少しの休暇
「どらぁ!」
腹の底から声を出し、迫ってくる万修。
縦に振るわれた一撃は風を切るような速度で繰り出された。
しかし、その一撃は短髪の少年――社によって容易く防がれ、硬質な木と木がぶつかり合う音が鳴る。
それを予想していたのか万修に動揺はない。
「まだまだぁ!」
万修は木刀を振るい続け、絶え間なく剣戟の音が響く。
その嵐のような連撃を、短髪の少年――社はことごとく打ち払っていく。そのすべての軌道を、ひとつずつ見て、払う。
二十合程打ち合ってからだろうか。
万修が舌打ちをする。休みなく打ち込んでいたことで、腕に軽い疲労感を覚えたからだ。
――このままでは埒が明かない
そう思い痺れを切らしたのは万修だった。
剣戟が一瞬止む。
万修が一歩後退し、もう終わりかと社は軽く肩の力を抜く。
その瞬間だった。
力強い踏み込みと共に、万修が再び剣を振り下ろした。
「ふんッ!!」
「――ッ!」
全力を込めたであろう上段からの一撃。
それを受け止めるために、社は右手で持っている剣の腹を、左腕で抑える。
来るであろう衝撃に備え、力を入れた。
「……え?」
だが腕を通して伝わる衝撃はない。
いや、あるにはあるのだが予想していたものより遥かに弱い。
視線の先には、社の木刀にあたり弾け飛ぶ万修の木刀だけで、そこに万修の姿はない。
居場所を察した社は、咄嗟に自らの足元を見下ろす。
視線を下に向ければ、地に手をつき、しゃがみこむ万修の姿があった。そして視線が絡み合う。
してやったりと万修が笑い、社はその顔を見て少し苛立つ。
社の足元目掛け、万修の蹴りが放たれる。
「甘いっての!」
「――なに!?」
万修の挑発的な顔を見たことにより、奇策による体の硬直がとれた社は即座に後ろに飛んだ。
それにより、当たるという確信をもって放たれた万修の蹴りは躱された。
足払いは空を切るだけに終わり、武器を手放し体制を崩している万修は負けを悟る。
しかし、社は後ろに退いただけで動こうとしない。
ため息をつく万修。
「……なんで打ち込んでこない」
この仕合は相手に一撃決めた方の勝ちという取り決めの下行われたものだ。
なのに、仕合開始から一向に攻めてこない社に万修は疑問を抱いていた。
「怪我でもしてんのか?」
「いや」
社が攻撃しない理由。それは親父との立ち合いの時を思い出してほしい。
自分の、人間ではありえないような力でもって振るわれた一撃によって、二メートル近くある成人男性を吹き飛ばしてしまった。
仮に万修が怪我でもしたら、張豊班だけでなく、黄寛隊全体に迷惑になるだろうことは予想できる。
それを踏まえ、無駄な怪我人を出さないために、訓練では受けに徹しているのだ。
それをどうやって説明しようかと頭を悩ませる社。
腕を組んで唸る社を余所に、立ち上がった万修は木刀を拾う。
「なら、今度はお前が打ち込んでこい」
「え!?」
それはまずいと社は思う。力加減がうまくできないことで、適切な打ち込みができないのだ。
手加減しすぎて、弱いと思われるのは癪に障るし、強すぎれば怪我をさせてしまう。
でも怪我をさせるよりは……と思っていたのだが。
「手ぇ抜いたら飯抜きだからな!」
「……お前にそんな権限はないだろ」
「馬鹿野郎。李尋たちにさせるに決まってんだろ」
「……はぁ」
大食らいの李兄弟は、飯を横取りするのが速くて上手い。
ほぼ毎日、万修のオカズが無くなっているのを見ている社は、彼らの行為を防げないとわかっている。
この理不尽な申し出により、覚悟を決めた社は木剣を構える。
「怪我してもしらねぇぞ」
「馬鹿か。そんなやわな身体じゃねぇよ」
ほら来い、と手招く万修。
その余裕のある態度を見て、社は不安を覚える。
でも、本人が大丈夫と言っているからいっか、と無理やり自分を納得させて、剣の柄を少し強めに握る。
「んじゃ……行くぞ!」
万修に向け走り出す。
第十一話 少しの休暇
「すんません。包帯ください」
「はいよ。どのぐらいだい?」
「このカゴに入るだけ」
「はいよ……ええっ!?」
街の大手の薬屋。軍に薬を卸している店の一つだ。
あの後、社の一撃で宙を舞った万修は骨を折ることはなく、木剣が折れたことと、着地――というか墜落――の際に手を捻ったぐらいで済んだのだ。
それで医務室に行ったのだが、治療を受けることはできなかった。
今日は訓練が休みで、先の仕合は万修に誘われて行なったものだ。休暇中に負った怪我はお門違いだと、医務室に行っても治療が受けれなかったのだ。
しかし、常備されている包帯の数が少なくなってきたので、買い物に行けばと、人一人が入りそうなほど大きな竹カゴと、一応仕事で来ているという証明のため警邏隊の腕章を渡され、今に至るというわけだ。
カゴに包帯を詰め終えた店員にお金を渡し、カゴを担ぐ。
あまりのカゴの大きさに店員のおばさんが心配して、社に声をかける。
「まいど。一人で大丈夫かい?」
「大丈夫ッスよ。鍛えてるんで」
ひょいとカゴを持ち上げる社に目を丸くするおばさん。
呆けるおばさんに向けて人懐っこい笑顔を浮かべ、その場を後にしようとするが。
「巫山戯てんのかテメェ!!」
「おうコラァ!」
店の外、大通りの方から男の声が聞こえる。
その声に反応して、おばさんが店の外にいる男性に声をかける。
「どうしたんだい?」
「チンピラ共が騒いでんだよ。おっかねぇおっかねぇ」
「警邏の人たちは? 来てないのかい?」
どうやら揉め事らしい。気のせいかもしれないが、街に来るたびに騒動が起こってる気がする。
自分一人で大丈夫かわからないが、警邏隊の腕章を渡されているので仕事をしないわけにはいかない。
「すみません」
辺りを見回していたおばさんは、社の声に振り返る。
「カゴ置かせてください。後で取りにくるんで」
「なにガン飛ばしてんだァ!」
「言いてぇことがあんならハッキリ言えや!」
ハゲ頭の大男と、長いもさもさした髪の小男の二人が、頭に布を巻いたちょび髭のおっさんに絡んでいる。
だが、間近で睨まれているのにオッサン怖気づいた様子はなく、鬱陶しそうに顔を顰めているだけだ。
「なんか喋れや!」
大男がオッサンの胸ぐらを掴み上げる。
警邏隊の到着を待ちたかったが、これ以上はまずい、と意を決して男たちの間に割り込んだ。
「やめてください」
「あァ! なんだ餓鬼!」
浮浪者のような小男がこちらを睨みつける。
小さくつぶらな瞳に、精一杯の怒気を込めたその視線は、あまり怖くはない。
母が怒ったときの方がよっぽど怖いと思えるほど心に余裕がある社は、兵士としての責務を果たすべく口を開く。
「これ以上は暴力行為として詰所まで来てもらうことになります」
よろしいですか、と腕に付けた腕章を見せつけるようにし、小男をじっと見据える。
その腕章を見て言葉を詰まらせた小男は、助けを求めるように大男に視線を送る。
こちらを最初からわき目で見ていた大男は、目を細めるとぱっとオッサンから手を放す。
「いてぇ!」
急に開放されたことで、地面に尻もちを付いてしまうオッサン。
「行くぞ」
「……へい」
大男はそれに背を向け、この場から離れていく。小男もそれに続く。
それを見届けた社は、緊張を解いてオッサンのもとに駆け寄る。
「大丈夫ッスか?」
「あぁ、助かったぜ坊主」
腰をさすりながら立ち上がり、ちょび髭のオッサンは苦笑いをする。
「坊主は警邏の人間か? 小さいのによくやるな」
「……俺は子供じゃないッスよ」
オッサンの言葉に不貞腐れる社。
この年頃の子供が背伸びをしたがるのを知っているオッサンは、微笑ましいものを見たと忍び笑いをする。
「坊主。名前はなんて言うんだ?」
「……太史慈」
短くそれだけ答える。だが、オッサンは気を悪くするようなことはなく、寧ろ楽しげに話す。
「いい名前だな。俺は仲間からアニキって呼ばれてる。お前もそう呼んでいいぜ」
「それ名前じゃないじゃん」
「いーんだよ」
社の頭を掴んでワシャワシャと撫でまわす。
次第に込める力が強くなっていき、ぐわんぐわんと頭を撫で回される社。
しばらくオッサンにされるがままだったが、思ったよりも強い力で撫でられ、社の我慢の限界がきた。
「いてーな! 何すんだハゲ!」
「あ、痛ッ! 髭を抜くな! ってか俺はハゲてねぇ!」
「じゃあなんで隠してんだよ!」
「隠してんじゃねぇ! これは俺の個性だ!」
「ハゲてねぇなら取ってみろよ!」
「うるせぇ! 死んでも取るか!!」
「やっぱハゲてんじゃねーか! ハゲ!」
「うるせー!! お前こそ――」
一方が罵れば、もう一方も罵る。
突然取っ組み合う二人を中心に人だかりができる。
殴り合いというわけではないので、周囲の人々からすれば実に面白い見世物だ。
少し経ってから、様子を見に来た薬屋のおばさんによって二人はこっぴどく叱られ、この騒動は鎮火された。
「これ、重くねぇか……」
「だから持たなくていいって言ったのに」
騒動の後、助けられたお礼がしたいと、オッサン――アニキが包帯の入ったカゴを運ぶと申し出たのだ。
現在、腰を大きく曲げ、背に乗せるようにカゴを運んでいる。額からは滝のような汗が出て、力み過ぎたせいで顔は真っ赤だ。
「もうすぐ着くから、後は俺が運ぶよ」
「……あぁ、そうしてくれ。俺は……もう……」
息も絶え絶えのアニキは、社がカゴを持つと崩れ落ちるように倒れ込んだ。
簡単にカゴを持つ社を見てアニキは驚くのだが、それを表情に出すほどの余裕はなかった。
「お前……よく……一人で持てるな……うぇ、ゲホッ!」
「鍛えてるからな。それより大丈夫かよ」
今のアニキには、瀕死という言葉がよく似合う。手をついてなんとか立ち上がろうとするが、足腰が立たない。
生まれたての馬みたいだなと社は思う。
「だ、大丈夫だ……俺の子分が……来たみたいだ……」
震える手で社のいる方向を指さす。
後ろを向けば、土煙を上げながら走ってくる人影が二つ。
「アニキ~!」
「探したんだな~!」
鼻の高い小男と、李兄弟以上に太った男が心配そうにアニキに駆け寄る。
青白くなった顔に笑顔を貼り付け、なんとか立ち上がるアニキ。
「チビ……デブ……日が暮れる前に、ゲェ……出るぞ……」
「へ、へぇ。それよりも顔色やばくないっすか」
「お、おらがおぶっていくんだなー」
デブと呼ばれた男がアニキを背負う。
「これからどっか行くの?」
「……冀州に……仕事でな……」
「これからか。大変だなぁ」
「まぁ……しょうがねぇ……。世話になったな……太史慈」
「子義でいいよ。友達はみんなそう呼ぶし」
いきなりのことに目を丸くするアニキ。
なぜ驚いているのかと社は疑問に思うが、すぐに答えが出た。
「あぁ、真名じゃなくて字だからさ」
「……そ、そうか。いきなりで……驚いたぜ……」
はははと、力なく笑うアニキ。
チビと呼ばれた小男がアニキにそっと耳打ちする。
「アニキ。そろそろ」
「あぁ……そうだな……」
デブが街の外に向けて歩き出す。
アニキが首をこちらにまわし、軽く手を上げる。
「あばよ……子義」
「またな、アニキ」
それに手を上げて応える。
すぐに、アニキたちは大通りの人ごみに紛れて見えなくなった。
思ったより良い休暇になったなぁ、と思いながら帰路につく。
その後、医務室の外で待たされていた万修に怒られ、最悪の気分で休暇が終わってしまう社であった。




