厄日……? 後編
遅くなり申した。
「本当にこれだけでよろしかったのですか?」
長椅子に腰掛けながら、不服そうに彼女は言った。
「あんまり腹減ってないし、これぐらいがちょうどいいんだよ」
団子を食べる。脇道を出てすぐの菓子屋で買ってもらったものだ。
「しかし――」
「いいって言ってんだろ」
軽い口調で彼女の言葉を制すが、それでもやはり彼女は納得していないらしく眉を顰めた。
律儀な人なんだな、と彼女の評価を上げる。今は怖そうな人、だ。
その理由は彼女の見た目にある。
少々幼さが残る――と言っても同い年ぐらいの――顔立ちだが、その幼さよりも否でも応でも目を引くものがある。
それは傷だ。
顔には大きな刀傷が二つ。衣服の隙間から覗く肌の至るところにも傷。
何かいけないことに関わってそうだ。そうでなければ、こんなに傷だらけになるような人生にはならないはず。
「……なんでしょうか?」
俺の視線に感づいたのか、彼女が不審そうな目を向けてきた。
「なんでもない」
なんでもない風を装って茶を啜る。
正直ちょっと焦った。そんなに長く見たつもりはなかったんだけど……。
とにかく団子を食ってさっさと別れた方が良さそうだ。休みを無駄にはしたくない。
「ごちそうさん」
最後の一串を食べ終え、
「ありがとな」
と、立ち上がってこの場を去ろうとしたのだが、彼女はそれを許さなかった。
「すみません」
彼女の声が耳に入る。
まだなにかあるのか、としぶしぶ振り返ると彼女は竹札を差し出してきた。
「最後に申し訳ないのですが、この住所がどこか知っていますか?」
畏まる彼女から、俺は不快さを表に出さないようにして竹札を受け取り、その内容に目を通す。
…………これは不味い。
「――……どうかしましたか?」
俺の沈黙を重く受け止めたのか、彼女は姿勢を正した。
「えっと。その、な」
もともと言いづらかったのに、彼女が態度を改めたせいで余計言いづらくなってしまった。でも言わなければ話が進まない。
はやくこの場から離れるためにも、俺は意を決して言ってやった。
「……悪い。字読めないんだ、俺」
「そ、そうでしたか」
ズルリと体制を崩した彼女は、
「困りましたね」
と言ってその小さな肩を落とした。
「読み書きとか習ってなくてさ」
習う暇がなかったと言った方が正しいが、ここで言う必要はないだろう。
あはは、と乾いた笑みを浮かべる俺とは対照的に、彼女は眉を下げて湯呑を弄り、
「はぁ……」
深くため息を一つ。
……心が痛い。このまま別れてしまうと、俺の良心が罪悪感から悲鳴を上げてしまうだろう。
――仕方ない。
「詰所に行くぞ」
「……え?」
彼女が顔を上げる。
「詰所なら地図ぐらいあるだろ」
俺は立ち上がり、彼女に向き直る。
「ほら、さっさと金払ってこい」
「は、はい!」
彼女は急いで立ち上がると、素早く店主の元へ行った。
第十八話 厄日……? 後編
「そういえば――」
と、思い出した風に話を切り出す。
「なんて言うんだ、名前?」
隣を歩く彼女に首だけを向けて問う。
いつまでも『彼女』のままでは呼ぶ時に困るからだ。
「楽進と申します。字は文謙」
彼女は素直なのか、間を置かずに答えた。
「かっこいい名前だな。俺は太史慈。字は子義ってんだ」
俺が軽く微笑みながら、
「よろしく」
と、言うと彼女は軽く頭を下げて、
「よろしくお願いします」
と、丁寧に返してくれた。礼儀正しい人だ。
「そんで、文謙」
楽進の見た目から推測すると、歳は俺とそう変わらないと見た。なので、親しみやすいように字で呼ぶことにした。
しかし俺の予想に反して、楽進はきょとんとした顔を見せる。
「えっと、なんかマズかった?」
なにか気に障ったのか心配に思い、本人に訊ねる。
「……あ、いえ」
楽進は両手を前で小さくブンブンと振り、否定の意を示す。
「同年代の男性から、こうも気軽に呼ばれたことが無かったもので」
頬をかきながら、
「少し気恥ずかしいというか……」
と、言葉を濁してそっぽを向いた。
「……なんか意外だな」
「な、なにがです!?」
楽進はほんのり赤くなった顔で迫る。
「硬くてとっつきにくい奴だと思ってたけど――」
面白そうな奴だ。俺は声に出さずに思った。
「なんで笑ってるんですか……」
どうやら俺の頬が緩んでいたらしい。楽進は不貞腐れるように言い、目を合わせようとしない。やっぱり面白い奴だ。
「悪い悪い。そんでさ、文謙はどっから来たの?」
少しでも機嫌を直してもらおうと話題を変える。
それでも楽進はつんとした態度を崩さず、目を合わせないようにこちらに顔を向けた。
「……陳の小さな邑からです」
「陳って……結構遠くないか?」
たしか隣の州だったかな。行ったことがないから正確な距離はわからないが、徒歩なら三日くらいかかるんじゃないか。
「どうしてここまで? 出稼ぎなら陳でもできんじゃん」
楽進はため息を一つし、
「実は……陳で配達の仕事を請け負いまして――」
目を伏せ、
「届け先がまさかこんなに遠いとは思わず、賃金に釣られ二つ返事で依頼を請けてしまったのです」
それでここまで、とやるせなさそうに俯く。
「大変だな」
俺は特にかける言葉を持ち合わせていなくて、苦笑気味に言うしかなかった。
せっかちなんだな、こいつ。それにしても配達か――
「――はっ!」
このとき、俺に天啓きたる。
「そうだ! 文謙!」
「はい?」
俺の突然の声にまぬけな声を上げる楽進。
「この道を真っ直ぐ行って、突き当たりを右に曲がれば詰所はすぐだ」
進行方向を大きく指さす。
「んで、配達が終わったら詰所の前で待っててくれ!」
「は、はぁ……」
んじゃ後で、とあっけにとられる楽進を置いて、大急ぎで兵舎に向けて走る。
「おぉ。マジで待ってたよ」
「……待っていろと言ったのは貴方でしょう」
詰所の前。楽進は手ぶらで、近くの家屋に寄りかかるように立っていた。
俺の方が早く着くと思っていたんだけど。
「結構早いな。もっと時間かかると思ってたのに」
「配達先がこの近くでしたので」
と、楽進は配達先であろう建物を指さした。
「ホントに近いな」
「――それで、なぜ私を待たせたのですか?」
楽進は寄りかかるのをやめ、小首を傾げながら言った。
俺は持ってきた小袋を楽進に差し出す。中身は金。
「配達を頼みたいんだ」
「……ご自分で行かれたらよろしいのではありませんか」
楽進は嫌そうに俺の頼みを一蹴した。
立て続けに配達を頼まれるのは嫌かもしれないけど、冷たくないか。
「仕事があるから行けないんだよ」
「私も、暇という訳ではないのですよ」
「ちゃんと金も払うからさ」
な、と楽進に頼み込むのだが、
「嫌です」
またも一蹴。
なかなか頑なじゃないか。こうなったら奥の手を使うしかない。
楽進の悔しがる顔が目に浮かぶぜ。
「頼むよ。ほら、盗人捕まえただろ?」
俺、と自分を指差し楽進にほほ笑みかける。
「そ、それは……」
狼狽えて考え込む楽進。――思った通りだ。
盗人を捕まえたという『義』を全面に押し出せば義理堅い彼女のことだ。こう言えば無碍には断れないだろう。
更にお礼に貰ったのは団子だけで、それに対し楽進は不服そうにしていたし、詰所の場所を教えたことで余計に恩を売れた。
むしろ断る理由が無い――!
あれ、俺って頭いいんじゃないか?
なぁなぁと詰め寄る俺に屈したのか、楽進は不承不承口を開く。
「…………どこまで持っていけばいいのですか?」
「よっしゃ!」
予想通り、と拳を握り込む俺をジト目で睨みつける楽進。
ご機嫌斜め、かな。
「は、配達先だな!」
これ以上悪化する前に話を進めよう。
「江夏と長沙の間の小さな村なんだけど……」
「詳しい位置はわかりますか?」
仕事の顔になったらしい楽進が聞いてくる。
「烏林ってとこの近くだ」
「烏林ですね。受取人は?」
「俺の親父に。名前は――えっと……太史善、だったかな」
確かそんな名前だったはず。ずっと親父としか呼んでいなかったから自信はないが。
「烏林の近くの村。そこにいる太史善さんに渡せばいいんですね?」
「あぁ、頼む」
楽進は竹札と針を取り出し、配達に必要な情報を書き込んで――正確には彫り込んで――いく。
「――わかりました。それにしても遠いですね」
楽進は荷物を受取りながら、少し語勢を強めて言った。
「悪いって。なんか奢るから許してくれよ」
へそを曲げた楽進の機嫌を取るための提案だったが、それは必要なかったらしい。
「それはいりませんから――」
楽進は俺の提案をあっさり断り、
「少し付き合ってください」
と、路地裏を指差して言い放った。
め、目が据わってる。
陽が当たらないせいかひんやりとした空気が流れ込んでくる。
「で、なんだよ」
人のいない路地裏に入り、楽進に振り返る。
すると棒状の何かが飛んできたので、反射的にそれを掴んだ。
「――っと。……角材?」
飛んできたのは俺の腕ほどの長さの角材だった。
「……先ほどの一撃。見事でした」
「は?」
楽進は荷物を下ろしながら、唐突に言った。
もしかしてさっきの盗人とのことを言っているのか。
「相手を労わるよう配慮した、それでいて意識のみを刈り取る打ち込み――」
たまたま手加減が成功しただけなんだけど、という俺の思考を余所に、楽進は話を続ける。
「素晴らしい技量です」
楽進の口元が僅かに綻んだ。
「配達を請け負う代わりに、一手御教授願いたい」
そう言って楽進は拳をつくり、腰を落とす。
「いやいや、俺はそんな――」
凄い武人じゃない。そう否定しようとしたのだが――
瞬間、心臓を刺すような冷気が襲いかかる。
反射的に角材を構える。
「遠慮は要りません。全力でお願いします」
いつの間にか、楽進から笑みは消えていた。
心臓を締め上げるような威圧感。周瑜様の時とは違う、俺一人に向けられた殺気にも似たそれ。
――苦しい。
経験したことのないそれは俺の身体を、精神を麻痺させるには十分過ぎた。
息苦しさのせいか、手が小刻みに震えて言うことを聞かない。逃げだしたいのに、足が凍りついて動かない。
ジリジリと距離を詰める楽進。
定まらない視界。
乱れる呼吸。
吹き出す汗。
時間の流れが曖昧で、頭が働かない――そんな時。
「――行きます」
楽進は静かにそう告げ、爪先に体重をかけた。
俺の身体は凍りついたままだ。
「――……ぁ」
俺にできたのは喉から声を絞り出すことだけだった。
腕に力は入らない。
楽進の身体が沈み込む。
その動きは視える、が――
「ぅ……!」
またたく間に距離を詰めた楽進が、懐に飛び込んできた。
――――危険だ。
本能の警告。
ここに至ってようやく身体に指令が下った。
――逃げなければ!
楽進の岩のような拳が衣服にめり込む刹那――
「――ッ!」
足が動いた――が、たったの一歩。僅か一歩後退しただけの回避とは言えない微々たるもの。
身体は動かない。
――当たる……!?
肉体を貫くかと思われた楽進の拳は――
衣服に触れて――止まった。
目と目が合う。
それまで闘気を宿していた瞳が急激に冷めていき、楽進は拳を引いた。
「冗談です」
くるりと身を翻しながら楽進は言った。あの威圧感は既に無い。
冗談? 今のそれが冗談だと?
「な、に……?」
思考は回復してきたが、まだ上手く声を出せない。
そのかすれ声でも楽進の耳に届いたらしく、
「……仕返しです」
と、荷物を持ち上げ、ふくれっ面で答えた。
仕返しって、そんなに配達が嫌だったのか……。
「では」
楽進はペコリと頭を下げると、そそくさと大通りへと走っていった、が――
立ち止まり、
「また会いましょう、子義」
そう大きくない声で言い、人混みへと紛れていった。
耳まで真っ赤だったぞ、あいつ。
「そんなに恥ずかしいなら言わなくてもいいのに」
自然と心が緩む。
このまま立ち尽くしているわけにもいかないと、手に張り付いた角材を投げ捨て、空を見上げる。
「…………今日は厄日だったな」
既に雲に赤みが差していた。
やっぱり付き合うべきでは無かったかと内心愚痴る、が――
「帰るか」
なぜか心は弾んでいた。
一週間で書けないことがわかりましたので、更新は一応二週間に一度に変更します。が、これから少し忙しくなりますので、この通りに更新はできないと思われます。ごめんなさい。
それと、これまでの登場人物のところに主人公像を載せてみました。やってみたかったんです。すみません。
イメージが崩れるから嫌、という方は見ない方がいいです。下手なので……。
最後に。読んでくれている方、ありがとうございます。