不明瞭
少し書き方を変えてみました。読みにくかったら言ってください。
遠くの方で雄叫びが木霊し、静まっていた都市にざわめきが広がる。
黄巾党が死体に気付いたのか。あるいは伯宗さんたちが見つかったのか。はたまたしびれを切らした孫策様が軍を動かしたのか。
なんにせよ時間に余裕がなくなったことを示していた。
じんわりと汗が滲む。
「止まれ」
早まる脚を止めたのは甘寧将軍の平静な一言だった。
将軍は建物の影から覗くようにして「ここだ」と呟いた。
細心の注意を払い、将軍に続く形でそっと顔を出す。
「ここが……」
前方には大型の木造建築物がそそり立っていた。高さだけなら普通の民家五軒分、広さは――ここからでは測りきれないが――小さな村なら易々と収容できるんじゃないか。
あまりの規模に息を呑む。なるほど、これだけの大きさのが数軒もあれば二十万もの人間を養うこともできるだろう。
視線を下に向けると、松明に照らされた二人の賊が目に映る。
(……なんだこいつら)
まず目が行ったのは脂肪の塊のような大男。後姿しか見えないが、李兄弟のような顔つき――馬鹿にしているわけではないが――なのだろうと推測した。
その脇には鷹のくちばしにも見える特徴的な大鼻をもつ小男。ちょろちょろと大男の周りをうろつく姿はネズミみたいだ。
この二人に共通していることは、同じような鎧を装備していることと頭に黄色い布を巻いていることだけだ。
「フフッ」
隣り合っているせいで身長差が際立つ二人に少しだけにやけてしまうと。
「黙れ」
「うッ!」
貫くような衝撃が胃を押し上げ、痛みに耐えかねてうずくまる。将軍の肘打ちだ。
(ちょっと笑っただけでこの仕打ちかよ……)
もちろん文句なんて言えるはずがないので謝ろうと唇を動かすが、もっと怒られそうだから黙って頷くだけにした。
そんなやり取りをしていると、倉の中から中肉中背の男が現れた。身長小男と大男のちょうど中間だ。
「三人だけか」と将軍はこっちを見向きもせず、携えた湾刀に手をかけ、辺りを見回す。
俺も痛む腹をさすりながらざっと見渡すが他に人影はない。
ただの賊が三人だけなら将軍の手にかかれば瞬殺だろう。俺も手伝えば騒ぎが起こる前に事を終えることができる。
(これならやれる)
確信をもって頭上の将軍に目を送るが、将軍は周囲を伺うだけに留まっている。確実な任務遂行を考えているからの用心深さなのだろう。
なら将軍の代わりに、と俺は視線の先にいる三人の動向を見守ることにした。
中肉中背の男が大事そうに壺を抱え、二人に歩み寄る。肥満体の大男の浮かれ具合を見れば壺の中身は食べ物だと考えられる。勝手な偏見かもしれないけど。
たまたま盗みに来たせいで鉢合わせてしまったのだろう。ということはこれ以上仲間はいないはず。
将軍も敵に仲間がいないことの確証を得たのだろう、それまで巡らせていた視線を三人の賊に固定した。
「太史慈、私に合わせろ」と将軍は鋭く目を細め、囁くようにそう告げた。
「了解」
うまく合わせられるか自信はないが、やってやる。ここで実力を示すことができれば出世に繋がるはずだ。そう意志を固め、いつも使っている味気ない愛剣を抜く。その重さがいつになく頼もしく感じた。
だが、俺の決意はすぐに鳴りを潜めることとなる。
中肉中背の男が仲間である二人に接触し、近くにある松明に照らされてその顔が浮き彫りになったのだ。
我が目を疑った。
ぐらつく視界に言いようのない気持ち悪さを覚える。立ち眩みに似ていて、それよりも重度の不快感に今すぐ倒れ込みたいが、それでも真実を確かめようと男に焦点を定める。
男は黄色い布を頭に巻き、鼻の下にはちょび髭を生やしている。骨ばった顔には憎めない笑顔を貼り付け、その幸の薄そうな風貌には覚えがあった。
「――――アニキ」
疑うように、否定するように、でも真実だと認識して絞り出した男の呼び名。
そこにいたのは、およそ二月前に南陽で出会った気さくなオッサン――アニキ、紛れもなく本人だった。
第二十二話 不明瞭
こんなところで何やってんだ。
どうして黄色い布なんてつけてんだよ。
なんでそんな奴らといるんだよ。
本当にアニキなのか。
なんで。どうして――。
頭の中を埋め尽くすのは中肉中背の男――アニキへの疑問だった。既に答えなんて出ているのに、心がそれを認めない。認めようとしない。
土石流のように押し寄せる感情は鬱積し、弱る心身を丸ごと飲み込んでいく。
「あの男は――――」
「え」
無機質な声質。綿でも詰められたかのような耳がやっと拾った音だった。
重い動きで首を動かし、声の主に振り向く。
「あの男は貴様の身内か?」
甘寧将軍は言葉を繰り返した。静々(しずしず)と抜き放った湾刀は、遠方の松明を映し、暴力的な紅い輝きを放つ。
『生きているだけでも幸運だと思わないとな』
不意に丁奉さんの言葉を思い出したと同時に、深く埋もれていた思考が復帰する。
返答次第で俺は命を失うだろう。甘寧将軍は敵と内通の可能性がある者を生かしておくような生ぬるい人物ではない。だからといって嘘で誤魔化すことは不可能だ。賊上がりといっても将軍なのだ、ケンボウジュッスウの渦巻く政治――張さんの話によると――にかかわることもある。俺なんかの嘘を見抜くことくらい造作もないだろう。
(嘘をつくつもりはないけどな)
正直に答えるつもりなのは本当だ。やましい関係ではないのだから嘘をつく理由がない。親父曰く、『正しいと思ったのなら胸を張れ』だ。
将軍の威圧的な眼光に正面から立ち向かう。
吹雪のように吹き付ける殺意にどうしようもなく竦みあがってしまう。嫌な汗が止まらない。
「あの男は――」
それでも逃げるという選択肢はない。背中を見せれば、問答無用で斬られてあの世行きだ。だから、せめて弁解ぐらいの足掻きはしてやる。
「あいつは、友達です!」
震える唇からはっきりと、胸を張って言い切った。手が震えるのを止められない。
将軍は――
(あぁ、どう言い訳しよう……)
将軍は鋭い眼光を逸らさずにただ黙する。
頭が回らず、言葉が出てこない俺には不安が募る一方だ。にじり寄ってくる恐怖の足音が大きく、強くなっていく。だが――
「そうか」と俺から視線を外した将軍は、三人の賊に振り返る。
場を満たしていた怖気が消え、将軍の纏う空気がほんの少し和らいだ。
「ならばここで待っていろ」
どうやら将軍に俺を追及する気はないようだ。
張りつめていた糸が切れ、肩すかしをくらったような軽い脱力感を感じる。
(助かったのか……?)
そう気を抜いたのも束の間。
将軍は一歩踏み出し、小さく息を吸うと。
「すぐに終わらせる」
ぞっとするほど低く、鉛のような重みを持つ一言を放った。
俺に「待っていろ」と言ったのは将軍なりの配慮なのだろう。しかし、だからこそ「終わらせる」という言葉には『人間の最後』を連想させる響きが伴っていることに気が付いた。
(アニキを――殺す?)
首の後ろがざわつく。
将軍の意図に至った俺は咄嗟に手を動かしていた。
「――何のつもりだ」
眉間に皺をよせた将軍の苛立ちの眼差しが向けられる。
将軍を引き留めるように、その細腕を掴んでしまった。
「待って……ください」
さらに乾ききった口から、意図せずそんな台詞が漏れる。
(何やってんだ俺は)
たった一日だけ、それも時間にして一刻ほどの付き合いしかないオッサンのために人生の好機を棒に振ろうとしている。下手すれば人生そのものを――。
そんなことわかってるのに、それでも手の力を緩めることはできなかった。
「何だ」
将軍は俺が話すのを待ってくれているのか、手を振り払わずにその場に留まっているが、それでも不機嫌さは顕在だ。
(アニキは友達のように接してくれた。俺に優しくしてくれたじゃないか)
だから――
「ぁ……」
アニキを殺さないで。そう言いたいだけなのに声が出せない。
将軍には一度見逃してもらっているのに、もしそう言ってしまった場合どうなるのか見当もつかないからだ。
だが将軍は俺の心中を察したのか、俺から視線を切り、口を開く。
「不満があるのならば貴様が行けばいい」
「え?」
将軍は狼狽える俺の手を払い、「早く行け」と背中を押す一言を告げると、物陰に溶け込むように姿を消した。
(……将軍って、案外優しい人なのかもしれないな)
将軍に感謝しながら、俺はアニキたちの元へと急いだ。
「アニキ!」
喉を大きく震わす。もしかしたらこの一帯に響いたかもしれないが、それを気にできるほどの余裕なんてなかった。
アニキたち三人は驚愕の表情を見せたが、鼻の大きな小男――よく見れば南陽でアニキを慕っていた男だ――はすぐさま不快そうに顔を歪めた。
「なんだてめぇ! 気安く――」
「待て」
アニキは小男を制し、突然名前――のような呼び名――を呼んだ俺に威圧的な視線を飛ばしてきた。
「誰だ?」
アニキは手に持った松明を、暗がりにいる俺を照らすように大きく掲げた。
俺は黒い外套を脱ぎ捨て、敵意のない証明として両手を広げて見せながらゆっくりと近づく。
「俺だよ、アニキ」
途端、アニキの目は驚愕に見開かれた。
「子義……なんでてめぇが……」
先ほどの威圧的なものとは違う、硬直したような声。
後ろの二人は俺に険悪な視線を送ってくるが、気にはならなかった。
「それは俺のセリフだぜ……」
南陽では『仕事で冀州に行く』とか言ってたけど、あれは嘘か。俺は嘘が大っ嫌いなんだ。子分なんか連れて、盗賊の頭気取りかっての。食い物盗んで、子分にもてはやされて、ヘラヘラして……。アニキのために将軍に歯向かって、ちびりそうになった俺が馬鹿みてぇじゃん。
堪えようのない怒りが腹の底から沸きあがるが、なんとか喉の奥に留めておく。
「元気そうだな、アニキ」
思いとは裏腹に、言葉には感情が乗ってしまい、皮肉っぽい口調になってしまう。
しかしアニキは「ああ」と素っ気なく、無感情に返すだけだった。
その態度に何故か頭が熱くなってしまう。
「盗みなんかして楽しいかよ」
「まあまあだ」
「悪いことだってわかんねぇのかよ」
「別に」
「……この街で一体何人殺したんだ」
「さあな」
毒を飛ばしてもアニキは当たり障りのない返答しかしなかった。
(……落ち着け。こんな質問の答えが聞きたかったわけじゃない)
頭では分かっていても、溜まった激情は噴火寸前だった。
一番聞きたかったこと、確認しなければいけないこと。それを聞かずに怒ってはいない。そう言い聞かせ、最後の質問を投げかける。
「なんで黄巾党に居るんだよ」
この理由が知りたかった。
南陽で出会ったときは近所のオッサンと何ら変わらない普通のオッサンだった。普通に話して、普通に笑って――。何も変なところなんてなかった。私欲のために人を殺すような人には見えなかった。
だから、何か理由があるのかもしれない。理由さえわかれば、何か力になれるかもしれない。
だが俺の思いは――
「どうだっていいだろ」
届かない。
もう――我慢の限界だった。
「答えろよ! アニキッ!」
積もりに積もった鬱憤を全て乗せ、目の前の普通のオッサンに力いっぱい叩きつけた。
びくんとアニキたち三人の肩が震え、アニキは大きくたじろいだ。そして俺の視線から逃げるように目を伏せる。
「そんなの……ガキには関係ねぇだろ。さっさと帰って――」
「俺はガキじゃねぇ!」
どいつもこいつもガキ扱いしやがって。いつもそうやって大事な話をはぐらかす。母ちゃんも、親父も、大人は皆そうだ。
俺はもう大人だぞ!
「言えよ! くだらねぇ話しだったらぶっとばすぞッ!!」
「…………泣いてんのか? お前」
目頭が熱い。心配そうに見つめるアニキに言われて初めて流れる涙に気が付いた。
「ちげーよ、クソ!」
慌てて涙を拭う。
(嫌なことを思い出してしまった)
今は忘れなければいけない。気持ちを切り替え、もう一度アニキを睨み付ける。
「どうなんだよ、アニ――」
「わかった。わかったから」
アニキは両手を上げ、降参の姿勢のまま軽い笑みを浮かべる。
「だから泣くなよ」
前に会った時と同じ、親しみを感じさせる笑顔。
そのアニキの様子に他の二人も警戒心を解いたのか、表情からこわばりが消えた。
俺は恥ずかしいさから、目元を隠すように手で覆い。
「泣いてねぇって――」
言ってんだろ、と続けようとしたが――
「ぐえぇッ」
「がすッ」
「ぶほッ」
突然の出来事だった。
乾いた音を立てながら松明が転がり、瞬く間にアニキたち三人が地面に倒れ込んだ。
何が起きたのか一瞬わからなかったが、こんなことをする人物は一人しかいないということに思い至る。
「……甘寧……将軍?」
「そうだ」と将軍は三人の背後から音もなく現れた。
足元に転がる、火のついたままの松明を拾ってこっちに近づいてくる。
「なんで――」
「これ以上は待てないと判断した」
将軍は極めて冷淡に答えた。目の前で立ち止まると、空いている方の手のひらを上に突き出し。
「鉤縄をよこせ。もう一本余っているだろう」と催促する。
しかし、俺は将軍の命を無視してアニキたちに目を向ける。
暗く、冷たい地面に伏せる三人はぐったりと四肢を投げ出し、ピクリとも動かない。
「…………殺したんスか?」
確認のつもりで将軍に尋ねる。
血は流れていないし、骨が折れた時の乾いた音もしていない。でも――アニキたちは動かない。
「安心しろ。気絶させただけだ」
将軍はすました顔でそう言うと。
「だから、さっさと鉤縄をよこせ。動けないように縛るだけだ」と手を招いた。
アニキたちが生きている。
将軍の言葉を聞き胸につっかえた不安は消えた。将軍のやり方は気に入らないが、アニキたちを生かしてくれたことには感謝しよう。
アニキたちの話は任務の後に聞くことにして、腰にある鉤縄を将軍に手渡す。最後の一本だ。
「貴様は火を放て。私が周囲の警戒にあたろう」
「はい」
将軍に鉤縄を渡す代わりに松明を受け取り、そのまま俺は倉の中へと向かう。
「すげー量だな」
真っ暗な倉の中には米俵が山のように積んであった。他にも茄子やきゅうりなどの野菜もそれなりに蓄えてあるようだが、ところどころに小動物の噛みついた跡があった。
至る所にネズミどもが忙しなく蠢いている。こいつらが原因だろう。いくらなんでも管理がずさんなんじゃないだろうか。ネズミ対策はきちんとしておかないとこのように荒らされてしまうぞ。
「って、そんなことより……」
任務を果たさねば。思考を切り替え、蓄えてある食糧に目を戻す。
「もったいないけど……」
畑を耕す身としては食糧を焼くことには抵抗がある。しかし、これは任務だ。やらなきゃ将軍にヤられる。
腰にある小壺を手に取り、中に入っている油を米俵の一角に染み込ませる。
「農家の皆さん。すんません」
この食糧を作った人たちに謝りつつ、松明を押し付ける。するとその火は油の染みついた部分に一気に広がり、俵を構成する稲わらを燃やしていく。
倉の中は乾燥しているせいか、他の米俵に飛び火していくのが異様に速い。
「よし」
これなら任務は成功だろう。さっそく将軍に報告しようと踵を返すが。
(ネズミがいない……?)
さっきまで倉の中をうろついていたネズミの姿が消えた。危険を察知して逃げ出したにしては早すぎるし、一匹も見当たらないというのは不自然すぎる。
「……早く行こう」
不可解な現象に背筋が寒くなり、脚を進めたその時だった。
「『こっちだ』」
いきなり頭の中に言葉が響き、金縛りにあったように体が動かなくなる。
「 」
声を出そうにも喉を震わすこともできない。
「『こっちだ』」
老人、大人、子供、男、女。年齢も性別も感じさせない不思議な響きを持った声。その怪奇的な、あるいは神秘的な響きは頭の芯に染み込み、蛇が持つ猛毒のように感覚を溶かしていく。
ズルリと脚が引っ張られた。――いや、脚が勝手に動いたのだ。
「『そう、こっちだ』」
楽しそうに声が弾んだ。
身体の自由だけでなく、意識の大半を失った状態では、この奇妙な術に抗う術はなかった。ふらつきながらも奥に向かって脚は進んでいく。
「『幸運だ。こんな――ろで――――――!』」
暗い視界の中に『白』を見つける。近づく内にそれは人の形をして、上から下まで『白』で統一された衣服を身に着けていることを認識した。顔は伺えない。
――白装束。目の前のこいつを表現するならこの言葉しかないと思った。
白装束はその白い袖を動かし、俺の頭を鷲掴みにする。不可解なことに掴まれた感覚も、手の体温も感じなかった。
「『い――。―――の――使――――らう』」
白装束が何事かを呟く。既に失われつつある聴覚ではその言葉を聞き取ることはできなかった。
そして白装束はどこからか一冊の書物を取り出した。
目が釘づけになった。
見た目は何の変哲のない本。だがしかし、それが放つ破滅的な悪意に全身が粟立ち、直観が騒ぎ立てる。
――――あれは人が触れてはいけないものだ。
これまで出会ったことのない魔性に魅かれつつも、これまで見たことのない邪気に吐き気を覚える。
「『―――――』」
再び白装束が呟くと、その魔本から放たれた眩いばかりの光が視界を埋め尽くす。
真っ白な光。
痛いほどの閃光。
この世のものとは思えない輝き。
(懐かしい……)
朦朧とする意識で確かにそう感じた。理由はわからない。
急激に輝きを増していく光の中、白装束は笑った。不吉に口元を歪め、邪悪に目を細め――嘲笑う。おぼろげな視界が捉えた最後の映像。
「ぶるああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
そして野獣のような雄叫びを最後に俺は意識を失った。
遅くなりました。いつもいつもすみません。