一騎打ち
張豊班の所属する黄寛隊は、軍の後衛に配置されていた。
呉軍の前線を指揮するのは孫策。補佐として黄蓋。
しかしながら、孫策はとある理由により、前線の指揮を黄蓋に任せることとなる。
その黄蓋指揮の下、黄巾党の前線は後退を余儀なくされた。
即ち、孫呉の圧倒的優勢で戦は進行していた。
第十五話 一騎打ち
戦場の中心地。
一人は、長身で白髪混じりの無精髭を生やした黄巾党の男。
もう一人は、孫策。
二人の男女を取り囲むように留まる、呉の一部の兵士たち。
「なんじゃあー!?」
「み、見えぬ……」
「あのオッサン化け物かよ!!」
至る所から驚愕の声が上がる。
左耳が有ったはずの場所から赤く滴る血液を垂れ流しながらも、大男が手を緩めることはない。
その連撃は、万修のモノとは比べ物にならない速度、強度で振るわれていた。
この大男の剣を、冷静かつ的確に受け流していく孫策。
二人の戦いを、ちょうど真横から見ることのできる特等席に社はいた。
「スゲェ……」
口から漏れるのは、目の前の二人の武人への驚嘆の念であった。
大男の剣は、いうなれば激流。
その猛々しい剣戟は、近づくものを飲み込み、粉砕する剛の剣。
反して、孫策様の剣は静水。
その流麗な太刀筋は、荒れ狂う剣戟に飲み込まれることなく、しなやかに受け流す柔の剣。
こんなにも激しい攻防なのに、互いに最小限の動きで対処している。
大男には大振りな攻撃はないが、ひと振りひと振りに込められた力は決して弱くないように見える。
腕の振り、腰の捻り、足の使い方。全てが効率よく使われ、このような連撃を可能にしているのだと思われる。
孫策様に目をやれば、迎撃の際に一定の場所から動いていないように思える。
大男の攻撃の入りから剣の軌道を読み取り、その切っ先を僅かにずらすことで最小限の回避ができている、のだと思う。
防戦一方にみえて、動きに余裕があるように感じられた。
自分の粗末なチャンバラごっことは一線を画す、本物の剣術。
剣について、きちんと学んだことのない自分にも理解できる。
長い研鑽を積み重ね、培ってきた技術を競い合う、余人が穢してはならない戦いだと。
故に、この戦いに踏み入ろうなどとは欠片も思わない。
剣捌き、体捌き、足運び。
これらの技術を目に焼き付けようと、俺の目は釘付けだった。
社の隣にいる張豊と万修も、二人の戦闘に目を凝らす。
「見えるかい?」
「……速すぎてよくわからん」
張豊の問いかけに、短く否定の意を示す万修。
「子義君はすごいね」
社の熱心な様子から、この戦闘の詳細を視ることができている印象を受ける張豊と万修。
万修は納得できないのかその言葉に対する反応はない。
その不機嫌さに気づいたのか、張豊は苦笑をし、視線を二人の戦いへと戻した。
「……クソ」
張豊にも聞こえないような声で、吐き捨てるように言う万修。
社には視ることができて、自分にはできない。
万修は唇を噛み締めながら、この戦いを見続けた。
大男の空気が変わった。
「いくのか……?」
ポツリと呟くいた矢先、大男が大きく踏み込んだ。
踏み込んだ先は、孫策様の殺傷園のど真ん中。
体重を乗せた一撃。
無謀だと思うのも束の間、孫策様は最小限の動きでこれを躱し、大男の左脇腹に深い傷跡を残す。
血と同時に、鮮やかな桜色の臓物がはみでた。
――速い。
遠目で見ていたのに、剣の軌道を完全に追うことはできなかった。
傷を受けた本人は、何が起きたのかを知ることすらできないだろう。その衝撃は計り知れない。
しかし、大男に動揺はなかった。
深手を負ってなお、その強烈な闘気を秘めた瞳を孫策様から離さない。
大振りの一撃を外し、勢いのまま振り切ってしまい孫策様へ背中をさらしてしまう。
間を置かず切り返そうと、大男は左腕を振るう。
右手に剣を残したまま。
何故。
殴りかかろうとしているのか。
剣を持った相手に。
この間合いで。
いくら間合いが近いと言っても、拳が届くかは微妙な距離。
当たったとしても、孫策様を殴り倒せる威力を発揮できるとは思えない。
自分よりも遥かに優れた技量を持った大男だ。間合いを計り間違えるといった愚行を冒すとは考えられない。
ならば何故か。
この疑問は直ちに払拭されることとなる。
大男の左肘の始動と同時に、孫策様が剣を振るう。
肘から上を残すようにして、大男の左腕は地面に叩きつけられた。
大男の傷の具合を見れば、勝負の行方は明らかだ。
周囲の兵士たちは、早くも緊張を解き始める。
この兵士たちの安堵とは裏腹に、孫策様の瞳は驚愕から大きく見開かれた。
社の目に映るのは動揺する孫策様。逆手で握った剣を振り上げる大男。
こんな見え見えの攻撃、孫策様なら余裕で避けられる。
兵士たちも同様の考えだったのだろう。
自分もそう思っていたが、孫策様は動かない。
一連の攻防を思い起こす。
大きく踏み込み、剣を振り切った大男。
無防備にさらされた背中。
切り落とされた左腕。
二人の位置。
孫策様の表情の変化。それに伴う身体の硬直。
振り下ろされた孫策様の剣。
大男の右手に残された剣。
――そうか
そして、理解した。
孫策様の動揺の原因も。
大男の行動の真意も。
孫策様には、大男の剣が見えていなかった。大男の体に隠れ、見えなかった。
左腕を切り落としたことで、大男の攻撃を潰したと考えてしまった。故に大男の攻撃に気付くのが遅れた。
大男の無謀とも言える特攻。それは、今この瞬間の孫策様への一撃の布石。
大振りの一撃は、孫策様に見えないように体で剣を覆い隠すための移動。
左腕は孫策様の攻撃を引き出すための囮。
――左腕を囮にし、孫策様の視覚をも利用した捨て身の奇襲。
「 」
気付けば、声を上げようとしていた。
大男の凶刃が孫策様に迫っていく。
孫策様は、動かない。動けない。
このままでは――
思い描く最悪の結末。
それは、杞憂に終わった。
大男の刃が届くかという距離。
孫策様の目に鋭さが戻る。剣を持つ手に力が加わった、気がした。
雷光一閃。
大男の右腕を遮るように光が走った。
完全に後手に回っていたはず孫策様のひと振りは、大男の攻撃が届く前にその右腕を両断した。
一瞬と呼ぶには短すぎる時間での出来事。離れていたのに視認することもできなかった、まさに神速の一振り。
勝敗は決した。
大男は膝から崩れ落ち、項垂れる。
武器も腕も失い、出血の量からして生きていられるのもあと僅かだろう。
大男に戦う術が残されていないのは明白だった。
大男はゆっくりと顔を上げ、焦点の合っていない目を孫策様に向ける。
出血によって青ざめてはいるが、その顔には憤怒や悲愴といった負の感情は無い。というよりもむしろ――
『うおおおおぉぉぉぉ!!』
周りの兵士たちが歓声を上げる。
孫策様が大男の首を切り落とし、その勝利を確かなものにしたからだ。
体に残った血を吹き出しながら、大男の肉体が倒れ伏す。
孫策様は血払いをし、剣を鞘に収めた。
再び歓声。
兵士たちは、戦に勝利したかのようにはしゃぐ。
李兄弟はもとより、張さんや万修でさえも浮かれている。
確かに凄い戦いだったが、まだ戦は終わっていないことに気づいているのだろうか。
孫策様の勝利に沸き立つ戦場。
それに反して、俺の心は沈んでいた。
「あの男……」
あの大男が最後に見せた表情が、頭から離れなかったからだ。
社サイドは一人称。
万修サイドは三人称のつもりです。
難しい・・・