厄日……? 前編
これ以降、一人称を基本に書いていこうと思います。
「黄寛隊! 集合せぃ!!」
午前の訓練が終了し、隊長の号令が訓練場に木霊した。
額から流れる汗を拭いながら、駆け足で整列し、班長たちが点呼と報告を行っていく。
先月、黄巾党本隊を潰したことにより、荊州の黄巾党勢力はかなり減ってきているのだが、それでも小さな暴動は起きるもので、黄寛隊も鎮圧のために週一の頻度で出動していた。
そのためか黄寛隊の練度は確実に上がってきており、班長たちの報告も以前より円滑に行われているように感じられる。
隊長は報告を聴き、二つに割れた顎をさすりながら満足気に頷いた。
「よしよし。これで午前の訓練は終了となるが」
訓練の終わりを告げるかと思いきや、隊長は懐から竹巻を取り出して紐を解く。
「今回は良い知らせがある」
口角を大きく釣り上げ、不揃いな歯を見せつける。
何事かと思い張さんに視線を送るが、苦笑いをするだけで何が始まるのかわからないといった様子だ。
この状況で私語をするわけにはいかないので、黙って隊長の話に耳を傾けることにした。
「張豊班、万修!」
「――! はっ!」
万修は返事をし、一歩前に出る。
「同じく張豊班、太史慈!」
心臓が大きく跳ねる。
「は、はいっ!」
急に呼ばれて動揺しつつも、万修に習い一歩前へ。
何かやらかしてしまったのでは、という疑心が湧いてきてしまう。
特に思い当たることはないのだが――不安だ。
「さて、二週間程前に行われた合同訓練は覚えているな」
もちろん覚えている。忘れられるわけがない。
それは南陽に配属されている四十数隊をもって行われた合同訓練――という名のしごきだった。
まず、決められた経路を延々と走り続ける持久走。もちろんただ走るだけではない。
木刀を持った一隊が前の隊を追いかけ、その後ろを武器をもった一隊が追いかけ、その後ろを……といった、足を止めれば流血確定、命懸けの鬼ごっこ。
小休止を挟んで行われたのは制限時間なし、班対抗の完全決着制勝ち抜き戦。その上、成績が悪ければお仕置という鬼のような内容だ。
班対抗勝ち抜き戦というのだから、班同士、五人対五人での戦いだと思うだろうが、そんな単純なモノではない。
実際に行われたのは、ひとつの訓練場に五百班を放り込み、残り一班になるまで戦わせるという――乱戦だった。
思い出しただけでも吐き気がこみ上げてくる。
……隊長の話に戻ろう。
「見物していたお偉いさん方が貴様らの活躍を評価してくださってな。こうして正式な書状をいただいたのだ」
隊長が見せつけるように竹巻を揺する。
鬼ごっこでは、まっ先に李兄弟が脱落しタコ殴りに遭い、続いて張さん。万修はかなり長生きした方だが、結局脱落。班の中で生き残ったのは俺だけだったはず。
勝ち抜き戦の結果は優勝――という訳にはいかなかったが、そこそこ善戦した張豊班に例のお仕置は無かった。
……それほど活躍した覚えはないんだけど。
万修も納得していないらしく、隊長に訊ねた。
「俺たちは高い評価を受けるような働きを見せた覚えはないのですが、何故このような……?」
「ふむ。その理由はこれに書いてある。わかりづらい文面だからな、儂が簡単に読み上げてやろう」
隊長は姿勢を正した。
「黄寛隊、張豊班、万修!」
「はっ!」
隊長の粛然とした態度に、万修の背筋が伸びる。
「貴様は身体能力、技術力共に兵士として申し分ない!」
万修の頬が目に見えて綻ぶ。
普段笑わない万修のニヤケ顔。なんというか、気味が悪いぜ。
「が、如何せん突出し過ぎるきらいがある。周囲と足並みを揃えることを意識せよ――とのことだ」
「はっ!」
確かに。勝ち抜き戦――という名の乱戦――では万修が前に出過ぎて囲まれ、それを助けに行く場合が多かった、かな。敵の背後を突けるけど、万修を助けるためにどれほど焦ったことか……。
偉い人たちは細かいところまでちゃんと見ていたんだな。――でもそうだというのなら、やっぱり俺が褒められる理由がわからない。
「同じく張豊班、太史慈!」
「はいっ!」
話を聞けばわかるか、と隊長の声に耳を傾ける。
「身体能力はズバ抜けて高く、その粘り強さも評価に値する!」
持久走のことを言っているのかな。確かに完走したけど、それだけでこんなに褒められるものなのか。
「しかし戦闘に関して消極的であり、その能力を生かしきれていないのが勿体ない――とのことだ」
「はい!」
相手のことを思いやってのことなのだが、指摘されたのなら仕方がない。ちゃんと加減ができるようにしよう。
隊長の顔が更に引き締まる。
「此度の報奨は貴様らの将来性を買ってのことだ。現状に満足せず精進せよ!」
「――はっ!」
「――はい!」
俺たちは力強く頷いた。
将来性に期待して――つまり、期待されているのだ。嬉しくない訳がない。
隊長は豪快な笑みを浮かべ、言った。
「褒美として午後の訓練は休みとなる! 後日、金一封を贈るそうだ!」
『うおおぉぉぉ!』
突然周りから喜びの声が上がり、隊長も万修も目を丸くした。
「よっしゃ! 休みだー!」
「よくやったぜ万修! 太史慈!」
「やっと寝れる……」
「ご飯なんだなー!」
「休めるんだなー!」
最近は暴動のせいで休日が激減しているからか、隊員たちの喜び方が尋常でない。
しかし、まだ隊長は解散とは告げていない。隊長の口元がピクピクと痙攣するのが見える。
――これは不味い。
「ええい、黙れ黙れぃ! 貴様らに休みは無いわぁ!!」
午後に備えてさっさと休めぃ!! と午前の訓練は隊長の怒鳴り声で終わるのだった。
第十七話 厄日……? 前編
「おっちゃん、これちょうだい」
「まいど!」
金を渡して点心を受け取り、それを頬張りながら人で溢れかえった大通りを歩き出す。
「ん、うまい」
昼食後、張さんは駄々をこねる李兄弟を連れて訓練へと向かった。
休みを貰ったのはいいが、やることがないので街に行こうと部屋に残った万修を誘ったのだが。
『一人で行け』
と冷たくあしらわれてしまったのだ。
まだ怒っているのかと聞こうと思ったがやめた。せっかくの休みなんだから、そんなことに時間を使うのは勿体ないと思ったからだ。
「お、アレ美味そう」
そんなこんなで、今はひとりで食べ歩きを楽しんでいるところだ。金については、貯めた給金が山ほどあるので心配はいらない……だろう。
給金を母ちゃんたちに送らねば、と思っているのだが信用できる運び屋がいないので、長い休暇を貰えたら一度村に帰らなければならない。
褒美をくれるなら長期休暇がよかったのにと思うが、無い休日を考えても仕方がないか。
「それにしても店が多い」
さすが南陽というべきか。
前に居たところと露店の数が桁違いに多く、商品の種類も豊富。
人通りなんか比べ物にならないくらいだ。多すぎて歩きづらいくらいだ。
特にあそこの広場なんて人だかりができていて近づくことすらできない。
「ん?」
人混みの隙間から桃色の何かが見えた気がした。
――見覚えのある色彩。
その正体を確認すべく、近くにあった長椅子の上に乗って広場を見渡す。
「…………なにやってんだあの人は」
広場の中央には、子供たちと笑顔で戯れる孫策様の姿があった。
この時間。昼休みは終わってるはずだ。
「あんた領主だろ! 仕事はどうした!?」
と言いたい衝動に駆られるが、なんとか踏み止まる。命は投げ捨てるものではない。
上の人が真面目に働かないのはいけないんじゃないか、という不満が湧き上がるのだが――
「なんだかなぁ……」
子供たちは皆、ハツラツとした笑顔を振りまいている。周りにいるのはその親なのだろうか、彼らも優しい表情で微笑んでいる。
和気あいあいとした空気が広場を包み込む。まるで、ここ最近の暴動がなかったかのような穏やかな空間。その中心にいるのは孫策様だ。
この光景を目にすれば、多少の不満なんて許せてしまうのも無理はないだろう。
「坊主ッ! いつまで乗ってんだ!」
「す、すんません!」
乗っていた長椅子は、どうやら商売用の物だったらしい。店主であろう人物に怒られたので、急いで椅子から降りる。
「土足で椅子に――」
「ホント、すんませんでした!」
厄介事になるのは面倒だ。
店主の言葉を遮り、すぐに逃げようと後ろを向き、走り出した――のだが。
「うっ…………」
凍りつくような悪寒が俺を襲う。
足が動かない。動かせなかった。
「こら坊主! ただで逃げようったって……――!?」
俺を追いかけようとした店主も異常事態に気付いたのだろう、言葉が止まる。
周りの人々もそれに気付いたのか、さっきまで賑わっていた大通りから音が消えた。
「しゅ……周瑜……様……」
誰かが呟いた。
目の前には大通りを歩く周瑜様の姿が。
額に青筋を浮かべ、ズンズンという音が聞こえてきそうな位にその足取りは重々しく、振り撒く怒気は周囲の人々を無差別に竦ませる。
それは怒気というより、殺気と言った方がしっくりくるだろう。
――――死人が出る。
そう思ったのは俺だけではないはずだ。
進む先には、孫策様がいる広場。
たぶん仕事をサボった孫策様を連れ戻しにきたのだろう。それにしても怖すぎる……。
周瑜様の怒りの原因に思い至った俺はいち早く硬直から立ち直り、店主へと目を向ける。店主の目は周瑜様に釘付けで、身動き一つしない。――今が好機だ。
凍りつく店主に気づかれないように、忍び足でこの場から逃走した。
あの通りから少し離れれば、安心と安全に満ちた日常が広がっていた。
「はぁ~」
逃げることに成功した俺は安堵の息を吐く。
周瑜様の怒り心頭といった様子。あれでは孫策様は無事では済まないだろう。
一介の兵士である俺では、助けに行くことはできない。せめて孫策様の生還を祈ることにして、俺は休みを満喫しよう。
そう気分を入れ替えた時だった。
「待てッ!!」
焦りを含んだ大声が前方から聞こえた。
今度は何だ、と気だるさを覚えつつも目を細める。
「へへっ、バァ~カが! 置いとくのが悪ぃんだよ!!」
「泥棒だ! 捕まえてくれッ!」
大きな包みを抱えるようにしながら、いかにも小悪党です――といった風体の男が走ってくる。
せっかくの休みなのになんでこんな疲れるような出来事しか起こらないんだ。
孫権様に会えるとか。孫権様と話せるとか。孫権様と手を繋ぐとか。孫権様が降ってくるとか――――他になんかあるだろ!
されども、現実から目を背けたところで現状が変わるわけもなく、泥棒の男はぐんぐんと速度を上げて向かってくる。
「なんでこっちに来るんだよ……」
男は目前まで迫ってきている。
近くにある角材に手を伸ばす。
「――――どけよ餓鬼ぃ!」
「……うるせぇ」
鬱憤を晴らすように角材を振る。
俺の攻撃など予想すらしていなかったのだろう、男は身構えもせずに攻撃を食らって吹き飛んだ。
幸いにも、吹っ飛んだ先は人のいない脇道。
「…………あぁ、もう」
また時間が潰れてしまう。
ぼやきながらも男の状態を確認しようと、脇道へ足を進める。念のため角材は手放さない。
その狭い道に入って目についたのは煉瓦の壁。どうやら行き止まりのようだ。
壁に寄りかかるように横たわる泥棒の男。傍らには大きな包みが転がっている。
まずは男。
「大丈夫、かな?」
息はしているし、見たところ骨折もしていない。気絶しているのか、俺が近寄っても反応はない。
角材が思ったよりも頑丈で不安だったが、力加減はうまくいったようだ。
「となると」
心配なのは荷物だ。割れ物なら目も当てられないことになっているだろう。
いくらなんでも荷物の賠償を求めてくるなんてことはないよな。……いや、今日はついていないし、有り得るかもしれない。
今からでも逃げたいなぁ、と多少の後悔をしつつも、大通りの方からこちらに近づいてくる足音に感づいた。
「ありがとうございます。助かりました」
振り向けば一人の女性――女の子の方が合ってるかも――が深々と頭を下げていた。
泥棒の被害に遭ったのはこの人なのだろう。
「気を付けな」
今日はこれ以上、他人と関わってはいけない。そう直感した俺の行動は遅くはなかったはずだ。
早くこの場を去ろうと、当たり障りのないことを言って歩きだしたのだが――
「お待ちください」
女の子に呼び止められる。
それを無視して行こうとするが、回り込まれてしまった。
視線が絡み合う。
「どうか、お礼をさせてください」
この上なく誠実な瞳だった。
その真摯さにあてられたのか、俺は無自覚のうちに頷いてしまった。
前回の投稿からいつの間にか二週間も経ってしまいました。私は言ったことも守れない惨めな豚でございます。申し開きのしようもございません。
読みに来てくださっていた皆様。申し訳ございません。
D・C・Iさん。感想ありがとうございます。私は未熟者で、言ったことも守れない惨めな豚ですが、この物語の完結までお付き合いくださると嬉しいです。