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万修と張豊


「俺も馬鹿だな」

 

 戦場の中心地へ向かう一団の中、万修は呟く。

 

「そんなことはないよ」


 それに返したのは張豊だった。


「子義君を助けたいと思う気持ちを馬鹿にできる人はいないよ」

「俺らが死ぬことになってもか?」


 これから向かうのは敵軍の真っただ中。四面楚歌、孤立無援の戦の場。

 しかも敵軍は呂布と高順の騎馬隊。百人隊なんかじゃ十中八九、間違いなく埃みたいに吹き払われて終わる。

 太史慈を助けられる保証なんてはじめから無いに等しい苦境へと、万修らは身を投じようとしていた。

 

 それでも張豊は微笑みを崩さない。 


「皆助かるよ。絶対ね」

「……あんたは大馬鹿野郎だよ」


 万修は冗談交じりに言ったのだが、張豊は真摯に受け止めたようで「そうかもしれないね」と表情を曇らせた。

 その顔色は青白い。まるで死人を思わせる血の気のなさだ。


「本当にすまない……」


 そしてどういうわけか、俯いたまま小さくそう呟いた。

 次の言葉は無い。


 その曇った表情も、脈絡のない謝罪も。全て体調不良のせいだろうとして、万修は部隊の熱気に水を差さないよう口を噤んだ。

 それが呂布と戦う前の、彼らの最後の会話だった。


 


第三十七話 万修と張豊




 太史慈の腹部に、呂布の抜き手がめり込んだ。

 その体が一寸ほど地面から離れるのを、呂布に接近するさなか万修は視認した。


「きえええぇぇぇ!!」


 呂布を挟んで対面、蔡健さいけん班の班員らが攻撃を仕掛けた。これに合わせて万修も剣を直進させる。


「うおおぉぉぉ!!」


 呂布に向けての突きの一撃。

 両面からの挟み撃ちに時差は無い。呂布は戟を振り切り、空いた方の手は太史慈に抜き手として叩きこんだ体勢――。


 これを最後とばかりに、万修は思い切り良く踏み込む。滑り止めが剣に更なる力を与えた。

 けれど舞い上がった雪の結晶が、あたかも空中で止まっているかの如き時の中で――万修は見た。


 呂布の姿が時を飛ばしたようにぶれ、振り切られていたはずの戟が呂布を中心に舞い踊っている光景。

 戟そのものが生きているかのような錯覚。我を忘れて呆ける万修の瞳に映るのは、倒れ込む太史慈の姿と、彼方へと吹き飛ばされつつある蔡健班の面々だった。


 万修の突きが空振りに終わった事に気付けたのは、呂布が背中越しに目を向けてきた瞬間だった。


「……弱い」


 呟かれたそれが、万修の意識を無理やりにでも引き戻す。

 呂布による反転の勢いを乗せた一振りがくる。中段への戟による一振り。

 

「くッのぉッ!!」


 万修はかろうじて反応する。

 身をかがめて対処したが、背後から二つの悲鳴が上がった。頭上に振りかかるのは血しぶき。

 ――――やられたのか!?

 同質の悲鳴は李尋と李和。 

 血しぶきが知らせるのは怪我の程度が軽傷ではないこと――。


「いやああぁぁぁ!」


 止まりかけた万修を突き動かしたのは、背後からの張豊の雄叫びだった。呂布を挟んで向こう側からは、蔡健班の最後に残った一人が攻撃を仕掛けようとしている。

 万修は反射的に膝をついた。


「――おおおぉぉぉぉ!!」


 その体勢から繰り出すのは、腰の捻りと腕のしなりによる剣の一振り。呂布の足元目掛けてのそれは、即席ながら肉を断ち骨にも食い込むであろう剣速だ。

 上方から攻めるは張豊。呂布を挟んで攻撃するは蔡健班の一人。

 ――――躱せるものか!

 呂布の攻撃後の硬直を突いた、前後上下からの同時攻撃。


 呂布に迎撃する暇はない。

 退けば蔡健班の一人に、跳べば張豊に、身をかがめれば万修に――。

 呂布には逃げ道すら残っていない。


 万修は勝利を確信した。

 あまりにも、軽率な確信であった。


 呂布の片足が上がるのを万修の瞳が捉える。

 呂布の選択は跳躍――万修がそう考え、気を緩めたのは仕方のないことだった。

 無造作にあげられた呂布の片足は跳ぶ為のものではなかったこと。それを万修が知るのは次の一瞬だった。


 万修の剣が呂布の直下に差し掛かった瞬間、呂布の足が剣を踏みつけた。目もくれず、足を真っ直ぐ落下させたのだ。

 剣を握る万修の指に、手首に考えられない程の負荷が掛かる。


「ああぁ――ッ!」


 万修は堪らず剣を手放す。

 呂布の踏みつけは万修の“握り”の耐久力を遥かに上回る負荷を与えた。おそらく、万修が意地でも剣を手放さなければ手や指の骨も、剣も無残に砕け散っていただろう威力。


「なんッ!?」


 万修には愕然に肩を落とす間もなかった。直後、戟の柄がすくい上げるような軌道で迫る。

 刃のない棒にしか過ぎないというのに、それはまさに胴から上を刈り取るが如き刃としての存在感を発していた。

 迫り来るそれは万修に最悪の結末を悟らせるが、本能はそれを是としなかった。両腕を引き寄せ、柄との間に割り込ませる。


「う、ぐッ――!!」


 戟の柄が万修の身体を押し上げた。

 衝突音は戟の勢いに、激痛は浮遊感に打ち消され、万修の体は後方へと吹き飛ばされてしまった。

 









 万修が目を覚ましたのは、白いもやの中だった。

 ――――死んだのか?

 薄ら開いた瞳は朦朧としていた。


「ぐぉぉ……」


 しかし僅かな身動きすら許さぬ強烈な痛みに意識を叩き起こされる。

 痺れを含んだ堪えようのない痛み。


「万修君……無事かい?」


 近場から張豊の声。

 それに万修はようやく自身の生存を認識した。

 

「…………腕をやられ、ッた」


 痛みの出所は呂布への防御に使った腕。

 万修は顔を上げて確認する。腕の曲がり方は尋常でない。


「いッ――!」


 遅れて胴からも激痛が溢れ出るが、万修にはそれがどの部位からなのかを判断できる状態ではなかった。

 仰向けの体勢から動くことも、ましてや立ち上がろうなんてことは到底無理。万修は力なく首をおろす。


「なら、今は休んでいるといい。……私は行くよ」


 けれど、張豊の発したそれに首を上げざるを得なかった。

 万修は歯を食いしばって辺りを見回すと、膝立ちする張豊を発見した。


「あぁッ――! 馬鹿ッ、言うな……! 一人でどうする気だ!?」

「子義君がまだ戦ってる」


 張豊が剣を手に立ち上がる。その上半身がもやから脱すると、万修はある一点に視線を吸い寄せられた。


「なんだよその手……。腫れてる、ぅじゃねぇか……」


 右手首という関節。

 張豊のそれが真っ赤に腫れ上がっており、ところどころが青紫色に変色しつつあった。


「挫いただけだよ。まだ動く」


 そうは言うものの脂汗を滲ませる張豊。挫いただけというには程度が甚だしい量だ。


「なんでだよ。やっぱ、おかしいぜ……最近」


 “無理を通す”場面だという事は万修にも理解できるが、“嘘をつく”その理由が解せなかった。どんな場面においても決して嘘を吐かない張豊がなぜ――。

 万修の言葉に、張豊は答えない。

 

 張豊は遠く離れた、太史慈がいるであろう吹雪の中心へと顔をそむけた。


「――私には内通の疑いがかかっていた」


 そして聞こえるか聞こえないかという声量でその言葉が万修の耳に入ってきた。


「内通……?」


 万修は耳を疑った。


「な、んで……!?」

「私の軽率な行動が招いてしまった不幸だと、思いたい……」


 万修の勘違いではなく、張豊の声は紛れもなく真実味を含んでいた。


「最前線に配置されたのもそのためだ。隊の皆には申し訳なく思う……。もちろん私にやましい思いは無い。信じてほしい」

「わけわかんねぇぜ、張豊……! 何が、どうして、前線配備だとかに繋がる!?」

「すまないね。――……後は休んでいるといい」


 消えそうな声は無理やり話を打ち切ると、その顔を万修へと向けた。

 その人柄を表していたはずの柔和な微笑みは、違和感に満ち満ちていた。


「万修君、君にも子義君とはまた違う才能がある。焦らずじっくりやればいい」


 そのまま張豊は前を向く。もう話すことは無いという風に。


「なんだよ、その――」


 死にに行くような台詞は――。

 万修がそれを言い終えることも無く、張豊は無理に作った陽気な声と微笑みだけを残して呂布へと駆けだした。




 万修には、その背を眺める以外の選択肢を選べなかった。



 

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