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第一章「天国プレリュード」(前奏曲)2

 ママさんの長い話が終わると、次に矛先を変え、健ちゃんにも尋ねてみた。

「健ちゃんは、何故ここに?」

 彼は前髪をかき上げながら、ゆっくりと話し出した。

「そうですね。実は、二十代前半あたりから癌を患っちゃって……家族以外の人には知らせる気もなかったので、虚勢を張り続けたままで暮らし続けていました。それが何より精神的に大きな苦痛でしたね。おかげさまで、僕には友人と呼べる人間がたくさんいたから、肉親と別れるより何より、彼らと別れがたまらなく辛くって、怖くて、夜な夜なメソメソしていました。もちろんあらゆる治療のせいで、肉体的にもボロボロでしたけど。もう、かれこれ二十年以上も前の事になります。でも……」

「でも?」

「ええ。ママに出会えて『ここで待ってると、いずれ皆に再会できる』と聞いた時、確かにそのとおりだと思って、すごく気が楽になりました。実際に、ここで何人もの友人に再会できましたしね。ママは、こう見えても……」

「どう見えてるの? おい!」

 すかさず、ママさんが突っ込みを入れている。

「あはは。いえいえ、大変優しくって繊細な女性だなあ、と」

「そんな事言ったって何も出ないわよ、健ちゃん」

「わかってますよ。で、ママの話を聞いて、救われた気持ちになりました。だから今では肉体的苦痛から解放された分、ここに早目に来る事ができて、本当に良かったと思っています」

(という事は、健ちゃんも実年齢的には私より上になるのか?)

 下界とは違う意味において、ここでも人間関係、特に上下関係は難しそうだ。何しろ、見た目から実年齢が予測できないのだから。とは言え私は新入りなんだから、とにかく誰に対しても、まずは腰を低くしておけば無難だろう。

 それにしても、健ちゃんの『早目に来る事ができて、本当に良かった』という表現には、不思議な気持ちになってしまった。

(世の中、いろいろな人生があるものなんだ)

「そうですか、それは辛かったでしょうね。そういうケースもあるんですね」

 つい私はしみじみと、半分独り言のように吐いていた。

「そういうケースって? じゃあ、黒輪さんの場合はどういうケースでしょ?」


 ママさんからの質問に、私は自分の考えをまとめつつゆっくり話し始めた。何しろ、この事を具体的に口にするのは初めてだったからだ。

「えーと、私、実は殺されちゃったんです」

 驚かすのも何なんで、努めてあっさりと切り出したつもりだったが。

「!」

 それでもやはり、二人ともに口を大きく開けたままである。

「殺された? そう言えば、長年ここでお店してるけど、そんな人には出会ってないなあ。あんな世知辛い世の中だったから、そんな生い立ちの人がもっといても不思議じゃないのに。ねえ、健ちゃんは聞いた事ある?」

「いいえ、僕も初めてですよ」

「そうよねえ、やっぱり。で、誰に殺されちゃったんです?」

 早くも、好奇心が顔を出してきた様子である。それにしても、いともあっけらかんに聞いてくるものだ。

 お返しに、私も淡白に言ってあげた。

「それが、誰にやられたのかがわからなくって困っているんですよ」


 私は多分、三日ほど前になると思うが……二月十三日の、自分の四十回目の誕生日に……殺されたのであった。


 その日は四十という区切りもあり、自宅で親しい友人たちを集めて、ごくささやかなパーティーを開いたのだった。メンバーは、会社の同期の四人。本来なら家庭サービスに費やす時間を、割いて無理に来てもらったんだが。おっと、一人は未だ独身だった。その四名と私、妻、子供三人の、合計九人。

 私はアルコールはそこそこいける口だったが、最近は仕事の疲れなどが溜まっていたせいか、その日は突然気分が悪くなってきたのだった。それで主役のくせに中座し、そのまま早々に二階の寝室に引き込んでしまった。もちろん、後の事は妻に任せた。ゲスト全員とも最初から宿泊の予定だったので、

(バタバタする事はないだろう)

と、安心しきっていたのだ。

 

 いつのまにか眠ってしまったのだが、ふと、思いがけない体の振動により目を閉じたまま意識だけが起きてしまった。最初は何が起きたのかわからなかった。が、すぐに、私の頭を一人が、両足をもう一人が、それぞれ抱えてどこかに運んでいるのがわかった。体を動かそうとしてもできない。声を出そうとも叶わない。

 やがて階段を下り終わったとき、運命の瞬間が訪れた。私は抱えられたまま、正面の壁に、思いっきり脳天を叩きつけられてしまったのである。

 頭や首に強い激痛が走り、意識が朦朧とした。いくつかの事が脳裏に断片的に去来したが、その内に完全に何かも途絶えてしまったのだった。




 どれくらい時間が経ったのか。

 ようやく目が覚めて、思わず頭を触ってみたが、何の変化も痛みもなかった。大きな傷どころか、少しの瘤さえ存在していないのだ。

 不思議な気持ちで周囲を見渡すと、これまた不思議な、見た事もない光景が広がっていた。到底、我が国の建築物とは思えない、派手なメタリック色の門が目の前にそびえ立っているのだ。それこそが、いわゆる天国の入国ゲートだったのだが、その時はそんな事など知る由もなかった。


 しばらくすると、どこからか二人の男性……六十ぐらいの恐らくはアジア系の人物と思われる男と、三十ぐらいの白人の、これまた男……が、私に近づいてきた。そして、年配の方が親しげに声をかけてきたのである。

「黒輪さん。あなたは先ほど無事に、ここ『天国』に召されました。おめでとうございます。今から読み上げる内容に承諾され、サインさえしていただければ、ただちに入国と相成り、晴れて天国の居住者となれます。おわかりになりましたか? では始めさせていただきます」

 頭を割られたのも、今ここにこうしているのも、未だすべては夢の中の出来事と決めつけていたので、私は適当に返事をしてみた。

「どうぞ」

「ありがとうございます」

 軽く頭を下げた年配のアジア系の方が、手にした書類の内容を読み上げていった。

 だがその内に、ひっかかった個所があったので、

「今のところを、もう一度読んでくれませんか?」

とお願いした。

「はい。生年月日○○○○年△月□日生まれ、享年四十歳……」

「いいえ、その少し先です」

「はい。死亡場所、日本国の自宅。死因、階段から落ちて壁に激突し、その際に生じた頭蓋骨骨折が元に……」

「ちょっと待った!」

 相当大きな声だったようだ。私自身も夢から覚めてしまった。目の前にいる二人の男とも目を開いて、こちらの口元を凝視している。

「どうかされましたか?」

 怪訝そうに、引き続き年配の方が尋ねてくる。

「その死因は、一体、誰が証明したものなのですか? 私は殺されたんですよ! れっきとした被害者なんですよ!」

「はあ。そうおっしゃられても、この調書にはちゃんと『事故死』となっておりますが」

 年配の方は穏便ではあるが、若い方は、そうもいかないようだ。

「あなたね。あなたの方こそ何の証拠があるんですか? 殺されたっていう。思い違いですよ。よくありますからね、そういう勘違いって」

 まるで相手にしていないような言い方に、こちらも腹が立ってきだ。

「本人がそう言ってるんだから、間違いないでしょう! 調書が何だと言うんですか? それよりも、あなたは、私のこの事件を目撃したとでも言うんですか? 自身満々に言い張っておられますが」

「何ですって! 第一ね、天国の人間が嘘をつく訳がないでしょう? あなたの勘違いに決まっていますよ!」

 相手も負けてはいない。こうなりゃ、売り言葉に買い言葉である。

「それならば殺人者に、巧妙に『事故死』に置き換えられたんです。くどいようですが……」

 私は、さらに声のボリュームを上げた。

「私はね、ちゃんと殺されました!」 

 まだ何か言おうとする若い白人男性を手で制して、年配者が諭すような口ぶりで話し出した。

「わかりました。では、後ほどに再調査という事にしまして、死因の個所は塗りつぶしておきましょう。その他の個所が問題ないようでしたら、是非ともサインをして下さいませんでしょうか?」

「何も、そこまで妥協を……」

 若い男が、苦虫を噛み潰したような表情で口を挟んでくる。

「あなたは静かにしておいて下さい。お忘れですか? もう少しすれば、大勢の人たちがここに到着される事を。今我々は、失礼ながら、この方お一人に時間を割いてはいられないのですよ」

 これに、若い方は黙ってしまった。

 私は、受け取った調書に目を通してみた。他は特に問題はなかった。

 それを確認した年配者は、問題の個所をペンで黒く塗りつぶし、再度こちらに調書を差し出した。私はそれに従い、一応サインをした。相手に言わせると、「ようやく」というところだろう。しかし、当然私は不満顔のままである。

「結構です。では、再調査の結果に関しましては、後日ご連絡申し上げます」

 そう告げて、そそくさと来た道を戻ろうとする年配者の背中に尋ねてみた。

「先ほど言われた、ここにやってくる『大勢の人たち』というのは?」

 振り向いた彼は、目を伏せながら言った。

「いつもどおり、戦火の犠牲者たちです」


 ここまでが、私がここへやってきた理由、ならびに入国ゲートで起きた出来事だった。これらが、先ほどから述べている、私の『とある事情』である。


 一部始終を聞き終え、やや時間が経ってからママさんが口を開いた。

「まあ、何と言っていいのやら。とにかくお気の毒ね」

 健ちゃんも、いたく同情してくれている様子だ。

「それは大変でしたね。それで、これからどうされるおつもりですか?」

 少し考えた後、私は二人を交互に見ながら言った。

「そうですね。まずは、『誰がこの私を陥れたのか?』を知りたいところですね。もちろん、その理由も含めてです」

「うーん」

 健ちゃんが、眉間に皺を寄せている。

「でも黒輪さん。残念ながら、こちら側からは下界の様子を見る事も知る事もできないんです。我々が下界の状況を知り得る唯一の手段は、日刊のヘブンタイムスという新聞しかないんですよ」

「えっ?」

 意表を突かれた。

「その新聞でさえ、そういう個々の小さな事件をいつまでも取り上げるとは思えませんし。あっ、失礼な言い方ですみません」

 私は手を振って、

「いやいや、失礼でも何でもないですよ。それが当たり前でしょう。ただ、今でも何食わぬ顔で犯人がのさばっていると思うと、居ても立ってもいられないんです」

「そりゃそうだよね、頭きちゃうなあ。でも困ったわねえ、健ちゃん。どうしよう?」

 その時だった。憤慨するママの声を縫うように、別の声が聞こえてきた。

「よろしければ、お手伝いをしましょうか?」

 声の方向に目をやると……隣のテーブルの、そこに居る事さえ忘れていた黒人女性ランナーさんであった。

「タマラ、あなた何か当てでもあるの?」

 ママさんからタマラと呼ばれた女性は、綺麗なネールをつけた右手で頬杖をしたまま、

「ええ。上手く行くがどうかはわからないけど。実は、親友のシンシア・フェイスフルという女性が、管理局の結構なポジションにいるので、何かお役に立てるかも知れません。電話してみましょうか?」

 そして何気なく、スラリと伸びきった脚を組替えた。 

 私は唯、二人を交互に見ていた。そして、はたと気づいたのだった。

(ちょっと? おたくら一体、何語で会話してるの?)

 露骨に、表情に出たのだろう。そんな私の顔を見て、

「フフフ、驚いているようですね、ミスター・クロワ。ここではですね、国境も無ければ、人種差別……じゃなくって、人種区別もないんですよ」

 察しの良いタマラさんではあるが、何を言っているのかが、今ひとつ理解できない。

「要は、ここ天国では相手が何語を喋っても、それが自身の母国語として耳に入って自ずと理解できてしまうんですよ。ネ! 便利でしょ?」

 彼女は、さらに詳しく説明してくれた。

「へ?」

 戸惑う私。だが、今の英語らしき言葉が理解できているのも事実だ。

「つまり、全員がザメンホフになってるんですよ、黒輪さん。あなたご自身も先ほどのお話の中で、入国管理の外人さんたちとちゃんと会話なさっていた筈ですし、ほら今だって、タマラさんの話している内容もちゃんと理解されていたでしょう」

と、相変わらず鋭い健ちゃん。

(た、確かにあの時は興奮していて気づかなかったが、私自身、流暢に会話をしていたし、今の、このタマラさんにしろしかりだ。この語学力が皆無の私が、だ)

「健ちゃんったら、また訳がわかんない事言って。何、そのアメンボウって?」

「ごめんなさい、ママ」

 苦笑いをする健ちゃん。

「ザメンホフと言って、万国共通語を開発した偉人なんです。それよりも黒輪さん、どうされます? 今のタマラさんの電話の件は?」

 この言葉で、口を開けたままだった私は我に返った。

「そうだった……では、タマラさん。お手数をおかけしますが、ここはひとつよろしくお願いいたします」

 不思議だが、やはり私の発した言葉はちゃんと通じたみたいで、

「わかりました。では早速」

と言いながら、彼女は携帯電話をバッグから取り出して、店の中でBGMが一番聞こえにくい隅の席へと移動した。

(『お手数をおかけする』って、英語では何と言うんだろう)

と一瞬、どうでもいい疑問が頭をよぎった。

「上手く行けば良いけど。それはそうとたいしたお人だよね、そのアメンボウさんって!」

と言いながら、向こうにいる別の客が呼んでるのに応えて、ママさんは席を離れて行った。



 遠くでは、タマラさんがにこやかに電話をされている。ふとした時、彼女と目が合ってしまった。

「ミスター・クロワ! シンシアが、明日にでも一度お会いしてもいいって! 何時がよろしいかしら?」

「そうですか! 私の方はいつでもよろしいのでお任せします」

 事実、何にも予定なんてないはずである。

「了解!」

と言って、彼女は電話に向かって喋りだした。間違いなく、彼女の口元は『オッケイ!』と動いていた。

「わかったわ、じゃあ明日午前十時ね? それで、管理局の受付で何と言ったらいいのかな? 了解!」

 電話を終えて、タマラさんは、再び隣のテーブルに戻ってきた。

「明日十時に管理局まで来て下さいって。それで、受付の誰だっけ? そうそう、リュウ嬢という女性に、約束している旨を告げて下さいって。そうすれば、シンシアにお会いできるという事です。それと一応掻い摘んで彼女には事情を話しておきましたが、詳しい事は彼女に会って、直接あなた自身からご説明して下さいね」

 これに

「サ、サンキュー、ベリーマッチ」

 無理してまで下手な英語を使う必要性は全くなかったが、つい口から漏れてしまった。

「いいえ、どういたしまして。じゃあ、私はこれから用事がありますので、この辺で失礼します。ミスター・クロワ、上手くいく事を祈っています」

 タマラさんが手を差し伸べてきた。私も同じ様に手を差し出し、彼女と握手を交わした。外人女性と握手したのは初めてで、妙に緊張してしまった。死んでしまった今でも、相も変わらず小市民の域から脱してない私。

「タマラ、サンキューね!」

 ママさんが、そのスリムな後姿に向かって一声かけながら、また戻ってきた。その手には、一枚の紙切れが握られている。

「良かったわね、黒輪さん。そうそう、ちょうどファックスも着てましたよ」

と言いながら、テーブルにそれを広げて説明し始めた。

「ここが現在地の喫茶カドで、こう行って、ああ行って……ここにあるマンションが黒輪さんの新居ですよ。それと、ついでに言うと、ここが明日行かれる管理局ですね」

「新居……ですか。あと、いつまでもこんな風呂上りの格好では困るので、どこか、服を入手できるところはありませんか?」

「あら、その点はご心配無用ですよ。服は、ちゃんとその新居に用意されていますから。それと、テレビとかの電化製品や、歯ブラシ、コップなどの日用品も、ちゃんと揃ってますよ」

「すごいですね、それは。いやあ、まさしく至れり尽せりです。でも、もし他の何かが欲しくなった時は、どうすればいいんでしょう?」

 ママさんは、引き続き地図を見ながら、

「えーっと……あったわ! ここにコンビニエンス・ストアがあるので、大概の物を揃える事ができますよ。それにしても、便利な世の中になったもんだわね」

(まさか、ヘブンイレブン?)

「では実際に、その新居とやらを覗いてきます」

 そう言った後、私は二人に深々と頭を下げた。

「今日は見ず知らずの私のために、本当にいろいろとありがとうございました」

「いえいえ、それよりも受付のリュウ嬢によろしくお伝え下さい。確か……」

 そう言いながら、そばにあるメモに『劉』という漢字を書いてくれた。

「中国の方で、こんな苗字だったと思います」

 相変わらず、健ちゃんが気を利かせて言ってくれる。親切に念を押してくれたようだ。確かに、私は受付嬢の名前なんぞコロッと忘れていた。それと、もう一つ忘れていた事があった。

「そのシンシアさんって、苗字は何でしたっけ?」

「確かお名前は、シンシア・フェイスフルでしたね」

 澄ましたまま、彼は答えてくれる。

「じゃあ、また何かありましたらいつでも来て下さいね、黒輪さん」

 そう挨拶したママさんだったが、その目は、

「経過ならびに結果を、できるだけ早く知らせに来てネ!」

と告げていた。


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