第三章「台風コンチェルト」(協奏曲)5
「ではクロワッサン、続きを始めましょう……そうそう、マリリンが、博士の忠告を無視してドアを開けた……そこからでしたね」
「えっと、確かその筈です」
邪魔者のせいで、私も一瞬忘れていた。
「次は……途中で博士が感じた『違和感』という個所ですね」
「はい、日記を繰り返し読んでも、ここはわかりませんでした。もしかすると、その辺りのヒントになるような事は、日記に記載されていないかもしれません」
「ええ、日記から漏れているとすれば、私たちには追求不可能」
「はい」
やがて、一つの考えが浮かんだ。
「一つずつ疑問点を解明するのは止めませんか? そのような時間もありませんし。まして、解明できたとしても、組み上げた完成品が真実なのかどうか、自信が持てませんから」
「それで?」
「ここは、先ほど、ようやく薄っすらと見えてきた事件の『骨格』を元に、推理を展開してみませんか? つまり、ジグソーパズルの枠に、一つずつピースを埋め込んで行く作業のように」
(我ながら、上手い例えだよな!)
「素敵な発想です、クロワッサン。その教示に従います」
彼女の目は、ハートマークに……なっている訳がない!
「では、一応まとめてみましょう。メンバーの中にいる犯人は、準備してきたシナリオを元に、各自に危機感を与える事なく殺人を計画通りに繰り返した……ここまでは、良いですよね、クロワッサン?」
「はい、シンシアさん」
「では、続けて……そして、女性陣が全滅してしまった。これ以降は一変して……間接的な方法で、かつ杜撰に殺人が行われている。ナベさんは……いつでしたっけ……そうそう、二月九日の午後十一時半から三十分の間に、『感電殺』されている。従って、時限装置は六日の十一時半以降に仕掛けられている。その装置は、風呂を利用する他の男性に見つかってしまう恐れがあるので、仕掛けられたのは早い段階ではなく、少なくとも当日の筈である」
彼女は、先ほど私が書いたホワイトボードと自分のノートを、交互に見ながら話している。
「ここからが、ポイントですね」
そう言い終え、その先を私にバトンタッチした……ように思えた。無論、それに従う。
「はい。まずは一番。犯人は、ナベさんの行動パターンを熟知した人物で、彼の入浴タイムの把握していた。次に、二番。被害者は、ナベさん以外の誰でもよかった」
私はそう言って、渡されたバトンを返した。バトンを再び受けたシンシアは、
「その二番を延長して考えてみると、『その時に、誰も入浴していなかったら、計画が空振りする恐れも十分に考えられる』……あなた自身の言葉です。さて、どちらなのでしょう? 真実は」
「日記を見る限り、ナベさんの性格は几帳面そうに描かれていますので、私は一番が正解だと考えます」
「入浴時間が、おおよそ決まっていたという事ですね。私も同感です」
「ナベさんの次に、犯人は、再び時限装置を使って田村を爆殺した」
「これまたアバウトな話ですよね。果たして、その時間にちゃんと田村がベッドの上で寝ていたかどうか。まして田村は、ナベさんほどの几帳面さを持ち合わせていなかったような気がするんですが」
私は、思わず頭を掻きむしった。壁にぶち当たった時の癖だ。
「そうですね。ここまで複雑な事件になると、『果たして、警察の捜査がどこまで及んだのか』という点に興味が湧いてきます。これが『迷宮化』に係わる事なんですが。様々な殺害方法を用いたのには、この、捜査を混乱させるという目的もありそうです」
シンシアは、独り言のようにつぶやいていた。
「あら、ごめんなさい、脱線してしまいました」
「いえ、いえ」
が、今の話はほとんど耳に入ってなかった。実は先ほどから私の頭には、何か得体の知れない『虫』が飛び回っていたのだった。
「どうかされましたか、クロワッサン?」
「シンシアさん。すみませんが、少々お時間をいただけますか? 頭の中を整理してみたいので」
私は、どうしても『虫捕り』の時間が欲しかった。
「そうですね、ここらでちょっと休憩しましょう。そうしないと良いアイデアも浮かんで来ませんから。では、コーヒーでも淹れて来ますね」
彼女は、部屋を出て食堂に向かった。
その時、逆の方向のドアが思いっきり開けられた。
「シンシア! 私の分もね! ミルクたっぷりで!」
シンシアが戻ってくるまで、何とルミがそのまま私の横に座って、いろいろな事を尋ねてきた。
「ねえねえ、キミってさ、家族はいたの?」(両目が引っ切り無しに動いている。これで、体の色を変えられたらカメレオンだ)
「一応」
「そっか、じゃ子供は?」(今にも、口から長い舌が出てきそうで怖い)
「三人」
「へ~頑張ったんだ!」(大きなお世話だ)
「別に」
「じゃあ、奥さんは?」(おたく、興信所の回し者か?)
「一人」
「アッハッハ、面白いなあ、キミって」(箸が転んだぐらいで笑う、そんな年でもなかろうに)
「キミには、負ける」
「で、どこ生まれ?」(見てわかるだろ?)
「日本」
「違う、違う、日本のどこなの?」(何の調査だ? 一体)
「九州」
その時、戻ってきたシンシアの声が聞こえてきた。
「九州というのは、ニューヨーク州とかアリゾナ州みたいな州が九個あるから、そう呼ぶのですか?」
「ピンポンパン! さすがシンシア! 江戸時代にさあ、筑前とか、筑後とか、豊前とか、豊後とか……国が九個あったからさ、そう呼ばれているんだよ。ね、クロワッサン!」
「……ああ」
(知らなかった! さ、さすが年の功)
ルミは、目の前に置かれたコーヒーに、砂糖だのミルクだのを溢れんばかりに入れて、しばし大人しく啜っていたが、突然、デカイ口を開いた。
「そうそう、さっきの小説読んだけど、あんまり面白くなかったね」
私とシンシアは、思わず顔を合わせた。それにしても、恐ろしいくらいの速読ではある。
「えっ、もう読んでしまったの?……ルミね、さっきも言ったように、あれは小説じゃなくてノンフィクションなのよ。だから、そこで終わっているの。ごめんね、解決編がなくて」
「ううん、そんな事なんて別に構わないよ」
ルミは、コーヒーにもう一つ砂糖を入れながら、
「だってさ、もう犯人わかったもんね」
私たちは再び、顔を見合わせた。
「わかったって……」
今日初めて、私はルミに真剣に声を掛けた。
「誰と思うんだ、犯人は?」
「はあ? 何言ってるの、クロワッサンってば。最後に残った人間に決まってるじゃない、そんなもの」
「そ、そうか、やはり、キミも飯島犯人説か」
期待した私が阿呆だった。
しばし黙りこくっていたルミだったが、やがて何を思いついたのか、いたずら小僧のような顔をして、
「ねぇシンシア、紙とボールペン貸してくれる? 色はさ、黒でも青でもいいよ! あっ、あと赤も欲しいな!」
シンシアは、近くにあったコピー用紙二、三枚と、黒と赤のボールペンをルミに渡した。
「じゃあね、また三十分ぐらいしたら戻ってくるから……二人とも、寝ちゃだめだよ!」
と、例の『カビの生えた』鼻歌を歌いながら、再び隣の部屋に姿を消してしまった。
「何をする気でしょう? 彼女」
シンシアは、首を傾げている。
「さあ? あの思考回路は誰にもわからないでしょうね、多分」
こっちが聞きたいくらいだ。
「あら、もう十一時半だわ! 早く先ほどの続きを始めましょう」
「十二時過ぎて明日になったら、また台風が襲ってくるんですね」
「ごめんなさい、クロワッサン」
本当に、申し訳なさそう顔をしている。
「シ、シンシアさんが謝る必要はないですよ!」
シンシアには甘く、ルミには厳しい私。
(でも何故に、この二人が友だちなわけ?)
「どこまで行きましたっけ……そうだ! 『虫捕り』だった!」
「えっ『虫捕り』……ですか? ど、どこに虫が?」
怪訝そうに、私の顔を見るシンシア。案外、虫が嫌いかも。
「い、いえ、頭を整理しようとしていたところでした、確か」
大慌てで否定し、
「では私の方で進めて行きますので、クロワッサンは、その間に頭を整理しておいて下さい……確か、田村が上手い具合にベッドに寝ていた件でした。今回の犯人が、そのような偶然性に賭けているとは到底思えません。となると、『田村はベッドに無理やり寝かされていて、起きる事ができなかった』と考えた方が正解に近いような気がします。睡眠薬か何かを飲まされていたのかもしれません。この犯人は、毒薬の入手もやっているぐらいですから、『睡眠薬などにも当然ながら精通していた』と考えても不思議ではないと思います……」
ここで彼女は、私の変化に気がついたようで言葉を止めた。
「整理できたようですね?」
だが私は……今、頭の中にある考えを言うべきかどうか迷っていた。言ったが最後、今までの推理自体が、根底から覆されそうな気がしたからであった。
「どうしました、クロワッサン? 思いついた事は言うべきですよ。もし違っていても、後で否定すればすむだけですから。それに、この事件は……」
彼女は強調した。
「最終的には、あなた自身が解決すべき事件なのですよ」
確かにそのとおりだった。シンシアは、あくまでも善意の協力者なのだ。
「おっしゃる通りです。では、申し上げます」
一つ、深呼吸をした。
「はい、どうぞ」
「田村って、その死を誰が確認したのでしたっけ?」
「えっ? 飯島でしたよ、確か」
彼女は、『何を今更?』という顔をしている。
「ああ、そうでしたね。でも、博士は確認していませんよね?」
「ええ、そうでした。ドアから外には出ていませんね、その時は」
「とすると、博士が死亡を確認していないのは、飯島と田村の二人だけとなりますね?」
『おかしな事を言うなあ?』再びそんな顔で、彼女はこちらの方を見ている。
「ええ、博士は当然、飯島の死には直面していないので……」
「飯島の死は警察に確認されていますが、田村の死に関しては?」
「はあ? もちろん確認されていますが。先ほども申し上げた通り、それは調書にも記されていますわ」
「でも、実際に確認されたのは……損傷が酷い、黒焦げの田村の死体でした」
シンシアはようやく、私が言わんとする事が理解できたようだった。そして、憐れむように語り始めた。
「クロワッサン、黙って聞いて下さいね。例え、四半世紀前であろうと、警察には死体の身元確認ぐらいは正確にできますよ。ましてや別人の死体など、すぐに判明させる事ができます」
完全に言葉に詰まってしまった。
(焦げた田村が別人。この仮説がこれほどもろいとは!)
ようやく三十秒ぐらい経って、
「そ、そうでしたか……素人の推理ですみません。まさに『大山鳴動して鼠一匹』でしたね」
(やれやれ、恥ずかしいな。ルミがいたら何と言われたか……ああ恐ろしい)
「古代ローマの詩人・ホラティウスの言葉ですね。気にされる事はありませんよ。目の付けどころは、なかなかいいですから」
「恐縮です」
どう考えても、慰めにしか聞えない言葉だった。
(言わなければよかった。遥か昔に読んだ古臭い推理小説が、どうやら『戯れ言』のベースになったようだ)
しばらくの間、沈黙が流れた。私は、体力的……というか、脳味噌に疲れを覚えてきたので、つい焦って、またもや愚案を口に出してしまっていた。実は、まだ『黒焦げ死体』にこだわっている。
「田村が、実際には別の人物を爆弾で黒焦げにして……端から、黒焦げの死体でもいいのですが……自分は一旦身を隠した。そして、その後で時期を見計らって、飯島を谷底へ突き落として、最後に本当に爆薬で自害した……これならどうでしょう?」
(我ながら、しつこい。嫌がられたかな?)
だが、シンシアは最後まで聞いてくれ、
「興味深い推理ですね。でも、その『影武者』はどこに隠れていた、あるいは、死体だとすれば、どこに隠されていたのでしょうか?」
さすがに、切れ味鋭い突っ込みだ。
「そうですね……例えば、死体は隠されていたのではなく……体力がある田村は、山荘に来る時の荷物の中に、例えば、ギターケースの中に入れて、バラバラになっている死体を持ってきた。だから、その後に、そのバラバラというのがばれないように、爆殺という方法を選んだ」
言っている本人でさえも、あまり信用していない話をしている。
「ワオ! 恐るべき発想ですね。ミステリ作家も真っ青です。でも、田村はちゃんと自分のギターを弾いていましたね」
(彼女の顔は微笑んではいるが、決して褒めてはいないな)
にもかかわらず、私は話を続けた。
「では、田村の『影武者』は、皆が到着する前に、実はすでに山荘に潜んでいた……というのは、如何でしょうか?」
「クロワッサンって、頭が柔らかいんですね、感心します」
(素直に受け取るべきか?)
「でも叔父さん夫婦の存在は、どうします?」
(その叔父さん夫婦も、実は共犯だったら……『何でも言ってください』と言われても、これを言ってしまったら、おしまいだ)
と思い、私は無難に答えた。
「確かに、それはあります」
「それではやはり、飯島が犯人なのでしょうか? 頭に残っていた傷は無関係だったと考えて」
シンシアは、煙草の火を消して語りだした。目の前の灰皿には、既にかなりの量の吸殻が溢れている。もし居酒屋なら、店員が何回も交換に来ていたであろう。
「飯島についてですが……実は犯人の心理として、これから複数の殺人を犯そうとする人間が、わざわざ最初に相手を警戒させるような『嵐の山荘』などの話題をするものでしょうか? それに、皆が嫌がっているのに、ずっとこの話題を続けていましたよね?」
「はい、そうでしたね。なるほど、シンシアさんはそこに引っかかっているわけですね」
「ええ、そうです。自分が疑われないように、わざとそんな話をしたというのも、考えられます……実際の、そう、現実に生きている犯人は、そんな危ない橋は決して渡らないものなのです」
彼女は、こう断言した。有無を言わさない、ズシリと重い説得力。これには、逆らえそうもなかった。
「わかりました。では、飯島は犯人ではないとお考えなのですね」
「わかってもらえたのですね。 有難うございます」
感謝されてしまった。
やがて、シンシアが提案してきた。
「どうも、単独犯に関しては行き詰ったみたいなので、今度は共犯について考察してみましょう。まず、共犯だとしたら、誰と誰の可能性が高いと思われますか?」
(共犯か……考えてもみなかったな)
その時だった。
「パンパカパーン、パパパ、パンパカパーン」
懐かしすぎるファンファーレを叫びながら、笑顔でルミが戻ってきた。
「大変長らく、お待たせしました!」
(『魔女』の登場だ。再び、いや三たび、『魔女』が襲ってきた!)
「え、ええ」
やや、疲れ気味のシンシア。
その様子にも、全く気がつく事なく、
「ね、ね、シンシア? コピー借りるね」
と言って、手に持っている紙を二枚コピーした。そして、私とシンシアの手元を確認し、
「筆記用具は、オーケイみたいだね! じゃあ、シンシアは席に戻ってちょうだい!」
ルミはホワイトボードの傍にいるシンシアを、有無を言わせず私の横に座らせてしまった。
(一体こいつ、何を企んでるんだ?)
「これで、よし!」
と言って、ルミは「コホン」と一つ咳払いした。
「では、生徒諸君! 只今から、『抜き打ちテスト』を始めます!」