第十九話 二つの噂
ソフィアが学校を再開して一週間の時が流れた。最初の数日こそ慌ただしかったが、今は概ね平和のように思える。出だしがうまく行ったのが功を奏した形だ。特にソフィアに関しては最初にいちゃもんをつけてもらって良かったとまで言える。
おかげさまで公爵令嬢ソフィアを知らしめる事が出来たのだから。
「良い踏み台になってくれた。そう思わない? エル」
「ソフィア様の実力をもってすれば何かが起きなくても大丈夫だったかと思われますが」
「確かにそう。でもあーゆー分かりやすさは良いわよ。早いから」
人は劇的なものを好む。そしてどういう訳か、そこに答えがあると錯覚する。
今回の件で言うとソフィアは公爵令嬢っぽい振る舞いをしただけで、実際に公爵令嬢としての力を示したわけではない。抗議文の件も実行に移していないのだから。それでも周りはソフィアを本当の公爵令嬢として相応しいと判断した。
「ここは騙された人達を咎めるよりも、ソフィア様の貫禄を褒めるべきですね。一年前のソフィア様を知っている人達だからこそ、その変化に驚いたのでしょう」
「正直なところ、常に裏を見ている自分が穢れて見える事あるわ。簡単に見惚れる事が出来るあの子たちの素直さは羨ましい」
高位貴族たるもの、簡単に騙されるわけには行かない。それに今の私はマリアンヌ院長の過去も知っている。しっかり見極めなければならないという思いは強い。今の自分が嫌いでは決してないが、それでも思うところはある。
「肉串を食べましょう。あれの前には誰もが平等です」
アンニュイな気分になっている私を見て、エルが出した答えは何と食欲であった。
「ふふ、確かにね」
あの市場での初体験以来、エルは私以上に肉串の虜になってしまった。思い返すはソフィアが王妃様に認められた日の事、肉串含め、何でもありの祝賀会は気品の欠片もなかったが、ただひたすらに楽しかった。
「また機会があればやりたいわね」
「是非!」
それこそソフィアがアルベルトと正式に婚約し、王宮に行ってしまったらなかなかに機会は訪れなくなる。その前にどこか一回息抜きをするのは悪くないように思えた。
「ナタリア、いるか?」
「ええ、先に来てたわ」
いつもの待ち合わせの場所に現れたアルベルトであったが、今日はいつもよりどこかせわしない感じがした。
「アルベルト……そろそろ?」
「ああ」
「だとすると動くのはここ数日ね」
「どうなるか見ものだな」
人の悪い笑みを浮かべるアルベルトを見て、ふと私も似たようなものなのだろうかと考え、気が滅入った。せっかく持ち直したのに。エルにはいつかと言ったが、今日の帰りは肉串を買って帰ろう。
そうして肉でリフレッシュした翌日、早速教室へ一人の生徒がやってきた。
別の教室の子爵家の令嬢だ。きょろきょろと人を探す素振りを見せる彼女を見て、察した私は自分から進んで彼女の元へと向かう。
「私に用かしら?」
「ああ、ナタリア様。良かった。実はナタリア様へお伝えしたい事がありまして……」
「私に伝えたい事? 一体何かしら?」
「その、ですね」
普段同じ貴族同士でも下位貴族と高位貴族は早々に話をしない。だから彼女が緊張をするのも無理はないが、ここまで来たのなら覚悟は決めてほしいと心の中で失笑する。
「緊張しているようだけれど別に取って食いはしないわ」
話してごらんと私に催促されてようやく彼女は語り始めた。
「その、ソフィア様の事なのですが」
「ひょっとしてソフィア様と話したいの? ソフィア様なら直接行っても話を聞いてくれると思うわよ?」
「いえ、そうではなくて!」
私はあえて焦らすように話題を反らした。別の方向に進もうとすれば相手も早く軌道修正したいと思い、緊張している時間も無くなる。結果、私の思惑通りに彼女はすぐに本題を口にした。
「実はソフィア様が本物のクアラルン家ではない可能性があるんです」
「ふぅん」
私はここでもあえて間を使う。早くに答えるとかえって怪しい。リアクションが大きすぎてもそれはそれで変だ。この場ではしっかり考えていると思わせるのが最良である。次の言葉はとっくの昔に決めてあるわけだが。
私は横目で彼女の顔を観察すると、緊張で視線がせわしなく動いていた。これは一体どういう意味なのかしらね? たっぷり10秒ほど時間を使って、私は彼女に問いかける。
「証拠は?」
「ソフィア様の髪の色なのですが、あれは色落ちが解けたのではなく、自分で染めたのでございます」
「髪を……染める?」
「はい、もっぱらその噂です」
「噂、ね。出自はどこから?」
「情報収集はソフィア様がいらした孤児院近くの市場で行いました。そこの酒場で耳にしたとの事です」
私の問いに彼女は自信満々に答えた。私が何も言わない事を肯定と受け取ったのか、勢いに乗った彼女は言葉をつづける。
「疑うのにためらいはありましたが、それでも万一があったらいけませんので。疑いを晴らすための調査がこうなってしまったのは残念でありませんが」
私は心の中で失笑する。
ためらった、ね。
ためらったと言うわりには彼女の顔は喜々としていて、その言動と合っていない。正しくその場に合った仮面をかぶれていない彼女は、私からしてみれば甘いとしか言いようがなかった。指摘すればこの時点で追い詰める事も出来るだろうが、私は先を促して彼女に語らせる事にした。
「染める方法は?」
「もちろん調べてありますよ。基本的には服を染めるのと一緒です。染粉を水に溶かし、それで色が馴染むまで髪をつけるのです」
「……仮にそれが本当だったとして、どうやってその色を取り除くのかしら?」
「え?」
「服の染め物は洗っても色は早々落ちないでしょう? だったら染めた事をどう証明するの?」
私の指摘に彼女の目が点になる。この時点で調べていない事は明確であった。何の言葉も発する事が出来ない彼女を見て、私は残念そうに首を振って彼女に告げた。
「残念ながら暴く方法がないと立証出来ないわ」
「わ、分かりました! 染めた髪を暴く方法、必ずや調べてまいります!!」
彼女は自分の失態を挽回しようと慌てて言った。
「……期待しているわ」
「はい!」
私の言葉を言葉通り受け取った彼女は凛々とした様子で教室を去って行った。そうして教室に訪れる静寂、デイジー嬢とカティア嬢が同情めいた表情を浮かべてこちらを見ていた。そんな彼女たちに対し、私は肩をすくめて見せた。
また別の日、次に現れたのは鼻息荒い男爵家の子息であった。
「ソフィア様の本当の両親が見つかったんです!」
「本当の両親ですって?」
こういう時オウム返しは便利である。勝手に続きを話してくれるのだから。
「はい! その者達はソフィア様がアルベルト殿下の婚約者として発表された後、公開された姿絵を見たらしく、自分達の娘だと確信したとの事! つまりソフィア様、いえ、ソフィアはただの平民だったのです!」
興奮しているせいか無駄に声が大きい。デイジー嬢とカティア嬢の顔は呆れを通り越して、げんなりした表情を浮かべていた。私は視線で騒がしくしてごめんなさいと謝ると、男爵家子息に向き直る。
最初こそあまりにもの勢いで面食らってしまったが、やっとこの音量に慣れてきた。物凄い自信であるが、その根拠はどこから来るのか。ここは一つ揺さぶってみよう。
「あなた、それが嘘だったらどうなるか分かっていて?」
「嘘なんてありえません!」
まさかの断言に思わず「は?」と言いそうになってしまった。仮面が外れそうになったのを抑えながら、私は再度問いかける。
「それはどうして? 証拠があるのかしら?」
「噂がたつ事自体がおかしいのです! 昔から火のない所に煙は立たないと言います! つまりソフィアは黒です!!」
「…………っ」
絶句とはまさにこの事。相手が想定以上に強かったりすると焦るものだが、その逆も叱り、あまりにも想定を下回っても人は動揺するらしい。いけない。本気で頭痛がしてきた。私が頭を抱えていると横から助け船が入る。
「あなた、本当にそれでいいの?」
デイジー嬢だった。
「それでいいとは?」
「自分がしている事すら分かっていないのね」
どこまでも鈍い子息に対して、軽蔑の眼差しを隠さないカティア嬢が続く。
「んなっ!」
「不敬よ。私は侯爵令嬢。裏で思うのは自由だけど貴方も貴族であるのならば隠しなさい」
「っ! 申し訳ありません」
カティア嬢の苛烈さは先ほどまで無敵だった子息の勢いを削いだ。そのタイミングを見計らってデイジー嬢が説明する。
「いい? ソフィア様は殿下の婚約者よ?」
「違う! あいつは詐欺師だ!」
冷めてもすぐに熱する男爵家子息を見ていると、アルベルトの父、バージェス王が何故特待生制度を作ったのか分かる気がした。いくら貴族であってもここまで頭が悪いと……もうため息しか出ない。
「まずは聞きなさい! 少なくとも今はまだ婚約者でしょうが」
「それは、まあ」
カティアが再度子息を冷めさせると、デイジーは今度こそ本題を突きつけた。
「あなたは間違いないというけど、もしも冤罪だった場合、あなた……首飛ぶわよ?」
「えっ?」
それまでの勢いはどこへやら、固まる子息。カティア嬢は冷笑しながら説明を追加した。
「当たり前でしょう? ソフィア様は後の王妃様なのよ。王妃を冤罪に陥れたってなったら重罪に決まっているじゃないの」
もう何も言えない子息にデイジー嬢とカティア嬢は追い打ちをかける。
「だからナタリア様は言ったのよ? 嘘だったらどうなるか分かるか、って」
「引き下がるチャンスを与えてもらったのに、せっかくの温情を無下にして……あなた、馬鹿ね」
そして二人は私を見る。私は場を整えてくれた二人に頷き、男爵家子息に伝えた。
「今回は聞かなかった事にしてあげるわ。それでもソフィア様が疑わしいと思ったのなら、今度は裏付けをしっかり取ってきなさい」
「わ、わわ分かりました!!」
逃げるように去って行く子息に私は大きくため息をつく。直後我に返った私は慌てて口を隠した。恐る恐る二人の方を見ると二人は笑っていた。
「こんなに消耗するナタリア様初めて見たかも」
「ナタリア様の弱点は愚か者って事ね」
見られた事が恥ずかしくて私は赤面してしまう。一瞬の油断であった。それでも助けてもらったのは確かだ。私は咳払いをすると二人に感謝を告げた。
「正直助かったわ。私もまだまだ精進が足りないわね」
「あれはしょうがないと思うよ」
「私達も勉強になったわ。上であろうが下であろうが、ズレがあるって大変ね」
私達は思い知った。理屈なし、思い込みだけの突撃は存外に凶悪だと。思いっきりずれているが、純粋故に強固だ。彼を評するならそうね。
理なき確信は、匹夫の勇――そんなところかしら?
HNを改名してから初めての投稿! 心機一転してこれからも頑張ります!




