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第一章「天国プレリュード」(前奏曲)5

 ミス・フェイスフルから電話があったのは、翌日の午後一時を少し回った頃だった。その内容というのは――

『気を持たせるわけではないが、少々複雑な話なので、お会いしてから説明したい』

 

「こんにちは、ミス・リュウ」

「あら、黒輪さん! こんにちは」

 昨日と変わらぬ、魅力的な笑顔である。

「これ、受付の皆さんで召し上がって」

 私は、ここに来る途中で手に入れた洋菓子の詰め合わせを彼女に渡した。こういうマメさは、下界時代と何ら変わってはいない。

「えーっ、よろしいんですか? ありがとうございます!」

 喜んでいただければ、こちらとしてもハッピーな気分だ。

「ところで、ミス・リュウは中国のどこの出身なの?」

「はい、香港です。もちろん返還前の、ですが。そうそう、黒輪さん。ちょっと、お尋ねしたいのですが」

「何かな?」

「ドゲザって、一体どういう意味なんでしょうか? 日本の方だからおわかりですよね?」

「ええっ?」

 いきなりなんで、大層驚いた。

「な、何でまた?」

「いえ、実は今日、『ミス・フェイスフルが、当局の上層部に対してドゲザしたらしい』……このような噂が流れているので、一体何の事だろうと思いまして」

 ミス・リュウは屈託のない笑顔で、そう聞いてきたが、

「あ、そ、それはね……実は、私もあんまり知らないんだ」

 怪訝な表情の彼女を残して、私は逃げるようにその場を去った。

(ど、土下座だって?)


 昨日と同じく苦情処理課をノックすると、ミス・フェイスフルの声が聞こえた。

「どうぞ」

「失礼します。本当にお世話になります」

 私は、早速お礼を述べた。

「まあまあ、硬い挨拶は抜きで。どうぞお掛け下さい」

 何事もなかったように、彼女は微笑んで迎えてくれた。昨日同様に美味しいコーヒーを持ってきてくれたが、その表情は昨日よりも幾分かは和らいでいる様子であった。

 ブラックのコーヒーを私に勧めながら、

「本当は、素直に『おめでとう!』と申し上げたいのですが」

と、彼女は切り出してきた。

「やはり、駄目なんですか?」

「いいえ、粘った甲斐があって、喜ばしい事に法律の再施行の許可が下りました」

(粘った?)

 私は、彼女が土下座している場面を想像していた。

(じゃあ、何故に浮かない顔をされているのだろう?)

「それで話は、やはりあなたがイタリア女性の二の舞になっては困るという事になりまして。それで焦点は、あなた自身の能力にかかっているというところに発展し、それを試した後に法律を摘要するかどうかを決定を下すとの結論になりました。本当に理屈っぽいですよね? それはつまり、昨日あなた自らが仰った、まさしく『練習も兼ねて』という事です」

「要するに、その試験の合否で判断されるんですね? 私の下界ツアーが」

(こんなことになるなんて、昨日つまらない事を口に出したものだ。しかし、己でも不明な私の能力なんて、一体どうやって試すつもりなんだ?)

「そのとおりです。そのとおりではあるのですが、その試験というのが実は……」

 彼女は、用意していたもの……小綺麗な装飾が施してある、黒くて、そこそこ厚いノートらしきもの……を私の目の前に差し出した。

「おっ! これは、また綺麗な弁当箱ですね。中に何が入っているのかな?」

「おー、ランチボックス? フフフ、あなたのユーモアは、すぐにでもアメリカ人に通用しますよ」

「あはは、どうも」

 お世辞だとは思うが、一応恐縮しておいた。

「天国が抱えている大きな問題の一つに、未解決の事件、すなわち迷宮入りした事件への対処法というものがあります。現に幾つもの事件において、犯人が確定できないために、この天国に送られてきた事件関係者が『善人か、悪人か』と判断できず棚上げされたままになっているのです。天国では、疑わしきは罰せずという精神を重んじています。しかし本来は善人だけのユートピアであるはずのこの地に、悪人が混在しているのも、これまた事実なのです。もちろん、これらの悪人とは迷宮入りした事件の真犯人たちの事です。一方、例の浄化によって、彼ら自身さえも自ら犯した罪を覚えていないという、つまり真犯人自身の自覚症状が皆無なのです」

 毎度の堅い話だったが、私は大きく頷いた。

「確かに犯罪者自身が犯した罪の意識のかけらも持ち合わせていないとしたら、すこぶる厄介な事ですね。それで?」

 先を催促した。

「実はあなたが下界に降りる条件として、先ほど上層部の連中から、『未解決の犯罪をあなた自身の力量で解くように』との条件を提示されたのです。それも解決率を高めるために、『あなた自身が風習や気質などを当然ながら理解している、日本の過去の事件を』です。彼らにしてみれば、これでも譲歩したつもりで、連中曰く『親切心』だそうです。これが、あなたに課せられた試験です。下界に降りて、そこでご自身の事件を調査しようと努力しても、あなたに能力が備わっていなければ徒労に終わってしまうからです……ごめんなさい、失礼な言い方をしまして」

 別に少しも気にならないが、それよりも疑問だらけである。

「いいえ。でも、どのような事件を、どのようにして解決すれば良いのですか?」

 この時、ここまでの鬱憤を晴らすかのように

「あの連中ときたら、自分たちでは解けなかったくせに、それをこちらへ押し付けて。本当に身勝手だわ!」

 彼女としては、珍しく感情を表に出している。そう言えば、上層部に限って『連中』というような言葉を使っているような。そんな相手に、私としては頭を下げるしかない。

「申し訳ありません。私のせいで悔しい思いをさせまして」

 だがさすがに、土下座をした事には触れられない。仕事とはいえ、彼女に辛い思いをさせてしまったのは、心底申し訳ないと思う。

(仕事? 待てよ。お金も貰ってないのに、みんな仕事をしているのか? いや、ボランティアに近いものだろうか?)

 私の言葉に、彼女は大きくかぶりを振って、

「とんでもない! あなたのせいじゃありませんよ。それよりも、タイムリミットまで設定されましたので、事を急ぐ必要があるのです。もちろん、試験自体の制限時間は二時間じゃありませんよ。そのリミットは、明後日の午前十時と定められました。十時に七名の上層部の連中の前で、事件解明をしなくてはなりません」

「わかりました。何とか解決できるよう努力してみます。しかし、そのような迷宮入り事件を、私に解けるかどうか」

「不安でしたら、今からでも連中に断りを入れてきますが。それでもよろしいのですね?」

 間髪いれず、強い口調で喝を入れられた。思わず、妻の顔が彼女の顔に重なった。懐かしいというより、どうも恐さが先に立つ。

「し、失礼しました。それで、私は何から手をつければよろしいのでしょうか?」

「その事件と言うのは一九八〇年に起こったもので、かれこれ四分の一世紀も放置されたままなのです。まったくひどいものですよね。そして、唯一の手掛かりが……実は、このランチボックスなのです」

 そう言って、彼女はその弁当箱を私に手渡した。

(一九八〇年なら、私は中学生だ。その時代の、世の中の事も、人の生活具合に関しても、ある程度は把握できている。これはアドバンテージがありそうだ)

 そう思いつつ、弁当箱を開いてみた。

「さて、今日のおかずは何かな……ん? これって、日記なんですか?」

「ええ、事件に係わってしまった女の子の日記です。残念ながら、事件の手がかりになる材料はこれしかありません。あまり先入観を持たせてもいけませんので、詳細については触れないでおきます」

 私もあえて、この場で頁を捲るのはやめる事にした。

(しかし、これだけを読んで解決せよって?)

 すこぶる無茶な話のように思える。

「そうですか。まるで、推理小説を読む気分ですね」

と、一応強がってはみたが。

「確かに、それに近いものはありますが」

 ここで、彼女の表情が曇った。

「上層部の連中が、揃ってお手上げという状態からもわかりますように、これは誰も未だ正解を知らないミステリなのです。実は、かく言う私も過去に何度かそれを読みましたが、今もってミステリはミステリのままなのです」

「なるほど。それと念の為にお聞きしますが、当然ながら本人自筆ですよね? そうじゃないとこの日記は……」

 彼女は自分の手帳に目を落とした。

「当時の調査記録に、『家族の証言ならびに筆跡鑑定の結果、本人自筆の可能性が極めて高い』と書かれているそうです。どこまで細かく調べたのかは、定かではありませんけど」

 すぐに答えが返ってきたところをみると、彼女自身も、この質問を上層部に尋ねたのだろう。

「とにかく、『当たって砕けろ!』です。考えたって仕方がない」

と、私は自分に言い聞かせるように言い放ち、彼女にお願いした。

「この日記をお借りできますか? 自宅でじっくり読んでみたいので」

「ええ。コピーをしてきましたので、こちらの方をお持ち帰り下さい。ラインなども、自由に引かれて結構ですよ」

と、コピーの方を私に差出して、彼女は久しぶりに笑顔を見せた。

「実は私ももう一度読み返そうと、別に一部コピーしました。微力ながら応援させていただきますので、明日七時に、こちらの地図のところまで来てもらえないでしょうか? そこで合同捜査会議を開きたいのです」

「合同捜査会議? それは願ってもない事ですよ。唯、ちょっと……」

「唯、ちょっと?」

 彼女は、首を傾げている。

「い、いえ、朝の七時からというのが時間的に早いな、と思ったもんで」

 夜更かし癖のある私には、朝早く頭を回すのが少々苦手なのである。

 それを聞いた後も、彼女の笑顔は続いている。

「フフッ、会議は夜の七時からですわ。ご足労をお掛けするので、そのお礼と言っては何ですが、美味しくも何ともない私の手料理が啄ばめます……が?」


 ミス・フェイスフルに心からのお礼を述べた私は、片時も惜しかったので、早足で自宅まで戻った。

 それから数分で、ノート、ボールペン、ラインマーカー、ヘブンスター、ライター、灰皿、そして、湯気の立っているブラックコーヒーを、机の上に並べた。アルコールだと間違いなく睡魔に襲われそうだったからだ。さらに、ノートを一枚破って、小さな細長い長方形を十枚ばかり作った。これらを、しおり代わりにするためである。昔から何か事を始める時は、こうやって几帳面に準備しておく習慣があった。

「さあて、準備は整ったぞ! 推理小説を読んでいる時のように、リラックスする事が大事だ!」

 自分に言い聞かせた。

と言っても……その類の小説なんぞ、実は、もう何年も読んではいなかった。  第一章 了


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