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少年は幻想の夢を見るか?  作者: 門間円
対の第二章・王国騒乱
16/16

~第四部・魔術学園~

 適正試験を終えて屋敷へ戻ると、既に昼食の用意が整っていた。帰ってきてそのままに3人はすぐに席に座らされて食事が運ばれてくる。

 コーネリアにしてみれば既に感覚が麻痺してしまい、いつもの事と流してしまえるのだが、シンシアとリオンにとってみれば、どうして帰ってくる時間まで正確にわかるのだろうと首を傾げてしまう。

 セバスチャンの曖昧な笑みに誤魔化されたまま、なし崩し的に始まった昼食だったが、やはり料理はどれをとっても美味しく、リオンなどはすぐにその疑問も吹き飛んでしまった。

 昼食を食べている最中も、先ほどの魔術適正試験の話題になってしまったのは、普通の学生となんら変わりないとコーネリアは苦笑しながらリオンとシンシアを見比べつつお茶を啜っていた。

 明日からは、一緒に学校に通う。それも、一人は同郷の後輩となれば、学園生活が更に楽しくなるだろうと、先に控えた多大な問題については目をつぶりながらも、リオンならば何とかするだろうという半ば確信めいた投げやりな思考放棄でもって、コーネリアは難しい事を考えるのを止めていた。

 「そういえば、教科書とかって揃えなくていいのか?」

 リオンのふっと沸いて出た疑問に、コーネリアは伝え忘れていた事に気付く。

 「ああ。うん。今クロエが買いに行ってると思う。まぁ、元々予想していた学科だったから先に揃えてもよかったんだけど」

 そういいつつ、ちらりとシンシアを一瞥しつつコーネリアは続ける。

 「シアンちゃん、の、適正が分からなかったから。後に、回してた」

 シアン――シンシアも、ティーカップをソーサーに戻しながら、コーネリアに尋ねる。

 「あら。そういえば、私の属性……無属性というのは、珍しい物なのですか?」

 「ううん。むしろ、マニトに、一番多い。けど、魔術を扱う時に、苦手な属性が、できにくい」

 要するに可もなく不可もなく。である。

 一般的にマニトはマナの許容量が最も少なく、かつマナを感じ取れるようになるまでに相応の修練が必要になるため、その特性を活かしきれる者が多くなく、大抵は補助具に頼った器用貧乏になる。

 不完全ではあるがリオンとの契約によってマナがある程度供給され、かつ感じ取る事もできているシンシアは、一般人のそれと比べるとかなりのアドバンテージがある事になる。

 コーネリアが説明する最中、シンシアがリオンと繋がっているという部分ではにかむように僅かに頬を染めたのをコーネリアは見逃さなかった。

 「突出する事がない分、満遍なく伸ばせるという事ですのね。私もお兄様達に置いて行かれない様に頑張らねばなりませんね」

 細く、筋肉などまるでない華奢な腕にぐっと力を入れる仕草をして、頬を染めながらリオンとコーネリアに笑いかける。

 その様子に、コーネリアも僅かに表情を和らげて応える。

 「心配しなくても、大丈夫。シアンちゃんは、才能あるよ。いざとなったら、僕が、教える」

 「あら、本当ですの?是非ともお願いいたしますわ」

 「あ、俺も!」

 2人が魔術に対して積極的になってくれている事を嬉しく思いつつ、リオンについては学校の教え方では難しいだろうなぁとコーネリアは考えていた。

 「里桜は元よりそのつもり。ここ最近見てて思ったけど、里桜って実戦派だからね。実際に見せて真似させる方が早い」

 「ま、まぁな!」

 褒めていないのだけど。と、コーネリアは小さくため息をつきながら、分かっていない様なリオンに諭すような調子で問いかける。

 「里桜。それがどれだけばかげてる事か分かってる?」

 「え?」

 リオンの聞き返すような声に、コーネリアはやはり。と思いつつも、顔には一切出さずに続ける。

 「普通、理論から構築して計算式を辿ってマナを流して魔術を構築するのに、里桜は見ただけで雰囲気をそのまま体感で魔術を覚えてるんだよ。ぶっちゃけ普通はありえない」

 「そ、そうなのか……」

 「まぁ、僕らみたいにマナがしっかりと見えている人の特権だろうね。実際見えてれば式も関係ないし」

 そういいながら、コーネリアは手近にあるマナを引き寄せてみせる。ふわふわと漂う真っ白の光子だ。それが、くるくるとコーネリアの手の上で旋回している。

 やがて、色が徐々に変わってゆき、白から赤へ、赤から黄色、黄色から青、青から淡い緑。そして最後には黒く変色して、コーネリアの手の中に消える。

 「なぁ……気になったんだけど、本当に他の人にはこれ、見えてないのか?」

 その様子をしげしげと眺めながらつぶやくリオンだったが、隣にいたシンシアには何をやっているのかまるで分からず、きょろきょろとリオンとコーネリアを視線がいったりきたりしている。

 「見る事はできるけど、戦闘中とか日常でずっとってのは、ないかな」

 そう言って、今度は何事かをつぶやいた後に先ほどと同じくマナを旋回させて見せる。

 すると、シンシアまでもがその光景を見えているように、コーネリアの手の中で色を変えて回るマナを凝視していた。

 その様子に、なるほど、これが“マナを見せる”という事か。とリオンは1人納得してしまっていた。

 「これがお兄様に見えているマナなのですね……なんて綺麗なんでしょうか……私も見えるように努力しなければ……」

 ぶつぶつと、コーネリアの手の中で踊る光の粒のパレードに見惚れながらもシンシアが思案する。

 「ん?シアン。俺がどうかしたか?」

 一瞬呼ばれたような気がして、リオンがシンシアにたずねると、シンシアはハッとなって先ほどまでの話題を思い出して話に合わせるように言葉をつむぐ。

 「いえ、お兄様。見えないから術式を利用するのですわ」

 シンシアがトリップから戻ってきたのを見て、コーネリアも手の中のマナを消してゆく。

 その光景をシンシアは惜しむように、最後の最後までコーネリアの手元から目を離さなかった。

 本来ならば人の目でマナを見る事などそうそう叶う物ではないと知っているシンシアにとって、先ほどの光景はそれだけの価値があったのだ。

 それだけでなくとも、リオンの見ている世界はこんなにも美しいのかという感想も、多分に含んだ物でもあるが。

 「あれだ。里桜。暗闇迷路で暗視ゴーグル使って歩いてるのが里桜と僕、右手伝いに目隠し同然で歩いているのがシアンちゃん達って言えば、わかる?」

 術式、といわれて、リオンの頭から湯気が出ると予想したコーネリアが先回りするように噛み砕いて、リオンにイメージしやすいように例を挙げた。

 案の定術式という単語だけではぷすぷすと頭が茹ってしまいそうだったリオンは、コーネリアの機転に感謝しつつ納得する。

 「ああ。何となく分かった。確かにそりゃ反則だ」

 暗闇でもなんでもなく、ただの通路として使っているのだ。効率だって必要な集中力だって段違いだろう。

 「だから里桜については、そんなに、心配してない」

 眠そうな赤い瞳がすっと細められ、リオンを見据える。

 その視線を受け止めるリオンの黒い瞳には焦りや動揺はまったく見られなかった。

 「そりゃ光栄だ」

 「不器用でも、何度もやればましになるしね」

 しっかりと上げて落とす事も忘れないコーネリアに、それが気遣いであることも分かった上で、リオンは肩の力が抜ける様な気がした。

 「悪かったな」

 「覚えの悪い生徒は手間が掛かる。けど、その分復習にもなって丁度良い」

 「……あの、私は?」

 不安げに尋ねるシンシアに、コーネリアは内心でどうしようかと悩んでしまう。

 コーネリアが教える事ができるのは、厳密には里桜にのみ(・・・・・)なのだ。

 里桜が気付いていないどころか、春ですら厳密には理解していないのだが、フェミュルシアの詠唱言語である神代言語は、ほとんど日本語に近いのだ。

 だからこそ春のように、無意識の日本語での詠唱短縮が可能でもあるし、マナを効率よく運用する為のイメージだという意味も間違っていない。

 ただ、この世界の人間がそれを理解できていないのだ。神が授けた言語そのものが力を持つのだと解釈しているといっても良い。

 彼らが魔術を発動できるのも、そうした刷り込みによる、イメージの先行があるからにほかならず、意味を理解できていないが故に、下手をすれば水属性の詠唱で火を起こすなどといった事も出来てしまうのだ。

 そんな彼らに、そもそも基本の理解が出来ていない人種に効率的な詠唱の運用法を伝えても、直接詠唱を聞かせて真似してもらうくらいしか教え方が無い。

 だからこそ、日本語として理解できている里桜にしか、コーネリアは教えられない。

 シンシアにはその辺の事から教えなければならないとコーネリアは考えている。

 ただ、現時点でどの程度理解しているのかは知る必要があった。

 コーネリアが教えるのはあくまで実用に足る魔術技能であって、学園で求められる基準を飛び越えた物である。

 「そういえば、うちの蔵書を、読んでたね。どこまで、覚えてる?」

 確認するように尋ねるコーネリアに、シンシアは思い出すようにしながらぽつぽつと答える。

 「ええっと……基本の5属性と、稀少属性の組み合わせ、あとは初級魔術の詠唱くらいでしょうか」

 「なら、3級生としては、問題ない」

 シンシアの返答を聞いて、コーネリアはひとまず安心した。

 それだけ覚えがよければ問題ない。後はシンシアが実戦レベルの魔術を欲するかどうかだ。

 いらないと言うのなら適当に教科書にそって教えてあげれば良いだけである。

 「なぁ、どこまでやれたら1級なんだ?」

 「適正属性の上級を補助具ありでもいいから使えれば。まぁ、大抵は事前に物凄い時間をかけて魔法陣を組み上げるか、とんでもなく長い詠唱と集中力で乗り切るかだけどね」

 「うへぇ……俺卒業できるかなぁ」

 思わず顔を顰めるリオンの脳裏には、エレストアが使っただろう火の上級術式の焼け跡がありありと浮かんでいた。

 あれだけの破壊力を出すにはどれだけ集中してマナを集めればいいだろうか。その間に詠唱を間違えたりしないだろうかとリオンは思ってしまう。

 あくまでイメージとマナの収束に関する器用さ、そして属性変換の効率の問題であるから、厳密に言えばリオンの苦悩は的外れといえる。

 「魔術剣士科は、魔術剣を使った戦闘で教官に勝てればいいから、里桜なら大丈夫じゃない?むしろ里桜は普通の魔術の練習に集中すべき」

 「わ、私……上級術式はエレスが使ってるところを見た事がありますが、そんなに難しいものなのですね。エレスはいつも戦っている最中に術を組み上げているようでしたけど」

 コーネリアは初めて聞くエレストアの技量に僅かながら驚いた。

 確かに、ハーフエルフならばそれなりの適正はあるだろう。しかし、ハーフエルフの基本属性は、エルフの水か、マニトの無ある。

 その彼女が火属性の上級術式を口頭詠唱のみで発動させるというのは、中々に理解があり、変換効率や収束速度も高くなければできない芸当である。

 「それは、エレスさんが、警護騎士として、優秀だから。だよ。普通なら、数十年に1人の、逸材のはず。おまけに剣も上手いから、このクラスの手練は中々、いないね。だから、シアンちゃんが、気に病むことは、ないよ」

 もしエレストアが冒険者をしていたとしたら、単独でAランク相当の実力があっただろう。

 その事を交えて説明してやると、シンシアもどうやらエレストアが存外に規格外に強いらしいと理解できた様で、落ち着いた様だった。

 「そうですか。ありがとうございます」

 そう言ってはにかむシンシアに、コーネリアは午後から少しずつリオンと共に魔術を教えると約束したのだった。




 日が昇り始め、朝露が僅かに路面の石畳を湿らせる。

 肌を撫でる湿気は蒸し暑さとは無縁で、むしろ涼やかな気持ちよさを目覚めたばかりの脳に伝えてくれる。

 周りを見れば、学生寮からぞろぞろと同じ制服に身を包んだ、年齢もまちまちな男女が一つの方向へ向かって歩いてゆく。

 学園都市ネーブルラートの朝によく見られる光景である。

 そんな中を、3人の目立つ人物が並んで歩いていた。

 背に届くほどの長い黒髪はまるで夜の色を落とし込んだようで、朝日に照らされて艶やかな光を反射している。まるで人形のようだと言わしめる顔立ちは幼いながらも気品に溢れ、すれ違った誰もが、どこの貴族令嬢だろうと首をかしげた。

 そんな少女と並んで歩くのは、少女と同じく黒髪の、しかしやや硬そうな髪は整えられて寝癖などないはずなのだが、どこか無造作に感じる髪をかきながらあくびをする、こちらも勝気で好みが別れはするだろうが、整っては居なくもない顔立ちの少年。

 2人に挟まれた少女は西洋人形の様な整った顔、その赤く揺れる瞳に眠気を隠そうともせずに、日の光によっては銀にも見える灰色の肩口で切りそろえられた髪を揺らして歩いている。

 「そういえばさ、昨日のうちに学校の案内とかしてもらわなくて大丈夫だったのか?」

 学園への道すがら、盛大にあくびをしながら黒髪の少年――リオンがふと疑問を呈する。

 それには黒髪の少女――シンシアも同感だった様で、2人して、間に挟まれた灰色の髪の少女であるコーネリアの反応を窺うように見るが、当のコーネリアはただただ眠そうにリオンからうつっただろうあくびをかみ殺していた。

 「大丈夫、どうせ今日から、一緒についてまわるし」

 「え?」

 コーネリアの発言に、やはり2人そろって疑問の声が上がる。

 なぜならば、コーネリアは既に2級で、3級の授業に出る必要が無いのだから。

 必然として授業の割り振りも違うはずである。

 「学園にも、話が通ってるから。平気。2級の授業とかぶらない時は、一緒に行ける」

 どうやらアイリスが学園に掛け合って、シアンとコーネリアが極力離れないように配慮してもらったらしい。

 「そっか、なら俺が魔剣科の授業受けてる間も安心だな」

 護衛という意味でも、シンシアの側を余り離れる訳にはいかない。

 ただし、リオンには魔術特別学科――通称、魔特科の授業は受けられないので、その間はコーネリアについていてもらわねばならないのだった。

 「2人とも、何か問題があれば、僕に頼ってね」

 先に入学し、ある程度学園の内情を知っているコーネリアは2人に注意を促す。

 どこの時代でも、世界でもいるのだ。権威をかさに着た傲慢な人種という物は。

 そう言って、面倒臭そうな顔を隠そうともしないコーネリアに、シンシアは戸惑って問いかける。

 「ですが、学園の中では貴賎は無く、実力次第なのではないですか?」

 再びこみ上げてきたあくびをかみ殺しながら、コーネリアはシンシアの問いに答える。

 「学園の中はそうでも、出た後まで同じとは、限らない。だから、出た後どうなると脅す、馬鹿もいる」

 シンシアはそれを聞いて、どこか傷ついたように目を瞠った。

 能力や人徳があれば平民でも平等に機会を与え、多くの人に平等性を呼びかけてきたシンシアだからこその悲しみだった。

 自分の知らないところでは、やはりまだまだそういった格差を持つものが大勢いるのだと、当たり前のことを今更ながらに突きつけられたような気がして、シンシアは目を伏せる。

 「能力に驕って、見下す下種も、少なくないしね」

 フォローになっていないが、コーネリアは特に気にしない。

 シンシアが何を思おうがそれが現実としてそこにあるからだ。気遣って黙っていて、実際に危害が及んでからでは遅い。それは優しさではないとコーネリアは思う。

 「そう、ですか……」

 「だから、シンシアも強くなればいい。そういう奴らが何もできないくらい強くなれば、問題ない」

 コーネリアが言う、問題ない。というのは、シンシアの身に、という意味である。

 しかし、シンシアにとっては、それは弱者を救済、庇護できるだけの力があればという意味に脳内変換されてしまっていた。

 シンシアはぐっと身体の奥で火が灯るのを感じる。これは、エレストアやアイリスに薦められ、王位に就く際に決意した時と同じ物だった。

 「わかりました。私、強くなりますわ」

 今は黒い瞳の奥で力強い光が灯った事に、コーネリアは安堵する。これで少なくとも心無い中傷や嫌がらせでどうこうできなくなるだろうと思った。

 「何処の世界も似たようなモンなんだな」

 呆れたようにため息をつくリオンに、コーネリアは小さく同意するに留め、リオンに釘を刺すように一瞥する。

 「だからって、喧嘩を全部買うような事はしないでね。僕だって今まで絡まれないように適当にあしらってきただけなんだから」

 コーネリアは、自身が学園でどの様に言われているか知らない。

 傍から見れば無口だが実力は超一流で、見た目も申し分なく麗しい。おまけに伝説的魔術師であるアイリスの弟子で推薦状付きと言う、至れり尽くせりな立場である。

 当然嫉妬や羨望の眼差しの渦中にあるのだが、当の本人は無言で図書館で本を読み漁り、ひとたび実技に出れば講師顔負けの技量を持つ。

 故についたあだ名は“図書室の銀姫”。日光に透かして銀にも見える灰色の髪と、深窓の令嬢然とした雰囲気からつけられた二つ名だった。

 当然ながら、コーネリアはその事を知らないし、興味も無かった。

 その二つ名のお陰で羨望すら遠巻きになり、嫉妬は影を潜めている。

 現在も登校中であるから他人の視線が方々から3人に集中してはいた。しかし、コーネリア自身が最も注目を集めているとは思っていない。

 ただ単に、見た事もない黒髪黒目の人物が2人もいるから気を引いているだけだと思っているが、しかし、実際はその間にいるコーネリアが普通に会話している事が、一番の注目の的なのだった。

 「なぁ……あれって、“図書館の銀姫”様だよな?」

 「今、普通に会話してなかったか?」

 「あの2人一体何者なんだ!?」

 周囲のざわめきも、登校中の朝の雑踏に紛れてしまうが、リオンは何故こんなにも周りから注目されているのか分からず、コーネリアにそれとなく話しかける。

 「……なぁ、なんかめちゃくちゃ注目されてないか?」

 「たぶん、2人の黒髪黒目って容姿が珍しいんだと思うよ」

 「ふぅん。そんな物か」

 適当に流すコーネリアに、リオンはとりあえず納得して進路の先に聳える校舎に目を向ける。

 赤茶色のレンガの様な外壁に柵が敷かれた敷地の中、一際高い時計塔には、時計ではなく、巨大な魔法陣が描かれ、そこに長針と短針、そして数字が刻まれている事から、魔術で動く時計なのだろう。

 校舎自体は白い外壁に青い三角屋根の巨大な物で、いくつもの窓が朝日を照り返して輝いている。

 西洋の城の様だ。と、リオンは何となく思う。実際に城を見た事がないのでどうとも言えないのだが、確かにそう思わせるだけの巨大さを併せ持っている。

 門の中にぞろぞろと吸い込まれるように同じような学生服に身を包んだ少年少女、そして時折混じる大人を見ながら、リオンは改めてここが学校なのだと思う。

 「まさか異世界にきてまで学校に通う羽目になるとは思わなかった」

 「里桜は学校嫌いそうだもんね」

 つぶやかれた言葉に、コーネリアはくすくすと笑いながらからかう様に言う。

 明らかに分かりきった調子で言うので、リオンは顔を背けてしらを切った。

 「まぁ、でも、魔剣科は実技しかないから、共通の普通科さえできれば、問題ない。8割実技。おめでとう」

 コーネリアの言葉にうそは無い。

 座学など、基本的な魔法陣や理論等の授業でしか行わない為、魔剣科には必要の無い部分が多い。

 そして、魔術普通科でも実技は当然あるので、実質的に座学の比率はそれほど高くない。

 試験にしても、学士として卒業したいのならば別だが、魔術師として仕官したいだけならば実技さえ出来ていれば何も言われることはない。

 そう説明すると、リオンは明らかにやる気を出した様で、コーネリアは簡単だなぁと内心で苦笑してしまう。

 逆に、シンシアは困ったようにおろおろするので、どうしたものかと悩まされる事になったが。

 そんな話をしつつ、既に授業が始まるだろう魔術普通科に顔を出す事にする。

 基本的に学科が違えど3級生は普通科になるのだ。普通科の授業を中心としつつ、それ以外に適正がある生徒は別の学科の授業を少しずつ受ける。

 2級から別学科へ本格的に移行し、普通科との比率が逆になる。現在は普通科の授業のみなので、コーネリア自身、特別科すら1級時まで免除されている手前、後々きちんと案内する予定だった。

 外装に相応しく、綺麗な大理石の廊下を歩きながら、ここは薬草学の授業、ここは魔石加工、などと、一つ一つ、目に付く教室の説明をしながら歩いていたコーネリアは、不意に一つの教室で足を止める。

 既に朝の集会が始まり、これから編入生がくるという話を女性の声が告げると、室内が声に満たされていくのが廊下越しでも分かる。

 「ここが、3級生の教室。基本は、ここで授業を受けるから」

 そう言ってコーネリアが扉を開けて中に入った瞬間、ざわめいていた教室が一瞬で静まり返る。

 しん、と、まるで沈黙(サイレンス)の呪術を受けたかのような教室内に悠然と入ってゆくコーネリアの後を、2人は戸惑いながらもついて行った。

 教卓に立っていた教師すら、コーネリアを見て目を見開いている有様だ。

 「アーバン先生。今日から、また、よろしく」

 普段通りの眠そうな赤い目に見つめられ、アーバンと呼ばれた女性教諭がビクッと体を震わせて我に返ったように手を叩く。

 「皆さん!今日から新しく皆さんと共に勉強する事になった編入性を紹介します」

 コーネリアに促されて、シンシアとリオンが並び立つと、教室が再びざわめきに満たされてゆく。

 「おい、あんな髪と目、見た事ないぞ」

 「っつか、あの子可愛くね!?」

 「銀姫様に案内されてくるなんて、何者だ?」

 「あの男の子格好良くない!?」

 教室中から聞こえてくるざわめきは一つの雑音となってリオン達を迎える。

 戸惑うようにコーネリアを見るシンシアだったが、当のコーネリアが全く気にもかけていない事に頼もしさを感じて、自身も毅然としようと前を向く。

 「で、では。それぞれ自己紹介してください」

 アーバン教諭に促され、一番近かったコーネリアが一歩前にでる。

 教室が、再び水を打ったように静まり返る中、コーネリアは口を開く。

 「コーネリア=ディディット。2級生。シアンの世話をする。為に、移ってきた。よろしく」

 良く通るハスキーな声で簡潔に自己紹介すると、しんと静まり返った教室に動揺が広がってゆく。

 「おい、聴いたか?あの銀姫が世話だと!?」

 「っていうか、今普通に喋ってなかったか?」

 「銀姫様のお声を聞けるなんて……」

 方々で聞こえる評判に、リオンは戸惑ってコーネリアに問いかける。

 「なぁ、ネル……お前この学園で何したんだよ」

 「知らない。銀姫って、僕の事?」

 「お前以外に居ないだろ」

 「そう」

 適当な受け答えだが、リオンとコーネリアの近さを示すようなその会話に、教室中の視線がリオンに集まる。

 男女共に向けられる嫉妬と羨望。その密度に、リオンは思わず引きそうになった。

 「あの男、今銀姫様をネルって呼び捨てにしてなかったか!?」

 「何者だよあいつ」

 「銀姫様とどういう関係なのかしら」

 「あの黒髪の子とは家族かしら?」

 等々、別の方向で盛り上がり始める教室内だったが、すぐにアーバン教諭が止めに入り、自己紹介を促されたシンシアがすぅっと深呼吸して前へ出る。

 その白い肌と対照的な黒い髪や、吸い込まれそうなほどに澄んだ黒い瞳に、男子生徒の視線が一気に釘付けになった。

 そんな中、丁寧な一礼をしてから、シンシアが口を開く。

 「シアン=アージと申します。こちらのお兄様共々、これから皆様と一緒にお勉強させて頂く事になりました。いたらない所も多々あると思いますが、どうぞ、宜しくお願いいたします」

 鈴を転がしたような綺麗な声に、男子生徒たちはほぅっと息を吐く。

 最後に恥ずかしげに頬を赤らめて下がる仕草にも、少女ならではの可愛さと気品のような物が漂っていて、女子生徒ですら思わず見蕩れてしまっていた。

 続けて前に出たリオンに、突き刺さるような視線が集まる。

 シンシアの紹介で、既に“シアンの兄”である事が分かっているだけに、その期待が集まるのだ。

 「……リオン=アージです。シアンの付き添いとして入学しました。ネル――コーネリアとは、コーネリアの師であるデューレンハイトさんとも懇意にさせてもらっている事から、お世話になる事になっています。不勉強な所も多いと思います。よろしく」

 リオンとしては、丁寧で気品のある挨拶などとは無縁だったが、それでも最大限無礼にならない程度には口調を改めて喋ったつもりだった。

 しかし、そんな事よりも、リオンの口からでた言葉が生徒達、ひいてはアーバン教諭の耳に突き刺さるように残っていた。

 “コーネリアの師のデューレンハイトと懇意”という言葉が意味する事は一つだけだ。

 コーネリアがかの伝説的魔術師の弟子であるというのは公然の事実である。その魔術師と懇意であると堂々と宣言した少年に、驚きと嫉妬、羨望が一気に集まったのは仕方の無い事といえた。

 これが本人のみの弁であれば懐疑的な見方もできようが、この場には当人のコーネリアもおり、事実、その証言から間違いではない事が分かる。

 そして、爆弾発言をした2人の間に立つ少女こそ、彼らの中心である事が、勘の良い生徒にはすぐに分かってしまった。

 静まり返る教室の空気を引き戻す為、事前に事情をある程度聞いていて立ち直りが早かったアーバン教諭が口を開く。

 「えー。シアンさんとリオンさんは、遠方の国から見聞を広める為にこの学園に留学してきました。先ほどリオンさんの口からも出たように、学園理事の推薦でもあります。驚く事も多いと思いますが、皆さん、仲良く勉学に励んでくださいね」

 アーバン教諭に促され、まばらに拍手が起き始め、やがて教室を埋めるような大きな物となっていった。

 盛大な拍手に迎えられて、リオン達は教室の端の方の席へ向かう。

 その間も教室中の視線が集まるが、先頭を歩くコーネリアは歯牙にもかけない様子で眠そうに前を歩いていた。

 ある意味頼もしい後姿を眺めながら、リオンは向けられる視線もすぐに収まるだろうと楽観的に後を追うのだった。




 「いや。予想してなかった訳じゃないんだけどさ」

 リオンは小さく、諦めたような、呆れた様な調子で呟いていた。

 その視線の先には男子が一塊になり、2人の美少女に質問攻めをしている所だった。

 「シアンさんの好みのタイプを教えてください!」

 「何で銀姫様が3級生と一緒の教室で授業を受けるんですか?」

 「お、俺!ルディアックって言います!シアンさんのご趣味は!!」

 「銀姫様はあの男とどんな関係なんですか!」

 等々。耳に飛び込んでくるのはシンシアとコーネリアに対する見え透いた下心や興味からの質問ばかり。そして若干名のリオンへの嫉妬や疑惑が主な質問の内容だった。

 それらをシンシアは困ったように受け流し、コーネリアも無口に拍車をかけるように単語の連発のようなぶつ切り会話で答えている。

 リオンはといえば――

 「初めまして、私、ハーネイと申します。リオン様は遠方からいらしたのでしょう?何か分からない事があれば私に聞いてくださいな」

 「ズルいですわ。ハーネイさん。私はラナシャーリスと申しますわ。所で、ディディット様とはどういったご関係なのでしょうか?」

 「初めまして、クラーリシアと申します。リオン様は休日は何をしていらっしゃるのですか?」

 休み時間に入る度、リオンのもとへは女子が殺到していたのだ。

 本人は気付いていないが、悪くない、見ようによっては整っている顔立ちや、やや堅い物の下心のない受け答え、そして遠方から留学に来た貴族という肩書きに、魔術師達の憧れでもあるアイリスと懇意というステータスに扇動されたように、貴族・平民を問わず、関わりを持とうと女子が殺到しているのだった。

 当のリオンは留学生としてこの時期に入ってきたのを物珍しがっていて、男たちは同じく入ってきた可愛い女子二人――しかも片方はすでに有名人――に向かってしまったため、結果的にリオンのほうに女子が集まったのだろうと思っている。

 既に何回答えたか分からない質問は、前日までにある程度相談して決めた設定だった。

 リオンがいい加減辟易してきた頃、コーネリアも既にうんざりしていた様で、手を繋いでシンシアを救出しながらリオンを囲んでいた女子の中に突っ込んでくる。

 「里桜。そろそろ授業はじまるから。行こう」

 「あ、ネル。悪いな」

 コーネリアが差し出す手を握り返して立ち上がるリオンに、周囲の視線が突き刺さった。

 授業という建前上、恨めしそうにコーネリアとシンシアを見ていた女子達も自身の準備に取り掛からざるを得ず、席を立つリオンに道をあける。

 「気にしなくていい。じきに皆飽きるだろうから」

 いまだに信じられない物を見る目でリオンとコーネリアを見ている生徒達を一瞥し、コーネリアは困ったように眉を顰めながら息を吐く。

 「それにしても、ネルさんの人気はすごかったですわね」

 「里桜の方が凄いんじゃない?」

 ころころと笑うシンシアに、コーネリアも微笑を浮かべながら、面白い物が見れたという風にリオンに言う。

 「俺はただ単にあまっただけだろ」

 本気でそう思っているリオンだったが、周囲の女子達には謙遜と取られた様だった。謙虚な方だわ。という声がちらりと聞こえたコーネリアは、リオンにその赤いじと目を向ける。

 「そう思うなら、そうなんじゃないかな」

 「何だよ」

 「なんでもない」

 意味が分からずに問い返すリオンに、コーネリアはふっと悪戯っぽく笑って背を向け、歩き出した。

 その様子を遠巻きに見ていた男子達が、一部は歯噛みする思いで、また一部は驚愕と羨望を込めて、リオンを見ていた。

 「すげぇ……あの銀姫様が普通に会話してる」

 「それどころか楽しそうだぞ……」

 「俺、笑ってる銀姫様見るの、初めてかも」

 「くそっ!あいつどんな魔法使ったんだ!!!」

 そんな男子生徒の嫉妬を多分に含んだ視線にも、リオンは何気なく、2人ともかわいいもんな。程度に捉えて実技授業の為の野外演習場へ案内されるのだった。

 廊下を歩く間も、すれ違い様に驚愕や戸惑いといった視線が3人――主にコーネリア――に向けられる。

 さすがに気まずくなったリオンが耳打ちするように問いかければ、コーネリアは疲れたような呆れたような表情で周囲を睥睨した。

 その瞬間、ざっと人が波のように退いて行き、好奇の目が遠巻きになるのをリオンとシンシアは感じる。

 「僕1人なら、ここまで目立たないんだけどね」

 疲れたように呟くコーネリアに、リオンは首を傾げる。

 「やっぱ俺達の黒髪が目立つのかな?」

 ざっと見回す限り、金や茶は多いものの、黒という色はリオン達以外に見かけない。

 中には緑や青といった髪も居るにはいるが、やはり、純粋な黒という色だけは見つける事はできなかった。

 「僕は学園内ではあまり喋らない方だからね。人も寄り付かないし。いきなりの転入生と仲良くしてるのに驚いたんじゃないかな」

 「何だっけ。“図書館の銀姫”だっけ?」

 確かに、リオンが見る限りではコーネリアはリオンと喋るときでしか続けて言葉を発さない。

 それはシンシアも同感だった様で、リオンが挟まることで会話がスムーズになっている事は理解していた。

 だが、2人ともそこまで酷い無口だとはまるで予想していなかったのだ。

 そしてそのコーネリア、図書館の銀姫に口を開かせ、雑談だけで1分以上会話を続けられる事の異常さを、知らなかった。

 「そんな名前を許容した覚えは、ないんだけど」

 「でも、似合っていると思いますよ?」

 「シアンちゃんは、嫌味が無い所が、困る」

 リオンから見ればコーネリアは純粋に切り返しに困っている様だが、傍から見たら女子2人が褒めあって照れているように見えたらしい。

 ただ話しているだけにも関わらず、周囲からはほぅと息が漏れる。

 「演習場についたよ」

 そう言って両開きの重そうな扉を開いた瞬間、外気の涼しい風と、照りつける日差しがリオン達の頬を撫でた。

 一瞬眩しそうに目を細めるコーネリアの肩越しに、リオンは目の前に広がる光景は闘技場みたいだと思う。

 円状に広く取られた演習場は、一部から階段で客席――授業外の生徒が他学科の生徒を観察したり、模擬戦中に当人達以外が避難する為の物――が作られており、今もちらほらと人が見える。

 そのどれもが、たった今入ってきたコーネリアやその後に続くリオンとシンシアに注目していた。

 「な、なんか注目されてないか?」

 無言の圧力に耐えかねるように尋ねるリオンに、コーネリアは小さく鼻を鳴らして答える。

 「以前と、変わらずか。どうせ、2人の実力を見る為の偵察」

 見れば、3級生の教室では見かけなかった人が多く、ほとんどが2級生で、時折1級生の姿もちらほらと見て取れる。

 その視線は主にコーネリアと共に立つ黒髪の少年と少女に向けられていた。

 「そ、そんな……私、お見せできるほどの実力がありませんわ」

 「俺も言うほど……光属性って普通に見せちゃまずいんだよな?」

 2人がすがるような目でコーネリアを見ると、コーネリアはやや悩むように口元に手を当てて答える。

 「そう、だね。できれば見せないでくれると嬉しいけど、制御が甘いから他の属性も、難しい?」

 「自信ねぇけど、ここで良い所見せないとどうなるんだ?」

 「……一応は、アイリスの推薦って形で入学してるから。泥は塗らないで欲しい。かな」

 「努力する」

 硬い表情だが、負けん気の強いリオンである、後は少し押してやればどうとでもなるだろうと、コーネリアは適当に手を振る。

 「まぁ、いざとなったら、光属性で、どーん。と。やっていいよ」

 その言葉で、リオンは枷が外れたようにプレッシャーを感じなくなった。何故なら、属性魔術は扱える物の、属性の変換とやらが物凄く苦手だったから、変換せずにそのまま扱える光を解禁されるというのはそれだけで意義のあるものだからだ。

 「あの、私はどうしたら……」

 不安げに見上げるシンシアに、コーネリアは微笑んで頭を優しく撫でながら大丈夫だという。

 「普通、入学したての3級生は、エナジーランスすら、使えないから。シアンちゃんは、優等生」

 「そ、そうなのですか?」

 シンシアは既に屋敷で勉強を重ね、コーネリアから実技の手ほどきもある程度受けていた。

 そのため、まだまだ制御が甘く、発動は遅い物の、下級術式ならば5属性を扱えるに至っていた。

 「そう。シアンちゃんが、今出来る最善を、尽くせばいい」

 「が、頑張ります!」

 エナジーランスがぎりぎり使えるかどうかという助言は功を奏したようで、シンシアの顔に赤みが戻ってくる。

 そうして演習場の中央付近まで行くと、最後に一人の男性教諭が入ってくるのが見えた。

 日光を反射する金の髪、厳つく顰められた眉の下の双眸は深い緑をしており、耳が若干だが尖っている。

 セバスチャンに続き、みたまんまエルフという感じの男性教諭は、リオンの内心に渦巻く僅かな感動と興奮など知る由もなく、低く強い語調で初めての実技演習に騒いでいた3級生達を整列させた。

 「よし、集まったみたいだな。私は魔術普通科と魔術特別科の実技を担当する。コリンズだ。厳しくするから覚悟しろよ」

 疎らに拍手が起きる。誰もが始めてで、厳しくするといわれたからの警戒だろう。コリンズ自身も拍手には期待していなかったらしく、すぐに次の言葉を繋ぐ。

 「今日はお前らが始めて魔術を使う日だ。今までの基礎知識はしっかりと頭に叩き込んできただろうな?今日から編入生が入っていると聞いたが、かのデューレンハイト氏に推薦だ。基礎くらいは既に覚えているだろう。そのつもりで今日は配慮をしない。期待していたなら残念だったな」

 コリンズが生徒達を睥睨し、黒二つと灰色1つの頭を見つけて目を留める。

 その目が確実に“お前達がどれほどの物か見極めてやる”と雄弁に語っており、コーネリアは憮然として眠そうな目ではなく、どうでもよさそうな目で見返した。

 リオンはその様子に、ああ、3級生の時にコーネリアも言われたのか。と何となく思うだけだった。

 「心配ない」

 切り捨てるようにコリンズに告げるコーネリアに、3級生達の視線がリオンとシンシアに向かう。

 その実力がどれほどの物か、いまだに見せていないからだろう。半信半疑といった物が多い。

 「……そうか。では、まず何をやるか。コーネリア。お前は2級だから分かっていると思うが、試しにやって見せてくれ」

 変わらず睨んでいたコリンズだったが、コーネリアが憮然として言い放ったのを宣戦布告とみなし、手始めに生徒の前に立たせる事にしたようだ。

 コーネリアも黙って頷いて準備が終わるのを待つ。

 コリンズの正面にコーネリアが並ぶと、コリンズはポケットから人形を取り出して何事かを呟いた。

 ――むくっ。と、突如として人形が肥大化し、ぶくぶくと人型に膨れ上がって演習場に大きな影を落とし始める。

 生徒達が動揺している中、コーネリアだけは静かに巨大化してゆく土人形に、眠たそうに目を向けていた。

 最終的には3メートルほどの大きさになった所で肥大化が止まり、その後緩やかに人型を形成して大人しくなる。

 「ゴーレムだ……」

 「……すげぇ」

 「あんなのと戦わされるのか!?」

 ざわめきが大きくなるが、コリンズが一睨みするだけで生徒たちは蛇に睨まれた様に固まってしまう。

 そんな視線に晒される中、コーネリアに一つ頷いたコリンズが生徒達のほうへ下がってくる。

 ゴーレムとコーネリアだけが向かい合う形だ。

 「《走る闇、満ち欠け無く友引く従順な者、裏切らざる足元の綻びを見よ》」

 コーネリアは落ち着き払った様子で詠唱し、見物人が怪訝な顔を浮かべ始めた。

 初めて聞く詠唱だからだ。意味は分からなくとも、聞きなれない音律でつむがれるそれに、自然と興味が向く。

 詠唱に呼応するように、コーネリアの体から黒い粒が噴出すのがリオンには見えていた。

 それらはまるで自分と同じ色を求めるかのようにゴーレムの影に沈みこみ、同化して行く。

 「――《ディストランス》」

 詠唱を終わった瞬間に、ゴーレムの落とした巨大な影が蠕動した。

 シュッ!という軽い音とは裏腹に、ゴーレムに迫る槍は黒く、鋭利だった。

 無数に伸びた幾本もの槍がゴーレムを後ろから貫き、日光に照らされて消えてゆく。

 「な、なんだっ!?」

 「あれって闇属性魔術!?」

 「あんなの初めて見たぞ!!」

 「キャー!コーネリア様素敵ー!!!」

 方々で声が上がり、3級生はあまりの滑らかな詠唱、発動までの動作や威力に言葉を失ってしまっていた。

 それと同時に、話でしか聞かなかった“図書館の銀姫”の実力を肌で感じ、使い手のいない闇属性の継承者という特殊性もあいまって、尊敬の眼差しがコーネリアを迎えた。

 「……う、うむ。十分だ。お前らもコーネリアの様に精進する事!次!シアン=アージ!」

 やや引きつった表情のコリンズを見れば、予想外だったのだという事がすぐに分かる。

 コリンズは当初、2級生になりたてのコーネリアは見栄を張っても中級術式が精々だと高をくくっていた。しかし、蓋を開けてみれば、下級ではあるもののアイリス以外に使える者が居ないとされる闇属性。堂々とアイリスの弟子であると公言した形をとったのだった。

 無理やりに驚きを押さえ込み、アイリスと懇意だという触れ込みの兄妹に矛先を向ける事にしたようだった。

 唐突に呼びかけられ、シンシアはやや驚いたように前に出る。緩やかな動作で前に出る間、コリンズは魔術でゴーレムの傷を修復して行く。

 「何発うとうと構わない。好きなようにやれ」

 できるはずが無いと思っているからこそ、コリンズは小さく口元に笑みを作り、触媒となる杖を手渡しながら言った。

 それに対し、緊張していたシンシアはホッと息を吐いて頭を下げる。

 では、いきます。と、呼吸を整えてシンシアは詠唱を始めた。

 「《大いなる、大地、潜伏せし、断罪の牙、汝、穢す咎人、擂り潰せ》」

 シンシアから発せられたマナが大地に侵食して、白いタイルの下の大地が呼応する。

 「――《ストーンファング》!」

 可愛らしい声が上がり、シンシアはきゅっとゴーレムを睨む。

 途端に、地面から岩が競りあがり、ゴーレムの足につきささった。

 岩は一本一本の太さはないが、そこそこに数があり、ゴーレムの足を完全に地面に縫い付けてしまっている。

 その実力に、壇上の観察者達もほぉっと目を瞠るが、シンシアはそれに気づかずに続けて詠唱に入った。

 「《清浄、奔流の矢、無形、弓を引き、不浄、貫け》」

 シンシアの持つ杖の先に水が浮かぶ。それらはまるでスライムのように空中で重力を失ったようにふわりと浮かんでいた。

 生徒達のみならず、コリンズまでが息を呑むのをコーネリアは静かに観察していた。

 「《アクアストライク》」

 再びあがったシンシアの可愛らしい声が浮かんだ水に推進を与えてゴーレムに疾駆する。

 ピシュッ!と、水がゴーレムの身体に当たってはじけ、僅かにその体を抉った。

 先ほどのコーネリアの呪文を見てからでは地味に映るだろうが、しかし、入学したての者が2属性もある程度の実用性でもって運用して見せたというのは中々ある事ではなかった。

 その事に、アイリスと懇意にしているという事実を、コリンズも認めざるを得なかった。

 しかし、コリンズは不思議に思う。何故シンシアがその場で立ったままなのか。

 その答えはすぐに、シンシアの口から零れた詠唱で知る事になった。

 「《灯る炎、力の象徴、火の加護、重ね爆ぜ、我が敵の下へ》」

 地、水に続き、火の詠唱だ。

 それはコリンズでなくとも、この場に居るものならば誰もが知っている。

 しかし、3つを連続で詠唱するというのは魔術の初心者ではありえない事を物語っていた。

 通常、如何に才能のある物でも、覚えたての頃は2発も違う属性を使えば体内マナを消費して息が上がる物だが、シンシアにそれは見られない。

 やや汗をかいているように見えるが、それも日光のせいだといってしまえばそれだけのような、たったそれだけの疲労で3種類も連続で使うなどという事が、コリンズには信じられなかった。

 「《ブラストスロー》!」

 少女の叱声が再び響き、コリンズはハッとなってシンシアを見る。

 ゴーレムに向かって、人の頭ほどもある火の玉が飛んで行き、ぶつかった瞬間に小さな爆発が巻き起こった。

 結果的に見れば、ゴーレムに少々の焦げ跡がついた程度で実害はほとんど無い。しかし、それはゴーレムだからであって、普通の生き物がアレを食らえば相応のダメージを受ける事を物語っていた。

 「シアン=アージ、もう――」

 止めようとコリンズが声を上げる。

 しかし、当のシンシアは完全に集中してしまっていて耳に入っていないようだった。

 再び詠唱が響く。

 「《遍く世界、吹き渡る、一陣、不可視の剣、敵を引き裂け》」

 風の詠唱。コリンズはそれを聞いて、驚きを通り越して感動すら覚えていた。

 魔術初心者として入ってきたはずの少女が、同時に4属性を連続で詠唱する。そんな事があっていいのか。

 今までの自分の価値観を狂わせる目の前の少女は、確かな才能で持ってその場に立っていた。

 「《エアロブレイド》」

 風が唸る。大気の中を、見えざる刃が駆け抜ける音が響いた。

 直後、ゴーレムの腕や脇、足に、数本の傷跡が刻まれ、3級生の生徒たちも漸く何が起きたのかを理解した様だった。

 4属性を連続行使する事がどれだけ難しいかを理解していない生徒達は、感覚的にすごいとは思っていても、コリンズや、経験のある見学に来ている2級生や1級生の様に顔を顰める事はなかった。

 シンシアも僅かにあがった息のまま、ラストスパートという風にゴーレムをキッと睨みつけて、最後の詠唱に入るようだった。

 ここまでくれば、もはや止めるのも野暮だという感情がコリンズに生まれる。

 演習場に居るすべての人が見守る中、シンシアは最後に自身が最も適正のあるといわれる無属性の詠唱に入った。

 「《常世、偏在する、輝ける力、我が意思、従属、敵を討て》」

 ゴーレムに向けられた杖の先に光が収束する。それは純粋なマナを集めた攻撃力に他ならず、今までの比ではない存在感を放っていた。

 誰もが理解する、彼女の得意な魔術は無属性なのだと。

 皆が息を呑むのが手に取るように分かる。そして、最後の詠唱が終わると同時に、それは驚きへと変わった。

 「《エナジーランス》!」

 掲げた杖から一直線に走る閃光の槍。それは今までで最も速く、最も大きい物だった。

 ドガッ!と、大きな音が響き渡り、無属性の槍がゴーレムのわき腹に深々と突き刺さる。

 見れば、僅かに背中に光が漏れ、多少貫通してしまっている事が見て取れた。

 シンと静まり返る演習場の中、シンシアが杖を下ろすと、光が霧散し、最後には傷だらけのゴーレムが残った。

 シンシアはいい汗をかいたといわんばかりにポケットから取り出した布で額の汗を拭う。

 そして、ぺこりと綺麗に一礼した瞬間、我に返った3級生や、見学に来ていた2級生、1級生までもが暖かな拍手をシンシアに贈り出した。

 一瞬きょとんとするものの、シンシアは嬉しそうに笑ってリオン達の元へ戻ってくる。

 笑った瞬間、3級生の男子生徒の間から野太い歓声が上がった。

 戻ってくるシンシアに、コリンズはハッとなってリオンの名を呼んだ。

 リオンはシンシアから杖を受け取って、ゴーレムの前に立つ。ゴーレムの修復が終わるのを待っている間に、どうしようかと思考を巡らせる。

 シンシアは何度撃ってもいいというのを聞いて、使える全属性を使えと解釈したが、リオンには、何発撃ってもいいからゴーレムを破壊してみろ。と聞こえていたのだ。

 そうなると、やはり一番威力があるのは魔法剣だが、この場は魔術普通科だ。剣の腕とも批難されかねない。

 そこまで考えて、一応一発は普通に魔術を使って、それでダメなら光属性の魔術を使い、更にダメ押しで魔法剣を使うという結論に至る。

 「無理をする必要はないぞ」

 コリンズは純粋な気持ちで忠告していた。すでに、リオン達へ向ける猜疑心は無く、リオンに対しても期待をしているといってよい。

 しかし、リオンは先ほどまでのコリンズの態度から、これは挑発であると受け取ってしまった。

 「何発撃っても、何属性でもいいんだよな?」

 最終確認のように問いかけるリオンに、コリンズは不審げの内心首をかしげながらも答える。

 「ああ。それは構わない。実力を見る為だからな」

 その答えにリオンは一つ頷いて、杖を剣のように半身で構え、ゴーレムを見据える。

 「最初はやっぱりこれだよな。《世界に偏在する輝ける力、我が意思に従い敵を討て》」

 構えられた杖の先に、光が収束する。しかし、その収束は緩やかで、シンシアほどの切れは無い。

 その様子にコリンズはおやっと思った。

 てっきりリオンもシンシアの様に無属性で、同等に魔術が扱える物と思っていたからだ。

 しかし、リオンが見せる魔術にそれほどの輝きは無く、シンシアが得意ではないはずの属性ですらこれほど拙くは無かったとさえ断言できてしまう。

 「行け!《エナジーランス》!」

 リオンの叱声とともに放たれた光の槍は、速いがしかし、その太さはシンシアのそれに遥かに劣っていた。

 正確に胸に突き刺さる物の、ゴーレムの体を数センチ抉っただけで、その威力は微妙といわざるを得ない。

 その様子に、リオンは本当にシンシアの付き添いで学校に着ただけなのだと周囲の者にも落胆の色が広がる。

 しかし、リオンは全く歯牙にもかけず、別の呪文の詠唱を始めた。

 「《駆け抜ける閃光、敵を焼け》――《レーザー》!」

 ほとんどタイムラグを置かず、リオンの構えた杖から光が照射される。

 エナジーランスのように飛んでいくのではなく、リオンの杖の先から持続して照射された光は、ゴーレムの足を見事に貫通させた。

 しかも勢いが衰えることなく、演習場の内壁に張られた魔術障壁にぶつかって、衝突する端から相殺されてゆく。

 「な、何だこの魔術は……っ!!」

 初めて見る魔術に驚きを隠せないのはコリンズだけではない。見学している全ての人を代弁するような声は、コリンズが上げなければ他の誰かが上げただろう。

 しかし、リオンはそれだけでは止まらない。

 「これでっ!どうだ!!!!」

 ダッと、走り出した杖先から光が霧散して消え、その代わりに手元から杖先を覆い、更に刀身のように一瞬で光が伸びる。

 その光景に、コリンズは漸くあれが魔術剣だと悟ったが、まさか一瞬で詠唱もなしに構成して見せたなどとは思えず、何度か瞬きをしてしまった。

 しかし、その瞬きが終える頃には、既にリオンはゴーレムの足元まで迫っている。

 ゴーレムの落とす影を、リオンの剣が払拭し、閃光は煌いて。

 シュカカカカカッ。

 軽快な音が無音の演習場に響く。

 ここ数日、何度も何度も打ち合わせたスゥとの鍛錬の成果か、軽い杖で振るう魔術剣は重力をまるで感じず、鋭い光の刀身は滑らかにゴーレムに食い込んでいった。

 横薙ぎから振り上げ、袈裟斬りに、そのまま振り上げる要領で袈裟斬りにクロスするように剣を奔らせる。

 刀身から零れた光の粒が、まるで桜の花びらのように舞い、観衆の目を奪う。

 最後に思い切り振りぬいたリオンは、そのままゴーレムに背を向けて歩き出す。

 ――ずる。

 遅れて、ゴーレムの腕が滑るように地面に落ちて、大きな音と振動を生徒達の足に伝え、その振動が、音が、見る者を現実に引き戻した。

 続けてぼろぼろとゴーレムが切り裂かれた切り口から分断されて瓦解してゆく様を、コリンズは言葉も無く見ているしかなかった。

 何発撃ってもいい。しかし、壊せるとは思っていなかったのだ。

 先ほどのシンシアのやり方がこの場合は正解といえるだろうが、それでも壊れるとは露ほどにも思っていなかった。

 戻ってくるリオンに、コーネリアはやれやれと思いながらも目に込めた力を緩めて向かえ、シンシアは嬉しそうに満面の笑顔で兄を迎える。

 唖然としていた場内だったが、シンシアとコーネリアがリオンを称える様に飛びつきに行った事で、漸く拍手をする事を思い出したように盛大な拍手がリオンに向けられた。

 「何も、壊す必要は無かったぞ」

 コリンズが、修復限界をとうに超えたゴーレムを見ながらリオンに声をかけた。

 その調子に険が取れている事に気づいたリオンは言葉の意味を純粋にかみ締めて首を捻る。

 「え?何発撃ってもいいから壊せってことじゃなかったんですか?」

 純粋に尋ねるようなリオンの調子に、コリンズは盛大にため息を吐いてしまった。

 「普通壊せる3級生などいない。そんな事を考えるのはお前で二人目だ」

 そう言って残念なものを見るような目でリオンを、そしてちらりとコーネリアを一瞥した。

 リオンも釣られてコーネリアを見ると、悪びれる様子もなくいつも通りの済ました顔でコリンズに声をかける。

 「推薦、納得?」

 言葉は少ないが、大まかな意味は理解したコリンズは静かに頷く。

 しかしこれでは授業の続行は不可能だろうと思っていると、コーネリアが静かにコリンズに何かを手渡した。

 「これは」

 見れば、それは最初にコリンズが使っていたゴーレムの触媒だった。

 コーネリアは最初からこの事を予想していたのだろう。コリンズは一杯食わされたという風に呆れた顔をコーネリアに向けるが、当の本人は弁償したのだから文句は無いだろうという様にも見える――実際にはただどうでもいいだけだが――表情を崩さず、無言でリオン達のもとに戻っていく。

 コリンズもすぐさま立ち直り、ゴーレムの残骸を寄せ集めて触媒を組み込み、ゴーレムを再構築しはじめる。

 「お前ら、お前らにこのレベルは期待しない。しかし、最終目標は来年までにこのレベルだ。いいな!」

 先ほどとは打って変わった厳しい表情のコリンズに、3級生達は姿勢を正して頷いた。

 しかし、その直後に、それがどれだけ難しい事かを直に知る事になる。




 ひと騒動あった――というより、リオン達が起こした――実技授業が終わると、後は現代と変わり映えの無い座学が始まり、リオンはすぐに退屈で眠くなってしまった。

 そんなリオンを隣のコーネリアがたたき起こして授業を受けさせ、一通りの授業が終わる。

 帰り際、ざわめく3級生の教室で、リオン達は同級生に囲まれてしまっていた。

 「銀姫様!凄い魔術でした!」

 「シアン様、素晴らしい腕でしたわ!是非今度ご一緒しても?」

 「リオン、お前あんなの壊すなんてどういう腕してんだよ、むしろ騎士学園行ったらどうだ?」

 「それ言えてるー!魔術からっきしなのに剣は凄いんだよね。剣士だったの?」

 「シアンちゃん!“黒姫”って呼んでもいいかな!?」

 「それを言うなら“光の騎士”様も忘れないでね!」

 「いいなそれ、早速使うか!」

 変な流れでいきなりあだ名がつきそうになってしまい、リオンは居た堪れなさから早速実技でやりすぎたと後悔していた。

 「里桜。諦めろ」

 変なあだ名を付けられた先達として、コーネリアはある種嬉々とした表情で同類の肩を叩いた。

 「てめっ、他人事だと思って」

 「他人事だもの」

 さらりと言ってのけ、人混みをすり抜けるようにコーネリアが歩き出す。

 「ネル!」

 その後を追って、リオンも半ば無理やり人ごみを掻き分けて追っていくので、シンシアも慌てて後を追いながら、囲んでいた人に軽く頭を下げる。

 「あ、あの、すみません。私達はこれでお暇させて頂きますね」

 その様子に男子は釘付けになり、惚けたように手を振っていた。

 校舎を出ると、既に日が傾き始めていて、夕焼けの赤が敷地の外壁の赤を更に濃くしている。

 コーネリアに追いついたリオンとシンシアも肩を並べて、朝歩いてきた道を辿って歩く。

 「いやー。しかし、ゴーレムっていうのか。あれ、驚いたな」

 授業を振り返る様につぶやくリオンに、コーネリアは小さく笑って付け加えるように言う。

 「壊した方が、驚かれたと思う」

 「そういや、ネルも壊したんだっけ?」

 「……そうだよ」

 その言い方が不服だといわんばかりで、リオンは思わず興味をそそられた。

 「何やったんだ?」

 「――級」

 「え?」

 「下級術式にマナ量だけ中級以上を込めて撃ったらどうなるか試したら爆砕しちゃったんだよ」

 中級術式を操れるようになるのは、1級への進級課題である。

 それの前提条件になるマナ量・操作を入学したてでやらかしたとあっては、コリンズもさぞ形無しだっただろう。

 「ぶっ。なにそれアホだろ」

 げらげら笑いながら言うリオンに、コーネリアは憮然として答える。

 「うるさいな。入学当時はどの程度加減したら良いか分からなかったんだよ」

 「なるほど。それでコリンズ先生に睨まれてたのか」

 リオンは納得行ったと言う風に授業が始まったばかりの時のコリンズの態度を思い返しながら、笑いが収まるのを暫く待つように呼吸を繰り返す。

 漸く笑いが収まった頃、コーネリアは話題を変えるように小さく呟いた。

 「……しかし、シアンと里桜には驚かされる」

 「え?何で?」

 「普通3級生は、あの後みたら分かったと思うけど、下級術1発撃つのもすごい時間かかるし、撃てても2発目や属性を変えるなんてそうそう出来ないんだよ」

 「あー。確かに、あの後は酷かったなぁ。コリンズ先生もどんどん機嫌悪くなって行ったし」

 思い返しながら、あの表情でにらまれたらと思うと、リオンですら肝が冷える。

 元が整っているだけに、怒ったときの表情が更に怖いのだ。

 シンシアも僅かに思い出して身震いするが、思い返したようにコーネリアに問いかける。

 「ですが、私達には優しくありませんでした?」

 「それは、コリンズが実力主義だから。優秀な生徒は、コリンズに気に入られる」

 「優秀なぁ……俺初めて言われたかも」

 異世界で優秀といわれるとは、とリオンは感慨深く唸ると、コーネリアは意外そうに首をかしげた。

 「体育は、優秀じゃなかったの?」

 「いやー。やっぱり部活入ってないとその手のやつにはかなわなくてさ。惜しいとはよく言われたけど」

 「なるほど」

 「今日はこれからどうしましょう?」

 ぞろぞろと帰る学生に混じって歩く3人は、どこからどう見てもただの学生にしか見えない。

 その事が、あらゆる権威から解放され、義務も責任も無い自由だと知ったシンシアは楽しく思えて、2人に問いかける。

 「どう、といわれても、明日の予習でも、する?」

 「あら。それはいいですわね。賛成ですわ」

 それはそれで学生らしい。と、シンシアは内心、勉強であってもうきうきした気分で答える。

 今までは王宮の中で1人、由緒正しい貴族の家出身の家庭教師にマンツーマンで教えられ、厳しい勉強しかさせてもらえなかったが故に、コーネリアとリオンと共にする勉強はさぞ楽しいだろうと胸を躍らせる。

 「や、やだ!俺はやりたくない!」

 そんなシンシアとは対照的に、一夜漬けくらいしかまともに勉強をしたことのないリオンである。

 断固拒否を表明するリオンに対し、コーネリアは小さく、しかし響くような声音で囁いた。

 「里桜が一番心配だから、言ってるんだけど」

 「そうですわ。お兄様。せっかく実技でいい評価をいただいたのだから、もっと頑張って追い抜かれないようにしなければ」

 「ぐっ!」

 ここに味方はいないと思い知らされたリオンは呻くように言葉を詰まらせ、最終的には逃亡を図ろうとする物の、何故か今までで一番いい動きをするシンシアとコーネリアの連携プレイによって見る間に束縛され、屋敷へと引きずられていった。

 その光景は、捕まえられた宇宙人を髣髴とさせるものだったが、連れて行くのが美少女二人とあって、周囲の視線が釘付けとなるが、当の本人達にはその自覚は無い。

 後日、“光の騎士”を取り合う“2人の姫”、という噂が広まるのだが、それはまた別の話である。




 「しかし、予想していた様な厄介ごとは無かったな」

 夕食の席で思い出したかのようにぼそっと呟かれたリオンの一言に、シンシアとコーネリアは首を傾げる。

 「うん?予想?どんな?」

 コーネリアが興味ありげにカップを置きながら尋ねると、リオンは悩むようにしながら答えた。

 「いや。貴族とか実力主義の学校って、絶対に自分の方が優秀だって思って高圧的な態度取る奴がでてくるじゃん。俺達の触れ込みで何も言ってこないのが不思議だなって」

 リオン達は一応、アイリス学園理事の推薦入学である。そして遠方とは言え貴族の子女として入学しているだけに、そういったしがらみで絡んでくる輩が少なからず居るだろうと身構えていたリオンだったのだが、幸い、そう言った事は一切なかった。

 その疑問を口にすると、コーネリアは納得して頷く。

 「ああ。そういう事か。それなら理由は簡潔。僕が居るから」

 「えっと?どういうことですか?」

 話についていけないシンシアに、コーネリアは噛み砕いて説明しようと頭を捻りながら口を開く。

 「ええっとね、シアンちゃん。世の中には権威や力に自惚れて他人を見下す輩もいるんだけど、そういう人って突然現れた自分よりも強いかもしれない人に対して、潰そうとかって動く訳よ」

 「はぁ……まぁ、そういう事もあるでしょうね」

 自身に経験は無い物の、心当たりはあるのだろう。シンシアもぎこちない笑みでそれに同意する。

 「里桜は今回それがなかったのが珍しいなって」

 「そんなに珍しい事なのでしょうか?」

 「一度や二度はあると思うねー。シアンちゃんは元が元だし、シアンちゃんよりも偉そうにできる人なんてそうそう居ないから経験無くても仕方ないかもね」

 「そういうものですか……」

 王家に対等以上に振舞う馬鹿などいない。よほど王家を侮っているか、それとも国力として上と認識している他国の王家くらいなものである。

 その点、シンシアは政策の根幹こそ、全ての人が安心して暮らせるようにという少女の理想じみた願い事ではあるものの、実際に政策を発案し、実行しているのがアイリスなので、徹底的に貴族に厳しい実力主義の王という印象が民衆には根強い。

 国力にしても、三強とまで言われる歴史と伝統ある国である。昨今の軍事力の低下なども、アイリスが他国の密偵を徹底的に封殺しているお陰で公にはなっておらず、現在も他国からは屈強な騎士を、魔術師を抱える国家として認知されている。

 そんな国のトップに強気に出る物など、そうそう居たら困るくらいだと説明するコーネリアに、シンシアは釈然としないまでも理解は出来る様で、歯切れ悪く頷いてみせる。

 「良い事だよ。……今回絡まれなかった理由だけど、シアンちゃんと似たようなものかな」

 「どういう事だよ。まさか、すでにシアンがただの貴族じゃない事がばれて!?」

 リオンが思わず席を立ちそうになるのをコーネリアが目で制しながら話を続ける。

 「いいや。僕が側にいるから、あいつらは手出しできないんだよ」

 「ネル、お前何したんだ……?」

 要するに、リオンやシンシアに降りかかるであろう火の粉を寄せ付けない傘の役割を、コーネリアが買って出ていたという訳だ。

 しかし、それをするだけの影響力を得る為には相応の事をしなければならない。

 こと、実力主義の学園の中にあって、一番力を及ぼしやすいのは確固たる実力に他ならず、それを示す為の手段は限られている。

 リオンが怖さ半分、呆れ半分で尋ねると、コーネリアは事も無げにグラスを傾ける。

 「何も。降りかかる火の粉を適当にあしらってきただけだよ。最近だと敵対者に益が無い事が分かったんだろうね。明らかに避けられてるし」

 「いいのか。それで」

 避けられるという言葉を聴いて、少なからず仲良くなったリオンとしては寂しい気持ちに駆られた。

 自分達の為ではないだろうが、学園生活を送ってみたかったといっていたコーネリアにとっては辛い物ではないのだろうか。

 思わずぶっきらぼうな言い方になってしまうリオンに、コーネリアはふっと笑みを浮かべて2人を見る。

 「いいよ。今はリオンもシアンちゃんもいるし。今日はそれなりに楽しかった」

 「そっか……ならいいんだけど」

 「あとは、本人達が庇護されるだけの存在じゃないって示せたのも大きかったかな」

 どうやら納得してもらえたらしいリオンから視線をはずし、うんうんと頷きながらコーネリアが言った。

 自分は確かに無茶をしたが、シンシアは目立った事をしていないはずだ。とリオンは思う。

 シンシアがやったのは全て下級術式、ゴーレムも半壊させるに至っていない。

 「そうか?俺はともかく、シアンはそんなに凄い事してないような……」

 「里桜も見てたでしょ?あの後何人か不発に終わっちゃった子達。コリンズ先生は僕達の所為で期待しすぎて落胆の余りにお怒りだったけど、普通は入学したてなんてあんなものだよ」

 「そうなのか?でも中にはちゃんと使えてる奴も居た気がするけど」

 威力はどれも雀の涙レベルではあったが、それでもシンシアに対抗してか、3種類までなら属性を操る者もいた。

 そう指摘すると、コーネリアは首を振ってニヤッと笑う。

 「あれはどっかの貴族の子供。元々教育受けてるんだからアレ位できて当然だけど、それでもシアンちゃんみたいに5種類連続で使用するなんて事はなかったでしょ?」

 「そうだな。実力見せる為なのに何でやらないんだろうと思ったけど」

 「やらないんじゃなくて、出来ないんだよ。彼らのマナ量は多くないからね。マナを使えば使うほど器や吸収量・効率が上がるから、それで熟練度があがるわけだけど、使い始めたばかりで5種類も連続で出来るなんてそうそうあることじゃない」

 シンシアが魔術を勉強し始めたのは1週間前、実質的には4日程度である。

 にもかかわらずあのレベルまで習熟しているのは、傍から見れば物心ついた頃から修練を受けていたと取られても不思議ではないだけの実力なのだ。

 そう説明してやると、リオンもシンシアも驚いたように顔を見合わせ、コリンズ教諭の態度にも納得が行った。

 「それでコリンズ先生もシアンには何も言わなかったのか」

 「普通に考えたら基礎全属性を全て扱える天才だからね。マナ量もこちらの人にしては桁外れに多いわけだし。僕らが居なきゃ稀代の天才魔術師として名を馳せるレベルだね」

 さらりと付け加えられた一言に、リオンは困ったようにコーネリアを見る。

 シンシアなどは、コーネリアとリオンに尊敬の眼差しを送っていて、リオンとしてはそれが心苦しかった。

 「改めて思うと俺らってチートだな」

 「何を今更。恩恵に与ってるんだからその分頑張るんだよ」

 何もしていないのに力を持っている事に引け目を感じるなら、これから何かをすればいいと言うコーネリアに、リオンは素直に感心してしまった。

 そしてふと、自分はまだ教えてもらうだけでコーネリアの実力を知らないと思い至ったのだった。

 「ちなみにネルはどの程度なんだ?」

 「何が?」

 グラスを置いて、きょとんとした顔でリオンを見る灰色の髪の少女。

 整った西洋人めいた表情が、リオンの前ではころころと変わる。

 傍から見れば明らかに特別な感情を抱いていると思わせるそれは、当人達には全く自覚が無い。

 その事が、学園でどのような影響を持つかという事も……。

 「いや、現時点でネルはどの程度戦えるのかなって」

 そんな美少女の視線を真っ向から受け止めて、なんでもない世間話のように話を進めるリオンも中々のつわものと言えるだろう。

 シンシアは微かにリオンにたいして羨ましいと思ってしまう。

 コーネリアも、最近ではリオンを挟まなくとも会話に応じてくれる物の、やはりリオンを挟んでいた方が数倍も饒舌になる事を知っている。

 シンシアはコーネリアが転生者である事を知らないから無理もないのだが、そこはリオンの持ち前の性格のお陰なのだと、すっかりリオンに心酔しているシンシアはすっと納得してしまっているのだった。

 そんな2人の会話に耳を傾けながら、シンシアはどうすればもっと仲良くなれるだろうかと思考の海に身を沈めていった。

 「……アイリス率いる魔導師団だと話は変わるけど、他国のだったら1個小隊相手で完封できる自信はある」

 「それって凄いのか……?」

 「魔術学園を好成績で卒業した1級魔術師達が10~20人束になっても僕は余裕。と取ってもらえれば」

 好成績で卒業できるだけの実力があれば、他国ではきちんとした教養を受けた魔術師自体多くない為、引く手数多の筈である。

 それらを纏めて相手にしても一蹴できるだけの強さを持つと断言する目の前の少女に、リオンは呆れを通り越して感心してしまった。

 ちなみに余談ではあるが、リューデカリア宮廷魔術師団は主席卒業が必須である。

 にも拘らず毎年応募が殺到するのは、ひとえに伝説的魔術師であるアイリスが率いており、もし目に留まれば弟子にしてもらえるかもしれないという希望からだというのは、また別の話。

 「マジで学校行く必要ねぇだろ」

 「まぁね」

 ノリにノリで返す、最近のリオンとコーネリアの親友然としたやり取りではあるのだが、ずっと思考していたシンシアの耳には、コーネリアは本来既に学園に通う必要が無く、自分たちの為に付き添っていてくれていると聞こえてしまっていた。

 「ネルさん……私たちの為に学校に……」

 僅かに震える声で、申し訳なさそうに目を伏せるシンシアに、2人はぎょっとしてしまう。

 何かまずいことでもいってしまっただろうかと首をかしげながら、コーネリアは慌てて手を振って否定する。

 「違う違う。純粋に学園生活エンジョイしたかっただけ」

 「えんじょい……ですか?」

 初めて聞く言葉に、シンシアはきょとんとして伏せていた目を上げる。

 その目の端に雫が見えて、コーネリアは危なかったと内心で胸を撫で下ろした。

 「あー。そっか。そっか。ええっと。楽しむ。って事」

 話をそらすように説明してやれば、シンシアはすっかり機嫌を直した様で、ぐっと細く繊細な手を握りこんで小さなこぶしを作る。

 「そうですか。私達と一緒に学園生活、えんじょい、しましょうね!」

 「レッツエンジョイ!」

 ここはノリに任せてのせてしまった方がいいと判断したコーネリアは、拳を振り上げて掛け声のように言った。

 「れっつ、えんじょい、です」

 シンシアもコーネリアの真似をして手を上に掲げる。

 しかし、その様子はシンシアの持つ雰囲気とあいまって壮絶なギャップを生み出していた。

 「いつの間にか仲良くなってるなお前ら」

 どうしようかとハラハラしていたリオンが窮地を脱したことで息が抜けて呟くと、コーネリアはニヤッと悪戯っぽく笑い、リオンにも矛先を向ける。

 「うん?里桜もだよ?ほら、レッツエンジョイ!」

 「いや、訳分かんねぇし!」

 「リオンさま、れっつ、えんじょい、ですわ!」

 美少女2人になぞの儀式を強要され、リオンは降参というふうに両手をひらひらと振った。

 「シアンまで……はぁ……レッツエンジョイ!」

 「里桜が乗ってきた!セバス!お酒!」

 コーネリアは嬉々として後ろに控えたセバスチャンに指示を出すと、セバスチャンはささっと扉を開けて出て行ってしまった。

 「え、おい!俺ら未成年……」

 「え?リオン様、成人は14からですわよ?」

 「そうだよ里桜。20までお酒飲んじゃいけない世界じゃないんだよここ」

 さすがにそれはまずいと思ったリオンの思考を先回りして、コーネリアとシアンが逃げ道をふさぐ。

 「そ、そっか……でも初めて飲むな。飲めるのか、俺に……」

 リオンとて健全な男児である。美少女2人の酒の誘いを断れる訳も無く、小さくため息を吐いて諦めたように小さく呟いた。

 その様子に、コーネリアは上機嫌に笑う。

 「そう気構えなくとも、大丈夫だよ、僕好みの甘いお酒しかうちじゃ扱ってないから」

 そう言って扉のほうを見れば、先ほど出て行ったばかりのセバスチャンが新しいグラスと果実酒らしい瓶を持って控えていた。

 コーネリアはササッと指示を出してリオンとシンシア、そして自身の前に酒を注がせ、セバスチャンを下がらせる。

 「じゃあ、まぁ、これからの学園生活に乾杯!」

 音頭を取ったコーネリアに、シンシアとリオンが追従して、グラスに注がれた薄桃色の液体の甘い芳香が室内に満ちた。

 一口含むと、リオンの口の中に葡萄のような仄かな甘みとお酒特有の苦味、そして、アルコールのちりっとした熱さが広がる。

 飲み下せばかぁっと何かがのぼってくるような感覚に顔が熱くなるのを感じ、ああ、自分はお酒が弱いのかと、どこか遠い所で納得してしまった。

 そして、意識が浮遊してゆくのを感じ、リオンは夢見るように眠りに落ちていった。




 翌朝、ずきずきと痛む頭を抑えて朝食に出向くと、平然とした顔のシンシアとコーネリアに謝られ、リオンは仕方ないとため息を漏らす。

 リオンとしては、酒の強さで年下の美少女2人に負けた事よりも、意外にも酒に強かったシンシアに驚き、ある種の尊敬を持つのだった。

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