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少年は幻想の夢を見るか?  作者: 門間円
対の第二章・王国騒乱
14/16

~第二部・逃避行~

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆


※それほど露骨ではありませんが、戦闘描写・流血描写にご注意を。


★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

 がたがたと揺れる馬車の中で、リオンの目は一つの物を捉えていた。

 ――長剣。

 両刃の直剣で、このタイプとしては最短である70cmだが、リオン自身が力で押すような体型ではない為、少しでも速さを重視できるようにとエレストアが用意した物だ。

 ショートソードと呼ばれる一般的で飾り気のない無骨な武器が、リオンの手の中に握られている。

 鞘に収められたそれは鉄製のずっしりとした重さを体に伝え、ガタガタと揺れる馬車という場所が余計に重さを助長させる様だった。

 リオンは剣を渡されたときの事を思い返す。




 慌しい地下基地の中。略式の騎士制服に身を包んだ彼らとは別に、その場から出て行こうとする集団があった。

 簡素だが、下地に良い生地を使ったこげ茶色のワンピースに身を包んだシンシアは、そのオレンジの髪も、生命力溢れる新緑を思わせる瞳も、アイリスの魔術によって黒々とした漆喰の様な色に変えられている。

 変装の為に色を変える提案をした時、何色でも良い――むしろ髪を金に変えるだけの方が目立たない――にもかかわらず、シンシアが黒を強く所望したのだ。

 「こうしていれば、リオン様とご兄妹に見えませんか!?」

 目をキラキラさせて尋ねるシンシアに、エレストアは小さくため息をついて肯定するように首を振る。

 「ええ。何処をどう見てもご兄妹であらせられます」

 「リオン兄様」

 「……どうしたんだ?シアン」

 「うふふ。なんでもありませんわ」

 ただ呼びかけただけという風に口元に笑みを浮かべて言うシンシアに、リオンは首を捻る。

 「そうだ。アージ。これを」

 未だに笑みを浮かべたままのシンシアを他所に、エレストアがリオンに細長い包みを手渡した。

 「……剣、か」

 包み布を取れば、鈍い色の鞘と柄、飾り気のないショートソードがその重みを主張している。

 少しばかり鞘から抜けば、金属特有の鈍い光沢が薄明かりを反射して揺らめいて、重さとあいまって、それが命を奪う道具であるという事を嫌でも実感させられた。

 「ああ。お前の為に用意したのだが、今となっては重いか?」

 重量のことを言っているのではない。エレストアが意図する事を感じ取ったリオンだったが、逡巡の後、剣をベルトに繋ぐ。

 「いや、受け取っておくよ。何があるか分からないしな」

 力なく笑ったリオンに、エレストアは感心した風に頷いた。

 「そうだな。今は必要なくとも、今後いつお前の力に頼らなければならないとも限らない。その時は辛いだろうが、がんばって欲しい」

 スゥはどこかいじけた風に、頷き返すリオンを――特に腰に佩いた剣を見ていたが、その事に気づいたのはシンシアだけだった。

 「あの、スゥ様?どうかなさいました……?」

 シンシアが尋ねると、ビクッと肩を震わせてシンシアに向き直る。

 「あ、いえ。何でもございません」

 必死の形相で慌てて否定するスゥに首をかしげながらも、シンシアはエレストアに手を引かれてアイリスのもとへ歩いてゆく。

 「じゃあ、俺達も行こうぜ」

 スゥの肩にポンと手を置いたリオンに、スゥはハッとなって彼らの後を追った。




 「必要な時に……か」

 リオンの呟きが、馬車の中で空しく響く。

 それもすぐに足元からの音でかき消されてしまうだろう。

 しかし、それを聞き留めた者がいた。

 「なんだよ。お前、そんなにアニテベルカさんからもらった物がうれしいのか?」

 スゥだ。

 リオンが時折、剣に向ける視線が好ましい物ではない事に気づいてはいたが、それを真っ向から指摘するほど親しくなったとも、スゥも思っていない。

 だからこそ、自身の嫉妬も綯い交ぜになってしまっているが、そうした切り口から聞き出そうと踏んだのだ。

 幸い、今なら御者を務めているエレストアに聞きとがめられる事もない。

 そこまで心算をつけた上で、会って間もない年下の少年に絡みに行く自分は騎士としてあるまじき姿だと内心恥じないでもない。

 しかし、それを補って余りあるほどに、少年、リオンの態度が気にかかったのだった。

 そんなスゥの内心などまるで知る由もないリオンは、小さくため息をついたかと思うと、緩やかに首を振る。

 「確かに、嬉しくないとはいえない。でも、それ以上に、俺がこんなモノを貰っても良いのかなって思っちゃうとさ」

 リオンを知る者ならば、まずらしくないと思うだろう。

 しかし、今のリオンにそれを指摘できる者はいない。

 シンシアすら信じて待つと決めて、リオンに不用意に干渉しないように心に誓っているのだ。

 知っている者こそ、今のリオンを支える事が難しい。

 つい先ほど合流したスゥに、そんな事情など知る由もないが。

 「ハッ。いい態度だな。ご婦人からの頂き物に対して文句とは。男として情けないと思わないのか」

 更に言葉を重ねるスゥに、さすがにリオンも頭に血が上るのを感じるが、それもまた一理あることを、冷静な部分で理解していた。

 「……別に、貰った物に文句があるわけじゃない。俺が踏ん切りつかないだけだ」

 自分で言っていて、こんな会って間もない男に何を言っているのだろうとリオンは思う。

 第一、今は軽装の鎧姿でしかないが、拠点に居たときは略式ではあれど騎士の制服を着ていた、リオンからすれば紛う事なき青年騎士なのだ。

 そんな、自分で命のやり取りをすることを選んだ男に当り散らす事が、解決になるとは到底思えない。

 何を言い返してくるかと身構えていたスゥにとっては拍子抜けするような言葉だった。

 言っている本人も納得していないような歯切れの悪い回答。

 だからだろうか。スゥはその理由に、つっかかった動機以上の興味を抱いた。

 「踏ん切りがつかない。ね。剣に嫌な思い出でもあるのか?」

 心なしか言葉端が柔らかくなっている事に、スゥは気づかない。

 その機微を敏感に感じ取ったのは、言葉をかけられた本人であるリオンだった。

 しかし、既に矛を向けてしまった以上、リオンもただで引き下がる訳には行かない。

 「……あんたには分からねぇよ。最初から人を殺す事を覚悟した上で武器を握ってる奴には」

 リオンがスゥから視線をそらしながら、逃げるように窓を見る。

 過ぎ行く景色に緑が深くなって、所々に林が、見た事もない木々が生い茂っていた。

 馬車はリオン達の物以外見かけず、追っ手の心配は今の所必要なさそうだと、リオンはホッと息を吐く。

 しかし、その言い逃げにも似た行動が気に食わなかったスゥの言葉で、リオンはまた馬車の中に意識を引き戻される。

 「ふざけんな。俺達騎士は、殺すつもりで武器を握る事なんてしない。それは、俺達に対する侮辱か?」

 ひやりと、馬車の中の温度が下がった様に感じた。

 スゥのその表情は髪の色とあいまって、まるで研ぎ澄まされた氷の刃の様に冷たい。

 「……じゃあ、何のために武器を握ってるんだ。あんたのその腰の(それ)は、人を斬る為の道具じゃないのかよ」

 それに対するリオンの表情は眉根を寄せ、黒い瞳には燃える様な怒りが灯っている。

 視線がぶつかって、リオンは何故自分がこうも怒ってしまっているのかに困惑しながらも、それでも口に出した言葉を後悔する事はなかった。

 リオンの言葉を、スゥは首を振って否定する。

 「違う。敵を斬る為の、大切なものを護る為の(もの)だ」

 スゥの言葉が、冷たい水のようにリオンの炎を鎮火する。

 それくらい自然に、スゥの言っている事がリオンの胸の中にすとんと落ちてくるのだった。

 「大切なものを……護る」

 「そうだ。端から聞いたところじゃ、お前だって護る為に戦ったんじゃないのかよ」

 「そうだよ……けど、けど……俺、人を……殺し――」

 怒りなど、既にどこかに飛んでしまった。

 元より何故ここまで突っかかってしまったのか自分でも分かっていない。

 リオンは困惑のままに、落ちてきた言葉と自身の中に燻っていた火種とがぶつかり合うのを感じていた。

 「お前が敵を倒した事で、お前が護りたい人は護れたかよ」

 スゥの言葉は水だ。緩やかにリオンの中に流れ込み、燻る炎をかき消してゆく。

 「……それは」

 「護れたんだろう。だったら胸を張れ。いじいじすんな!」

 「そんな、無理だ……人を殺して、それが正しいなんて」

 「正しい正しくないじゃねぇんだよ!お前はそれでいいかもしれない。けどな、護られた側はどうだよ!?」

 「っ!?」

 ――護られた側。

 初めて意識したリオンの視線が、シンシアへと向かう。

 「自分を護る為に傷ついてる人がいて、お前それで嬉しいか?護れたと思うかよ?そんなもん護ったなんて言わねぇんだよ」

 不安げにリオンを見つめ返すシンシアの瞳の中に、リオンに対する心配が詰まっている。

 何故気づけなかったんだろう。シンシアだって、自分の所為でリオンが手を汚してしまったと後悔しているかもしれない事に。

 そんなもの、護ったと言えるのだろうか。勝手に手を出して心配をかけて、落ち込んで、まるでどちらが護られているか判らないではないか。

 スゥの方へよろよろと視線を戻す。

 「胸を張れ。護る為に剣を取れ。お前が信じて護りたいと思ったものを守り通せ。それがお前の(ぶき)を握る理由だ」

 断言ともつかない宣言は、スゥの心の中の吐露の様だった。

 スゥの覚悟、騎士という矜持に触れて、リオンはどこか納得したように、心の中に蟠っていた炎が消えていくのを感じた。

 「……そっか」

 「少なくとも俺は、護った奴に迷惑だと思われるような剣士、要らないな」

 ニッと、口の端を吊り上げながら言うスゥに、リオンも頷く。

 「そうだよな。……実際にまた、人と対峙しなきゃいけない時、俺にそれが出来るかは分からないけど、今それを悩んでいても、シンシアに迷惑が掛かるだけだよな」

 「……リオン様」

 リオンはシンシアをまっすぐに見つめて、頭を下げた。

 それは、心配をかけたシンシアに気づいてやれなかった事への謝罪だ。

 「シンシア。ごめんな。俺がくよくよしてて、嫌だったろ?」

 シンシアは優しくリオンを抱きしめ、背中に手を回しながら首を振る。

 「そんな、私の為に戦ってくれた事、嬉しく思う事こそあれど、不快に思った事など一度もありません!」

 仄かに香る柔らかな匂いに、リオンは思わずくすぐったいような気持ちになって、顔を上げてシンシアに離れてもらう。

 そのまま優しくシンシアの頭をなでてやり、スゥに向き直って頭を下げた。

 「さんきゅ……えっと、オルビオンさん。ありがとうございます。お陰で何とか、折り合いつけられそうです」

 先ほどの落ち込み、当り散らしていた態度とは打って変わった真摯な態度に、スゥは怒りも、最初抱いていた嫉妬も、完全に消えうせている事に気づく。

 水色の髪を乱雑にかいて、照れ笑いの様に顔をやや背けながらそれに応える。

 「スゥでいい。……っつか、俺も悪かった。熱くなっちまって。俺も、実は見習い騎士だからさ。言うほど戦線に立たせてもらった事はないんだ」

 「ふっ。な、何だよそれ……」

 そんな様子がついおかしくて、あれだけ豪語したにも関わらず、その経験が少ないなどと今更言い出すスゥに、リオンは何故か怒りではなく笑いがこみ上げてくる。

 「わ、笑うなよ!!けど、剣の腕だったらシーザさんのお墨付きだからな!!!」

 シーザといわれ、リオンがふと思い出したのは、大声で豪快に笑っている熊のような男だった。

 彼もまた、覚悟を持って騎士としての矜持の中で剣を手に取っているのだろう。

 次にあったら剣を教えてもらうのもいいかもしれないと、リオンは思った。

 「ああ、あの熊みたいなおっさんの」

 さらっと本音で言ってしまったリオンに、今度はスゥが噴き出す番だった。

 「ぶっ……くくっ、熊、熊ときたか……確かにあの人は熊だ、人じゃねぇ」

 スゥの脳裏には、模擬戦用の木刀を片手に人を数人を相手取って薙ぎ払う大柄な男がありありと浮かんでいた。

 間違いなく、スゥの師匠である。

 二人がひとしきり笑い終わると、シンシアが指を組んで嬉しそうにその輪に入ってくる。

 「お二人が仲良くなられた様で、私も嬉しいですわ」

 「仲良し、仲良し……ああ、そうだな」

 お互いに顔を見合わせて、スゥとリオンは頷きあった。

 元々気性が似通った二人である。その状態が至極自然とも言える空気を、早くも醸し出していた。

 「そうだ、もう一度俺達の立ち位置とかを確認したいんだけど、いいか?」

 リオンの提案に、スゥが応じる。

 「ああ。リオンとシンシア様――シアンお嬢様が、異国であるアイリス殿の国から遥々留学にいらっしゃったやんごとなき身分のご兄妹」

 リオンとシンシアを見比べながら言うスゥの言葉を、リオンが受け継いで続ける。

 「んで、エレスとスゥがそのお付の護衛とメイドさん……女中で、いいんだよな」

 「そうなるな。しかし、見れば見るほど凄い黒さだよな。お前の髪と目って」

 ふと、気になってはいたが今更聞くに聞けなかった事をスゥは尋ねてみる事にする。

 「こっちじゃ珍しいのか?」

 不思議そうに自分の髪をいじりながらリオンが問い返すので、スゥは困ったようにそれに応える。

 「こっち……って、今更だけど、お前どこから来たんだよ。黒髪は、まぁ、アイリス殿の部下を見た後だとあたりはつくけど、あの人らは皆目が赤いから、お前とは関係ないんだよな?」

 「えーっと……シンシア、話しても大丈夫かな?」

 ちらりとシンシアを一瞥して言うと、シンシアもやや考えるようにした後、首を縦に振る。

 「大丈夫じゃないでしょうか?それに、これから共に行動するのですから、事情は知っておいて貰った方がよろしいのでは?お兄様」

 暗に、今の自分は貴方の妹ですよと伝えながら愉快そうに言うシンシアに、リオンも頷き返す。

 「……だな。さんきゅ、シアン。えっと、スゥ、お前、異世界とかって信じるか?」

 「イセカイ?なんだそれ」

 首を傾げるスゥに、リオンはどう説明しようかと頭を悩ませながらぽつぽつと語り始める。

 「違う世界って事。俺はありていに言えば、ものすっげー遠くの世界から降って来たんだ」

 「なんだそれ。お前まさか高名な魔術師なのか?」

 「違う。俺はそこの妹に呼ばれたんだ」

 シンシアを指差すと、ぐるっとスゥの顔がシンシアに向く。

 「シンシア殿下が!?」

 「シアンですわ。スゥ」

 一瞬驚いた物の、シンシアは驚くスゥが可笑しくて、嗜める様に言う。

 「申し訳ございません。……で、呼んだとは……?」

 「勇者様の伝承はご存知でしょう?遥か彼方より、異なる法則に縛られた地より出でし勇者の伝承」

 「ああ、聖剣伝説ですね。有名な話ですが……まさかシアン様!?」

 「ええ。信じて実行しました。幸い、文献も残っていましたし……」

 この世界の人ならば子供でも知っている御伽噺だ。

 いずこから召還された勇者が、邪龍や邪神と戦い、勝利する英雄譚。

 シンシアがそれを本気で調べて事実を基にした話であった事にたどり着いた事。

 その後、そこでぶっつりと情報が途切れてしまっていた事。

 それでも諦めきれずに調べていると、それが自国内の廃れた神殿で行われ、王家秘伝の転送門でもってたどり着ける事を知った。

 その後はリオンが召還されて、現在に至る。

 「なんか、色々聞かされすぎて頭痛くなってきた」

 事情を説明されたスゥは、自分の常識が如何に脆く儚い物かを痛感していた。

 知恵熱にも似た頭が茹る感覚に、くらくらとしたものを覚える。

 「大丈夫ですか?エレスに言って休憩でも――」

 「大丈夫です!ご心配なく!!!」

 しかし、さすがといった所だろう。

 エレスの名前が出た瞬間に頭が覚醒して、ビシッと敬礼までとって見せる。

 そんなスゥに、シンシアは少なからず驚いて、心配するように問いかける。

 「そうですか?」

 「気にするなよシアン。スゥおにいちゃんはエレスに情けない所を見せたくないんだ」

 からかうように指摘したリオンに、赤みの差した顔で飛び掛る。

 「う、うるせぇ!!」

 そのままぐりぐりとリオンの頭をしめつけ、じゃれあう二人を他所に、シンシアはくすっと笑う。

 「まぁ、私、応援しておりますわ」

 その言葉でスゥがリオンを放り出してシンシアに頭を下げた。

 和気藹々とした空気の中、馬車は淀みなく進んでいった。




 東に馬車を走らせる事5日間。

 特に危険な魔物が出ることもなく、盗賊や追っ手の気配もない。

 途中、中継として立ち寄った村ではシンシアとリオンの髪と目の色で好奇の視線に晒される者の、事情――無論、表向きのものだが――を説明すると、皆一様に納得して暖かく迎え入れてくれた。

 特に礼儀正しく良く出来た妹としてシンシアの人気は高く、リオンも、少々元気が過ぎるが良い若者として村々での評判は上々だった。

 「しかし、皆髪とか目の色を変えただけでぜんぜん気づかなくなるんだな」

 スゥと交代して馬車で休んでいるエレスに、リオンが何気なく話を振る。

 今はエレスも纏め上げていた髪を下ろして女中らしい格好に着替えており、特に目立つ左右の違う瞳の色は鳶色に統一されていた。

 それもまた、アイリスの指摘での変更である。

 「ああ、こんな魔術、そうそうお目にかかれる技術ではないからな」

 「そうなのか?」

 現代人のリオンとしては、ヘアカラーやウィッグ、カラーコンタクトなどの、色や見た目を変えるアイテムが充実しすぎていた所為で今一ピンと来ないが、この世界の住人であるエレストアがそういうのならばそうなのだろうと、半ば投げやりに納得することにする。

 「というより、アージの世界ではこういった魔術は普通にあるのか?」

 「いや、魔術って言うより、道具があるんだよ」

 「ほぅ。どんな道具なのだ?」

 興味深げに尋ねてくるエレストアに、リオンは聞きかじった知識をうろ覚えながらに参照しながら答えてゆく。

 「んーっとな。髪の色を……色素?とかを抜いたり入れたりする為に、特殊な薬液を使ったり、目の色を変えるために、目に直接貼り付けるタイプの、活動に支障が出ない程度に薄い膜とかを使うんだ」

 「なるほどな。アージの世界では変装は一般技術の一つなのか」

 感心した風に言うエレストアに、リオンは苦笑しながら注釈をつける。

 「変装、っていうかイメチェンだな」

 「いめちぇん?」

 「イメージチェンジ。要するに、普段とは違う演出をして、印象を変えたいって時にやるんだ」

 「なんだ。変装ではないか」

 「あー。厳密には違うんだけど、もうそれでいいや。変装でも使うし」

 どう説明したものかと悩んだものの、リオンにはそれ以上にいい説明が思い浮かばず、だいたいあってるからそれでいいかとも投げやりに同意してしまう。

 実際、イメージチェンジは周囲に与える印象を変える行為であり、変装は目的の為に装いを変える事をいう為、広義の意味では間違っていない。

 「なんなんだ。一体……」

 釈然としない様子のエレストアの横で、シンシアはころころと笑いながら指を折って、リオンが押してくれる世界の事を挙げてゆく。

 「うふふ。リオンお兄様の世界って、本当に不思議なものばかりですのね。空を飛ぶ鉄に、馬が居なくても走る馬車、人が映る箱、興味が尽きませんわ」

 「本当は実物を見せてやりたいんだけどな」

 リオンの苦笑にも似た物言いに、エレストアはがっと立ち上がって抗議する。

 「なっ、ダメだぞアージ!殿下には国を治めて頂かなくてはならなのだ、おいそれと帰ってこれるかも保証のないところに行かせる訳には」

 「まず俺が帰れる事が第一だろ。むきになるなよ。冗談だって」

 落ち着かせるように手で制しながら、リオンがエレストアを宥める様に言う。

 「……ならいい」

 「エレスも大概シンシア――シアンの事になると過保護になるよなぁ」

 「私は、シンシ……シアンとは幼い頃よりずっと共に育ってきたのだ。シアンの生まれたときだって知っている」

 「え。エレスっていくつ?」

 不意に気になってリオンが尋ねると、エレストアは一瞬きょとんとした後に、やれやれと首を振って息を吐く。

 「女性に年を聞くのは感心しないが、こう見えてまだ19だ」

 「3つも年上なのか」

 「なんだ。アージは16歳だったのか」

 エレストアは意外だと思った。

 てっきり自分よりも一つ下なくらいだと思っていたのだ。

 年の割にはやや粗い物の礼節を弁え、それでいて落ち着いているように見えたからだ。

 黒い髪と瞳の所為もあるだろう。元々の顔立ちも青年に近く、どうにも少年という印象からやや遠かったのだった。

 「まぁ、リオンお兄様は私より2歳上ですのね」

 年が近いことを喜ぶように手をたたくシンシアに、リオンは何となく納得してしまった。

 「そうか。5つも違えば妹みたいなもんなんだな」

 5つも違えば、シンシアが生まれたときには既に物心ついている。

 だとするならばその後ずっと一緒に育っていれば、妹のようなものだろう。

 「そうだ。だからアージ」

 ずいっと、エレストアがリオンに顔を寄せる。

 「へ?」

 「シアンを傷物にしてみろ。地獄よりも恐ろしい物を見せてやろう」

 耳元でボソッと、シンシアには聞こえないような音量でつぶやかれたそれは、確かな質量を持ってリオンを脅迫していた。

 「だ、大丈夫だ!心配するな!俺はシアンを護る!」

 ビクッと肩を震わせて頷くリオンに、エレストアは別の意味で心配になってしまう。

 つい先日まで、人を手に掛けたことで悩んでいたリオン。

 その彼が、護るときにまた人と対峙できるのだろうか。

 「……大丈夫なのか?」

 改めて問い返すエレストアの真面目な視線は、暗にその事を問いかけていた。

 リオンもすぐにその問いの真意に気がつき、神妙な顔で頷き返す。

 「決めたからな。護るって。それに今は、俺の妹、だろ?」

 「ふっ。そうだな」

 最後を軽く冗談めかして笑いかけるリオンに、エレストアは肩の力を抜いて口元を綻ばせた。

 その後暫くは何事もなく、順調に進んでいたかに見えた。

 しかし、林道になっている場所に差し掛かった時だった。

 ――ガクン。と、馬車が急速に速度を落としたのだ。

 「どうした!?」

 リオンが御者台の方へ飛び出すと、スゥが既に抜剣して御者台から飛び降りるところだった。

 前を見れば、左右からゴブリンと思しき緑の小人が各々の武器を持って馬車を囲い込もうとしていた。

 「スゥ!お前は右を、左は俺がやる!」

 先に飛び降りたスゥが一瞬驚いた様に振り返るが、リオンの引き締まった表情を見て縦にうなずく。

 手早く指示を飛ばしたリオンも、抜剣して飛び降りる。

 ゴブリン達はどうやら動き始めた二人を先に標的に定めた様で、馬車には目もくれずに二人に向かって踊りかかった。

 「俺は、もう護るって決めたんだ!」

 すれ違い様にゴブリンの体を逆袈裟に切り上げながら、リオンが叫ぶ。

 いざ戦闘になった途端、もしまた躊躇したり震えてしまったらどうしようと密かに悩んでいたリオンだったが、それはどうやら杞憂のようだった。

 切り裂いた感触も確かに手に残って、足元に掛かる血も、苦悶のうめきも、確かに怖い。

 けれど、それ以上に、知性の感じられない凶暴なゴブリンの表情は、リオンに後ろに下がるだけの余裕を奪う。

 下がればこの凶暴さはシンシアにまで牙を剥く。それだけは、絶対にさせない。

 リオンの決意に呼応するように右腕から光があふれ出して、見る見るうちに全身を覆った光が、右手に握られたショートソードを覆う頃には、既に2匹目に対してリオンが剣を振りかぶっている所だった。

 咄嗟に武器で受けようと、錆びてぼろぼろになってしまっている短剣を構えるゴブリン。

 しかし、リオンの剣は新品も新品であり、おまけにリオンのマナを纏って鋭利さを増している。

 ――シュカッ。

 まるで木でも切り裂いたかのような軽快な音色を上げてダガーの錆びた刃が飛び、勢いをそのままにゴブリンが縦一線に二つに割れた。

 飛び散る返り血が地面にばたばたと水溜りを作るが、リオンは気にも留めずに次の標的へと狙いを定め疾駆する。

 左右から飛びかかってくる2体を姿勢を落として駆け、抜けた瞬間に右足を軸に振り返りながらのフルスイングが右から迫っていたゴブリンを捉え、その上半身だけが迫った勢いそのままに慣性の法則にしたがってずり落ちる。

 そのまま丁度振り返ろうとしていた左側に居たゴブリンに飛びかかり、押し出す力をそのままに突きを繰り出す。

 振り向いたばかりのゴブリンに防ぐ術はない。にもかかわらず、ゴブリンの眼の中にあったのは、回避か防御か反撃か。一瞬の迷いすら命取りの状況で、ゴブリンは迷ってしまった。

 その結果はすぐに訪れた。

 地面に鮮血が飛び散り、脳漿がたれる。ゴブリンの額のやや右側に刺さった光が頭蓋を貫通して後方へ抜け、放射する光の熱量と鋭利さが脳内を物理的に蹂躙し、引き抜くまでもなく、一瞬で絶命した事が分かる驚愕と戸惑い、そして攻撃的な表情のまま、ゴブリンは動かなくなる。

 左足をゴブリンの胴体に添えて蹴るように死ながら剣を引き抜けば、刺さった直後だというのに光を纏った剣には僅かな返り血しか残されていない。

 ヴゥン。

 と、血振りのつもりで剣をふると、空気が切れる僅かな音。振り切った後には血の跡など一切ない、新品同様のショートソードが残っていた。

 リオンはそれを一瞥すると、じりじりと間合いを詰めてくる残りのゴブリン達に突っ込んでいった。

 それは、傍目でみていたスゥからしても速く、戦場の中を駆け巡る光のような有様だった。

 「おお。案外やるなぁリオン!」

 スゥも負けじと器用に棍棒をすり抜いてゴブリンの首を跳ね飛ばしながら陽気な声を上げる。

 そこに気負いなどは一切なく、ただ淡々と決まった型である様にゴブリンを切り裂いてゆく。

 リオンの方も、スゥの声に気づいて漸く辺りを見回す余裕が出来ていた。

 既にリオンが担当していた方は残り3体まで数を落としており、リオンの通ってきた軌跡には疎らに切り裂かれたゴブリン達の死骸が転がっていた。

 「スゥもな!さすが見習い騎士!」

 「見習いは余計だ!」

 スゥのほうも残るは1体と、もはや気を抜かなければ磐石といった所だ。

 戦闘中とは思えない会話の応酬だったが、後ろからそれを一喝する様に、バスケットボール大の炎の玉が飛んでくる。

 「《灯る炎、力の象徴、火の加護、重ね爆ぜ、我が敵の下へ》――《ブラストスロー》!」

 聞きなれない言語によって形作られた火の玉は、正確に残るゴブリン4体、リオンの付近の3体と、スゥの正面の1体に吸い込まれるように着弾する。

 直後、近距離で花火が爆ぜたような爆音が響き、ゴブリン達が炎に包まれた。

 もがき苦しみ、逃げ出そうとするゴブリン達だったが、数歩動いた所で力尽き、先に倒れたものたちと同様に地面に倒れ臥した。

 「戦闘中に会話とは余裕だな。楽勝だと思っても気を抜くな」

 見れば、エレストアが剣を掲げたまま御者台の方からリオンとスゥを睨んでいた。

 「す、すみません!」

 ビシッと、綺麗な敬礼でもって答えるスゥに対し、リオンはそれどころではないという風に燃え尽きたゴブリン達とエレストアを見比べていた。

 「なぁ、今のって魔術だよな!?」

 「そうだが……何だ?」

 「すげぇな!俺も使って見たい!」

 「はぁ?」

 目をキラキラさせて教えを請うリオンに、エレストアは困惑してしまう。

 あれだけ動き回っておいて、息一つ切らしていないのはスゥも同じだが、そこはさすが騎士といった所だろう。

 これくらいの戦闘でへこたれるような鍛え方はされていない。

 しかし、リオンは本来ただの高校生、ちょっと運動神経が良いだけのただの子供のはずだが、その表情に疲れは一切感じられない。

 「何を言ってるんだ。アージだって使っているだろうに」

 しかし、その一言でリオンは完全に止まってしまった。

 自分がいつ魔術など使っただろう。リオンは足を止めて真剣に考え出してしまう。

 確かに、いざ戦いになると光が体を包んで身体が軽くなるが、これが魔術だというのだろうか。

 リオンの目からは、この世界のモノは常に体に“キラキラしたモノ”を纏っており、自分は戦うときにそれが過剰にでるだけなのだと思っていたからだった。

 「……えーっと。これか?」

 意識して、内側から外に押し出すように感覚を向ける。

 すると、ヴゥゥンという鈍い音と共に、刀身すら覆うような光の粒が全身を淡く包み込んだ。

 「そうだ。アージは元々身体強化系の魔術に刀身強化などという魔術剣の併用した高等術式を使っているではないか。何を今更火の下級術式ではしゃぐ必要がある?」

 その言葉に、リオンは初めて自分が魔術を無意識に使っていた事に気づき、愕然とした。

 これが魔術なのか。確かにこの状態では疲労も少なく、いつもよりも機敏に、そして先のトロール戦では頑丈に立ち回れていたと思い返す。

 「これが……魔術……」

 つぶやきながら、光を意識してみると、小さな光の粒が集まって出来ているように見える。

 「なんだ。気づいていなかったのか。てっきりそれをわかった上で使いこなしていたのだと思ったのだが」

 やれやれといった具合に、呆れるやら感心するやらの入り混じった声でエレストアが言う。

 その様子に、リオンは何故呆れられるのかわからず、何かまずい事をしているかもしれないと思い、慌てて弁解する様に口を開いた。

 「いや、だって。皆いつもこの粒みたいなの?纏ってるじゃん。俺だけ戦闘中に多く出るのかなって思ってただけなんだが」

 「は?」

 今度こそ、完全に時間が止まったようだった。

 エレストアはもちろんの事、スゥまでもが呆気にとられて戦後処理をしていた手がぴたっと止まってしまう。

 「え?いや、だから光の粒が――」

 「アージ、お前まさかマナが見えている(・・・・・・・・)のか?」

 あせるように言い募るリオンをさえぎって、エレストアが確認するように問いかける。

 「え?あ。これマナって言うのか。へぇ。これがマナかー」

 「え、えぇ?」

 至極当然のようにマナを見ていたリオンに、エレストアとスゥは言葉もなく頷くしかできなかった。

 「なぁ、俺に魔術教えてくれないか?本当はアイリスに教えてもらう予定だったんだけど、こんな状況になっちまったからな」

 そう、王都につくまでは、アイリスが教えてくれると約束してくれていたのだ。

 しかし、そのアイリスが王都でやらねばならない事があるという以上、リオンは他の誰かから習うほかないのだった。

 「……それならば心配は要らない。これから行く場所は魔術の聖地とも言われる。ヴァラステア魔術学院にはお前も通うのだからな」

 「へぇー。魔術の聖地、ねぇ……って、え?俺も学校いくの?」

 呆けたような顔をするリオンに、エレストアは何を今更と息を吐く。

 「何を言っている。当たり前だろう。スゥはマニトだから触媒がないと魔術を使えないし、私は既に学院を卒業している。シアンを通わせるのだから、当然護衛になるような人物を側に置かねばならないだろう」

 「それが、俺?」

 「お前以外に誰が居る」

 スゥを見れば、魔術は本当に扱えないのだろう、首を左右に振ってそれに答えていた。

 そこでふと、リオンはあることに気づく。

 “マニトは触媒がなければ魔術は扱えない”と、ついさっきエレストアは言ったばかりではなかったか。

 エレストアに他種族の血が流れているのは見た目からもわかる。

 しかし、リオンは混じり気なしの人間のはずなのだ。だとするならば扱える訳がない。

 「でも、触媒がなきゃ使えないんじゃないのか?」

 リオンが尋ねれば、エレストアは首を左右に振ってリオンの剣を、淡く光が包んだ刀身を指差してそれを否定する。

 「現にアージは身体強化魔術や魔術剣を扱っているではないか。それだけできれば申し分ない。それに、マニトがマナを扱えない理由は、マナが見えない(・・・・・・・)からだ。見えているお前には関係なかろう」

 「た、確かに。じゃあ、俺も魔術が使えるんだな!?」

 「ああ。そのはずだ。しっかりと学んでシアンの為に頑張ってくれ」

 「……勉強かー……ついていけるかな」

 魔術を習いにいくこと、そしてシンシアを護る事、それらに異存はない。しかし、勉強という単語だけがリオンの足を重くさせた。

 「リオンは勉強苦手そうだもんな」

 「スゥに言われたくねぇよ」

 からかうように背中を小突いたスゥに言い返すと、スゥは心外だとばかりに顔を顰めて胸を張る。

 「んだと!?俺はこう見えても成績優秀なんだぞ」

 「そうだな。でなければシーザ殿に見込まれる事もあるまい。期待しているぞ、オルビオン」

 「は、はい!」

 エレストアの魔術で死骸を処理し、手早く水筒から水で剣や服についた返り血をそそいで行く。

 馬車に戻れば、シンシアが不安げにリオン達を待っていた。

 「悪い。待たせたな」

 「大丈夫でしたか?お怪我はありませんか?」

 ぺたぺたとリオンの頬や胸辺りを触りながらシンシアが心配して抱きついてくる。

 「大丈夫だ。けど、あんまり触ると返り血の匂いとかついちまうぞ」

 「え?あ。ごめんなさい、私ったら……」

 頬を赤らめてそそくさと離れるシンシアに、リオンは首をかしげた。

 カタンカタンと走り出した馬車の振動を感じ、リオンは窓の外から流れていく景色に再び目を向けた。

 戦いの跡が遠のいてゆく。

 自分の足が、前に向かっている象徴に思えて、リオンは心なしかやる気が沸いて来るようだった。




 日が暮れる頃に、ようやっと人里にたどり着いた一行は馬車を停められる宿屋の一室。

 簡素な木材の香りが鼻につく。

 スゥと相部屋になったリオンは部屋に据付けられていたベッドを見るなり、喜び勇んで横になった。

 「ベッドだー」

 ベッドの上で年甲斐もなく嬉しそうにごろごろしていると、スゥが呆れたように向かいのベッドに腰を下ろして声をかけてくる。

 「あれくらいで疲れたのか?」

 「いや、俺にとってはベッドで寝れるって当たり前だったからさ。こんなに何日も野宿したりするのって初めてで」

 「いい生活してたんだな」

 苦笑するスゥだったが、コンコンと控えめなノックの音で立てかけてあった剣に意識を向けた。

 「誰だ?」

 「お湯をお持ちしました」

 ドア越しに宿屋の亭主の声が聞こえ、スゥは一応の警戒として剣を鞘に仕舞ったまま腰にさして扉を僅かに開ける。

 そこには先ほど宿泊手続きを行ったときにカウンターに居た中年の男の姿があり、両手でお湯の入った桶を支えているのを見て、今度こそ扉を開けて招き入れた。

 「ああ。そっか。ここじゃお風呂ないんだもんな」

 感慨深くつぶやくリオンに、亭主が一礼して出て行った扉を見ていたスゥが振り返る。

 「風呂なんてほとんど貴族専用だぞ。全く、お前向こうの世界じゃ貴族だったのか?」

 「いや、俺の世界……っつーか。俺の国だな。めっちゃ綺麗好きでさ。基本毎日風呂に入るのが普通だし、どの家でも最低お風呂はついてたぞ」

 「凄い世界だな……薪代だって馬鹿にならないだろうに」

 呆れるようにしながら服を脱ぎだすスゥに、リオンも服を脱ぎながら首を振る。

 「あー。いや。俺の世界で薪使ってる風呂ってもうほとんどないぞ」

 「じゃあ何を使ってるんだ?魔術はないって言ってたし」

 「えーっと。電気とか。可燃性のガスとか?」

 「電気……雷の事か?あれを動力に出来るなんて、そんなに常に雷が降り注いでるのか」

 驚きと、思った以上に危険な世界だと認識を改める思いのスゥに、リオンは思わず笑ってしまう。

 「いやいや。人工的に電気を作り出して貯蓄してるんだよ。んで、その電気から生まれる熱を利用してお湯を沸かすんだ」

 だいたいあってると自分に言い訳しつつ、詳しい原理については全く知らないリオンなのだった。

 スゥも特に言及する気はないようで、布をお湯につけて絞ると、体を拭き始める。

 「あー。あったけー」

 久しぶりにお湯を使ったリオンが思わず口に出す。

 「大げさだなぁ。でも、そんなに毎日風呂に入ってたんだから当然か」

 「だな。本当はお風呂に浸かって体をのばしたいんだけど、まぁ、こっちの世界じゃ贅沢ってもんだよな」

 「貴族だって数日に一回入るくらいだからな。庶民ならこれで十分さ」

 「……まぁ、お風呂入れる機会があれば絶対に入るけどな」

 「ああ。そうだな」

 体を拭き終えた二人が食堂兼酒場へ顔を出すと、予想通りシンシアとエレストアの姿はなく、二人は先に夕食を食べ始める。

 ややあって、リオン達が食事を取っていると、女性二人がやってきて同じテーブルにつき、料理を注文し、ようやくこの世界では遅めの夕食を皆で食べた。

 野菜が僅かに浮かぶスープを何の疑問もなく食べるシンシアに内心僅かに驚く物の、リオンも何も考えることなく食べ進める。

 そんな光景に驚いたのはスゥだ。

 貴族の中の貴族、箱入りのお姫様であるシンシアが、こんな粗雑な食事に文句一つ漏らさず、むしろ楽しげに食べている。

 それがどれだけ異常な事か、唯一、一団の中でこの世界の庶民代表ともいえるスゥだからこそ抱いた驚きだった。

 エレストアは貴族ではあるが、軍人として戦線に立つ以上、ある程度粗雑な環境でもそつなく対応できるように訓練されている。

 リオンについてはよくは知らないが、それでも何も言わずに食べている以上、問題はないのだろう。

 だからこそ、シンシアの特殊さがありありと浮き彫りになったようで、スゥは居た堪れない気持ちと共に、シンシアについての認識を改めたのだった。




 夜も更けて、リオンはスゥとの相部屋のベッドの上で仰向けに横になっていた。

 窓から僅かに届く月光はほんのりと青く、僅かに紫がかった明りはこの世界の月の色、蒼月(アスルークス)紅月(クレミエール)の光が交じり合ったモノだと言う事をリオンに教えてくれている。

 「今日は、なんか疲れたな」

 ぽつりと吐き出された言葉が、決して広いとは言えない室内に、リオンが思った以上の音量で響いた。

 暗がりの向こうで、スゥが身じろぐのを感じながら、リオンは小さくため息をつく。

 シンシアの声を聞いて、異世界(フェミュルシア)に来た。

 無理やりにつれてこられるよりは、自分で飛び込んだ手前納得もしていたが、それでもやはりというべきか、元の世界に残してきた家族の事や、幼馴染――納雨末明(いりさめほのか)の事が頭に浮かぶ。

 最後に見た辛そうな末明の表情と、それに伴って力なく揺れる背中まである藍色の髪。普段の活発さなどまるでなくなってしまっていた赤茶色の瞳にはうっすらとくまがあった。

 彼女をそこまで心配させる存在である、末明の兄の親友の先輩。

 思えば、彼は行方不明になったと聞いた。

 ――もし、もしあの人もこちらの世界に来ているのだとしたら。

 リオンの中にある先輩の印象は、完璧超人。

 何でも“やればできる”先輩で、運動こそ、本来体を動かしていないのだから肉体がついて行かないだろうが、それこそ本腰を入れてやり始めればすぐに頭角を表すだけの才能を秘めていたように思う。

 成績も上の中程度だが、教えてもらった記憶はあれど、彼が本腰を入れて勉強をしているという話は聞いた覚えがなかった。

 そんな先輩が、もしこの世界にいるとしたら。

 リオンは僅かに自分が抱いた思いに苦笑してしまった。

 今の自分にならあの先輩、小柳春を越えられるのではないか。

 そして、一緒に帰る方法を見つけ、末明をびっくりさせてやれるのではないか。

 そんな考えが頭の中をぐるぐると渦巻いて、そんな事、ありえない事も、頭のどこかでしっかりと理解しているのが、どうしても辛かった。

 世界を渡ってくるなんて奇跡、そうそう起こるモノじゃない。たとえ完璧超人のような春先輩でも、運命めいたモノはないと、人間的な感性で否定してしまえる。

 だからそれは夢物語だ。それに、春先輩が居たとしても、彼がリオンと同じように魔術を使えるとは限らない。

 リオンだけが、そう、自分だけがこの能力を持っているという特別感に浸りたいという無意識の気持ちも手伝って、リオンはそう結論を下す。

 「――末明、心配してないかな」

 自然とそこに着地するように思考が纏まり、リオンの声が再び静かな室内に木霊した。

 「ホノカ、ってお前の彼女?」

 リオンが気づいて暗がりを見れば、いつの間にかスゥがリオンのほうを向いて横になっていた。

 その表情は眠そうではあるが、興味も手伝ってすぐには寝そうにない。

 リオンは苦笑しながら手を振って否定する。

 「違う。ただの幼馴染だ」

 「ふぅん。好きなのか?」

 スゥの茶化すような言い方に、普段のリオンならば躍起になって否定しただろう。

 しかし、帰れないと言う事実が、リオンの意地をそぎ落として、普段ならば隠してしまう本心を吐露させる。

 「……どうだろう。恋愛っていうより、むしろ家族みたいなもんだからなぁ」

 「そっか。いいな。そういうの」

 「あいつ……俺がいないとすぐ泣くからな。その癖俺の事バカバカ言ってからかってくるし。同い年なのに妹みたいっつーか」

 言葉に篭った暖かな感情が、戻れない憧憬からくるものであると察したスゥは、話題をずらすという意味でも、思った事を口に出す。

 「シンシア殿下とは真逆だな」

 「なんでここでシンシアが出るんだ?」

 きょとんとするリオンに、スゥは内心、何で陛下をつけないんだよ。と前々から思っていた突込みをとりあえず押さえ込んで話を続ける。

 「いや、お前がシンシア殿下にホノカ?さんを重ねてるのかと思ったけど、違ったから」

 「いやいや。シンシアみたいな女の子、俺の世界じゃ稀少だぞ。大和撫子っぽいし」

 「ヤマトナデシコ?」

 今度はスゥがきょとんとする番だ。やはり国が違うからだろう。リオンの口からは時折突拍子もない言葉や、聞いた事も無い言葉が出てくる。

 それがまた面白くもあると感じるスゥは、自分も大概変人だなと内心で苦笑する。

 「俺の故郷の女性を表した?言葉みたいなもんで、なんつうのかな。控えめで気の回る女性とか、可愛い見た目だけど芯が強い女性って意味」

 リオンは昔習った教科書からうろ覚えに引っ張り出した知識で答えつつ、スゥからこれ以上質問が飛んできたらどうしようと思ってしまう。

 元々授業は座学のほとんどを寝て過ごしたいとすら思ってしまう程に不真面目で、テストも末明や、時には春に頼らねば赤点必至といった具合だったのだ。

 そんなリオンに真面目な解説など望むべくもないだろう。

 「なんだその理想の女性像」

 スゥは聞きながら、自分の理想とは違うが、貴族が聞いたら大喜びしそうな女性のあり方だと思った。

 主人である貴族のやる事には一切口を出さず、影ながらそれを支えるように立ち回る可憐な黒髪の女性が、スゥの頭にありありと浮かび、なるほど、確かに美徳だと感じる。

 「でも昔は多かったらしいよ」

 「凄い国だなお前の国って……」

 そんな女性が基準の国とはどんな国だろうか。特定の呼称がある以上、そのヤマトナデシコとやらは称号のようなものなのだろうか。

 スゥの頭の中でどんどんリオンの国、ニホンという場所への理解が飛躍していく中、リオンはからから笑いながら現状は違うと否定する。

 「なぁ、もっと俺にお前の国の事教えろよ。なんか気になって眠れなくなってきた」

 その言葉は嘘ではない。スゥの中で、リオンという少年の住んでいた異国がどの様な場所か、どんどん期待にも似た感情が膨らんでいた。

 「いいのかよ。明日だって馬車旅だぞ」

 「いいんだよ。俺は護衛だから不寝番にも慣れてるし、いつ追っ手がかかるか分からないからな」

 そう言いつつ、スゥは身体を起こしてベッドに腰掛け、リオンのベッドのほうを見る。

 リオンも起き出して、スゥに向かい合って問いかけた。

 「そっか。じゃあ、何が聞きたい?」

 「お前の国の武術について」

 スゥが気になったのは昼間のリオンの動きだ。

 素人臭さを感じるのに、それでいて機敏で、普段から身体を鍛えていたように見える。

 あの素人臭さまでが演技だというのなら、本来のニホンの武術というのはどういうモノなのだろうか。

 騎士として、戦いに身を置く者として当然のように浮かんだその疑問に、リオンは困ったように頭をかいた。

 「そこかよー。俺だって詳しくねぇよ」

 「何でだ?お前の国には兵はないのか?」

 スゥの感覚からすれば、リオンがただ単に武術に関して疎いとしても、その年齢ならば従軍経験があっても可笑しくはないはずだ。

 にも拘らず、詳しくないといって逃げようとする姿勢に、スゥは疑問を抱く。

 「いや、一応あるんだけど、戦争そのものがないんだよ」

 「なんだそりゃ」

 想像がつかない。兵はいるのに戦のない世界とはどの様な世界なのだろうか。

 それとも、リオンの住む国が強国の為、他国とめったに戦争までたどり着かないのではないか。

 あらゆる想定が頭の中に巡るが、やはり聞くのが一番早いと判断して、スゥはリオンの言葉を待つ。

 「何だといわれても――」

 困ったように、楽しんでいるように、リオンはぽつぽつと自分の世界の事を語りだした。

 夜は更けてゆく。




 「くぁー……」

 差し込んできた朝日に目を細めながら、リオンは大きく背筋を伸ばす。

 入念に身体を解して行くと、凝り固まった筋肉が解れていくのを感じる。

 「いやー。凄い世界なんだな。リオンの国って」

 結局朝まで話し込んで、リオンの故郷の話を聞いていたスゥが言った。

 リオンはやはり、話の最中もそうだったが、何処が凄いか分かっていない。

 「そうかな。俺にはこっちの世界で暮らしてる皆の方が凄いと思うけど」

 「そうか?」

 「隣の芝は青い。だな」

 「なんだそれ?またコトワザって奴か?」

 スゥは夜に聴いた話の中で、コトワザという、短い言葉に意味を詰め込んだ言葉があるという事を知っていた。

 「まぁ、そんな所。意味は、隣人の持っているものの方が自分の持っているものよりも良く見える。要するに、同じ料理頼んでも隣の奴の方が量が多く見えるって感じ」

 「なるほどな。言われてみれば確かに」

 食べ物を引き合いに出されて、思わず納得してしまうスゥに、リオンはニヤッと笑って付け加える。

 「結局気のせいだったりするんだけどな」

 「違いない」

 夜の間に既に友人としては付き合っていけそうだと、二人の仲で共通の認識が芽生えていた。

 ――コンコン。

 と、控えめなノックの音が響く。

 ドア越しに曇った声が聞こえてきて、リオンとスゥは身構えていた身体の力を抜いた。

 「リオンお兄様?起きてらっしゃいますか?」

 シンシアの、ノックと同じ控えめな声。

 リオンは鍵を開けながらシンシアを招き入れると、前日とは色の違うワンピース姿のシンシアがおずおずと部屋に入ってくる。

 「え?あ。シアンか。おはよう」

 「失礼しますわ。スゥ様もお目覚めでしたか」

 「スゥでいいですよ。シアン様。護衛に様なんてつけてたら怪しまれます」

 「そうですか。ではスゥさんと」

 「まぁ、それくらいなら」

 言葉を交わしていると、開いたままの扉からエレストアが覗いてきて、リオンとスゥ、そしてシンシアがいる事を見て自身も入ってくる。

 「おはよう。まさか寝なかったのか?」

 リオンとスゥの様子が、寝ていた事を感じさせないモノだったが故に、エレストアは困ったように眉を寄せて尋ねる。

 そんなエレストアに、スゥは真面目にベッドから立ち上がって答える。

 「はい。いつ追っ手がかかるとも分かりませんから」

 「アージ、お前まで……」

 不寝番ならばスゥ1人でも事足りたはずだが、見ればリオンまで寝ていなかったようで、エレストアが心配を含んで声をかければ、リオンは手を振ってなんでもないという風に答える。

 「大丈夫だよ。俺も徹夜には慣れてる」

 「ならいいが、今日の御者は私がやろう。二人は馬車で横になっておくといい」

 「すみません。助かります」

 スゥが頭を下げてそれに応える。

 どうやら、朝食をとってすぐに出発するつもりのようだ。

 昨晩も夕食をとった食堂へ顔を出すと、亭主が朝早いにも関わらず既に厨房から出てくるところだった。

 「おはようございます。朝食ですか?」

 4人に気づいた亭主が頭を下げて尋ねてくる。

 「ええ。4人分お願いします」

 そういいつつエレストアが銅貨を渡すと、亭主は席を勧めて厨房へと戻っていった。

 程なくして運ばれてくる料理はやや固めのパンと暖かなスープ。そして近隣で取れただろうカラフルな野菜だった。

 料理を口にしながら今後の予定を話し合っていると、亭主がたまたま話を聞いていたのか、声をかけてくる。

 「なんだ。身なりが良いと思えば、ヴァラステアにご留学なさる貴族様だったのですか」

 「貴族……まぁ、そうですね。私はお世話係の女中で、こちらの蒼髪の男性がご主人様よりご子息様がたを護衛する様にと遣わされた者です」

 エレストアがそつなくスゥを示して頭を下げる。

 その説明に亭主も納得したようにあごを擦りながら、スゥを、そしてリオンとシンシアを順に見ながら口を開く。

 「はぁ、まぁ、大切な子息様方を二人で旅に出させる訳にはいかないものなぁ。それにしても」

 「……何だ?」

 視線がリオンとシンシアに向いている事に気づき、リオンが尋ねると、亭主はやや慌てたように手を振った。

 リオンのぶっきらぼうな物言いが不興を買ったように映ったのだろうが、当のリオンは全くと言っていいほどそれに気づかない。

 「いや、珍しい髪と目をしていらっしゃると思って、ご兄妹様も同じ色ですから、家系でいらっしゃるのでしょうか?」

 「そうですわ。私達の家は代々この色で生まれてくるそうでして」

 リオンをフォローするようにシンシアが柔らかく微笑んで亭主を安心させるように言う。

 「へぇ。長らく宿屋をやっちゃいますが、そんな色の貴族様は初めてお目にかかりましたよ」

 どうやら亭主はリオンを絡み辛い貴族の子息、シンシアを素直で箱入りな息女と見て、シンシアに応える。

 実際にシンシアは箱入りの貴族なので間違っていない。

 「ええ。この辺りでは大変珍しいのだとか。私達の故郷は遠いですから……」

 「尋ねるのは……やめておきましょう。貴族様にこれ以上突っ込んだことを聞いたら不敬罪にあたりますものね」

 今更というように手を引く亭主だったが、誰もその事には突っ込まない。

 突っ込んで苦労をするのはシンシア達だからだ。

 たしかにシンシアはこの国の中ではトップの存在で、たかが宿屋の亭主がそのような口を利けばすぐに不敬罪になるだろう。

 しかし、今のシンシアにそれを証明する証拠を求められても自らの身分を明かすわけには行かず、かつ、シンシア自身にそんな事をする理由が無い。

 「そうですね。そうしていただけると私共もありがたいです」

 エレストアが普段護衛している時などは絶対に浮かべないような上品な笑顔で亭主に応えた。

 「そうだ。おっさん、話しかけてきたのは俺達の色が珍しかったからか?」

 リオンが何気なく、思い出したように尋ねた事で、亭主は向けられた笑顔に惚けることなく一瞬で現実に戻された。

 亭主からすれば、リオンの機嫌を損ねる事は風評被害どころか、その雰囲気から醸し出されている“やんごとなき身分”から、最悪の結末すら想像されるのだ。

 「いえ、それだけでは。皆様がヴァラステアへ行く、とおっしゃっていたので」

 「ヴァラステアがどうかしたのでしょうか?」

 しどろもどろに慌てながら答える亭主に助け舟を出すように、エレストアが上品な面持ちのままで問いかける。

 「いえいえ。貴族様でしたら関係の無い事でしょう」

 「詳しく話を聞かせていただいても?」

 今まで黙っていたスゥが尋ねる。

 その瞳は真剣そのもので、唯一職務の違わない護衛騎士という役職を押し出していた。

 「……困ったなぁ、貴族様が聞いてお耳を汚したなんていわれても困りますよ?」

 念を押すように頭を下げる亭主に、エレストアは懐から銀貨を一枚取り出して亭主に握らせる。

 「構いませんわ。是非お聞かせください」

 手に握られた銀貨に僅かに目を瞬かせた後、亭主は神妙な顔で頷いて口を開いた。

 「分かりました。……最近、ヴァラステアの政治が荒れ気味だそうでしてね」

 「政治が……今は確か、ヴィンセント様がお治めになっているのでしたよね?」

 シンシアにとってはヴィンセントとて一国の王。対等な立場である。

 「……ヴィンセント様の御歳はご存知ですか?」

 「確か、未だ幼さが残る。という事しか……」

 実際、シンシアやエレストアは大体の年齢を知ってはいる。

 しかし、一般の、しかも他国の貴族がそれを知っているというのは些か不思議がられるだろう。

 エレストアが言葉を濁して答えると、亭主は肯定しながら話を進める。

 「若干12歳、最年少とまでは行かないでしょうが、この年齢です、政治は他の者に任せきりになっていまっているのではと噂されていまして」

 そこまで説明されれば、いくら疎いシンシアとてその先は予想がつく。

 「なるほど。側近の文官や武官が好き勝手にやってしまっている。とおっしゃられたいのですね」

 「いえいえまさか。私はヴァラステアとリューデカリアの間の宿屋として恩恵を受けているのです、口が裂けてもそのような事は」

 建前上否定しているが、亭主はこういいたいのだ。

 皇族をお飾りに担ぎ上げて、宰相などの高官が平民に負担を強いているので、今行くのは危ないぞ。と。

 たしかに、いち宿屋の亭主にしては過ぎた物言いである。

 「心配すんなよ。別に言いふらしたりしないからさ」

 リオンが苦笑しながら念を押すと、亭主は明らかに安堵したように息を吐いた。

 先ほどからの態度で、リオンは堅苦しいのは苦手だが庶民を下に見ている訳ではないと、亭主は思う。

 「ありがとうございます。見れば、お二人とも聡明でいらっしゃる。私のような一宿屋の者にまで気を遣っていただいて、ご両親もさぞや誉れ高き事でしょう」

 「いえ、そんな事は……」

 困ったような照れるような笑みを浮かべるシンシアの雪のように白い頬に僅かに赤みが差し、黒髪とあいまって、普段とは別の艶やかな可愛らしさを纏っていた。

 「ご謙遜なさらずに。とにかく、皆様の様な貴族様でいらっしゃるならば大丈夫でしょうが、平民ではもしかしたら被害を被るのでは、と差し出がましい事をいたしました」

 「いや。俺達はこちらの事情には疎いから、凄く助かったよ。ありがとう」

 「もったいないお言葉です。おかわりはいかがです?」

 見れば、4人は食事を終えている。

 追加を尋ねた亭主をエレストアが手で制しながら首を振る。

 「いや、結構だ。時間が押しているから、我々はそろそろたたねばならないのです」

 「そうでしたか。お引止めして申し訳ございません」

 「いえいえ。大変貴重なお話、ありがとうございました。もし帰りも寄ることがあれば、こちらに寄らせていただきますね」

 上品な女中を演じるエレストアが言うと、亭主も貴族に気に入られたと喜んで頭を下げた。

 「ありがとうございます。今後ともご贔屓に」

 アイリスが居れば、世間話の風体を装ってリューデカリアの現状を、“王女殿下がご遊説の間に不敬の輩が政治を好きにしてしまっている噂がある”と、風評操作に掛かった事だろう。

 こと、政策において民からの信頼に篤いシンシア王女殿下の事である。宿屋の経営者ともなれば、泊まりに来た旅人や冒険者にちらりと話して、酒の席にでも持っていけば瞬く間に国内の世論に浸透するだろう。

 その際、アイリスならば部下を紛れ込ませて、それをやっているのが現在の文大臣ではないか。とまで刷り込んでしまうのが、アイリスの怖い所である。

 無論、この場にアイリスは居ない。情報操作などの裏方事業に疎い警護隊長に、そう言った事とは無縁の騎士見習い。箱入りのお嬢様に異世界人の組み合わせである。

 そんな発想が出せる者がこの場にいようはずがない。

 再三頭を下げて見送ってくれる亭主に応えながら、リオン達4人は馬車に乗り込む。

 野営用の干し肉などを買い込んで、馬車は再び街道を走り出した。

 その後を、建物の影に隠れた者がジッと見ている事に、4人が気づく事はない。




 馬車が暫く進むと、林がぶっつりと途切れた。

 シンシアが横になっているリオンを揺すって起こすと、まどろんでいた黒い瞳が眠気を振り払うように瞬かれる。

 「リオンお兄様、国境が見えてきましたわ」

 そう言ってシンシアが御者台から身を乗り出して先を指し示した。

 リオンも後から御者台に顔を出して目の前の光景を見た瞬間、どうなっているかに気づいて初めてみる絶景に息を飲んだ。

 大地が半分に割れたような巨大な渓谷が、まるで大地という紙をビリビリに破いたように巨大な溝を作っている。

 その溝の中を鋭い風が吹き抜けて、下のほうでは川が流れているのか、水煙で白く霞んでいた。

 霞の上を見た事もない鳥――蝙蝠の様な膜の翼を持ち、かもめの様な黄色いくちばしをした鳥だ――が群れを作って一団で飛び交っている。

 「す……っげぇ!」

 それ以外に、リオンの語彙では言葉がなかった。

 リオンの目には、キラキラと緑色のマナと水色のマナが渓谷の底で流れ、まるで蛍の群れがいるようだとすら思ってしまう。

 これが春ならば、ウルに乗って渓谷の中を空中散歩する事を提案していたかもしれない。

 「私も初めて見ましたわ……これが、ミレナシーシャ渓谷ですか」

 シンシアも感嘆の声を上げながら、食い入る様に景色を眺めていた。

 ビュウビュウと鳴り響く風が、まるで自然の音楽のようにリオン達を出迎える。

 「ミレナシーシャ渓谷?」

 おそらくはこの渓谷の名前なのだろうとリオンはあたりをつけて尋ねると、リオン達の歓声で起きて来たのだろう。スゥが首を鳴らしながら応えてくれる。

 「ああ。この橋を渡った先が、ヴァラステアだ」

 ――ガタガタといびつな音を立て、巨大な丸太で組まれた橋の上を馬車が進みだす。

 エレストアに危ないからといわれて中に引っ込まされた三人だったが、窓辺に張り付いているリオンの興奮は収まらなかったらしい。

 「すっげぇな!こんなの初めて見たぜ」

 「まるで子供だな」

 未だに馬車の中から谷底を覗き込もうとしながらはしゃぐリオンに、スゥは呆れた様に笑う。

 「悪かったな」

 「私も、子供でしょうか?」

 ふてくされた子供のようなリオンの様子に、シンシアはスゥを見ながら恥ずかしげに頬に手を当てた。

 「あ、いえ。そんなつもりは……っ!」

 「うふふ。いいのです。でも、こういった景色を見られるのも、旅の良い所、なのでしょうね」

 慌てて否定するシンシアにリオンは同意しつつ、その景色が流れてゆくのを名残惜しいとすら思いながら窓から見ていた。

 半分を過ぎ、リオンが不意に後ろに目を向けたときだった。

 ――ガタガタガタガタ。

 何かが物凄いスピードで近づいてくる音が響く。

 「何だ!?」

 慌ててスゥと馬車の後ろから覗く様に後ろを見れば、二頭立ての馬車が猛スピードでこちらに迫ってきている所だった。

 その御者台に乗っている姿に、リオンは愕然とする。

 ――全身を覆い隠す様な黒いローブ。そして、|顔を塗りつぶしたような白い(・・・・・・・・・・・・・・)

 リオンの葛藤の元にもなった、シンシアを狙っていた暗殺者達と同じ。

 慌てて御者台に顔を出したリオンが叫ぶ。

 「追っ手だ!スピードを上げてくれ!」

 「何だと!?国境線で仕留めるつもりか!」

 エレストアが即座に反応して鞭を入れると、馬が嘶いてぐんと速度を上げた。

 「たぶん、このまま俺達をここから突き落とせば証拠も残らない」

 御者台に顔を出したスゥが苦々しげに口を開く。

 そう、このままでは魔術や弓といった遠距離での攻撃方法をもたないリオン達ではなす術がないのだ。

 「ちっ!橋を渡った先で迎え撃つ!シンシア殿下を頼む!」

 手綱を握り締めたまま、エレストアが険しい顔で言い、リオン達は力強く頷いた。

 御者台から顔を引っ込め、馬車の中にある荷物を後ろに固める。

 弓が飛んできた時の盾にするためだ。

 何もないよりましな程度だが、それでも気休めにはなるだろう。

 「あ、あの……追っ手、なのですよね」

 心配そうに手を胸の前で握り締めるシンシアに、リオンは声をかけようと思ったが、いざ声をかけようとなると、どういったら良いか思いつかない。

 以前のように、護ると口にするのは簡単だ。

 しかし、今の自分は魔物は斬れても、人を斬れるとは限らない。

 現に、これから起こるであろう戦闘を想像すると背筋が凍る思いだった。

 そんなリオンの心境を察して、スゥが胸を張ってシンシアに応える。

 「ご心配なく、リオンお坊ちゃまとシアンお嬢様の身は、俺がこの身に代えてもお守りします」

 その様子に、シンシアは一瞬リオンを一瞥するが、深くお辞儀をして礼を言う。

 「スゥ、悪いな……」

 力なく項垂れるリオンに、スゥは背中をばしっと叩いて首を振る。

 「良いんだよ。人を殺すのって、確かに覚悟が要るもんだしな」

 「悪い」

 「謝るなよ。ああは言ったが、こればっかりははいそうですかって切り替えが付くもんじゃない」

 夜の会話を通して、スゥにもある程度、リオンが居た世界がどういったものなのかが想像できていたからこその優しさだった。

 リオンの世界に目立った暴力はない。剣など、持つ事すら許されないそうだ。

 ならば人が人に殺される頻度はどの程度までなくなるだろう。

 そんな中で生まれ育てばそれが当然だと思うだろう。

 いきなり違う世界に来て、はいそうですかと剣を握ったほうが驚きだ。

 まだ、魔物は良い。理性なく会話も出来ない邪悪なモノだ。

 しかし、人は違う。

 自分と同じように考えたり、誰かの命令で嫌々動いていることもあるだろう。

 そんな相手を殺す。それがどれほどリオンの世界では異常な事か。

 分からないスゥではないからこそ、リオンに戦わせるのは早いと思ったのだった。

 それもこの世界(フェミュルシア)で生きるにはいずれ必要になるだろうが、それが今でなくても良い。

 そう思う程には、スゥはリオンの事が気に入っていた。

 ――カカッ。

 荷物に、何かが突き刺さるような異音が響く。

 「やっぱり弓矢持ちが居たか」

 スゥは舌打ちしたい気持ちを堪えながら、荷物の隙間から追っ手の馬車を見る。

 御者台に二人、全く同じ仮面とローブ姿の敵がいた。

 片方は馬を走らせ、もう片方はその隣で弓矢を引き絞ってこちらを狙っている。

 この状況では耐えるしかない事を分かっているからこそ、スゥはギリッと奥歯をかみ締めた。

 ――弓矢が放たれ、鋭い軌道で迫る。

 しかし、先ほどの当たりがまぐれであったようで、弓矢を使うローブの人物の精度はそこまで良くはないようだ。

 揺れる馬車の上で弓を打つ芸当だけでも十分に熟練してはいるとは思う物の、当たらなければ意味は無い。

 スゥは相手の精度に多少の安心感を覚え、馬車が早く渓谷を抜ける事を祈るような気持ちで待っていた。

 ガクン、と一段と強い揺れを感じ、スゥは咄嗟に荷物に手をかけて安定を図る。

 窓の外を見ていたリオンがスゥに声をかける。

 「どうやら渓谷を超えたみたいだ。エレスに相談してくる」

 そう言ってリオンは御者台に向かう。

 「エレス、どうする?」

 問いかけたリオンに、エレストアは一瞬悩むような仕草をした後で前を見たまま、スゥを呼ぶように告げる。

 すぐに顔を出したスゥに、エレストアが指示を出す。

 「少し速度を緩めるから、オルビオンはその間に私と御者を代われ。その後は脇にそれるようにしながら私の合図で馬車を停めろ。アージは合図の中継だ」

 「わかった」

 「何をするつもりなんですか?」

 尋ねるスゥに、エレストアが徐々に馬車の速度を緩めながら応える。

 「後ろから追っ手の馬車に魔術を放つ。これで馬車は潰せるだろうから、後は迎え撃って倒すのみだ」

 「生け捕りは?」

 「出来ればそうしたいが、人員も居なければ余裕もない。今回は諦めろ。変な手心を加えれば隙が出来る」

 無言で頷いたスゥとリオンに、エレストアは一瞥するのみで応えて合図を送る。

 「準備は良いか?いくぞ!」

 エレストアの声と共に、手綱がスゥに引き渡され、一瞬馬がそれを察知するものの、すぐにスゥが制御下に引き戻して走らせる。

 リオンはそのまま御者台に顔だけを出してエレストアの指示を待つ。

 後ろではエレストアが荷物の間から追っ手に向かって詠唱を開始している所だった。

 剣の柄にはめ込まれた宝玉の中の光がゆらりと怪しく光り、エレストアの魔術詠唱をサポートするように周囲に光りが溢れる。

 「《万象、遍く灰燼、天昇る炎、俊にして(りつ)、烈火、咆哮、我が覇道、阻みし一切に、焦熱の烙印を与えよ》――今だ!《プロミネンスロア》」

 詠唱と同時に合図が飛ぶ。

 リオンが言われた通りにスゥに合図を送れば、馬をたくみに操って街道の砂利道をそれて低い草が生えた道なき道に馬車を寄せる。

 直後、リオン達の馬車の後方に赤で彩られた巨大な魔法陣が出現し、唸る様な音を上げながら、炎の柱が水平に馬車に向かって駆け抜けた。

 ゴゥ!

 と言う、獣の咆哮にも似た大気の焼け付くような音と共に、劫火の様な炎が追っ手の馬車に疾駆した。

 視界が揺らぎ、空気が薄くなる。

 周辺全てを巻き込んだ火の上級魔術、本来ならばマニトが扱おうとすれば複数人からなる詠唱によって発動させるような上位詠唱を、ハーフエルフという特性でもって中和して、人間に許される最速とも言える様な詠唱が、この炎を生み出した。

 追っ手としても、まさかいきなり上級魔術――下手をすれば戦術級とも言われる様な炎の大魔術――を馬車相手に使ってくるとは思っていなかっただろう。

 運よく指示が飛び、慌てて飛び降りた仮面達が地面を転がる。

 そのすぐ上を、馬車そのものを飲み込む形で炎の光線が駆け抜け、熱波に煽られて仮面達がさらに転がされる。

 その光景を直接目にしなかったリオンやスゥは幸運だったと言えるだろう。

 肉が焼ける匂いも、悲鳴も、一切を焼き尽くして駆ける炎の柱など、嫌でもトラウマになってしまう。

 リオンの良く知る先輩がつい最近その戦術級魔術を5つ同時に、しかも個人に対して放った事など、この時この場に居た者は誰も知らないが。

 緩やかに停車する馬車から、スゥが飛び降りる。そして、その蹂躙の跡ともいえる街道の惨状に思わず呻いてしまった。

 「さすが、アニテベルカ警護隊長」

 伊達に女の身で、最高権力者の護衛を勤めていない。

 本来ならば2つから3つ、別々に制御できれば一人前とも言える下級の単発術式を4つも同時制御して見せたエレストアの力量はスゥも良く知るところではある。

 しかし、魔玉(スフィア)の補助があったとしても、これだけ短期間に上級魔術を構築して馬車の中から打ち込んでみせるその手腕は、まさに天才的と言ってもいい。

 もしロランが見ていたならば、単独で冒険者ランクAをつけていただろう。

 しかし、それで終わりではない。

 呻く様にしながらではあるが、さすがは訓練された暗殺者と言った所だろう。

 倒れていた者たちが起き上がり始め、おのおのに短剣や剣を構えてこちらへ走り出してくる。

 「ふ。どうやら遠距離職は一掃できたようだな」

 不敵に笑うエレストアの横で、スゥは感嘆の息を吐いていた。

 「俺、要ります?」

 「何を言う、私は魔術の方が得意なのだから、オルビオンが援護してくれなければこれだけの相手をするのは難しいぞ」

 難しいだけであって、不可能だとは言わない。

 その事だけでもエレストアが如何に規格外に強いかが分かってしまう。

 見習い騎士に過ぎないスゥからすれば、それでも天上人の様な発言だった。

 尤も、スゥ個人としても、生き残った5人程度、走ってくる姿を見れば錬度も自分に劣るのがわかり、負ける気はしないのだが。

 「まぁ、俺もがんばりますんで、援護お願いします」

 格好悪いところは見せられないとばかりに意気込むスゥに、エレストアは小さく頷いて一歩下がる。

 「む、そうか。では私は援護に回るとしよう」

 「リオン!殿下を頼むぞ!」

 崩れた荷物の壁の向こうから見ていたリオンに、スゥはそう声をかけて走り出した。

 「行くぜ!武技《一閃》!」

 一番近い黒ローブの1メートル程手前、脇構えに下ろされた剣を、遠心力を使って振りぬく様にしながらスゥが叱声を上げた。

 ――その瞬間、僅かに剣の刀身が煌き、軌道が緩やかに光を残して黒のローブに刻まれる。

 「次!」

 後ろも見ずに再び駆け出すスゥの後ろで、黒いローブがずるりと崩れ落ちる。

 その身体には、見事な一筋の線が刻まれており、滑らかな断面が僅かにローブから覗いていた。

 「い、今のは……」

 リオンがつぶやくと、エレストアは首を振った。

 「中々いい太刀筋だが、正直すぎるな。あれでは二流は倒せても一流は相手取れん」

 「じゃなくて、なんか、今いつもと違ったような?」

 「ああ。そうか。アージは武技を知らないのか」

 聞きなれない単語を耳にして、リオンは首を傾げる。

 「武技?」

 「っと、その前に……《常世、余す事なく満ち足りる、輝ける力、我が意思の元、敵を貫け》――《エナジーランス》」

 リオンとの会話を中断して、エレストアはスゥの後ろから隙を伺っている短剣使いの黒ローブに狙いを定め、呪文を詠唱して放つ。

 白くやや透明感のある粒が収束して、一条の矢となった光が、まるでこちらの事を警戒していなかった短剣使いのわき腹に突き刺さる。

 それに気づいたスゥが振り向き様に剣を横薙ぎにし、短剣使いの首が半ばまでざっくりと抉られて血しぶきを上げた。

 「そうだな。武技、というのは、武術の中での奥義のような物だ」

 事も無げに血しぶきを上げて倒れ臥す短剣使いを淡々と見やりながら、エレストアは解説を始めようとする。

 その様子に盛大に突っ込みを入れたいが、声を荒げるだけの気力も目の前の光景にそぎ落とされて、至極低い音しかリオンには出せなかった。

 「……いや、教えてくれるのはうれしいんだけど、あの光景の直後にサラッと言われても反応に困る」

 「ああ。悪いな。敵を敵としてしか見ないと、どうにも味方以外の損害には目が行かなくなってしまって」

 悪びれる風でもなく言うエレストアの視線の先では、最後に残ったロングソード使いの仮面と切り結んでいるスゥの姿が映っていた。

 見るからにスゥが優勢で、あと数合も打ち合えばスゥに軍配が上がるだろう。

 「慣れるとそうなるのか?」

 スゥから目を離さずに、その戦い方の力強さを目に焼き付けながらも、リオンが問いかける。

 「いや、たぶん私だけだろうな。私の大切な者はシンシアであり、シンシアが国を思うならば、私はシンシアのために国の剣となる。それだけだ」

 独り言の様に返された言葉に、リオンはエレストアの価値基準を、覚悟のあり方を見た気がした。

 「……そうか」

 そう返したときには、視線の先でスゥが最後の仮面の剣使いを切り伏せた所だった。




 「ご苦労だったな」

 そう労って、戦後処理を終えて戻ってきたスゥにエレストアが声をかける。

 「いえ、これくらいどうってことありません!」

 畏まって、スゥは拭いきれなかった返り血が未だに残る姿で敬礼する。

 「しかし、オルビオンの戦い方はやや素直すぎる。あれでは一流の相手とは戦えないぞ」

 指摘しながら、馬車を再び動かせるように馬を宥めるエレストアに、スゥはやや困ったように苦笑いを浮かべた。

 「はい。シーザ将軍にも言われました。どうにも、直線的になってしまって」

 「そうだな。フェイントをうまく使って、あとは、武技のタイミングだな」

 そういうエレストアの言葉で、リオンは思い出したように尋ねる。

 「……で、武技って一体なんだったんだ?」

 「ああ、そうだな。武技というのは、魔術は自身の体内のマナや周囲のマナを使って、術式に沿って発動させるのに対し、武技は体内のマナを使って特定の動作を起点として発動させる技術だ」

 「それじゃあ、人間――マニトだっけ。じゃ使えないんじゃないのか?」

 「いや、マニトにも少なからず体内にマナを持っているからな。見えないだけであって、修練次第では誰でも体内のマナを扱えるようにはなるんだ」

 エレストアの解説を頭の中で整理しながら、リオンは浮かんでくる疑問を投げかける。

 「体内のマナを使って魔術は使えないのか?」

 「結論から言えば、使える。しかし問題もある」

 「問題?」

 リオンが問うと、エレストアは御者台に乗り込みながらそれに答える。

 「ああ。武技と違い、魔術はマナをそのまま力に変換する訳だからな、消費する量が多いんだ」

 「つまり、体内のマナが少ないマニトは使うとすぐにばてちゃうと」

 同じように御者台から乗り込んだスゥ、リオンを横目に見ながら、エレストアは手綱を握って馬車を再び走らせた。

 「ばてるだけならいいのだがな。マナは生命力の象徴でもある。体内のマナが枯渇するのは死に等しい」

 「……つまり、武技は命を削る技って事なのか」

 再び動き出し、もはや慣れてしまった振動に揺られながら、リオンはちらりとスゥを一瞥する。

 しかし、その顔色は決して悪くなく、むしろ戦闘で動き回った所為か、僅かに頬が上気していた。

 「いや、昏倒するまで使わなければ、時間の経過である程度は回復する。それに、使えば使うほどマナの吸収・放出の効率や許容量が増えるから、適度に使ったほうが良いとさえ言えるな」

 「なるほどな。武技なら俺も使えそうだな」

 使えば使うほど強くなる。という言葉に、リオンは少なからず惹かれるものがあった。

 元々スポーツは好きな方だ。走る事だってタイムが伸びれば嬉しいし、体を動かして上達する事はある種の楽しみですらある。

 「ああ。アージは体内のマナが多い。あの状態もある種では武技の一種だと思うぞ」

 「そうなのか」

 「まぁ、あんなふうに全身を覆う武技など、私は見た事もないがな」

 そう付け加えるエレストアに、リオンは困ったように自分の手を見るのだった。




 街道の周囲に、再び森や林の姿が見え始め、春だと言うのにやや気温が落ち始めた夕方、リオン達は一段落したところで野営の準備をしていた。

 既に1週間以上も旅をしていると、なれたもので、シンシアですら天幕の設営を手伝いだそうとして、エレストアに止められるなどのごたごたもあった物の、日が暮れる前には一応の作業は終了していた。

 「そういえば、あとどれ位でヴァラステアの……なんだ?魔術学院につくんだ?」

 色々とありすぎてつい聞きそびれてしまったが、ヴァラステアの国境を越えたことでリオンの脳内に疑問があがる。

 「そうだな。その辺も一応説明しておこうか」

 パチパチとはじける焚き火を囲みながら、夕食の支度をしていたエレストアが腰を下ろしながら言った。

 「私も行った事がありませんので詳しいお話を伺いたいですわ」

 手渡されたパンと干し肉を受け取りながら、シンシアもエレストアに顔を向ける。

 「わかりました」

 一つ頷いて、皮製の水筒から水を一口含み、口の中を湿らせてからエレストアが説明を始めた。

 「我々がこれから向かうのは、ここから一番近い村を1つ経由して3日ほどの所にある、“学園都市”ネーブルラートです」

 「つまり、あと4日くらい、って事か」

 「元々リューデカリアの騎士学園と双璧をなし、お互いに貴族の子息や子女を入学させて保障とする風習があった為、国境に近いこの場所に学園が建てられ、その影響で各国から集まる学生を相手とした商業が発展したのが学園都市の由縁です」

 非戦争状態とはいえ、元々はリューデカリア王家の後継者争いで生まれた国だ。

 リューデカリアの隣だからこそ、いつ険悪な状況になってもいいようにと、お互いの貴族の子供を交換留学させる事で人質、保障として、お互いに牽制しあう目的で設立されたのがそもそもの始まりだったと言える。

 その後はエレストアの言うように、高い質の魔術という稀少な技術を学べると、率先して他国の貴族が子弟を送り込み、その財力を目当てにした商人が集まって言った事で現在の学園都市が出来上がっていった。

 「そんな所に、私たちがいきなり入学させてくださいとお願いしても大丈夫なのでしょうか?」

 尤もな疑問を口にしたのはシンシアだ。

 今は硬い干し肉に四苦八苦しているものの、そのしぐさは愛らしく、手に握られた干し肉が妙に似合っていない。

 「アイリス殿はヴァラステア魔術学院の創立に関わっているそうで、いまでもエルフという長寿を活かして永久名誉理事長に就任されているんですよ」

 可愛らしい主の所業にご満悦な表情を浮かべながら、同じく硬いであろう干し肉をいとも容易く噛み千切りながら説明するエレストア。

 その光景も、暫くすればなれるもので、リオンは既に眉一つ動かさずに自分の干し肉と格闘しつつ問いかける。

 「理事長って事は、アイリスの名前で入学できるって事か?」

 「ああ。我々がつくころに合わせて推薦状を書いてくださっているはずだ」

 「ふぅん。俺もその、魔術学園に通うんだよな」

 「ああ。アイリス殿は自分で指導したいといっていたそうだが」

 ちらりと、エレストアはリオンを見る。

 エレストアには到底、マナの量こそ多いが、魔術に秀でているようには見えない。

 どうやらスゥもそう思ったようだが、門外漢ゆえ特に疑問を挟まなかったようで、ただ感心したようにしみじみとリオンの顔を見る。

 「へぇ……あのデューレンハイト宮廷師団長が自ら……リオン、お前魔術師の方が向いてるんじゃないのか?」

 「あ?何でだ?」

 固めのパンを水で流し込みながら言うリオンに、スゥは呆れたように指を立てる。

 「だって、あのデューレンハイト宮廷師団長だぞ。魔術師としての腕は超一流。毎日名のある魔術師が教えを請いたいとやってきてはすげなく断られる程の有名人だ」

 「へぇ。そうなのか。あんまりそうは見えないけど、アイリスって凄いんだな」

 特に気のない返事をするリオンに、エレストアは凄さを分からせる為に何か例はないだろうかと頭をめぐらせ、昼間の戦闘を思い出す。

 「凄いなんて物ではないな。私が昼間使った火の上級術式など、アイリス殿にとっては児戯に等しいだろうな……」

 聞くうちに、サァッとリオンの顔から血の気が引いてゆく。

 直接見ては居なくとも、あの轟音と焼け跡、そして馬車がただの炭化した山に変わったあの無残な状況をみれば、嫌でもその威力に想像がついたのだろう。

 しかも、それを児戯といってしまうだけの技量を、アイリスは持ち合わせているらしい。

 「うわ。それはすごいな……今度からはアイリスを怒らせないようにしよう」

 「だな。俺達なんか一瞬で消し炭になるぞ」

 茶化すように言うスゥだったが、目は全く笑っていない。

 「そのアイリス殿がアージを指導したいというのだ、才能はあるのだろうな。期待しているぞ」

 「いや、そんな何も知らない状態で才能があるとか言われても困る」

 そんな危険人物に早々に目をつけられていたことを今更ながらに悟ったリオンは、これからの学園生活に暗澹たる不安を抱いたのだった。

書き溜めではなく、投稿してから書き始めました。

……自分でも集中力凄いと思う。


次はたぶん投稿間隔こんなに短くは出来ないと思いますのでご了承ください。

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