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少年は幻想の夢を見るか?  作者: 門間円
対の第二章・王国騒乱
13/16

~第一部・異世界~

ようやく、天城里桜編始動。です。


 アイリスに手を引かれてリオンが闇をくぐる。

 文字通りの闇だ。まるで温度の無い沼に沈み込むような、湿度というより、絡みつくような闇を全身に感じる。

 「慣れないと少し気持ち悪いかもねぇ」

 アイリスが苦笑しながら、顔を顰めるリオンに笑いかけ、後からついてくるエレストアに手を引かれて戸惑いつつも歩いてくるシンシアを一瞥する。

 ふと、気づけば闇が払拭され、何の変哲も無い木造の家の一室へと景色が変わっていた。

 「ここは?」

 リオンが後ろを振り返れば先ほどまで自身を飲み込んでいたであろう闇が、エレストアとシンシアを吐き出す所だった。

 後からついた二人も、辺りを見回して目を瞬かせている。

 「私の隠れ家の一つよ。管理の子が夜行性だから、昼間は無人みたいなものだけど」

 「ふぅん」

 適当に相槌を打っていると、カーテンを薄く開けて外を覗き見ていたエレストアがリオン同様に問いを発する。

 「それで、アイリス殿、ここはどこです?見た所、王都ではないようですが」

 アイリスはやれやれと首を振りながらも、出口ではなく、台所だろう方へと歩きながらそれに応える。

 「王都のやや南、ネアーラ村のはずれよ」

 カーテンの隙間から長閑な村が見える。

 リオン達がいる建物は村の端に位置するらしく、家々の集まりから若干離れている様だった。

 「何故直接王都へ戻らなかったのですか?アイリス殿ならばそれも可能でしょう」

 窓際から戻ってきたエレストアが尋ねると、アイリスは肩を竦めてそれに答える。

 「私のポータルのショートカットに設定してる一番王都に近い場所がここなのよ。さすがに、王城にポータル繋がれたくはないでしょ?」

 「はぁ、まぁ。それはごもっともです」

 いくら国の重鎮とはいえ、中枢ともいえるような場所に軽々と出入りが出来るとなれば問題だろう。

 暗に指摘され、警護隊長としては頷かざるを得ない。

 「と言うわけで、勇者様にこの世界の事を説明しながら行く事になると思うから。その間は姫様の事をよろしくね。近衛隊長さん?」

 「……私はどうしたらよいのでしょう?」

 シンシアが困っているような、それでいて楽しんでいるような調子でアイリスに問う。

 どうしたら良いか分からない様でもあり、また、初めての遠足でうきうきしている子供のようなシンシアに、アイリスは小さくため息を吐いた。

 「姫様は何もして頂かなくともよろしいですわよ?強いて言うなら、これ以上騒ぎを大きくしないために、庶民の服装に着替えていただく位かと」

 遠まわしでもなんでもなく、邪魔になるようなことはするなよと釘を刺すアイリスに、エレストアは何かいうべきかと迷う。

 しかし、当のシンシアはまるで気にした風もなく、楽しげに手を打って花のような笑顔を見せた。

 「お洋服ですか!楽しみですわ」

 「シンシアって、姫様なんだよな?」

 エレストアとアイリスの対応からみて、シンシアが大切に育てられた姫である事はなんとなく理解していたリオンだったが、ならば何故今更服如きでそこまで喜ぶのかが分からずに首を傾げてしまう。

 「はい。僭越ながら、この国の為政を任されております」

 「……なのに、服が楽しみなのか?」

 「はい!いつも皆様が、“殿下は諸外国への示しとなっていただかなければ”と、格式的な物しか着させていただけませんので、皆様が着ている様なお洋服を着るのって、とっても興味がありますわ」

 「大変だな。姫様ってのも」

 やれやれとため息を吐いたリオンだったが、エレストアと目が合った瞬間に身を硬くする。

 何故なら、つい先ほど一方的に斬りかかって来た時と同じような剣呑な目で睨んで来ていたからだ。

 「こら!殿下に向かって先ほどからなんて無礼な口をっ!」

 怒気を隠そうともせずに言うエレストアに、リオンはやや身を引きながらシンシアの近くに寄る。

 「エレス?」

 「で、殿下?」

 シンシアが一言、笑顔のままエレストアに呼びかける。

 しかし、その口調や目が笑っていないことは明白だった。

 エレストアも慌てて膝を折って、先ほどのリオンの無礼など既に彼方に忘れ去ってしまったかのようである。

 「ここは公の場ではないのですよ?エレスも早々に私の事を普段のようにシンシアとお呼び下さればよろしいのに」

 「……分かりました。シンシア、でも男には気をつけてくださいね。皆魔物なのですから」

 「なんかすげぇ失礼な事言うのな。お前」

 「エレスです」

 「はいはい。エレスって呼べばいいんだよな?」

 会話がひと段落したのを見計らったように、アイリスが盆の上に3人分のティーセットと紅茶を持って入ってくる。

 手際よくテーブルにそれらを置き、シンシア、リオンを座らせた上で腰掛けて口を開いた。

 「さて。エレス、貴方には悪いのだけど、姫様の洋服を調達してきてくれないかしら。お金なら私が出すわ」

 一人だけお茶もなく、座る事も勧められなかったエレストアに顔を向けながらアイリスが何もないところから袋を取り出して渡す。

 「了解しました」

 受け取り、手の中に納まったそれが、ジャラジャラと金属がぶつかり合う音を立てて、中にお金が詰まっている事を表す音だけが家の中の静寂を裂いていた。

 「それと、もしかしたら必要になるかもしれないから、数日分の野営具。ある程度の粗雑さは仕方ないとして、勇者様の武器も。ね」

 「……どういう事ですか?」

 「行きながら話すわ」

 ひらひらと手を振って、早く行けという合図を送るアイリスに、エレストアは一応は納得したという風に頭を下げ、注意深く外の様子を伺ってから出て行った。

 何処で感知しているのかなどリオン達には想像もつかないが、少しして、アイリスが完全にエレストアが離れたという事を確信した頃に、リオンとシンシアに向き直って、実際的には、リオンに目を合わせながら口を開く。

 「とりあえず、まずはこの世界の事、勇者様はどこまで知ってるのか。それと、どうやってここへきたのか。ね」

 どうぞ、といわんばかりにお茶を勧めるアイリスに、リオンは戸惑いながらもお茶には手を付けずに答える。

 「あー……実は、来てすぐにシンシアを護る為にどんぱちやって……直後に合流したからな。良く分からないんだ」

 「そっか。まぁ半端に知識があるよりはまだいいか。説明するの楽だしねぇ」

 「ああ。頼むよ」

 いっそ潔いとすら思えるようなアイリスの物言いに、リオンは少なからず好感を覚える。

 そもそも、リオンは回りくどい喋り方をする人間が苦手なのだった。

 「んじゃ、まずはこの世界についてね。この世界の名前は《フェミュルシア》。遥か神代、神が生み出した数多の種族が生きる世界よ」

 アイリスの言葉で、初めてリオンの中の、異世界に飛ばされてしまったのではないかという予想が確信、肯定された。

 世界の説明を聞いて、リオンは思わず呟く。

 「剣と魔法のファンタジー。だな」

 「あら。少しは知ってるのかしら?」

 アイリスはそこまで話していない。だからこそ、リオンがどの様に知識を得たのかに興味がわいたのだ。

 リオンを見たままに、そして、短い間ながら言葉を交わしてアイリスが抱いた印象では、その様に特別に頭が回るという様な事はなかった。

 故に、余計に気になってしまったのだった。

 柔らかな視線の中に、追求するような鋭さを含んだアイリスの言外の圧力。

 リオンはやや困ったように、どう説明すればいいかを考えながら答える。

 「あ、いや。俺がいた世界は魔法が無くて、代わりに科学……っていってもわからないかな。とにかく、錬金術は分かるか?それの、超進化版みたいなのが浸透してる世界なんだ」

 リオンは自分の中で、授業や友人に聞かされた雑学、ゲームなどの知識から、この世界でも伝わるだろう言葉を選びながらぽつぽつと言う。

 現代科学の基盤は、錬金術という、化学反応をそれと知らずに研究していた学問からの発展である、というおぼろげな知識を元に答えるにいたったのだった。

 細かく言えばそれだけではないのだが、どうせ科学の発展していない世界である。それを細かに説明する必要もない。

 「錬金術……確か、鉛を金に変える魔術……です?」

 隣で聞いていたシンシアが、恐らくは知識を参照しているのだろう、半信半疑といった風にリオンに問う。

 しかし、それを正確に答えられるほど、リオンは詳しくない。

 「そうそう。それ。本当は違うんだけど、確か、俺の世界の科学の大本は錬金術だったはずだ」

 だからこそ、適当に相槌を打って流してしまおうと、シンシアの問いを肯定する。

 その様子から、恐らくは詳細な科学とやらの仕組みを聞くのは難しいだろうと踏んだアイリスが、話の腰を戻す為に再び問いかけた。

 「そう。それで、その錬金術はあるのに魔法が無い世界の勇者様が、どうして“魔法”、を知ってるのか、聞いても?」

 アイリスは、ここであえて、“魔法”という言葉を口にした。

 それは、フェミュルシアに生きている者であれば、既に失われた神々の業を意味する言葉。

 本来ならば魔術といえば良い。しかしあえて魔法と問うことで、アイリスはリオンの真意を見極めようとしていたのだった。

 しかし、そんなアイリスの思惑に、リオンが気づくはずもない。

 ただ淡々と、むしろ錬金術の話から遠ざかる事をこれ幸いといった風に話し始める。

 「この世界って、小説とか漫画――この際絵画でもいいや。そういう娯楽ってあるか?」

 「あるにはある、けれど、一部の上流階級のみの嗜み程度ね。紙も馬鹿にならないから。大切な書物なら当然使われるけど、そういった娯楽にまで使えるほど安価でもないもの」

 首をすくめながら答えるアイリスに、リオンはそうかと小さく呟くのみで応えた。

 続きを促す為に、アイリスが一口お茶を含んで目を細める。

 「俺の世界だと、紙は腐るほどあるからな。そういう娯楽が多いんだ。その中にそういうジャンルがあるんだよ。だから、直接魔法を知ってるってわけじゃない」

 「なるほどね。私達の世界の常識は、勇者様の中での娯楽としての教養なわけね」

 漸く納得したようにアイリスが頷くと、リオンもホッとしたように息を吐いた。

 「っと、話がそれたな。悪い」

 軽く謝罪するリオンに、アイリスは内心苦笑してしまう。

 むしろ、話の腰を折りにいったのはアイリスである。

 「いいのよ。私が聞いたのだもの。それじゃあ続きを説明していきましょうか。気になることがあればその都度説明するから、遠慮なく聞いてちょうだい」

 そういって、アイリスは本題の説明に戻った。




 「……と、いうわけよ」

 そう言って説明を締めくくったアイリスに、リオンは頭から湯気でも出んばかりにうんうん唸りながらも、一応は理解したという風に首を振った。

 アイリスが説明したのは、ここがリオンのいた世界とは別の世界であるという事。

 この世界ではあらゆる種族が生きて、それぞれが様々な国を築いていると言う事。

 そして現在いる場所が、アイリスやエレストアが仕え、シンシアが治めるリューデカリア王国という国である事。

 現在、リューデカリア王国は内外からの影響で非常に揺れている事。

 一つは、前王が崩御した事で、未だ幼きシンシアが即位せざるを得ず、その政策が庶民向けであるが故に、貴族たちからの反感を買ってしまっていると言う事。

 さらに、その軋轢の他にも、魔物は徹底排除すべしという姿勢を崩さないガルデコール帝国から、魔物掃討の同盟を持ちかけられており、前王はそれに肯定的であったのに対し、シンシアが否定的な姿勢を貫いている事から、諸外国からの圧力が掛かりつつあるという事だった。

 ガルデコールもリューデカリアも、歴史的に見ればどちらも優劣付けがたい大国である。

 しかし、その国力でみるならば、ガルデコールは屈強な軍隊を保有する軍事国家であり、完全な実力主義で政策を進めてきた強国という面を持つ。

 対してリューデカリアは、騎士や貴族といった、格式を重んじる風潮が強く、昔でこそ大陸有数の猛将や知将に恵まれた絶対王政の国であった。

 しかし、現在では永きにわたる世襲制度によって、貴族は腐敗し、騎士団は貴族達の箔付けの社交場とかしてしまっていた。

 そんな二国では、力の差など歴然と言えよう。

 その状態を危惧し、改善を図ろうとしているシンシアだったが、それを望まない思惑が絡み合い、王宮内ですらキナ臭い雰囲気が漂い始めていたのだった。

 現状を憂いたシンシアは、王都の王立図書館、その最深層にある、禁書ともいうべき秘術の本の中から、勇者の伝承を見つけ、確かめる為にあの神殿へと赴いていた。

 結果、見事にリオンという少年を召還する事に成功したシンシアは、自らを護ってくれたリオンを伝説の勇者であると確信してしまったのだった。

 「んで、俺はどうすれば良いんだ……?」

 話を聞き終えたリオンがアイリスに問う。

 何故なら、今までの話の中で、リオンをどうするかという話が一切出なかったから。

 アイリスは小さく息を吐く。別段隠したかった訳ではない。しかし、すぐには帰れないという事実がある以上、いくつか伝えなければならないことがある。

 「それは追々調べていくしかないけれど、まず今までの話で、真っ先に考えなければならない注意事項があるわ」

 すっかり冷めてしまった紅茶の最後の一口を飲み込んで、アイリスが言った。

 「えっと、シンシアが貴族に嫌われてるって話か?」

 リオンにだって、シンシアが現状で城を離れる事がどれだけ危ない事かくらいは、なんとなくだが分かっている。

 その上で、リオンという不確定な異分子を手元に置くという危険性も。

 「そう。今まではシンシア殿下が王宮にお住まいになって、私やエレスが補佐をしていたから直接手を出してくることはありえなかった」

 「……でも、今は違う。ここにいるのはただのシンシアだ」

 アイリスの言葉を継ぐようにリオンが言う。

 それに対して、アイリスは小さく頷いて、神妙な顔でシンシアを見据えた。

 突然、話題がリオンから自身へと向けられたシンシアはビクッと一瞬震えた後、手に持っていたカップをソーサーの上に戻しながら口を開く。

 「私が外に出たばっかりに、隙あらば私を亡き者にしようとする者が出てくる、ということでしょうか?」

 「そうよ。だからエレスがいない所で話をしたかった。あの子はすぐピリピリするからね。狙ってくださいといわんばかりよ」

 「でも、いいのか?あいつあれでも警護隊長なんだろ?」

 「いいのよ。あの子の力は緊張してようとしていまいと同じなんだから」

 「まぁいいさ。俺が口出しするような事でもないしな」

 我関せずといった具合にリオンは肩をすくめて見せる。

 なにせ、王国の王女を護るなど、リオンからすればあずかり知らぬ事でもある。

 シンシアを守ったのはあくまでその場で護れるのがリオンだけだったからに他ならず、エレスやアイリスがいる以上、戦いとは無縁の日本の一高校生に過ぎないリオンでは、里桜では、出来る事など無いといってよかったからだ。

 しかし、その言葉に反して、アイリスは小さく笑いかける。

 「あら?貴方はシンシアの勇者様なのだから、当然貴方もシンシアを護るのよ?」

 リオンはようやく手をつけようかと思っていた紅茶を盛大に噴き出しそうになり、慌てて咳でごまかしてからアイリスを見る。

 その顔は微笑んでいるが、目は完全に据わっており、冗談を言っているようには見えない……。

 「はぁ!?……いや、それは別にいいけど、いいのかよ。警護隊長に警戒されてるような身元不明の男を側において」

 護るという事自体は嫌ではない。それどころか、シンシアの為に何かできるなら協力するのも吝かではないとすら思っていたリオンだったが、本職が出張ってきている以上、リオンにはもう用がないと思っていたのだ。

 だからこそ、リオンを必要だといってくれた事が嬉しくもあり、しかし、何か裏があるのではないかと勘繰ってしまう。

 「いいのよ。少なくとも私は貴方のような存在を知っているもの」

 さらりと口に出されたアイリスの言葉に、今度こそリオンは紅茶を盛大に噴き出してしまった。

 「ゲホッ、ごほっ……どういう事だ!?」

 「もう随分と昔、今はどうしているかなんて知りもしないけど、貴方と同じ異世界人を知ってるわ」

 自分と同じ異世界人。

 リオンはその存在に強く惹かれるように続きを促した。

 「そいつは、どうなったんだ……?」

 「戦争で、英雄となったわ」

 「……英雄」

 リオンとて、普通の高校生に過ぎない。しかし、この世界では魔法が使える。それを駆使して、かの異世界人も英雄になったのだろうか。

 現代人的、高校生的な感性でもって、リオンは英雄という言葉に仄かな憧れを抱く。

 それは、どんなに強くても、どんなに賢くても、けっして元の世界では為しえない称号だから。

 「貴方も英雄を目指す?それとも、帰れるようになるまで王女殿下の庇護下でのんびり暮らす?庇護下で暮らすのなら何不自由なく楽々暮らせるわよ?」

 まるでリオンの心理を見透かすようなアイリスの物言い。

 逡巡するように沈黙するリオンに、シンシアは不安げに期待の篭った瞳を向ける。

 「俺は……」

 ややあって、決心したようにリオンが口を開こうとした瞬間だった。

 大きな音と共に、扉を開けたエレストアが意気揚々と戻ってきた。

 「シンシア!アイリス!ただいま戻った!」

 完全に白けた空気などまるで気づかないエレストアは、しっかりと言いつけを護った犬のように、尻尾があれば褒めて褒めてと左右に振られているだろう表情でシンシアの元へやってくる。

 「あら。お帰りなさいエレス。頼んだものは買ってきていただけたかしら?」

 話を戻すことは諦めたのだろう。アイリスが問うと、エレストアは自慢げに背負ってきていた荷物を示す。

 「ああ。これだけあれば十分だろう」

 そのままシンシアに買ってきた服を見せ始めるエレストアを横目に、アイリスが呟く。

 「続きはまた今度。ね」

 「……む?」

 「なんでもないわ。……そういえば、エレス。何で彼の名前を呼んであげないのかしら?そんなに彼のこと嫌い?」

 話をそらす様にからかうアイリスに、エレストアはやや困ったように顔を顰める。

 「き、嫌いという訳ではありません。しかし、初対面の男性を名前で呼ぶなど、不埒な事、私にはできませんので」

 「ああ。そういう事。そういえば、リオンは姓はなんと言うのかしら?」

 そういえば、エレストアはこんなでも警護騎士だった。と、今更ながらにアイリスが苦笑しながらリオンに問う。

 シンシアも興味津々で身を乗り出してそれに便乗する様にリオンに問いかけた。

 「私も気になりますわ。リオン様の姓はなんとおっしゃられるのでしょうか?」

 「……できれば教えてくれまいか。これからずっとお前と呼び続けるのは確かに苦しいものがあるしな」

 三者三様の問いかけに、リオンは何となく身を引きながらも応える。

 「ああ。悪い悪い。天城って言うんだ。天城里桜。こっちの言い方だと、里桜=天城って言った方が良いか?」

 「……リオン=アージ様……素敵なお名前ですわ」

 「なるほど。アージというのか。宜しくな、アージ」

 どうやら日本人の名前はこの世界の人間には聞き取れないようだ。と、漸く合点の行った天城里桜―― リオン=アージは諦めと共にやれやれと首を振った。

 「……ああ、なんとなく、そんな気はしてた」

 「何かいったかしら?」

 「いや、もういい」

 「ふぅん?」

 諦めの境地に達したリオンに、アイリスはやや首をかしげるに留めた。

 「さぁ、シンシア、こっちの服に着替えたら出発しましょう」

 意気揚々と洋服を取り出したエレストアに、シンシアは感嘆の息を吐いて手を合わせ、まるで宝物でも見るような目つきで洋服を手に取った。

 「素敵ですわ。これが庶民の皆様が普段から着ていらっしゃるお洋服ですのね」

 「最高級の素材の物を選ばせていただきました。これならば質素ながらもシンシアの美しさを損ねることなく――」

 年頃の女性二人が、洋服一つで大騒ぎしている様に呆れと、どこか諦めめいた物を含んだ調子で、リオンがアイリスに問いかける。

 「……なぁ。いいのか。アレで?」

 リオンの意図する事を正確に理解したアイリスも、盛大にため息を吐きながら、何故あの時あんな人選をしたのだろうと頭をめぐらせ、しかし、それ以上の人選もまた無い事を確認するように口を開く。

 「ああ。うん……エレスを向かわせたのは間違いだったかもしれないけど、さすがに私抜きでリオンに説明するのはつらいと思うから。もういいわ、アレで」

 「……苦労してるな」

 「ええ。分かってもらえて嬉しいわ」

 そこには、どこに遊びに行くんだよと言わんばかりに装飾が施されたワンピースと、二人の女子が交互に誉めそやしてきゃあきゃあと騒ぐ姿を諦観をこめて見守る二人の男女の姿があった。




 「リオン様……どうでしょうか?」

 そう言ってシンシアが振り向く。

 淡い桃色を基調とした清楚だが可愛らしさの引き立つ滑らかな生地が、主の挙動に合わせてふわりと揺れる。

 「どう……って言われても」

 困惑したように首をひねるリオンに、アイリスは小さくため息を吐いた。

 「女の子が衣装の感想を聞いてきたときは、“似合ってるよ”とか、“かわいいよ”とか、それらしい一言でもあるでしょうに」

 「……あー。なんか、その……悪いな」

 指摘されて漸く思い至った様で、リオンが黒髪をかきながらばつが悪そうにシンシアから目をそらす。

 そのリオンを突き飛ばして、エレストアがシンシアの細く白い、まるで力仕事などした事もないだろう手を取って熱弁を振るう。

 「シンシア、どうせあんな男に期待するだけ無駄です!シンシアは可愛いですよ!」

 「そ、そうでしょうか……?」

 困惑するようにリオンに視線を向けたシンシアと、再び様子を伺うようにシンシアを見ていたリオンの視線がぶつかり、リオンは僅かに照れるように顔を背けながら小さく呟く。

 「ああ。別に似合ってないとか思ってないぜ。ただ、なんつーか。面と向かって言うのって恥ずかしいから……な」

 「まぁ!そう思っていただけているだけで私は十分に幸せですわ!」

 遠まわしではあるものの、ほめてもらえただけで十分だと飛びつかんばかりに喜ぶシンシアを尻目に、アイリスはやれやれと手を叩いていつまでも続きそうな“お話”を打ち切った。

 「はいはい。それじゃあそろそろ移動しましょう。エレス、馬車は?」

 「はい!殿下がお乗りになる馬車ですから、それはもう最高級の馬を――」

 「普通のでいいって言わなかったかしら?あくまでお忍びなのよ?」

 自信満々に宣言するエレストアの頭を軽く叩きながらアイリスが眉を顰めると、エレストアは途端に狼狽してしまう。

 「……ですが、もう馬は買い取ってしまいましたし」

 「借り受けたのではなく買ったという所に貴女の悪意を感じるのだけど、もういいわ。過ぎたことを言うのは趣味じゃないし」

 そんな二人のやり取りを見ながら、リオンはなんとなく三者の力関係を把握した。

 アイリスの後を追って外に出たリオンだったが、すぐにアイリスがため息を吐きたくなった理由を察した。

 ――艶やかな茶色の毛並みは陽光に照らされて線を描き、一目で凛々しいと感じる顔立ちはどことなく 気品のような物を漂わせている。

 そんな馬が二頭、控えめではあるものの、一介の商人などが乗るには大仰すぎる馬車を引いて待っていた。

 「……これ、この世界の基準で普通か?」

 隣に立っていたアイリスにたずねるリオンだったが、答えは別に期待していなかった。

 「勇者様の想像に任せるわ」

 もはや怒る気力もなくなったようで、アイリスは深いため息とともに、意気揚々と御者を務めようとしているエレストアを見ていた。

 「リオン様、お乗りください」

 そういってシンシアも優雅な仕草で馬車に乗り込んでいってしまい、リオンもアイリスも仕方なくといった風に馬車に乗る。

 中はそれこそ商人や旅人に似つかわしくない、ソファの様なクッションが誂えてある様な豪華なものだった。

 「いっそここまでくると清々しいわね」

 「そッスね」

 リオンとアイリスの心情が一致している中、シンシアだけが蚊帳の外といった具合に首を傾げた。

 カタン、カタン。

 やがて馬車が動き出した様で、クッション越しでやわらげられた衝撃が臀部を打つ。

 リオンは始めて乗る馬車に、内装にこそ呆れていたものの、すぐに意識を切り替えて外を流れてゆく風景に見惚れたように眺める。

 「本当に、異世界に来たんだな……」

 「自覚があったのではないの?」

 リオンの独り言に対して、アイリスが意外そうに声をかけるので、リオンは苦笑しながら頬を指で軽くかきながら応える。

 「いや、自覚はあったけどさ。なんか、こう……」

 「現実味がない?」

 「ああ、それだ。それ」

 アイリスの言葉を肯定して、リオンは思う。

 向こう側に置いて来てしまった多くのモノが、どうしているか。

 末明(ほのか)は、あのあと体調は良くなったのだろうか。

 そういえば、あの先輩は、どうしているだろう。

 脳裏によぎったのは、末明の兄、(ひのえ)と同い年の、丙の親友の先輩。

 柔らかな茶髪と、同じく茶色の瞳の、緩い雰囲気を持つ少年みたいな先輩。

 何もなければケチもつかない割かし整った顔立ちに加え、何をやらせてもソツなくやり遂げるその姿に、里桜は少なからず憧れを抱いていた。

 末明に引っ張られて、始めてあった時は普通の先輩だと思った。けれど、すぐにそれは違うと確信するに到る。

 中学では帰宅部だったにも関わらず、剣道部顧問に土下座されて週一回だけ剣道部として活動させられていたり、同じ同学年の筈の丙の勉強をちょくちょく面倒を見ていたりと、里桜が知っている頃から、あの先輩は何をやっても上手だった……。

 もし、呼ばれたのが里桜ではなく、小柳先輩だったなら。

 そこまで考えて、リオンはふっと息を吐く。

 もし、なんて柄でもない。

 今は精一杯やれる事をやるだけだと、自らに活を入れるように流れてゆく景色から目を離して馬車の中へと向けた。

 「もしよろしければ、リオン様の住んでいらっしゃった世界がどのような所なのか、お聞かせいただけませんか?」

 先ほどから考え事をしているようだったリオンを心配していたが、シンシアはどう声をかけていいか分からなかった。

 しかし、振り返ったリオンの目には、迷いと言った物を吹っ切った、澄んだ光が宿っていて、シンシアは自分が心配するまでもなく、この人は立派に立っていけるのだと実感する。

 その事が嬉しくて、シンシアはつい気になっていた事をリオンに対して問いかけた。

 当のリオンも、まんざらではない様子でそれに応えてくれる。

 「ん。そうだなぁ――」

 里桜が話すあらゆる事が、シンシアにとっては全く新しい刺激だった。

 ほぼ全ての道が舗装されて平らな場所を、馬車ではなく、鉄で出来た自動車という乗り物が人を運ぶと聞いたときは、どうすればそれを再現できるだろうかと、王宮で読書に明け暮れ、知識だけが膨れ上がった頭脳で空想したりもした。

 小説や漫画といったモノのほかに、アニメと呼ばれる、紙芝居が高速で繋がって動いて、あたかも中の絵が動いているように見える娯楽を聞いたときなど、内容も然る事ながら、その在り様に息を呑んだ。

 さらに、里桜が住んでいた国では滅多な事では争いが起きず、流血沙汰などは一生のうちに何度あるかないか、という話を聞いた時は、本気でその国の政治体系について追求してしまったほどだった。

 法律で、国民が武器を持つ事を禁じており、外国とは話し合いで争いを避けていると聞いた時は、里桜は理想郷から来た御使いなのだと信じそうになるほどである。

 ただ、里桜はあくまで一小市民に過ぎないという事で、詳しい理論や原理を聞くことは叶わなかったわけだが……。

 暫くして、席をはずしていたアイリスが戻ってくる。

 「もうそろそろ王都に着くわ」

 そう言ってクッションに腰を下ろすアイリスに、シンシアが尋ねる。

 「王都は、変わりないでしょうか?」

 「そんなすぐにどうこう、なんて事はないでしょうけど――」

 ガタン。

 馬の嘶きと共に、強い衝撃が室内を揺すった。

 「な、どうしたんだよいったい……」

 リオンが強かに打ちつけた腰を擦りながら馬車の外覗こうと身を乗り出そうとした瞬間だった。

 アイリスにぐいっと引っ張られて、クッションに引き戻されると同時に、窓を突き破って何かが馬車の壁に突き刺さる。

 飾り気のない無骨な短剣が馬車の内壁に突き刺さっていて、その鋭利さと投げ込まれたときの力強さを如実に物語っていた。

 ――パラパラとガラスの破片が馬車の中に散らばって、陽光を乱反射する光が僅かに揺れる。

 「なっ!?」

 絶句するリオンとシンシアに、アイリスは小さな声で注意を促す。

 「二人は絶対に表に出ちゃダメよ」

 「で、でもエレスは!?」

 咄嗟に内壁に刺さっていた短剣を引き抜きながら言うリオンに、アイリスは落ち着くように手で制しながら応える。

 「あの子はこれ位じゃどうにもならないわ。それに、あいつらは私が潰すから、少しの間だけシンシアを頼むわよ。勇者様?」

 「……分かった」

 優雅な立ち振る舞いで馬車を降りるアイリスに、リオンは小さく頷いた。

 馬車を降りたアイリスを待ち構えていたのは、仮面をつけたローブの集団だった。

 既に前方では剣戟の音が響き、時折混じる現代語ではない詠唱がエレストアの存命、健在をアイリスの耳に届けている。

 ざっとアイリスの知覚範囲にはいるのは、馬車の中のシンシアとリオン。馬車の御者台の方に5つ、その内一つはエレストアのモノだろう。

 そして、目の前に知覚するまでもなく、アイリスを包囲するように6人と、アイリス自身を入れて14つの反応があった。

 突然の襲撃者を前に、アイリスは余裕を崩すことなく皮肉るようにその格好を見て手で顔を仰ぐ。

 「あらあら。もうすぐ(アクリプス)だというのに、暑苦しいローブは流行らなくてよ?」

 嫣然と構えるアイリスを取り囲むようにじりじりと展開するローブたちは、アイリスの投げかけに応じることなく短剣や長剣といった武器を構えてにじり寄る。

 「……私を無視するなんていい度胸じゃない。リューデカリア宮廷魔術師団長の実力、その身で味わえる事を光栄に思いながら死になさいな」

 笑みを崩さないまま、アイリスは手を翳す。

 アイリスの足元の闇がぐっと濃さを増したように蠢いて、主の命令を待ち侘びる様にざわめく。

 「《我が手が欲すは常闇を照らす御霊の輝き、その身に宿る根源たる雫を捧げよ》――《イーヴルハンド》」

 艶やかな詠唱がつむぐのは古の言葉。

 まるで歌でも歌うような軽快さで唱え、魔術が完成した瞬間、闇が凝縮して形を変えて、男達に疾駆した。

 その姿はまるで、沼地からはいでる亡者の様に、しかし速さは駆ける馬の如く。

 幾重にも折り重なりあうように地を這う巨大な手。純粋な黒で構成されたソレは、まるで目があるように各々の獲物に向かってのたうち、迫る。

 咄嗟に剣を構えて応戦しようとするものは、液体のような手に絡みつかれて自身の影に沈み、また、その手から逃れようと駆けた者は、自身の影から飛び出した触手系モンスターにも似た影に巻き取られて闇に実を落とした。

 「……くっ」

 一度に3名、半数もの命が雑草のようになぎ払われた仮面の集団。

 残った内の1人が仮面の下で表情を歪ませる。

 当たり前だ。こんな話は聞かされていないのだから。

 彼らの仕事はシンシア=リューデカリア=ルーシェの暗殺。

 その障害になるのは、警護隊長であるエレストア=アニテベルカのみだという話だった。

 如何にかの騎士国の警護隊長であれ、元を辿れば20にも満たない女なのだ。10人も居ればお釣りが来るくらい簡単な仕事。

 しかし、ふたを開けてみれば、あの悪名高き“魔女”アイリス=デューレンハイトが待ち受けていたのだ。

 一瞬にして数人の命を飲み下す様な、圧倒的な追尾性能と殺傷力を誇る魔術を口頭詠唱のみで完成させ、なおかつ防ぎようのない稀少属性、アイリスのみが扱うという闇属性の魔術に対する対策など取れるはずもない。

 アイリスが過去の大戦において、その圧倒的な闇の魔術によって大軍勢を葬ったという逸話はあまりにも有名であり、そんな化け物を相手にたった10人――しかも分散している為、実情は6人――で挑まざるを得なかった彼らの不運は同情を禁じえない。

 「……おとなしく捕まって、誰の差し金か洗い浚い吐いてくれるのなら、1人の命は助けてあげましょうか」

 名案とばかりに提案するアイリスに、3人の仮面は応えない。

 「聞こえなかったかしら。2人はいらないのよ。どっちでもいいわよ?」

 言外に、仲間を見捨てて吐く事を吐いたら助けてやる、といっているのだ。

 「外道め……」

 仮面の1人が憎憎しげに呟くのを聞いて、アイリスはその艶やかな美貌を僅かに顰める。

 「あら、暗殺者に言われたくないわ。それで?誰の差し金?トートビアスの豚野郎?それとも別口かしら?」

 いつの間にか、何処からか取り出していた日傘を差し、アイリスは傘の影からその紅い双眸で仮面を射抜くように見据える。

 仮面たちは一瞬たりともアイリスから目を離した覚えはない。

 しかし、現にアイリスは仮面達に一切気取られる事なく日傘を差す、などという戦闘とはまるで関係のない行動を済ませてしまっていた。

 仮面たちは戦慄する。これが、リューデカリアが誇る個人戦闘力の二大巨頭の片割れの実力、と。

 「いい加減さっさと喋ってくれないかしら。このまま睨み合うつもりなら貴方達を片付けてエレスの方を貰いにいくけど?」

 口の端が吊り上り、アイリスが手を翳しながら嗤う。

 一人一人に標的を定めるように動く手に、その射線上にさらされた瞬間に、仮面達はどうしようもない恐怖を感じていた。

 何も素人という訳ではない。それどころか、彼らは特別に訓練をされたその道のプロフェッショナルだ。

 任務で命を落とす事すら計算のうち。しかし、アイリスを前に、命を落としてでもその先の標的を殺しきる計算ができないでいる。

 思考ではなく、本能の部分で仮面達は自分の末路を知っていた。

 この任務は失敗に終わると。

 「もういいわぁ。一応の宣告はしたのだから。すぐにお友達と一緒の場所に送ってあげる」

 ……ズズズ。

 詠唱すらしていないのにも拘らず、アイリスの足元がうごめく。

 先ほどの魔術を見た後だ、注意深く、すでに撤退も視野に入れた状態で、仮面達はアイリスの足元の闇を注視していた。

 だからこそ気づけなかった。

 自身の足元の影も、同じように蠕動していた事に。

 「《ディストランス》」

 詠唱もない。ただの一言。

 それだけで仮面の足元の闇が、まるで獲物に飛び掛る猛獣の牙の如く地面から――影から飛び出した。

 「ぐぎゃっ!?」

 悲鳴が重なる。

 「え……いしょう、もなし、に」

 ごぽっ。と、口から致死量と分かる血液を吐瀉しながら、仮面が呟く。

 どちゃ……と、重いものが泥水に沈み込むような音を立て、仮面達が次々に折れてゆく。

 仮面達が沈む。

 自らの作り出している影に。

 その光景を無感動の赤い瞳が淡々と眺めていた。

 「さてと。エレスの方はどうなってるかしら。ちゃんと生け捕ってくれれば大助かりなんだけど」

 そう呟いて踵を返したアイリスの後ろでは、既に仮面達の影すらなく。

 そこに6人の命があった事は、闇に葬られてしまった。

 唯一それを知るアイリス自身ですら、3日もすれば忘れてしまうだろう。

 名も知らない敵である仮面に、そこまでの感情をアイリスは持ち合わせていなかった。

 馬車を回り込んでいくか、それとも飛び越してしまおうか僅かに迷っていた時だった。

 「しまった!」

 エレストアの逼迫した声が聞こえたのは。

 「っ!?」

 アイリスは咄嗟に知覚を使って全体の位置を把握する。

 エレストアはどうやら1人を切り伏せて、残り3人を相手取っている様だった。

 しかし、1人の位置がまずい。

 丁度エレストアを超える形で馬車に寄ってしまったのだ。

 エレストアは残る2人に牽制されて追いかけることはできない。アイリスは舌打ちしたいのを堪えて馬 車の上に跳躍する。

 アイリスが馬車正面に回るよりも僅かに早く、仮面の一人が馬車の中へ侵入してしまった。




 外では剣戟や魔術だろう破裂音が響いていて、シンシアはぎゅっとリオンの服の裾を掴んで口を噤んでいる。

 不意に、馬車が揺れたような感覚を足に感じた。

 「っ!?」

 ほんの一瞬の出来事だった。

 御者台の方から、日光が差し込んで、そこに立つ人物に目を奪われる。

 ――全身黒ずくめのローブ。まるで幽鬼を思わせるようなその風体を助長させるような白い面。

 仮面からは一切の感情を読み取れず、ただ、目の前の少女を殺すという意思、邪魔をするならば男も殺すという意思を秘めた怪しい光だけが外を見る為だけに開けられた無骨な仮面の目から覗いている。

 「きゃあっ!?」

 「シンシア!」

 咄嗟にリオンが庇う様にシンシアを後ろに回し、仮面と対峙する。

 仮面は無言のまま、手に持っているダガー、最初に投げ込まれ、今リオンが手にしている物と同じダガーを構えて飛び掛ってきた。

 どうみても人間にしか見えない仮面の人物を相手に、リオンは混乱する。

 手には武器、相手は殺すつもりで掛かってきている。

 このままでは自身も、シンシアも殺されてしまう。

 嫌だ。死にたくない。

 その瞬間には、リオンの頭からは完全にシンシアを護るなどといった気持ちは掻き消えていた。

 ただ、目の前の脅威に対して、手にした力を思い切り突き付ける。

 リオンの目に映る視界が、全ての動きが、止まったように感じてしまう。

 ――ドッ

 時間の流れが遅い。リオンの体が仄かに白い光を帯び、刀身すら覆ったそれが、本来のリーチを超えて仮面を貫いてゆく。

 しかし、仮面は動く事すら困難だろうにもかかわらず、自らの血が滴るのも気にせずに、震える指に包まれたダガーをリオンに向かって振り上げた。

 その動きも、振り上げた所で電池が切れた人形のように、ずるりと崩れ、リオンにもたれかかるように倒れこんでくる。

 ずぶずぶと力を失い、重力にしたがって、固まったリオンの手に固定されたダガーの根元まで仮面の黒ローブが食い込んで行く。

 「あ……」

 その重みを実感する事で、服に大量に付着した赤黒い血液を、体温を徐々に失ってゆく骸を認識して、時間の感覚が正しく戻ってくる。

 リオンは初めて、“人を殺した”のだと自覚した。




 リオンとシンシアの悲鳴が馬車から聞こえた瞬間。

 アイリスの顔から血の気がサッと退いて、慌てて馬車の中へ仮面を追って突入する。

 「――はぁ、はぁ」

 そこには、血に塗れたリオンと、崩れ落ちる仮面。

 青い顔でリオンを呆然と見つめるシンシアの姿があった。

 「あ、アイリス……俺……」

 見れば、リオンの手には最初に投擲された短剣が握りこまれていて、その手は堪えようもなく震えていた。

 別世界の微温(ぬる)い、命の危険や、人の生き死にが関わる事のない世界から来たというリオン。

 おそらく人間の命を奪ったのはこれが初めてなのだろう。

 自ら覚悟の上で志願してきた新兵ですら最初は陥る恐怖に、何の覚悟も持っている筈がない少年が陥ってしまっていた。

 「良くやったわ」

 闇で手早く返り血を吸い、死体を包み込んで処理するアイリスに、リオンがビクッと肩を振るわせる。

 「なん、なんで……」

 言葉になっていない。それほどのショックをリオンが受けている事に、アイリスは密かに安堵していた。

 これならば、道を踏み外す事は一先ずなさそうだ。

 急に力を得たらしいリオンが、何かの拍子に殺しを楽しむようになってしまっていたら。

 アイリスの危惧はそこにあった。

 しかしリオンは踏みとどまり、むしろ死を、殺すという事を恐怖してくれた。

 それは健全である証であり、誓いと覚悟によって乗り切るべきものだ。

 そして、乗り切った時こそ、この少年の強さが活きて来るだろう。

 恐らくは離せなくなってしまっているだろう短剣を、震える手から、指を一本一本丁寧に引き剥がして捨てる。

 その光景をどこか呆然と眺めているリオンの頭をしっかりと抱き寄せて、アイリスは背中を擦った。

 「もう大丈夫。貴方のお陰でシンシアを護る事ができたわ。ありがとう」

 優しい言葉。せめて乗り越える助けになれば。

 人を殺してしまったことはもう戻れなくとも、それが誰かの為であったと正当化できれば良い。

 「お……れは……っ!」

 震える手がアイリスの背に回されて、まるで泣きじゃくる子供のように嗚咽を漏らすリオンの背を、アイリスはただただ撫でて宥めた。

 やがて、勝負がついたのだろう。エレストアが必死の形相で馬車に飛び込んでくるまで、アイリスの慰撫は続いた。

 「殿下!ご無事ですか!!」

 飛び込んできたエレストアに、アイリスはゆっくりと顔だけで振り返って目尻を下げる。

 その姿はに怪我はない物の、先ほどのリオン同様に返り血で濡れてしまっていた。

 アイリスは血走ったエレストアの目を見て、美人が台無しと僅かに苦笑して闇で血をぬぐいながら応える。

 「ええ。無事よ。リオンのお陰で」

 名前が出た事でリオンの肩が跳ねた。

 その様子は、エレストアもかつて経験した事のある物だ。

 戦場に立つ者ならば誰しも通る道。それを今まさに体験しているであろうリオンに、返り血を浴びた今の状態で、エレストアは声をかけるべきではないと思った。

 「このまま向かってもよろしいのですか?」

 エレストアはリオンをあえて無視する事で少しでも傷に触れないよう配慮しながらアイリスに問う。

 アイリスも、その意図を察してゆっくりと頷いた。

 「ええ。こっちは話を聞けなかったけれど、もう関係ないわ。王都周辺で白昼堂々と襲ってきたのだもの、間違いなく王都に犯人が居るわ」

 「アイリス殿はもう既に目星がついておいでですか?」

 「トートビアス=ゼルディア。一番怪しいのはアイツね」

 「ゼルディア卿……確かにいけ好かない貴族ではありますが」

 「暫く前から帝国と仲良しみたいだったから。中枢から遠ざけすぎたかしら」

 「っ!?」

 もしそれが本当ならば、いつ頃から調べていたのだろう。

 アイリスの思わぬ諜報力に驚きこそすれ、味方だと信じられる分、エレストアは素直に賞賛の気持ちを抱く。

 「ここ最近は私の情報網を警戒して中々尻尾を掴めなかったんだけどね。私が居ないのを好機とみたのかしら」

 「ならば急いで王都へ行きましょう」

 急いで御者台に戻るエレストアに、アイリスは小さく尋ねる。

 「そうね。一応の警戒も含めると、あと2日くらいかしら」

 「そうなりますね。幸い、出る前の指示で数日分の野営の準備は出来ています。殿下には辛いかも知れませんが――」

 「構いません」

 「では、出発します夕方になる前には野営の場所を決めましょう」

 再び、馬の嘶きと共に揺れが戻ってくる。

 カタンカタンと規則的な音を立てて、馬車は街道を進んでいく。

 後には、3人分の仮面の死体が残されていた。




 ひたすらに馬車を走らせ、日が傾きだした頃。

 エレストアが野営の準備をし、アイリスが周辺の警戒。

 リオンとシンシアはその間、馬車から一歩も出ることなく野営が出来るようになるまでの間、ずっと無言だった。

 日が暮れて、夕食を食べてなお、重い空気が一行を支配している。

 アイリスが無理に進めなかったため、4人分の食事は一人分余ってしまっていた。

 エレストアが火の番を進み出て、アイリスがリオンをつれて天幕の中に消える。

 「エレス……」

 どうしてもリオンに付いて行く気になれなかったシンシアが、エレストアに声をかける。

 沈黙がよほどつらかったのか、それともはじめての野営が堪えているのか、シンシアの顔色はよくない。

 「どうなさいました?野営は堪えるかと思いますが、何卒我慢していただきたい」

 「いえ、私のことはいいのです。それより、リオン様の事が心配で……」

 「殿下、こればかりは殿下が何かを言うべきではありません。彼自身が乗り越えてくれる事を祈るしかないのです」

 正面からシンシアを見つめて、あえてシンシアの事を“殿下”と、エレストアは言った。

 「……ですが」

 さらに言い募ろうとするが、シンシアは次の言葉を見つけられないで居た。

 エレストアはシンシアの瞳をじっと見て、毅然とした武人の表情で続ける。

 「いいですか。アージは確かに人を殺した、けれど、それは殿下を護る為です。殿下がその事に負い目を感じてしまっては、アージはいつまで経っても向き合えないでしょう」

 「では、どうすればいいのです?」

 「……信じて待つこと。そして、乗り越えたアージをしっかりと見てやる事です」

 エレストアの真摯な瞳が、シンシアの視線とぶつかる。

 やがて、意を決したように立ち上がったシンシアはまるで祈るように胸の前で手を合わせて口を開く。

 「わかりました。私は、いつも通り気丈に振舞って待ちましょう。リオン様が私を見ても恥ずかしくないように!」

 「その意気です」

 純粋な君主であり幼馴染に、エレストアは微笑ましい面持ちで応える。

 「遅くなってしまいましたね。私もそろそろお休みさせていただきます。エレスもどうか、無理はなさらないで下さいね」

 「ええ。お休みなさいませ」

 シンシアが馬車に戻っていくのを目で追っていると、天幕から入れ替わるようにアイリスが出てくる。

 そしてそのまま、シンシアが先ほどまで座っていた場所、エレストアと火をはさんだ対面に腰掛けた。

 「シンシアはどう?」

 「問題はないようです。そちらは?」

 エレストアが問い返すと、アイリスはやや困り気味に肩を竦める。

 「一応は、落ち着いたって所かしら。ただ、貴方達や私と違って覚悟が違うからね……」

 「如何ともし難いですね」

 兵士として覚悟を持っていてもああなってしまう者も多い。

 ましてや、リオンは命のやり取りとはかけ離れた世界から来たただの少年だったはずなのだ。

 そこまで期待するのも酷というものだが、アイリスには彼にシンシアの事を任せたいという思惑があった。

 「そこは経過を見ながら徐々に覚悟を持ってもらうしかないのよね」

 「そうですね」

 「エレスからみて、リオンはどう見える?」

 小さく笑って問いかけるアイリスの顔を、焚き火の明かりだけが闇から浮かび上がらせる。

 赤い双眸がさらに赤みを増したようにエレストアを射抜き、エレストアもソレに対して悩むようにまじめな視線を返しながら応える。

 「……出会ってまだ間もないですからね。ただ、悪い人ではない。とは思いますよ」

 「私から見ると、正義感が強くてまだまだ未成熟な子供ね」

 「彼の世界は人殺しがないそうですね」

 「遭遇したとしても一生に一度、あるかないか。だそうよ」

 「平和ないい国ですね」

 皮肉ではない、本心からのエレストアの言葉だった。

 何故なら、人が死なない、人が人を殺さなくてもいい世界とは、自身の君主でもあり、親友であるシンシアの願ってやまない世界だと思うから。

 「こちらもそうであれば良かったのだけどね」

 言葉を引き継ぐように言うアイリスの言が、この世界はそうでないと雄弁に物語っていた。

 「しかし、こちらに来たからには慣れてもらわなければなりません」

 「あら。誰の所為だったかしら?」

 「うっ……」

 リオンは帰ろうと思えばあの場で帰れていたはずなのだ。1回のみのシンシアの英雄として。

 しかしそれを妨げてしまったのはエレストアであり、彼女も未だに引け目に感じているのだろう。

 ばつが悪そうにアイリスから視線をはずし、闇の中でぱちぱちと弾ける焚き火の火をじっと見据えていた。

 「負い目があるならしっかりとフォローしてあげなさいな。私なんかよりもずっと良い助言ができるはずよ」

 「そんな、私はアイリス殿の様に気の利いたことなど言えませんよ」

 「……永くを生き過ぎて、もう殺す事に罪悪感なんて欠片もないのだから。見ていて貴方達が羨ましいわ」

 「アイリス殿はそれでも我々の味方で、優しい人です」

 「ほめ言葉として受け取っておくわ。……さて、エレス。貴女ももう寝なさいな」

 「いえ、火の番は私が――」

 「明日も御者をするのだから、夜くらいは私が番をする。いいわね?」

 有無を言わせないアイリスの強い物言いに、エレストアも一理あると感じ、これ以上粘る必要も無いと腰を上げる。

 「……わかりました。それでは、おやすみなさい」

 「ええ。おやすみ」

 短い挨拶を交わして、エレストアが天蓋へ消えてゆく。

 先に入っているはずのリオンは既に疲れからか夢の世界へ旅立ってしまっているので、何も心配することはない。

 ……起きていたとして、リオンに勇気があるかどうかは別問題なのだが。

 不意に、アイリスの知覚に一つの反応が幽鬼の様に浮かび上がる。

 「――何の用?」

 しかし、アイリスの様子は変わらず、むしろ先ほどにもまして余裕が出来たようですらある。

 ズズズ……と、夜の闇とどうかするような黒いローブにすっぽりと包まれた人影が一つ、アイリスの側に跪いた。

 「はい。ご報告を」

 アイリスが、シンシアどころかエレストアにすら報告していない、王国内の状況を探ったり、他国の様子を偵察する為に組織している密偵である。

 その様はまるで、闇の魔王が家臣に傅かれている様子とでも言うのだろうか。

 惜しむらくは、そこが野営の焚き火の前、という事ではあるのだが。

 「トートビアス?それとも仮面かしら?」

 爪の手入れでもしようかという様な軽い口調のまま、アイリスが問いかける。

 アイリスを政敵と認識しているトートビアスの事、アイリスが不在ならば何か仕掛けてくると思っての外出だったのだが、思ったよりもことが周到に回りすぎている気がしていた。

 「どちらもでございます。ご主人様(マイマスター)

 「ふぅん。当たりってわけね」

 密偵の報告を受けてアイリスは納得したように頷いて、爪を焚き火の明かりに翳して傷一つないのを確認しながらフッと息を吐く。

 この時期、しかも王都の周辺で、暗殺者が跋扈するなどありえない。

 おそらくは王女を亡き者にしようとしたトートビアスの浅薄な策略だろう。

 しかし、それでもその行為に意味があるとするならば、と、アイリスが考えた所で、密偵からの報告が続いていたことを思い出す。

 「王都にて怪しい動きがございます。何卒、お急ぎください」

 「努力してみるわ。貴方達は引き続き監視と警戒を。こちらのほうは私が居るから、王都、それから帝国の方に飛ばしてる子とも連絡を密に取り合って」

 「畏まりました」

 一通りの指示を出し終えると、密偵はすっと、文字通り闇に体を溶け込ませて跡形もなく消えてゆく。

 これが、アイリス率いる魔術密偵団の強みでもある。

 闇があるところならば神出鬼没。さらには洗脳や催眠といった術を扱うエキスパートも揃っており、アイリスの能力の一翼を担っていた。

 「……いざと言う時の為の準備も必要、かしらね」

 密偵の消えた闇を見据えながら、アイリスは小さく呟く。

 その声を聞く者などいない事を自身の絶対にも近い知覚でわかっていながら。




 空が白んできた頃だった。

 アイリスが警戒しながらではあるが、傍目からは火の番を舐めているとしか思えない姿勢で編み物などしながら朝を待っていると、天幕の中で誰かが起き出して来るのを知覚する。

 「あら。おはよう。良く眠れたかしら?」

 アイリスが声をかけると、未だに眠そうな目をしたリオンがもそもそと出てくるところだった。

 「おはよう。アイリス。昨日はその……みっともない所見せちまったな」

 力なく俯くリオンに、アイリスは柔らかく微笑んだ。

 「気にしないでいいわ。リオン君が普通なだけだもの」

 アイリスの言葉は温かい。朝露で僅かに湿気を含んだ空気すら、ほんのりと暖めてしまうような感覚。

 しかし、リオンはその言葉端を的確に捉えていた。

 「勇者様って呼ばないんだな。やっぱ、失格って事か?」

 アイリスは常に、リオンの事を“異世界からきた勇者”として扱っていた。

 それは呼び方にも現れている。

 しかし、今はただ、普通にリオンと呼んだのだ。

 それはアイリスの中で、リオンが既に勇者でない事を意味していると、リオンは思う。

 だとするならば、重圧から開放されたと安堵する。しかし、どこか拭えない侘しさを、リオンは感じてしまう。

 リオンの物言いに、アイリスは小さく首を振って応える。

 「いいえ。貴方はりっぱにシンシアの勇者様よ?でも、貴方がそれを望まないなら、私はその呼び名で呼ぶつもりはないってだけ」

 「……昨日も思ったけど、アイリスって意外と優しいんだな」

 アイリスの言葉には慈しみが満ちていた。

 それは弱者を哀れむような物でも、強者の驕りでもない。

 ただ、対等に心配をかける、世話の焼ける弟を見る姉のような、そんな調子だった。

 リオンに姉はいないが、もしいたとしたらこんな感じなのだろうかと、アイリスには内緒でふと思う。

 「意外と?私はいつも優しいつもりだけど」

 からかう様に笑うアイリスに、リオンは頬をかいて僅かに視線をそらす。

 「いや、なんつーか。何考えてるか分からない時があるからさ」

 「ふふふ。褒め言葉として受け取っておくわ」

 「褒め言葉か?」

 「ええ」

 「……」

 会話が途切れても、リオンは動こうとしない。

 何かを話したがっているのが雰囲気で分かるが、リオンから話しかけづらい事なのだろう。

 「何かしら?」

 アイリスが助け舟を出すと、リオンは逡巡した後にぽつぽつと呟くように、昨晩からずっと考えていた問いを口に出した。

 「俺は、正しかったのかな?」

 僅かな沈黙。アイリスは昨晩エレストアと話した事を思い出して、自身がかけるべき言葉を口にする。

 「……それは私が答えることかしら?」

 真摯な瞳がリオンを見据え、リオンは僅かに身じろいでそれに応える。

 意味を探るように、リオンがアイリスを見返して、やがて、やはり自分自身で答えを見つけなければ意味が無い事を悟った。

 「だよな。悪い。もう少し自分で考える」

 こればかりは自分で折り合いをつけなければいけないという事は、リオンにだって理解できる。

 それでも尋ねてしまったのは、リオンがそれほどまでに思いつめていたからに他ならない。

 「そう。それは貴方が考えなければいけない事。それに、私はいつだって肯定するわ。護りたい者の為に手を血で汚す。私にとって、それはそれは甘美な美徳なのだから」

 聞こえないほど小さく、アイリスの口が動いた。

 リオンには、アイリスが何かを呟いた事だけしかわからない。

 「何か言ったか?」

 「いいえ。ほら、それよりも顔を洗いなさいな」

 ――パチン。

 と、アイリスが話題を変えるように指を鳴らした瞬間だった。

 リオンの目の前にサッカーボール程の大きさの澄んだ水の玉が浮かび上がる。

 「うぉ。魔法って凄いんだな」

 唐突に現れた水に、リオンは僅かに驚いてアイリスを見る。

 リオンの僅かに回復した気力にアイリスは緩やかに微笑を浮かべる。

 「正確には魔術ね。この世界では魔法は失われた術を指すから」

 「魔術、ね。俺にも扱えるか?」

 観察するように水球を見ていたリオンが、僅かに躊躇う様にアイリスに尋ねた。

 「戦う気はあるの?」

 アイリスの目が怪しく光る。

 その視線を受けて、リオンは小さく首を横に振った。

 しかし、それは否定ではなく、リオン自身にも分からなかったからだ。

 「分からない……でも、もし戦わなきゃいけない時に、力が足りなくてなんて言い訳、したくないんだ」

 リオンの言葉に、アイリスは密かに感心する。

 人を初めて斬ったにしては、リオンは落ち着いている。

 先日の動揺が嘘の様だとはさすがに思わなかったが、それでも、一日でそれだけの思考に切り替えられるのはある種の才能だとすら思った。

 「分かったわ。戻ったら私が特別に稽古を付けてあげる。感謝なさい?リューデカリア宮廷魔術師団とヴァラステア魔術学院を兼任する私の講義を受けられるなんて、皆が羨むわよ」

 その言葉は、お世辞でもなく掛け値無しに、魔術師ならばだれもが羨む環境でもある。

 王国での魔術師といえば、誰もがアイリス=デューレンハイトを思い浮かべるほどに力を持つ魔術師であるし、隣国ヴァラステアでは国立魔術学園の名誉理事でもあるアイリスに教えを請う魔術師は掃いて捨てるほど存在する。

 しかし、アイリス自身が公に弟子を持つ事など、ここ数十年で2人しか居ない。その1人はヴァラステアで未だに学生をやっている。

 そしてもう1人は、ヴァラステアから更に東、果てに近い城砦国で冒険者をやっているという。

 偉大なる先達が居る事など知る由もないリオンは、小さく笑ってアイリスの言葉を冗談のように受ける。

 「さんきゅ」

 「どういたしまして。目は覚めた?」

 「ああ。ばっちりさめたぜ!」

 そこには、先日の弱気で泣きじゃくっていた少年の姿はない。

 ただ、新たに自分を見つめなおし、一歩を踏み出した少年の姿があった。




 出発の準備が整ったのは、日が半分をやや超えて地平線から姿を現してからだった。

 「それでは、王都に向けて出発します」

 御者台からエレストアの声がかかり、ガタガタと再び音が鳴り出す。

 振動も、既に一日を越えているので僅かに慣れ親しんできて、リオンは揺れる車窓から風景を見ていた。

 「リオン様」

 ふと、振り返ればシンシアがリオンに向かって指を組んで声をかけてきていた。

 「どうした?シンシア」

 「あ……いえ、昨日は、ありがとうございました」

 改めて御礼を言われるとは思っていなかったリオンだったが、シンシアの瞳の端にリオンを心配する様な、そんな揺らぎがある事に気づく。

 「……大丈夫。ちゃんと乗り越えて見せるさ」

 まだまだ力強く断言できない所が、リオンは心苦しかった。

 しかし、シンシアはそれだけでも十分だった様で、リオンの手、先日その手で人を殺めたはずの手を握り、喜色を浮かばせる。

 「私はずっと待っています。リオン様が私を助けてくれた事は、変わりませんから」

 至極真面目に言うシンシアの明るい緑色の活力に満ちた瞳に見つめられ、リオンは僅かに頬を赤らめる。

 その様子が初々しく、アイリスは傍目から悪いとは思っていたが、とうとう小さくふきだしてしまった。

 「ちょ、何で笑うんだよ!」

 既に顔を真っ赤にしていたリオンがアイリスに突っかかると、アイリスは余裕綽々と言った様子でそれに応える。

 「うふふ。だって、リオン君があまりにも可愛いから……お姉さん、リオン君が元気になってくれて嬉しいわぁ」

 「なっ!?」

 絶句するリオンに、シンシアがいつの間にか手を放して僅かに身を引く。

 「あらあら?リオン様、いつの間にアイリス様と親しくなられたのですか?」

 その表情からは僅かに血の気が引いていて、オレンジの煌びやかな髪が儚げに揺れた。

 緑の瞳には慈しみと同時に、僅かな動揺と悲しみが浮かんでいるが、リオンはそれに気づかない。

 「え!?あ、いや……これは」

 ただ、アイリスにからかわれているとだけ思っているリオンは、何故シンシアが乗っかってきたのかが分からなかった。

 「遠慮なさらずとも、私の事はお気になさらずに」

 「いや、違う、違うから!」

 「本当ですか?」

 既に瞳の端に涙を浮かべていたシンシアに弁解するリオンと、明確な否定を受けて多少気力の回復したシンシアを見て、アイリスは小さく笑う。

 「まるで付き合い始めたばかりの恋人みたいね」

 「まぁ!恋人だなんて……」

 「そうだぞ。俺なんかじゃシンシアに失礼だ」

 先ほどとは打って変わって、喜色満面に頬に手を当てるシンシア。その頬が僅かに赤みを帯びていて、10人が10人、その美しさに見惚れるだろうしぐさで恥じ入るようにうつむく。

 しかし、リオンはそれ所ではない。先ほどからアイリスが執拗にシンシアとのやりとりをからかうので、むきになって否定する。

 「そんな……私はリオン様だったら別に……」

 どこか、夢見る乙女のような恍惚とした表情でもって、シンシアは小さく呟く。

 ガタンガタン。と、馬車が僅かな段差で揺れて、シンシアの呟きもかき消されてしまう。

 「ん?何か言ったか?シンシア」

 「な、なんでもありませんわ!それよりも、まだ着かないのでしょうか?」

 「どんなに飛ばしても後1日ほどは掛かりますわ。殿下もご無理をなさらずに、おとなしく座っていてくださいな」

 にやにやと笑うアイリスに、シンシアは恥ずかしそうに顔をそらしながら、先ほどリオンがそうしていたように外の景色に目を向けた。




 その後、野営を挟んで順調に馬車は進み、御者台からは既に王都に聳えるシンシアの居城――王城が見え始めていた。

 「シンシア。もう城が見えてきましたよ!」

 エレストアの言葉に、リオンとシンシアが御者台に顔を出す。

 「すげぇ!あれがシンシアの住んでる城なのか!?」

 「はい。着いたらご一緒にお茶でもどうでしょうか?」

 遠目からでも分かる大きな城に感嘆の声を上げるリオンに、微笑ましい物を見るような目で笑いかけるシンシア。

 カタンカタンと安定した音、もはや慣れてしまった馬車の進む音に耳を傾けていたアイリスが、その知覚の端で何かを捉えた。

 「エレス、ちょっといいかしら」

 リオンやシンシアに続き、アイリスまでもが御者台に顔を出してエレストアに声をかける。

 「はい。なんでしょう?」

 「……騒がしいわね」

 ジッと王都の方に目を向けていたアイリスが、つぶやく様に言う。

 その言葉に、リオンがビクッと反応してアイリスを見た。

 「え?あ。ごめん!」

 「違うわよ。貴方達じゃなくて、あっちが」

 「――え?」

 アイリスが指差す先、王都の方へ、全員の視線が向く。

 リオンは知る由もないが、エレストアやシンシアは、アイリスの人間離れした感覚のことは、索敵魔術として知っていた。

 そのアイリスが、王都が騒がしいという。その意味とは……

 「急ぎましょう。エレス、お願い」

 「はい」

 二の句はない。ただ、エレストアは馬車を牽く馬を強く急がせる。

 いつも以上に馬車が早く進む。

 エレストアが奮発していい馬を買った事が、こんなところで役に立つとはとアイリスは内心苦笑してしまったが、それほどまでに馬は速かった。

 軍馬として調教されていた物を無理やり買い取ったのだろうか。それとも元々質のいい馬が居たのか。

 アイリスはそんな事を考えながらも先を見て、感覚を研ぎ澄ませる。

 ――風の音に混じり、剣戟や怒号が僅かに聞こえていた。

 「ストップ。ここからなら徒歩で行ったほうがいいわ」

 王都が目と鼻の先になり、門が近くなってきた頃。

 アイリスがエレストアに馬車を止めるように言った。

 エレストアもすぐに馬車を停止させて、木陰に避けるように馬車を止める。

 「どうしてですか?馬車のままの方が安全では?」

 馬車を降りたアイリスに、エレストアが尋ねる。

 その言葉にアイリスは首を振って、割れたままの窓を指差して答えた。

 「この間の暗殺者を忘れたのかしら?隠れながら行った方が安全よ。それに、妙だわ」

 「妙……ですか?」

 「内乱が起きてる可能性がある」

 小さく、声を抑えたアイリスの言葉に、エレストアの身体が強張った。

 「っ!?」

 「このまま殿下がここにいると宣言しながら歩くよりは、様子を見る為に降りていった方が良いわ」

 「わかりました。殿下にはどのように?」

 「隠しても仕方ないわ。説明した上で、今の格好も十分目立つけど、ドレスよりはマシでしょう」

 「了解しました」

 手早く馬車内の荷物をまとめ、エレストアがシンシア、リオンを連れ立って降りてくる。

 「どうしたんだよ。王都はすぐそこだろ?」

 問いかけるリオンと、すぐ脇で不安げに眉根を寄せるシンシア。

 二人に事情を説明すると、リオンは怪訝な顔を、シンシアは悲痛な表情を浮かべて聞き入っていた。

 「そんな……民は、皆さんは無事なのでしょうか?」

 シンシアのそんな言葉に、リオンはシンシアが良い王であると再認識した思いだった。

 自分の立場よりも先に、戦場になってしまった都にとりこのされた民衆の安否を気にかける優しい女王。

 そんな人物を殺そうとする奴が、あそこで戦を起こしている。

 「許せねぇ」

 ギリッと、握ったこぶしに力が入るのを感じて、リオンはハッとなってしまう。

 ――その手が、つい先日人間の命を刈り取っている事を思い出して、握る力が僅かに緩んで震えだす。

 「大丈夫。貴方が思っていることは皆と同じ。貴方が手を出さなくても、私が許さない」

 アイリスの声に釣られてそちらを見たリオンは、自分の顔色が悪い事を差し引いても、サッと血の気が引くのを感じた。

 それほどまでに、アイリスの持つ雰囲気が恐ろしかった。

 闇。人間が火を手に入れる前からの根源的な恐怖を凝縮したようなその雰囲気が、その場に居たアイリスを除く全員を飲み干すような奔流となって押し寄せるようだった。

 濁流のような恐怖を遮ったのは、誰もが予想だにしなかっただろう人物。

 「急ぎましょう。民の安全を確認しなければなりません」

 毅然として言うシンシアに、アイリスはフッと力を抜いて手をとった。

 「はい。王女殿下」

 そう言って傅いて、手の甲にキスをするアイリスに、リオンは漸く平静に戻ってきたのだと安堵する。

 額にじんわりと浮かんだ嫌な汗を強引に拭って、エレストアに声をかける。

 「いざとなったら、俺のことよりもシンシアを頼む」

 その言葉に、エレストアはフッと口元を綻ばせて応える。

 「無論そのつもりだ。アージ、お前は弱いが、中々見所はあると思うぞ」

 「さんきゅ」

 漸く戻ってきた空気を引き連れて、シンシア達は王都へと歩き出した。




 「はい。通ってもいいですよー」

 衛兵の気のない返事を横目に見ながら、エレストアはため息を漏らす。

 「ほらほら、そんな顔しない。私の“魅了(チャーム)”の魔術がちょっと残ってるだけなんだから。大目に見てあげなさいな」

 かたや、上機嫌でころころと少女のように笑うアイリスがエレストアに言う。

 「いえ、あの新兵にではなく、私は貴女に呆れているのですよ。世界中の何処に無詠唱で一言話しかけただけで魅了魔術をどっぷり仕込める人がいるのですか」

 「だから、ここにいるじゃない」

 あっけらかんとして言い放つアイリスに、エレストアはこめかみが痛むのを抑えながら首を振る。

 「敵でなくて良かったと、安心すべきなんでしょうか?」

 「むしろ敵が可哀想と喜ぶべきじゃないかしら」

 「……なぁ、あれ、なにやったんだ?」

 アイリスとエレストアのやり取りの横で、呆けたようにアイリスを見つめたままの兵士に目を向けながらリオンがひっそりとシンシアに問いかける。

 「たぶんですけれど、アイリス様が魅了の魔術をお掛けになったのでは……」

 「幻術みたいな物か?それって危なくないのか?」

 「ええっと……たしか、かなり難しい魔術で、禁忌とされているはずなのですけど」

 「非常事態だもの。仕方ないんじゃないかしらぁ?」

 丁度シンシアの言葉にかぶる様な形で発せられたアイリスの声に、リオンのみならずシンシアまでもビクッと肩を震わせる。

 しかし、その対象は二人ではなく、未だに言い合っていたエレストアだった。

 「だからといって――」

 「アイリス様」

 エレストアの言及をさえぎり、突如として路地裏の影から1人の人物が声をかけてくる。

 小さく、聞き取りづらいにも拘らず、4人全員の耳に鮮明に焼きつくような中性的な声だ。

 「あら。どうしたの?」

 アイリスが最初から分かっていたという風にそちらを向く。

 そこに居たのは、真っ黒のローブに身を包んだ、如何にも外に出ていなそうな血の気のない肌のどす黒い髪をした男。

 まるで少年と変わらないその外見を覆って余りある濃密な年長者としての雰囲気が、その愛らしいとも、保護欲を掻き立てられるともいえる外見とミスマッチしていた。

 「何奴!?」

 暗がりで仄かに光る紅い双眸に、エレストアはとっさにシンシアを庇う様に抜剣の構えを取った。

 「心配なさらず。私の部下よ」

 そのエレストアを手で制し、男から視線をはずさずにアイリスが小さく言う。

 「何用だ」

 「……」

 エレストアの問いに、男は答えない。

 ただ沈黙を守り、主たるアイリスだけを注視していた。

 「用件は?」

 「シーザ将軍がお待ちです」

 「案内なさい」

 アイリスという直々の主人の命令しか決して受け付けない。

 相変わらず頭の固すぎる自分の信頼しすぎてもなお足りない部下に内心呆れつつ、アイリスは手早く全員を路地裏に招き寄せながら言った。

 「……あいつは私に何か恨みでもあるのか」

 「ただ、私の命令に忠実なだけよ」

 小さく呟かれたエレストアの不満げな声を受けて、アイリスは困ったように苦笑するほかなかった。

 付いて行く、と言っても、路地裏をそのまま歩くという訳ではない。

 ぶつぶつと小さく詠唱する男の側へ寄り、そのまま周囲を警戒する。

 ――ずぷっ。

 足元が生温く沈み込み、それが闇を用いた転移術――アイリスがネアーラへと転移したそれと同じモノであるとすぐに察しがついた。

 声を上げるものはいない。

 既に二度目という事もあって、末端の部下が高度な転移術を扱えるという事にエレストアは驚きこそするが、それはすぐにアイリスへの尊敬へと変わる。

 これほどの転移術であっても部下に仕込み、有事の際に効率よく運用してみせるアイリスの手腕は、政治に不慣れなエレストアにとっては何よりもシンシアに必要な味方だと再認識させられたのだ。

 無論、転移術がどれほど高度な術なのか知る由もないリオンなどは、それが当たり前であると認識している為、驚きもそこそこに慣れてしまっている。

 そんなリオンを肝が据わっていると判断して見惚れているシンシアなども、大概肝が据わっているといえなくもないが。

 景色が晴れてゆく。

 仄かに闇の密度が減って、転移した先の風景が徐々にリオンたちの視界に生まれ始めた。

 僅かな明かりしか存在しない。石造りの冷たい印象の、牢獄にも似た――しかし、牢獄ではありえないだけの調度品の置かれた室内に、兵士が二人、腰に剣、軽鎧で身を包んで警備していた。

 「ご苦労様です!」

 そろった綺麗な敬礼、しかも、君主に捧げられる最敬礼でもって迎えられたシンシアは、戸惑いつつも頭を下げる。

 「ありがとうございます。お疲れ様です」

 丁寧な返礼に、警護の騎士達が逆にあたふたしだして、腰の低い陛下の頭を無理やりにでも上げさせようと手を尽くす。

 「そ、そんな勿体無きお言葉、我々が不甲斐ない所為での現状もあります。どうか、殿下。お顔を上げてください。我々には過ぎた礼にございます!」

 「そうです!陛下は我々木っ端一兵卒になど、軽く手を振ってくださるだけで身に余る光栄。頭を下げられたなど、逆に不敬罪でつるし上げられてしまいます!」

 口々に言う兵士に、シンシアは首を傾げつつも頭を上げて応える。

 「そうですか。ですが、私たちの帰還を待っていてくれた貴方達には、相応の礼で応えるべきだと思ったのです。ですから、どうかお受け取りになってくださいませ」

 「はっ!身に余る光栄、恐悦至極に御座います!」

 ほぼ同時に傅いた二人の声が重なって、石造りの室内に響いた。

 やや遅れ、立ち上がった二人にエレストアが声をかける。

 「君達はシーザ将軍の直属だったな。ご苦労。案内を頼めるだろうか」

 二人のうちの片方、金の髪に鳶色の瞳をもった精悍な顔つきの青年騎士がそれに応える。

 「はっ!了解しました。アニテベルカ警護隊長」

 敬礼で返す青年騎士だったが、その目がリオンへと留まると、不審げな視線をそのままにアイリスへと問いかける。

 「……ですが、その者は……見た所アイリス宮廷魔術師団長の部下の様には見えませんが」

 黒髪黒目。黒髪自体は珍しいが、この拠点に来てからはアイリスの部下は殆どが黒髪の為、黒髪=アイリスの部下という図式が騎士たちの頭の中に焼きついてしまっていた。

 しかし、アイリスにつれられて現れた見慣れない格好の少年は、明らかにアイリスの部下にあるべき態度が見られなかった。

 それは、アイリスへの絶対的――妄信的とも言っていい忠誠心であったり、不要な事には一切の興味を示さない無関心さでもある。

 少年にはそれがなく、逆に、新しいもの、新しい状況に目を泳がせている風ですらあった。

 青年騎士が不審に思うのも仕方の無い事だろう。

 シンシアは言うまでもなく君主であり、自分達が保護しなければならない聖女の様な王女である。

 それを守護するエレストアもいわずもがな。顔も広く知れ渡り、君主と同じく貴賎で人を見ない武人として、兵士達からの信頼も厚い。

 その隣に並び立つアイリスなどは、いまやこの国の頭脳と言っても差し支えない重要人物であり、現在拠点となっている場所を提供している大元でもある。

 しかし、そこにさも当然のように立つ少年は、いったい何者だろう。

 青年騎士の疑問も最もだったが、それに答えた意外な人物に、再び声を上げて驚いてしまう事になる。

 「この方はリオン=アージ様。私の命を2度もお救いになられた、私の救世主ですわ」

 シンシアが事も無げに、まるで地下だと言うのに花畑で戯れていた方がよほど似合うといわざるを得ない笑顔を騎士たちに向けた。

 その様子に、言葉に、騎士達は狼狽してリオンに対しても敬礼をする。

 「も、申し訳御座いません!陛下のお命をお救いいただいた事、本来我々の職務であるにも関わらず力及ばず、感謝いたします!」

 素直すぎる青年騎士にリオンは若干驚きながら、立つようにお願いしつつ応える。

 「そんな、俺はたまたま通りかかっただけで、それに、そんな大した者じゃないですよ」

 謙遜とも取れるリオンの声に、騎士達はまだ幼さの抜けないリオンの姿に確かな尊敬に値する人柄を見た気がした。

 しかし、リオンからすれば、それは謙遜でもなんでもない。

 もう剣を握る事すら怖いのだから、そんな人間がこれからシンシアをどう護ろうというのか。

 腑抜けにも程があると内心自分に辟易しながらの言葉だった。

 「では、身元の証明も済んだのだ。案内を頼めるか?」

 エレストアに言われ、青年騎士が敬礼してそれに従う。

 扉を開けて率先する彼の後について歩くアイリス、アイリスの従者、シンシアにエレストア。そして最後にリオンが続いた。

 僅かな明かりが天井から等間隔で照らされた仄暗い廊下は、まるで地下牢へと続く道、もしくは地下牢から処刑場へと続く道の様で、リオンは仄かに薄気味の悪いものを感じてしまう。

 それというのも、時折影から何かがこちらをジッと見ているような、そんな気がしてしまうからだった。

 ややあって、いくつかの扉を通り過ぎた後だった。

 突き当たりの幾分か大きな扉を、青年騎士が幾度かのノック――おそらくは合言葉なのだろう。特殊な規則性を持って叩き、中から開けられた扉に全員を促した。

 中で待っていた人物に、リオンは思わず息を呑んだ。

 巨人、という言葉が頭に浮かぶ。

 2メートルに届きそうな長身と、それを包んでなお膨れ上がった屈強な筋肉が全身を覆う様はあたかも山の様で、所々に傷跡が残るその肌は日に焼けて、その者が連日日の下で活動している事が容易に想像できた。

 腰に指された長剣がまた大きく、その男だからこそ使えるのではないかと思えるほどに分厚い。

 年は30代なかばといった所だろうか。精悍というより、もはや凶暴とも言っていい程に鋭い眼光が、シンシアを初めとしてエレストア、アイリスへと向けられ、最後にリオンに注がれる。

 短く整えられた茶髪の下で、緑色の瞳が鋭くリオンを射抜く。

 誰もが言葉を失っていたリオンの事を知ってか知らずか、シンシアが飛びつきそうな程に軽やかな足取りで巨漢の側へと歩み寄る。

 「シーザ様、良くぞご無事で」

 「おぅ。姫さんも無事でなによりだ。……で、あのガキはなんなんで?」

 巨漢――シーザ=オルウェル王国双将軍が、無遠慮な視線をリオンに注いだまま問いかける。

 その不敬罪とも取られかねないぶしつけな低音すら、シーザの外観とあいまって似合いすぎてしまい、それ以外のしゃべり方が想像もつかない。

 シンシアもまるで気にした風はなく、先ほどと同じ説明を簡潔に述べる。

 「リオン様は私の救世主ですわ」

 僅かに目を見張るシーザだったが、すぐにその表情に笑みが浮かんで、ドシンドシンと足音が響くのではないかと思うほどの大またでリオンに近づくと、その頭をつかみかねないような荒さでリオンの黒髪を撫で回した。

 「おお。そうかそうか。リオンっつったか。よくぞ姫さんを護った。えらい!それでこそ男ってもんだ!」

 「あ、いや……はい」

 もみくちゃにされ、否定もできそうになかったリオンは甘んじて答える。

 「中々良い目をしてやがるな。だが、まだまだ隙が甘いぞ」

 「シーザ将軍、彼は民間人です。ですが、込み入った事情により、つれてきました。ですので武術指導の方は話の後にでも」

 嗜めるように割って入ったエレストアに、シーザは漸く元々の目的を思い出したようにハッとなって口元に苦笑が浮かぶ。

 「そうだな。いやぁ、久々に骨のありそうなのがきやがったから、つい、な」

 「あんたも相変わらずねぇ。で、状況はどうなってるのかしら?」

 アイリスに答える様に、騎士の1人が机の方へ移動して図面や資料を部屋の中央の大きな丸テーブルに広げる。

 「お前さんの部下のお陰でとりあえずは、って感じだ」

 「そう。馬鹿貴族って言っても意外としぶといのね」

 「王城に行くのは得策じゃねぇな。アイリスが不在で文大臣が幅利かせて丸め込んでやがる」

 陛下の前で堂々と舌打ちをかますシーザに対して、アイリスはやや呆れ気味に笑うのみに留めて、話を進める。

 「そう、だとしてもこのまま王都で王城に帰れず、なんてことは避けたいわね」

 「今俺の部下を纏めて避難させた所だが、あいつら、姫さんが戻ってきたら闇討ちしかねない形相してやがったって報告があがってる」

 「数人位潰してきたんでしょうね?」

 「おうよ。そりゃあもうばっちりとな」

 「うふふふふ。掃討戦が楽しみね」

 「おいおい、獲物を食い散らかされちゃたまらねぇな。俺の分もしっかりと残しておいてくれるんだろう?」

 「もちろん、むしろ主役は譲ってあげるわぁ。主犯は渡さないけれど」

 既に開戦といった雰囲気をかもし出す武官最高位の二人に、エレストアがやれやれとため息をついた。

 シンシアもおどおどとどうしたらいいのか分からずに二人の様子を見つめていて、話が停滞してしまった事にたいする突込みをする者が消える。

 「……えっと、この後どうするんだ?」

 ただ、空気を読まないリオンだけが、停滞していた雰囲気をぶち壊した事を除けば。

 しかしこの場合は二人が正気に戻った事もあって、エレストアが端の方でほっと息をついた。

 「ああ、そうだな。どうするかなぁ。姫さんにゃ悪いがここで暫く生活してもらうしか……」

 「いえ、いっそ利用してやりましょうか」

 アイリスの呟きが、静かになりかけた会議室、水面に石を投げ込んだように波紋を広げる。

 「アイリス様?」

 きょとんとして問い返すシンシアなどまるで気にしない風に、アイリスが滔々と語りだす。

 「あいつらは殿下を暗殺して亡き者にし、その罪を我々に着せる事で国を乗っ取ろうとしている。そして、その根回しもほぼ完了しているといっていいわ」

 「どうしてこの短期間でこの手際があったのか、後で洗いなおす必要がありそうですね」

 「それはまた後でね。それよりも、国内における味方が私たち、武官に固まっているのがまずいわ」

 テーブルに散乱するように敷かれたいくつもの資料から、シンシアに味方する勢力の内訳を拾いながら言う。

 たしかに、シンシアに味方しているのは平民出身の兵士や、アイリス率いる魔術師団、シーザ率いる王国双将軍直属隊など、戦を構えるには十分すぎる兵力がついている。

 しかし、文官という立ち位置のものが圧倒的に少ないのだ。

 それは一目見れば明らかで、トートビアス文大臣の根回しが影響している事もあるが、一部を除く利権主義の貴族達がこぞって文官を抱き込んでしまっている為、内政に対する武力を対外的にはこちらは一切有していないのだった。

 「そりゃどうしてだ?貴族坊の雑魚兵団なんか蹴散らしゃいいじゃねぇか」

 シーザが首を捻りながら問いかけると、アイリスは小さく首を振る。

 「それだと、たとえ殿下という旗印があっても、私たちが力ずくで全てを解決する、“政治能力に足らない部下”という印象を他国に与えてしまうわ」

 その言葉の意味にいち早く気づいたのは他でもないエレストアだ。彼女が唯一、この場において騎士という立場でありながら、国政に関わりのある立ち位置でもある。

 「……一度荒れた国を立て直すのは至難だ。各国も荒れようによっては率先して領土を切り取りに来るだろう」

 「そう。だから、殿下には一度他国に渡ってもらって、そこで他国を味方につけた状態で戻れば……」

 「秘密裏の外交、お忍びの遊説の最中に起こったクーデターとして、他国の信頼と外面を保ったままに内乱として終結させられる」

 言葉を引き継いでアイリスが説明する傍らで、シーザはなんとか理解しようと頭を巡らせつつ口を開く。

 「でもよ。するってぇと姫さんを国外に出し、なおかつ協力してくれそうな国を探すってことだろう?そりゃまた無茶なんじゃねぇのか?」

 シーザの疑問は最もだった。既に国内情勢が荒れている以上、これ以上時間をかければ他国に露呈する危険性が高まり、その状態ではどこでも受け入れてくれないだろう。

 その質問にたいする回答は既にアイリスの中に出来上がっていたようで、アイリスはシーザに一つ頷き、説明を続ける。

 「いいえ、可能よ。私が提案するのは、ヴァラステア皇国に避難、さらに、皇国上層部に面会して対外的な助力を得る」

 「だが、ヴァラステアはウチとは敵対関係だぜ?今は騎士学園やら魔術学園の相互不可侵があるから表立っちゃいねぇが、元々王家同士が不仲なんじゃなかったのか?」

 アイリスが提案したヴァラステア皇国。

 シンシア達の治めるリューデカリア王国の東、ミレナシーシャ渓谷と霧の森、ムーレイオ湿原に護られた自然の鉄壁を誇る隣国だった。

 元々はリューデカリアの領土ではあったのだが、かつて王位継承争いが起こった際に、王国の第二王位継承者がその家臣や理念に賛同した民を率いて独立して出来た国でもある。

 そういった事情から、本来の王位継承権一位を継いだリューデカリア王家と、それに反発したヴァラステア皇国皇族は仲が悪いといわれている。

 「過去の話よ。それに、今回はヴァラステアに軍を動かしてもらうことは想定していないから、相手も条件がよければ飲んでくれるはず」

 しかし、アイリスはそれをあっさりと否定した。

 何故ならアイリスはヴァラステアが誇る魔術学園の立役者であり、秘密裏にとはいえ、今でも代々の皇族との繋がりがあった。

 今のヴァラステア国王、ヴィンセント=ヴァラステア=ビビアラは幼く、アイリスの記憶ではシンシア同様最近即位したばかりの12歳の子供である。

 ならば、今のシンシアよりももっと、家臣への依存度が高いと見るべきだろう。

 そうなれば王家同士の不仲など問題にもならず、あとは国同士の利益がつながればそれでいいのである。

 「しかし、仮にその作戦で行くとして、どうやって上層部に渡りをつけるのです?お忍びという事は身分を明かせませんし、この国内の情勢を知っていては、気取られる可能性も……」

 「ヴァラステア国内において、決して無視できないだけの協力があれば?」

 「どういうことですか?」

 あっけらかんとして言い放つ自信満々のアイリスに、エレストアは首を傾げえて問い返す。

 そんなエレストアに対して、アイリスは柔らかく笑って言葉を続ける。

 しかし、その発言はエレストアを驚愕させるには十分すぎる威力を持っていた。

 「あそこはエルフへの依存率が高い。ならば、エルフを味方につけることが出来れば上層部としても無視できない懸案になるわ」

 「エルフの里と接触するのですか!?しかし、エルフはすでに数百年、人との交流を絶っていると聞いていましたが……」

 エルフ。人に限りなく近い外見を持つ種族で、尖った耳と整った顔立ちが特徴的な種族である。

 その寿命は長く、優に500歳を超える者も多い為、種族全体での知識は深淵。

 しかし、その叡智を求めて繰り返した人間の愚行から、ここ数百年、本物のエルフが人里に現れたという話は聞くことがなかった。

 というのも、人里でのエルフとは、混血を嫌うマニトやエルフから逃れる為にハーフエルフが自らの種族を詐称しているだけであり、堂々とハーフだと名乗る人が少ないだけなのだ。

 そんなエルフ達に、またも人間の事情で人間の政治に関わらせるような提案をするなど、無理難題にも程があるというのがエレストアの正直な感想だった。

 エレストア自身、ハーフエルフで片親がエルフだが、それはエルフの里を捨てたエルフであり、その考え方も人間に近い若いエルフだった。

 そんなエレストアの親でさえ、自らの里にそのような問題を持ち込むことは許さないだろう。しかし、アイリスはその解決方法をあっさりと提示して見せた。

 「私は幸いエルフに貸しがあるの。だから無理を言うようだけど、嫌がるならここで借りを返してもらうわ」

 アイリスの言う、貸し。それはいったいどの様な物なのだろう。

 しかし問いかける事を憚られる空気の中、最初に振り切ったのはシーザだった。

 「分かった。んで、結局どうやってヴァラステアに潜伏するんでぇ?」

 「シンシア殿下には、ヴァラステア魔術学院への留学生として潜伏してもらいます。警護はもちろん私の手の者が学院に居るからその子に任せ、その間に我々がエルフと接触、協力を取り付けて上層部と会見、協力体勢が取れ次第王国に舞い戻り、それと同時期にシーザ達に動いてもらう」

 すらすらと、まるで立て板に水の如く吐き出されるアイリスの計画に、その場に居る誰しもがホッと息を吐いた。

 アイリスが敵でなくてよかったと。

 「なるほど。アイリス殿のヴァラステアへの影響力を鑑みても、その策でいくのがいいように思えます」

 エレストアの同意を皮切りに、アイリスの策で決行する事が確定した。

 「おうよ、早速準備に取り掛かるとするか!」

 シーザの声がとどろき、会議室がビリビリと震えた。

 大声にしびれる耳を何とか慣らすリオンとシンシアや、既に慣れてしまっているのだろう、エレストアなどは何食わぬ顔で資料と地図を見比べている。

 アイリスは既にここへ案内した少年の部下にいくつかの指示を出し、自身もまた影へと消えていった。

 「それじゃあ、これからよろしくおねがいしますね。リオン様」

 シンシアがそう言ってリオンの手をとる。

 「ああ。……え?」

 手を握り返して、リオンは漸く思考が追いついてくるのを感じる。

 「ちょ、ちょっとまて、ええっと?」

 「あら?私がヴァラステア皇国で学生になっている間、リオン様が私を護ってくださるのでは?」

 混乱するリオンに、シンシアが笑いかける。

 言葉の意味を察して、リオンは身体が強張るのを感じた。

 「あ、俺……は」

 「だめ……でしょうか?」

 うるうると瞳の端に涙を浮かべて上目遣いで見上げてくるシンシアに、リオンは断るという行為を完全に封じ込まれたと悟った。

 「――ああ。わかった。シンシアは俺が護るよ」

 「という訳で、リオン様も着いてきてくださるそうですよ。エレス」

 嬉しそうに、まるで楽園でも見たかのような喜色を全身に滲ませながら、資料とのにらめっこをやめたエレストアにシンシアが言い募る。

 「……はぁ。まぁ、流れ的に仕方ないでしょう。それに、ここで鍛えてもらうには些か状況が悪い」

 そういって周囲をぐるっと見回せば、既に会議を終えた為、様々な騎士が作業の分担の為に出入りしている様が目に映る。

 さながら混沌の坩堝といった具合に慌しい周囲のなかにあって、シンシアの周囲だけは、殿下の側という事もあって静かではあったが。

 「おう。そうだそうだ。さっきアイリスとも話したんだがよ。アイリスは暫くこっちの調整を手伝うっつうんで同行できそうにねぇし、聞けばリオンはまだまだ戦闘経験が少ないっつうじゃねぇか」

 「あ、はい。俺、剣を握ったのも数日前なんです」

 「はっはっは。良い冗談だ。しかし、そんだけ自信がない奴だけとなると、エレスも負担が大きい、俺の方から丁度良い奴がいるから、そいつを連れて行け」

 どうやらシーザはまるで信じては居ない様で、愉快気に笑った後、すっと目を細めてエレストアを見た。

 「よろしいのですか?」

 「ああ。腕は確かだが扱いはまだ見習いだ。連れて行くには丁度良い。その上で戦闘経験も積めりゃ文句なしだな」

 そういって、いつの間にか隣に居た青年の肩をバシバシと叩く。

 必要以上に力が入っているのか、青年は微動だにすることなく硬直してシンシア達のほうを向いている。

 「お、俺……じゃない、ワタシは、オルウェル隊見習い騎士のスゥ=オルビオンと申します!よろしくおねがいしましゅ!」

 ガチガチに固まった青年が盛大に噛んだ。

 その様子に、シーザがふき出して思い切り爆笑し、その笑いが他の騎士たちにも伝播して行く。

 青年はプルプルと震えながら恥辱に耐えているが、耳まで真っ赤になった端正な顔、その瞳の端が僅かに滲んでいるのは気のせいではないだろう。

 笑いがひとしきり収まると、スゥと名乗った青年も多少は落ち着いた、というより、開き直れたのか、再び口を開く。

 「今後は殿下の護衛として、まだまだ未熟ではありますが、努力を怠らず邁進して参りますので、どうか、宜しくお願いします!」

 礼儀正しく、最敬礼でもってシンシアに傅く。

 水色の短い髪は、最低限整えられているといった方が良い具合には無造作だ、しかし、力強い髪と同じ水色の瞳とあいまって、彼の活発そうな印象を引き立たせている。

 その姿に、シンシアは逆に戸惑ってしまった。

 「え、あの……その、スゥ様、お顔を上げてください。これからは殿下ではなく……ええっと、シンシアという名もまずいですわよね?」

 助けを求めるようにエレストアを見ると、エレストアも悩ましげに首を振る。

 「なら、シアンでどうだ?」

 天啓ともいえる助け舟を出したのは、誰もが予想しなかっただろう、リオンだった。

 「シアン……シアン、ええ。そういたしましょう!私の名前はたった今からシアンですわ」

 そう言ってスゥの手をとって立ち上がらせたシンシアが笑いかける。

 「シアン。宜しくお願いします」

 スゥはガチガチに緊張していたのがやっとほぐれたのか、端正な顔つきに似合った微笑を浮かべてそれに答えた。

 「えっと、俺はリオン=アージ。リオンでいいよ、よろしくな」

 そう言って手を差し出したリオンに、スゥも応じるが、その手がどこかぎこちない。

 「ああ、えっと、リオン?君はいったい何なんだ?」

 「え?」

 「さっきから妙に陛下……シアンと親しいようだけど」

 スゥの疑問も尤もだった。

 この場において兵士や家臣は居れど、対等に会話ができる者などいようはずがない。

 にも拘らず、シンシアがまるでとがめる様子を見せないのもおかしいが、周囲すらそれを容認している風ですらある。

 その問いには、シンシア自らが答える事でスゥの、ひいては騎士たちの理解が及ぶ。

 「リオン様は私の救世主、勇者様なんですのよ」

 「へぇ……こいつ……じゃない。リオンが」

 納得したような、どこか釈然としないような、そんな歯切れの悪さでスゥが呟く。

 「まぁ、シアンの事は置いといて、これからよろしくな!」

 「ああ。よろしく。俺の事もスゥで良い」

 「挨拶は済んだようだな。今は時間が惜しい。早速出発の準備に取り掛かろう」

 きりの良い所と判断したのだろう。エレストアがそう言って踵を返す。

 「エレスの言う通りだな。じゃあ、俺達も準備……っていっても、何すりゃいいんだ?」

 「ええっと、お洋服の換えと、お食事の用意と……でしょうか?」

 「なぁ。スゥ、準備って具体的に何をしたらいいんだ?」

 スゥに向き直ったところで、漸くスゥの様子がおかしい事にリオンは気づく。

 「――まえ……」

 「あ?」

 「お前、何故アニテベルカさんの事をその愛称で!」

 ガバッ、と両肩をつかんで、まるで万力のように締め付けるスゥに、リオンは狼狽して声を上げる。

 「い、いったいどうしたんだよ!?」

 「俺が、俺がどんだけ苦労してアニテベルカさんと話が出来るようになったか知っててやってんのか畜生!」

 「おい、待て!まるで意味がわからねぇよ!」

 「問答無用だ!!!」

 「何をしている!遊んでる暇があるなら準備に取り掛からんか!」

 そのまま噛み付きかねないスゥの惨状を遠くからでも聞いていたのだろう。

 エレストアの怒声がスゥを無理やりに落ち着かせる。

 「は、はい!アニテベルカさん!」

 「なぁ、お前ってもしかして……」

 あまりの変わり身の早さに、そう言った事に疎いリオンですら理解が及んでしまう。

 そしてエレストアのあの素っ気無さは、スゥを眼中に入れていない事までも。

 「言うな。そしてお前には負けん」

 我に返ったからだろう、スゥは冷静にため息をついて、勝手な宣戦布告をしてから、踵を返してエレストアの後を追っていった。

 「いや……そもそも競ってすら居ないんだけど」

 その後姿を見ながら、結局何を準備すればいいのか分からずじまいで立ち尽くすリオンとシンシアが残されていた。

書き方を多少変えてみました。

ここまで長かったなぁ。

これからは更新ペースあがればいいなと思いながらも、気長にやって行きたいと思います。

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