第五話 幸せ(不幸)な時間
いくら私が悩んでいようが時間は待ってくれない。時間は平等に過ぎて行く。答えが出る事がないまま私の学校生活は続いた。王妃教育の賜物か。感情を隠す事が上手くなっていた私は学校内の誰にも己の不調を感づかれる事なく過ごせていた。
ただし例外はある。私の顔面抑制術もアルベルトにだけはバレバレだ。そんなアルベルトも私から見れば酷いものであったが。後は私の家族だろう。家族に心配かけたくない私は家の中でも仮面をかぶっていたのだが、両親に一発でバレてしまった。
「ナタリア、最近悩んでいる事でもあるのか?」
「とても疲れているように見えるわ。体調悪いのなら休んでも良いのですよ?」
分かってもらえてうれしいのやら、未熟を思い知らされて悲しいのやら。長年一緒に過ごしてきた家族に私が培って来た演技は通じない。
「ええ、悩んでいるのは確かですが、自分で解決して見せますわ」
観念した私は素直に悩んでいる事を打ち明ける。でも内容については語らない。それは私なりの意地なのかもしれないが、そもそも相談するにもまだ自分の中で整理出来てないという面もあった。
「お前は頑張り過ぎるきらいがある。王子の婚約者と言う責任はそれ程重いのだろう。しかしお前は王子の婚約者以前に私達の娘だ」
「話したくなければ別に私達じゃなくても良い。あなたのお兄様達、他にも庭師のロイドや、メイド長のナンシーだっているわ。あなたが大丈夫って言うなら信じますけど、あなたの周りには頼っても良い大人がいる事を忘れないでね」
二人の慈愛に溢れた言葉に胸がジンとなる。
「……ありがとうございますお父様、お母様」
それは心からの感謝であった。
「今はまだ平気ですけど、もしも本当にどうしようもなくなった時、絶対話しますから」
「ああ、それで良い」
父は深く頷いてくれた。何て温かい家族なんだろう。きっと私は恵まれている。しかしふと思った。皆は私が選択を誤った時、私に幻滅してしまうのだろうか? それが怖かった。
学校は相変わらず活気に満ちていて、一人取り残されたような気分になる。お父様たちは休んでもいいと言ってくれたが、私としては休むわけには行かなかった。学校は苦しみの元ではあるがそれ以上に満たしてくれるから。
特待生制度を作ったバージェス王の息子として、アルベルトは特待生の実態を把握する義務があった。だから私とアルベルトはソフィアとの出会い以降も定期的に学校中を周り、特待生が貴族と馴染めているかを確認して回らなければならない。
特待生は数の大小はあれど、基本的に全学年にいる。だから全ての学年を調べて回る事になるのだが、その中にはもちろんソフィアのいる一年生のところだってあるわけだ。だから私とアルベルトは、ソフィアと初めて挨拶を交わした以来会えなかったなんて事はなく、むしろ頻繁にソフィアと会話をしていた。出来るのは義務上の会話でしかないが。
ソフィアとの会話はさながら効きの悪い処方箋みたいなものだ。会話していると満たされるが、それが終わるとすぐにでも心が病んでくる。私はいつだって彼女の存在に一喜一憂させられている。
「アルベルト、今日も酷い顔ね」
「君もな」
これが最近の私達の朝の挨拶だ。お互いやばい状態になっているにも拘らず、協力して解決しようとしないのには理由があった。
もしも私かアルベルトか、どっちかがソフィアの事を話題に出したら、何かしらの結論を出さざるを得ない。そして十中八九答えは決まっている。ソフィアとは距離を置く事こそが最善。その答えを出したくないからこそ、私とアルベルトはあえて話をしない。核心から遠く遠くへ逃げる。それはアルベルトもきっと……
「今日の放課後の予定は?」
「空いてるわ」
「分かった。では今日も学校中見て回ろうか」
「ええ」
どこかでソフィアの事を話してしまいそうなので会話も最低限。お互いの事を良く知っているからこその義務的会話であった。このままでは良くない。それは分かっている。
「だからってどうしろと言うのよ」
それは私の心からのため息だった。
ソフィアの事がなければ私の学園生活は順調そのものだ。元より学ぶ事が好きだった私にとって勉学は苦じゃない。頭を悩ませる程の難解な問題はむしろありがたい。他に没頭する事さえあれば今の苦しみを忘れられたから。開いた隙間の時間こそが辛いのだ。
初め私は恋に溺れる王族は愚か者だと見下していたが、自分の体たらくっぷりを知ると何も言えなくなる。今なら彼らが堕ちてしまったのも理解出来てしまった。
平民にとって恋は素敵なものだという。ソフィアと違う特待生であるモルガンは婚約者がおり、政治が絡む貴族とは違い、単純に好きだから彼を選んだのだという。婚約者はいわゆる職人らしく、彼の作り出した品に惚れこんだモルガンが学校で数字を学び、将来店を出して彼の品を売る事が夢なのだとか。
「恋……か」
夢を語るモルガンは輝いており、私は決して恋は悪いだけのものではないと知った。でも私とアルベルトには恋は許されない。それがとても悲しかった。
「では行くか」
「分かったわ」
放課後になりアルベルトと合流すると、いつものように順に校舎を回る。お互い言葉にこそしないが、浮かれているのが丸わかりであった。表情を隠せない高位貴族なんて恥さらしもいいところだが、もう装うのもいい加減疲れてきているのも確かで、半場諦めに近い形で私は中途半端な顔をさらしている。
はやる気持ちを抑えつつ、私達は公務を淡々とこなしていく。やっとの事で下の学年の校舎に近づくと自然と胸が高鳴るのを感じた。ここまで来てしまえばソフィアを探すのは簡単であった。
ソフィアはとても目立つ。髪と眼の色は平凡であるが、容姿は整っていて可愛らしいしその性格も善良、故に彼女の周りにはいつも人だかりが出来ていた。だから私達にはソフィアがどこにいるのかすぐに分かってしまうのだ。
そして出会ったからには最低挨拶はしなければならない。顔見知りだから無視は出来ない。特待生だから気にかける必要がある。そんな免罪符をかかえて、私達は笑顔の仮面を被る。
「調子は如何かな? ソフィア嬢」
「アルベルト殿下、ナタリア様」
はにかむ様な笑顔を見せるソフィアを見ると気分が和む。なお名前呼びになっているのは、こちらか名前を呼んでもらうよう頼み込んだからだ。なお何もこれは特別な事ではない。学校では私達は誰に対してもそうしている。
ソフィア一人なら呼んではくれなかっただろうが、皆がやっているのであればその敷居は下がる。過去に学校では名前呼びを許すと決めた自分達に喝采を送りたい。
それでもソフィアは真面目なため、アルベルトの殿下の部分が外れなかったが。一方で私は様呼びではある。殿下と違いセイファート家侯爵令嬢様は長すぎるのだ。いちいち面倒でしょうって問いかけたら妥協してくれた。なので私の方が一歩進んでいると言ったところか。競ってどうするんだという話でもあるが。
「相変わらず励んでいるようね。この前のテスト結果、とうとう5位まで来た事、知っているわよ」
「それはこの学校の教え方が上手だからです。ただ全体でざっくり教えるのではなく、生徒それぞれに適切な課題を与えてくれるので格段に勉強しやすくなりました」
ソフィア心底楽しそうな様子を見てアルベルトもまた嬉しそうに笑う。
「そう言ってもらえるとこの学校に招いた甲斐がある。確かに師と言うのは重要だ。一人で学ぶより、導いてくれる人がいると進みは段違いであろう。担当教師もソフィア嬢には期待しているとの事だから、これからも精力的に頑張ってくれ」
「はい、頑張ります!」
本当はまだ話したいけれど、アルベルトと私はソフィア以外の者達とも対等に話しかける。体面上はあくまで仕事なのだ。ソフィアだけに集中するわけには行かない。
姿を見る事が出来る。話もする事が出来る。しかし僅かな時間で出来るのは決められた会話のみ。もっと話したいのになまじ自制が出来てしまうのが辛い。生殺し状態とはまさにこの事だ。
名残惜しさを覚えつつも私とアルベルトはソフィアの元を後にする。また明日会えばいいと問題を先延ばしにして。
それでも未練だったのだろう。一度振り返ってしまったのは。
だから私は見てしまった。
私達の去り際、ソフィアの視線が切なげに揺れていた事に。
そして私は思い知った。
我慢しているのは私達だけではなかったと。
思い返すのはアルベルトとソフィアが初めて出会った時の事、時が止まったのはアルベルトだけではない。ソフィアもまたそうであった。
ただ私はあれをいきなり王族から話しかけられた事への驚きだと思っていた。ソフィアは平民出身だった故に。でもその前提が間違っていたら? ソフィアもまたアルベルトや私と同じだったら……
世界がひっくり返るような衝撃であった。
深淵が私を覗いている。
私は開けてはならないパンドラの箱を開けてしまった。




