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女神の一声

作者: カケル
掲載日:2026/04/17

 この業界は、吐き気がするほど残酷だ。

 努力が報われるなどという戯言は、寝言にすらならない。

 建前と本音の境界すら見破れないまま、キラキラした瞳でノコノコやってくる夢想家たち。彼らにまず教えるべきは、希望ではなく、喉元まで浸かる泥水の味だ。

「——君の歌声は、まるで朝露のようにピュアだ。存在感が希薄すぎて、バック演奏の振動に完全に殺されている。次はマイクを丸ごと飲み込んで歌ってみたらどうだ? 審査員たちが困惑する顔を拝めるかもしれない」

「——歌を愛している? 結構。なら今頃、ハワイに僕の銅像が立っているはずだ。現実は、その『愛』とやらを捏造して売り捌き、カップ麺を啜っているわけだが」

 次々に毒を吐く。  

 怒りに震える拳、涙を溜めて俯く顔。ああ、阿呆臭い。

 君たちは何をしに来た? 「キミタチノ ウタハ スゴイヨ」なんていう無責任な承認が欲しかったのか? 狭いコミュニティで持て囃されただけのパペット。そんな、ドブ臭い自意識の垂れ流しを誰が聴きたいと思う?

「次」

 ガチャリ、と扉が開く。

 空気が変わった——そんな生易しいものではなかった。

 無機質な会議室が、底の見えない深海へ一気に沈み込んだような錯覚。

 適当にズタボロにして、早期退場させてやる。それが唯一の救済だと冷めていた僕の思考は、彼女が踏み出した最初の一歩の音で霧散した。

 才能、華、コネ、あるいは環境。そんな断片的な話ではない。

 圧倒的で、絶望的にすべてを喰い尽くす悪魔。

【天は二物を与えず】。嘘をつけ。

 二物どころか、この世の全てを強奪し、それでいてなお空虚な美しさを湛える怪物こそが、この業界で唯一生き残ることを許された【真の表現者】なのだ。

「城崎唯です」

 自己紹介はそれだけ。

 だが、その明瞭な響きは、たった一言で脳内に極彩色のオーケストラを奏でてみせた。

 彼女の背後、真っ白な壁には、これまで彼女が歩んできたであろう凄絶な研鑽と、これから切り拓く黄金の未来が、暴力的なまでの解像度で【視】えた。

「……ッ」

 着飾ることもない制服姿。だが立ち姿ひとつ取っても、計算された名画のような機能美がある。

 僕は一度目をつぶり、誰に聞かせるともなく舌打ちをした。

 審査員である僕がそれをする意味——それは本来「拒絶」だ。だが、今の僕の心拍数は、それを拒むどころか彼女という劇薬を脊髄に刷り込めと、猛烈に警告を発している。

「合格」

 射抜くように彼女を見据えて言い放った。

 他の審査員たちの呼吸すら止まっている。同意を得る必要もない。

 この熱量、この支配感。

 落とすという選択肢は、宇宙の法則から【亡くなって】いた。

「ありがとうございます」

 その言葉をもっと聴かせてくれ。その声を、その仕草を、その冷徹なまでの眼差しを。

 淡々とした返事。喜びも、卑屈さもない。

 彼女はただ、単純な進路希望としてここへ来た。ただそれだけ。

 その「当たり前」の一歩が、僕たちの世界を崩壊させようとしている。

「詳しい日程は明日連絡する。君に相応しい、最高の曲を用意させよう。準備しておけ」

「わかりました」

 退室する彼女の後姿。

 ハッと映ったのは、彼女の背負う、途轍もない黄金と名声の幻影だ。

「ははっ……」

 扉が閉まった瞬間、乾いた笑いがこぼれた。

 横の連中も、椅子に深く沈み込み、あるいは頭を抱えて唸っている。

 愛では食っていけない? ……まさか。

「彼女は……神を殺しうる、女神だよ」

 しばらく動けずにいた。

 別室にいたスタッフを呼び寄せ、ようやくこの「下らない時間」に終止符を打つ。

 外からは不合格者たちの醜い怨嗟が漏れ聞こえてくるが、何のノイズにもならない。

 早く、彼女の【歌】で殺してほしい。

 この世の全てが、価値を失ったのだから。


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