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旅立ち



第三話 旅立ち




 あれから三日後の朝。社は村の人々に囲まれていた。


子義しぎちゃん、怪我しないようにね」

「飯はちゃんと食えよ」

「子義! 変な女に引っかかるんじゃないよ」

「……元気……でネ」

「都会の女ってのはなかなかに積極的でな、夕方になると宿の周りに――っておい子義! 聞いてんのか――」


 村中の人々から旅立ちの激励を受け、村を離れるのが少し名残惜しくなる。

 社の住む村の住人はそれほど多くない。いるのは老人と大人、それと小さな子供ぐらいで、社と同じ年齢の人間は一人もいないのだ。それゆえ、小さな子供たちからは兄として慕われ、大人たちからは口の悪いガキとして可愛がられていた。


 子義しぎとは社の字のことだ。

 社というのは真名のことであり、これは本人が心を許した証として呼ぶことを許した名前のことである。本人の許可無く真名で呼びかけることは、例え殺されたとしても文句を言えないぐらい無礼なことなのである。

 社としては村の皆に真名を許しても良いと考えているのだが、母曰く、本当に大切な女の子にだけ許しなさい、と教えられてきたので社と呼ぶのは家族だけなのだ。

 名前ぐらいで無礼だ何だと騒ぐこの習慣には未だ慣れない。


 それはさておき、三日前に自身満々だった親父を一撃のもとに沈めてしまったのだが、幸いにも大した怪我ではなく、今は旅立ちのための準備をしてくれている。


「俺ぁもう子供じゃねぇっての! 触ンじゃねぇ!!」


 もみくちゃにされていた社は声を荒らげる。最初は嫌ではなかったのか、笑いながら受け入れていたのだが、流石に鬱陶しくなってきたので皆の手を振り払う。

 せっかく水浴びをしてきれいにした髪の毛がいつも以上にボサボサだ。

 荒れた髪を手で直していると、村人の一部が道を開け、親父がやってきた。

 

「待たせたな」


 親父は背負っていた大きな革袋を地に下ろす。


「俺が昔使っていたやつでな。いい皮を使っているからなかなかに頑丈だぞ」


 所々に細かい傷があるが、目立つような大きな傷は無い。

 中身を見れば、着替えと小さな巾着が入っており、その巾着を開けてみるとお金が入っていた。

 

「金なんていらねぇよ。これって母ちゃんの薬代だろ」

「薬の金ならある。これは俺の酒代だ」


 ――嘘だ。我が家の家計事情は知っているし、親父は酒なんて滅多に飲まない。

 巾着ごと親父に突き返す。


「いらねぇって言ってんだろ。向こうに行けば簡単に稼げる」

「持っておけ。金はいくらあっても困らん」

「あんたらが困るだろうが!」


 受け取ることを拒む親父に対して声を荒らげる。

 親父は目を瞑って腕を組む。黙り込んだ親父からは、受け取る気は微塵も無いように見える。

 無理やりにでもつき返そうと、親父に向け足を一歩前に出す。


「持っていきなさい、社」


 透き通るような声が社の足を止めた。


「母ちゃん!」


 母が親父の後ろから出てくる。その足取りは頼りなく、息づかいは荒い。

 母の体が弱いのは昔からで、無理をしているであろうことは誰の目にも明らかだ。

 社はその小さな肩を支える。


「寝てなきゃだめだろ」

「息子の門出を見送らない親がいるかしら」


 ねぇ、と親父に目をやる。それに親父は頷き、肯定の意を示す。

 その様子に満足したのか、母は言葉を続ける。


「何事にもお金は必要よ。それに兵隊さんになるには体力がいるから沢山食べないと」

「でもさ――」

「社よ」


 今まで黙っていた親父が口をはさむ。


「母さんもこう言っているのだから持っていきなさい」


 口の端を吊り上げ、親父は言った。


「まさか、お前だけ母さんの言うことを聞かないということはないだろうな」


 このクソ親父が、と口から漏れそうになるが、その言葉を飲み込む。

 三日前に親父に使った手をこんなところで返されるとはと思いつつ、社は顔を顰め親父を睨みつける。


「…………わかった! 持ってくよ!」


 この状況を打破する手段を考えるが、その思考を破棄する。母に逆らえないのは社も同じであった。

 その言葉に母の顔に笑顔が咲く。


「よかった」


 社に向き直り、母は社の右手を握って何かを手渡す。

 右手を開いて、そこにある物を見た。


「私がお父さん――社のお爺ちゃんから貰ったものよ。持っておきなさい」


 鮮やかな親指ほどの黒い石。それでできた矢尻に紐を括りつけた首飾りだった。

 太陽の光を反射してきらきらと輝くそれはまるで宝石のようだ。

 

「しっかりやりなさい」

 

 母は柔らかい笑みを浮かべ、社の手を握る。

 その手を軽く握り返し社は頷く。


「――イッ!?」


 バンッと張りのある音が響く。親父が社の背を叩いたのだ。


「簡単にくたばるのは許さんからな」

「ッの……痛ぇだろーが!」


 親父の脇腹を手加減して蹴る。


「――ッ!?」


 声を上げないのは親父なりの抵抗なのだろう。それでも脇腹を抑え悶える。

 大怪我ではないとはいえ、相当な痛みを感じているのは明確だ。

 親父がうずくまるのを見て周囲の人々は笑う。社も、一緒になって笑う。


 ずっとこうしていたいと思ったがそれを心の奥に押しやる。社はもう決めたのだ。


「そろそろ行くよ」


 声は大きくはないがはっきりとした声色で社は言った。首飾りを皮袋に入れ、それを担ぐ。

 その声を聞いて涙目の親父が立ち上がる。母や周囲の人々もそれまでの騒ぎを治め、社の方を見る。

 社はそれに向き直る。


「いってきます」


 その瞳には力強い光が宿っていた。人々は皆微笑み一斉に口を開く。


「いってらっしゃい!」


 その一糸乱れぬ声が社の背を押す。

 生まれ育った村に別れを告げ、社は歩きだした。


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