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Really?  作者: なち
本編
13/20

ぶっちゃける男 05



 煙草の、匂い。

 哲也の腕の中は、煙草の匂いがした。

 車の中も、アパートの部屋も、何時も煙草の匂いがした。


 こんなに近くに哲也が居るのは、初めてだった。

 突然の事に身動ぎ一つ出来ず、強い腕の感触をただ、感じていた。

 頭の天辺に哲也の尖った顎が当るようで、痛い。

 そんな事だけを、認識していた。

「俺は別にお前に嘘ついてたわけじゃねぇ。お前は裏切られたって思うかもしんねぇけど、この十二年間に、嘘なんか一つもねぇよ」

 触れ合った身体から直接響いてくるような、言葉だった。

 怒っているようにも、悲しんでいるようにも、とれる。でも何処にも感情なんてないようにも思える。

 哲也の言葉に宿る感情さえ、今のあたしには分からない。

「お前が知ってる俺は、確かに俺だよ。知らない俺が居たとしても、」

 ぐっと一度力を入れて、哲也の腕が離れた。引き寄せられていた身体は、窮屈な姿勢を解いた。

「お前と一緒にいたかったから、いたんだ。お前が思うのと同じ友情と、どうしようもない恋情を抱えてても」

 恋情、と。当たり前のように紡ぐ声が、少し掠れた。

「俺の一番が、お前とは違う形だっただけだ」

 美咲、と。もう一度呼ばれて、のろのろとした動作で、哲也を見上げる。

 道路を通り過ぎていく車のライトが一瞬哲也を照らして、消えた。

「何で、」

 自分の声が見っとも無く震えている。けして泣きたい程悲しいわけじゃない。非難したいわけでもない。窮屈に萎んだ心臓が苦しくて、吐き出したその声は、責める色と涙声が混じった。

「何で?」

 泣きたかったわけじゃない。

 なのに自分でも驚く程すんなり、涙は零れ落ちた。

「どうしてこんな事になるの?」

 歴代の彼氏と別れる時だって、泣いた事なんて無い。悔しかったし悲しかったけれど、泣いて縋る可愛い女には一度だってなれなかった。プライドが許さなかった。傷を広げるのが怖かった。

 それなのに今、大事な友人を失う事を、許容できない自分がいる。

「何で、友達じゃ駄目なの? 今までだってっ!」

 泣き顔を人前で晒すのは初めてだった。

 ぼやけた視界に哲也の輪郭が映る。

「……今までも、これからも、友人ではいられるよ。でも俺に、お前が他の誰かのものになるのを黙って見てろって言うのか?」

 そんなのは御免だ、と哲也が吐き捨てる。

「十二年。十二年だぞ? 俺はお前が好きで、その間お前が他の男の隣に居るのをただ黙って見てた。ただ黙って見てるだけだった。それで良かったわけじゃない。それでも、お前と居たかったからだ!!」

 怒鳴った哲也を見るのは初めてじゃない。仕事中、どれだけ哲也の罵声を浴びたことか。感情的になる哲也が珍しいわけじゃない。

 それでも、今目の前にいる哲也は、知らない男だった。

 溜まった涙を親指の腹で拭われて、視界が再びクリアになる。

「お前が今、俺を失う事を恐れるように、俺はずっとそれが怖かった。どんな形であれ、お前が傍から居なくなる事が、怖くて仕方なかった」

 闇に慣れた目が、哲也の表情を読み取る。

 泣いているあたしより、泣き出しそうな顔をしている。何時も飄々としている瞳は翳り、嘲笑を浮かべる事に慣れた唇を噛み締めて。

 膝の上で拳を作った手は強張っていた。

「……お前が何を勘違いしてんのかしんねぇけど、俺は、お前から離れる気は更々無い」

 ため息を一つ落とし、幾分冷静になったのか、哲也が静かに言った言葉はすぐに理解出来なかった。

 涙はいつの間にか引っ込んでいたけど、とっちらかった思考はすぐに結ばれない。

「十二年待った。だから、あと何年だって待つ。友人でいい。今すぐ好きになれなんて言わねぇから」

 チャンスをくれよ。

 囁かれた意味が分からなくて、瞬く。

 チャンス。チャンスって言ったか、今。

「――何の?」

 何だか会話が噛み合わなくて、あたしは思い切り顔を顰めた。

 あたし達は今、何の話をしてるんだろう。

 あたしはただ、決着をつけたかった。この数ヶ月の、意味の無い、やりとりに。

 友人であり続けるのか、それとも、友情を失うのか。

 曖昧なままではなくて、ちゃんとしたケリをつけたかった。

 呆けたあたしに惚けた顔で、哲也が答える。

「……何って、」

 だから。哲也らしからぬ戸惑った様子で数秒まごつき、哲也は爆弾を投下した。




「大体あんた、紛らわしいのよ!!」

 深夜零時を回って、あたし達が行き着いたのは何時もの居酒屋だった。カウンターで顔を綻ばせた店員に会釈をして、今日は何時もの定位置でなく、個室を選んだ。

 ジョッキを豪快に傾けて、あたしは吠える。

「……てんぱってたんだよ」

 哲也は苦虫を噛み潰す顔で、枝豆を剥いた。哲也の手にかかれば枝豆が玩具みたいに見えて、笑える。大きくて無骨な指が、ちまちまと一粒ずつ身を皿に落としていく。

 阿呆か。

 枝豆はがっつり食いつくもんだ。

 あたしは枝豆を口に銜えて、歯で身を中に搾り出す。そうして残った皮を空入れに投げ入れた。

「ああいう流れだったら、普通、告白だと思うでしょうよ。好きイコール付き合ってでしょうよ!」

「……シラネェよ」

 告った事なんてねぇし。憮然と唇を尖らす哲也が子供みたいで、おかしい。

 ほんと、おかしいんだよ、こいつ。

 付き合ってと直接請うてこないから、あたしは無駄にやきもきした。言ってる事とやってる事が伴わないから、冗談だとしか思えなくて、意味が分からなくて。

 人が変ったようなアプローチに、答えを急かされている気がした。

 そんな様子にあたしは追い込まれていた。

 恋情を退けてまで続く友情。そんな友情はくそくらえだと言われている気がした。長井さんの方程式で言えば、そうだった。

『拒絶してるのに、今まで通りを嫌がる? それってつまり、ジ・エンドでしょ? 避けないでアプローチしてくるって事は、愛を取らないなら終わりだって事じゃないの?』

 ――そんなわけないっつうの。

 長井さんの言葉を鵜呑みにしすぎていた。早期決着にばかり気をとられていたからだろうけど、別に哲也が諦めるまでアプローチを続けさせてもいっこうに困らなかったのだ。

 疲弊はするだろうけど。

「あたしは付き合うのか、どうなのか、ああん? って脅されてる気分だったわよ、ずっと」

 歪曲したやり方から正攻法に乗り換えて、答えを急かされている気がした。

 今すぐ答えを出せというなら、それは勿論ノーだ。哲也を失いたくないからって理由で、好きでもないのに付き合うなんてあたしは出来ない。

 もう完全に、何時かの恋愛相談はあたしと哲也の事でしたって、長井さんに相談を持ちかけたのは先週末。彼女は当たり前のように「今まで通りは無理でしょ」って言ったんだ。そんな選択肢はもう無い。「ノーなら、あんた達の仲良しごっこは終わり。坂入君の言いたい事は、要は友人としてこれ以上傍に居るのは無理なんだけど、どうなの? って事なんでしょ」

 長井さん、違ったみたい。

 哲也の言いたい事は、そんな事じゃなかったみたい。

 そんな所に達してなかったみたい。

 馬鹿馬鹿しい。馬鹿馬鹿しくて、もう。もうね。笑うしかないんだよ。

「笑うな」

 不機嫌に言って、ビールを飲み干した哲也が呼び出しボタンを押した。

 すぐに若い店員がやって来て――何時もはカウンターを担当している件の――彼が、何か言いたげな顔で注文を促してくる。

 哲也に便乗してビールを頼み、ついでにつまみを幾つか。

「あの、」

 以上、と注文を終えたあたしに、店員の彼は気まずそうに、それでも興味深々に問い掛けてきた。

「結局二人、どうなったんですか」

 いつぞやの告白現場に遭遇した彼は、その事をずっと気にしていたのだろうか。あの、冗談のようなやり取りを。

 気まずそうな哲也と視線を合わせてから、あたしは馬鹿みたいに大声で笑った。

「何にも。今まで通り!!」

 ぎょっとした青年を、哲也は見ない。

「……そっすか……」

なんて気の抜けた相槌を打って、また何か言いたそうに、今度は哲也を見下ろして、

「ビール早く」

なんて急かす哲也に促されて、消えていった。

「ねぇ?」

 始終居心地悪そうな哲也は、それでも帰ろうとは言い出さない。

「あたし、あんたが可愛く見えるわ、今」

 車の中で色んな事をぶっちゃけた哲也は、途轍もなく。途方も無く。

 

草食動物も太刀打ち出来ない、抱きしめて、抱きつぶしてしまいたくなるくらい、可愛かった。


 だからどう、ってわけじゃないんだけど。


 嫌そうに目一杯顔を歪める哲也を肴に、あたし達の友人関係は、続く。


 ――これからも。


 多分、ね。




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