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少年は幻想の夢を見るか?  作者: 門間円
対の第二章・王国騒乱
15/16

~第三部・学園都市~

 ミレナシーシャ渓谷での襲撃以降はまるで嘘のように何事もなく日が過ぎていた。

 リューデカリア王国を追われる様に出立してから2週。

 既に季節も(アスルークス)から(アクリプス)へ移り変わりつつあった。

 にも拘らず、リオン達の頬をなでる風は僅かな湿気を含み、涼やかな風は春先のようですらある。

 “学園都市”ネーブルラート。

 中央のヴァラステア国立魔術学院を中心に同心円状に広がり、内側は貴族等の邸宅や学生寮、雑貨店に魔導具店などといったお店が区画ごとに立ち並ぶ内周4区からなる、学生の為の町。

 外側は冒険者や魔術師達が働くギルドや酒場などが集まる外周区は旅人の町。

 色彩も内周区は比較的落ち着いた白と緑のコントラストが目立つ清潔感のある町並みだが、外周区はやや煤けた茶色が目立つ雑然とした雰囲気を醸し出している。

 外周区を抜けると、体格の良い男女の姿がめっきりと減り、子供の姿を多く見るようになる。

 そんな内周3区を、どうみても10代の、魔術学院の生徒らしき姿が目立つ雑踏の中、4人の男女が歩いていた。

 漆黒の、まるで|新月(エクラーシュヴァインの落日)の夜を象ったような、緩くウェーブの掛かった腰まで届くような黒髪が揺れる。

 つぶらで大きな瞳もまた黒く、陶磁器のように滑らかで、初雪の様な繊細さを併せ持った様な肌と対照的な、愛らしいという言葉を体現するような美貌が、あちらこちらに視線を向けては興味深げに隣の少年の腕を引く。

 少年はと言えば、こちらも黒く、まるで鴉の濡れ羽の様に深い、硬くい黒髪を困ったようにかきながら、見る物をそのまま映し返すような黒々とした瞳を細めているが、本人もどうやら町に興味津々の様だった。

 ぱっとみれば、顔立ちこそ似通っていない物の、髪の色や目の色から、恐らく兄妹だと思う事だろう。

 妹だろう少女の傍らには女中と思しき金髪の美女がやや後ろに控えた状態でついている。

 その目は鳶色で、周囲を物珍しげに見ていると言うよりは、危うげな主人を護るように目を光らせている様だった。

 兄の脇には軽装だが騎士と分かる水色の髪と目を持つ青年が控え、楽しげに視線をめぐらせる兄を仕方ないと言った具合に微笑ましげに見ながらも話に相槌を打っている。

 何処から見ても他国の貴族の子女兄妹とそのお付き女中と警護騎士。

 シンシア達である。

 「はぁー。すげぇな。学園都市って名前もあながち嘘じゃないって事か」

 「ですわね。あ、お兄様、あれはなんでしょうか?」

 興味深げに見渡すリオンの隣で、シンシアがお店を見ながら問いかける。

 店先に所狭しと並べられた杖や、宝石ではないが、綺麗な色をした石がはめられたアクセサリーが並べられた、武器屋とも装飾店ともいえないなにかだ。

 その疑問には女中に扮しているエレストアがよどみなく応える。

 「シアンお嬢様、あれは魔導具店でございますわ。学生向けにマジックアイテムや素材を販売しているようですね」

 「じゃあ、あれは?」

 リオンも先ほどから気になっていた服屋だが、どこか装いの違う雰囲気――具体的にいえば服の色が全体的に暗く、おどろおどろしい――のお店を指差しながら隣の騎士に問いかける。

 「服屋、しかもマジックアイテム系のな」

 扮するまでもなく騎士であるスゥが、得意ではない魔術系のお店を知っているとは思えなかったが、しかし、服は服でもマジックアイテム化されている服ならば立派な防具である。

 武器、防具に関しては魔術も関係なく勉強しているのだった。

 「色々あるんだなぁ」

 愉快気にシンシアと顔を見合わせながらリオンが呟いた。

 ――どうみてもおのぼりさんの辺境貴族の子女のそれである。

 「そういえば、このまま学園に行くのか?」

 大通りを歩き、第3区から第4区に入るという看板標識を横目に見ながらリオンが問いかける。

 どうやら第4区は学生寮や、地元貴族が子女の為に用意した別荘などが立ち並ぶ住宅街のようだった。

 大きめな建物が目立ち、そのどれもが学生寮と明記されている。

 やや小さい建物もあるが、リューデカリア王国で見た村では一つも見かけないような大掛かりで、所々に豪華さのにじみ出るような設計は貴族の趣味だろう事が想像できた。

 「いえ、アイリス殿から、先に潜伏先に顔を出すようにと」

 学生寮や貴族の別邸の間にぽつぽつと立ち並ぶ八百屋や定食屋はどこも盛況の様で、近隣の学生という固定客がついているようだ。

 それらを横目に見ながらエレストアが答える。

 「場所は第4区の端だそうなので、もうすぐ見えてくるはずなのですが」

 エレストアがそこで言葉を切る。

 その意味は、すぐにリオンにも理解できた。

 「――うわ……何あれ。でっけぇ」

 思わず呟かずにはいられない。

 何故なら、視線の先には他の学生寮や別邸とは一線を画す様な邸宅が建っていたからだ。

 白い壁が目立つ別邸の中、真っ黒に染め上げられた壁は艶やかで、いつも手入れが欠かされていない事が一目で見て取れる。

 所々に白い装飾が施されており、植物でつくられた文様の様だった。

 しかし、ごてごてと装飾された他の別邸や趣味の悪い貴族用ともいえるような装飾過多な学生寮に比べれば、その色合いがむしろ落ち着いた格調高いものであると思えるのだった。

 「貴族のお屋敷でしょうか。しかし、中々趣がありますね」

 エレストアが他人事の様に呟く。しかし、リオンはすぐに異変に気がついた。

 「あれ?だれかこっちに向かってきてないか?」

 リオンが指し示すのは黒い屋敷。

 そこから一直線に、フードをかぶった人物がリオン達へと歩いてくるのだった。

 フードをかぶった黒ローブにはいい思い出がない4人はすぐに身構える。

 しかし、こんな街中でやりあうつもりなのだろうかと思っていると、フードの人物は目の前でぴたりと足を止め、軽く頭を下げてお辞儀をした。

 そのお辞儀に、リオンはどこか違和感を感じる。

 「シンシア――いえ、シアン。ですね。アイリスから、聞いてます」

 淡々と、黒髪の少女に目を向けているのだろう、目深にかぶったフード越しでは表情は読み取れないが、確かにフードの人物は、低くハスキーだが、女性の声でそう言った。

 「……貴方は?」

 エレストアが警戒を解かずに声をかける。

 「アイリスの、弟子。ついてきて。案内、する」

 ぶっきらぼうにそういったフードの人物が踵を返す。

 呆気にとられていたエレストアに、数歩歩いてついてきていないことに気づいたフードの人物が振り返る。

 「ついてきて」

 再びそういうフードの人物だったが、シンシア達は動かない。

 警戒から、付いて行くかどうか迷っている様だった。

 「その前に、正体を明かしてくれないか。俺たち、来るまで散々お前と似たような黒ずくめに追われてるからさ」

 リオンがそういうと、フードの人物が僅かに驚いたように肩を震わせた。

 「……そう。わかった」

 そう言って、少女はフードをぱさりと後ろへ追いやる。

 病的なまでに薄白い肌はきめ細かく、血の気が無い事を除けば相当な美人だった。

 灰色の切り揃えられた髪がゆれて、陽光に空かされて銀にすら見える。眠たそうな赤い瞳を隠すように、少女は前髪を弄る。

 その仕草が妙に可愛らしく、先ほどまでの警戒心が霧散してしまうようだった。

 「私は、コーネリア=ディディット。ネルで、いい」

 自己紹介しながら、綺麗なお辞儀で少女、コーネリアが言う。

 別の意味で呆気に取られていた一同が我に返り、慌ててそれに倣った。

 「俺は――」

 リオンが最後に自己紹介をしようとした時、じっと、コーネリアがリオンの顔を覗き込むように見る。

 「知ってるよ。“天城里桜”でしょ。よろしくね」

 にっこりと笑って、コーネリアが言った。

 その瞬間に、リオンは先ほどの違和感と、目の前の少女の得体の知れなさに思わず身構えた。

 「ど、どうかなさったんですか?お兄様」

 シンシアが不安げにコーネリアとリオンを見比べながら声をかけてくる。

 「お前、何者だ」

 リオンが低く告げる。

 エレストアやスゥも、リオンの警戒から何かあると身構えていると、コーネリアは眠そうな目をふせて首を振る。

 「アイリスの馬鹿。里桜に何も話してないんだね」

 「お、まえ……なんで俺の名前を……」

 そう、先ほどから、コーネリアはフェミュルシアの住人では発音できなかったリオンの名前を、正確に呼んでいたのだ。

 「……ああ。つい。同郷の前で、癖が出ただけ」

 コーネリアが小さく手を前に上げて言う。

 その仕草も、日本人ならばなじみの深いものだった。

 リオンは最初に抱いた違和感の正体を悟る。

 そう、あのお辞儀の仕方は日本人の物だ。

 リオンすら数週間に及ぶ生活の中で久しく忘れていた仕草だった。

 「同郷?お前、ネルっつったか、ネルも、日本人なのか?」

 期待を隠し切れず、リオンが尋ねる。

 しかしどうみても、その灰色の髪も紅い瞳も、西洋人めいた人形のような容姿も、日本人とはかけ離れていた。

 コーネリアは自身の身体に向けられた視線の意味に気づき、残念だけど、と前置きしてから応える。

 「詳しい話は、また後で。案内するけど、ついてきてくれる?」

 そう言って踵を返したコーネリアを、リオン達は追いかける事しかできなかった。




 目的地はやはり黒い屋敷だった様で、コーネリアが門を開けた瞬間に1人の若い青年が出迎えてくれる。

 「お帰りなさいませ。コーネリア様」

 燕尾服に身を包んだ、どうみても執事にしか見えない男。

 金の髪と切れ長の薄緑色の瞳に、ややとがった耳が特徴的な偉丈夫だった。

 「ただいま。あと、これから住人、増えるから」

 「はい。アイリス様よりうかがっております。黒髪の方が、リオン=アージ様とシアン=アージ様。そちらの女中がエレス様と、警護騎士のスゥ様」

 コーネリアの指示に、執事は姿勢良く礼をしてそれぞれを迎える。

 「そう。早速だけど、お茶の準備と、部屋の用意」

 「畏まりました。ではこちらへ」

 案内されるままに歩き出す4人に並ぶように歩いているコーネリアに、リオンは何気なく話しかける。

 「……なぁ、ネルってお嬢様なのか?」

 「今は違う。けど、似たような物」

 「ディディット家といえば、ヴァラステアの貴族ではなかったか?」

 エレストアの問いに、コーネリアは一瞬表情を僅かにゆがめるが、その変化に気づける物は幸いこの場には居なかった。

 「一応、爵位はある。けど、関係ない」

 心なしか、声に重いモノが混じる。

 すぐに触れてはいけない話題だと悟ったエレストアは失言したと悟り、話題を変えるように口を開く。

 「ま、まぁ、それは良いとして、ネル殿は先ほどの執事殿とここに?」

 「……セバスさんと、あと、何人か。でも、これからは貴方達と一緒」

 扉を開けながら、さっさと屋敷に入ってしまうコーネリアの後を追って、リオン達も屋敷に入る。

 中は外観の黒とは一転して白く、所々に並べられた装飾品は蒼と金の意匠を施された陶器であったりと、清楚でありながら気品に溢れていた。

 床に敷かれた絨毯は見るからに柔らかく、リオンには土足で踏み入る事が躊躇われたが、他の面々がぞろぞろと何の躊躇もなしに踏み込むので、リオンも諦めて歩きだす。

 全員が入り終わると、コーネリアが扉を閉めて鍵をかける音がホールに響いた。

 「へぇ。ネルはシンシアと同い年位だよな?」

 「だいだいそう」

 素っ気無い調子で言うコーネリアは一見無表情だが、瞳の奥は何か言いたげな雰囲気に揺れていた。

 しかし、そんな事にはリオンが気づくはずもなく、ただ単に、自分より年下であるという予想が正しかったと言う確認にしかならなかった。

 シンシアと同じ位だというのなら、コーネリアは14歳程度なのだろう。そうなると、この町にいる意味がまた違ってくる。

 「じゃあ、ネルも一緒に学校に行くのか」

 問いかけるリオンに、コーネリアは一つ小さく頷く。

 「そうなる。と言っても、僕は既に在学生だけど」

 「ああ、俺達が編入って事になるんだもんな」

 それもそうだ。とリオンは内心で納得する。

 恐らくはこの案内人がいる事を踏まえた上で、アイリスはヴァラステア魔術学園に留学して潜伏する事を提案したのだろう。

 「分からない事があれば、僕に頼ってくれれば、良い。一応、シアンの護衛も、兼ねてるから」

 眠そうな紅い瞳がすっと細められて、シンシアを一瞥するが、その瞳はただ眠そうと言うだけで、それ以外の感情を見出せない。

 「そうか。しかし、学生と言う事は戦いに出たことはないのだろう?」

 確認するように問いかけたエレストアに、コーネリアは僅かに悩むような仕草をした。

 「ある。それと、僕は学生だけど、アイリスの弟子」

 まるで、どこまで伝えれば良いか迷っている様子だったが、一応の着地点を探し出した様だった。

 「そうか。ならば安心して任せられるな」

 スゥが笑いながら言うと、コーネリアは信用していないだろうという疑惑の目を向けながらも困ったようにスゥを見返した。

 「入学手続きは多少時間がかかるから、それまでに、この街に慣れておくと良い」

 そんな会話をしていると、先ほどの執事が階段を下ってくるのが見える。

 「お荷物をお預かりいたします。全て責任を持ってお部屋へ運ばせていただきますので、ご安心ください」

 そう言って深々と頭を下げる執事を、思い出したようにコーネリアが紹介する。

 「そう、そう。彼は、ここの執事長(バトラー)のセバスさん。って言っても、彼のほかには、女中(メイド)が2人と、執事見習いが1人しか、居ないけど」

 「ご紹介に与りました。セバスチャン=ランドルフと申します。何か御用がございましたらセバスとお申し付けください」

 そう言って再び優雅に礼をしてみせる執事――セバスチャンに、リオンは内心で感動してしまっていた。

 フィクションでの執事にありがちな名前であるセバスチャンを本名として、しかも執事という誂えた様な職業の人が目の前に居る。

 しかも、見るに典型的なエルフの様なその容姿に、リオンは改めて感動したのだった。

 「ついで、だから。皆に集まってもらってください。一応、紹介しておかないと」

 「畏まりました」

 そう言って、セバスチャンが何処からともなく取り出した銀色のベルを鳴らす。

 澄んだ良い音が二、三度響くと、ややあって、奥の扉から黒の裾の長いメイド服を纏った白色のリボンで、編んだ緑色の髪を留めた女性がぱたぱたと駆けて来る。

 整った、美人と言うよりは愛嬌がある女性の顔は楽しそうで、藍色の瞳はくるくると輝いていた。

 「はいはい。執事長。お呼びですかいな?」

 そして、二階からも音もなくもう1人の女性が降りてくる。

 先に出てきた女性と顔が瓜二つだが、しかし、楽しげな女性が白いリボンなのに対し、こちらの無表情の女性は黒のリボンで髪を留めていた。

 「……呼びました、か?」

 そんなそっくりな双子女中に驚いている一行だが、2階からまだ誰かが下ってくるのを見とめてそちらへ視線を移す。

 階段を下ってくるのは、燕尾服にも似た制服に身を包んだ、12、3歳とも見える桃色の髪の少年だった。

 幼い顔立ちには緊張がありありと浮かんでおり、慌てて階段を下ってくる様は見ている側がはらはらさせられる。

 「はい、ただいま――うわぁ!?」

 そんな心配が見事に的中し、少年はあと少しで階段を降りきるといったところで盛大に転んだ。

 顔から落ちなかっただけまだよかっただろう。強かに腰を打ちつけた少年は涙目になりながらもすぐに跳ね起きて、並んでいる女中の隣に立つ。

 呆気にとられているシンシア、リオン、エレストア、スゥだったが、逆にコーネリア達にとっては日常茶飯事らしく、動揺らしい動揺もないままに話が進められる。

 「先に、紹介するね。今盛大に転んだ子が、我が家の天然どじっこ執事、アルフレッド。愛称は天然執事」

 コーネリアの眠たそうなじと目が少年、アルフレッドを一瞥すると、アルフレッドは泣きそうな顔で抗議の声を上げた。

 「ひ、酷いですよぉ!ネルお嬢様!ぼくはドジじゃないです!」

 「そうですね。主な職務はリオン様、ネル様のお付きの世話や給仕です。天然アル君は執事見習いですが、やれば出来る子ですので皆様も温かい目で見守っていただければ幸いでございます」

 アルフレッドの抗議など意にも介さず、セバスチャンが後の言葉を引き継いで一礼する。

 見事なまでの仕草でフォローしてみせたと言わんばかりのセバスチャンに、救いの目を向けていたアルフレッドは肩からがっくりと力が抜けてしまっていた。

 「せ、セバスさんまで……ひどい」

 落ち込んでいるアルフレッドを無視して、セバスチャンの紹介は続く。

 「続けて、こちらの白のリボンがアンリ、黒の方がクロエです。見分けづらいですので双子で結構ですよ」

 「ご紹介に与りました。アンリですよ。主な仕事はお嬢様方のお食事のご用意と給仕、お嬢様方の身の回りのお世話を担当してますね。宜しくお願いしますよっと」

 「……クロエ、です。主な仕事、は……館全体の衛生管理。掃除、洗濯、庭の手入れ、やってます。よろしくおねがいしま、す」

 全く同じ顔が、表情と声のテンションを真逆に自己紹介する様は中々お目にかかれるものではない。

 「何かすげぇ濃いなここの人って……」

 「同感」

 「否定は、しない」

 これには彼らの主らしいコーネリアも同感らしい。

 リオンとスゥの発言に肯定を示しながら、赤いじと目はリオン達に今まで苦労を訴えるかのように僅かに細められた。

 「こちらの事情は知っているのか?」

 エレストアがあえて気にしないようにセバスチャンに尋ねると、またしても深く丁寧なお辞儀で対応される。

 「アイリス様よりお伺いしております。こちらの者達は皆信用の置ける者達ですので、アニテベルカ様も女中に扮する必要はございません」

 「そうか。だが、いざぼろが出ないとも限らない。こちらに居る間は女中の仕事も勉強しておきたい。可能か?」

 「そういう事でしたら、習いたい時にアンリの仕事を手伝っていただけましたら」

 「了解した。では、荷物を頼む」

 そう言って馬車から降ろしてきた荷物を示すと、アルフレッドがピッと、姿勢を正して一礼して応じる。

 「はい!確かにお預かりいたしました!」

 「皆様は部屋の支度が整うまでの間、談話室でお茶のご用意を致しますので、どうぞ、御寛ぎ下さい」

 「お願いしますわ。セバスさん」

 シンシアが慣れた仕草で礼をすると、セバスチャンはその美貌に暖かな笑みを浮かべて先導する様に歩き出す。

 「畏まりました。では、こちらでございます」




 案内されたのは、玄関ホールと同じくシミ一つない白い内壁の部屋だった。

 緑を基調とした調度品が並び、大きな面には一面を埋めるような絵画が収まっている。

 装飾品はどれも年代モノではあるが、しっかりと整備されている為に、必要以上の汚れは一切感じられない。

 それは見る物に、圧倒的な財力と気品を感じさせるに相応しい部屋だった。

 「すげぇな」

 ぼそりと呟かれた声はリオンかスゥか。

 どちらだったとしても、対して感想は変わらないだろう。

 そんな中を、シンシアは当たり前の様にセバスチャンについて歩き、ひかれたイスに優雅に腰掛ける。

 その後にコーネリアが続き、漆喰だろう綺麗な艶のあるテーブルと、同じく揃えられただろう漆黒色のイスに腰掛けた。

 まさしくお嬢様といった所だろうか。

 仕草の一つを取ってみても、部屋の内装と見事にかみ合ってしまうのである。

 白と緑の中、黒く存在感をアピールしている高価な黒のテーブルに、漆黒の髪を背まで流した陶磁器のように滑らかで、雪のように白い肌の美少女が腰掛け、その向かい側では灰色の、光の加減では銀にも見える様な髪を靡かせた赤い目の少女が腰掛けている。

 スゥとエレストアは騎士として同席する訳には行かないが、リオンは一応は“シアンの兄”である。

 「リオン様。こちらへどうぞ」

 セバスチャンが優雅に先導するのを、ちぐはぐな動作でリオンが追う。

 その様子に見かねたコーネリアが小さく笑ってリオンに声をかける。

 「ふふ。いや、そう硬くならなくとも、誰も里桜に貴族のテーブルマナーを覚えろとは言わないさ」

 「あ、いや……でも、一応覚えておいた方がよくないか?シアンの兄として」

 リオンが弁解するようにしどろもどろになりながらも応えると、シンシアも全面同意とばかりに手を叩いた。

 「そうですわね。家督は兄が継ぐ物とお考えになるでしょうし、お兄様もそれらしく振舞えた方が、違和感はなさそうですわ」

 ふわり。と。まるで花の様に笑う“妹”に、リオンは言い訳にしては退くに退けない状況を自ら作ってしまったと早々に悟った。

 「あ、ああ!頑張るよ!俺!」

 その様子に、セバスチャンはにこりと笑う。

 笑顔がこれほど怖いと言う事を、この瞬間、リオンは生まれて初めて知ったのだった。

 「そうですね。私でよろしければ、リオン様に1週間ほどで完璧な上流階級のマナーという物をお教えいたします」

 「そうだな。頼めるか?セバス」

 「畏まりました。それでは、明日から、一般的な所作についてから始めましょうか」

 リオンが口を挟めない所で、エレストアとセバスチャンはどんどん話を進めていってしまう。

 エレストアとて、王族警護を任されるくらいには王家と馴染み深い家の出である。

 この場で純粋に貴族とかかわりのない者は、リオンを除けばスゥしかいないのだった。

 「な、なぁ、スゥ……」

 藁にも縋るような気持ちでスゥを見るリオンだったが、スゥのその目が雄弁に物語っていた。

 “俺、騎士でよかった”と。

 「裏切り者め……」

 「頑張れよ。リオンお坊ちゃま」

 「ぐっ!」

 「スゥ、主に対して何だその口の利き方は」

 横で立っていたエレストアがスゥを睨みつける。

 仮にも主に対しての口の利き方が杜撰ともなれば、騎士の品性を、ひいてはその家の品性を疑われてしまうからだ。

 「はっ!?あ、アニテベルカさん!それは、そのっ」

 リオンに続き、スゥまで狼狽しながら弁解する様にエレストアの姓をとっさに呼んでしまう。

 それを聞いてエレストアはさらにこめかみの筋を浮き立たせてスゥを睨む。

 「それに今の私はただのエレスだ。正確には、エレスティナ=レーヴィスだ。分かったな」

 そう、王家に近い家名など、敵方には知れていて当然なのだ。

 故にこの場で偽名を使わないものは、存在を知られていないリオンや、そもそも一兵士に過ぎないスゥくらいなのだった。

 「はい!レーヴィスさん!」

 「よろしい」

 スゥの懇親の敬礼に、エレストアはニヤッと笑って頷いた。

 そうこうして居る内に、いつの間にか姿を消していたセバスチャンが入室してくる。

 銀色のワゴンを押して入ってくるセバスチャンの歩みはよどみなく、慣れ、洗練された所作を見せ付ける様でもあった。

 ワゴンの上には小さな食器の音を立てて、シンシア、コーネリア、リオンの分だろうティーセットと何種類かの茶菓子が載っている。

 「アフタヌーンティーでございます」

 セバスチャンがティーセットをなれた仕草でそれぞれの前へ置き、お茶を注ぐ。

 途端に目が覚めるようなスッとする匂いが鼻腔をくすぐり、ミント系の爽やかな香りが湯気と共に立ち上る。

 並べられたお茶菓子はスフレに似ており、未だに焼きあがったばかりだろう事を証明するかのように容器から溢れんばかりに膨らんでいる。

 他にも、干したラズベリーに似た粒が入ったクッキーや、色とりどりの果物をふんだんに盛り付けたタルトの様なものまでが、溢れんばかりに並べられる。

 そのどれもが一級の素材を使い、技巧を凝らされた事は想像に難しくなく、そういった物になれているはずのシンシアですら目を輝かせている。

 ただし、そのどれもがリオンにとってはただの食べ物でしかないのだが。これでは職人だろうと料理人だろうと形無しである。

 そこそこにお腹の空いていたリオンは一番近いクッキーに手を伸ばし、普通に咀嚼して飲み込んでしまう。

 「中々おいしいなこれ」

 などといいながら、次々に口に運ぶリオンに、エレストアは絶句を通り越して閉口してしまう。

 隣に居るスゥなどは、既にリオンがどういう人物かをある程度分かっている為、やれやれと首を振るのみで特に何も言うつもりはない。

 シンシアはただその食べっぷりに感動して次から次へとお菓子を手渡しだす始末で、コーネリアは素知らぬ顔でタルトを頬張っている。

 しかし、その顔は満足気で、よほど甘い物が好きらしいというのが手に取るようにわかった。

 こうして、見る物が見たら卒倒しかねない、突っ込む者の誰も居ない恐ろしいアフタヌーンティーの光景が繰り広げられていった……。




 夕食も終え、日は当に暮れてしまって、リオンは割り当てられた広々とした部屋で、天蓋付きのキングサイズのベッドに仰向けに体を投げ出していた。

 「ふわぁ……まさか、ここまで良い所だなんて予想してなかったな」

 独り言をつぶやくリオンは、既に風呂を済ませて用意されていた寝巻きに着替えている。

 そう、この邸宅には、上流貴族しか使えないといわれた風呂があったのだ。

 しかも、デザインが何処となくリオンの住んでいた元の世界に酷似していて、何だかんだでリラックスして今に至る。

 久しぶりの緩やかで安全な夜に、リオンはまどろんだ面持ちでまぶたが自然に落ちてくるのを待っていた。

 ――コンコン。

 控えめだが、確かに聞こえたノックの音に、リオンは沈みかけていた体を起こして戸に向かう。

 静かにあければ、シンシアよりはやや高いが、それでもリオンには及ばない小柄な少女の灰色の髪が目の前に飛び込んでくる。

 「なんだ。ネルか。どうしたんだ、こんな夜更けに」

 そう言って招き入れたリオンだったが、昼間とやや様子が違う事に遅れながらに気づく。

 まどろんだような眠そうな目はしっかりと開き、表情にも色が窺えるのだ。

 迷うような、しかし覚悟を決めているような、そんな表情が、今のコーネリアにはありありとうかんでいる。

 「里桜に、話があってきたんだ」

 やや少女に似合わないハスキーな声だが、昼間のどこか夢見心地な様子とは変わったしっかりした口調でリオンにそう告げる。

 「ああ。俺も聞きたい事があったんだ」

 「たぶん、それは僕の話と一致する事だよ」

 そう言ってリオンに応じ、ベッドに腰掛ける。

 その隣に腰を下ろしたリオンに、コーネリアはふぅっと息を吐いた。

 それは深呼吸だったのかもしれない。告げるべきか、迷った末に、最後の覚悟を決める為の。

 「で、話って何だ?」

 心境の整理がついた頃を見計らって、リオンが尋ねる。

 さすがに自分から切り出すのは難しいだろうと言う、リオンなりの配慮だった。

 コーネリアもしっかりと頷いて、リオンの夜の闇に溶けそうな程の黒い瞳を覗き込むように見上げる。

 「僕は、君と同じ世界から来た。日本人だ」

 「――やっぱりか」

 リオンも、薄々は気づいていた。

 コーネリアが最初に言った同郷という意味や、所々に見せる所作、そして、この屋敷の各所に見える、現代らしさ。

 それらが、リオンのコーネリアに対する違和感の外堀を埋めるのを手伝った。

 しかし一番の理由は違う。

 「だって、ネルって最初から俺の名前、ちゃんと言えてる(・・・・・・・・)し」

 そう、最初からコーネリアだけが、この世界の人間では発音できなかった里桜の名を呼んでいた。

 コーネリアはふっと表情を和らげて、それに応じる。

 「ああ。なんだ、やっぱり気付いてたんだ。里桜って案外勘が鋭いね」

 肩を竦めるコーネリアに、里桜はふてくされたように顔をそらす。

 「案外は余計だろ」

 「ふふ。ごめんごめん」

 「んで、その見た目はなんだよ。魔術か?」

 コーネリアに視線を戻し、観察するようにしながらリオンが問いかける。

 肌はまるで血が抜けてしまっているかのように青白く、しかし不健康そうには見えないのが不思議なものだ。

 髪だって日本人であればありえない、脱色では決して出せない色の灰色で、それが余計に地毛である事を主張している。

 瞳の色は言わずもがな、西洋人めいた顔立ちはどうみても日本人、ハーフですらありえない。

 「違うよ。僕の場合、君と違って魂だけがこっちに来ちゃったみたいなんだ」

 胸に手を当てて答えるコーネリアに、リオンは小さくつぶやくように返す。

 「……所謂、転生。ってやつか」

 「飲み込みが早くて助かるよ」

 「まぁな。もう異世界だなんだって色々見ちまったし、転生くらいならもう今更って感じだ」

 どさっと、何かを投げ出すようにリオンは仰向けにベッドに倒れこむ。

 それを横目で見ながら、コーネリアは愉快そうにリオンに顔を向けて、暗がりの中でも分かるような柔らかな微笑みを浮かべた。

 「ああ。確かに。でも、僕もこんなに早く同郷に、しかも生身で超えてくる人に会えると思わなかったよ」

 「俺もここまで早く同じ世界の人間に会うとは思わなかったな。まぁ、転生ってのが予想外っちゃ予想外だが」

 リオンの感慨深そうな言葉に、コーネリアは今更気付いたと言う風に小さく戸惑い、それから困ったように口を開く。

 「あ。僕人間じゃないです」

 「は?」

 リオンが頓狂な声を上げる。それはそうだろう。元同郷が人間以外の何だと思うのだろう。

 「所謂半吸血鬼(デイライトウォーカー)。というやつで。アイリスは始祖の吸血鬼(ヴァンパイア・オリジン)って種らしいけど」

 「いや、ちょっとまて、俺そんな話聞いてないし、っつか、吸血鬼なのに日光大丈夫なのかよ。アイツ普通に外出歩いてたぞ!」

 ガバッと起き上がったリオンに肩をつかまれ、コーネリアは首ががくんがくん揺れるのを耐えつつリオンに放すように手で示しながら、一応は話を進める。

 「ああうん。その説明をするには、そもそもこの世界の吸血鬼(ヴァンパイア)って種について説明しないといけないんだけどね」

 漸くリオンが手を離し、収まった揺れに安堵しながら、コーネリアは緩やかに言葉を続けた。

 「マニトは元々無か火属性をもって生まれることが多いんだけど、たまに、無のほかに、闇属性をもって生まれる人がいるんだよね。……で、闇属性って、他の属性と相性が良過ぎちゃって(・・・・・・・)、成長するにつれて他の属性を飲み込んじゃうんだよね。で、飲み込まれて属性が闇のみになってしまうと、極端に光――日光に対する耐性が低下しちゃうんだ。そうした人たちを、吸血鬼(ヴァンパイア)って言うんだよ」

 「ふぅん……じゃあ、なんでネルやアイリスは日光が平気なんだ?」

 「僕の場合は、元々この世界には光っていう属性はなくて、無の中に含まれるとされるんだけど、異世界人はどうも光の属性を持っている事が多いらしくて、光って闇と相反するから、闇も光属性だけは飲み込めないんだ。で、僕の場合は魂に光の属性を持っているから、お互いを相殺しあって、闇の属性を扱える吸血鬼だけど、日光も平気。って中途半端状態になったんだ」

 「なんかすげぇな。ってか、俺も光属性かもしれない」

 自分の、魔術だと言われた状態の変化の状況を思い出して、リオンはハッとなって口に出す。

 コーネリアも否定することなく、むしろ確信を持った頷きで持ってそれに応える。

 「だと思うよ。アイリスに聞いた話じゃ、里桜は光の剣で戦うんでしょ?」

 「ああ。……ってそうそう。アイリス。あいつはなんで平気なんだ?」

 「それは僕も聴いた話なんだけど、なんでもアイリスは元々の闇属性の始祖、つまり、闇の属性を生み出した張本人らしくて、欠片には欠点があって光は呑めないし弱くなるけど、アイリスみたいに完全な闇は全てを凌駕して飲み込むから、光だって平気なんだってさ」

 「光すら飲み込む闇な……たしかにアイリスの魔術ってそんな感じだな」

 毎回一瞬ではあるが、何度か見る機会のあったリオンの印象では、あの生温く先の見えない闇は確かに、全てを飲み込むにふさわしい暗さや黒々とした物を持っていたように思う。

 「だよね。まぁ、僕らの話は追々するとして、とりあえず、里桜には僕が同郷の味方である事を知っておいて欲しかったんだ」

 「そっか。サンキューな」

 つい癖で言ってしまったリオンに、コーネリアは嬉しそうに笑いながら手をとった。

 「あは。それ久しぶりに聞いた」

 「実際いつ振り?」

 「14年振り」

 「うわー。長後無沙汰じゃん。マジで大丈夫だったのか?」

 心配すると言うよりは、興味が先にたつリオンの言い方だったが、コーネリアは全く気にならなかった。

 むしろ、話の分かる相手と雑談できるこの現状が、どうしようもなく楽しいのだと言わんばかりだ。

 「うーん。色々あったけど、これでも結構充実してたよ?実際性能チートって方々で嘆かれたし」

 「あっはっは。確かにこの性能はチートだよな。魔力量が多いのって異世界人特有?」

 「アイリスが言うには、向こうの世界はこっちに比べて濃密なマナがあって、その環境で過ごした僕らはマナの器がこちらの世界の人の数倍はあるんだってさ」

 「なるほどねー」

 アイリスから聞きかじった知識だと前置きされているが、確かにそういう理由なら共通点があるのも納得がいく。

 「こっちの世界じゃマナはそんなに多くないから、多用と過信は厳禁だけどね」

 体内マナは休めば回復するらしいが、元の世界に比べてマナの薄いフェミュルシアでは、周囲から吸い上げるマナも薄く、回復が遅いらしい。

 「そっか。色々と助かったよ。これからも、何か分からない事があれば聞いて良いか?」

 改めて手を差し出すリオンに、コーネリアはすぐに握手に応じて微笑みかけた。

 「うん。異世界生活長いからね。相談に乗れることも多いと思うよ」

 「助かる。っつか、ネルは何で僕口調なんだ?なんつうか、異性と話してる気にならないんだが」

 「あ。うん。だって転生前僕男だったし」

 「はぁ!?」

 ここへ来て、一番の爆弾発言だとリオンは思う。

 「ちなみに享年26歳。独身」

 「うわ。聞かなきゃ良かった。すげぇ年上じゃん」

 爆弾は爆弾でも地雷級に性質の悪い爆弾だった。

 「うっさいなぁ。僕だって好きで独身貴族だった訳じゃないよ。それなりに充実してたし……さ」

 「あ、悪い……なんか――」

 一瞬寂しげに、遠い目をしたコーネリアに、リオンは狼狽して何か気の利いたことをいえないかと思案していると、コーネリアのほうから首を振って小さく笑う。

 「いやいや。大丈夫だよ。どうせ親も他界してるし、友達って言っても職場仲間だから、呑みに行く位しか付き合いなかったしね」

 「そっか。でも、気にならないのか?」

 「いやー。だって僕は死んでこっちに来てるからさ。今更帰れますよって言われてもむしろ困る?それなりに異世界ライフエンジョイしてるしね」

 転生と言う形で、ある意味もとの世界に未練を残せない状況だからこその考え方、割り切り方だろう。

 実際に、リオンにそういう判断ができるかと言えば、恐らくはできない。

 「うわーそれは羨ましいなぁ。俺なんて帰ったら休んでる分の勉強とか試験とか、っつか卒業できるのかなぁ……」

 「あー……なんていうか、うん。いっそこっちで暮らせば?その方が命の危険はあってもつぶしは効くよ?」

 「聞きたくなかったそんな格言」

 冗談めかして言っているが、目にはどこか本気っぽい空気が混じっていて、リオンは思わず半身引いてしまった。

 「まぁ、転生者と召還者じゃ考え方も違うしね」

 あっさりと引き下がったコーネリアに、リオンはそっと胸を撫で下ろす。

 「でも参考にはなったし、心強いよ」

 そう言って微笑んだリオンに、コーネリアは小さくうなずいて応え、そういえばと話題を切り替えるように話を振る。

 「魔法、使いたいんだって?」

 「ああ。魔法っつか、魔術だろ?」

 リオンは、この世界では魔法は既に失われ、人間が扱えるのは魔術であると聞いている。

 しかし、コーネリアは緩やかに首を振ってそれを否定した。

 「いや、僕らには魔法でだいたいあってるよ」

 「どういうことだ?」

 「僕らの属性はそもそもこの世界には存在しないし、マナなんかも普通に見えてるでしょ?」

 「ああ。うん。それが?確かに驚かれたけど」

 「マナが直接見えて触れるってことは、好きに魔法を構成できるって事なんだ」

 「っつー事は、俺も魔法が使える?」

 「自分の発想力と器用さ次第ではいくらでもね。オリジナル魔法万歳。だよ」

 「なにそれ、すっげーやる気出てきた!」

 思春期の頃に誰もが一度は訪れる病気がある。

 しかし、それは実行できないからこそ病気であり、実行できる手段が確立されてしまえば、それはたちまち力になるのだ。

 リオンとしても男児に生まれたからにはそういった願望もあるのだった。

 「ただし、ヴァラステア魔術学院じゃ使えないけどね」

 「え。何で?」

 忠告のように指を立てて言うコーネリアに、リオンは首を傾げる。

 魔術学院なのに魔術が学べないと言うのはどういうことだろう。

 「あそこで教えてるのは一般的な魔術で、形式に則った状態の雛形魔術しか教われないから」

 「えー。……ってか、それってかなり俺らにとって意味ないんじゃないか?ネルは何で学校行ってるんだよ」

 「学園生活楽しいし。あとは普通に魔術の勉強かなぁ。色々普通の技術知っておくのも為になるしね」

 「まじめだなぁ……」

 「案外楽しいんだよ?ほら、魔術も魔法もなかった世界出身としては、夢と希望が詰まってるって言うかね」

 確かに、友人を作って馬鹿騒ぎしたり、学校の帰りに一緒に遊ぶのは学生として当たり前だったが、異世界に来てからはそういう事とは縁遠くなってしまっていた。

 「ああ。それはすっげぇよく分かる!」

 「だろ!?よかったら僕が開発した光魔法。教えてあげるよ」

 「いいねぇ!是非頼む!」

 リオンは既に、コーネリアとも学校が始まる前から学友になった気分だった。

 「じゃあ、学校が始まるまでには一応の魔術の基本知識とかを勉強しながら、僕らの魔法について勉強しようか。アイリスからもそうしろって言われてるし」

 「え?なんでアイリスが出てくるんだ?」

 「ああ。吸血鬼化した僕を拾ったのがアイリスでさ。アイリスは僕の事情も知ってて、今回の件にかませに来たから、ついでに先輩として魔法教えとけってさ」

 「なるほどな。道理で簡単に同郷の奴と会えると思ったよ」

 しみじみとアイリスの手腕に驚いていたリオンに、コーネリアも同調するようにうんうんと頷く。

 「すべてはアイリスの手のひらの上。とかだったら嫌だよねぇ」

 「それはぞっとしないな」

 二人してひとしきり笑った後、コーネリアは腰掛けていたベッドから立ち上がった。

 「……じゃあ、今日のところはこれで。あまりにも長居すると勘繰られちゃうし」

 「何が?」

 ドアの方を一瞥しながら振り返るコーネリアに、リオンは首をかしげた。

 そんな純粋で警戒心のないリオンに、コーネリアは密かに意地の悪い笑みを浮かべて耳元で囁く。

 「夜に女の子が男の子と一緒の部屋にいて、想像する事なんて決まってるんじゃない?」

 「なっ!?」

 赤面してコーネリアを見返すリオンに、思わず噴き出したコーネリアが手を振って冗談だと否定する。

 「大丈夫だよ。僕だって元男だ。さすがに身体が女ってだけで男に抱かれる趣味はない」

 その発言に、確かにそうだと納得したリオンだったが、コーネリアに悪戯っぽい笑みが浮かんでいる事で再び身構えた。

 「でも、本気で愛してくれるなら、男が求める理想の女の子として受けて立つよ」

 「願い下げだ。ばーか」

 頬を軽くつねりながらリオンが笑い飛ばす。

 コーネリアも、つねられた所為で僅かに赤みの差した頬をさすりながらも笑ってそれに返した。

 「あはは。こちらこそ、14年女の子してようが26年男だった感覚は消せねーよ。ばーか」

 そういって扉に手をかけるコーネリアに、リオンが後ろから声をかけた。

 「おやすみ。ネル」

 「ああ。おやすみ。里桜」

 お互いに短く挨拶して、コーネリアが部屋から出て行く。

 静かな、静寂だけが部屋に残った。

 「あー。楽しかった。……なんか、いいな。こういうの」

 コーネリアとじゃれあった所為で、リオンの体は良い感じに疲労感を訴えていた。

 ベッドに横になれば、すぐにまぶたが閉じて開かなくなる。

 深い闇の中に沈み込むような錯覚に、リオンは身を任せて落ちていった。




 ――。

 リオンの思考が、急速に覚醒する。

 閉じた目蓋の外は既に明るく、日が昇ってきているのだと、寝起きのやや鈍った思考が告げていた。

 「朝でございますよ。リオン様。起きて下さいませ」

 耳元で、そう声がした。

 ――ガバッ。と、跳ね起きるようにいつのまにかかけられていた掛け布団を剥ぎ取って上半身を起こすと、そこには金髪の美貌の執事が控えていた。

 「おはようございます。モーニングティーをどうぞ」

 そう言って、昨日とは違う薄金色の意匠が植物のように線を描いたカップに、仄かにオレンジ色をした半透明な液体が湯気をまとって注ぎいれられてゆく。

 「え……?あ。おはよう」

 「はい。おはようございます。本日のモーニングティーは、よく目が覚めますよう、ライリアの実を使った舌触りの良い爽やかな物を淹れております」

 そう言ってソーサーに乗せたカップを差し出すセバスチャンに、リオンは未だ寝ぼけた頭のままにカップを受け取り、口をつける。

 すると、ミント系の爽快感と、仄かな甘みを含んだ暖かさが舌を通して伝わり、眠気が霧散してゆくようだった。

 眠気が消え、状況を正しく認識しはじめると、この状態が如何に異常かに思い至る。

 「セバスさん。おはようございます」

 改めて見上げれば、セバスチャンはおかわりは如何ですかと言わんばかりにティーポットを持って控えている。

 「おはようございます。リオン様。昨晩はよくお眠りになられたようで。それと、私の事はセバスと、呼び捨てで構いません」

 昨日と同じく、丁寧で綺麗な礼をして応えるセバスチャンに、リオンは真っ先に疑問に浮かんだ事を問いかける。

 「ああ……でも、何故部屋に?」

 「執事ですので、主人の朝のお茶をご用意し、主人を起こす事もまた仕事なのです」

 「そういう物なのか……」

 「はい。そういうものでございます」

 にっこりと、優雅な笑みを浮かべて応えるセバスチャンに、リオンはそれ以上に何も問いかけることはできなかった。

 そう、次元が違うというより、文字通り世界が違うのだ。

 リオンにとってこんな生活は初めてだった。

 着替えると言えば昨日の天然執事――アルフレッドが飛んできて、無理やり着替えを手伝おうとするのだ。

 慌てて自分でできるから良いと答えても、仕事だからの一点張りで、最後には涙目で懇願されてしまい、渋々了承したのだった。

 朝食も朝食で、女性が多いことからさっぱりした物ではあるが、それでもどの宿屋で食べた物よりも格段においしい物しかなく、やはり住む世界が違うなとしみじみと思わされた。

 そんな朝食を摂っていると、セバスチャンがコーネリアの席の後ろで控えながら、コーネリアに声をかける。

 「ネルお嬢様、本日のご予定を確認してもよろしいでしょうか?」

 「構わない。続けて」

 「畏まりました」

 セバスチャンは一礼して、どうやって覚えたのか、すらすらと今日の予定とやらを述べていく。

 コーネリアもそれを聞きながら僅かに眉を顰めたり、困ったような顔をするものの、特に反応せずにそのまま朝食を続けていた。

 その様子があまりにも似合いすぎていて、リオンが自分はとてつもなく場違いだと思っていると、コーネリアがふとリオンを見る。

 「……慣れる必要は、ないよ。僕も慣れて無いから」

 てっきりこちらの生活ではコーネリアはこれが当たり前なのかと思っていたら、それはどうやら違うらしい。

 「僕が、こういうのを好きじゃないって言ってたから。今までは違ったんだ。けど。シンシア殿下や、里桜が来るから。それらしくして、って言ったら、こうなった」

 なるほど、とリオンは思う。

 これはセバスチャンの、執事としての沽券に関わる事なのだろう。活き活きと職務をこなしているセバスチャンを見て、リオンはすぐにそう思って納得できてしまった。

 「まぁ、そうなのですか?態々私達の為に気を使わせてしまったようで、ネル様、どうぞ、私達に遠慮などなさらずに普段通りになさって頂いて結構ですわ」

 シンシアが困ったように提案すると、コーネリアはセバスチャンを一瞥して悪戯っぽく笑った。

 「だ、そうだよ。セバスも張り切るのはいいけど、堅苦しいの、なしね」

 「……畏まりました」

 酷く残念そうなセバスチャンだったが、リオンはあえて口を挟まなかった。

 これで少しでも気楽になってくれればと、やや遠い思考でそんな事を考えながら朝食を黙々と食べるのだった。




 昼食までの間、自由に過ごせるそうなので、リオンは適当に屋敷の中を散策する事にした。

 散策と言っても、大きな邸宅だが一応は街の中にあることも踏まえ、迷うほどの広さはない。

 それでもリオンが訪れた事のある家の中では最上に位置するだけあって、部屋数だけでも物凄い数が存在した。

 おまけに、玄関先の庭にとどまらず、むしろ中庭がメインだったようだ。

 中庭は中央に巨大な樹が植えられており、目を細めれば煌びやかなマナに包まれた活き活きとした物である事が分かる。

 「でっかいなぁー」

 思わず見上げながらつぶやくと、不意に自分以外にも人がやってくるのにリオンは気付く。

 振り返れば、軽鎧に身を包んだ水色の髪の青年――スゥが、鈍い色を反射している剣を持って歩いてくるところだった。

 「あれ。リオンか。どうしたんだ?」

 「そっちこそ。剣なんて持ち出してどうするんだ?」

 リオンが問い返すと、スゥは手に持った剣を素手でぺしぺしと叩きながら笑う。

 「これは刃を潰した模擬戦用の剣だよ。これを使って鍛錬するのさ」

 そう言ってスゥは一振り、剣を振る。

 その様は堂に入ったもので、実戦での動きを見た事のあるリオンですら、格好いいと思えるような自然さだった。

 「いいな。そういうの。いつもやってるのか?」

 「ああ。暇な時間は大体な。毎日やらないと意味ないし」

 「なぁ、俺も混ぜてくれないか?時間はそっちに合わせるからさ」

 提案するリオンに、スゥはニッと笑って見せる。

 「おう。そういうと思って、予備持ってきて置いてよかったぜ」

 そう言って、もう一つの包みから、似たような剣を取り出してリオンに手渡す。

 ぱっと見てわかるくらいには刃が潰され、これでは斬れそうに無いという事がよく分かる。

 しかし木刀のように素材自体が違ってしまえば重さも感覚も変わり、訓練にならないという事だろう。

 スゥの鍛錬は軽い柔軟、素振りから始まり、型のある構え、一連の動きと続く。

 リオンはと言えば、柔軟で体を解した後は素振りを始める物の、どう振って良いかわからず、一番馴染みのある剣道の構えで振ってみる事にした。

 「……戦い方はめちゃくちゃだったけど、リオンってもしかして武術習ってたのか?」

 構えが多少は様になっていたのだろう。スゥが感心したようにリオンに問いかける。

 「習ってたって程じゃないよ。学校での授業の一環でかじっただけだ」

 リオンは帰宅部で、特に部活をやっている訳ではなかった。

 それこそ所属にひっぱろうとする運動部はそこそこにあった物の、どうにも何かを目指して運動するというのは性に合わなかったのだった。

 ただ、動かしたいように体を動かすのが好きなリオンにとって、部活での上下だの、成績がどうのというのは、余剰な物に過ぎないように感じてしまう。

 だからこそ、剣道なども知ってはいるが、触れる機会は週に2度の体育の選択授業程度だ。

 様になる構えが出来るだけでもましというものだった。

 「ふぅん。ちなみにそれってどんな剣術とかって知ってるのか?」

 興味ありげに尋ねてくるスゥに、リオンは困ったように首を振る。

 「週に2回習ってただけだからな。剣道って名前と、元々は武士――こっちでいう騎士の剣術が、廃れないようにスポーツ化された競技って事位しか分からないよ」

 「なるほど。貴族の道楽用の剣って事か。確かに、しっかり構えれば隙はなさそうだけど、実用性はないよなぁ」

 実戦で構えさせてもらえる状況など、ほとんど巡ってこない事はスゥのような見習い騎士でも嫌と言うほど学園で学ぶ。

 にも拘らず特定の構え、しかもここまで分かりやすい構えをとる剣術は、よほど腕があるか、逆に無いかの二択なのだった。

 それで言うならリオンは後者だが、しっかりと剣の動かし方を学べば実戦での戦力としては申し分ない。

 なにせ、がむしゃらに振り回すだけ、駆け回るだけの剣で、ゴブリン数対を相手取っても傷一つ負わなかったのだ。

 「なぁ、スゥ。もしよかったら、俺に剣を教えてくれないか?」

 リオンの思わぬ提案に、スゥは驚いてリオンを見返した。

 スゥはあくまで見習い騎士であり、実力はあっても他人を指導できるような立場になった事はなかった。

 「え、あ。いや。別に俺は構わないけど、いいのか?俺だって見習い騎士だぞ?」

 狼狽して問い返すスゥに、リオンは真面目な顔で頷いた。

 「このままじゃいけない。この世界で生きる為には、自分の力をつけないといけないからな」

 その言葉に、スゥはハッとなる。

 リオンは必死なのだ。言葉端では冗談めかした様な事を言ってはいるが、戦い方を知らなければ死ぬと、本能的に知っている。

 生きる為に術を学ぶ事に手段を厭わない姿勢に、スゥは先ほどまでの浮ついた思いが消えるのを感じていた。

 「いいぜ、俺が教えられる事は全部教えてやる。それで足りなかったらア――レーヴィスさんに習うのもいいと思うしな。あの人は魔術剣士だから、リオンの相談にも乗ってくれると思うぜ」

 自分以上の適任として、王室警護を任されているエレストアの名前が挙がるのは自然の流れだろう。

 しかし、リオンは魔術という所でもう一人心当たりがあった。

 「ああ。その事なんだけど、俺、ネルから魔術習う事になった」

 「は?ネルさんってまだ学生だろ?だったら学園で一緒に学べばいいんじゃないのか?」

 「いや。ネルはアイリスの弟子として、学園で学ぶ以外にも魔術を教えてくれるらしい」

 アイリスの弟子、という部分で、スゥも思うところがあるのだろう。

 明らかな羨望が混じったため息が漏れる。

 「マジか。いいなぁ。俺も魔術が使えれば戦術の幅が広がるんだが……」

 「諦めろ。騎士は騎士で強いんだから」

 「まぁ、知ってるさ。俺には俺のやるべき事がある」

 励ますように言ったリオンに、スゥはニヤッと笑って頷き返す。

 「という訳で、よろしくな、“師匠”」

 「師匠はやめろよ。そんな柄じゃないし器でもない」

 二人とも、師匠は無いと思ったのだろう。笑いをこらえ切れなくなって、二人そろって笑ってしまった。

 その後、時間を合わせてリオンの剣を指導するスゥの姿が、中庭では当たり前の光景になった。




 「そういえば、ネル、エレスは何処行ったか知らないか?」

 図書室とも呼ぶべき、広々とした書庫。

 どこにそんな空間があったんだといわんばかりの蔵書量を誇る屋敷の一角で、一冊の本を片手にリオンが尋ねた。

 特に意味は無く。ただ単に見かけなかったから気になっただけ。という質問だ。

 なにせ、既にこの図書館に篭ってから数時間たっていて、元々勉強が得意でなかったリオンにとっては地獄の試験勉強を彷彿とさせた。

 そんな様子をしっかりと把握していたのか、コーネリアはため息をついて休憩とばかりに向かいの椅子に腰掛ける。

 「エレスさんは君らの入学手続きで学園に行ってる。たぶんだけど、僕の時の状況から考えて、1週間くらいは掛かりっきりになるんじゃないかな?」

 「マジか。ってことは、俺らも1週間は学校無し?」

 すぐに始まると思っていただけに、リオンは拍子抜けするような気持ちだった。

 1週間もこの調子で勉強させられれば、さすがに入学できないという事はないだろうと思ったからだ。

 「そうなるね。僕も入学前の世話とか手伝いとかって名目で学校から休みを貰ってるしね」

 「そんな事出来るのか?」

 「成績がよければ。ね」

 悪戯っぽく笑うコーネリアに、リオンは何となく納得してうなずいてしまう。

 「そんなもんか」

 「選択授業制に近いからさ。成績がよければ何も言われないの」

 「あー。なるほど。っつか、やっぱりネルは成績良いのか」

 「当たり前じゃないか。こんなチートスペックで真面目にやったんだから」

 威張るというより、何をそんな当たり前のことを。というニュアンスが強い。

 言われてみれば、そういう、所謂属性を集めただけでもコーネリアは相当に濃い。

 「だな。半吸血鬼転生魔法少女の学園モノとか、漫画じゃあるまいし」

 「むしろラノベっぽくない?」

 「あー。俺、ラノベ読んだ事ない」

 「嘘!?」

 今度は本気で驚いたようにガタッと席を立ったコーネリアに、リオンはやや泳ぎがちな目で応える。

 「ほんと。ってか、一回友達に借りたけど、活字がどうもダメだった」

 「うわー。本当に苦手なんだね」

 呆れたようにイスに座りなおすコーネリアだったが、その目には信じられない物を見るような色がありありと浮かんでいた。

 「って言うか、今更思ったけど、何かネルって俺に対してだけ態度違わないか?」

 「ああ。うん。だって下手な事口走って変な目で見られる心配ないし」

 「やっぱそういう事か」

 「うん。気にしてたらいつの間にか無口キャラ定着しちゃったからそれで行ってるけど」

 「なるほど」

 確かに、異世界から魂だけ転生した身としては、外見はまるまるフェミュルシアのものなのに、変な事を口走れば即変人扱いだろう。

 そうならない為の処世術とも言える無口だったのかと、リオンは至極普通に納得してしまった。

 そういう理由ならば、コーネリアがリオンに気を使わない理由だってはっきりとしている。

 「じゃあ、せっかくの休憩だし、学園について話しようか?」

 気分転換のつもりで振った雑談だったが、思わぬ話題のふくらみに、リオンもついつい乗っかってしまう。

 「おう。頼むわ」

 このまま勉強に戻らなきゃいいなぁなどと、心の端で思わないでもないリオンだった。

 「その前に、里桜はどんな魔術が使いたいとかってある?」

 「んー。特には。っていうか何があるのか分からないし」

 「じゃあその辺の説明からだね」

 「お願いします先生」

 茶化して笑いながら言うと、コーネリアも心得ている様で、ニッと悪戯っぽく笑って――少女の美貌でそれをやると、どこか小悪魔っぽく見えてしまうのだが――説明を始める。

 「了解。じゃあ、学科についてなんだけど、ヴァラステア魔術学院には魔術普通科、魔術特待科、聖術科、召還・使役科、魔術戦士科の5つがある」

 「聖術、召還、魔術剣士科はなんとなくわかるが、普通科と特待科の違いって何?」

 リオンの頭にすぐに浮かんできたのは、某大作RPGの呪文の数々だ。

 あれに当てはめれば召還や攻撃魔法と治癒魔法だということがすぐにわかる。

 「その辺も全部説明するね。まず、普通科は一般的で基本的な5属性とされる、無・火・風・水・地を全般的に習う、魔術師の基礎科だね。で、特待科は稀少魔術……さっきの5属性を複合させた術を扱えるだけの技量、もしくは才能を持った子が入る事ができる特別学科」

 「雷とか、氷とかか?」

 「そうだね。後は樹木の成長操作とか、砂を操ったり空間を操ったりするのも稀少属性」

 「すげぇーそんな事も出来るのか」

 感心した風に言うリオンに、コーネリアはさっき勉強したばっかりでしょうにと苦笑しつつも、説明を続ける。

 「続けて、聖術科、これは学術的には稀少属性に分類される治癒魔術の事なんだけど、聖教国が治癒術は神聖な神が齎した奇跡だって主張しててね。その兼ね合いで聖術学科って言う風に分けてるんだ。まぁ、治癒術を扱える才能を持った人が少ないからってのもあるけど。で、召還・使役科は言わずもがな、ゴーレムみたいな魔術生命体を作り出して使役したり、魔術的契約で野生の魔獣を手懐けて使役する術士の学科だね。これは圧倒的に数が少ない」

 「へぇ。何でだ?」

 やはり召還獣とかには限りがあるのだろうかなどと、リオンは何と無しに考える。

 しかし、リオンが考えた理由以外が主な理由であると、コーネリアは続けた。

 「5属性と系統が違うから。これに手を出しちゃうと一般的な魔術の習得はまず困難になる事が理由のひとつだね。まぁ、普通は3属性でも使えれば上等って感じだから、召還術と5属性の中から一つ、ってのがスタンダードかな」

 いくら召還術で優れたゴーレムを作り出そうと、自身が扱えるのは基礎5属性の中の一つでは、確かに戦術の幅が狭くなる。

 それに加えて召還術や使役術の難易度自体も高い故に、生徒数が圧倒的に少ないのだそうだ。

 「だから、さっきは選択性っていったけど、実際は複数の学科を跨って学ぶ形になるかな。例えば聖術科の生徒なら、必然的に治癒に使う無・水・土の3属性が扱える訳だから、普通科・特待科にも在籍している事になるし。召還科も、1から2属性はできれば使えたほうが良いから、普通科に混ざってる事が多いよ」

 説明から考えるに、学科とわけられてはいるが、特に垣根はないようにリオンには思われた。

 強いて言うなら在籍年数による級位上昇が上下関係になるのだろう。

 「入学時にどの学科に適正があるかの試験と、希望の学科に対する試験が行われる。で、入学したての頃は3級。必要な級位は適正学科か希望学科の1級があれば任意で卒業試験を受けられる」

 学園というよりは、巨大な資格検定会場なのかと、リオンは思った。

 「なるほど。で、魔術剣士科ってのは、俺みたいなもんか?」

 リオンとしては一番気になっていた学科である。

 もっと強く効率的な使い方が出来れば、戦闘が楽になると思ったからだ。

 「そうだね。でもこれはあくまで騎士学園との交換留学制度みたいなもので、実際ヴァラステア所属の学生はほとんど居ないよ」

 「そうなのか」

 「だって。剣術学びたきゃリューデカリアの騎士学園に入学した方が早いもん」

 リオンの期待とは裏腹に、コーネリアがあっけらかんとした調子で身も蓋もないことを言う。

 「そんなのがあるのか。俺そっちの方がよかったかも」

 「でもそっちにも魔術基礎あるよ?」

 「何で!?」

 さらっと言われた予想外の学科に、リオンは驚いて尋ね返す。

 しかし、コーネリアにしてみれば当たり前の事の様で、特に反応無くさらっと応えられてしまう。

 「魔術を使う敵が居るかもしれないのに、それを対策しないってのはありえないでしょ」

 「ああ……そういう」

 思った以上に実用的な、そして実戦的な考え方に、リオンはこの世界の学校についての認識を改める思いだった。

 リオンにとっての学校は、社会生活を送るためのステータス確保の意味合いが強く、それ以外は友達との交流の場くらいにしか考えていなかったのだ。

 しかし、この世界の学校は違う。社会生活の中に、戦場に立つ事、そして、生きて帰る事が含まれているのだ。

 これほど身の助けになるものはないと、リオンはまだ見ぬ学園生活に期待が膨らんだ。

 「だから、むしろ里桜はついていると思うよ。だって、間近でたくさん魔術を見る機会に恵まれて、しかもスゥ君だっけ。騎士の友達から剣も教えてもらえてるんだから」

 「そういうネルはどうなんだよ」

 コーネリアこそ、14年もこの世界で暮らし、学園に通っているのだ、戦闘が出来ない訳ではないだろう。

 「僕?僕は貴族の令嬢としてぬくぬく育てられすぎたからね。魔術以外は現代知識からの家事くらいしかからっきし。今は半吸血鬼の恩恵で身体能力は高いけど、それでも接近戦は勘弁かなぁ」

 「ふぅん。色々苦労してそうだな」

 魔術師としては十分すぎるスペックではあるのだが、リオンには残念ながら基準が分からない。

 リオンの中のイメージする魔術師はあくまで後ろから魔術やらをばんばん撃ちまくる印象だったが、この世界でまともに見た魔術師はアイリスしかいないので、必然的に高機動で動き回りながら魔術を撃つスタイルが定番だと解釈してしまっているのだ。

 「そうだね。でもその話はまた今度。今はさっき話した稀少属性の勉強の続きだよ。さすがにこれくらい覚えてないと話しにならない」

 さすがに、話が途切れた事でコーネリアの思考が勉強に戻ってきた様だった。

 リオンは明らかにいやそうな顔をしつつも素直に脇に追いやっていた本に手を伸ばす。

 「うげぇ。組み合わせが面倒なんだよなぁ」

 「そういわない。考えてみれば意外と分かりやすいよ。自然の摂理って言うのにも結構合致してるし」

 「うぅむ……」

 頭から湯気が出そうな程に唸るリオンを面白そうに眺めながらコーネリアは励ますように提案する。

 「ちゃんと覚えられたら実技いくから、それまで我慢!」

 「はぁい……」

 その実技に移れるのはいつになる事か。

 図書室でのリオンの格闘は続く。




 それからの数日は嵐のようだった。

 朝早くに健康志向で起こしにくるアルフレッドから逃げるように飛び起きたリオンはそのまま中庭に直行し、模擬戦用の剣を携えてやってくるスゥを待つ間に柔軟を済ませる。

 そうしてやってきたスゥの柔軟が終わり、素振りを始める。

 素振りが終わったら、最初こそ型の稽古や簡単な打ち合いだったのだが、今では完全に模擬戦の様相を呈してしまっていた。

 がむしゃらに絶え間なく、それこそ体力のごり押しで素早い剣戟がスゥに迫る。

 しかし、スゥはそれを培ってきた技術や卓越した反射神経で見事にさばき、リオンのがむしゃらゆえにむらっ気の隙を突く形で攻勢に一転、攻守が逆転する。

 そしてスゥの体力と集中力が切れた瞬間を見計らい、再びリオンが起死回生のがむしゃら我流剣術を流れるように叩き込むのだ。

 お互いの体力の差はリオンの方がやや上。しかし、がむしゃらで無駄が多く、とにかく素早さと手数で押し続けるリオンの剣は消費する体力も相応に多い。

 二人がどちらからともなく倒れこむ頃には、既に息が上がって全身汗だくになってしまっているのもいつも通りだ。

 どうやらスゥもリオンも体力の回復は早いほうの様で、アルフレッドがリオンが既に起床している事に気付いて慌てて駆け込んで来る頃には、朝日に照らされた中庭で座り込んで反省会をしているのも、ここ数日ではよく見られた光景だった。

 そんな二人にアルフレッドも最近諦めがついてきたのか、むしろ朝の鍛錬が終わる頃を見計らって中庭にやってきて、そのまま風呂を勧めるくらいである。

 そうして汗を流した二人が朝食の席に着けば、コーネリアが既に無言で朝食を食べており、シンシアも起きたばかりなのだろうが、女中達の手によって完璧に整えられた服装で、とろんとした目蓋を瞬かせながらも朝食を頬張る姿が迎えてくれる。

 リオンが鍛錬をしてお腹をすかせていることを知っているので、シンシアやコーネリアが元々小食な事を除いても3倍に近い量が盛られている。

 それらをいとも容易く食べ終われば、今度はコーネリアによる魔術・魔法のお勉強の時間だ。

 些か抜けがあるものの、稀少属性や基本属性の反発についての学習を終えたリオンは、中庭で魔法を使った戦い方をコーネリアから教わる。

 コーネリアはさすがアイリスの弟子といった所で、魔術として使える属性は基本5属性。些か水が苦手なようだが、それはしかし、一線級の魔術師からみても舌を巻く程の習得の幅である。

 稀少属性こそ闇と光しか持って居ないが、複合としてならば水が絡まない属性ならば難なく使えるそうだ。

 ただ、やはり本来の気質である闇と光の魔術――現存しない術であるがゆえに、魔法という言葉が相応しい――は凄まじいの一言に尽きる。

 アイリスの様に闇を使った転移はさすがに難しいそうだが、闇魔法や光魔法による攻撃や防御などはアイリスに追随する程だ。

 おまけに、これはコーネリア本人の弁ではあるが、マナがしっかり見えているなら詠唱は飾りでいくらでもいろんな魔法が自由自在である。とのこと。

 奇しくも春であるならばそれを理解できたのだが、残念ながらリオンは魔術の才能は無かったようだ。

 適合している属性は光のみ。かろうじて5属性も扱えるが、実戦では到底役に立たないレベルだったのだ。

 それが発覚したのは勉強に飽きたとわめきだした3日目の事だった。

 さすがに缶詰で1週間は可哀想だと判断したコーネリアが連れ出して、中庭に念入りに防御結界を張り込んだ上で行った魔術演習だったのだが……

 「炎よー……こい、こい……来い!」

 目を閉じて手を前にだし、必死に集中するリオンだ。

 周囲のマナがゆらゆらと色を変えて、仄かに赤くなったところで、ポン。という軽い音と共に、ライターサイズの小さな火が手元に灯ったのだった。

 「……いくらなんでも、これはない」

 コーネリアが苦笑とも困惑ともつかない表情を浮かべて言った一言で、リオンは完全に火がついた。

 体外魔力を使うのが魔術の基本だというが、リオン達の体内魔力は体外魔力よりも圧倒的に高い。

 ならば何故それを使ってはいけないのか。

 リオンはそう思うや否や、自分のなれた体内魔力を手元に手繰り寄せ、それを炎に変えようと集中する。

 「っちょ、さすがにその量は――」

 慌てて止めに入ろうとしたコーネリアの声が掻き消えて、炎が爆ぜた。

 逆巻く白色の炎が中庭を焦がし、防御結界にコーティングされた内部をがりがりと焼き削る。

 「うっわっ!?」

 驚いたリオンが炎の制御を手放してマナの供給を止めた事で収まったそれは、真昼の炎天の様な発光を次第に弱めて消える。

 そんな爆炎を間近で受けたコーネリアは、自身に咄嗟に展開した闇の防御術式を額に青筋を浮かべたのだった。

 それから、リオンに徹底的に魔術の基礎となるマナの扱いや、マナに関する知識を改めて叩き込み、ようやっと魔術らしくなって着ていた。

 漸く問題も解決したが、思わぬ収穫もあった。

 それは、リオンは基本5属性は苦手だというのに、自分の周囲に展開したり、自分の体から放出するタイプの魔術には目を見張る適正がある事だった。

 そして、個人資質に当たる所の光属性もまた扱いに長け、光属性だけならば自分のマナを起点にさえすれば普通の魔術同様に扱える事が分かったのだ。

 得意げに光の玉を纏わせて制御の練習をするリオンの傍ら、コーネリアが項垂れて今までの苦労は何だったのだろうと、今までと別の意味での頭痛に悩まされたのはまた別の話。




 そうして、激動の1週間が幕を閉じた。

 「じゃあ、行ってきます」

 1週間の間に届いた制服に袖を通したリオンとシンシアが軽く頭を下げる。

 紺を基調としたブレザータイプの制服で、リオンとしてはやや馴染み深い物を感じる。

 その隣ではコーネリアも同じタイプの服装をしているが、襟元の徽章が深みを帯びた黄色で、リオン達のつけている青色の徽章とは違っていた。

 階級を示す徽章は三色で、赤が1級。卒業試験さえ受ければ無事卒業でき、就職の斡旋もしてもらえる。

 黄色は2級を示し、年度末に行われる卒業・進級試験をクリアする事で卒業または1級へ昇格できる。2級でも卒業は出来るが、この場合は貴族の子女の嗜みとしての意味合いが強い。

 青が3級、つまりは新入生、もしくは成績が芳しくない者を指す。むろん卒業は出来ず、進級できなければ永久に青色である。

 つまるところ、青色のまま長い時期を過ごす事は、ヴァラステア魔術学院において最大級の恥なのだ。

 道すがら、そんな事を説明するコーネリアに、リオンは何気なしに頷いた。

 「そりゃそうだよな……高校だって留年したら気まずいってレベルじゃねぇし」

 「だよねぇ……大学なら浪人しても容認されるのにね」

 「ええっと……それはどのような意味なのでしょうか?」

 話についていけないシンシアが、傍目から見れば仲良さ気に話しているリオンとコーネリアに割って入る。

 その表情は何処と無く不満気で、不安そうに目じりが下がっていた。

 そんなシンシアに気付いた二人が慌ててフォローするように左右から説明する。

 「ああ。ええっとね。シアンちゃん。大学って言うのは、こっちでいう研究院みたいな物で、学習が好きな人が行く場所だから。何度落ちてもそれほど恥ずかしくないんだ」

 「で、高校っていうのは所謂義務教育みたいなモノで、それができないってのは出来損ないみたいな目で世間に見られる」

 「まぁ……厳しいところなのですね……その、ダイガクへは、コウコウからしか行けないのでしょうか」

 会話に入れた事が嬉しくて、しかもそれがリオンの世界の話ともなれば、シンシアの不満など既に霧散してしまっていた。

 気になった単語について深く掘り下げるように尋ねると、リオンは困ったように頭をかいた。

 「あー。まぁ、そうだなぁ。高校卒業って経歴がないと入れないな」

 「ですが、コウコウを卒業していれば無理にダイガクへ行かれなくても良いのではありませんか?」

 フェミュルシアの人間としては至極真っ当な考えである。

 何故なら、こちらの世界で言う研究院は閉じられた狭き門であり、別に無理をしてまで進まなくとも、仕事は溢れている。

 それに、研究院を目指す物ならばそのものが好きでなければ勤まらない。

 なのに何故すきでもないのに目指さねばならないのだろうか。

 その認識の差異を理解しているコーネリアは、一つ一つ噛み砕くようにリオンとシンシアの間に入って説明する。

 「ええっとね。里桜の住んでた所はさ、実は高校の一つ前の、中学までが本当の義務教育なんだけど、就職する為にはどうしても大学まで卒業してないといけないんだよね」

 「あら。どうしてですの?」

 「大学卒っていうのは、まぁ、簡単に言えば、こっちでいう貴族出身みたいな物で、それだけで絶大なステータスがあるんだよ」

 「まぁ、実力が爵位に通じるのですね。すばらしいですわ」

 説明の仕方が悪かったのだろう。シンシアの中でのダイガクセイが全員貴族になってしまったようだった。

 別に本当に大学が関係する訳でもないので、コーネリアは気にせず理解しやすければそれでいいやと流しながら説明を続ける。

 「それが、皆がそれを目指すとさ、必然的にその数が多くなって、雇用側もより頭のいい学士を雇おうとするじゃない?」

 「ええ、まぁ。そうですわね」

 「そして、里桜の住んでいる世界では、大学卒業者が多くなりすぎちゃって、大学を出ることが前提で、更に優秀な学士でないと、いい職に就けないくらいなんだよ」

 「だからさ、その以前の高校で躓くなんてあっちゃいけないってのが世界の常識っていうか」

 コーネリアの言葉を継いで、リオンが閉めるようにいう。

 かく言うリオンも立派な高校生である。元の時間に戻れるような帰還方法でないと、このまま無事帰れたとしても、まともな人生からはドロップアウトしてしまうだろう。

 「恐ろしい所なのですね……」

 「ああ。恐ろしい」

 「間違っては、いないね」

 リオンの悲痛な表情に、シンシアは未知なるシュウカツという単語が、どれほど恐ろしいかを想像して顔を青ざめさせていた。

 そんなこんなで通学中も会話に詰まることなく、通いなれた道を歩くコーネリアの案内のお陰で、特に危うげなく学園に到着したのだった。




 「ようこそいらっしゃいました。ささ、こちらへどうぞ」

 そう案内してくれるのは、体格のいい――ありていに言えば太っている――中年の男性だった。

 いかにも魔術師然としたローブも、その膨よかな腹に内部から圧迫されてゆとりは感じられない。

 額に珠のように浮かんだ汗を布で拭いながら、リオンとシンシア、そして引率をしてきたコーネリアに席を勧める。

 三人がそれに倣って腰を下ろすと、男性も向かい側のソファに腰を下ろした。

 「このたびは、アイリス栄誉理事長からの推薦で、はるか遠方の国からご留学にいらしたとか」

 「ええ。アイリス様とは以前より我が家は懇意にさせて頂いておりましたので、私の見聞を広める為にと、お勧めいただきました」

 そつなく応えるシンシアに、リオンは隣で内心驚きながらも、表情を崩さないように努力しつつ耳を傾ける。

 「そう伺っております。そしてそちらのお兄様が引率と武術を学びにいらしたとか」

 「はい。俺……自分もシアンと同じく、長らく屋敷から出た事がなかったもので、世情に疎い事が心配ですが、よろしくおねがいします」

 出来る限り礼儀正しく、しっかりと答えたつもりだが、リオンの内心は穏やかではない。

 しかし、リオンの内心とは裏腹に、その対応は至極様になっていて、妹を見守る為に一緒に留学してきた兄という立場に説得力を持たせていた。

 「いえいえ、お二方とも非常に礼儀正しく、見目麗しい。どうぞ、この学園で学ぶべきをしっかりと身につけ、生涯の友となられる方を見つけられます事を願っております」

 「ありがとうございますわ。それで、留学の間はこちらの、ディディット様のお家にお招き頂く事になりましたので、学生寮の方の手配は間に合っております」

 恐らくは美しいなどというお世辞は言われなれているのだろう。自分がそこまで美人ではないと思っているシンシアは適当に流しつつ、住居についてつらつらと予め決められていた言葉を口にする。

 教員だろう男もそれに異論は内容で、深く頷いた後に、席を立つ。

 「はい。それでは、お二方がどの程度魔術についての知識があるのか、簡単なテストをさせて頂きます」

 そういいながら戸棚へ何かを取りに向かった男が帰ってくる。

 手には、透明な石の欠片のような物が乗せられていた。

 「それでは、こちらの石を握って魔術を発動させようとしてください」

 「……?ええ、わかりました」

 差し出された透明な石を受け取りながら、シンシアは困惑気味にマナを込める。

 すると、透明だった石は仄かな光を拡散させながらシンシアの手の中で輝きだした。

 「おお。これは、中々強いマナをお持ちですね。これならば素質は十分、基本属性が無です。これは全属性を扱える素養があるとみるべきですね」

 「ありがとうございます」

 礼を言いながら石を返すと、シンシアの手元を離れた瞬間に光が弱くなり、すぐにそれは消えてただの透明な石へと変わってしまう。

 「では、リオン様、よろしいですか?」

 石を手渡す男を横目にコーネリアは小さくリオンに耳打ちする。

 「……里桜。軽くね」

 「……わかってる」

 そう。リオンには予め言い含めておいたことだったが、リオンやコーネリアといった異世界人はマナの保有量が多く、下手をすると測定不能になってしまうらしいのだ。

 最初からそんなトラブルでは目も当てられないからこその指示だった。

 しかし、リオンが何気なしに魔法を石に使ったとき、考えるべきだったのだ。

 リオンが正確にある程度制御できるのは光属性のみだが、光属性は元々この世界には無い属性だという事を。

 「こ、これは……見たことのない色ですな。まさか稀少属性……しかしこの色は……」

 リオンの手の中の石は、乳白色の光に包まれてまばゆい光を放っていた。

 それを目にした瞬間、コーネリアは頭を抱えたい気持ちに駆られるものの、必死に普段通りのポーカーフェイスで咄嗟に思いついたフォローを入れる。

 「学長。これは、アージ家に伝わる、稀少属性。光の、稀少魔術で、世継ぎにしか、遺伝しない物」

 「なんと、そんな属性があったとは……しかし、何故コーネリアさんはそれを?」

 学長と呼ばれた男も驚いたように、コーネリアを見返し、再び医師に視線を戻して再び問いかける。

 「アイリスから、聞いた。それと、私は、アージ家の、遠縁。隔世遺伝で、少し、使えるから」

 「……そのような話は私達は一度も……」

 「アイリスに、聞いてもいい」

 困惑する学長に、ダメ押しのように告げるコーネリアだったが、学長はアイリスの名前を聞いた瞬間にすぐに顔色を変えた。

 「そうですか。理事長がそういうのならば、我々如きでは及ばぬ深遠の方の見識に物申せるはずも無い。でしたら、マナの量も十分すぎる。資質は十二分という事ですな」

 「そういう。こと」

 納得して引き下がった学長に、コーネリアとリオンは内心心臓が跳ねる思いだった。

 「よかったですわね。お兄様」

 「あ、ああ」

 そんな動揺を押しつぶすようにしながら、笑いかけてくるシンシアに、リオンはぎこちない笑みで応える。

 その間に動揺から復活した学長が石をもとあった戸棚に仕舞って戻ってくる。

 「それでは、希望の学科はございますか?我々としてはシアン様には普通学科、然る後に特待へ移行を、リオン様にはひとまず普通学科にて5属性の適正を見て頂く事をお勧めしますが」

 「私はそれで構いませんわ」

 「……この学園には魔術剣士学科があると聞いたが」

 「リオン様は剣をお使いに?」

 意外そうに学長がリオンを見る。

 それはそうだろう。稀少属性で遺伝のみの魔術があるのに、態々魔術剣を使うものなどいない。

 しかし、リオンの属性魔術は魔術剣――いや、魔法剣でなければ意味が無いのだった。

 「ああ。光の魔術剣を使う。出来れば魔術剣士学科を志望したいが、問題は無いか?」

 リオンの強い黒の瞳に気おされたように学長は一瞬固まる物の、すぐに持ち前の笑みで持ってリオンとシンシアを見た。

 「構いません。でしたら、シアン様は魔術普通学科、リオン様は魔術剣士学科という事でよろしいですか?」

 頷いて返す二人に、学長は席を立って手を差し出す。

 「では、その様に手続きを致しますので、明日からはコーネリアさん共々、学校に通ってきてください」

 後から席を立って握手に応じるリオンとシンシアの横で、コーネリアも緩やかに席を立つ。

 「じゃあ、細かな説明は、僕から、する」

 握手も無く、眠そうな目は早く帰りたいと告げているように学長を見ていた。

 「では、今日のところはこの手続きだけですので。明日からはお二人の事は貴賎無く、一生徒として扱わせて頂きますのでご了承ください」

 3人を部屋から送り出す途中、学長は言い忘れたという風に付け加える。

 元々特別扱いなど願い下げの3人は、それに軽く頭を下げて応じる事にする。

 「ええ。明日から、お願いしますわ」

 「ああ。宜しく頼む」

 「じゃあ……また」

 そう言って出て行った三人の後を、学長は期待をこめて見つめていた。

 アイリス=デューレンハイトの推薦入学など、十数年に1度あるか無いかなのだ。

 それが今年に入って3人もなどという前代未聞の事態に立ち会えた事に、学長は密かに感激していた。

 そんな学長の心境など知る由もない3人は、これから始まるだろう学園生活への期待を胸に、屋敷へと帰っていった。

まさかこんなに早く更新できるとは思ってなかったです。

最近筆の乗りがいいですが、改めてもう一度。



※これは不定期更新の作品です。

 最低でも2ヶ月に1部を目標とする、極めて遅筆の筆者の作品です。


と、明言しておきます。

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