第三話 魔王 トワ・エンドモア
【第三話:魔王 トワ・エンドモア】
大都市 人族領内 クレス・ヴェイガルド方面 ウルラ山 山道
犯罪人として拘束されたユアラとセツナは、
大神官がいる第1大聖堂に向かう馬車の中で、お互い何も話さずにいた。
ユアラは馬車から流れるウルラ山の風景を見ながら物思いに耽っている。
ユアラはナッセが消えたあの時の事を思い出していた…
辺境の町 サンドール外縁 ウルラ山 山道
「待ってくれ!ユアラ!」
目の前で魔煙の中に消えたナッセを探そうと、
谷に降りようとするユアラを、
ディノが必死で抑えている。
「だってナッセが…ナッセが!!」
神官もユアラを止めようとする。
「すまない。私が無理を言ったばかりに…」
するとユアラが言い放つ。
「返してよ!ナッセをここに連れ戻してよ!」
ユアラの真っすぐな視線に耐え切れず、神官が視線を逸らす。
そしてこう言った。
「…ナッセは魔煙と共に人の心の中に引き込まれた。
…今できる事は…」
「うわぁぁぁ!!」ユアラが叫ぶ。
ユアラの吸魔石が沸騰するようにドス黒くなってゆく。
「まずい!」それを見たディノがすかさずユアラの首元に手刀を打ち気絶させる。
「すまないユアラ…俺にはこうするしか…」ディノはそう言いながら自分の吸魔石をちらりと見た。
その吸魔石は薄く黒ずんでいた。
ディノはユアラを抱きかかえると、他の冒険者たちと共に帰途についたのだった。
辺境の町 サンドール町内 ユアラの自宅
窓から差し込んだ日の光が眠っていたユアラの目に重なり、ユアラは顔をしかめた。
「ん…ううん。」白い光に包まれたナッセが谷底から助けを求めて手を伸ばす。
ユアラも必死になってナッセの腕を掴もうと手を伸ばすが届かない。
「ナッセ!」起きるなりそう叫んだ。
「うわ!」ベッドの隣の椅子でもたれ掛かって寝ていたディノがその声にびくつきながら起きる。
「ユアラ。目が覚めたのか…おはよう」
「ここは…ナッセは?」ユアラが部屋を見回す。
「…ユ…ユアラ!お腹すいてんだろ…俺何か作るよ」
ディノが話題を変えようとする。
しかし「私、探しに行かなくちゃ。」ユアラはそう言うと剣を握って部屋を出ていこうとする。
「ユアラ!!…」ディノが出ていこうとするユアラの腕を掴んだ。
「ナッセはもういない…現実をみ…」
パン!という音が部屋に響く。
ディノの頬をユアラの手が捉えた。
「私は諦めない!!ナッセが戻るなら何でもするわ!」
ディノは打たれた頬にゆっくり手を当てると部屋を出てゆくユアラの背中を目で追った。
ユアラには一つだけ心当たりがあった。
ナッセが目の前で消えたあの時、ユアラからの「ナッセを連れ戻してよ」という言葉に、
神官が一瞬何かを言いかけて「今できる事は…」と言葉を濁していた。
「きっと神官は方法を知っている…」
ユアラは神官のもとへと急いだ。
町の中心には神殿がある。ユアラはそこへ向かった。
辺境の町 サンドール町内 神殿内
ユアラが神殿内で朝の礼拝を終えた神官を見つけて話しかける。
すると神官がこうつぶやいた。
「ユアラ…あなたが来る事は判っていました…ナッセの事だね」
「はい。ナッセをこの世界に戻す方法を神官様はご存じだと感じました。」
ユアラの真剣な眼差しに神官は早々に説得を諦め、ため息をついた。
「どうやら私も未熟なようだ…
…着いて来なさい。別の場所で話をしよう」
神官は神殿の一室にユアラを案内し、椅子に座るよう促した。
そしてこう切り出す。
「これから話す内容は…禁忌に該当する。他言無用だ。」
「はい。」
「召喚士の術式はどの程度知っているかな?」
「精霊召喚ですね…母が召喚士なので基礎知識程度はできます」
「そうか。であれば基本を振り返りながら、話すとしよう。
エヴァージェントには基本5大要素の火、水、風、地、空、それぞれに神が宿っている。
火の女神スラティマ。風の男神コヒツィナ。大地の男神ミツマヤ。水の女神ツリョーセ。大気の男神ヒャハギニ。
召喚士は彼らの分身体を召喚している。
その中の風の精霊にチコルという伝令や偵察に使用する小精霊がいる。」
「冒険者でもよく使用する召喚魔法ですね。」
「うむ。…この小精霊なのだが、他の精霊とは異なる理で召喚されている。
本来であれば精霊召喚と召喚士は同じ次元に存在している必要がある。
しかし、この小精霊は、次元を超えて召喚士と繋がる事が出来る。」
「それは母からも聞いたことがあります。
ダンジョンの奥深く、階層が深いと精霊、とくに小さな精霊は消失してしまう。
でもチコルはどんな場所へも行く事ができる…と」
「そうだ。精霊の維持には術者からの魔煙のエネルギー供給が欠かせない。
しかしチコルは独自で魔煙をエネルギーに変換できるので、どこまでも行ける。」
ユアラが質問する。
「でも、チコルは術者にその場の五感を伝えるだけの存在です。」
すると神官が少し戸惑いながらも重い口を開く。
「実はチコルにはもう一つ、できる事がある…
それが次元反転魔法だ」
「次元反転魔法?」
「そう、チコルによる次元反転魔法の使用。これが禁忌の技術の部分だ。」
神官が話を続ける。
「ダンジョンから地上に戻る時、魔術師や召喚士は、他の冒険者のように来た道を歩いて帰るという事はしない。
予め、帰りたい場所に詠唱を認めた依り代を置き、次元反転魔法で依り代と自身を入れ替える事で瞬時に戻っている。
本来であれば、術者のみが依り代と対になる転移魔法であるが、
チコルのする次元反転魔法は、チコルを媒体として別の対象者を依り代と入れ替える事ができるのだ。」
「すごい。それができるのであれば、重症の仲間を安全に戻せる。
でもなぜそれが禁忌なのでしょうか。」
「よい質問だ。なぜ禁忌なのか…それは精霊の命と引き換えにする魔法だからだ。
我々は魔煙を捧げものとして、神々に頼み、時に願い、時に命令をして、魔法を使用している。
本来、魔法は神の業。我々が扱ってよい力ではないのだ。
しかし、神様のご慈悲により、我々はその力の行使を許されている。
精霊は神の分身。その命を糧に他者を救うという行為は禁忌とされてきた。」
するとユアラは神官に聞いた。
「なぜその事を私に…」
すると神官がこう言った。
「卑怯な言い方になるが…どうするかは君次第だ。
私は神官である以上。
君に禁忌に背けとは言えない…」
そして昔話を始めた。
「この話は私の独り言だ。
この町の北、ウッドロック山脈の麓に、もう誰も近寄ることもしなくなった古来の神殿がある…
私の曽祖父が話していた…
ある商人がこの世界には存在しないモノを売っていた。
その商人はそれを古来の神殿で拾ったと言っていた。
そのモノはおそらく別次元からこちらに来た遺物だ。」
ユアラは目を輝かせた。
「ありがとう。神官様。」
そう言うと、ユアラは部屋を出て行った。
辺境の町 サンドール町内 ユアラの自宅
ユアラは自宅に戻ると、母親の遺した魔法書を片端から開いてチコルの召喚とその役割、
詠唱とその効果について調べ直した。
ユアラは寝る間も惜しんで召喚の研究に没頭した。
母親の才能を受け継いでいたのだろう、数日後には召喚できるまでになっていた。
手のひらにユアラの髪を切って載せ、詠唱する。
『ユアラ・ハリューズの名のもとに導け。悠久なる風の原初よ、チコル・ルグニカよ、来たれ。』
すると、髪を触媒にして変位し、羽の生えた小さな蝶の妖精が姿を現した。
「できた!」
ユアラは試しに自分の後ろ姿を見てみる。
「チコル。私の後ろ姿を確認して」
するとチコルは手からひらひらと飛び立つとユアラの後ろに回り込む。
ユアラが目を閉じる。すると視界に自身の後ろ姿が写り込んだ。
「これは便利ね。わたしってこう見えるのか…」
寝ていないため髪もぐちゃぐちゃだ。
ユアラは召喚に成功した喜びと共に、突然きた眠気に耐えられず、ベッドに突っ伏すと眠りについた。
翌朝、久しぶりのシャワーを浴び、パンを口に運ぶと、身支度を整えはじめる。
「チコル。行くよ。」
ユアラはチコルを伴って、古代の神殿へと向かうことにした。
辺境の町 サンドール町 北門付近
町の門まで来ると、ディノがなぜか待ち構えていた。
「ユアラ。その…ごめん!」
ディノが勢いよく頭を下げる。
「ナッセの事。俺も心配るんだ。
ナッセの為にどこかに行くんだろ?
俺も一緒に連れて行ってくれよ!」
ディノの姿にユアラは少し戸惑った。
「ディノ。私はこれからおそらく犯罪者になると思うの。」
ディノがえっ…という表情で顔を上げる。
「だからディノ。あなたは連れていけない…」
するとディノが食い下がる。
「判っている。それなら俺もユアラと同じ犯罪者にだってなる!
だって俺たちパーティーじゃないか。」
ディノのその言葉にユアラは少し救われた。
こうしてユアラとディノは古代の神殿に向け、旅立つのだった。
大都市 クレス・ヴェイガルド方面 ウルラ山 山道
不意に馬車が石を踏みガタンと揺れる。
そこでユアラは我に返った。
両手の拘束具が異常に重たく感じる。
セツナに視線を移すと、拘束具の他にも大きめの吸魔石が首にかけられていた。
ユアラの視線を感じたのかセツナがこちらを見た。
「覚悟…は、していたんだけど…」
そうつぶやいたユアラの言葉にセツナが反応する。
「覚悟ってなんだよ。
…そもそも世界転覆罪ってなんだよ。
アンタ何をしたんだ?」
「アンタ…か…」
ユアラの表情が曇り少し悲しそうな顔になる。
そして背伸びをしながらこう答えた。
「君を…この世界に呼んでしまった事よ…」
「俺を呼んだ事?そんな事で世界が転覆するっていうのか?
少し大げさじゃないか?」
セツナからしたらそうだろう…自然な反応だ。
でもこうして今この世界に居る以上、無知なままで放置させる訳にはいかない。
「わかったわ。私たちがなぜ捕まったのか。世界がなぜ転覆するのかを説明します。」
こうしてユアラはセツナにこれまでの経緯と、人の発生させる魔煙の話を説明した。
説明を受けたセツナは黙り込んでしまった。
それは仕方ない。いきなりこの世界に転送された上、危険人物扱いを受けたのだ…
「ごめんなさい…巻き込んでしまって」
するとセツナが口を開いた。
「…大犯罪者ってことだな。」
その言葉にユアラの吸魔石が沸騰する。
「ナッセってアンタにとってどんな存在だったんだ?
この世界を壊しても必要な人だったのか?」
「恋人よ…今でも大切な人よ。
世界が崩壊しても良いって思えるくらい大好きな人
アナタにもそんな人は居るんでしょ?」
ユアラの言葉にセツナはドキッとした。
無かった…恋人なんてそんな存在これまで無かった。
イジメを受け始めたのは小学校からだ。
それ以来、誰かを好きになるというのは怖くてできなかった。
そんな感情が周囲に知れ渡ればきっと揶揄われる。
だからこれまで周りを見ないように生きてきた。
「(世界を壊しても良いって思えるほど誰かを好きになる?俺には無理だ…)」
「いないよ…」
セツナが冷たく返す。
「そう…ごめんなさい…」
ユアラが伏し目がちにそう返したのを見て、セツナの心がザワついた。
その時だった。
馬車がガクンと引っ張られ、馬が嘶いた。
外の兵士が騒いだ「ホークウィンドだ!」
「あいつだわ!」ユアラが声をあげる。
「え、なに?」ユアラが立ち上がろうとした時、馬車が何かにぶつかって傾いた。
ユアラの体がセツナ側へと倒れ込む。
両腕を拘束された状態のため顔面で受け止めるしかないセツナ。
「おわっ!っぷ!」
馬車が横転し、セツナの顔にユアラのブレストアーマーがヒットする。
「いってぇ~」セツナはユアラの下敷きになった状態で叫んだ。
「ごめん。大丈夫?」
慌てて身を起こすユアラ。
「ああ、ってかホークウィンド?」
ユアラに身を起こしてもらいながら聞く。
「そう。この前、私たちを襲った危険度Cクラスのモンスターよ。」
「ここにいて大丈夫なのかよ?」とセツナ。
すると、馬車の後部扉が開いて兵士が声をかける。
「逃げろ!ここに居ては食われる。完全に狂って…」
言いかけた時、兵士にホークウィンドのツメが掛かるのが見えた。
それは一瞬の出来事だった。
兵士は拘束具の解除キーを置いたままどこかに吹き飛んだ。
「逃げるわよ!」ユアラが転がったキーをつかみ取る。
「解除の仕方は判るわね?」
「ん?おお。大丈夫だ。」セツナはキーを受け取ると、ユアラの腕輪を解除する。
そしてユアラもセツナの腕輪を解除した。
「直ぐに出るだろ?」セツナが出ようとする。
「まって!まだ。」ユアラが止める。
ユアラはゆっくり扉の隙間から外に視線を送る。
「セツナ。あれが見える?」
ユアラの覗き込んだ位置にセツナが移動し、外を見る。
視線の先に黒いオーラを纏った四つ足の生き物が、こちらを背にして地面に落ちた何かをむさぼっている。
「あれがホークウィンド…」
「逃げきれるのか?」
「今の状況だと…厳しいわね…」
どうしようかと考えた時だ、馬車がガクン!と動き出した。
「えっ!」二人が同時に声を上げる。
どうやら馬車を引いていた馬が慌てて逃げ出そうとしたようだ。
ホークウィンドの視線が二人と重なった。
「まずい!気づかれた!」
馬車は二人を乗せたまま、ズルズルと馬車を引きずり始める。
その動きに合わせて、ゆっくりとこちらに這い寄るホークウィンド。
するとユアラがセツナに聞いた。
「セツナ!魔法を使って!」
「えっ!?」そんな突然言われても出来る訳がない。
「信じて。私と一緒に詠唱して。セツナはホークウィンドに手の先から何かを放つイメージをすればいい。」
「い、イメージ?」
セツナの後ろにユアラがピッタリと体を寄せ、セツナの両手に自分の両手を沿わす。
セツナの背中にユアラの胸が当たる。「(これは…)」
「セツナ!集中!!」「あ、はい。」
そうこうしている間にホークウィンドとの距離は30メートルを切った。
猛禽類の鋭い視線がゆっくりこちらに狙いを定めている。獲物を見る目だ。
ユアラが詠唱を耳元でささやく
「(放て。)」『放て。』
「(灼熱の理をもって)」『灼熱の理をもって』
するとセツナの指先に何かの感覚が伝わってきた。熱い…すごく熱い何かが手のひらの中に収束している感覚になる。
セツナはここで一気に集中した。放つイメージだ。火炎放射のイメージだ!
ユアラが最後の言葉を伝える
「立ちはだかるモノを灰に帰せ!」
『立ちはだかるモノを灰に帰せ!』
その言葉を発したと同時にセツナ手元から強烈な炎がホークウィンドに放たれた。
放たれた炎はホークウィンドの頭を捉えると一瞬にして全身をかけ廻った。
「ギャ!ギャ!ギャ!」という雄叫びをあげながらホークウィンドがのけ反り、仁王立ちになる。
そしてこちらに鋭い視線を向けると、前脚で馬車ごと横薙ぎしようと腕を振り上げた。
しかし炎に巻かれた四肢に力はなかった。
ホークウィンドは自重を支えきれずにズスンと地面に崩れ落ちると、そのまま燃えがらとなっていった。
「やれた…ユアラ!俺やれたよ!!」喜びの声を上げるセツナ。
しかしそれを見て呆然とするユアラ。
「こんな…こんな威力…」
「えっ…え?」
ユアラがセツナの吸魔石を見る。
吸魔石は透明に戻っていた。
「…いいえ。なんでもないわ。」
「(最大魔力量で放ったのね…)」
「それより生存者を探しましょ」
二人は周囲を見て回ったが、生きていた兵士は重症で身動きが取れない一人だけだった。
ユアラがすぐさま兵士を回復させる。
「これでいいわ。」
すると兵士が言う。
「なぜ私を置いて逃げない…」
するとユアラが言う。
「…逃げない。セツナを元の世界に戻すのが私の使命だもの…」
その言葉にセツナは理解した。
覚悟だ。これは彼女なりの覚悟だ。
「ユアラ。俺も協力させてくれ。
事情はどうあれ、この世界に来てしまった以上、俺もユアラの力になりたいんだ。」
その言葉にユアラはほほ笑んだ。
第6大聖堂より南西15キロ地点 エルフ管轄領内 アルデラ要塞
高い山に左右を挟まれるように建てられた堅牢なアルデラ要塞の城壁の上で、
物見のエルフの兵士が、防壁の外100メートルほど離れたうっそうと茂る森の稜線に目を凝らしていた。
「おい。さっきあそこの木の陰に何か動いていた気がしたんだが」
「ん?どこ?」
「あの左の突き出た岩の下あたりに…」
兵士が指差した森が微かに揺れている。
二人が凝視していると影と思った地面がユラリと躍動し、堰を切ったように日差しの方向に流れ出した。
「ま、魔煙だ!警鐘を鳴らせ!!」
要塞に警鐘の音が響く。
その間も魔煙はまるで意志のある生き物のように地面を這い、綺麗に咲いた野花や、そこに息づく全ての生命を飲み込んでこちらに向かって来る。
するとその中を平然と、まるで散歩でもしているかのように歩いて来る一人の男の姿があった。
黒いフードを目深に被ったその男は魔煙を伴ってこちらに歩いて来る。
よく見るとその男から魔煙が発生しているようだ。
兵士が矢をつがえて弓を構える。
「おい!そこの男!止まれ!!」
するとその男は歩みを止めることなく兵士の方に視線を向けこう言った。
「やあ!僕の名前はトワ。トワ・エンドモアだ。
ここは、君たちの要塞かい?」
トワと名乗った男は両手を広げてなおも歩み寄ろうとする。
すると、兵士が威嚇の一矢を足元に向けて放った。
ピシュ!とトワの足元の地面に矢が刺さる。
するとようやくトワが足を止めた。
「おや。その心のゆらぎは恐怖かい?それとも拒絶?僕は君に興味があるんだよね…」
「な、なにを言っている!目的はなんだ!なぜお前は魔煙の中で平然としていられる!」
すると少し周囲を見回すトワ。
「あ。これ?良いでしょ!この感情の渦。人らしくて最高だよね!」
「く、狂っていやがる。」
兵士が次の矢をつがえたその時だった。
「そう…拒絶か…君のその感情も人らしくて好きだったんだけどな…」
トワが何かを詠唱しはじめた。
それを見て得体の知れない恐怖に陥った兵士がトワ目掛けて矢を放つ。
しかしその矢は、トワの目前で瞬間的に現れた防御方陣に弾かれ地面に落ちる。
「…死ねよ」トワが冷たくボソリと言ったその時だった。
急に兵士の心臓に衝撃が走った。
兵士は胸を押さえて苦しみだしたかと思うと膝から崩れ落ち、城壁をのり越えて地面に落下し絶命した。
その様子を壁面の影から見ていた他の兵士たちがスクっと立ち上がると一斉にトワに向かって矢を放った。
奇襲のタイミングは完璧だった。
おそらく並みの冒険者程度では被弾は避けられない。
が、トワは違っていた。
自分に向かって来る矢の雨を全て防御方陣で弾いた。
まるで傘で雨を避けるかの様に平然と佇んでいる。
すると突然トワが泣き出した。
「…僕の事を知りもしないで酷いじゃないか…
恐いから拒絶?…得たいが知れないから拒否?…」
するとトワの足元から魔煙が一気に噴き出した。
「いっそ…みんな同じ苦しみを味わえよ…」
トワの放った魔煙はこれまでのモノとは違っていた。
魔煙は足元から溢れると地面を這う事なく宙を舞った。
そしてまるで意志をもったように黒い塊となって城壁の兵士目掛けて殺到した。
その時だった。透き通った軽やかな女性の詠唱が響いた。
『拭いたまえ。慈愛の原初よ、我らの前に護法の盾を』
その直後、ドウン!と魔煙が城壁にぶち当たり、城壁が揺れる。
しかし魔煙は兵士には到達しなかった。
魔煙は突如城壁を覆った防御方陣によって塞き止められた。
魔煙は津波のように防御方陣にそって駆け上ると、勢いを失い引き潮のようにトワの足元まで後退する。
城壁の兵士たちから口々に声が上がる。
「クリスティア様!」
「聖騎士様だ!」
魔煙の流れの中に佇むトワの視線の先、城壁の上に、白い外衣と騎士団のアーマーに身を包んだクリスティアが現れた。
クリスティア・アトラはエルフ族で大神官直属の上級魔法聖騎士の一人だ。
「トワ・エンドモア…あなたのその憤りは正しいとは思えません。
その内なる怒りの矛先を収めてはくれませんか。」
クリスティアの嘆願にも似た言葉と共に、愛らしい瞳がトワへと注がれる。
するとトワが静かにこう言った。
「…お前に俺の何が判る…」
「あなたが話してくれなければ何が判るというのでしょうか…」
「…お前も一緒だな…」
トワが腕を振り上げると、森の奥から鳥たちが騒がしく飛び出し、森がざわついた。
奥から木々が押し倒しながら何かがこちらに近づいて来る。
木々の合間から無骨な岩が見える。
危険度Cクラス。ロックゴーレムの群れだ。
「城壁を押しつぶせ!」
トワの号令と共に、ドスン…ズスン…とゴーレムが向かって来る。
それだけではない、ゴーレムの足元には森サソリの群れ、狼。
そして本来であれば友好関係を築いていたエルフまでもが武器を手に突撃してきた。
そのどれにも黒いオーラが纏わりついている。
魔煙に触れた森に住む全ての生物が魔物と化して牙をむいて押し寄せてきていた。
「同士たちまで…」クリスティアは唇をかんだ。
しかし迷っている暇はなかった。
「…応戦します!弓兵前へ!」クリスティアが剣を抜いて兵士たちに檄を飛ばす。
「牽制射撃!放て!!」
その号令と共に兵士が一斉に矢の雨を降らせる。
エルフや狼などの中型の生き物たちが次々とそれによって地面に倒れ伏してゆく。
しかしゴーレムや小さな森サソリを足止めする事はできない。
クリスティアはすかさず後方に待機させていた魔術兵に指示を出す。
「魔術兵!炎を放て!」
牽制射撃によって突撃の勢いを挫いた先方に向け、弓兵の背後で詠唱していた魔術兵が一斉に炎で追い打ちをかける。
瞬く間に前線に火の手が上がり、次々と炎の海に魔物たちが沈んでゆく。
突撃の勢いは炎によって削がれたかのように見えた。
しかし苛烈な炎の中でもゴーレムの歩みは止まらない。
そればかりか、森の奥から次々と魔物たちがこちらに殺到して来ていた。
すかさずクリスティアが補助魔法を詠唱し、兵士たちに付与する。
風の加護による貫き強化。空の加護による鋭利化。土の加護による身体強化。
様々な加護を兵士たちに付与してゆく。
すると兵士たちの放つ矢が白い光を帯び、さらに素早く魔物を倒し始めた。
ゴーレムの一部は足を破壊され行動不能になった。
クリスティアはこの戦場の中でトワに視線を向けた。
立っていた。平然と立っていた。
トワは防御方陣の中で涼しい顔をしながら戦況を伺っている。
それを見てクリスティアが召喚魔法を詠唱しはじめた。
『顕現せよ。烈風の使役者よ、鋭き刃の申し子シルフィード!』
その詠唱と共に、城壁の前に複数の竜巻が巻き起こり、周囲の空気が収束してゆく。
次の瞬間竜巻が消えると、青い羽衣を纏い、長剣と盾を手にした鎧の男女の姿が顕現する。
顕現すると同時に、フワリと飛翔し、炎に巻かれた魔物に向けて突っ込んだ。
風に煽られた炎はさらに勢いを増したため、兵士たちにどよめきと歓喜の声が響く。
召喚されたシルフィードは強かった。
刃が炎を纏って舞い踊りながら、ゴーレムや、残存しているエルフや狼たちを次々と切り伏せてゆく。
シルフィードは勢いそのままにトワにもその刃を向ける。
しかしまたもや防御方陣が出現し刃先を受け止めた。
シルフィードがさらに力を刃先に込め、防御方陣を壊そうとする。
他のシルフィードたちも次々と加勢し防御方陣に刃を突き立てる。
と、次の瞬間、刃先を介して黒いオーラと共に赤い稲妻がシルフィード全体に走った。
赤い稲妻によってシルフィードが苦しみながら一歩のけ反る。
そして動きが止まると同時に光の粒子となって大気に散ってしまった。
「(召喚を強制解除した!?)」それを見ていたクリスティアが、
チラリと自分の吸魔石に視線を落とす。
さっきの召喚で吸魔石の魔煙の半分を消費してしまった。
このままでは物量で押し切られてしまう。
クリスティアの脳裏に不安がよぎる。
するとトワがつぶやく。
「この防御方陣…悪くない…もう一つ試してみるか…」
そう言いながら静かに詠唱を始めた。
『還ること叶わず…』
「いけない!」その詠唱にクリスティアが即座に反応し詠唱を開始する。
『抱擁せよ。慈愛の原初よ…』クリスティア
『禍欲の闇となりて、虚無へ堕ちん』トワ
『我らを護れ』クリスティア
その刹那、トワの周りから黒い球体が急速に広がるように現れ、クリスティアの周りからも白い球体が急速に広がった。
黒い球体と白い球体がぶつかると突風が吹き抜けた。
球体はバチチッと互いの力を削り合いながら城壁を境界線にして拮抗する。
白い光がじりじりと黒い球体を押し込んでゆく。
白い球体が優勢に見えた時だった、クリスティアの魔煙が切れた。
「嘘だ!…こんな時に…」
黒い球体が一気に盛り返した。
均衡が崩れた白い球体は急速に縮み、黒い球体が城壁とクリスティアごとズムン!と飲み込んだ。
慌てる兵士たちをその悲鳴もろとも、黒い球体が吸い込んでゆく。
黒い球体は急速に膨張しながら貪欲に周囲を飲み込むと、不意にピタリと膨張が止まった。
静寂だ。風の音すら聞こえてこない。
そして次の瞬間キュン!と黒い球体が一気に中心に向かって収縮した。
収縮から少し遅れてズドン!!という落雷に似た音と共に、
地響きと衝撃波が周囲を襲った。
森は暴風により暴力的な雄叫びをあげ、一部の木々は根本から倒れた。
辛うじて黒い球体から逃れた兵士たちもその勢いで吹き飛ばされた。
しばらく後、黒い球体が消失した後、そこに残されたのは丸く抉れた城壁と、
クリスティアだけを覆った小さな白い球体だけだった。
その様子を見ていたトワが笑いながら言った。
「ハハハ!なかなか良い出来じゃないか」
強固な城壁が無くなり、武器や防具が散らばり、静まり返った真ん中で、クリスティアは両膝をついて剣で身を支えながら何とか耐えていた。
「助けられなかった…」クリスティアは失意の中にいた。
白い球体がまるで切れかけの電球のようにバチバチっと瞬く。
そんなクリスティアにトワがゆっくりと近づいてくる。
「腕試しの相手としては、なかなか良かった。
だが…魔煙不足とは…お粗末な幕切れだ」
そう話しかけたトワが、クリスティアの剣の間合いに入った。
「うわあああ!!」
クリスティアが咆哮とともにトワに襲い掛かる。
バキャン!!という金属同士が当たる音が響いた。
不意打ちを狙ったクリスティアの突きがトワの右頬をかすめる。
トワは寸前で剣の軌道を手甲で弾いてかわしたが、頬にツーっと傷が入った。
「おや。これは驚いた。まだ動けたのか…」
トワは「掴め」と発すると、素早く剣を見えない何かで掴んだ。
手のひらから放電し、剣を固定する。
クリスティアは慌てて素早く剣を引き戻そうとする。
だが、抜けない。クリスティアは渾身の力で剣を引き抜こうとしているが、
まるで岩にでも挟まれたようにびくともしない。
トワが剣を眺めながら言う。
「これはまた随分と物騒な魔法で錬金されているな…」
そうつぶやくと指先を剣に触れて「破壊せよ」と発した。
すると剣がトワの指先から赤い稲妻と共に亀裂が入り、粉々に砕け散った。
それを見てクリスティアが驚愕する。
「なにをしたの!?詠唱は…」
するとトワが言った。
「詠唱?んー…それは必要なのか?」
そこで初めてクリスティアは、自分がこれまでとは異なる理で存在している相手と対峙していた事を悟った。
「この魔物め!人ではないわ!!」素早く身を翻して殴りかかろうとするクリスティア。
しかしトワからの強烈なフックを腹に食らった。
「…力さえあれば…守っ…」
クリスティアはそう言うと気を失って倒れた。
「魔物…か…俺は人ではない…か。
…きっとお前の言うように私は魔物、むしろ魔王なのかもしれないな…」
トワが悲しそうにクリスティアに視線を送る。
見ると、クリスティアの魔石が黒く沸々と湧き出ていた。
「ほう…枯渇した魔煙が…沸くか」
その様子を要塞の奥で息を殺して観ていた兵士達に向かってトワが言った。
「この女は貰ってゆく!」トワの声が響く。
しかし返ってくるのは崩壊した城壁の間をすり抜ける風の音だけだった。
「…やはり所詮は自分がかわいいのだ…」
トワは詠唱で最寄りの石を使いゴーレムを召喚すると、
ゴーレムにクリスティアを担つがせ、森の奥へと帰ってゆく。
要塞の奥にはまだ兵士は残っていたが、
トワに一矢報いようとする勇者は最後まで現れなかった。
大都市 クレス・ヴェイガルド 大神殿内
アルデラ要塞の崩壊とクリスティア拉致の報は、すぐさま大神官のもとへと届いた。
「こんな事が…
アルデラ要塞の守護者クリスティア・アトラが敗北した。
早急に手を打たねば…」
すると隣にいた大神官直属の上級魔法聖騎士の一人、人族のガーディアス・レブナントが具申する。
「使用された魔法はその威力から推察するに禁忌魔法です。
対してクリスティアは我ら魔法聖騎士の中でも指折りの魔法の使い手です。
禁忌魔法を使用したとしても、そう易々と倒せる相手ではないはず。」
「それが問題なのだ…ガーディアス。なぜ彼女は敗北した…」
するとガーディアスが言う。
「兵士からの報告によれば、敗因は吸魔石の枯渇との事でした。
彼女が所持している吸魔石はこの世界を見渡しても性能はトップクラスです。
それを枯渇させるほどの相手だったという事は、
トワはそもそも吸魔石を使用していないのかもしれません」
「それはどういう事だ…」
「これは推測の域を出ませんが…
トワはこの世界の理を逸脱した存在である可能性があるかと…」
その言葉を聞いて大神官が目頭を抑える。
「“向こうの人間”か…
もしそうであれば由々しき事態だ。
人は心根一つで無限に魔煙を生成できる危険な存在だ。
トワ・エンドモア…エヴァージェントを崩壊へと導く魔王の如き存在だ…」
その様子を見てガーディアスが言う。
「そこで提案があります…
人には人で相対するのが得策かと…」
ガーディアスの大胆な進言に大神官は眉をひそめるのだった。




