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Really?  作者: なち
続編
19/20

Really!? 05



 噛み付くような、酷く乱暴な口付けだった。

 隙間を縫うように侵入した熱を直に感じて、思うより早く逃げの姿勢を取ったけど、後頭部に回った手に固定されて動く事が出来なくなった。

 目一杯見開いた視界に、彫りの深い哲也の顔だけがある。窪んだ瞼のラインに、きりりと伸びた眉。哲也の性格そのままの、野生的な顔。

 経験値の違いなのか、糸も簡単にこちらの弱い所を見つけ、刺激してくる。

 押し返そうと哲也の胸に伸ばした手は、縋るような形になった。

 息継ぎがうまく出来なくて、そのせいで脳内はとっちらかったまま。思考は上手く繋がらない。

 分かっているのは、このキスが気持ちいい、という事だけ。

 歯の根元を撫でられ、ぞわりと項の毛が逆立って、力が抜けそうになる。

 何も考えられない。考えたくない。委ねてしまえ。

 そう思ってしまう程に、哲也のキスは技巧的で、甘かった。

 それでも、頭の片隅で、ひどく醒めた自分の声がする。

 欲望と、愛情は違うのだ、と。交わす熱がどんなに心地良いとしても、それは違うのだ、と。

 違う――と否定しなければ、虚しさが顔を出す。

「ぅむっ」

 唾液を注がれて、嚥下し損なったそれが口の端に滲んだ。

 けれど、頬を流れたのは、また別の液体だった。

 瞼の奥から溢れた涙は、哀しさだろうか、悔しさだろうか。

 こんな事で泣くなんて、見っとも無いと思うのに、欲求を凌駕した虚しさが、止め処なく溢れてくる。

 頬に移動してきた哲也の手も、それに気付いたようだった。

 瞳を見開いたままだったあたしのぼやけた視界に、持ち上がっていく瞼が映る。

 驚きと戸惑いは、体が離れた矢先、「くそっ」という小さな悪態に変わった。

 あたしの頬の傍、触れるか触れないかの位置で彷徨った掌はやがて拳を作り、血管が浮き出る程に強く強く、握られた。

 拳に込められた力が発露されたのは、哲也の背後の窓ガラスだった。

 衝撃に、車全体が小さく揺れる。

 逸らされた哲也の顔から、感情は読み取れない。

 あたしもあたしで流れ出た液体に戸惑っていたから、哲也の気持ちになんて頓着している場合じゃなくて、手の甲で涙を拭うのに夢中だった。

 馬鹿みたいだ。初心な中高生じゃあるまいし、たかがキスされた位で何を泣くのか。自由だった手で哲也の頬を張り飛ばし、さっさと車から降りるなり――方法はあった筈だ。

 それを何だ。何で泣いているのだ。

 自分でも意味が分からなくて、パニックになる。

 彼氏に浮気されようが、振られようが、泣いた事なんて一度もなかった。泣けない自分を嗤った事もあった。けれど、キャラにない事は出来ない、という一片のプライドが、何よりも勝った、から。

 男を失った位で泣くあたしなんか、あたし自身が許さなかった、から。

 必死で取り繕うとした。けれど何をどう言えばいいのか分からなくて、開いた唇はただ嗚咽を零すだけ。

 どうしてだろう。

 目指したのはこんな形じゃなかった。

 こんな風に、なりたいわけじゃなかった。

 ――でも、じゃあ――あたしは。一体、どうしたかったというんだろう。

「美咲」

 こちらを見ないままで、哲也がぼそり、低く言う。

 あたしはその声に、どうしてか肩を跳ねさせてしまった。

「……お前が、俺を見ないのなら、それでも、いい」

 搾り出す様に、哲也は言う。

「けどお前は、それすらも許さないんだな」

 自嘲するみたいな、乾いた呼気。相変らず窓に当てたままの拳に、更に力が篭る印象。

「俺はっ」

 けれどそれ以上は言葉にならないようだった。

 ぎゅうと、拳にだけ力を篭めて。

 短い沈黙の後、ドアロックが外される音が、車内に響いた。

 しゅるり、シートベルトが外される音。

 運転席のドアが開いて、外気が忍び込む。

 長い脚を車外へ出して、出様、哲也が小さく呟く。

「五分」

 ごふん。

 短く時間だけ告げて、静かに閉められたドア。

 ミラーに映った広い背中が後方へ消えていく。

 五分。

 それがどちらに与えられた猶予なのか、あたしには分からなかった。

 溢れた涙は止まらずに、今も頬を滑り落ちていく。

 パタパタ、と膝に抱えたバッグに雫を落としていく。

 あたしは、最低だ。

 ゆっくりとした動作で、シートベルトを外して、外したものの、何処にも行く事が出来ない。

 車が止まるのは実家の前。灯りが落ちた暗い家の前。窓からすぐそこに、【今野】の表札が見える。

 家の鍵はバッグの中。それを持って、門戸を潜ればいい。

 後は戻ってきた哲也が、車に乗って去って行くだろう。

 そうして明日にはまた、あたし達は元に戻れる。何も無かった顔をして、友情を取り戻す。

 哲也は、そうしてくれる。

 あたしが最後通牒を突きつければ、そうしてくれるだろう。

 でも、虚しい。

 分かってる、虚しいのだ。

 自分の過去の恋愛を否定されるのと同じ様に、哲也の屈託の無い愛情を失う事もまた、あたしは恐れてる。

 だって、知ってしまった。

 あの眼差しの温かい事。くれる言葉の心地良い事。

 触れた掌に、確かにドキリと高鳴る鼓動はなくても、感じた事のない安心感が宿った事。

 でも、だからこそ。

 こんなのは、あたしじゃない。

 こんな葛藤は、あたしには向かない。

 今までのどの彼氏が、あたしの傍を離れていっても、こんな風に心細い思いなんかしなかった。すぐに立ち直れた。立ち上がれた。

 でも、今は違う。

 哲也は違う。

 何者にも変えがたい親友で、嘘偽り無いあたしを認めてくれる人。

 そんな人はもう、これ以後現れない確信がある。

 失えないのだ。

 この形を、失いたくないのだ。

 これが愛になって、何時か終わる日を迎えるなら、それならば愛じゃなくていい。

 そう、思ってる。

 なのに手をかけたドアの取っ手に、力は入らない。

 愛じゃなくていい。

 それなのに、唇に触れた熱を、反芻している。


 ――ああ、そうだ。

 もうとっくに分かってる。


 一つ、大きく深呼吸をする。

 バッグの中から携帯電話を取り出して、時刻を確認してみる。五分はもうとっくに経った気がするが、どうだろうか。

 しゃっくりを飲み込んだ。

 鼻を啜る。

 バッグを漁ってポケットティッシュを取り出す。勢い良く鼻をかんだ。

 頬を強めに擦る。涙の跡を無理矢理拭う。

 もう一度深呼吸して、車外へ足を出す。


 心は、迷う。

 けれど迷いを振り切る様に頭を振って、顔を上げる。

 見慣れた一軒家を見上げて、あたしは一歩踏み出した。






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