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勝利者


 瞬間、俺は走り出していた。


 突風が背中を押す。

 体は雪上にも関わらず軽やかに進んでいく。

 心は戦場にあっても前に進んでいた。


 遠方には倒すべき敵――――呂布。

 視界の隅から湧いてくる雪の煙幕が、さも呂布に吸い込まれていくように一本の道を創りだしていた。

 それは徐々に視野を狭めていき、とうとう見るもの全てが吹雪に覆われた。日光のない、雨雲の中を思わせる視界。 


「真っ直ぐ行く」

 

 呟いたそれに偽りも迷いもない。


 額から流れ出る血が片目を塞ぐが、そんなものまるで気にならなかった。

 風の流れを肌が感じ取り、足音の動きを耳が捉え、血の臭いを鼻が嗅ぎ取る。

 視覚的な不利を補うように感覚の全てが研ぎ澄まされていく。例え呂布の姿が見えなくとも、その全ての攻撃に対応できる自信があった。


 呂布は間違いなくその場にとどまり、俺の突撃を待ち構えている。

 恐怖を感じる直感的な部分にそれを確信した。 




第三十八話 勝利者




 薄暗い吹雪の世界。

 突風が――天候がつくりだしたそれは、天が味方してくれているような不思議な自信を与えてくれていた。

 先手を打つなら、視界不良の現状を利用しない手は無い。


 戟を受け流し、懐に飛び込む。

 呂布の野生動物並の反応速度を見る限り、虚を突いたとしてもそれは避けて通れない道だ。万全を期すなら、その虚――つまり隙――をつくりだす際に度肝を抜けるほどの衝撃を与えるべきだろう。反応が著しく鈍るほどの精神的な動揺。


 剣は二本ある。湾刀が手元に残ればいいし、場合によってはもう一本の方を投擲に使っていいだろう。

 腰には剣の鞘が残っている。黄寛隊長らがやったように投擲できる。

 襟巻とかは……使い道はなさそうだ。


 手持ちだけで考えてみると、最も無難なのは鞘を投擲しつつ接近する策。

 剣が手元に二本とも残る、防御に隙のない安定型だ。

 もう一つ考えられるのは、剣と鞘の両方を時間さで投擲する策。

 どっちかが命中するなんてことはないだろうけど、隙を作るとしたらこっちの博打型が有効だろう。

 

 ――どうする。


 呂布との距離は確実に縮まっていた。決断に割ける時間はそう残されていない。

 かといって足を止めれば、煙幕に紛れるという利を捨てることになる。この突風がいつ止むかはわからないからだ。

 しかし逆に考えれば――。


「ここしか、ないのか……?」

 

 いま以上の好条件が揃う場面はここを置いてないということ。この場面こそが呂布を倒す絶好の機会だということ。

 甘寧将軍を、黄寛隊のみんなを助けるにはここをおいてないということ――。


 覚悟を決めるしかなかった。


「ふぅ……」


 気を入れ直す。

 ここからはそんな暇すらなくなる。予感があった。


 取り入れた空気が体中の隅々に行き渡るようにしての、最後の深呼吸。

 体の節々の痛みを和らげ、心を固める専心の時。


 ――――絶対に勝つ。


 肺全体に行き渡った空気。

 

「ふッ!」 


 その全てを爆発させるようにしての、跳躍に似せた加速。

 一歩一歩踏みしめた足は、地面に反発するように体を前に押し出してくれる。

 高速で流れゆく視界にあって、追い越していく雪の結晶が六角形であることを認識できる。それほどの集中力に満ちていた。


 呂布に動きは無いと目が、耳が、感覚がそう告げていた。

 その間合いはすぐ先だが、正確な距離を知りたかった。


 剣を持った腕。それを後ろに引き、胸を反らして力を溜める。足は止めない。

 歩幅を調節しつつ、後ろに引いた腕を徐々に真上へと持っていき――思いっきり踏み込んだ一歩と共に呂布目掛けて真っ直ぐ振り下ろす。

 

 空を裂く風切り音が飛んでいく。追い風の影響もあってなのか、あっという間に視界から消えてしまった。

 それからおよそ三、四拍ほど経ってから、前方で金属音が弾ける。

 呂布の迎撃音。かなり近い。


 腰の鞘は既に引き抜いてある。この投擲に合わせて斬りこんでやる。

 すかさず投擲に踏み切ろうと腕を逸らす――――が、想定外の出来事に振り切ることができなかった。




 何の前触れもなく、眩いばかりの閃光が視界を埋め尽くす。



 

 利き目に直撃したそれにまぶたをおろしてしまった。


「なッ――――」


 飛び出そうになった言葉を辛うじて押しとどめる。

 突然の閃光、意識の外からの衝撃に脳がぐらつく。瞳自体は痛くないのに目を開けていられない。

 けれど、額からの流血によって閉じていた瞳は――――開いた。


 赤汚れた視界。額からの血がそうさせていたが、映ったのは眩い白銀の世界――雪そのものが輝きに満ちているかのような光景の中、唯一の黒い影。

 禍々しい形状の刃から、それが呂布のものだとわかる。


 掠れた映像の中、間違いなく呂布の姿があった。

 眩しさに手をかざすような姿勢。戟を構えているようには見えない。


 鼓動の速まりが告げる。


 ――――今しかない!


 千載一遇の、決定的な好機だった。

 重心を残したまま、腕と手首だけの簡素な構えから鞘を投擲する。

 その重量頼みの投擲――頭部に直撃したなら人を殺せてしまうほどの威力はある――は真っ直ぐ呂布へ向かっていった。


 そして、つま先による加速で突っ込む。

 呂布の側面。戟を持つ手とは逆の、がら空きの懐目掛けての疾走。

 足音を消すつもりだったけど、やはり完全とまではいかない。雪や泥の音だけは微かに耳に入ってくる。

 だがこの程度なら直前までは気づかれないはず。

 仮に音で気づかれてもいい。戟の間合いに入り込めさえすれば――。


 数えるような間もなく、鞘が呂布の間合いへと差し掛かった。

 そして予想通り、眼の前の影が鞘を弾く。閃光の直撃を受けていても、突風の中、鞘の風切り音を正確に捉える野生じみた感覚は健在だ。

 だけど、目元を覆う手はそのまま。


 ――いける。


 確信が心を急かすのを自制する。

 息を潜め、足音を抑えつつ、それでも速く、勢いを殺さずの疾走。

 鞘を迎撃した戟は上へと振り上げられていた。懐はがら空き。


 そこへ、踏み込んだ一歩。


 とうとう戟の間合いか否かという距離に差し掛かる。

 もう、足音を気にする必要はない。

 大きく息を吸う。

 

「うおおおォああぁぁ!!」


 足音を消すための、呂布の感覚を鈍らせるための大声。

 “驚く”という感情は程度に関わらず、それ自体が身体を硬直させるというもの。


 効いているのか呂布の迎撃はない。


 身を低く、湾刀を下に構えて懐に――――飛び込めた。

 踏み込んだ一歩で力を溜め、足裏から駆けあがる力を腕の振り上げに。

 

「あああぁぁぁッ!!」


 突進の力を全て込めた、渾身の斬り上げ。

 腕の力みではなく筋肉と関節との連携による、天に届くだろう最速の一撃。

 揺らぎのない刃の光の軌道は、呂布の首へ。


「ああぁぁ――――ぁ、ぁ」


 その、刹那のことであった。

 見上げた先、目にかかる長さの赤い頭髪が揺らめいた。

 その影――呂布の表情にできた暗闇から、二つの紅い光が俺に向けられた。向けられていたことに気がついてしまった。


 驚きも。

 恐れも。

 怒りもない、真ん丸の瞳。

 

 呂布の瞳は、事実だけを見つめるようにこちらを捉えていた。




 視界は明るいのに、まるで感覚の全てが暗転したかのような錯覚に襲われる。

 心臓の鼓動が、妙に遅く感じられた。


 ――――引き返せない!


 湾刀は呂布へと向かっていく。重心も戻せない。

 全神経を駆け抜ける悪寒に反して、眼前の呂布は戟を動かそうともしていない――。


「――ぃッ!」


 されど真横から来た何かは呂布の攻撃以外あり得なかった。

 予想だにしない、殴打の衝撃が左腕を直撃していた。


「      !!」


 生々しい破砕音が体内を暴れまわる。

 頭から血が引いていき、足が地面から離れてしまう。

 浮遊する肉体に木霊するは止めどない衝撃の爪痕――。



 ――――負けた。



 その現実味を帯びた痛みは、心を揺るがした。











 

「はぁ……うぁ――。ああーッ糞ォ!」


 体内が焼けただれているかのようだった。全身を支配するのは悶えることもできない激痛。涎と鼻水で呼吸もままならない。

 頭も上手く働かない。


「なんで、だ……。クソッ! 痛、てぇぇ……!!」


 声の震動ですら神経を傷つけているように思えたが、痛みで意識を保っているようなもの。幸運と捉えるべきか……。

 ちくしょう、涙が出る。 


 呂布は、確かにひるんでいた。

 予想外の閃光は確かに目を塞いでいたのに、虚を突いたはずの攻撃は通じなかった。

 ――全力、最速の動作でも届かなかった。


「はぁ……はァッ! 俺じゃあ……――」


 そこから先、漏れそうになる弱気を呑み込む。

 こんなことを考えている場合じゃない。現実を見ろ。


 痛みの感覚は曖昧だけど、右手にはしっくりくる感覚。湾刀は、まだ手元にあった。

 左腕は上がらない。呂布の攻撃を防いだせいか……。

 体の痛みは判断がつかない。どこがどんな風に痛いかもはっきりしない。あえて言うなら全部痛い。言葉もないくらい痛い。


「とッ――痛ッ! ……とにかく」


 俺は、まだ戦える。

 時間さえ稼げば援軍が来てくれるはずだ。それまで全力で耐えきればいい。


 幸い、落下の際に舞い上がった雪は周囲に停滞していた。風がないおかげだ。閃光もないし、周囲は薄暗い。身を隠すには申し分ない環境だ。

 これなら多少なりとも回復の時間は稼げるはず――――だった。


  


 だったが、歪んだ視界には人型の影が映る。

 前方からは静かな足音。




 熱されていたはずの体に寒気が這いずる。


「休すませてもくれないか」


 手をついてすぐさま立ち上がる。脚に力が入りきらずよろめいてしまうが、気を入れて踏ん張る――立てた。

 顔を上げる。こっちの損害を悟られないように、目には力を込めて。


 目の前には――呂布。


 戟の間合いの内側、もはや湾刀の間合いにすら入り込んでいる呂布の姿には傷一つなく、息切れも、汗すらない。


「いッてぇ……」


 右腕を上げる。手首にじんとする痛みが走ったが湾刀を構えなければならなかった。

 いつ攻撃がきてもおかしくない間合い――……生きた心地がしない。


「どうして……」


 こっちの緊張なんてお構いなしに、妙な呟きと共に伸びてきた包帯に巻かれた手。

 ゆっくりと伸びてくる呂布のそれ。あまりにも無防備な動作は余裕からか。

 

「こ、のッ!」


 叩き落とそうと動かした右腕はそれにすら間に合わない。

 なんてことのない力が俺の胸を押す。暖簾のれんをかき分けるような、本当になんてことない力だった。


「あぁッ! ――――かッ!!」


 俺の足腰はそれにすら耐えることなく崩れてしまう。

 声も出せない電撃が上ってくる。視界も脳も、なにもかもが吐き気に変わるような痛み……。


 尻から感じた雪の冷たさになんとか意識を保つ。

 咄嗟に湾刀を構えようと右腕を上げたが、そこには肝心の武器が握られていない。


「――……ち、くしょう」


 身体の力が抜けていく。殴りかかるどころか、立ち上がる力も抜けていった。

 這いずって逃げることも、もうできない。


 戟の間合いの内側で、呂布は悠然と立ち尽くしている。

 その表情は“無”。人間味を微塵も感じない、無表情だった。

 手には戟。巨大で歪な刃を備えた鉄の塊。

 

 ――殺される。


 自分の最後が現実のものになろうとしていた。

 今になって腕が震えてきた。奥歯がうるさく暴れ出す。


「はぁ……、はぁ……!」


 心臓の鼓動はまだ生きていることを知らせてくれているけど――――それが、堪らなく嫌だった。痛みを訴えるような早鐘が、我慢できないほど苦しい……。

 呂布の姿が、水面のように揺らめく。


「ちくしょう…………!」

  

 涙が溢れていた。

 俺はいま、仲間の命より自分の命を想っている――情けない。

 覚悟だなんだと言っても、結局この程度で震えあがってしまう自分が――――世界一情けなくて、辛い。


「うッ、うぅ……」


 助かりたい。生きたい。――帰りたい。

 汚いほどに切実な願い。そればかりが心に囁きかける。


 ――命乞いをしろ。情けなく頭を下げれば見逃してもらえるぞ。生きられるぞ。


 黒く淀んだ心の声。

 呂布の沈黙がそれを肯定しているように思えて、声が漏れる。


「――……た、す」


 喉の奥から漏れ出るそれを言い切ってしまいたかった。

 それで助かるのなら、いくらでも叫んでやりたかった。例え自分だけが助かるとしても、言いたかった。


 そう。言いたかった……。 



 ――――だけど、呂布の立ち振る舞いに考えが変わった。ふとした転換だった。



 戟を振り上げる素振りすら見せず、呂布は眺めるようにその視線を俺に注いでいた。

 情けなく震える姿を見たいのか。

 憐れんでいるのか。

 見下しているのか、判断がつかなかった。

 わかることは、呂布はなにをするでもなく糞を見下ろすように無表情だということ――。


 頭は冷静を通り越して、沸騰するように煮えたぎっていた。


 見下されるのも、憐れみを向けられるのも――なんにしても腹が立つ。

 それは俺だけじゃなく、甘寧将軍も、黄寛隊長も、張さんも、隊のみんなをも侮辱している許せない行為――命懸けで戦った人を貶める、恥ずべき所業だ。


 痛みが消えた気がした。

 呂布を睨み付ける。冷たく見下ろすその瞳を見据えて、思いっきり肺を膨らませて。


「お前なんかが、俺を――……殺せるもんかァ!」


 弱みも痛みも隠して、呂布へと叩きつけてやった。

 これが動けない自分にできる精一杯の抵抗。

 生かされている現状は、隊のみんなへの侮辱に思えての、最後の抵抗。


 意地と誇りで人は死ねる。

 ここで殺されても構わない。覚悟ができた。






 唾を吐きかけてやったのに、呂布は動かない。が、その無表情にようやく変化が見えた。唇がゆっくりと開かれる。


「――」


 けれど何か言葉を発することなく、呂布は目を逸らした。

 耳に入ってきた小さい風切り音――そのせいか。

 呂布の視線の先、飛来する棒状のもの。涙で滲んでいた視界には影しか映らない。


 呂布が飛来する物体を戟で弾いた。

 彼方へ飛んでいったそれが地面に突き刺さる。俺のと同じ鞘だ。


 ――誰だ!?

 

 その疑問を解消したのは、裏返りかけた雄叫びだった。


「いやあァァ!!」

「――張さん!」


 声の方向には雪の煙幕をかき分けて接近してくる張さんの姿。


 ――助かった。


 そう緩みかけた気を締め直す。

 呂布の視線は張さんへ向いている。張さんの足音や声もちょっとした雑音なら消してくれるはず。今なら動ける。


 ――――湾刀は!?


 張さんの攻撃に合わせて攻撃する、そのための武器がいる。

 呂布の足元にそれを発見。すかさず這いつくばって向かうが、目前には戟の柄。


「いッ!」


 鼻っ柱に衝撃。それ自体には単なる打撲のひりひりしかない。


「――――かッ!!」


 だが地面に叩きつけられた衝撃が急激な骨折の痛みを引き戻す。

 視界が歪み、意識が飛びそうになる。――起き上がれない。

 

 呂布は張さんへと体を向けていた。

 はっきりとしない視界。横から見える呂布の瞳には冷たさが宿っていた。明確な寒気の源が、はっきりと見えてしまった。


「――い……だッ!」


 呂布の意識の全ては、張さんへと向いている。

 朦朧とする意識でもわかってしまう無謀の結果――人が終わる光景。

 

「駄、目…………だ」


 震動が左腕を揺さぶる。声が続かない。

 

「あああぁぁぁ!!」


 咆哮を発して接近する張さんは速度を緩めない。

 激突まで時間が無い。声ではもう止められない。


 ――動け!


 神経が擦り減るような激痛が全身を支配する。

 今こそ呂布に攻撃しなくちゃいけない時なのに――――腕が上がらない。体が動かない。


 呂布は戟を引いていた。

 突きの構え――そこから繰り出される恐ろしい攻撃は身を持って実感した。

 それがどんな結果をもたらすかを知っている。


 張さんは剣を構えながら真っ直ぐ突っ込んでくる。他に動きはない、無策の突進。


 ―――張さん一人じゃ駄目だ!


 叫ぼうにも、肺から上ってくる痛みが邪魔をする。立ち上がろうにも力みを感じない。


「張、さ……ん……」


 辛うじて吐き出せた言葉はそれだけ。

 血の味がしたそれが、白い霞へと変わるかという刹那。




 張さんが、戟の間合いに踏み入った――。

 



 その足下の雪が舞い上がるよりも速く、呂布の戟が動いた。

 刃が光へと変わる瞬間。空気を断つ煌めきとなっての、音すらない戟の切っ先は――――。


「     」

 

 張さんの肉体を容易に食い破った。

 鉄の胸当ても、肉も、骨も、心臓すら――――何もかもを突き破った一撃。

 張さんの体が浮き上がるとか、揺れ動くとかいう振動を与えない神速の刺突。

  

 呂布の戟が引き抜かれる。目にもとまらぬ“引き”。


 事は一瞬だった。

 世界が止まったような錯覚から呼び覚ましてくれたのは、信じたくない真実――張さんの胸から飛び散る、おびただしい量の血液。

 滝のように溢れ落ちるそれが泥と混ざり合い、雪を染める。

 その僅かな時間の中、張さんと目が合った。


 張さんは――――。




 張さんは微笑みを浮かべてくれた。


 俺に向けた、安心させるような温厚な笑み。

 苦痛を押し殺した柔和な笑みは、いつもの微笑みだった。


 ――――大丈夫だよ。 


 語り掛けるような視線。張さんの体が、重力のままに傾く。

 ところが呂布はそれを良しとしなかった。倒れ込む張さんの背後で、呂布の刃が光を放った。


「…………ぁ」


 自分が何を言おうとしたのか、何をしようとしたのかわからない。 


 止まる思考と、動き続ける現実。

 倒れ込む張さんの背に、呂布の刃が振り下ろされた。

 地面へと縫い付けるような一撃は、見紛うことなく張さんの心臓へと突き立てられていた。


挿絵(By みてみん)


 四肢が一度だけ大きく跳ねる。

 それが地につくと小刻みな痙攣を経て――――張さんの身体は、唯一無二の大切な何かを失った。






 張さんは、動かない。

 雪を真っ赤に染め上げて力なく倒れ伏す。






 心が震える。


「う……」


 怒りに燃えるべきなのに。

 悲しみに涙を流すべきなのに。

    

「うぁああ……」


 心は恐怖に震えるだけで。 


「うあああぁぁぁぁあああぁ!!」


 体は身動きすらできない。

 どうしようもなく震えてしまい、俺には泣き叫ぶ以外にできることはなかった。



 そこから先は、覚えていない――。



 

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