第十六話 彼女の髪が元に戻るまで
「アルベルト!」
「あ、すまない!」
ソフィアがソフィア・クアラルンになって以来、惚けるアルベルトを諌めるのが私の日課になっていた。
「ソフィアが美しいのは分かりきってるし、見惚れるのも分かるけど、私達は彼女を守らなければならないのよ? もうちょっとしっかりして!」
「分かってる! 分かってるが……」
「……こりゃ駄目ね」
私は夢から戻ってこないアルベルトに肩をすくめる。ずっと拗らせてきたアルベルトにとって、ただでさえ可愛らしいソフィアが、今や神々しさまで纏っているのだ。まさに劇薬である。
同じ家に住んでいる私は流石に慣れてきたが、数日置きにしか出会えないアルベルトは未だにこの有様だ。
「まずは慣れる訓練が必要かしら?」
ソフィアが美しすぎるという想定外から発生した問題に私は深いため息をついた。
そして時は流れて行く。真剣にやっているせいか、はたまた充実しているせいか、過ぎるのはあっという間であった。
夏の月、強い陽射しが青々とした草木に降り注ぎ、木陰とのコントラストが生くっきりと浮かび上がる。
ソフィアの髪は少しは伸びてきたが、まだ首元が見えるくらいには短い。それでも活発なソフィアに短い髪は似合っていて、陽の光を受けて微笑む彼女は輝いていた。
「ウェンディ嬢、一つ感謝するわ。あなたのおかげでソフィアの魅力を再認識出来たのだから」
私は最高級の皮肉を口にする。奴らはソフィアを貶めたのではない。むしろソフィアを手助けしたのだ。そう思うとなんとも痛快で私は笑ってしまった。
「ナタリア様、行ってまいります」
「ええ、いってらっしゃい。健闘を祈るわ」
どこまでも青い空が広がるその日、ソフィアはアルベルトと共に王宮へと向かった。ソフィアにとってアルベルトの両親と初の顔合わせだ。二人が見えなくなった後、私は王宮の方を見上げた。
「頑張りなさいソフィア。私達はあなたを支えるわ」
私は踵を返すと屋敷の中へと戻る。ソフィアの事はアルベルトに任せ、私は読書でもしながら待つとしよう。
その日の夜、ソフィアは目を赤く腫らしながら帰ってきた。
「ナタリア様……」
私は何も言わずに彼女を抱きしめた。
「私! 私!!」
ソフィアは私にすがりつき、脇目も振らずに泣いた。
「なにも、何も出来なかった!」
それは悲しみの涙ではない。悔し涙であった。
私はこの結果を予期していた。だからソフィアがこの屋敷を発ったあの時、私の心は揺れる事もなく平静のままだった。
何せバージェス王殿下と王妃様は一国の主である。きっとその時の二人は父と母ではなかった。王と王妃として接したのであろう。後の王妃の器か試すために。そんな二人にたった数ヶ月の教育しか受けてないソフィアが立ち向かえるわけがない。
それでも私とアルベルトは今のソフィアを国王夫妻に見てもらう事にした。
ひとえにソフィアの成長のために。
「今は思いっきり泣きなさいソフィア。その悔しさは今後の糧となるわ。悔しいと思えるのなら、あなたはいくらでも成長出来る」
「う、うぅ、うぁぁぁ!!」
その後、泣き疲れたソフィアは部屋に籠ってしまった。私はそれ以上何もしなかった。今の彼女には一人の時間が必要だ。私はソフィアが寝室で寝たのを確認してから、客間に待機しているアルベルトの元へと向かった。
「こっぴどくやられたみたいね」
「ああ、あそこまで張り切っていた父上と母上は久しぶりに見たよ」
「なまじ上手くやれてしまったから本気出してしまった感じかしら?」
「だろうな」
そう、ソフィアはいいようにやられたと思っているようだが、真相はその逆だ。期待をかけられたからこそ、本気の宿題を渡されたのだ。
「第一関門突破、かしら?」
「しかし私としては流石にソフィアが心配になるな」
「大丈夫よ。ソフィアは折れてないわ」
泣く事は悪い事じゃない。むしろ心の整理するには有用だ。溜め込むのではなく、全て吐き出したら、また気力は自然と湧いてくる。私はそれを知っていた。
「あの子の事だもの。明日には元通りよ」
翌日、より精力的になったソフィアが勉学に励んでいたのは言うまでもない。
秋の月、木々は緑から紅に染まり、風に吹かれて枯れ葉が舞う。色鮮やかな紅葉の景色に心奪われるが、一方で失われていく生命力にどこか寂しさも混じる。この頃にはソフィアの髪は肩まで届くようになっていた。
「大分戻ってきたわね。昔の面影があるわ」
「ナタリア様はどちらが好きでしたか?」
ソフィアはよく私を試すような質問をするが、半年もすれば私も慣れたものでいなす事も簡単だ。
「甲乙つけがたいわね。答えを言うとすれば全部かしら?」
「それはずるくないですか? 逃げてません?」
「いいえ、私は本気でそう言ってるわよ?」
胡散臭そうに私を見るソフィアであったが、私が答える前に御者が到着を告げた。
「さ、雑談はここまでにして行きましょうか」
「時間切れですか。でもいつか聞かせてもらいますからね!」
その日、私達はサイヴァリア王国に存在する公爵家の一つを訪れていた。公爵家はアルベルトとソフィアの婚約を認めてくれたが、彼女個人が受け容れられるかはまた別の話だ。ソフィアは誰の力でなく、彼女自身の力で周りを認めさせなければならない。
馬車から降りる前に私は彼女に確認を取る。
「ソフィア、準備はいいかしら?」
「いつでも」
満点の答えであった。私が思うにかつてのソフィアも堂々としていた。しかし今はそれ以外に余裕を感じる。今の彼女は余力がある程に成長しているのだ。
あの悔しさを糧にして努力してきた結果が今だ。私は成功を確信しながら公爵家の門をくぐった。
「今回も無事に終わったようだな。これで公爵家で残すは二つか」
いつものダンス練習が終わった後、私はアルベルトに結果を報告していた。
「ええ、でももはや心配してないわ」
「だろうな。答えは分かり切っている」
私達は一人ステップの反復練習を繰り返すソフィアを眺める。彼女はみるみるうちに公爵令嬢へと変わっていった。ソフィアの向上心は並外れている。私達が感嘆する程に。
しかもそれが私達といるためだと思うと、どうしても頬が緩んでしまった。それを見逃すアルベルトではなかった。
「見惚れてたな?」
「っ!?」
アルベルトに指摘されて私は言葉を噤む。ずっと反撃の機会を伺っていたのであろう。かつての私がした事をやり返されるなんて不覚だ。
「そう言えばアルベルトは昔ほど見惚れる事無くなったわね」
「見惚れてる時間がもったいないと思ってな。ソフィアを見るなら正気を保っていたい」
改善どころか悪化している。筋金入りだった。
つくづく私達の愛は重いと知った一日だった。
冬の月、しんしんと降り積もる雪、吐く吐息は白く、足跡が道を作る。しかし街灯の灯りが雪に反射し、生まれる幻想的な光はどこか温かく、はしゃぐ子供達は寒さなどどこ吹く風と言った様子であった。ソフィアの髪は背に届くまでになっていた。
その日、ソフィアは再度アルベルトと王宮に向かっていった。夏のあの日と同じように。私もあの時と変わらず平静のまま見送る。
しかし状況はあの時と全く違う。私が平静であれる理由は夏の時とは逆なのだ。ソフィアは挫折を乗り越えてここまで来た。私はソフィアの努力のすべてを知っている。
ずっと見てきたのだ。
だからこそ私は失敗を考えない。
ソフィア達が見えなくなった後、私は屋敷の者達に高らかに告げた。
「さあ、これから祝賀会の用意よ!」
誰も疑問の声を上げなかった。屋敷の者達だって皆知っているのだ。ソフィアがこの屋敷で積み重ねてきたものを。そして私は料理長を呼び出す。今日という日だけは解禁しよう。私達の絆の料理を。
「料理長、とうとう例のモノの出番よ。秘伝の肉串を頼むわ。今日に限ってはマナーなんて関係ない。ただ美味しく食べられるものだけに力を注いで」
ソフィアに対してのサプライズはまだある。
「エル!」
「任しておいてください。迎えに行ってまいります」
私はひたすら準備する。二人が笑顔で戻ってくるのを信じて。
そしてソフィアは帰ってきた。あの時と同じく目を赤くして。でもそれは決して悔しさの涙じゃない。ソフィアが見せたのは喜びの涙であった。
「王妃様が言ってくれたんです。息子を宜しくお願いしますって」
隣を見るとアルベルトも目を赤く腫らしている。
私には分かってしまった。王妃は王子ではなく、わざわざ息子と言ったらしい。そこに込められた意味はどこまでも深い。王妃はソフィアの愛の深さを知ったのだ。
ソフィアはアルベルトのために懸命に努力し、隣に立とうとしてきた。与えられるのだけではなく、支える側になろうとした。それこそ愛がなければ出来ない偉業だ。
王子としてではなく、一個人として愛してくれた。そのためにすべてを賭けて隣に立とうとしている。ソフィアは器量で勝ったのではない。何より愛の深さで認めさせたのだ。
「よく頑張ったわねソフィア」
私は彼女への賛辞を惜しまなかった。
その後、ソフィアがアルベルトの両親から王妃として認められた事を祝福して、私達は身内だけの宴を開いた。
場に並ぶのは上品には程遠い庶民的な食べ物のオンパレードだ。私は是非アルベルトにもあの庶民の味をソフィアと一緒に楽しんでもらいたかった。特に肉串の衝撃は是が非でも堪能して欲しい。
身内だけの宴であるが、特別ゲストもいる。
「マリアンヌ院長!?」
「やったわねソフィア」
エルに連れてきてもらった人こそマリアンヌ院長であった。どうしてと私を見るソフィアに得意げに答える。
「身内のパーティーなのにあなたのお母様がいないのは変でしょ?」
本当は子供達も呼びたかったが、子供達はどうしたって口が軽いため、今回は見送った。そのかわりマリアンヌ院長にここの食べ物を持って帰ってもらう予定である。
「さあさあ、楽しんで。今日だけは無礼講よ!」
そう言って私はソフィアの肩を押した。この素晴らしい日は楽しまなきゃ損なのだから。
そして季節は巡り、春となった。
「すっかり元通りね」
私は鏡の前に座るソフィアの髪を撫でた。まるまる一年が経ち、ソフィアは完全に元の髪を取り戻した。
しかしその髪の色は白銀で、眼は真紅の瞳、今のソフィアは立派な公爵令嬢だ。懐かしくも新しい、なんとも不思議な感覚であった。
私はソフィアに語りかける。
「ねえ、ソフィア。あなた私にどの髪型が好きか聞いたでしょ?」
「懐かしいですね。確かあの時ナタリア様は全部と言ったのでしたね。ナタリア様からその話を振ったという事はやっと白状する気になりましたか?」
「そういう事ね。でも私は嘘はついてないわ。全部と言うのは本当の事だもの」
これは紛れもなく私の本心だ。
「私思ったの。この一年私は色んなソフィアを見る事が出来た。変わっていく貴方は私に実感を与えてくれたわ。同じ時間を過ごしているって」
「だからすべてが愛おしい」
短い髪が伸び切るだけの時間を過ごしたのだ。同じ時間を進めている。私にはそれがたまらなく嬉しい。
「私、とんだ藪蛇でしたね」
あまりにも直球の愛でソフィアの顔は真っ赤であった。
「冗談じゃないわよ?」
「だから余計たちが悪いんです!」
「うふふ」
私は感慨深い気持ちになった。紆余曲折あったが、ようやくここまで辿り着いたのだ。
「さて、私は先に行くわね。ソフィアはもう少しだけ我慢していてね」
「分かりました。ねえ、ナタリア様」
「なぁに?」
「私も愛していますよ」
「ふふ、知ってるわ」
最後の反撃を軽くいなし、私は控室を後にする。控室の外にはすでにアルベルトが控えていた。
「やっとここまで来たな」
「ええ、長かったような短かったような、濃い一年間だったわ」
思い返すと色々込み上げてくるものがあった。アルベルトもそうであるのか、お互い無言であった。
やるべき事はやった。後はもう進むだけだ。アルベルトは一度天を仰ぐ。一方で私は胸の前で両手を重ねた。心を奮い立たせた私達は決意の眼差しで前を見据える。
「行くか」
「ええ、行きましょう」
そして私達は会場へと足を踏み入れた。遥か遠き平穏へと進むために。
これにて第一部完結です。
最後までナタリア達にお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
ここまで書き切ることができたのは、継続して読んでくださった皆様のおかげです。
見てくれている人がいる――そう思えたからこそ、ここまで頑張ることができました。
第二部につきましては、構想自体はすでに出来上がっておりますが、
仕事が繁忙期のため、少しお時間をいただければと思います。
三人の物語は、まだ続きます。
またお届けできる日を、どうか楽しみに待っていてください。
それでは、また近いうちに。




