プロローグ:妖精とセツナ
”この世界をぶち壊してしまいたい”
それ程の怒りを覚えた事はありますか?
この負の感情のエネルギーは相当なものです。
心が核分裂しているのではないかと思うくらいの高エネルギーのはずです。
でも、人の心は不思議なものです。
あの時、あんなに感じていた爆発的で暴力的で刹那的な感情が、
いつの間にか和らいだり、何かをきっかけに消失したりします。
一方で、思わぬカタチで思い出して、イライラがぶり返したりして、
どうしようもない感情に陥ることもあります。
もしも、その感情が、別次元の世界で消費されていたとしたら信じますか?
その世界の名を”エヴァージェント”と呼びます。
この物語は、そんな人の負の感情が流れ着く果ての世界エヴァージェントに迷い込んだ一人の青年の物語です。
【プロローグ:妖精とセツナ】
日本 生貫中学校 2年生教室内
人の“言葉”はどんな剣よりも鋭利だ。
「おい“小宇宙”。お前の存在がうぜえんだよ!」
クラスで一番のいじめっ子、トミタケ君が今日も僕に向けて暴言を吐いて来る。
僕は別に何もしていない、ただ自分の席で静かに本を読んでいただけだ。
周囲にチラッと視線をむけると、クラスメイトはこの状況に無視を決め込んでいる。
トミタケ君とその取り巻きは“コスモ”というあだ名に反応して笑っている。
正直、これは通過儀礼だ。
なぜか毎回あだ名が変わる。
昨日までは“ウン太”(うんこ太郎)だった。
僕は日焼けしており冬場でも肌の色が褐色だったからだ。くだらない理由だ。
でも彼らにしてみれば大喜利みたいな感覚なのだろう。迷惑な話だ。
「(どうせ何を言っても無駄なんだろうけど…)キサラギ・セツナだ。」
「いや違うね。
聞いたぜ。お前の趣味 “盆栽”なんだってな。爺くさいなお前。」
「(なに!?どこでその情報を…どこから漏れた?)」
取り巻き連中が「盆栽ってだせぇ~」と噴き出すように笑う。
「盆栽の世界には小宇宙が広がっているんだろ?
だったら盆栽=小宇宙=コスモで合ってんじゃん。」
コスモの由来を聞いて、無視していたクラスメイトからも小さく笑い声が聞こえる。
「てか、俺気づいちゃった。あだ名つけるの上手くね?なあ?」
トミタケ君がクラスメイトや取り巻き連中に同意を求める。
「天才!」「最高!」
「(あーあ。またこれだ…
いつもこっちは目立たないように本を読んだフリをしているのに、
意味もなく難癖つけて突っかかる。…ってか何が天才だ。お前なんか盆栽(凡才)以下だ!)」
「おい!俺の話を聞いてるかコスモくん」
トミタケ君の憎たらしい顔がセツナに迫る。
今の自分の置かれた状況は最悪だ、反応次第では彼に殴られるかもしれない。
クラスメイトも頼りにならないし、先生に相談してもきっと味方になってはくれない。
「(…撤退だ。戦略的撤退だ。)」
セツナは不意にスクっと立ち上がると、流れるように教室を抜け一気に駆け出した。
「(これが一番良い選択肢だ。平和的で誰も傷つけない。せいぜい自分の今日の授業が欠席扱いになるくらいだ。)」
「おい!逃げんなよ!コスモ!」
不意をつかれたトミタケ君が、慌てて後を追って走ってくる。
しかしなまじ足が速い僕には追い付けない。
セツナは手すりを支えに階段を5段ほど一気に飛び降り、追ってくるトミタケ君との距離を引き離す。
さすがにその動きには着いて来れないようで、声だけが届いた。
「早ぇっ。情けないやつめ!戻ってこい!」
「(誰が戻るか。お前が居なくなったら戻ってやるよ。)」
学校に居ても何も楽しくない。
でも義務教育となっている以上“行かない”という選択肢は僕にはない。
母親を心配されるわけにはいかないだろう。
「(今日は、いや今日もあの公園に行こう)」
こんな時は公園に行く事にしている。
セツナは下駄箱から靴を引っ張り出す。
どうやら今日は靴を隠されていないようだ。
セツナは靴を履こうとするが、念のため靴をひっくり返す。
すると靴の奥から画鋲が出てきた。
「(なるほど、それで置いていたわけだ。)」
学校生活での“いじめ”は陰湿だ。
今日みたいにうまく対応できた時はいい。しきれなかった時は悲惨だ。
万が一捕まったら服で隠れた部分を狙って殴ったり、蹴ったりしてくる。
暴力を受けている事を母親に言うという選択肢もあるだろう。
でも、セツナは母子家庭だ。下手に心配かけるわけにはいかない。
自分の置かれた状況にセツナはため息をついた。
このもやもやした気持ちを一体僕はどうしたらよいのだろう。
なんだか腹の奥底から沸々と怒りが込み上げてきた。
「(誰でもいい、どこからともなくヒーローが教室に乱入してきて、トミタケ一派を成敗してくれないだろうか。いっそ皆殺しにしてはくれないだろうか…いや危ない考えだな)」
セツナはそんな妄想を抱きつつ、いつもの公園に来ると誰もいないベンチに座った。
3月に入り公園に植えられた梅の花が咲き始めた。
そろそろ桜の季節、僕はまだ中学2年で卒業までは1年以上ある。
耐え難い寒さはまだ1年もあるのだ。
着の身着のまま逃げてきたせいで、制服だけではどうにもならない。吐く息も白いままだ。
唯一救いなのは、晴天という事だろうか。日に当たれば少しは耐えられる。
セツナは不意に視線の片隅に何かが舞っているのを目にした。蝶だ。
この季節、まだ蝶が羽化するには早すぎる。
その蝶は力なくひらひらと飛んでいたが、セツナの目の前で着地すると、羽を閉じてパタリと倒れた。
「…お前…なんでこんなところにいる。」
セツナは季節外れの蝶を無視する事もできた。
いずれこの蝶は死に、人に潰されるか、公園の掃除でゴミとして捨てられるか、アリが巣穴に持ち帰る事だろう。それが自然の摂理だ。そう思った。
しかし、力なく地面で身を起そうともがくその姿が、どこか今の自分と重なり吸われるようにすくい上げた。
「羽化するには早すぎだ。お前も生きるタイミングを逃したな。」
セツナの冷たい手で蝶を覆う。きっとこの行動には意味がないだろう。
例え手が温かくても、野に離してしまえば同じ運命だ。
「自分も無視するクラスメイトと同じか…」そう言った時だった。
「(見つけた…)」
セツナの耳に微かな女の子の声が聞こえた。
思わず周囲を見回すセツナ。
すると蝶を覆った指の間から白い光が漏れている。
手のひらを開くと、そこには蝶ではなく小さな羽が背中に生えた妖精が座り込んでこちらに視線を送っていた。
「(見つけた…やっと会えた…)」
小さな彼女は泣きそうな顔で嬉しそうにセツナを見つめる。
次の瞬間、暖かで心地よい春風がセツナを包んだ。
そしてその風に溶けるように妖精の姿が大気に消えてゆく。
その直後、セツナは抗いきれない眠気に襲われベンチにもたれかかった。




