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とある男の・・・


「敵襲だー! 武器を持てっ!」


 黄巾党の一人が声を上げ、陣を駆け回る。

 それを聞いて、周囲のやつらは、慌てて近くにある武器を手にする。


「何やってんだ! それは俺ンだろッ!」

「はぁ!? 俺が先に取ったろうが!」

「ふざけんな返しやがれッ!!」

「――あでぇ! テメェ……!!」

 

 同じ天幕の中で血気盛んな若者が暴れている。他のやつの迷惑になるだろうに。

 これを傍観していられなかった俺は、殴りかかろうとした男の手を掴んだ。


「……ッ!? 誰だ! 邪魔すんなよ!!」

「邪魔なのはそっちだ」


 男は俺の手を払い、苛立ちに満ちた視線をぶつけてきたが、こちらを見るや否やその顔は驚愕の色に染まった。


「で、でけぇ……」


 俺の身長は九尺近くあるからな。筋肉もついてきたし、驚くのも無理はない。

 喧嘩相手の優男は心なしか縮こまっているように見える。


「迷惑になるだろう。やめておけ」

「な、なんだよオッサン! しゃしゃり出てくんじゃねぇ!!」


 男は舐められては不味いと思ったのか、大声を上げて殴りかかってきた。

 血の気の多いやつだな。

 度胸は認めるが、時と場所を考えて欲しいものだ。もっとも、黄巾党にいる時点でそんなことは期待していないがな。


「ぬんッッ!!」


 殴りかかってきた男に拳を叩き込む。男は放物線すら描かずに天幕の外まで飛んでいった。

 周りのやつらはあんぐりと口を開け、放心して立ち尽くしている。

 喧嘩相手だった優男も戦意喪失と見ていいだろう。 


 騒ぎを止めたと判断した俺は、武器を手に取り、天幕を後にした。




第十四話 とある男の・・・




 荒野に広がるのは赤い鎧を着込んだ軍。旗には『孫』の一文字。

 どうやら今までの官軍とは違うらしい。

 行進に乱れはなく、装備も上々。見るからに精強そうな兵士たちだ。

 規律や練度も官軍とは比べ物にならないな。

 数はこちらと同じ位か。


 陣の前に布陣する――といっても陣形など無いのだが――自軍と敵軍を見比べた。

 気楽に話し合っている自軍のやつらは、自分たちが勝つことを疑っていないのだろう。

 対して、敵軍の一糸乱れぬ布陣、兵士たちの落ち着き払った様子には油断など欠片もないといったところか。 


「今度こそ終わり、か」


 この戦の結末を予想して出た言葉がこれだ。

 数が同じならば練度で劣るこちらが不利。降伏したとて、賊の末路など言うまでもないだろう。


 俺は十分に生きた。

 賊の死に方なぞろくなものではないだろうが、何故か簡単に諦めがついた。


 再び敵軍に目をやった時だった。

 敵軍の先頭に立つ四人の女。遠目だが、そのうちの一人と目が合った気がした。


 桃色の長髪。スラリとした体つき。腰にぶら下がっている、高価であろう金色の剣。

 強い意思を秘めたであろう、空の青を映したような美しい瞳。

 泰然自若とした風格。

 

 一目見て分かった。こいつが大将だと。

 そしてなにより――強い。

 心臓が激しい鼓動を刻む。久しく感じていなかった昂りだ。

 手の震えが止まらない。こんな感覚は初めてだ。

 

「フ……フハハ……」


 顔がにやけ、思わず声が漏れる。

 最高の相手だ。それもこれまでの相手が比べ物にならないほどの。


 奴と戦いたい。


 貧困に喘ぎ、賊に堕ちた俺にまだこんな武人のような望みが残っていたとは思わなかった。

 

 だが、大将であるならば前線に出てくるわけがない。

 奴と戦うためには、あの精強な軍団を突破しなければならない。

 どうすればいい――


『おおおぉぉぉぉぉ!!』


 大地を揺らすかのような咆哮。

 思考の海に沈んでいた俺は、その声を聞き顔を上げた。


 目を疑った。

 なんとあの女が先陣切って突っ込んできたのだ。


「最高だ……!」


 敵軍は怒号を上げながら向かってくる。

 その気勢に尻込みし、静止する黄巾党を余所に俺は走り出した。






 眼前にはこちらに進軍してくる敵の軍団のみ。先頭を走るのは例の女。

 俺は一人、仁王立ちで待ち受ける。

 こんなに短い時間を待ち遠しいと感じたのは初めてだった。


 敵軍の壮烈な気迫を直に感じる。 

 仮にあの女に勝ったとしても生存は絶望的。

 だが恐怖はない。あるのは、天井知らずの高揚感のみ。


 声が届く距離まで近づいてきた時、俺は剣を抜き、声を張り上げた。


「名のある武将とお見受けした!」


 女はさらに速度を上げて接近してくる。


「いざ尋常に勝負ッ!!」

「邪魔よ!」


 女は鋭い踏み込みと共に、鬱陶しそうに剣を振るう。

 常人では反応できない剣速。

 俺の首目掛けて振るわれたそれを上半身を反らすことで躱す。


 女の目が驚きで見開かれる。

 おそらく今の一撃で終わると思っていたのだろう。

 

 俺は躱すと同時に、女目掛けて剣を振り上げた。

 当然、女はそれを躱し、少しばかり距離をとる。

 

 今の俺は取るに足らない賊としか思われていないのだろう。

 けれども、望むのは相手の全力。最高の戦い。


「もう一度言う。尋常に勝負せよ!」

「武人みたいなことをいうのね。名乗りは挙げないの?」

 

 こちらを見下げるように言い放つ女。


 もちろん名乗る気はない。

 賊に成り下がった俺が名を上げても名誉などない。侮蔑や憎悪の対象になるだろうことは予想できる。


「俺は賊だ。名前などない。だが――」


 賊風情が武人の真似事をしていると思われ、不愉快になるのも無理はない。

 けれど今は、今だけは――


「今、この時だけ。武人としての手合わせを願う」  


 女の目を真っ直ぐ見て、言った。

 懇願するように。

 すがりつくかのように。


 自軍と敵軍の前線は、俺たちを避けてぶつかり合っている。

 曲がりなりにも一騎打ちの形式を取っていることで、敵軍から俺への攻撃は無い。

 この申し出が断られれば、敵の包囲を突破することはできない俺は死ぬだろう。単なる賊の一人として。

 後はこの女次第だ。


 女は目を閉じた。

 俺は女の返答を待つ。


 一呼吸の後。


 女は目を開け、青い瞳が俺を捉える。

 

「我が名は孫策。貴殿の申し出を受けよう」


 その表情に先程までの侮蔑の色はない。

 代わりに、肌が泡立つような明確な敵意が俺を襲う。


 胸中に渦巻くのは無上の喜びだった。

 俺を一人の武人と認め、果し合いに応じてくれたことへの感謝。

 こちらの真剣を汲んでくれたことへの感激。

 孫策。

 なんと器の大きなお方か。

 

「かかってきなさい」


 孫策の言葉で我に帰る。感激に打ち震えるのはここまでだ。


 孫策は右手に剣を持ち、自然体でいる。無防備に見えて隙がない。

 どこに打ち込んでも必ず負ける。そんな未来しか見えない絶対的な力量差を感じ取る、が――

  

「心躍る」


 絶望は無く、童心に戻ったかのように心が弾む。 

 俺は剣を両手で担ぐようにし、前屈みに構える。

 

「ゆくぞッ!!」


 孫策へと駆ける。 


「おおおぉぉ!!」

 

 中段への一刀。

 全力の一撃だが、この程度は躱されるであろうことは想像できる。

 俺は次に来るであろう攻撃に意識を働かせるのだが――


「な、にぃッ!?」


 両手での渾身の一撃。それを孫策は軽々と受け止めたのだ。

 細身の剣で、吹き飛ぶことなく。


 体格では俺の方が勝っているはずなのに、剣を押しても微動だにしない。

 あの細腕に一体どれほどの力が込められているのか。


「ふっ!」


 軽く力を込めただけなのだろう、それだけで孫策は剣を払い、俺は体制を崩される。

 孫策が両手で剣を握り締める。

 直後、孫策の腕が消えた。


 ゾクリ、と背筋が凍った。

 なんとなく、本当になんとなく。首を左にそらした。


 鋭利な風が左の頬を撫でる。



 攻撃を受けた――!?



 認識できなかったが、そう感じた俺はすかさず距離をとる。

 孫策の追撃はない。いや、追撃をする気が無いように見える。


 そして、僅かな違和感に気付いた俺は、左耳に手をやる。

 暖かいぬるりとした感触。

 

「耳が……」


 切り落とされていた。

 実感して、ようやくズキリとした痛みを感じた。


 孫策の剣。

 ただの剣ではないと思っていたが、痛みを感じさせないとは。なかなかどうして、相当な業物ではないか。

 いや、剣の切れ味だけではないか。

 耳の傷に触れてみれば、綺麗に根元から無くなっているのがわかる。

 故意か偶然かはわからないが、耳だけを狙ったのなら、孫策の圧倒的な技量も窺える。


 鼓動が早まる。

 もちろん恐怖からではない。

  

「――孫策殿」


 俺の言葉に孫策が耳を傾ける。

 戦いが始まった時点で声をかけるのは無粋と思っていたが、言わずにはいられなかった。

  

「貴女に、最上の感謝を」 

「……その言葉、ありがたく受け取っておくわ」


 深呼吸を一つして、両手で剣を握る。

 

「いざ参る!」


 再び孫策に肉薄する。

 今度は隙の少ない小振りな太刀筋で攻める。

 孫策の神速と言っても差し支えない剣速を、防ぐことも避けることもできない。

 ならば、食らうことを覚悟して攻める。

 

「くっ……」


 俺の剣を、孫策はことごとくいなしていく。

 技量でも、やはり孫策の方が何枚も上手か。


 数十合の斬り合いの後、異変に気付く。

 孫策が剣を受け流すたびに、きらきらと光る小さな何かが舞い上がる。 

 

 その正体に気付いた俺は、攻撃を緩めることなく視線だけを俺の剣に向けた。



 ――刃先が、欠けている。それも満遍なく。



 黄巾党に入ってから使い続け、手入れを欠かしたことはなかったが、一般兵が持つような剣では俺の力に耐え切れなかったか。

 これでは斬り合いを続けることはできないだろう。


 思えば、孫策の動きには違和感があった。

 耳を切り落とした一撃は、わざと攻撃の入りを見やすいようしていたように思える。

 その後の追撃が無かったことも。

 いま現在も、俺の攻撃を受け流してはいるが、孫策から仕掛けてくることはない。

 本気を出すまでもなく倒せると思っているだろう。

 あるいは、俺の気が済むまで付き合ってくれるつもりなのかもしれない。

 どちらにせよ手加減されているのは否めない。


 ならば、その油断を突く。


 両の手に力がこもる。

 こちらの気勢を察したのか、孫策の目に鋭さが増した。

 孫策に向け、左足を大きく踏み込む。


「覚悟ッ!!」


 全体重を乗せた袈裟斬り。

 これなら刃の欠けた剣でも、相手を撲殺できる威力を発揮するだろう。


 しかし、孫策は左足を軸にし、右半身を後ろに下げることで躱す。

 

「あっ……ぐッ!」


 腹部が燃えるように熱い。

 躱すと同時に、その神速の一撃で俺の腹を切りつけたのだろう。

 またしても見えなかったが、鋭い痛みがそれを現実だと思い知らせる。


 だが、これでいい。

 仕込みは成った。 


「オオォォォ!!」


 俺は痛みを振り払うように声を上げ、先の軌道をなぞるように左腕を振り上げる。

 孫策は即座に反撃に出た。


 俺の逆袈裟斬りに合わせて、剣を振り下ろす。

 皮を裂き、肉を斬り、骨を両断する一撃。

 その一刀は豆腐を切るかのように、容易に俺の腕を断ち切った。


「――!?」


 孫策の目が見開かれる。

 地面に落ちたのは腕だけで、剣はまだ俺の右手にある。


「ぐッ!」

 

 傷口から大量の血が噴出する。

 激痛から脂汗が滲む。

 全身が言いようの無い倦怠感に覆われる。


 けれども、倒れるわけにはいかない。


 これが最期の戦いなんだ。


 無様には終われん。


 これが、最後――!

  

 崩れそうになる足に力を入れる。


「シャアッ!!」


 逆手に持った剣を振り上げる

 残る力の全てを込めたそれは孫策の首に向け、突き進んだ。


 左腕を切り落としたことで生まれた一瞬の隙。  

 虚を突かれた孫策の動きは僅かにだが鈍っている。



 ――いける!


 

 剣が食い込む。

 皮を裂き、肉を斬り、骨を両断する一撃。


「……ッあ!」


 ぼとり。

 肉の塊が、地に落ちた。




 そう――




 俺の右腕が切り落とされたのだ。

   

「……速すぎ、だろ」


 最期の一撃を防がれ、両手を失い、膝から地面に崩れ落ちる。 

 既に戦う気力も、体力も残ってはいない。


 相手の虚を突いた完璧な奇襲のはず。現に孫策の身体はこわばっていた。

 でも、勝てなかった。

 その虚を突く速さが足りなかった。

 孫策の立ち直りが早すぎた。

 俺の力が、足りなかった。


 仰ぎ見れば、孫策がこちらを見下ろしている。

 視界が霞み、その表情は窺えない。


「見事」


 完敗だ。手も足も出ないというのはこのことか。

 敗北の悔しさの一方で、充足感が湧き上がる。


 武人としての俺はとうの昔に死に、賊に成り下がったはずだった。

 だが今の戦いははどうだ。まるで武人同士の果し合いのようではないか。

 その中で死んでいける。  

     

 介錯のためか、孫策が剣を振り上げる。

 最期の相手が孫策、貴方で良かった。


「――――おぉ」


 霞む視界に光が広がっていく。

 力強く、暖かく、慈愛に満ちた光。 

 俺は、その輝きに包まれた。 


「なかなか強かったわ。貴方」


 最後に、この言葉を耳にして。

今回は一人称視点で書いてみました。

なんというか、難しいですね。

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