父の反対
第二話 父の反対
「社よ。……今、何と言った?」
低く、威厳のある声で男は言った。こちらに背を向け、あぐらをかきながら座っている。
「俺は軍に行くって言ってんだよ!」
耳までイかれたか、と黒いボサボサの髪を揺らしながら少年――社は、目の前の親父に向かって言い放つ。
「軍に行けば給金がでるし、衣食住の面倒もみてくれる。畑を耕すよりも儲かるだろうが!」
「だが危険だ」
親父がこちらを振り向く。太い眉をつり上げ、鋭利な目つきからは、はっきりとした拒絶の意がみてとれる。
その鋭い眼光に気圧され、社は目を伏せるが、頭の中でどうやってこの頑固者の親父を説得しようかと思考を巡らせる。
「お前にはまだ早い。せめてもう少し大人になってからに――」
「あら、いいではありませんか」
その透き通るような声に親父は慌てて振り返る。つられて視線を向けると、そこには母が横たわっていた。
黒く長い髪からはところどころ枝毛がはみ出ており、貧相な出で立ちをしている。しかし、透き通るような白い肌からは儚げな印象を受け、どこか不思議な魅力を感じる。
まさかの母の援軍に、社は内心喜んだ。親父は母に弱いのだ。
「しかしだな……」
「社ももう十六ではないですか。それに、自分からやりたいことを言うのは初めてではないですか」
親父は短く切りそろえた白髪交じりの髪をかきあげる。
顔は見えないが、その困り果てた後ろ姿から、社は勝利を確信した。
「母ちゃんもこう言ってるんだからさ」
母の言葉に便乗して社は親父に同意を求めた。
すると親父は突然立ち上がり、古びた床を軋ませながら玄関へと歩いていく。
草履を履き、家の戸に手をかけた。
「こい、社」
古びた小さな我が家を前に親父と向かい合う。その距離は十メートルほど。
お互いの手には長さ一メートルも無いであろう木の棒が握られていた。
「先に相手の体に当てた方の勝ちだ。俺に勝てないようなら軍に行くのは諦めろ」
親父は棒を正眼に構え、ぶっきらぼうに言った。
親父の身長は二メートル近くありガタイも良い。対して社の身長は親父の胸元ぐらいまでしかなく、体格にかなりの差がある。
母に頭が上がらないからといって、暴力でねじ伏せようとする親父の短絡的思考に頭を痛めつつ社も棒を構える。
「いいけど、俺が勝ったらこれ以上口をはさむのは無しだぜ、親父」
「無論そのつもりだ。だが俺は従軍の経験がある。簡単に勝てると思うなよ」
「……は?」
口から間抜けな声が漏れる。親父に従軍経験があるというのは初耳だった。
「そんなん勝てるわけねぇじゃねぇか!」
文句を言いつつ棒を地面に投げつける。
従軍経験があるということは即ち、ちゃんとした訓練を受けたということだ。本物の剣すら振ったことのない社では、元兵士の親父にに勝てる見込みは皆無と言ってもいい。
親父はその様子を見て口角を釣り上げる。
「なんだ、あきらめるのか。まぁ無理もない。賊討伐のための遠征では、俺は向かってくる賊共をばったばったと切り捨てて――」
「あきらめるわけねぇだろ!」
親父の話を遮り、咄嗟に叫んだ。すぐに棒を拾い直し、再び正眼に構える。
親父も、先程までの気の抜けた表情はなりを潜め、棒を振り上げる。
親父に挑むのはおそらく無謀なことなのだろう。しかし、もう一度あの少女に会いたい。会って話をしてみたい。
親父は息を大きく吸う。
「こい社!!」
親父の声が腹に響く。それとほぼ同時に社は駆け出す。十メートルほどの距離を一瞬で縮め、懐に飛び込んだ。
その速度に、親父は目を見開く。
社は棒を横薙ぎに振るう。対して親父は真っ直ぐに振り下ろす。
だが、親父の振るった棒は地面を穿つだけだった。
社の振るった棒は鈍重な打撃音と共に親父の脇腹を打つ。そして――振り切る。
「なあぁ!?」
驚愕の叫びと共に親父が吹き飛んだ。
地面を擦るように三回転を決めた後に、家の正面の木を大きく揺らして止まった。
親父は気絶しているのか、ぴくりとも動かない。
「……えーと」
なにが起きたのかわからない。社の口から漏れた声は困惑を露にしていた。
しかしこのまま惚けているのもアレなので。
「や、やったー」
とりあえず喜んでみることにした。