沙耶、穴に落ちる
初めまして、壱琉と申します。
初投稿です。
至らない点が多々あるかと思いますが、よろしくお願いします。
「お疲れさまでした~」
定時17時。
私、水原沙耶は事務所でタイムカードを押す。
カシャンと小さくなる機械音。
この動作にも慣れてきた。
社会人1年目。
3月に短大を卒業し、なんとか内定をもらえた大手スーパーに就職したばかりの21歳。
4、5月は業務に慣れるのに必死で、毎日ヘトヘトになりながら働いた。
6月はちょっと余裕も出てきて気を抜いたら、ちょっぴり(いや、かなり?)ミスをして初めて始末書と言うものを書いた。
そして7月…現在。
毎日の忙しない生活にも段々慣れてきて、家と職場を行き来するのも大分楽になってきた。
「水原さん、お疲れ~。パン余ったんだけど持ってく?」
「本当ですか!?助かります~」
先輩の男性社員さんが、賞味期限の切れた総菜パンの入ったビニール袋を私の目の前に持ってきた。
私は、就職が決まったら1人暮らしをすると親に宣言していた。
そして、今まさに夢の1人暮らし生活!!
…のはずが、光熱費やら食費やらその他もろもろの出費でお財布の懐は常に寂しい。
親に援助を頼もうものなら、「ほらみたことか、もっと生活力を身につけてからじゃないからそういうことに~」と母親からの長い長い説教を聞かなければならないのは明らかで…。
それが、かなり癪な私はこうして職場からの売れ残りを食事にすることが多くなっていった。
栄養が偏る?
…母のあの長い説教を聞くよりマシです。
本当に長いから。
こっちから電話かけてるから、通話料見て目がとれるかと思った。(はい、実証済みでした)
「それじゃあ、いただいていきます。いつもいつも、すみません。本当助かります!」
目の前に差し出されたパンのうち3個を鞄に詰め込む。
今日は、ソーセージパンとハムロールにシナモンロール。
よし、主食とデザートゲット!!
先輩にはにこやかに、心の中でガッツポーズ。
ほら、新人が「よっしゃあ!助かります!!」とか言ってガツガツ持ってくのは体面上よろしくないじゃないですか。
そこは女子ですし、ねぇ。
可愛らしい後輩を演じますよ、気に入られればまた余りもの貰えるし。(性格悪くありませんよ、生活の知恵ですよ)
「いいんだよ~、水原さん1人暮らしでしょ?慣れない生活で大変だろうしね~。それに水原さん小さいからいっぱい食べないとね!」
にこやかに「本当助かります」と言いつつ、余計なお世話だよ。と心の中でツッコム。
確かに、私は小さい方だ。150センチあるかないか。
日によっては151センチになるし、149センチにもなる。
この先輩には何気ない一言なのかもしれないが、この言葉で傷つく人だっている。
身長の話は禁忌だと私は思う。
それに20歳超えた女子が、今更栄養摂ったって横にしか増えないんだよ!!
しかしそんな事は一切口にしない。
嫌われたらいっかんの終わりだ。
明日のご飯が無くなる。
「それじゃあ、失礼します~」
と笑顔(営業用)で事務所を後にする。
社内割引を活用し、スーパーで足りないものを購入し、家路を急ぐ。
電車で2駅先の最寄り駅を降り、徒歩で5分。
何かと物騒だからと、親とじっくり選んで決めた私の自宅。
ちょっと小さめの1ルームだけど、セキュリティーはしっかりしてるし、交通の便もいい。
広い大通りを抜けるから、痴漢とか変質者の心配も少ない。
私の小さな小さなお城。
帰ったらまず、お風呂を沸かそう。
それから、ソーセージパンとハムロールをレンジで少し温めて…
そんな事を考えていたら、家に到着。
鞄から鍵を取りだし、鍵を開ける。
「ただいま~」と誰もいないと分かっていつつも、習慣であいさつをしながら玄関へ。
こうして私の毎日は続いてくんだ。
いつも通りに家と会社の往復。
いつも通りに賞味期限の切れたお惣菜やパンを貰って食費をうかし。
いつも通り週に1回のペースで鳴る母のお小言の電話の相手をしつつ。
この生活にもっともっと慣れて行くのだ。
そう思っていた。
あの瞬間まで。
玄関に足を踏み入れた…はずだった。
なのに、足は床に着くことなく
ズルッ
「え」
間抜けな私の声が響く。
ドアの先は玄関
ではなく
大きな大きな暗い穴
そこに足を踏み入れた私は大きく傾ぎ…
「きゃぁぁぁぁ!!!!」
暗い穴に落ちて行った