらした。
あまりにも無駄のないシュートのモーションや精度に誰もが呆気に取られる。
「アガーラの連中って、なんなんだよ…」
誰かがそうぼやいた。