張勲
「じゃあ……袁術ちゃんは参加するのね」
華やかな装飾が施された真っ赤な絨毯。その中央で不遜にも馴れ馴れしい態度を取るのは客将、孫策。
その対面――孫策を見下ろす形で金の玉座に腰かけているのは長く艶やかな金髪の、齢十程の幼い少女――。
「うん。するのじゃ」
生意気そうな顔つきに反して素直な反応を見せたこの少女の名は袁術。大陸で一二を争う富豪であり、好物は高級品である蜂蜜。
横には袁術の側近であり、彼女の統治領において政治や軍事問わずあらゆる総指揮権を持つ張勲という女性。
――やっぱりかわいいなぁ。
いわゆる総参謀の地位にあるその張勲はというと、反董卓連合に関する大事な会談の最中であるにもかかわらず袁術の純真無垢な笑顔に見とれていたのだった。
「分かったわ。袁術ちゃんが反董卓連合に参加するんだったら、私たちも参加するわね。袁術ちゃんが皇帝になるために協力してあげる」
その隙に話を進めようしたのか、袁術に向けて再度確認をするような孫策。
張勲は己の幸せ空間に割り込んできた雑音に意識を戻され、そのもとである孫策の存在を思い出した。
「うむうむ。よい心がけじゃな。これまでの恩を返すためにもしっかり働くのじゃぞ!」
ところが時すでに遅しというべきか、張勲が一考する間もなく袁術は肯定の意を示してしまった――とはいっても張勲としては何の問題もないのだが。
袁術の意向を聞き、あらゆる手段を用いて実現する――それが張勲の務めであり、溺愛する袁術を喜ばせる最高の方法だからだ。
「はいはい……」
そう返事をした孫策は微笑みを浮かべると、凛然とした足取りで謁見の間を出ていった。
「妾が皇帝……ぬふふ」
袁術は玉座で妄想を膨らませながら悶えていた。足をぱたぱたと振る愛らしい仕草。
張勲が見ていたら会議の内容なんて忘れてしまう程の喜悦に浸れただろうが、その疑心を露わにした瞳は孫策が出ていった扉の方に向けられていた。
二十九話 張勲
「美羽様は鵜呑みにしてたけど、馬鹿正直に信用する人なんているんですかねー」
正午を回った頃。美羽様こと袁術を寝かしつけた張勲は執務室でひとり呟いた。
袁術を皇帝にする。袁術が心の底から望むのなら、張勲は本気で実現してみせるが、提案したのはあの孫策だ。
「孫策さんはなかなか表には出さないけど、美羽様のこと、快く思っていないみたいだし……。どうしよっかな~」
孫策の最後に発した言葉。
張勲は黄巾党による暴動以降急増した政界人との会談による経験から、かつては感じなかった軽蔑のような感覚を捉えたのだ。
「もしかして毎回『袁術のやつ馬鹿みた~い』とか思ってたのかしら」
孫策と直接顔を合わせ、何度も命令を言い渡していた張勲。感じ取った違和感は今回だけじゃないのかもしれない。
しかしながら張勲の感覚としてはあまりにも微弱で、確信を持ちきれないのが現状だ。
「下手に突っついて刺激するのは危ないし……」
一気に殲滅するべきかと思いついたが、いやいやと頭を横に振った張勲。
相手は戦上手の孫策と周瑜だ。
中途半端な兵力を差し向けたのなら返り討ちにされて、勢いのまま攻め込まれるなんてことにもなりかねない。かといって現存する兵力の全てを投入したならば、守りが疎かになり、周辺諸侯に付け入る隙を与えてしまう。
頭押さえりゃ尻上がる。これでは表立って行動するのは良ろしくないと考えた張勲が至ったのは――。
「なら、ばれない様にイタズラしちゃおうっと」
つまるところ奸計である。
これなら孫策が敵であれ味方であれ、ばれなければ何ら問題にはならない。張勲はうきうき鼻歌を歌いながら棚から竹簡を取り出した。洛陽周辺の地形が描かれた地図だ。
「董卓連合の集結地点と洛陽までの道のりを考えると……。戦場になるのは汜水関と虎牢関かな」
この経路なら洛陽まで最短の一本道。道中利用できそうなものはないように思える。
張勲は「それにしても」と口を開いた。
「また厄介な経路を選びましたねー」
汜水関と虎牢関。
絶壁と絶壁との間に構築され、正面以外の出入り口が無い難所だ。それのみか外壁は分厚く強固で、乗り越えて侵入するのも困難な高さを誇るらしい。
高さ――攻城戦で使われる通常の梯子では届かないかもしれないと想定した張勲。
「攻城兵器が必要になる、か……」
そう呟いて張勲は指を鳴らして「いいこと思いついちゃった」と、いそいそ墨の準備を始めた。
「さっそくお手紙でも書いちゃいましょうか。董卓さんの方で頭がいい人は――」
袁家が名門であるがゆえの独自の経路を使えば、誰かに――ましてや孫策らに悟られることなく洛陽に密書を送ることができる。
仮に、誰かに内通を疑われたとしても知らぬ存ぜぬを貫いて後から金品を送れば良い。張勲は悪そうな笑みを隠そうともせず、書状を書き上げると。
「あ、そーだ。汜水関の外壁の調査をして、職人さんも呼ばなきゃ」
忙しい忙しいと言いながら、新たな書状を取り出して筆を走らせる張勲。
――これも全て美羽様のため。
そう思えばどんな事でも苦にならなかった。
「美羽様はお馬鹿さんで、能天気で、三歩進めば何でも忘れちゃう鳥頭だから騙せるでしょうけど――私の目は、誤魔化せないんだから!」
確証はないけどね。張勲は心の中でそう付け加え、袁術の居城を発ったであろう孫策に向け不敵な笑みを浮かべた。
読んでくださっている方々、ありがとうございます。
次回から反董卓連合編に入りますが、次も早めにできたらいいなと思います。