第18話
それから一ヶ月、トキは今まで以上に厳しい鍛錬に身を投じた。今までが子供の遊びだと思えてしまうくらい、カエンは本気だった。
魔術師になるための試験は、大きく筆記と実技に分けられる。筆記はただのペーパーテストだが、実技の方は戦闘だ。
元々本ばかり読んで知識を得ていたトキにとって、座学はそれほど辛いものではなかった。しかし、問題は実技の方だった。
確かに、トキは魔導書の力もあり、一般的な人間よりも進歩が目覚しかった。しかし、戦闘というシチュエーションになると話は別だ。戦闘は、自分の直感を活用し、その場その場で動きを変える必要がある。それに加えて、動きの中で適切な魔法を発動しなければならないのだ。戦闘どころか体を動かすことすら苦手なトキにとって、これは相当な苦痛だった。
「トキ、遅い!」
「はい!」
カエンの素早い動きに、目も体もついていかない。彼女が視界から消えたと思った時には、目の前に拳が止まっている。
「もう一回!」
「は、はい」
滴る汗を乱暴に拭って、魔力を溜める。
「ふえぇ……疲れたぁ〜」
夜になり、漸く一日の鍛錬が終わる。膝はカクカクと笑い、まともに歩けない。
「お疲れ」
「お疲れ様です〜」
特訓が終わったあとのカエンはいつも通りに戻る。そして、いつも通りトキの家のキッチンで酒盛りの準備を進める。
「アンタねぇ、あんな遅く動いてちゃ死ぬわよ〜?」
自身の髪の色のようなワインを煽りながら、酔っ払ったカエンがトキに話しかけた。トキは食事をする手を止め、下を向いた。
「はい……」
「無理させてる私に言う資格はないかもしれないけど、あんまり抱え込んじゃだめよ?」
「はい、ありがとうございます」
トキが微笑んで礼を言うと、カエンの顔がさっと険しくなった。何か怒らせることをしたかと振り返る前に、頭突きがトキの顔面に飛んできた。しかも、ご丁寧に鼻っ柱にである。
「痛い……」
あまりの痛さに鼻を押さえて涙目になるトキに、カエンは更に拳骨を作ってトキの脳天に食らわせた。
「馬鹿野郎」
「ええええ、何ですか、痛いですよぅ……。しかも頭突きだけじゃなくて殴るし……」
「アンタねぇ、その作った笑顔をやめなさい。それが抱え込んでるってことなの」
「え、そうなんですか?」
「もう一発殴ってやろうか」
「いやいやいや、いいです、いいです」
ブンブンと首を振るトキを見て、カエンは拳をほどいた。
「あのねぇ、何のために私がいるのよ?」
「え?」
「確かにアンタは、急に魔導書を渡されて世界を託されて、戦えと言われた挙句に試験を受けろって言われて、そりゃあ大変だとは思うよ。けどね、アンタが一人で重圧に押しつぶされないように、私がいるの。もっと、頼っていいのよ」
「あ……はい……」
「あなたの後ろは任せなさい。私なら、何があっても大丈夫だから」
その言葉に、トキは大きな安心感を覚えた。思えば、カエンの言う通り、急に世界を救えと言われ、そのために戦えと言われた。表面上は受け入れたつもりでいた。しかし、どこか自分にとって大きなプレッシャーになっていただろう。事が大きすぎて、きっと辛さを忘れてしまうくらい。一人で、抱え込んでいたのかもしれない。
しかし、今知った。自分は一人ではなく、こんなに頼もしい味方がいることを。トキは、ぐらついていた足場を固められたように、真っ直ぐと立つことができた。
「カエンさん」
「ん、何?」
トキは、カエンの目を真っ直ぐ前から見据えた。
「私の後ろ、任せます」
それに応えたのは、妖艶な笑み。
「それでいい」