第二十五話 そこにあるという事 ソフィアサイド
泣き疲れた私はいつの間にか眠っていたようでした。気がつくと自分の寝室におり、今更ながらにナタリア様だけでなく、私自身も相当に参っていた事を知りました。
そして今の自分はと言うと……
「……体が重いです」
まるで重石を付けたようなダルさに私は思わず顔をしかめました。一回寝たくらいでは疲労は全然抜けなくて。フランの件のみならず、今までの学校の緊張など、全部が一気に押し寄せてきた感じでした。
しかしとてつもない疲労感を感じているのと裏腹に、頭の方は少しすっきりしているのは不思議で、私は首をかしげました。たったその動作だけでも今の体の鈍さが分かるというおまけつきで。
「…………」
結局行動しようにも億劫だった私は再度ベッドに潜り込みました。
「良く寝ているな。やはり相当無理をしていたようだ」
「ふふ、ナタリアもこれくらい素直だったから可愛いのにね」
うっすらと聞こえてきたその声は一体誰の者だったのでしょう? 優しさに溢れたそれを子守歌に私は深い眠りに落ちて行くのでした。
結局私はその日、ほぼ一日中寝ていたようでした。夕暮れかと思った景色が朝日だと理解したのは、起きてしばらくしてからです。沈んでいくはずの太陽が昇っていったのですから。
まず思ったのがやってしまったという事。慌てて起きようとして、次に思ったのが身体が痛い、でした。
それもそのはずです。私が侯爵様と奥様二人と話していたのは夜でした。一度目が覚めたのが何時だったかははっきりしませんが、窓から陽が差してきていたので、少なくとも日中だったのは分かります。
だから二回目に目覚めた時、地平線近くにある太陽を見て、私は夕暮れ時と勘違いしたわけですが、まさかそこから夜通し寝ていたとは思ってもみませんでした。
合計で1日半、私はベッドの住人となっていたわけです。
「お寝坊さんね。やっぱりショックだったかしら? あの時うまくやれなくてごめんなさいね」
終いにはナタリア様に心配かけてしまう始末。うまく返事も出来なくて、軽く自己嫌悪を覚えました。散々泣いた私は少し楽になったのですが、ナタリア様は相変わらずで心配になります。
一番最初のウェンディの時とは違っているのを今更ながらに私は感じました。ようやく頭が回ってきたのか、前よりは広い視点で物事が見えているようです。
私がウェンディに傷つけられたあの日、怒り狂った姿を私に見られたナタリア様は取り乱しましたけど、その分復帰も早かったように思います。私が会いに行った時には落ち着いていたようでしたし。私の方ですぐに「大丈夫、嫌いにならない」と声をかける事が出来たのもあったでしょう。
それと比べて、今のナタリア様はあの時以上の闇を抱えているはずです。にも関わらず誰にもそれを見せないのです。私の方も余裕がなくて、どうしたらいいか分かりませんでした。
でも今はちょっとだけ分かります。侯爵様は私のたまったものを吐き出させてくれました。具体的に解決策とか貰ったわけじゃありません。ただ私の心の叫びを聞いてくれた。それだけで私は少し気が楽になりました。
吐き出す事が出来たらナタリア様もきっと……
「でも一体どうすれば……」
一度こうと決めたナタリア様は、とても頑なです。それに私にナタリア様の深い悲しみを受け止め切れるか……
そこを考えるとナタリア様の内を暴くのは時期尚早の気もして、私はしり込みしてしまいました。
フランの最後の言葉は私の自信を打ち砕きました。
そう、私は恐れているのです。フランに負けるのを。
もしもナタリア様が私よりもフランを選んだら、そう思うと言葉に詰まってしまうのでした。私は思いました。
あと一歩踏み込めるだけの勇気が欲しいと。
そんな時でした。
「ソフィア様」
「エルさん、どうかしましたか?」
アルベルト様から呼び出しがあったのは。
エルさんに連れられて私がやってきたのは教会の墓地でした。場所が場所だけに人はおらず、周囲に生えている木々が揺れる音だけが聞こえました。
「ここにアルベルト様が?」
「ええ、この先です」
エルさんが指差したのは墓地から延びる並木道の向こう側、そこには貴族の方々専用のお墓があります。死して差があると言う事実に少し思うところがありましたが、今の私はソフィア・クアラルンで、妬む方から妬まれる側へとなりました。もはや私に文句を言う権利はないのでしょう。
フランも貴族になったのは私と同じですが、彼女は名前を奪われました。彼女にとってはどっちが幸せだったのでしょう? フランか、ウェンディか。そこまで考えて私は首を振りました。
だってフランか、ウェンディかなんて関係ないのだから。ナタリア様といられたら、きっと彼女はどちらでも良かったのでしょう。
「……負けたくない」
思わず呟いてしまった本音に私はハッとしました。
負けてしまいそうじゃなくて負けたくない。
私はフランとは違い、アルベルト様とナタリア様両方を愛している。だからといってナタリア様のみを求め続けたフランに劣るのかと言われたら……そんなの認めるわけには行きませんでした。
何か活力のようなものが沸いてきた気がしました。私が欲しかった勇気が、少しずつだけど沸いてきている、そんな気が。
「ソフィア様?」
「いえ、何でもありません。行きましょう」
木漏れ日が差し込む中、アルベルト様は一人お墓の前で佇んでいました。私はそのままアルベルト様の隣に立ちます。遠慮はしませんでした。アルベルト様は私と話すためにこの場所を選んだのですから。
「アルベルト様、ソフィアが参りました」
「ああ、待ってたよ。色々大変だったな」
「大変だったのはナタリア様ですよ」
「一番はそうかもしれないが、君も、だろ? 少しは顔色良くなっているみたいだが、侯爵に先を越されてしまったな」
「ふふ、侯爵様と奥様とでサンドイッチですよ」
「それはまた愉快な光景だな」
アルベルト様との久々の会話は思ったよりも軽快に進み、私は素直に楽しいと思えました。
私とアルベルト様はその後も他愛のない話をし、そのままの流れで自然と私達二人の視線はお墓の方へと向いていました。そろそろ頃合いのようです。
「このお墓は誰のものなのですか?」
「私の元婚約者、ダルク公爵家令嬢シーナの墓だ」
「シーナ様……」
ナタリア様から聞いた事がありました。ナタリア様はアルベルト様の二番目の婚約者で、最初の婚約者であったシーナ様は幼い頃に病死なされたと。こうして今もアルベルト様がお墓に行っているという事は、シーナ様との間にも確固たる絆があったのでしょう。
「大切になされていたのですね」
「実際どうだったかな?」
「え?」
予想外の答えに戸惑っていると、アルベルト様は苦笑いをした。
「ずっと昔過ぎてあまり覚えてないんだ。今となっては顔すらあやふやだよ」
薄情だと思うかい? その問いに私はうまく言葉を返す事が出来ませんでした。アルベルト様はそんな私を気にした様子もなく、シーナ様のお墓の前に行くと祈りを捧げました。私もそれに続きます。会った事もない私に祈られるのはシーナ様にとって迷惑かもしれませんが。
「強い後悔だけが残ってる。もっと出来る事があったんじゃないかって。私は医者じゃないから直接助けられたわけじゃないが、例えば優秀な医者を見つけてくるとか、万病に効く薬を探すとか、何か方法があったんじゃないかと」
私はアルベルト様に強く共感しました。あの時ああしていればは誰しもが考える事でしょう。
「でもふとシーナの事を思い出そうとすると、何もかもがぼやけてるんだ。大切だったからこそ色々考えていたはずなのに。いつの間にかシーナとの思い出じゃなくて、方法ばかりを考えている」
アルベルト様のこの言葉を聞いた時私はぞっとしました。この時私は当たり前の事を思い出したのです。人は忘れるという事を。
「ソフィア、死ぬという事は、そういう事なんだ」
アルベルト様に表情らしい表情はありませんでした。もしもその表情を言葉にするとしたら無常、でしょうか。私はアルベルト様にある空虚さの理由を知った気がしました。
「その時はどれだけ強く思っていたとしても、いずれ過去になっていってしまう。岩が風化していくように。君はフランに負けたと感じているかもしれない。ナタリアを守れなかったと感じているかもしれない。それは半分は事実なんだろう。だが君は、ナタリアは……」
「まだ生きている」
アルベルト様はそれが嬉しいと言いました。アルベルト様が浮かべた微笑みは、疑いようなく心の底からのものでした。その時ようやく私は理解したのです。ナタリア様は決して諦めていないのだと。諦めていないからこそ生きています。
「私達が思っている以上に死と生が隔てているものは大きい。私は死者と会話する術を持たないから、シーナが何を思っていたのか今になっても知らずのままだ。そう、死んだ者はそこで終わってしまうんだ。だからフランは最悪な選択をしたと私は思っている」
「最悪、ですか?」
「ああ、きっと今、君以上にナタリアは悩んでいるだろう。どうすればよかったのかと。でもそれはフランの事を考えているようで考えていないんだ。私にとってのシーナがそうであったように。私は何時しかシーナの大半を忘れてしまった。自分が納得出来ないから悩み続けていただけで、彼女自身を見ていたわけではなかったから」
私は理解しました。アルベルト様の後悔の意味を。
「不幸とは良き記憶を奪う。私はそれを身をもって知っている。そしてフランはシーナと違って、自ら不幸をまき散らした。きっとナタリアがここまで苦しむのは予想外だったのかもしれない。でも彼女にはもうナタリアを助けられない。死んでしまったから」
重い、重い言葉でした。私には死後の世界があるかは分かりません。でももしも死者の国から私達を見れるのだとしたら、今のナタリア様をフランは望んだのでしょうか。その答えを知る術を私は持ちません。
最後にアルベルト様は言いました。
「だからこそ私はこう思うんだ。
死んだら終わり。でも生きてさえいれば、
どうにでもなる」
どくんと胸が高鳴りました。心の中の私がそうだと言っています。
私は今、生きている。
「ま、ここまで私が振り切る事が出来るようになったのは、君とナタリアのおかげだけどね」
アルベルト様は冗談めかして笑って見せましたが、あの時は本気で悩んだからこその苦悩だったと私は知っています。過去の苦悩を笑えるようになったアルベルト様が、私にはとても魅力的に映りました。
「あの時散々悩んでいた私が何を偉そうな事を、と思うかもしれないが、あえて言わせてもらうよ。ソフィア、君には時間という味方がついている。確かに君はフランに負けたのかもしれない。でも挽回するのは難しくないだろ? だって君は生きているのだから」
「私は生きている……生きているのなら」
言葉を繰り返すうちに私の中の熱が強くなる。アルベルト様の言葉は私が欲しかった勇気を与えてくれました。
「何か分かったような気がします」
「君の助けになれたのなら幸いだ」
視界がひらけた私はアルベルト様に一つの疑問を投げかけました。
「ひょっとして、アルベルト様ならナタリア様も救えたのではないですか?」
「そうかもしれないが、適役ってものがあるだろう? この舞台では私は部外者でしかない。君が私とシーナの世界に入ってこれないように」
始まりはウェンディと私、そしてナタリア様でした。そこにアルベルト様はいません。アルベルト様は学校を休んでいたのだから。舞台の登場人物はあくまで私達三人、孤児院の時だってそうでした。じゃあ最後だって……
「この舞台の幕を下ろすのは君がふさわしい」
それはアルベルト様からのこれ以上ないダメ押しでした。
ウェンディ、私はやっぱりあなたが嫌いです。あなたの想いは本物だったのでしょう。でもあなたは二回もナタリア様を追い詰めました。私はそれを許せない。
そこにいるのなら見ていてください。私はナタリア様を救ってみせる。あなたの元へと行かせなどしませんから。
一部ではあまり活躍の場に恵まれなかったアルベルトですが、本来はこれくらいやれます。




