第二章「雪山レクイエム」(鎮魂歌)4
またもや、長い空白があった。緊張しながら、私は頁をめくってみた。すると、そこには先程の繊細な横文字が再び登場してきた。その内容を読んで、私は腰を抜かしてしまった。
「嘘でしょ!」
そこには、こう書かれてあった。
親愛なるミスター・クロワへ
これが日記の一部始終です。突然の幕切れなので、さぞかし驚かれた事でしょう。劇場ならば、まさしく『金返せ!』になりますよね。
さて、博士が死んだ事によって、確かに中途半端なままで終了しています。しかし逆に考えてみますと、解決編が存在しない分、より、この日記の現実性が強調されているような気がします。
では、当時の下界の記録を見ながら、以下の事を記させていただきます。
まず、博士の予測どおり、翌日の二月十一日の午後二時頃に、警察の救助隊は山荘に到着しています。予定を過ぎても帰宅しないという家族の連絡を受け、山荘に電話しても通じないので不審に思い、警察は事前に救助の準備をしていた模様です。
警察の調書によりますと、都築博士の死因は毒を服用したと書かれてあります。死亡推定時刻は断定されておりません。これは全員に言える事です。それは、警察が山荘に到着した時には、ロビーも含めて、一階も二階も各部屋、温度が四十度付近まで上がっていたため……と、記されてあります。中には腐敗が進んだ死体もあったようですし、とりわけ、田村和彦の死体は損傷がひどかったようです。調べた結果、勝手口付近にある暖房の元装置が、壊れているのが確認されています。ついでに申しますと、不通だった電話線は、山荘から離れること二十メートルの位置で切れていたようです。
博士は、実際には、この日記の最後の個所辺りで息を引き取ったと思われます。私の推測や持論を挟む事で、あなた様の考えに影響を及ぼしたくはありませんが、それですとあまりにも話が見えてきませんので、最低の部分だけは述べさせてもらいます。
では、これらの一連の事件が仮に殺人だと仮定してみますと、残った飯島仁が犯人ということになる……このように、お思いになられる事でしょう。しかし、実のところは、彼の遺体も発見されています。場所は、谷底でした。そうです、まさしく博士が言っていた『ご当地限定』の転落死です。彼の死亡推定時刻だけは、ある程度絞られています。しかし、それでも外気の影響もあってか、死後八~十五時間前後という広範囲しか判明していません。時刻で申しますと、二月十日の午後十一時から十一日の午前六時の間という事になります。
それと、飯島の後頭部には、致命傷までは行っていませんが、何かで撲られたと思しき形跡が認められています。遺体の保存状態が比較的良かったのでわかったようですが、恐らく転落する直前に……との見解がなされています。但し、断定はされておりません。逆に、彼が犯人である事を示す証拠は、特に見つからなかったようです。それで、この事件は、そのまま迷宮化した模様です。
調書には、目黒伸子の死だけが、明らかに殺害されたものだと断定されています。他の、元丘恵子・猪飼かおる・玖珂由紀子・赤城万里子・田村和彦・都築博士ならびに飯島仁……この八人の欄には『自殺または他殺』と同じ文句が記されており、断定はなされておりません。
死因については、恵子、ならびにかおるは『首に絞められたロープによって窒息した為』。伸子、ならびに由紀子は『キッチンに備えられていた包丁によって刺された為』。万里子は『右手に持っていた消音器付拳銃によって発射された弾丸の為』。奨は『男性専用の風呂場に仕掛けられていた時限装置による感電の為』。和彦は『時限装置で自室に仕掛けられていた爆弾の破裂の為』。博士は『常時服用していた心臓の薬に混入されていた毒の為』。仁は『吊り橋から転落した際に全身を強く打撲した為』……この様に記されてあります。
尚、使用されたロープには、複数の指紋が認められています。
これは、死体確認時や運搬時等の際に付いたものもあるでしょう。彼らには、どう見ても『現場保存』の意識は無かった筈です。包丁並びに拳銃には、それぞれ由紀子と万里子の指紋だけが、また、時限装置については、その中の一つには博士の指紋が付いており、もう一つは爆発により原型をとどめておりません。
それと調書の備考の欄には、それぞれの死体が置かれていた場所が明記されています。
それによると、仁は『山荘の周囲にある谷底』、博士は『山荘内の自室に使用していた部屋』、他の七つは全員が『山荘内の展示室』とあります。
他にも様々な事が書かれています。それに関しましては、それら一つ一つを、ここでは述べません。
ここで、もう一つだけ私の愚案を述べさせていただけるものならば……私の経験上、集団自殺とは、普通は全員が同じ時間に実行されるべきものです。この様な連鎖での自殺など、今まで一度も見聞した事はありません。
いろいろと申しましたが、回答を出すのはあなた様自身です。もちろん微々たるものではありますが、私も助力させていただく所存です。
明日、正確な答えを見つけて、拙宅に来られます事を心よりお祈り申し上げます。
では、失礼させていただきます。
あなた様のシンシア・フェイスフル
P.S.文章がまるで、一時流行ったミステリの『読者への挑戦状』風になってしまった事を、どうぞお許し下さいませ。
最初に私は、「あなた様のシンシア・フェイスフル」という言葉に、目を奪われてしまった。我ながら軽薄な野郎だ。一瞬だが、ドキッとしたのは事実だった。しかし、よくよく考えてみれば、私の持ち合わせている『翻訳機能』が『YOURS……』という慣例的な単語を、機械的に和訳してくれたに過ぎない。何とも人騒がせな機能ではある。
次に気になったのは、『私の経験上』という言い方である。ミス・フェイスフルは、下界時代に、一体何を職業としていたのだろうか?
しかし、二つとも肝心な本論からは外れている事だった。
(駄目だ! こんな事では正解には到着するはずがない)
私は、日記を再度読み返し、夜を徹して推理し、自分なりの考えをまとめる決心をした。
自作のしおりが役には立ったが、日記の中身は、ラインマーカーで塗られた水色の線だらけになってしまっていた。確か昔々、大学受験で使った参考書もこうであった。悪い癖が未だにそのままだ、つまり、ラインが多すぎてどこがポイントなのかわからなくなっている。
だが……それにしても、やはり中途半端な日記ではあった。 第二章 了