祈りの蕾
対の章の序章です。
この次の章はもう一人の主人公の視点で描かれる、もうひとつのファンタジー。
そう思って読んで頂けたらと思います。
~対の序章~
ファンタジーの世界。フェミュルシア。あらゆる命がマナによって生かされる、文明の一翼を魔法が担う世界。
大陸ないでも古くから存在する国のひとつ、リューデカリア王国の王都からそれほど離れていない森。
その森の奥にひっそりと隠されるように存在する廃墟とも遺跡ともつかない建物の中で、一人の女性が崩れた天井から差し込む日差しに、陶磁器のような透き通った白い肌が照らされ、せめてもの日よけにとすらりと細く、華奢な手をかざす。
腰まで伸びた緩やかなウェーブを描く明るい橙色の髪が太陽の光を受けてきらきらと輝き、女性の一挙手一投足に付き従うように揺れる髪の一本一本が、まるで絹糸のように柔らかで繊細な印象を与える。
若葉の様に初々しい緑の瞳が日差しに細められ、建物全体を見渡すように動く。
まだ幼さの抜けきらない顔は誰もが見惚れるほどに均整の取れた目鼻立ちがくっきりと、それでいて目尻が微かに垂れている事で少女の持つ優しさを現した様な、美術品だといわれれば信じてしまいそうになるほどに美しい少女の目が床に刻まれた文様の様な柄に目を留める。
清楚に纏められてはいるものの、全体から気品や上品さのようなものがどことなく滲み出し、その場にいる事そのものが不釣合いな装いの女性は小さくため息をつき
「伝承が本当ならば……私の国を助けてくださるのでしょうか?」
小鳥の囀りですらもその声を聞くために黙ってしまうのではないかと思えるほどに澄んだ少女の声が、静謐さを湛えた建物の中に小さく木霊する。
リューデカリア王国現王女、シンシア=リューデカリア=ルーシェは誰にとも無く呟いた。
本来ならば常に幾人かの護衛を引き連れて動く事になるはずだが、どういう訳か、この場においてはシンシアの他に動くものはない。
差し込んだ光に照らされて、建物の表面を這う様に伸びる蔦や苔が青々と茂っているのが見て取れる。その建物が長い年月の間、人の目に触れていない事を物語っていた。
「どうか……私の国を、民を。お救い下さい」
ゆっくりと床の文様の前に膝を着き、決して安くはない服が汚れてしまう事などまるで気にかけずに祈る様に目を伏せた。
シンシアの存在は、廃墟となった建物、差し込む光や、建物を覆う草木ですら、見るものに緻密に描かれた絵画のような印象を抱かせる幻想的な風景に変えてしまっている。
声の反響が消えてゆくと静寂が空気に染み渡り、この世界にはシンシアしか存在しないのではないかと思うほどの、暖かで、それでいて侘しい雰囲気が漂った。
無言で祈りを捧げるシンシアの耳に、微かな物音が聞こえる。
本来ならば熟練の戦士にしか聞き取れないかもしれない程に僅かな音だったが、建物やその周囲の静けさがその物音の異質さを助長する形で、シンシアの耳に届く。
風もないのに、妙に草木がざわついていて、シンシアはふと入口に向けて視線を向けて立ち上がる。
音の主はまるでシンシアが気づいたのを分ったように徐々に音を隠すことをしなくなり、建物のすぐ外までやってきているようだった。
まるで、建物の外と内で探り合うように、建物のすぐ外で音が止まった。
怪訝に眉を寄せ、閉じられた入口の扉の外に潜む者に対し、シンシアは声をかける。
「どちら様ですか?どうぞ、お入り下さい」
自分以外がこの場所にいる事に疑問を抱く事も無く、まるで客人を迎え入れるような柔らかな調子だった。
その声に反応したわけではないだろう。純粋な物音、声に対して、招かれざる客人が扉を乱暴に開けて飛び込んでくる。
建物内に5つの影が躍り出る。その姿は人間の子供ほどの大きさの、猿よりはトカゲに近いような緑色の体表に覆われた魔物だった。
目は赤く血走り、獲物を探してぎょろぎょろと建物の中を見回し、すぐにシンシアの姿を捉えて舌なめずりする。
「ま、魔物!?……ええっと、ゴブリン様……でしたかしら?」
突然の闖入者の姿は、シンシアがこれまで見てきたどんな姿よりも異質で、自身の知っている魔物の知識など、絵本で見たただの空想であった事を見せ付けた。
シンシアの声に応えるように魔物、ゴブリンが手に握っている短剣を握り直し、じりじりと距離をつめ始める。
その意図を察したシンシアは、小さく息を呑んで後ろへ一歩、また一歩と、ゴブリン達を刺激しないように下がると、それに合わせてゴブリン達が包囲するように迫る。
逃げ場を失い、醜悪な魔物達の生贄の儀式の様に床の模様の中心に追い詰められたシンシアは、ぎゅっと手を握って縋るようにつぶやいた。
「――ああ、誰か。助けて」